第40話 高校3年生 婚約の証
――「サクラサク」。
無事に志望していたN大に、俺と春香は合格した。
その日は、うちの親も向こうのおばさんもハイテンションになって喜んでいた。
それから一週間後のことだ。
俺は父さんと母さんに呼ばれ、リビングで対面に座った。
父さんは笑みを浮かべながら、母さんをせっつく、
「ほら。出して」
「ふふふ。あなたったら
そういって母さんは赤いリングケースをテーブルの上に載せた。
おそるおそるその
「え? これは……?」
突然のことに
母さんが、
「これはね。お義母さまの指輪よ」
「おばあちゃんの?」
意図がわからずに思わず眉をひそめると、母さんが、
「そう。あなたたち結婚式が先になっちゃったけど、今って婚約している状態でしょ? これを婚約指輪としたらどうかしら」
と言った。
「ああ! そうか!」
うん。間違いなく春香は喜ぶだろう。
俺はそう思いながら指輪を眺める。
……でもこの石、大きすぎないか? ちょっと値段を知るのが恐ろしい。
が、確かにいつまでも指輪も無しってのも悪いよな。
俺は二人に頭を下げた。
「ありがとう。俺もうれしいし、春香も喜ぶ。婚約指輪まで頭が回らなかったよ」
「ふふふ。そうでしょ?」
父さんが、
「今度、みんなで母さんのところに挨拶に行かないとな」
と微笑んだ。俺がうなづいて、
「春香も一緒にね」
と言うと、二人とも満足そうにしていた。
おばあちゃんは北海道の夕張に住んでいたが、俺が小学校低学年の時にもう亡くなっていた。
もともと本州から移り住んでいたので、地元におばあちゃんの友人はいても親族はいない。
そのため、長男である父さんが例のおじいちゃんお坊さんのお寺にお墓を建てたんだ。
あの
今度、春香とこの指輪を持ってサイズ直しに行くとしよう。
――――。
「え? えええ!」
翌日、春香の家で指輪を見せると、春香は驚きで飛び上がった。
笑いながら春香の手をつかんで椅子に座らせる。
「俺のおばあちゃんの指輪なんだけど、婚約指輪としてどうかな?」
「婚約指輪? 誰の?」
フリーズしている春香が不思議そうな顔をした。黙って春香を指さして、
「いやだからさ。春香のだよ」
というと、目を真ん丸くして指輪をのぞきこんだ。
「えー! だってこれすごく高そうだよ!」
俺は何食わぬ顔をして指輪を取り出すと、春香の左手を取って薬指に差し入れてみた。
「う~ん。やっぱりちょっと大きいかな?」
微妙にだけどね。
「明日でどう?」
と春香の顔を見上げると、春香が赤くなっていた。
「……本当にいいの?」
おそるおそるきいてきた春香に、俺は、
「もちろんだ。……今さら俺と結婚するのヤダって言っても聞かないぞ?」
とおどけていうと、春香はものすごい勢いで、
「そんなわけないよ! ……うわぁ。婚約指輪かぁ」
と、あわてて否定する。
自分の指にはまったちょっとだけ大きい婚約指輪を眺めて、しみじみとつぶやき、
「ふふふふ。すごいうれしい! なっくん。愛してる!」
と言って笑いだしたと思ったら、ざざざっとテーブルを回って抱き着いてきた。
俺はバランスを崩し、
「あわわわ」
といいながら、ソファの上で春香に押し倒されてしまった。
ちょうど俺の胸の上に春香の顔がある。仰向けになった俺の上に覆いかぶさっている春香が、俺の胸に顔をうずめ、
「んんん。あ~、幸せ!」
とつぶやいた。
俺は春香の肩をそっと押して、体を起こして春香の顔をのぞきこんだ。
「それでさ。明日、サイズ直しに行こう」
「……うん! わかった」
にこやかにそう言った春香は起き上がりざまに、えいっとキスをして離れていった。
立ったままで頬に右手を当てて、左手の指輪を眺める春香はとてつもなく可愛かった。
――――。
お店で春香の指を計測し、お直しをお願いする。納期は10日後ということで、東京に引っ越す前には充分間に合う。
その日の夕方、春香の家でサプライズがあった。
「――はい。これは夏樹に」
え?
春香が白い箱を俺に差し出した。
おそるおそる手に取る。妙にずっしりと重く感じるが、これは一体?
春香がうれしそうに、
「開けてみて」
と言うので、俺は白い紙の箱を開けた。
中には別のケースが入っていて、丁寧にそのケースを取り出した。
ゆっくりと
「これは……もしかして?」
「うん。お父さんの腕時計」
「ええっと?」
思わず
「私から夏樹への指輪のお返しだよ。お母さんと相談して決めたんだ」
「ほ、本当?」
これはグランドセイコーの9S5シリーズ。国産メーカーのセイコーが威信をかけて展開しているブランドだ。
流行にとらわれないデザインは若い人にはそれほど人気は無いかもしれないけれど、職人たちの技術が詰まっている逸品だ。
しかもおじさん……じゃなかった、お義父さんの時計ってところに重みを感じる。
俺はそっと腕時計をケースから取りだして眺めた。
メタルバンドのシルバーのボディに、視認性の良い時計面。美しく磨き上げられたガラス面だが、今はわずかに
腕にはめてみると嘘のようにぴったりだった。
客観的にはまだ若い俺の腕には少し浮いて見えるかもしれない。しかし俺の目には何の違和感もなく。自分の雰囲気にぴったりくるデザインと重みだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、春香がうれしそうに見ていた。
「良い時計だ。……春香。ありがとう」
てへへと笑う春香を見ながら、新しい東京での生活に思いを馳せた。
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