出産ダイジェスト版
分娩室に移動すると、もうのたうちまわりたいほどの陣痛に苛まれました。
「いきまないで」
「鼻から吸って、長く吐いて、赤ちゃんに酸素を送ってね」
助産師さんがかけてくれる言葉に従いますが、腰を浮かして叫びたくなるような痛みに何度かこう漏らしました。
「もう無理」
思うに、この言葉は私の中で最大級の弱音です。普段は滅多に口にしない言葉ですが、思い返せば前回の出産のときも何度か口にしたのを覚えています。けれど、無理でも乗り越えさせられるのが母への道なのでしょう。そういえば離婚のときも言ったかなぁ。
最初のうちは助産師さんは2人ついていてくれて、子宮口を診てくれたり、腰をさすってくれたりしていましたが、そのうちもう一人加わって3人になりました。中年のベテランらしい助産師さんです。
そして管で尿を抜き、分娩台の上で横になって丸まった姿勢を取るように促されました。そうすると赤ちゃんが出やすいからという言葉を聞きながら、そういえば前回も横向きになったら『にゅっ』と出てきたんだったと思い出していました。
もう手で何かを掴まなきゃいられないほどの痛みが押し寄せてきます。
鼻に管を入れられて、何かを送り込まれながら陣痛に耐えました。あとから思い返せばそれは酸素だと思うのですが、何故か「麻酔か?」と勘違いした私。酸素だと気がつくまで、なんだかもうすぐ痛みが和らぐんじゃないかという希望がよぎり、しばらくは気をしっかり持てたのは楽観主義だからでしょうか。
そのうち、懐かしい衝動が襲ってくるようになりました。
そう、まるで3ヶ月分の便秘が出そうな感じ……これは前回の出産でいきんでいたときの感覚でした。
ところが、今回の病院では「力抜いて、いきまないで!」と言うのです。
「赤ちゃん苦しくなって出にくくなっちゃうよ。いきまないで。声を上げるより、口を閉じて鼻から吸って、長く吐いて」
ところ変わればお産も変わるのか?
驚きながら言われた通りにしていると、どんどん指示が飛んできます。
「顎をひいて」
「背中丸めて」
「ゆっくり吐いて」
その都度、必死に言われた通りにするしかありません。
「赤ちゃん苦しくなっちゃうよ」
そう言われると、尚更です。
油断すると衝動に任せていきんでしまう。というか、いきんだほうが楽に思えましたが、そうすると裂傷や痔になるのかな? と考えて堪えました。結局は裂けましたが……。
そのうち「先生を呼ぼう」という話になりました。助産師さんは「うぅん、子宮口の開きはまだ『分娩気味』って段階なんだけどね」と言いながら、連絡を取っています。
助産師さんがタオルで私の顔を拭いてくれて、初めて自分がいつの間にか痛みのあまり汗だくになっているのに気づきました。
そこでゆっくりと仰向けに姿勢を変えるよう指示されました。いよいよクライマックスです。
先生が来るまでの間、助産師さんがひそひそと話しているのが聞こえました。
「なんだか……だよね?」
「うん、そうなんだよね」
「多分、あれだよね」
なにやらざわついている助産師さん。その理由がわかったのは、もう少しあとのことです。
しばらくして先生がゆったりと現れ、優雅な動きで支度します。「早くしてくれる?」と怒鳴りたいのを必死に堪えておりました。
そして先生が手を入れて何かしているなと思ったら、「手を胸にあてて、ゆっくり息を吐いて」と指示。気がついたら、赤ちゃんの姿が見えました。
「あれ、もう出てきた」
そう驚きながら、薄紫色をした子どもと、白みを帯びたへその緒を見ていましたが、赤ちゃんが泣きません。長男のときはすぐに「おぎゃあ」と声を上げたのに、今度は泣き声がしないのです。
助産師さんたちが口の中の羊水を吸い取り、背中などをさすると、やっと泣き声が聞こえました。
「おめでとうございます、男の子ですよ」
検診で「多分、男の子だと思うよ」と言われていたのですが、やはり男の子でした。
「4時2分、3380gです」
耳を疑いました。分娩室に入ってたったの30分ほどで産まれたのです。あまりの陣痛の苦しみに何時間もいたように思っていましたが、実際は1時間もたっていなかったのでした。
そして助産師さんたちは時間にではなく、「3380?」と体重のほうに驚いて顔を見合わせています。
「やっぱり大きかったねぇ」
「この子が初産だったら、産めてなかったかもねぇ」
そう口々に言います。
先ほどなにやらざわついていたのは、見え始めた赤ちゃんの頭に「予想より大きいぞ」と戸惑っていたせいだったのです。
4日の検診では2800gほどだと予想されていたし、私の身長は147cmと小柄なので、ここまで大きい子だと思わなかったようです。そういえば私のことを「いや、こうしているとそうでもないけど、立つと(お腹が)大きいんですよ」って言っていたような……。
子どもは体を綺麗にされて、冷え防止のニット帽をかぶせられて私の隣に置かれました。
その間、私は胎盤を取り出し、裂傷を縫われます。何度もぐっとお腹をおされて、体液が流れ出るのを感じました。
腹帯で骨盤を締め、お腹にアイスノンを置かれて分娩台の上で2時間安静にします。アイスノンを置くのは、冷やすことによって子宮を収縮させるためだそうです。これがなんともまぁ、軽い陣痛ほどに痛むのです。俗に言う『あとばら』『後陣痛』というものですが、痛むほどに子宮が収縮しているということなんだそうです。しかも、子どもを産めば産むほど痛むものらしい。実際、初産のときは全然感じませんでしたが、2人目となるとこのあとばらが辛かったのです。
「旦那さんに連絡します?」
そう言われ、助産師さんが私の携帯電話を手渡してくれました。
ラインで「産まれちゃいました」と画像を送ると、少したってから夫から「お疲れ様でした」と返信がありました。
その後はこのエッセイのネタにするべく、携帯電話に出産状況をちくいちメモして過ごしました。どうも創作活動をするようになって、どんなに苦しい場面でも辛く悲しい場面でも、いつか役立つかも知れないから記憶しておこうという意識が働くようになりましたねぇ。
子どもは1時間ほどで保育器に移され、私はアイスノンを交換して引き続きメモをとりながら、分娩台の上で過ごしました。なにせ書き留めておかないとすぐに忘れてしまうのです。出産がそれだけ無我夢中ということもありますが、私自身、とても忘れっぽいのです。
それが終わると病室に戻り、必ず2〜3時間おきにトイレに行くように指示されました。管を入れたので尿をするのも痛いけど、裂傷も痛い。これはどうしようもないこととはいえ、本当に嫌になります。
産後は1ヶ月ほど、
清潔にするという意味でも、トイレのたびに清浄綿で拭いたり、ウォシュレットで流してから、前から後ろに向かってトイレットペーパーを使わなくてはなりません。
病室でアイスノンの傷みに耐えながら、「分娩は早く終わったけど、その分あとばらが長いから、プラマイゼロな気がする」と苦笑してました。
アイスノンを外されたのは、朝の9時。それまでの間、カーテンの隙間から漏れる早朝の白くなりゆく様子を横目に、なんともいえない開放感を覚えていました。
子どもは2人までと決めているため、最後の出産を終えた今、「あぁ、これで人生の大仕事の一つを終えたんだ」という安堵に包まれます。実際はこれから育てていくのもまた大変なんですけれど。
この病院では出産当日は母子別室でゆっくり体を休めることに専念する方針でした。子宮収縮止血剤や抗生物質などの薬と共に痛み止めを処方してもらい、服用しながら体を休めました。
夫は9日の朝、上司から「出発前にせめて顔を見ておいで」と言われたらしく、出張を抜けて病院に駆けつけてくれました。10分ほど子どもの顔を見て慌ただしく出かけていきました。
姑も息子を連れて来てくれましたが、息子はすっかりおばあちゃんっ子と化し、わがままいっぱいになっていて、思わず苦笑。そしてやはり1歳半では赤ん坊を見ても弟だとわからない様子で、きょとんとしていましたね。でも、状況がわからないからこそ、母と離れてぐずることもなく過ごしてくれたようで安心しました。
今回の出産は、前回の出産のダイジェスト版という感じでした。
始まったらもう怒濤のように突き進み、凝縮された濃厚な時間だったように思えます。それにしても経産婦は初産より早いとはいうものの、ずいぶん極端に短く終わったなぁと、我ながら思います。
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