第20話 中学校1年生になっても泊まりっこ
中学生になって一ヶ月が経った。
授業が小学生の頃とは格段に難しくなり、みんな慣れるのに苦労しているようだ。
俺? 2回目の人生になるわけで、こんなところでつまづくことはないよ。
二人ともバスケ部に入った。放課後の練習はまだまだ基礎体力作りと、ボール回しの練習だ。
終わってストレッチをして体を伸ばし、用具を片付けて体育館を出ると、もう夕方の6時を少しまわっている。
ほかの男子バスケ部員はさっさと帰ってしまったが、俺は体育館の出口で、女子バスケの春香が出てくるのを待っていた。
外はまだ明るいけれど、自動的に出口の電灯が点る。
「おまたせ! なっく……夏樹!」
春香がやってきた。その向こうでは女子バスケ部員がニヤニヤして見ている。
ちなみに恋人になったので「なっくん」でなく「夏樹」と呼び捨てにしてくれと言ってある。
いまだに言い間違えることがあるが、甘えられるより対等でいて欲しい。
「さ、帰ろう」
「うん。……じゃ、みんなバイバイ!」
春香が女子たちに手を振って俺の後をついてくる。
校門を出て、二人並んで道を歩く。
「はあ。疲れたぁ」
春香が大げさにため息をついた。
「まあ、まだ基礎体力作りとボール回しだからなぁ。……体力がついてきたら平気になるんだけどね」
「それまでが遠いよ~」
部活も今はまだ走り込み、ボールを使った運動、パス練がメイン。体が慣れるまでは大変だ。
「あ、そうだ。今日はお世話になるね」
と春香が言った。実は今日は春香の両親が出かけてしまっていない。それを聞いたうちの両親が泊まりにおいでと言ったのだ。おじさんもおばさんも了解していて、今日は春香が泊まりに来る。
中学生になって初めての泊まりっこだが、相変わらず小学校の延長の感覚で緊張感がない。まあそれも良しだ。
家の前で春香と分かれて、家に戻ると、キッチンから良い香りがしてきた。
「ただいま」
「お帰り。荷物置いて手を洗っておいで」
母さんに返事をしながら2階の自室に荷物を置き、すぐに下に戻る。
手を洗ってダイニングキッチンに行き、夕食の準備をしている母さんに、
「春香を迎えに行ってくるよ」
といって家を出た。
はす向かいなので徒歩30秒もしないが、もう暗くなってきているから一人で来させるのは心配だ。
時間は午後6時40分。出るついでに玄関外の明かりをつける。
春香の家のピンポンをならした。
「春香。迎えに来たよ」
と声を掛けると、どどどどどっと奥から走ってくる音がして、がちゃりと鍵が開いた。
中に入ると、ジーンズに長袖Tシャツに着替えた春香がいた。
春香は、「ちょっと待ってて」といって再び自分の部屋へと戻っていった。
奥からバタンバタンと音がしたと思ったら、春香がボストンバッグを持って飛びだしてきた。
それを見ながら、
「あわてなくてもいいって」
と苦笑していうと、春香は鼻息あらく、
「ううん! 大丈夫! 大丈夫!」
といって、急いで靴を履いた。
「戸締まりは?」
「もう見たよ。大丈夫!」
「じゃ、行くか」といって、春香と一緒に家に帰った。
春香の荷物を2階の俺の部屋に運んで、1階に戻るとき、ちょうど父さんが帰ってきた。
「おかえり」「おかえりなさい」
俺と春香がそういうと、父さんはまぶしそうに目を細めた。
「ただいま。……いらっしゃい。春香ちゃん」
「お世話になります」
それから先に俺たちはダイニングキッチンに入り、席に座った。
今日は春香の好きなハンバーグだ。春香の顔がにこにこしている。
「やったぁ。ハンバーグだ!」
その様子を母さんが笑いながら見ていた。
父さんがやってきて全員が席に座る。
「では、いただきます!」
「「「いただきます」」」
さっそくハンバーグに手をつける。向かいの春香も箸でハンバーグを切り分け、ソースを絡めると一口食べた。
「んふふ~。うまいぞ~」
それを聞いた母さんが相好を崩している。
「うん。確かにハンバーグは旨い方の料理になるよ」
といった瞬間、机の下で足を蹴られた。
「旨い方ってなに! ……まったく夏樹は」
母さんはそういうと春香の方を向いて、
「春香ちゃん。こんなんだけど。夏樹をよろしくね」
と、笑っていった。
「はい。おばさん。私こそよろしくお願いします」
その時、父さんが、
「ははは。夏樹も春香ちゃんにふさわしい男になるようしっかりしないとな!」
と言った。「もちろんだよ。父さん」と言って、ハンバーグを口に入れる。
そんな俺を春香がうれしそうに見ていた。
食事が終わって、春香は片付けの手伝いをしていた。
その間、俺は自分の部屋に戻ってテーブルを出して勉強の準備をする。
とっとっとっと、階段をのぼってくる音がしてトントンとノックされた。
「なっくん。入るよ」
といって春香が、コーヒーの入ったカップを二つ持って入ってきた。
「夏樹でいいって。いやむしろ夏樹と呼んでくれ」
そういってカップを受け取ると、俺は部屋の中央に出したテーブルに座った。
春香は、「あ、そうだった。えへへへ」と笑いながら、向かい側に座る。
「じゃ、さっさと宿題やっちゃおう」
俺は、そう言って鞄から漢字ノートを取り出した。ちなみに今日の宿題は漢字・英単語の書き取り+プリントと自習だ。
んじゃまず書き取りしますか。俺と春香はノートを広げて漢字の書き取りをする。
カリカリカリカリ……。文字をノートに書き込む音が続く。
「終わり!」
最後の一画を書き終えて、ぱっとノートを閉じる。春香もあと一行で終わるみたいだ。ちらっと俺を見たが、春香はそのままラストの行の書き取りに入った。
カップのコーヒーを飲みながら、春香が終わるのを待つ。
「ふひぃ。終わった」
「まだあるぞ。次は英単語」
そういいつつ、英語ノートを取り出して書き取りをする。
タイムリープをする以前は、海外での発掘や調査も多く。外国の学者に多くの知り合いがいた。そのために数カ国語の知識があるし、特に英語はデファクト・スタンダードになっているので普通に会話ができるし、書く方もメールから論文まで対応できる。
そんな俺が、「Hello,Hello,Hello,Hello,Hello,Hello……」と延々と書くのは、無駄な作業で苦痛以外の何物でもない。でも宿題なんだよなぁ。
胸の内でそう嘆きながら、早くスペースを埋めるように大きめの文字で書き続ける。
「お~わった!」
今度は春香の方が早く終わったようだ。俺はあと一行残っている。
春香がふふふんと得意そうにノートをしまいながら、俺の手元をのぞき込んだ。
「えっ。すっごい綺麗な字! まるで本物の外人さんみたい!」
と春香が目を見張る。
……違うよ。本物の外人さんはもっと崩れてて読めない字を書くよ。
そう思いながら最後の一行を書き終えた。
これだけで30分もかかってしまった。すでにぬるくなっているコーヒーを飲みながら、ちょっと休憩する。
「それにしても中学校になって宿題増えたよね」
「そうだな。内容も難しくなったけど、春香は大丈夫?」
「え? 私? 大丈夫だよ。だって夏樹が教えてくれるもん」
「あ、そうだったか」
「えへへ。そうだよ。お陰で今のところ授業に完全について行けてるんだよ」
「ま、続きやるか」
照れを隠すようにそういって、俺はプリントを取りだした。
春香がわからないところを聞いてくるので、そこを解説し、そのまま予習まで済ませた。
「ふうぅ~。おわったおわった」
そういって大きく伸びをしたまま後ろに倒れ込む。
逆さまになった視界の中で机の上の時計が午後9時30分をまわっていた。
春香もふわぁぁとあくびをした。「ようやく終わったね。明日の準備しないと」といって宿題を片付けている。
俺は立ち上がって、
「俺は風呂の準備を見てくるよ」
といって一階に向かった。
ダイニングキッチンの前を通ると、風呂上がりの父さんと母さんがビールを飲みながら話をしていた。
「帰ってきた時さ。まるで……のように見えてドキッとしたよ」「ふふふ。そうなるかもよ」
両親の会話の断片を聞き流して、風呂場に向かい、お湯を沸かしなおす。ピピッとボタンを押すだけの簡単なお仕事です。
お湯の温度のパネルを確認して、脱衣所を片付け、新品のバスタオルを用意してから戻った。
部屋に戻り、着替えを持って二人とも一階に下りる。
ダイニングキッチンに行くと、父さんと母さんがテレビを見ながら話をしていた。
「お風呂いただきますね」
と春香が声をかけてお風呂場に向かった。
俺はそのまま父さんの隣に座り、テレビのバラエティを見ていると、父さんがビール缶をあおり、
「ふぅ~。春香ちゃんと上手くいっているみたいじゃないか」
と言ってきた。
「上手くもなにも、やっていることは基本的に今までと一緒だよ」
と言うと、ドライヤーで髪を乾かしていた母さんが、
「まあ、よくちゃんと告白したぞ。えらいえらい」
と言う。
「女の子はね。告白がないと駄目なんだよ」
「わ、わかってるよ」
「まあ、あんたの場合は春香ちゃんがいるから心配なし」
そういうと母さんは、ドライヤーのスイッチを切って机に置くと、冷蔵庫から2本のビールを持ってきた。
「乾杯」
母さんは1本を開けると、そういって父さんと缶をぶつけ合う。
そのまましばらくテレビを見ていると、ダイニングキッチンのドアが開いてパジャマ姿の春香が入ってきた。
「なっく……夏樹。お先」
春香はそういって母さんの隣に座る。俺は立ち上がって、「風呂に行ってくる」といって部屋を出た。
――脱衣所に入ってドアを閉め、着替えをカゴにおいて服を脱ぐ。
なんとなく春香の残り香があるような気がしてドキドキするが、脱いだ服を洗濯機につっこんで浴室に入った。
手桶で湯船のお湯をすくって体にかける。さっと汗を流して湯船につかると、お湯が縁までのぼってきた。
浴槽のへりに頭を乗せて湯気をながめていると、タイムリープする前の同窓会の夜を思い出した。
「今度こそ春香に寄り添うさ。絶対に離れないよ」
そうつぶやいて、湯船から出た。
体を洗ってシャワーで流す。洗い場の鏡を見ると、若いというよりもまだ幼さの残る自分の顔があった。体つきもまだ筋肉が細く少年のようだ。
自分で自分の腕を触り、
「筋トレでもするかなぁ」
と言う。
さまざまな調査に出るときは体力勝負の時も多く、健康には自信があった。あの時の記憶から見れば今の自分が頼りなく見えてしまう。とはいえ、筋肉がつきすぎると成長に支障が出るときもあるから慎重にしなければならない。
浴室から出て体をふき、持ってきたパジャマに着替える。
――ダイニングキッチンに行くと、父さんはすでに寝室に向かったようでいなかった。
母さんはドライヤーを持って春香の髪を乾かしている。
「あ、おかえり~」
春香が気持ちよさそうに言う。
「ははは。ただいま」
なんの挨拶かよくわからないまま答えて、冷蔵庫に向かい、冷茶をグラスに入れる。
2つのグラスを持って春香の所にもどり、一つを目の前に置く。
ぶおおぉぉぉ。
母さんが手に持つドライヤーを見ていると、春香が、
「そういえばさ。夏樹はどんな髪型が好き?」
と聞いてきた。髪型か? う~ん。女の子の髪型ってよくわかんないんだが……。
「そうだなぁ。その人に似合っていればいいんじゃないか?」
と返事すると、春香は「ふ~ん」と気のない答えをした。
母さんが、
「春香ちゃんは何だって似合いそうだから、自分の好きな髪型をすれば良いのよ」
と言う。
確かに、春香はまだまだ幼さの残る顔だが、髪は胸にとどくまで伸びている。今まで紫外線とか気にしていなかったみたいだが、色は白い方だ。ケアをすればすぐに色白美少女になるだろう。
そんなことを思いながら見ていると、春香の顔が赤くなっていた。
「うん? どうした?」
と尋ねると、
「う、うん。じいっと見られていたから、ちょっと恥ずかしくなっちゃった」
と言った。母さんがドライヤーのスイッチを切って、
「あらあら。ご馳走様。……夏樹ったら春香ちゃんに夢中だからねぇ」
と、からかいつつ言う。
「うっさいな」
と俺はいいつつ冷茶を口に含んだ。
テレビでは、世界の各地にレポーターが行って、そこの文化などをクイズにする番組がやっていた。
たまたま行ったことのある遺跡。ククルカンのチチェン・イッツァだ。階段状のピラミッドに日が当たり、正面石段のサイドに影を落とし、日の当たる部分がまるでヘビのように見える。
「ククルカンの降臨だ」
思わずつぶやくと、春香が「へ?」と間抜けな顔をしてこっちを見た。俺はテレビを指して「あれだよ、あれ」と言う。
レポーターの女性が答えを発表する。
「これはククルカンの降臨と呼ばれているんです。一年の内に春分の日と秋分の日にしか…………」
春香が「おお~」と言いながら拍手した。「さすがは夏樹だね」
母さんが首をかしげて、
「あんた、あんなのよく知ってたわねぇ」
と言った。
「まあ、いいわ。……じゃ、先に寝るから電気とかよろしく。あんたたちも早く寝なさいよ」と言って、母さんもダイニングキッチンから出て行った。
「おやすみ」「おやすみなさい」
その背中に俺と春香が寝る前の挨拶をする。
「ふひぃ。なんだか疲れた~」
と春香が脱力する。その様子に、ふふふと笑いながら、
「今さら緊張するか?」
と聞くと、春香はもじもじしながら、
「だってさ。恋人になったんだよ。相手の両親だもん。緊張するって」と言う。
「ははは。大丈夫だって。緊張することないよ」
「……むぅ。じゃあ、今度は夏樹がうちに泊まりにおいでよ」
「う。そ、そうだな。そう言われると緊張するな」
「でしょ? 緊張するの!」
その時、壁掛けの時計からメロディがなり出す。もう11時だ。
「やべ。もう11時だ。そろそろ部屋に戻ろう」
と言って俺はテレビの電源を消した。「そだね。戻ろ」といって、春香はグラスを洗い場に運ぶ。
二人で洗面所にいって並んで歯磨きをする。鏡に映る自分たちを見て、わけもなく笑いがこみ上げる。
急に春香が俺の左脇を突っついてきた。
「ぶはっ」
口から泡が跳び出す。春香は歯磨きしながら「うわぁ。きちゃない」といっている。
俺は口をすすいで飛び散った泡をふき取り、隙を突いてお返しとばかりに春香の右脇腹をつっつく。
「あうっ」
変な声を上げて春香が体をくねらせる。「はははは。お返しだ!」と言う。
春香も口をすすぐ。鏡越しに目が合うと、「「ははははは」」と二人同時に笑った。
順番にトイレを済ませ、キッチンの電気を確認してから2階の自室に戻った。
ちなみに今までのお泊まりで、春香が泊まりに来たときは俺の部屋、俺が泊まりに行ったときは春香の部屋で一緒に寝た。
さすがに中学生になったからそれもどうかと思うが、いかんせん他に部屋はないし、何より春香が一緒の部屋と言い張る。
いずれ俺がダイニングキッチンのソファで寝ることになるのではないだろうか。
俺は自分のベッド。春香はいつものようにベッド脇に布団を敷いてそこに入る。
「じゃ、消すよ」「うん……」
一声かけてから部屋の電気を消した。
部屋が暗くなってからしばらくすると目が慣れてきて、なんとなく部屋の中が見える。
ベッド脇の布団から春香が、
「えへへ。今日が初めてだよ」
と言った。
「うん? 初めて?」
「そう。恋人になってからの泊まりっこ」
「ああ。そういえばそうだな」
ごそっと春香が布団の中で体の向きを変えて、ベッドの方を向く。
「ずっとこのままだといいなぁ」
と小さい声が聞こえてきた。俺はひょいっと頭を乗り出して春香を見下ろす。
春香は幸せそうに微笑んで、俺を見上げていた。
「俺もずっと一緒にいたいよ」
というと、にこっと笑う。「えへへ。うれしい」
「でもなぁ。このままこうやって泊まりっこしてると、我慢できなくて襲っちゃうかもよ」
「ふへっ! きゅ、急に何を……」
「だってさ。春香可愛いしさ、女っぽくなるでしょ」
「やだなぁ。そういうのはまだ早いよぅ。ううぅ」
恥ずかしくなった春香が布団の中に顔を隠してしまった。
「ふふふ。もちろん。まだまだ我慢できるってか、まだ幼すぎてそういう気にならん」
と言ったら、春香ががばっと布団から顔を出した。もし灯りがついていたら真っ赤になっているだろう。
思いっきり舌をべーっと出して、
「ふんだ! まだ子供ですよーだ! ……これでもちょっとずつ大きくなってきてるんだからね」
「お? それは良いことを聞いたぞ」
「あっ。今のなし。今の無しでお願いします」
「ふふふ。でもさ。春香。俺は期待してるからね。将来の楽しみにとっておこう!」
「い、いやぁ。失敗したぁ」
くすくす笑いながら、互いに目が合う。
「で、夏樹はいつ初チューをしてくれるのかなぁ?」
と春香がいたずらっぽく笑って言った。
「ふっふっふっ。俺には計画がある。だから楽しみに待ってれ」
そういうと、春香が布団の中で身もだえている。
「きゃ~。そ、それはいつなのか……、ドキドキがとまらない~」
「まあ、落ち着けって。そろそろ寝た方がいいぜ。明日、春香は自宅によって制服に着替えなきゃいけないんだしさ」
「そ、そうだね。うん。じゃ、おやすみ」
身もだえていた春香が、急にそういうと向こうを向いた。
俺はいたずらを思いついて、小さい声で、
「……で、今のサイズは?」
というと、春香がビクッとなって「いいじゃん。早く寝なよ」と声が反ってきた。
俺はクスッと笑って、「おやすみ」といって寝る体制になる。
部屋の向こうから「……Bだよ」と、ささやくような声が聞こえてきた。
なんて答えていいか迷ったが「大好きだよ」と声をかけると、すぐに「私も」と返ってきた。
それから二人とも無言になり、いつしか眠りに落ちていった。
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