第110話:堂々過ぎる、チャンピオン。③

[星暦1551年6月25日。惑星スフィア。エウロパ。予選第3戦。]


「見て ! ジョー! ほら、あそこ!オーロラが見えるわ!」

エマが少女のようにを輝かせてジョーダンの肩を揺する。ジョーダンは愛する妻がはしゃぐ様を愛おしそうに見つめていた。

普段、エマは人前であろうとなかろうと、かれのことを「旦那様」とよぶ。でも、この宇宙船レーサーの狭いコクピットの中だけは「ジョー」と呼ぶのだ。まだ二人が出会ったばかりの、そしてまだ二人とも幼かった頃のように。


 その夜、ジョーダンは夢を見ていた。それは、自分にとって昔というにはあまりにも最近で、娘にとってはずっと昔のことだろう。 でも、ジョーダンと娘のロゼにとっては大切なはずの記憶である。


 ロゼの母エマはジョーダンとは幼馴染の間柄であった。二人は幼い頃、共に時間を過ごし、いつか結婚しよう、そう約束を交わしていた。幼い二人ならではの微笑ましいエピソードであるが、当の二人はごく真面目であった。真面目な二人は大人になるにつれ、お互いの愛情だけで結婚相手を選べない、ということを思い知らされる。


 というのも、エマはジョーダンの家に仕える家の子であったのだ。ジョーダンはエマとの結婚を望んでいることを両親に訴えたが一蹴され、やはり、同じエウロパで手広く商売を営むシルベスタ家の娘との結婚が本人の意志と関係なく決まっていた。それがロゼの異母姉マチルダの母であるユーリカである。


真面目な性格のジョーダンもエマも親の期待を裏切れず、親の決定をただ受け入れるしかなかった。

「僕が本当に愛しとるんはエマ、ただ君だけなんや。でもな、僕はジョーダン・ジェノスタイン、このエウロパの繁栄を守らなアカンのや。」

ジョーダンはそう言ってエマに別れを告げた。 エマは引き続きジェノスタイン商会で事務員として働いていたが、プライベートで二人が接点を持つことはもうなかった。


 やがて、ジョーダンはユーリカとの間に一男一女を設けたが、ユーリカは浪費癖のある女性であった。やがて彼女は夫に内緒で方々に多額の借金をこしらえ、最後は若い情夫と共に夫の元を去ってしまったのである。


ユーリカは結婚生活の終わりを告げたジョーダンに言い放った。

「あなたは、私の不倫を非難するけど、あなたの目に私の姿なんかまったく映っていなかったわ。あなたは私を抱きながら、心の中で別の女の名をつぶやいているの。

私にそんなことすらわからないとでも思ったのかしら。私だって女なのよ。……確かに、あなたは私に好き放題させてくれた。そのことだけは感謝しているわ。⋯⋯でもね、あなたがそうしてくれたのは、私を愛していたからではなく、私に全く関心がなかった、ただそれだけのことよ。」


 彼女の言い分はわがまま極まりないものであったが、ジョーダンには返す言葉が一つもみつからなかった。ジョーダンはユーリカを一言も叱ることもなく、恨み言を言うでもなく、ただ黙って離婚届にサインをした。その態度も、ユーリカのプライドをいたく傷つけたようだった。しかし、それはジョーダンにとっても同じだった。二人の夫婦の絆とは互いに対する愛情ではなく、自分たちの家族や社会的な立場に対する愛情だけだったことをおもい知らされただけだったからだ。


ジョーダンは、離婚するとすぐにエマに求婚した。しかし、エマはジョーダンの愛には応えたが、求婚には応じようとはしなかった。彼女がようやくプロポーズに応じたのは、その身にロゼが宿ったことがわかった時であった。エマが求婚に応じたのは、彼女が大店の夫人の座に収まりたかったのではなく、彼女から生まれてくる子供が、正式な父親がいない『日陰の子』になってしまうことを怖れたのであった。


 エマは自分自身の予想に違わず、身分違いの結婚に苦労が絶えなかった。彼女は自分の出自にコンプレックスがあり、それはジョーダンの家族や親戚からのいじめや、家人たちの突き上げによって徐々に彼女の精神と身体を蝕んでいったのである。


そして、ジョーダンが「主席取引官」の役職を射止めてからは、彼女へのプレッシャーはさらに日毎に増して行き、彼女が病床に伏せる日が増えて来た。そんな折に、ジョーダンは宇宙船レースに参入したのである。実はジョーダン自身はあまりレースには関心がなかった。ただ、エマはそれが大好きであった。というのも、彼女の従弟に当たるのが、当時、レーサー、取り分けパイロットとして頭角を現してきていた、ショーン・ビジョーソルトだったのである。


ショーンの活躍について嬉しそうに、そして誇らしそうに語るエマを見て、ジョーダンは自らレースに参入すればエマの病気にもいいかもしれない、と思い立ったのだ。

 ジョーダンは三顧の礼をもってショーンを迎えた。

 ショーンも身分違いの結婚に苦労している従姉を慮ってその申し出を受け容れてくれたのだ。こうしてショーン、そして妹のジェシカはジェノスタイン家にやって来た。ただ、ジェシカは間も無く陸軍士官学校に進学した。彼女は卒業後、専科には進まず、同じ惑星のグラストンベリーにあるヴァルキュリア女子修道騎士会に留学することになる。


その後のショーンの活躍は目覚ましく、初年度にはすぐにアポロニアの惑星チャンピオンになり、「ファイナリスト」と呼ばれるフェニキア最高のレース、フェニキア・ギャラクシーグランプリに出場するようになったのだ。


 ジョーダンはよく「ミーンマシン」にエマを乗せ、ショーンに運転してもらって惑星スフィアの外周を飛翔してもらった。エマはジョーダンにもたれかかり、眼下に広がる美しい宝石のような蒼い惑星をみるのが大好きだったのである。


 幼いロゼを預けて、ジョーダンはエマと共にデートを重ねた。それは、二人の心を幼かった頃の時代に、そして思い合っていても会うことが叶わなかった青春時代へと思いを馳せさせた。


「私の人生はあの時が、一番輝いていた。」

ジョーダンのその幸せの絶頂はそう長続きはしなかった。


 エマに難病が見つかったのである。それは遺伝性劇症膠原病の一種で、完治が困難なものであった。それは遺伝病であり、フェニキア人特有のものだった。フェニキア人は宇宙航行に自分たちの身体を特化するため、とりわけコールドスリーブに対する適性を高めるために遺伝子を自ら弄り続けて来たのだ。そして、その弊害が彼女の身に突如として噴出したのである。


ジョーダンは泣く泣く彼女を手放さざるを得なかったのである。適正な遺伝子治療を受けるため、カルタゴ人の遺伝子サンプルを多く持つカルタゴ本星の病院へと行かざるを得なかったのだ。彼は離縁するつもりはなかったが、「ファーストレディ」がいないと差し障りのある立場のため、エマが自ら離縁を申し出たのだ。

彼女をショーンに送らせ見送った時に、ジョーダンは二度と「ミーンマシン」には乗るまい、と心に決めていたのである。


 しかし、「ミーンマシン」は再び飛翔し、なんとアポロニア・グランプリ本戦ファイナルの出場権を獲得してしまった。あの時、エマを連れて座ったシートに今、補助パイロットとして座っているのはエマとの娘、ロゼマリアなのである。


彼の前に、突然、少年が現れる。びっくりしてジョーダンは尋ねた。

「こんなところになぜ子供が⋯⋯。坊や、どうしてこんなところにいるんだい?」


「僕はラミエル。旦那様に『ミーンマシン』と名付けられたものです。今日は、お別れを言いに来ました。」

 少年は、満面の笑みをたたえていた。ただ、それはもうすぐ涙で決壊しそうなもろそうな笑顔であった。ジョーダンは少年の言葉の意味が解らず、ポカンとしていた。

「ありがとう、旦那様。僕を再び飛ぶことを許してくれて。本当にありがとう。」

少年はそれだけ言うとくるりと向きを変え、スキップをするように走り去って行き、ドアの手前で消えてしまった。

「ちょっと、待ってくれ。坊や、それは、どういう意味⋯⋯?」


そこで、ジョーダンは目覚めた。彼は寝汗をびっしょり、かいていた。

「夢⋯⋯だったのか。」

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