贄の巫女 禍津の蛇 

凪崎凪

壱の章 禍ツ事ノ始マリ

壱の刻

チャイムが鳴り響く。 いびつにひび割れた様なその音は、学校を、教室を、そして少女が立ちすくむ廊下をその音で壊そうとしているかのよう……



日曜の学校は人気もなく、もちろん体育館やグラウンドからは部活動をしているであろう元気な声が校舎まで聞こえてはいるが。


七霧ななきり 秋華あきかはここ、私立弥津守やつかみ高等学校に転校のための書類を持ってくるついでにと、明日編入する事になる教室を見に行こうと三階まで足を運んだ。

廊下は眩しい光がさしこんでいた。


秋華あきかも今だ春とはいえ肌寒い気候の中の暖かな太陽の日差しを浴びて気持ち良さに目を細めた。


152cmの少々小柄な背丈に肉付きの悪い身体は秋華あきかにはコンプレックスとなっている。

その顔立ちは整っているほうであろうが、大き目の眼鏡で表情が隠れてしまうせいか野暮ったい印象を与える。

腰まで届くつややかな黒髪は、三つ編みにして一本背中に流していて更に印象を地味なものにしていた。

その身を包む真新しい制服は、今日学校に行くからと初めて袖を通した物だった。


その春の日差しの差し込む廊下に、ふとナニカが落ちている事に気付く。

あれはなんだろう?


最初はボールかと思った。

だがぼんやりとそれを見ていた秋華あきかは、それがこちらに転がってくるのを見て不審に感じた。


コロコロ


その転がってくるボールは、秋華あきかのいる距離からはよく見えなかった。


……薄暗い? おかしい。 今はまだ10時過ぎで、それにさっきまであんなに太陽が廊下を照り付けていたのに?


コロコロ、コロコロ


思わず窓を向いて外を確認していた視線を、再び廊下に転がってくるボールに戻した時、秋華あきかは迷わず背を向けて駆け出した。


そのボールは、いやボールなどではなかった。

何時の間にやら秋華あきかの側まで来ていたソレは…… 人の頭だった。

それが逃げ出した秋華あきかを追って転がってくる。


コロコロ、コロコロ、コロコロと。


なに? なんなの?

秋華あきかは訳の分からない状況に混乱した、いや心当たりはあった。

育ての親から聞いていた事が現実となったのだ。


駆け出した先の廊下もまた薄暗く、ねっとりとした空気が支配していた。

まるで水の中を進んでいるかの様な感覚に秋華あきかは焦った。

思わず涙があふれてくる。


いやに長く感じる廊下の先に下へと降りる階段が目に入る。


ともかく下へ!

だが、階段へ向かう秋華あきかの足は止まってしまった。




その階段のある方から、さっきの頭が転がって来たではないか!

秋華あきかが振り向くとそこにはなにもおらず、どうやら先回りされたらしい。

どうやって? だがその疑問に答えてくれる者はいなかった。

そして頭は秋華あきかから2、3mほどの位置でピタ、と止まるとゴボゴボという音と共に廊下から湧き上がる様にしてその身体が出て来た。


「ひいっ!?」

思わず悲鳴が漏れてしまったのは仕方ないだろう。

ソレは、人の姿をしていた。 辛うじて、と注釈がつくが。


いびつに歪んだ手足、ポッコリと突き出たお腹だけがコミカルな印象を与えるがそのお腹からも腕が伸びているのを見ればその様な事は言ってられないであろう。

どこか揺らめく影のようなソレは薄暗い廊下にあって輪郭がはっきりとしなかった。


その化け物はバクリと口、口であろう。 少なくとも捕食器官であることは疑いようのない物を開き秋華あきかににじり寄る。


余りの事に足がすくみ動けない秋華あきかの元に、しかし救世主は来た。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」

裂帛の気合いの声と共にナニカが秋華あきかの身体をすり抜けた感覚。

その声がした方を振り向くと、そこには一人の女生徒がいた。


栗色の髪をショートにして、左の前髪をピンで留めて活発な印象を与える、秋華あきかよりは背の高い少女。

その少女が、右手の人差し指と中指を合わせ空中に縦、横、また縦と格子状になるように振るっている。


あれは…… 突然の事態の変化に呆然とする秋華あきかだが、少女の叱責の声に我を取り戻す。


「逃げなさい!」


どこに? 前にはあの化け物がいる。 後ろに戻るか?

だが少女がその逃げ道を作ってくれた。


秋華あきかの横をすり抜けた少女は、化け物に近づき、先ほどの呪文を唱えると化け物が教室側の壁に叩きつけられた。


ギュギイィィィ

気色の悪い悲鳴を上げ床にのたうつ化け物。


「早くっ!」


その少女の声に秋華あきかは階段に向かって駆け出した。

階段に消えていくその姿を認めると、少女は、燕子花かきつばた 志乃しのは改めて化け物に対峙する。


「今だ封印が解かれてないのにも関わらず、気配に釣られてこんな雑魚まで引き寄せられるなんてね」


ようやく起き上がった化け物に素早く印を組むと、志乃しのは呪を叩きつけた。


「さっさと滅びなさい!」













足を何度か踏み外しそうになりながらも、ようやく一階までたどり着いた。


早く早く外に逃げなければ。

だが、一階は三階よりもなお濃密な闇に閉ざされていた。

その濃密な闇の気配に恐怖に震え、ともすれば止まってしまいそうな足を叱咤しながらも出口を求めて走る。


そこで、目が合った。 合ってしまった。



秋華あきかの心臓がこれまで以上に早鐘を打つ。 その慎ましい胸を飛び出してしまうかと思えるくらいに。

余りにも純粋な、余りにも圧倒的な怨念、だがとこか懐かしさをも覚えるソレは、少女の姿をしていた。


長い、長い髪で顔は見えない。

あれはセーラー服だろうか? 学校の指定のブレザーとは違う黒い、いや赤黒い色のその制服はどこか古めかしい。


ソレと目が合った。

思わずよろめいた事で視線が外れ、何時の間にか止まっていた呼吸を再開させる。

そして再び目を向けた時には少女は消えていた。


慌てて周りを見渡すが、さっきのように回り込んでいるということはなかった。


ホッと息を吐くと頭を振りさっきの事を頭から追い出すと出口に向かう。

やがて、朝入って来た正面玄関が見え。


そこで秋華あきかは自分の不運を呪った。

その視線の先には、また化け物の姿があった。


三階で出会った物とは違う、さっき見た物とも。

三階にいたのはまるで影のようであったが、これは輪郭がはっきりとしていた。

さらにこちらは、はっきりと人の顔と分かる

顔にニタニタとした笑みを浮かべこちらに近づいてくる。


秋華あきかの精神は恐怖で崩壊寸前だった。

あと少しの切っ掛けで気絶してしまうだろう。 


そしてそれは死を意味する。











志乃しのは雑魚を始末し終えてスカートのポケットからスマホ、この呪的妨害の中でも通話が可能な特注品、を取り出しどこかに掛ける。

ワンコールで出た相手に成果を報告しようとしてどこか切迫した少年の声が志乃しのの耳を打つ。


「……なんですって? もう一体っ!? 一階ね? すぐ行く……って一般人? 眼鏡ってさっきの子っ!」


どうする? 事は急を要する。

このまま階段を下りて行ったのでは間に合わないだろう。


志乃しのはチラリと窓を見る。


静流しずる、今から飛ぶわ! サポートよろしくっ!」

そう言って慌てる相手に構わず通話を切ると窓を開け放ち窓枠に足を掛けそのまま飛び出した。


当然、鳥ならぬ人の身では重力に逆らう事が出来ずそのまま落下する。

あわや地面に激突するかと思われた時、フワリと身体が浮きそのまま校舎へ引き込まれる。


その引き込まれた先にいたのは、少年だった。

志乃しのと似たような顔だちから双子だと思われる。

少年の方は志乃しのより知的な印象を受けるのは落ち着いた雰囲気ゆえか?


「サンキュー静流しずる!」

「あまり無茶するなよ」

静流しずると呼ばれた少年は印を解き、手助けしてくれた風の精を解放すると呆れたようにそう言い、すぐに表情を改める。


「こっちだ」

そう言うと、双子の姉である志乃しのを伴って駆け出す。



そこには……




怨念が凝り固まった様なモノ、この学園の結界から漏れ出すアレに引かれ集まったモノだろう。とそれの前に倒れ伏す先ほどの少女。

正面玄関の手前で志乃しのはそそれを見つけた。


「早く助けないとっ!」

そう言って駆け出す志乃しのを、だが静流しずるは引き留める。


「待てっ! 様子がおかしい」

そう言われ焦りからイラつきながらも様子を窺う。


……確かにおかしい。 なぜあの怨霊は動かない?

身動きの取れない獲物を前にして。


そしてあの少女だ。 倒れ伏す彼女から感じる力は。


「霊力?」

そう少女の身体からは強い霊力が感じられた。

それは先ほどからは感じられなかったものだ。


このような状況で霊力が目覚める事例は確かにある。 しかし、仮にあの少女がそうだとしてもこのままでは。


そう思った志乃しの静流しずるは目を疑った。


倒れていた少女に対してどこか戸惑っているかのような感じであった怨霊だったが、少女からその身を離したのだ。


なぜ? との疑問は後に取っておく。 まずはこの好機を逃す手はない。


志乃しのはポケットから、短い棒の様な物を取り出した。

剣の柄だけのように見えるソレは、霊体などにダメージを与えることが可能な武器だった。


志乃しのが霊力を込めるその棒の先から淡い光の刃が生み出された。


霊刀 タイプTK-02 現在の最新モデルのそれを手にした志乃しのは倒れたままの秋華あきかの前に躍り出る。


「消えなさい!」


裂帛の掛け声と共に怨霊に振り下ろされる光の刃。

この濃密な闇の中にあっても、志乃しのの霊力の輝きは揺らぐ事なく悪霊を切り裂いた。

縦に切り裂かれた悪霊はしかし、直ぐには消えずおまえも道ずれだとばかりにその腕を志乃しのに伸ばす。


勢いよく振りぬいた事で体勢を崩していた志乃しのはだが全く焦りはしていなかった。


「風よ巻き起これ。 ヴァーユ!」

静流しずるの呪と共に志乃しのの周りに風が巻き起こり悪霊を弾き飛ばし細切れにして消えていった。


「ナイスアシスト静流しずる!」

「まったく油断すんなよ」

そう言いながら倒れている秋華あきかを抱き起す。


「君、大丈夫?」


「あ、あの……」

なにが起きたのか理解できないのだろう。

混乱している秋華あきかを安心させるように、静流しずる!は優しく微笑んだ。


それを見てようやく安心し、緊張の糸が切れたのか彼女は今度こそ気を失って静流しずるの胸の中に倒れこんだ。


「ちょっ! ちょっと!? しっかり!?」

先ほどまでの余裕はどこにいったのか静流しずるは腕の中の少女に慌てて声を掛ける。

意識が戻らないと知った静流しずるは助けを求めるように志乃しのの方を見る。


「あいかわらず女の子に弱いのね」

我が弟ながら情けないと嘆息しながら、ポケットのスマホを取り出すのだった。



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