第138話:朝早すぎる、カフェ暮らし。②

[星歴1543年9月18日。聖都アヴァロン。カフェ・ド・シュバリエ]


 朝5時30分。


 カフェ・ド・シュバリエの朝は早い。モーニング、そしてランチの仕込みが始まるからだ。奥の厨房では慣れた手つきでリックが野菜を刻む。料理はリックが十三旅団に転入する前に叔父であるヘンリーの元に転がり込んで来てから出すようになった。今は、リックだけでは間に合わないため、アルバイトも雇っているのだ。


「よお、ヘンリー、お早う!」

パン屋のドノバンがサンドイッチ用のパンを届けてくれる。まだ、焼きたての余熱がしっかりと残っている。

「おっ、良い匂いだな。ドノバン、どうだ、コーヒーでも一杯飲んでいくかい?」

へンリーの誘いにドノバンは首を振った。

「そうしてえのは山々だけどな。まだ配達があるで。終わったら寄るよ。」

 店主のヘンリーは厨房の隣にある焙煎小屋で今日使う分のコーヒーを焙煎ローストしている。この作業だけは誰にも任せられないのだ。



 モーニングは朝7時から始まる。ヘンリーがテーブルを磨き上げ終わった頃、ドアの鐘がガラガラと鳴って来客を告げた。

「お早う。」

「お早うございます。」

数名の常連に紛れて凜とマーリンが朝食を摂りにやってくるのだ。


黙っていても、2人の前にモーニングセットが香り高いコーヒーと共に置かれる。

「いただきます。」

2人が食べ始めると、ヘンリーは厨房に声をかけた。

「おい、リック。お前も今の内に飯を食っておけよ。」


凜もマーリンも茫洋とした面持ちでサンドイッチを頬張り、コーヒーで喉を潤す。

2人は今日の予定を確認し、義眼モニターラティーナに飛び込んでくるニュースに目を通す。


 午前7時45分。

 

二人が席を立って店を出ると、騎士団の制服に着替えたリックとトムが合流する。

「ああ、眠い。」

あくびをするトムに

「俺はもう一働きしたんだがな。」

リックは嫌味を言った。


「だいたい、クレメンスの家から出る俺の生活費があるんだ。それだけで三人くらいは充分食っていけるじゃん。大して収入かねにもならん店に何か意味でもあるのか?」

トムは養家から出される金がかなりの額になることを指摘する。

「嫌だよ、お前のヒモだなんて。死んでもごめんだ。」

でもリックの言い分はトムには理解できない。


「そうですよ、トム。『人はパンのみにて生きるにあらず』、なのですよ。」

またしてもぐうたらの権化であるマーリンが口をはさんだ。

どや顔のマーリンを3人が眉間にしわを寄せて見やった。

「そうだな、『パンがなければケーキを食べればいいのに』、だからな。」

凜がボケ突っ込みを入れた。

「それは名案です!」

さらにゼルが追い打ちをかけた。ただ地球人種テラノイド限定のギャグのためトムにはさっぱり意味が解らない。


「トム、つまるところ、働かないと人間性が低下してしまいますからね。労働は良いものです。」

言葉の意味を図りかねているトムにマーリンが説明した。


「だいたい、地球教じゃ人間は楽園から追放されて労働がはじまったんだろう? 労働は罰じゃないのか?」

トムが反論すれば

「んー、むしろ地球人種テラノイドの『週』という概念は創造主が6日働いて、7日目に安息日やすみを取ったところから出ているからね。あながち労働自体を罰として蔑む必要はないんだけどね。」

凜が苦笑交じりに解説を加える。

「そうだよ。俺も働くのは嫌じゃないからな。」

リックの足取りは軽やかである。


午前8時30分。


 「お早うございます。」

カフェの扉を開けて颯爽と現れたのはジェシカ・ビジョーソルトである。彼女はいつも通り、キリッとしたスーツ姿に自前の猫耳を載せている。最初はあまりのギャップにドン引きだった常連さんたちも、いつしか彼女の姿にも慣れたようである。

彼女は騎士団までロゼを送った後、旅団の仕事にとりかかるのだ。

 「店主、ブレンドをお願い。デスクまでお願いね。」

コーヒーを注文すると旅団の仮本部である2階の道場へと上がっていく。「仮本部」ではあるが、一向に移動する気配は無い。

道場の隅にはソファとともにアンティークな木製のデスクがあり、そこがジェシカの定位置である。ペーパーレス時代なので必要以上の紙はこの世界では使われることは無いのだ。

「ジェシカ、お待たせ。」

ヘンリーがわざわざ2階までコーヒーを届けに来た。

「ありがとう、店主マスター。そこに置いておいていただけるかしら。」

いい加減、ヘンリー、と名前で呼んで欲しいなあ、そう言う意味のため息をつくと、ヘンリーはコーヒーをデスクに置いた。


「あ、もしもし。」

ジェシカはロゼの守役に加え、ジェノスタイン商会のアヴァロン支配人も兼ねているため、多忙を極めているのである。アヴァロンは聖槍騎士団の本部があるため、医療機器を扱う企業ギルドが軒を連ねているのだ。


午前11時30分。


「ただいま。」

「まいど!」

 リックとロゼが帰って来る。 本来は授業や実習がある時間帯ではあるが、学校ではないため、わりと自由である。リックはランチの仕込みに入り、ロゼはテラス席の準備をする。


やがて正午の時報を過ぎるとランチの客がちらほら入り始め、30分も経つとお客でいっぱいになる。最近はロゼだけでなく、アンの幼馴染の友達もバイトに入ってくれていて、華やかな雰囲気になっている。実はカフェの可愛いウエイトレスの制服の元のデザインを考えたのはジェシカなのだが、それは「第一級」の「機密事項」になっているのだ。


午後1時。


店が空き始めるところを見計らって、凜とマーリンを始め、トムやメグ、リーナもやって来る。午後は旅団の活動が中心になるためだ。実家住まいのアン以外は一緒に昼食を取ることが多い。

「ほら、賄いやで。」

リックが残りの食材や昨日の残り物を上手に使って作った賄い料理をロゼが並べる。

「わあ、美味しそう!」

「リックはいい嫁になれそうだね。」

「技巧騎士系ならすぐに天位になれんじゃない」

皆口々にリックを褒める。

「いや、俺が目指すのは執政官コンスルだから。」

未だにリックの厨二は健在である。


皆で料理を平らげ、ヘンリーの淹れたコーヒーで締めるまで、共に団欒コミュニケーションを楽しむ。これが凜の旅団長としての方針であった。


午後2時。


2階の道場で修練が始まる。槍や刀はジェシカが師範となって教える。ジェシカの教える型は極めて基本に忠実なのだ。


午後はほぼコーヒーとデザートの客だけなので、ヘンリーひとりで店を回す。お客ものんびりとおしゃべりや読書を楽しむため、穏やかな空気が流れる。ヘンリーも好きな音楽をかけ、のんびりとしながら時を過ごす。時折、道場の床にあたる天井でドン、という激しい物音がするが、それで驚く人はほとんどいない。


午後3時。


ティータイムやコーヒーブレイクを楽しむ人々が増え始める。コーヒー一辺倒だったヘンリーだが、ジェシカの薦めで紅茶も扱うようになったのだ。さすがは商社の社長秘書、伝手を使って極上の茶葉を手に入れるルートを作ってくれたのだ。


意外なことに、スフィアで最も良い茶葉を産するのはメグの故郷ヌーゼリアル領であった。『夏の都』の周りには多くの茶畑がある。


午後3時半。

一同は修練の合間にコーヒーブレイクを楽しむ。

「ヴァルキュリアにいた頃から紅茶はヌーゼリアルのものが良いと思っていたが、思えばその習慣もジェシカさんが始めたのだな。」

メグはそう呟く。


午後のアルバイトさんに店番を任せると、ヘンリーは軽食サパーの仕込みに入る。大抵、パンとそれを浸けるスープ料理、パスタのソースを一品ずつ作る。酒を出すわけではないので、簡単なものばかりである。


午後5時。


 旅団の修練が終了する。シャワーを浴びてからメグは下宿先の透さん宅へ、ジェシカとロゼはマンションへ、リーナは女子寮へ、そしてアンは自宅へとそれぞれ帰って行く。凜とマーリンはここで夕飯を済ましてから宿舎へと帰るのだ。

夜の部はトムとリックが手伝う。8時にはオーダーがストップするので、再びヘンリーはひとりで店番をする。


午後9時。


店を閉める。ドアの「オープン」の表示を「クローズド」に変え、店の掃除を済ませるとヘンリーの1日が終わる。


 こんな生活を十数年、変わることなく送って来たのだ。


店の休日は金曜日。土日のモーニングも休みだ。酒を出す店ではないため、夜はめっきり客足が途絶えることも。そんな時は早めに店仕舞いをすることも多い。


この日もそんな夜だった。乾燥しきった夏が過ぎ、小麦の植え付けが終わると雨季が始まる。雨が再び音を立てて降り出し、時々雷鳴も混じる。

ヘンリーは店を閉めると、音楽をかけた。そして、カウンターの下からウイスキーの瓶を引っ張り出すとカウンターに置いた。グラスを出し、余ったスープを皿に注ぐ。

「まあ、明日も早い。さっさと飲んで、さっさと寝るか。」

ウイスキーを煽りながら、雨だれの音と、ジャズの旋律に耳を傾ける。


(俺は、この街角で、一介のカフェのオヤジとして、ただ朽ちて行くのだろうか⋯⋯。)

外を見やると、窓に映った自分と目が合う。

「お前も老けたな⋯⋯。」

ヘンリーは自分の顔にそう語りかけた。騎士としては大成するどころか準天位どまりだった。騎士道をこの上なく愛しながらも、その女神からは一顧だにされなかった。残念ながら、甥のリックも武に関しては似たり寄ったりだ。ただ、彼の場合、ゼルに身体を預ければ、それなりの強者にはなれる。

羨ましくもあり、羨ましくもない。


慰めとなるのは、愛して止まぬコーヒーとの出逢いであろう。近衛府にいた彼は王都キャメロットの郊外に広がるコーヒー畑でそれに出逢ったのだ。以来、ブレンド、ロースト、そしてドリップの技術を磨いてきた。

周りの人間はバリスタの階位認定を受けるよう勧めてくれたがヘンリーは断っていた。コーヒーへの愛も自分の名を上げたいためではない、純粋な物であったからだ。また軽く天位クラスに叙される程度の自信はあったが、そうなったらなったで青春時代に情熱を傾けた騎士道とは何だったのか、となるのも嫌だったのだ。


その時、突然、店のドアが開いた。ガラガラと鐘がなる。外の雨音が激しく聞こえる。

(鍵をかけ忘れていたのか。)

「すみません。お客さん。今日はもう仕舞いにしたんですが⋯⋯。」

ヘンリーが開いたドアに目をやるとびっしょりに濡れた巡礼者の長白衣ローブを身にまとった若い女性が立ち尽くしていたのだ。彼女がフードをとると水を含んでべったりとなった黒髪が現れる。

(長くて、綺麗な首だな)

ヘンリーの最初の感想であった。彼女は震える声で言った。

「お願いです。追われているんです。匿ってはいただけませんか?」

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