第7話 タイムリープして

 光の回廊を歩いていくと、次第に上下左右の感覚があやふやになってきたが、それでも俺は足を前に動かし続ける。

 ――回廊の奥からまぶしい光がこちらに向かってきて、その光に包まれて俺は意識を失った。



「お~い! 起きなさい!」


 急に母さんの声が聞こえた。

 まぶたを開けると、そこは俺の部屋のベッドの中だった。母さんが、どんどんとドアを叩いている。「早く起きなさい!」

 俺は上半身を起こして、あわてて返事をする。「おはよう。母さん。もう起きた!」


「さっさと着替えてご飯食べなよ。遅刻するよ」

 母さんは、ドアの向こうでそう言い捨てると階段を降りていった。


……なんだ? 何が起きてる?


 俺は自分の体を見つめると、目に入ってきたのは子供の手だった。俺は自分の顔を触る。ひげが生える前のすべすべした肌。のど仏が出ていない高い声。ベッドの隣の机の上には黒いランドセルが置いてあった。


「ま、まさか。小学生まで戻ったのか?」

 ベッドから降りて鏡をのぞき込むと、そこには少年の姿。


「何てこった……」

 デスクに張ってある『お便り』を確認すると、そこに見えたのは「4年生」の文字。


 ……天帝釈様。戻りすぎです。小学校4年生からやり直すことになるとは。


「と、すぐに着替えて下に行かないと」

 こんなことをしている場合じゃなかった。俺はタンスの引き出しを開けて着替えを取り出そうとする。


「うっ」

 そこにはヒーローのTシャツとか半ズボンがならんでいた。靴下までキャラクターが描かれている。


「まじか……。今さらこれを着ろと」


 愕然がくぜんとしてしまったが、急がないと母さんにどやされる。俺は引き出しからあんまり目立たなさそうなTシャツと長ズボンを取りだして着替えた。


 急いでランドセルを持って部屋を出てキッチンに向かう。

「おそーい! 何やってたの! ……ほら。急いで。迎えにきちゃうよ」

 キッチンに入った俺を出迎えたのは、壁の時計を見ながらイライラしている母さんだった。

「ごめん。おはよう」「いいから。急いで!」「は~い。……いただきます」


 俺はランドセルをソファに置くと、席についてトーストにバターを塗りかじりついた。

 母さんがグラスに牛乳を注いで、俺の目の前に置いた。「ほらほら。来ちゃうよ。春香ちゃんが」


 その言葉が終わらないうちに、ピンポーンとドアホンが鳴った。

「はいは~い」

 母さんが急いで玄関に向かった。玄関の方から元気な女の子の声が聞こえる。「おはようございます。なっくんは?」

「ごめんね~。まだ朝ご飯食べてるの。上がって待ってる?」「う~ん……。そうする」


 がたがたと音がして、ちっこい女の子がやってきた。「なっくん。おはよう!」

「ああ。おはよう。は、春香ちゃん」

 その姿を見て、ドキンと胸が高鳴る。――春香だ。不思議な感動がわき出てくる。

 しかし、その感動に浸るひまもなく、俺は急いでパンを咀嚼そしゃくしながら挨拶をした。口の中のパンを牛乳で流し込む。食べ終わって、手についたパンくずを落とす。女の子はあれっと首をかしげた。「――ちゃん?」

 あ、そうだった。この頃、呼び捨てで呼んでたっけ。知らんぷり、知らんぷり。


 女の子は俺のそばに立っていて、俺が食べている様子をニコニコしながら見ている。

「ごちそうさま~。……春香。おまたせ」「うん。大丈夫」

 俺は女の子に玄関に先に行っているようにお願いして、急いで洗面台に行って歯磨きをする。


 ……早くこの状況になれないと。


 そんなことを考えながら、口をすすいで洗面所を飛びだした。



「いってきま~す!」

 春香と一緒に道路に出て驚いた。町が大きく広く見える。

 俺は春香と一緒に小学校に向かった。


 高校生の女子生徒が自転車で通り過ぎていく。十字路にさしかかると、ランドセルを背負った男の子がちょうどやってきた。

「おはよう! ……今日もお二人さんはあついねぇ」

 男の子の言葉に春香が赤くなった。……えっと、こいつは誰だっけ?

「う、うるさいよぅ。啓介君ったら。近所なんだからしょうがないでしょ」

 あ、そうか。啓介だ。……うっわぁ~。あいつ小さい頃、こんなんだっけ?

 なんだか不思議な気分だ。脳裏に小さい頃のみんなの姿が浮かび上がる。


 どうやら呆然としているように見えたようだ。気がつくと、啓介も春香ちゃんも俺を見ていた。

「おい。夏樹、大丈夫か?」「なっくん。どうしたの?」


 俺は苦笑いをした。「あ、ごめんごめん。ちょっと考えごとをしていて」


「そ、そうか。……行こうぜ」

 あははと笑いながら、三人になった俺たちは小学校へと向かった。


 少し緊張しながら教室に入った。春香は少し離れた席だ。

時間になって若い頃の先生が入ってきて、朝礼、そして、最初の授業がはじまる。

――ええ。特に授業は書くことはありませんよ? むしろ退屈でストレスになりそう。


 放課後になるとすぐに春香がやってきた。

「なっくん。かえろ」


 それを周りの男子と女子がニヤニヤして見ている。……そうだった。この頃、春香はずっと俺にべったりだったような記憶がある。

「いいなぁ。夏樹はモテモテじゃん」

 左の席の男子―名前は省略―がからかう。おいおい、いくら春香とはいえ、こんな年頃の子に好かれてもね。

「ははは。じゃ、また明日な」

 日本人らしく、微妙な笑いで返すが相手は気にはしていないようだ。


 それから春香と一緒に下校した。

 春香の家は俺の家からはす向かいにある。


「ねぇ。なっくん」

 もうすぐ家だというところで春香が話しかけてきた。「うん? どうした?」


春香を見ると何だか言いずらそうにしている。

「あのね。今日さ。遊びにこない? ……一緒にゲームやろうよ」


 俺はちょっと考えた。この頃、まだ俺は習い事をしていなかったはず。大丈夫かな。

「いいけど。母さんに聞いてからでいい?」


「うん。もし駄目だったら、そっち遊びに行ってもいい?」

「へ? どうしたの?」

 思わず聞き返した。いや普通、駄目だったらどっち行っても駄目でしょ。


「今日さ、お母さんもパートで遅くって誰もいないの」

「ああ、そう……」


 そういえば春香の家は共働きだっけ。うちは父さんが中堅の会社の役職を持っているので、母さんも専業主婦でいいんだけれど、生きがいがないっていって短い時間だけパートに出ていた。


 昔はそんな理由で、よくお互いの家に遊びに行ったり泊まりっこもしてたなぁ。なんだか遠い日の記憶を見ているようだ。

「うん。いいよ。春香」

 そういうと春香はうれしそうに笑った。


 幸いにその日は母さんが自宅にいる日だった。聞くと、「じゃあうちに呼んだら、あちらさん帰り遅いでしょ。春香ちゃんの夕飯も用意しておくから」と軽い調子で答えた。


 それから春香と一緒に春香の家に行き、必要な道具―宿題など―を持って俺んちに戻ってきた。


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