第108話:堂々過ぎる、チャンピオン。①

[星暦1551年6月18日。惑星スフィア。エウロパ。予選第3戦。]


 第3戦は第2戦から2か月空けて開催されるため、エウロペの街も初冬になっていた。しかし、これまでの予選と異なり、街には大々的に告知されていて、あたかも本番ファイナルのような盛り上がりなのであった。

「どうしたんでしょう? 随分とレースの話題で盛り上がってますが。」


 マーリンの問いの答えはやがて明らかになった。前夜祭の空気は緊張と昂奮でピリピリしている。というのも、この予選に前年度のフェニキア・グランプリのグランドチャンピオンが参戦するからだ。彼の名はピーター・ローゼンベルグ。しかし、彼はこうも呼ばれていた。

 「ピーター・パーフェクト」である。


 というのも彼は、フェニキアで最も権威のあるレースである前年の『フェニキア・ギャラクシー・グランプリ』を始め、すべてのレースを無傷で制覇したチームのパイロットなのだ。今や国民的な英雄であった。

 そんな高名なレーサーがなぜかこのアポロニア・グランプリという地方ローカルレースに参加する、というから大変だ。レースの運営委員会はその参加の打診を最初はホンモノだと思えず、タチの悪いイタズラか何かだと思っていた。しかしそれが紛れも無い本人だと分かると、打って変わって都市をあげての大歓迎となったのである。


 「さあ、拍手でお迎えください。グランドチャンピオン、ピーター・パーフェクトです。」

颯爽とピーターが登場すると、会場に集まった群衆から割れんばかりの拍手が起こり、会場の全ての耳目が彼一人に釘付けになる。


 いつもは、上の階で別口でパーティをしているオーナーたちも、レーサーたちのパーティに出るためにエレベーターを降りてきたのである。そのため、一般のファンの参加はほとんどできなかったほどである。

 凜とショーンの激突の可能性にうじうじしていたロゼも今日ばかりは「ピーター様、はあと」であった。


「ふん、貴公子だろうが神様だろうが、俺たちには『戦う』以外の選択肢はないぜ。」

「そうだな。」

パーティですっかり脇役へと追いやられたかつての主役たちの一人、リトル・グルーサムは相棒のビッグ・グルーサムにささやいた。


 第2戦でゼルの怪音波攻撃に膝を屈した「奇々怪界クリーピー・クーペ」のレーサーである。背が高く、「フランケンシュタイン博士の怪物」の仮面を被っているのがビッグ、小男で「吸血鬼ドラキュラ伯爵」の仮面を被っているのがリトルである。

二人はドライバーの有人格アプリ、「狼男ベオウルフ」と共にレースを戦ってきた。


 二人はもともと別々のチームに所属していたが、とあるレース後、レーサー同士の喧嘩の乱闘に巻き込まれ、そこで喧嘩相手のレーサーを誤って死なせてしまったのである。そのレーサーはフェニキアでも大物貴族のお抱えであったため、二人はその憤りを受け、裁判で終身刑を言い渡されると刑務所へと送られたのである。

 一方的な責任のない喧嘩で、しかもほぼ事故に近い状況だったのに、残りの人生を奪われてしまった二人は、絶望のあまり蕭然としていた。そこに、別の貴族商人が取引を持ちかけて来たのだ。それは、今回のアポロニアグランプリで優勝すれば、無罪放免のための資金を提供する、というものである。

 そこで二人は仮面をかぶって「グルーサム兄弟ブラザース」を名乗り、用意された宇宙船レーサー、「奇々怪界クリーピー・クーペ」でこのレースに乗り込んだのである。それゆえにかれらにとって「戦う」という以外に選択肢はないのである。そう、自分たちの理不尽な境遇を打開するために。


 人々がピーターを取り囲む。それはまるで大きな波のうねりのようであった。ピーターは端正なマスクと長身を持つ男である。彼は白いスーツに身を固め、取り囲む記者たちや、貴族や貴婦人たちの相手をしていた。彼の後ろにいる、さらに長身の男を見て、マーリンの顔が引きつった。その男はピーターとは逆に黒ずくめの服で、室内にも関わらず黒い帽子を目深に被り、さらに黒いロングのトレンチコートを身に纏っていた。彼がピーターの相棒であるキャプテンを務める男である。

「まさか⋯⋯無窮エンドレス?」


「マーリン、……その、お知り合い?」

マーリンの滅多に見せない険しい表情に凜は思わず聞いてしまった。

「ええ、彼は私と同じゴメル人です。」

マーリンの声には懐かしさという波動は微塵も感じられない。


「しかし、なぜ彼がこんな所にいるのでしょうか?」

ゼルが尋ねる。ゼルにとっても知己のようである。

無窮エンドレスと呼ばれた男もマーリンに気づいたようで、こちらに近づいてきた。しかも、真っ直ぐに。歩くでもなく、誰にもぶつかることなく、人ごみをすり抜けてやってきたのである。これには凜も、そばにいたメグもロゼも仰天してしまった。

「マーリンと同じ『化肉(物質化)』の身体、ということ?」

「ええ。」

マーリンは凜の問いに短く答えた。

「この惑星ほしは私の管轄です。手出しは無用に願いますよ、無窮エンドレス。」

「久しぶりだな。およそ……そう、この星の暦で言えば1550年ぶりくらいかな? それなのに、随分とご挨拶じゃないか、無我セルフレス。」

無窮エンドレスの目は穏やかな光をたたえていた。ただ、その穏やかさは、好意に満ちているというよりは嵐の前の静けさとでも言えるようなものだった。

無我セルフレスって、マーリンの本名?」

「ええ、こちらの言葉で訳すなら、それが近いでしょう。しかし、お言葉ですが無窮エンドレス。私があなたと最後にお会いしたのは、もっとずっと前だったはずなのですが?」

マーリンの問いに「無窮エンドレス」は不気味な笑みを浮かべた。

「なんだ、私がせっかく会いにきてやったというのに気がついてもくれなかったのかい? 相変わらずぼうっとしてるやつだな。それなら一つ、ヒントをやろう。とある『虫けら』に俺はチャンスをくれてやったことがある。」

「『虫けら』?」


怪訝そうなマーリンの表情に男は愉快そうに話を続ける。

「『獅子身中の虫』という言葉がある。お前が地球人種テラノイドどもに貸しあたえた玩具は、あまりにも彼らの身に過ぎた。それで、バランスを取る必要を感じたのだよ。

お前たちの身体の中にその『虫けら』を送り込んだのは私なのだよ。」


「なんですって!?」

マーリンの手がワナワナと震え始める。

無窮エンドレスさん。僕にはあなたの言葉の意味がサッパリ解らないんですけど。」

凜が怒り心頭のマーリンを見やりながら尋ねる。


「キミが棗凜太朗=トリスタン、その身に『ガブリエル』を与えられたゼルの器だね? 長いので不躾ながらキミのことを凜と呼ばせてもらおう。凜、キミが人として蘇るきっかけになった『ウロボロスの蛇』事件。事件の原因となったのが、その『虫ケラ』だよ。」


ようやく無窮エンドレスの言葉の意味を悟った凜の身体も震え始める。

「まさか、まさかあのモルドレッド・モリアーティ⋯⋯。『ドM』のことか? まさかあんた、あの怪物を⋯⋯。」

無窮エンドレスは愉快そうに笑った。

「あはは、やっと解ってくれたかね?ただ、彼はその略称はあまり好みではない、とも言っているよ。なにしろ彼は自分が完全な『ドS』だと思っているからね。あの日、『無我セルフレス』と同様、俺は気になって君たちの移民船につまれた君たちの文明のアーカイブを見せてもらっていたのさ。興味深いことに、君たちの船にはホンモノの生体脳が積まれていたからね。そうしたら一人だけ、面白そうな脳を見つけた。その中には嫉妬、憤怒、傲慢が詰まっていたのだよ。彼が蘇ったら、いったい何をしでかすだろうか? とても興味深い実験だ。だから、俺は彼を蘇らせて見た。ところが彼は予想以上に面白いことをした。多額の費用と人々の期待を背負ったキミたちのプロジェクトをいきなり終わらせようとするのだから。」


 確かに、脳はあっても、人間としての意識はすでに死んでいるはずの狂科学者マッドサイエンティスト、自称モルドレッド・モリアーティ―『ドM』様―ことジム・ハリスの自意識がなぜ突如覚醒したのか、それは歴史の謎として語られてきたことだったからだ。そして、身体もないのに生体コンピューターから離脱し、あまつさえ、マーリンから天使を盗み出して逃亡する、そんな芸当をどうやって成し遂げたのか。これまで歴史の暗部として放置されていた謎がこんなところで解き明かされたのだ。しかも、最悪の解答とともに。

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