第52話 秘密の告白

 夏休みの合宿の三日目は、朝、のんびりとコテージで過ごして、そのまま真っ直ぐ帰ることになった。

 久美子さんの車を俺が、乗り慣れたムーブを春香が運転した。


 合宿が終わってしばらくしてから、久美子さんから武士くんとつきあい始めたと報告を受け、春香と二人で祝福すると、久美子さんは恥ずかしそうに微笑んでいた。



――それから20年が経ち、俺たちは41才になった。


 俺は大学を卒業して、タイムリープ前と同じく、そのまま大学院、そして、大学所属の文学研究所に所属し、博士号取得。非常勤、准教になった。


 ま、考古学界は2000年の旧石器ねつ造事件やら発掘調査報告書の倉庫問題からゴタゴタが落ち着いたころだったし、タイムリープ以前の知識もあったから当然といえば当然だろう。


 春香の方は、喫茶店南風堂の由美さんが、俺の考古学教室の先輩と結婚して退職し、その後を継いで南風堂の正社員として働いた。

 残念ながら、南風堂はマスターの年齢もあって10年後に店を閉め、春香はそれからはパートをしながら専業主婦をしている。


 俺が博士号取得の後、俺と春香は正式に婚姻届を役所に提出した。結婚式と披露宴はこじんまりとした形で行った。

 ……そうそう。

 小学校時代の同級生の宏と和美のカップルは高校時代に別れてしまったらしいが、啓介と優子のカップルは俺たちより先に結婚ゴールインした。

 今では一男一女の子育てに四苦八苦しているらしい。


 俺たちの結婚式の後、裏山のお寺も代替わりがあり、おじいさんお坊さんはどこぞへかと隠居なさったそうだ。

 今ではそのお孫さんに当たる若い方になっている。


「皆様。当機はまもなく着陸の準備に入ります。

 テーブルと座席をもとの位置にお戻しになり、シートベルトをお締めください。

 ただいまの現地の気温は摂氏15度。時間は3月21日18時23分でございます」


 ぼんやりと考え事をしながら窓の外を見ていると、もう着陸の準備に入るようだ。確かに前方に羽田空港の滑走路の明かりが近づいてきている。


 俺は手にしていた本を片付けてテーブルをしまう。到着時刻はほぼ予定時刻通りだ。

 飛行機独特のゴーという風切り音を聞きながら、今回の出張の疲れに重くなる体をシートに預け、ゆっくりと目を閉じる。


 強くなるエンジン音、そして強い衝撃とともに体にG《ジー》がかかり、飛行機は無事に着陸した。

 再び入るアナウンスの音を聞きながら、俺は再び窓の外を見た。

 明かりの灯ともる空港の着陸ロビー。

 春香はもう迎えに来ているだろう。


 スーツケースをコンベアから拾い出し、そのまま着陸ゲートをくぐる。

 すると正面に春香が俺を待っていてくれた。


 20年が経ち、少しふっくらとした春香は、ほぼその体型を維持していた。

 最近、髪の毛がぱさついてきたとかいっていたが、まだまだ30前後で充分通用するだろう。


「おかえり。あなた」

「ただいま」

「おなか空いてるでしょ? ここで食べていかない?」


 そういって微笑む春香を見ながら、

「いいね。……っていうかお前もおなかすいてるんだろ?」

「ふふふ。当たり! あなたが帰ってから一緒に食べようと思ってさ」


 エレベーターで3階に移動し、牛タンのお店へ入った。


 二人向かい合って座り、それぞれ定食を注文する。店員さんが厨房に行くと、春香が左手で頬杖をつきながら、

「これでしばらくはゆっくりできるわね」

と微笑んだ。


 そう。今年は正月からバタバタと出張が多かったから、春香にも寂しい思いをさせてしまったようだ。


 俺は手をそっと春香の方に伸ばし、右手を包み込むように握ってやった。

「ああ。もうしばらくは大きな出張はないから大丈夫だ。……俺も疲れたし、少し休みたいね」

「ふふふ。いなかった分、夏樹成分を補充させてもらわないとね?」

 俺はクスッと笑って、

「今夜は寝かさないぞ。……とでも言おうか?」

「なんだ、元気じゃん。でも疲れてるんでしょ? いつもみたいにぎゅっとしてくれたらいいよ」


 俺と春香には、残念ながら子供はできなかったけれど、それもあって、お互いにまだまだ若いカップルの時のような感覚だ。

 親は孫の顔が見たいと頻繁に言ってくるが、こればっかりは仕方がない。

 春香とは、近々、養子を迎えようかと話し合っている。

 一方で、そろそろ春香に内緒にしていることを告げる頃合いだとも考えていた。


――――。

 自宅に戻ると、一気に疲れが体を襲う。

 40才の壁をこえた途端に体力の衰えを感じるようになった。


 湯船にゆったりと体を沈めていると、脱衣所の方から、

「私も入るね」

と春香も入ってきた。


 さすがに若い頃のように肌に張りはないが、しっとりとした肌は今もなお綺麗だ。


 じぃっとシャワーを浴びている春香を見ていると、恥ずかしそうに、

「えっと。なにかあった?」

ときいてきたので、首を横に振って、

「いいや。春香ってやっぱり綺麗だなって思ってさ。最近はいろも出てきた気がする」

と言うと、「もうっ」という声とともにシャワーをかけられた。

 

「あなただって。……かっこいいわよ。こう、渋みが出てきた感じかな」

 ははは。

 そりゃあ、まだまだ若い奴に負けないように頑張ってるから、まだまだ体も引き締まっているからね。


 湯船から出て洗い場で体を洗うと、春香は湯船に入った。湯船のへりにあごを乗せながら、

「やっぱりあなたのそばにいると落ち着くなぁ。近くにいないと何か調子くるうのよね」

とつぶやいた。


 頭を洗いながら、

「わかる気がするよ。……御神酒徳利おみきどっくりって知ってるか?」

「おみきとっくり?」


 シャワーで泡を流し、スポンジを泡立てて体を洗いながら、春香を見下ろした。

「ああ。落語の話でね。いくつかパターンがあるんだが、御神酒徳利は神棚に置く一対の徳利だ。で、いたずらで一つを隠しちゃうんだよ」

「うん」

 俺は、シャワーを浴びながら、

「で、家族が縁起が悪い不吉だって言い出してね。で、いたずらで隠したって言い出しにくくなって……。占いで見つけたことにして」


 シャワーを止めて、俺も春香に向かい合うように湯船に入る。

 ざぱっと溢れたお湯が洗い場に流れていく。

「ま、落語だとその後もストーリーが展開していくんだけど……。結局、いつもある二本の徳利なわけで、それが片一方かたいっぽうがないと違和感があるし、やっぱりだめなんだよ」


 春香は後ろを向いて、俺によりかかってきた。俺は春香のお腹に手を回して、湯船の中で抱きしめる。


「俺たちも御神酒徳利と一緒さ。社会で生活してると難しいけど、いつも二人でいないと、……な?」


 春香は俺の腕の中でうんとうなづく。

「そだね。……御神酒徳利か。なるほどね」


 湯船から出た俺たちは、二人並んで体を拭いていると、

「年を重ねるたびに本当の夫婦になるみたいね」

と春香が微笑みながらつぶやいた。


――――。

 その日の夜。離れていた時間を埋めるように春香を抱いた後、二人とものどが渇いたのでリビングにやってきた。


 冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターを取り出してコップに注ぐ。

 二つのコップを持ってソファの春香の所へ行き、一つを渡してやる。

 俺も春香の隣に座り、二人でコップを乾杯するようにぶつけてからミネラルウォーターを飲んだ。


 時計を見ると、時刻はすでに午前1時。

 ま、二人とも明日の予定はないから、たまには夜更かしもいいだろう。


「ね。あなた。……裏山のお寺なんだけど」

と春香が教えてくれたのは、あのお寺さんの桜の木がひどいテングス病にかかってしまい、切り倒されることになったということだった。


 俺と春香にとって思い出の桜。それを聞いて仕方がないと思う一方で、寂しさを感じる。

 これも「時」なのかもしれない。



「なあ、春香。……聞いてもらいたい話がある」


 話を切り出した俺を見て、春香は怪訝けげんそうな顔をしたが、すぐに真剣な表情になった。


「俺はな。この人生は二度目の人生なんだよ」


「――え? どういうこと?」

「まあまあ。今まで秘密にしていたことを全部はなすから、とりあえず聞いててくれ」

「う、うん」


「前の人生で、やっぱり小さい頃に結婚しようって俺と春香は約束してたんだ。でも普通はそんな約束なんて、忘れてしまうだろ?」

 春香は俺の問いかけにうなづいた。


「中学生になり、思春期になった俺は、春香と一緒にいることも多くて、やっぱり春香が好きだった。……ただ意気地が無くて、それまでの関係を壊すのが怖くてさ。告白はできなかった」

「……」

「高校は隣町の高校に合格し、寮に入った俺は、そこで春香とバラバラの進路に進んだんだ。後から春香も俺のことを好きだったって知ったんだ」

「うん」

「最初の内は手紙のやり取りもしてたけど、距離があるから、段々と疎遠になってね」


 俺は春香から目をそらして天井を見上げた。……そうしないと、涙が出てきそうだったから。


「大学3年生の時、高校の同窓会があった。……そこで俺は春香が死んだことを知ったんだ」


 隣で春香が息をのんだ気配がしたが、俺はその顔を見ることはできなかった。自分で声が震えるのがわかる。


「どうやら高校時代にお義父さんがなくなり、そのショックから立ち直れなかったお義母さんが酒浸りになったそうだ。生活は春香のバイトと、お義父さんの遺産を取り崩していたんだ」


 俺の頬を涙が伝う。俺は春香を見て力なく微笑んだ。

「ごめんなぁ。……春香。あの時、俺がそばにいてやれなくて」


 俺は腕で涙を乱暴にぬぐうと、また天井を見上げる。

「それから春香は遠い親戚の家に預けられた。でも、お義父さんの遺産はそこの家族に奪われ、そこの旦那さんが春香を変な目で見るようになって、そこの奥さんに春香は家をたたき出されたそうだ」


 再び涙が流れるが、そのままにして俺は話し続ける。切なさで、胸が、くるしい。


「春香は一生懸命、生きるために働いたそうだ。自分の身を守りながらも、俺には言えないような仕事もしたらしい。でも、とうとう……。こらえきれなかったんだろう。裏山のお寺の桜の下で、春香は自ら命を絶った」


「あなた……」

「同窓会の後、春香の最後の手紙が俺の手元に届いた。……本当に、俺は何をやっていたんだろうな。その手紙で俺は、春香が俺を好きで、俺をずっと待ち続けていたことを知ったんだ」


 春香がそっと俺の手を包み込むように握る。俺は涙を流しながら隣の春香を見た。


「それから俺は、今とは違う大学だけど准教になり、たまたま見つけた古書をもとにチベットに調査に向かった。

 ……今にして思えば、導かれていたのかもしれない。そのチベットで俺は穴に落ちて不思議な場所へたどり着いたんだ」


 俺はにっこりと春香にほほえみかける。

「そこで俺は、春香を救える可能性を見つけた。不思議な霊水の力で、俺は……。そして、人生を巻き戻したんだ――」


 春香は驚いたまま、思考停止したように固まっていた。

 しかし、俺が年を重ねて少しかさついた春香の手を優しく撫でると、


「そう、だったの。……本当のことなのね? そっかぁ」


 俺は再び涙をぬぐい、ぎゅっと春香の手を握る。

「だがな。春香。つぐないとかはもう関係なかったんだよ。俺は。俺は、ただ愛するお前のそばにいたかったんだ」


 春香は俺を見てにっこり笑い、

「うん。……ありがとうね。秘密を話してくれて。つらかったよね。でもね。私は、うれしいな」

「うれしい? 許してくれるのか?」


「ふふふ。許すもなにもないよ。……だって、私を助けるためにやり直したんでしょ? ならそんな悲惨な未来はもう無くなったのよ」


 春香はそう言うと立ち上がって、俺の腕を引っ張る。

 俺もそれにつられて立ち上がると、春香の方から俺を抱きしめてきた。


 俺の胸に顔を埋めた春香が、

「前に言ったことを覚えている?」

「前?」

「うん。もし生まれ変わったら……、私を見つけてって。あなたは見つけてくれたってことだよね」

「……ああ。そうだ。俺は、もうお前を手放したくない」

「ふふふ。愛されてるなぁ。私」


 俺はそっと春香の額にキスを落とすと、腕の中の春香に語りかけた。

「これからの話だ。春香――」


 ――いよいよ。君たちの本当の物語が始まろうとしているんだね。待ってるよ。


 春香に語りかける俺の耳元で、天帝釈のつぶやきが聞こえた。

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