翼の少女
星村直樹
第1話 神聖林
プロローグ
二千八百年初頭、突如、地磁気が消失した。長い地球の歴史が示す通り、地磁気反転の時期に差し掛かったからだ。ところが、地磁気は、すぐには反転せず、もう、二百年近くも無磁気状態が続いている。北と南を指す方位磁石は役に立たなくなり、渡り鳥たちは、南北を目指すのを止めた。太陽の放射線から地球を守っていた磁気が無くなり、今では空を仰ぐと、どこでもオーロラが見えるようになった。
地磁気が消失した最初の百年は、世界を恐怖に陥れた。最も悲惨だったことは、希望が奪われたことだ。太陽から降り注ぐ放射線は、胎児を蝕んだ。太陽風が吹くと、昼間でもオーロラが見えるようになり、大人たちでさえ影響を受けた。地球に高放射線が降り注ぐ証であるオーロラは、死を連想させた。それは、地球の動植物全体に影響した。
生きものたちは、遺伝子レベルで生き残りをかけた戦いを始めた。
弱いものは、滅び、強いものが生き残った。そんな中で、動植物の中には、かつて無磁気状態を生き残った先祖のDNAが復活して先祖返りをおこす者が現れた。そのような森には、巨大植物が生い茂り太古生物が闊歩する。もう、ここは、人の入れない神聖な森となった。人々は、この森を神聖森(しんせいしん)と呼んで恐れた。
この時、地球人類は、三つの種族に分かれていた。二千二百年から本格化した宇宙移民達のことではない。地球を拠点にしている人たちのことだ。地上人(ちじょうびと)シェルター人、地球衛星軌道上に建設されたコロニーに住むコロニー人がそうだ。この中で、悲惨なことになったのは、地上の人達だった。
地上人は自然を受け入れた人々のことだ。太陽風が吹くときは、地下室に避難する。でも、いつもは、普段通りの生活をした。しかし、放射線を浴びるのは、人だけではない。食べ物も水も影響された。地上人の出生率は極端に減り、人口は激減、子供はどんどんいなくなった。そこで、地上人は、シェルターに逃れた人々に助けを求めた。ところが、既に高放射線を浴びている地上人に物資援助はするものの、もう交わる事が出来ないと判断したシェルター人は、固く門を閉ざしてしまった。
神聖林(しんせいりん)
地磁気消失から200年後。
龍神の祠を過ぎると廃墟の街が見え隠れする草原に出る。ここ一帯には、大きな街があった。今は朽ち果て、大きなシダ類やコケ類に覆われた緑の瓦礫原野だ。その奥に神聖林がある。私達地上人以外、足を踏み入れなくなった林だ。林の木々は、20メートル以上あり、高いものでは、100メートルを越える。林の木は、異常に繁殖しているが、元は、杉や松やかえでなどの針葉樹や広葉樹であるため、林の中は穏やかだ。しかし、巨大化した動物の住処になっていて、知らない者を排除しようとする怖い林だ。
月明かりの中、林の入り口まで来ると、いつものようにコンが迎えに来てくれた。コンは、子供の頃、病気で倒れていた所を介抱された狐だ。しばらく人里で暮らしていたため人の言葉が分かり、私達を好いてくれる友達だ。今では、体重が、100キロを越える大狐になっている。
コンには、私がつけた首輪が、いまだについている。自分が大きくなる度に、首輪の長さを調整させに、何度か里まで降りて私に直せと甘える。その度に、里の者に、「コンは、私のでっかい子供だな」と、笑われる。「私は、十五ですぅー」と、舌を出して見せるが、悪い気はしない。今日は、隅音川(すみねがわ)上流に行く。
コンの首輪に摑まり私は、羽を畳んでコンが走るのに任せた。緑の森は、流れるように私の後に去っていく。途中、この森の主様が居る洞に立ち寄って挨拶をする。主様は、大けがをして、大木の洞で休んでおられる。この洞には、日が差込むので、小さな花がそこら中に咲いている。たまたま入っていた月明りに洞の中は、青く輝いていた。主様は、100歳の猪だが、精霊年齢では、三千歳を越えていると言っていた。私が、この姿の時でないと話が出来ないので、少し話をさせてもらうことにした。
「オズチ様、おでこの傷は、治りましたか?」
「ぶほっ、もう良くなった。体があると、飯はうまいが、不便なことも有る」
「どうやったら、寝ぼけて崖に体当たりできるんです?」
オズチ様は、寝ぼけて、崖に体当たりして大けがした。その振動は、里にまで響いたほどだ。
「ブホォ、ブホォ、ブホォ、体がないときは、通り抜けたんじゃ」
「ちょっと見せてください」
主様の額に、三日月の痕がついていた。もう、治ってきているようだが、傷跡が残りそうだ。
「マナ、わしはこれでも、ここ一帯の主なんじゃ、世話を焼くな、恥ずかしいじゃろが」
口ではそういうが、オズチ様は、嬉しそうにしている。コンも、オズチ様のお腹とかを触って、じゃれていた。
「治るのには、もうちょっと掛かりますよ。それに、傷跡残ります」
「かっこいいじゃろ、ぶほっ」
「フフ、そんなの神様らしくないです」
「ブホォ、ブホォ、ブホォ」
オズチ様は、体をゆすって笑った。
「今日は、隅音川の上流に行って見ようと思います」
「気を付けるんじゃぞ」
「はーい」
主様から降りてコンを呼んだ。コンと私は、ぺこっと主様に頭をさげて川を遡上する。コンは、この林で一番早く走る事ができる。岩肌の多い川原に出た。目の前は、滝になっている。コンは、飛ぶように滝横の岩を登っていった。私は、羽を広げて浮かび、先に登って待っていた。私は、まだ高く飛ぶ事が出来ない。本当は、できるのだろうが、怖いのだ。空には、昼間でも、オーロラが見える。見ているだけならきれいなのだが、あのオーロラをどこでも見る事が出来る様になってから大勢の人が死んだ。オーロラは、雲より高いところなのだろうが、近づきたくない。それで移動するのに、つい、コンに頼ってしまう。今日の目的地は、この滝の上だ。
オーロラで、少し虹色に月明かりが歪むが、川底にキラキラ輝くものが見える。砂金だ。それも、大粒の砂金が、そこら中に有る。
「コンやったわ」
「コーン」
私は、コンに抱きついて喜んだ。砂金は、川底で、金色に少し青く輝いている。オーロラのせいで、少しずつ色を変えながら輝いて見えた。神聖林のそれも、こんな奥まで、人は立ち入った事がない。私達里の者なら、安全にここまで辿り着けるだろう。長の父に報告しなければと思った。森の入り口まで、コンに送って貰い、手をいっぱい振りながら、森を後にした。
全員が寝静まっている家に帰ると、寝ている自分を見ることになる。今日は、胸のお守りを祈るように握っていた。お守りは、黄緑色にやさしく輝いている。ここには、先祖代々伝わる小さな勾玉が入っていて、私が受け継ぐまで、龍神の祠で眠っていた。勾玉は、神聖の証だ。千年前のご先祖様に、夢の中の私を見る事ができる友達がいたそうだが、今は居ない。里の同年代の子は、私を敬ってくれるのだが、友達にはなってくれなかった。友達は、守り手のスズと神聖林のコンだけ。だけど、幸せなことに最近は、林の精霊たちとも話すようになった。オズチ様が、梟のミミ様に私を紹介してくたからだ。その、梟の精霊ミミ様が、隅音川の滝上で、光る石を見たと教えてくれた。砂金が見つかり、しばらくは、里も農業に専念できるだろう。今年はマスカットや桃の出来が良いだろうと父が言う。夏の天気が続けば、甘みも増す。春の風を感じて、オーロラで虹色に輝く海を見た。少し背伸びをして窓際から、海を眺め、私は、深い眠りに戻ることにした。
「マナミ、マナミ。起きなさい、もう、あんなにお日様が高いですよ」
祖母のさくらは、何時も着物を着ている。割烹着を脱いでいないから、朝食を作ったばかりだろう。お婆様に起され、窓から青空を見上げた。日はとっくに登っていた。
「お婆様おはよう」
「どうでした、聞き取り役のスズが、朝ごはんを食べないで待っています」
「姫様おはようございます」
スズとは、幼馴染なのだが、この時間だけは、仕事をしなければならないので、私の事を姫様と呼ぶ。
私は、興奮して昨夜の夢の話しをした。
「スズすごいのよ。滝上に大粒の砂金がいっぱい。隅音川の上流に、探査衆を派遣して」
スズは、一生懸命私の大らかな話しを 綺麗な言葉に書き直して昨夜私が見た夢を記録した。お婆様は、私の話し方を直したがっているが、もうすぐ十六歳の成人を迎える私の話し方にあきれて、あきらめた様だ。母親を早くに亡くし、里の中で育った私は、みんなと同じような話し方をする。お婆様が、里を離れていた間に、こうなってしまい長である父は、相当怒られた。お婆様は、対岸の町で長く暮らし、ここの里と町とを仲良くさせることに尽力した人だ。今では、交易もうまくいき、交流も盛んになった。
「マナ、やったね」
「これ、スズ」
私の影響で、スズもそんなに格式ばらない。今日は私が、手柄を立てたので、お婆様の手綱も緩んだ。
「今日は、許してあげます。二人とも朝食を食べていらっしゃい。マナミは、ちゃんと顔を洗うのですよ」
「はーい」
「マナ、先に行ってるね」
スズを見送り、顔を洗ってさっぱりした。気持ちがしゃんとなったころには、夢で見た事を殆ど忘れてしまう。しかし、今日は、主様の三日月の傷痕と滝上の砂金は、印象深く残った。
私は、城山真奈美。もうすぐ成人を迎える15歳。この龍の里の長の娘で、何百年かに一度、この家に生まれる夢見巫女だ。夢の中の私は、背中に大きな白い羽が生えている。畳むと、背中に小さく収まるこの羽根をまだ、羽ばたたせた事は無い。夢の中の私は、羽がなくてもふわふわ浮く。
夢見巫女のことで分かっていることは、龍神の祠に有るものは、夢の中でも触る事ができるということだ。お婆様に後で聞いた話だが、コンの首輪は、龍神の祠に祭られていた皮紐だと言っていた。その祠に、ご先祖様が使っていた衣服が有る。それはビキニの水着みたいでちょっと恥ずかしい。でも、これをつけると身が軽くなる。私は、十二歳の頃から夢を見るようになった。最初は、裸で外も出歩けなかったが、父に相談すると龍神の祠に連れて行ってくれ、この服を渡された。今では、このビキニが気に入っていて、夢の中の神聖林で遊ぶのが日課になっている。
私の夢の世界は、現実と同じだ。その上、現実の世界では、見えない者たちも見える。精霊級の生き物になると話しもする。まだ話せるのは、神聖林の主のオズチ様と梟のミミ様だけだが、オズチ様によると、もっと遠くまでいけるようになると、いっぱい精霊を紹介出きるそうだ。瀬戸内の白門島には赤い鳥が、隅音川の上流には亀さんがいると教えてくれた。今の目標は、その亀さんに会うことだ。飛べば直ぐだと言うのだが、オーロラが怖くて、今日も飛べないでいた。
亀さんに会う事もそうだが、夢の中でやりたい事が有る。それは、神聖林の木々が出す胞子や種を採取して、苔むしてしまった廃墟の街に植えることだ。夢の方の種を植えると、神聖林ほど厳しくない自然が、芽吹くだろうと主様に教えてもらっている。私が、夢で体験したことは、スズが記録しているので、里のみんなも知っている。ただ、里の外には、この話しは、されていない。言えば私を派遣して欲しがる町もあるだろうが、ちゃんと飛べないのは、とても危険なことなのだそうだ。こればかりは、私自身の問題で、どうすることも出来ない。
食堂に行くとスズが私を待っていた。長であるお父さんもまだここにいて、スズから砂金の話しを聞き、上機嫌でお茶を飲んでいた。
「マナミやったな。こっち来い」
お父さんは、未だに私を子供扱いする。頭をなでてくれた。
「えへへへへ」
私も、頭をなでられて嬉しい。しかし、すぐここに、お婆様が入ってきて、お父さんを叱った。
「なんです、二人共、マナミは、もうすぐ成人です。そんなことだから、お嫁の話がないのですよ」
「母じゃは、そう、言うが、マナミは、一人娘だぞ。嫁になぞ出せるか」
「娘離れが出来ない父親ですこと。マナミが結婚する時、泣いても知りません」
「しかし、砂金は、手柄ではないですか。これで、船のエンジンが買えます」
「私もそう思います。今日は、マナミが行きたがっていた廃墟の街まで遠出をさせてやりましょう。途中までは、砂金探査衆と一緒ですが、その後は、守り人が必要ですね。人選をよろしくお願いしましたよ」
そうなのだ。現実の私は、まだ、龍神の祠から奥に行った事がない。夢では、里の誰よりも林の奥まで入っているのに、実際はまだなのだ。
「本当、嬉しい。おばあ様大好き」
お父さんが、私に耳打ちしてきた。
「マナミの婆様こそ、わしを子供扱いすると思わんか」
「リュウイチ、聞こえていますよ」
「うわっ」
「マナミも食事をしなさい。スズが待ちきれなくなっています」
スズを見ると、両手にホークとナイフを握ってこちらをじっと見ていた。
「ごめん、スズ」
私は急いで食卓に着いた。
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