第38話 高校3年生 大学入試前日

 2月上旬のとある日。

 俺と春香が大学入試のために東京に行くことになり、今、母さんが見送りに来てくれている。


 改札に入る前に、母さんが俺の肩をばんっと叩いて、

「じゃあ、頑張ってくるのよ」

 俺は苦笑しながら、笑顔で、

「うん。わかってる」と返すと、隣の春香も、

「おばさん。行ってきます」

と頭を下げた。母さんは、

「春香ちゃん。夏樹がだらけないようにちゃんと見張っといてね」

と言うと、春香が笑いながら、

「はい! 任せといてください」とうなづいた。


 母さんはうなづくと、俺の方を向いて、

「あんたは春香ちゃんの面倒をちゃんと見るのよ。いいわね?」

「もちろんさ」

とうなづくと、満足そうに、

「さ、遅れないように早めに行きなさい」


 俺と春香は改札を通り、ホームに上るエスカレーターにのる前にもう一度母さんの方に振り返って手を振った。

 エスカレーターが上がって行き、改札の向こうの母さんの姿が見えなくなる。春香が振っていた手をそっと下ろした。

「さ、春香。行こう」「うん」


 顔を上げる。新幹線が来るまで、あと15分。


――――。

「次は終点、東京」

 車内アナウンスの声に、眺めていた受験用ノートから顔を上げた。窓側の春香も読んでいた参考書をバッグにしまい始めた。


 もう東京か……。


 車窓から懐かしい東京の町並みを眺める。タイムリープ前には見慣れた光景。春からはまた東京暮らしだ。


 荷物を整えマフラーを首に巻く。春香の方は……、もう降りる準備ができているようだ。にっこりと微笑んでいる。


 新幹線がホームに入っていく。

「頑張ろうね」

「ああ」

 駅のホームに降りると、ちらほらと同じ受験生らしき姿が見える。冬の風物詩といってもいいだろう光景だ。


 二人でスーツケースを引きながら、JR乗り換え口へと向かう。今回のホテルは新宿にあるから中央線に乗り換えだ。

 春香がきょろきょろと周りを見ながら歩いている。ふふふ。まるっきりおのぼりさんだけど、まあ仕方ないよね。

 人混みの中を気をつけながら改札へと向かった。


――――。

 無事にホテルにチェックイン。試験日は明日で、帰るのは明後日の予定だ。

 もちろん部屋はシングル二つで、春香が角部屋で俺がその隣だった。


 部屋に入る前に、春香が、

「ねぇ。勉強にそっちの部屋に行っていい?」

「いや。そんなに広くないから、自分の部屋でやれよ」

「う~。じゃあ、お夕飯はどうする?」

「夕飯……。ちょうどいい。近くにラーメン屋があったな。そこに行こっか?」

「ラーメン? うん。いいよ」

 むふふ。久しぶりの豚骨ラーメンだ。時間は5時くらいにして、ついでにコンビニで買い物をして帰ろう。


「あ、そうだ」

と部屋に入りかけた春香を呼び止めてマスクを手渡した。

「これは?」

「ほら。部屋の中は乾燥するから。あとでポータブルの加湿器も持って行くよ」

「加湿器? もう、本当に夏樹は準備が良いよね」

 まあ、それなりにホテル暮らしした経験があるからね。



――――。

 すっかり暗くなるのが早くなった。けれども東京の街中は、色んなお店のネオンで明るくなっている。

 なぜか隣を歩く春香が緊張している様子だ。

 俺はそっと左腕を出すと、それを見た春香がぎゅっと腕をからめてきた。

「ふふふ。ちょっとしたデートだね」

 そう微笑む春香がかわいい。俺も上機嫌で豚骨ラーメンの店に入っていった。


「いらっしゃい」

 まだ早い時間帯なのでお客さんは誰もいない。カウンターのなかに二人の初老のおじさんが調理の準備をしている。

 春香をつれて適当に少し奥の席にすわる。メニューは豚骨ラーメンとトッピングしかない。

「ラーメン二つに卵をトッピングで。後で替え玉一つ。堅さは普通で」

「はいよ!」


 おじさんたちが作っている間に、脇に積まれているコップを二つ持ってきて、水差しから水を注ぐ。

 目の前の鍋からは蒸気が立ち上り、開きっぱなしになっている店の入り口からは外の喧噪けんそうが聞こえてくる。

 豚骨ラーメンは麺が細いのでできるのも早い。あっという間にラーメンができて、俺と春香の前に差し出された。

「どうも」と言いつつカウンター越しにラーメンを受け取る。


 豚骨の白濁したスープに細麺、その上には海苔とチャーシューと卵、キクラゲが乗っかっている。

「「いただきます」」

 レンゲでスープを一口。うん。うまい。はしめんをひとつかみして、レンゲの上に折りたたむように乗っけてスープと共に、ずずずっと口の中に運んだ。

 スープのうまみと麺とが混じり合って旨い。


「おいしいね」

 春香の頬がゆるんでいる。なぜか地元のラーメン屋には豚骨は豚骨でも醤油豚骨とかで、純粋な豚骨ラーメンってあんまりないんだよね。

 わずかな豚骨特有のくさみがあるけれど、ほとんど気にならないくらいだ。春香も大丈夫そうでよかったよ。


 それほど多い分量でもないのですぐに食べ終えて、替え玉をスープに入れる。

「春香も替え玉いる?」

「うん。もらう」

ということで替え玉一つ追加。

 そうこうしていると若いサラリーマンのお客さんが入ってきて、入り口近くに座った。


 全部食べ終わって、スープをちびりちびり飲んでいると、

「いよいよ明日だね」

と春香がラーメンどんぶりを真剣な表情で見つめている。

「そうだな。だが安心しろよ。俺と春香なら絶対合格するから」

と励ます。


 実際問題。今までの全国一斉テストの結果から言っても問題ないと思う。とはいえそれでも心配な気持ちはわかるけれどね。

「心配なときはプラス思考で行こうぜ。な、春香。……ちゃんと合格して二人で暮らそう」

「う、うん。そうだよね。プラス思考、プラス思考」

とつぶやく春香さん。お顔が赤いですよ。


 帰り際、お勘定をするときにおじさんが、

「明日、がんばんな」

と短く励ましてくれた。

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