第5話 15 years later
――――あれから15年が過ぎた。
俺は考古学の分野で博士号を取得し、今はチベット・ラサのポタラ宮殿から奥地の洞窟に向かっている。
あれから春香のことを忘れることができず、独身を貫き通している。正直、春香のほかの誰かと一緒になるつもりはない。
今回の探索行は、表向きはチベット仏教遺跡の調査として大学の援助を受けてきている。
実は今から一年前に神田の古本屋で一冊の古い写真集を見つけたんだ。
そこの古本屋はろくに整理もしていないようで、無造作に古本類が積み重なっており、欲しい本を店主に見せてその場で値段をつけてくれるような店だった。
とはいっても宝探しをしているみたいで、ひそかに気に入っている。
いつものようにその店でごそごそと探していると、棚の上の方から一冊の古い写真集が出てきた。
『
残念ながら奥付はもともと無かったようで、いつ頃の本なのかはわからない。その場で立ったまんまでページをめくると、ポタラ宮の古写真や雪山の写真などが収録されていた。
お店のお爺さんに聞くと、「こんなの仕入れたっけ?」と首をかしげながら、「う~ん。1万円でいいよ」というので喜んで購入した。正直、こんなんでお店やっていけるのかと心配になる。
自分の研究室に戻って他のチベット遺跡の写真を見比べてみると、一枚だけ見たことのない壁画が写っているのがわかった。そこにはチベット文字よりも古い文字が記されていた。デーヴァナーガリー文字の亜流のようにも見える。お陰で不完全ながら何となく意味を解することができた。
その壁画にはどうやら
まあ客観的に見て、どこの地方にもあるような桃源郷伝説の一つと言えるだろう。だが不思議とその本を手にした俺はそれが運命の神から示された天啓のように感じた。
この本は俺に見つかることが決まっていた。不思議とそう信じてしまえる。
それに、その
それから俺はそんな目的を悟られないようにチベット行きを計画し、大学側に認めさせたのだ。
現地の案内の人とともにポタラ宮殿よりも西側の山に向かって車で移動する。途中で何回か検問があるが、許可証通りの行程なので問題は無い。
目指すは西側の山にある寺院だ。ガイドが言うには山の入り口で車を駐車し、そこからは歩いて登っていくそうだ。現地の人もまず行かない寺院だというので行くのにも非常に苦労する。幸いに空気の薄さには慣れたが、気温がどんどん下がっていくので寒い。
登りだして3時間。目指す寺院まであと1時間くらいだろう。何度目になるかわからないが、休憩をすることにして道端の石に座り込んだ。ガイドは水筒を取り出してお茶を飲んでいる。
標高が高く、このあたりは雪がまだ残っている。
「それにしても、こんなところまで来るなんて大変ですね」
ガイドの青年が俺にそう言った。
「まあ、普通はここまで来ませんからねえ。ただこの寺院の裏手の
「あ―、そうですか。私もここまで来たことがないので楽しみです。できれば少し時間をいただいて本堂でお祈りがしたいです」
熱心な仏教徒でもあるガイドは、せっかくだからお祈りをしたいという。もちろん、その方が俺としては好都合だ。
「ええ。壁画を見ているのに時間がかかりますから、その間にお祈りしてください」
「あはは。それはありがたいです」
そんな会話を交わして、そろそろ出発しようかと腰を上げた。
寺院までは予想通りに1時間ほどかかった。ガイドを通して僧侶にお願いし、奥の石窟を調査させて貰うことにした。ガイドはそのまま僧侶と共にお堂に入っていき、俺は一人で石窟に向かってさらに20分ほど山を登る。
岩壁に一つだけ洞窟のように入り口が見える。きっとあそこだろう。
中は明かり取りの窓があるとはいえ薄暗くなっており、持参した懐中電灯をつけて中に入った。ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
目指す壁画は前室の右側にかつてあったようだ。そこだけがぽっかりと
リュックを下ろして例の写真集を取り出す。写真のページを開いて剥落箇所に重なるように本を掲げた。
写真では、観音菩薩と思われる女性的な人物が左の方角を指さしており、その指の先は紙の端っこで途切れていた。
人物の指先をたどり写真から壁画へと確認すると、そこには一つの泉が描かれていた。さらに向こうに2本の柱が立っており一人の僧侶の姿が描かれている。2本の柱のところに文字が描かれている。早速、持参したカメラでその壁画を撮影する。この文字は確か……、ポ、ポタラ、カ?
ちょうどよく観音菩薩の指先は奥へ続く回廊に続いてもいる。なんとなく観音菩薩がいくべき道を示しているような気がして、俺は何かに導かれるようにその廊下に入っていった。
高さ5メートル位の回廊には多くの天人が描かれていた。うん。これはあまり知られてはいなかったが、極めて状態のよい壁画であり歴史的にも美術的にも価値が高い。
途端に学者としての血が騒ぐ。こんな新発見をできるとは。なんとなくザワザワと心が沸き立っている。
回廊の終わりは一つの石室になっていた。石室の正面には花咲く木々と仏が描かれており、その前にひざまずく菩薩の姿が描かれている。天井には所狭しと花びらをまく天女が描かれており、西域の仏教美術と共通する技法が感じられる。
ふと見ると仏の足下に何か文字があるようだ。かすれてよく読めない。近づいてしゃがみ、いろんな角度から懐中電灯を当てて何とか読もうとした。
「う~ん。これはちょっと無理かなぁ」
赤外線やX線撮影なら見えるかもしれないが、さすがにそんな機材は持ってきていない。
ため息をついて、とりあえず持ってきている機材で撮影をしようと思ってカメラを構えた。
ファインダーをのぞいてピントを合わせる。
ガコン。
次の瞬間。足下の石が崩れ、落とし穴に俺は落ちていった。「うわあぁぁぁ」
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