オムライス・ライン

@matsu86

第1話 釣りに来た女と少女たちと


「師匠ー!早く釣り方教えてくださいよー!」


 透き通ったオレンジ色の明るい声で、少女が誰かを呼び掛けていた。

澄み切った河原に彼女の声はよく響いていたが、返事をする声は聞こえて来ない。山奥の河原は夏場の空気とは思えないほど涼しく、川のせせらぎは、透明な川の水の冷たさを感じさせてくれた。

 ─少女はしばらく返事を待ってみたが、一向に返事が聞こえてこない状況に苛立ち、その苛立ちは自然と声へと変わっていった。


「あーもう、ぜんっぜん釣れないし!日焼けはするし虫には刺されるし何が楽しいんですかこれ!釣りなんて面白くないです!もう帰りましょうよ師匠!」


 彼女の苛立ちが竿先から川の中まで伝わっているのか、穏やかな川にも関わらず釣り糸の先から小さな波紋が何重にもなって見て取れた。


「まーそう言わないで怜ちゃん、釣れたら絶対楽しいから。それにね、私は寝転びながらも釣りをしてるのだよ」


 寝起きのような気だるい声で返事をしてきた女は、釣り竿をと睨めっこしている少女を宥めるように答える。


「後、大声出すと魚逃げちゃうからね、静かにしようね」


「師匠が返事してくれないから大声になってるんじゃないですか!もおっ、それに起きてるなら釣り方ぐらい教えてくださいってば!」


「怜ちゃん、釣りは忍耐だよ。家宝は寝て待つものだし、急いては事を仕損じる。これも勉強のうちなのだよ」


「釣りの勉強より絵の勉強を教えてくださいよ!今度の課題は教室借り切ってお客さんまで呼ぶんですよ!作品だってまだまだ足りてないし、このままじゃ単位落としちゃいますよ・・・・」


 怜ちゃんと呼ばれた彼女は、不満をぼやきながらも釣りは続けているようだ。彼女の声からは焦りを感じるが、師匠にその思いは届いて居ないようで、女はにへら顔で車のバックドアから顔をのぞかせ手を振っている。

 師匠を信頼しているのか、ただ従順なだけなのか。苛立ちながらも釣りを続けている少女の姿をよそに、女は釣り方を教えるどころか本を読みだしてしまった。


 その姿にあきれ返った少女は、師匠の力を借りなくてもなんとか自分の力だけで釣ってやろうと躍起になっていた。すると、別の釣り人が少女の姿に気が付き声を描けてきた。


「どうですか、釣れますか?」


「いえ、全然ダメです・・」


 よそ行きの声色で返事をした怜に声を掛けてきた男は、ぱつんぱつんに肥えた体とビール腹を携えており、いかにも中年という単語の似合う風貌をしていた。


「若い子が釣りなんて珍しいですね。大変でしょうが、きっと楽しくなるので続けてみてくださいね」


褒められたような励まされたような、不思議な感覚に少女は嬉しさを感じていた。しかし、どうにも言葉が見つからず返事を師損ねていると、中年の男が口を開いた。


「そうだ、この沢だと、もう少し下ったところにある繁みのあたりを狙うとよく釣れますよ」


 そういうと、男は川の先を指さして教えてくれた。だが、怜には彼の指さした先よりも、彼が担いでいるクーラーボックスの方に目が行っていた。見るとそこには、ボックスから溢れるほどの尻尾が見え隠れしていた。

 その様子に気が付いた中年の男は、察したようにボックスを下して蓋を開けた。


「うわっ、凄いですね。魚がいっぱいだ」


思わず出た彼女の高揚した声に、中年男は嬉しそうに語り始めた。


「私もこんなに釣れるのは滅多に無いんですよ、今日は運が良かったんです。そうだ、もしよかったら3匹ほど貰ってくれませんか?釣果には満足してたんですが、もて余していたところなんですよ」


「え、でも、良いんですか?」


「はい、是非もらってください。釣りは釣れた喜びも大事ですが、共感してもらえる楽しみも大切ですから」


怜が少し申し訳無さそうにしているところに、師匠と呼ばれた女が少女と中年のそばに近寄ってくる。


「おー、これは凄い釣果ですね。しっかりと肥えてておいしそうだ」


「ちょうど今がシーズンですから美味しいと思いますよ」


「ではお言葉に甘えて、いただきますね」


ちゃっかりと袋を用意していた女に、手際よく魚を分け与えてくれた中年男は、その間も魚の話や最近の山の話など、他愛無い世間話を続けていた。


「そうだ、これ、教え子なんですけど、今度学校で個展を開く事になってるんですよ。お暇があれば是非いらしてください。きっと今日の出来事も作品に活かされると思いますので」


そういうと、女はどこから取り出したのか大学のパンフレットを差し出した。


「それはそれは。こう歳を取ってしまうと、どうにも出かける場所が狭まってしまって悩んでいたんです。これも縁だと思いますので、きっと寄らせていただきますね」


「はい、是非ともお越しください。お待ちしております」


 軽く会釈を交わし、中年の男はその場を離れて行った。怜は、ヌルっとした魚を手にしては、その感触に少し感動しているようだった。


 釣りに関しては散々なもので、怜は結局1匹も釣ることが出来なかった。師匠は師匠で、竿を投げることすらなかった。貰った魚を車に積み込み、2人は車で家路に向かおうとしていた。


「いやー、怜ちゃん今日は惜しかったね、ドンマイだよー。次は釣れるさ」


「・・・・あの、気になったんですけど、師匠ってもしかして釣りやったことないんじゃないですか?」


「あれ、バレちゃった?」


「もう、なんで私に釣りやらせたんですか!」


「でも私ちゃんとお魚は獲ったでしょ?」


「あれは頂きものじゃないですか!師匠は釣ってないです!」


「怜ちゃん、釣りっていうのはね、ふかーいものなんだよ」


「誤魔化さないでくださいよ!」



「結局課題も進んでないじゃないですか!ちゃんと遊びに付き合ったんですから、次は絵の勉強させてくださいよ!」


「怜ちゃん、お客さんを集めるのも作品を集めるのもどっちも大事なんだよ。凄い作品だからお客さんが来るんじゃないって事ね。怜ちゃん、絵も釣りと同じで、自分が良いと思う作品より共感してもらえる作品のほうが喜ばれるんだよ」


「全然うまいこと言えてないですし、よくわからないです師匠」


「やっぱり?」


「でも、共感してもらえるは大切なんだなって思いました。言葉には上手く言い表せないですけど・・」


「それが分かればよし。それを作品にできれば尚のことよしね」


「・・師匠は私に共感してくださいよ」


 二人を乗せた車は、薄明りが残るいつもの見慣れた街へと帰っていった──。

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