3

 夜になると、雨が降ってきた。

 外でしとしとと雨粒が地面を打つのが響き渡る。

「久々だな。お前と寝るのは」

 隣には、薄氷がいた。横になっていた銀は、薄暗い天井へ向けていた顔を、彼女の方にやる。

「まだ私がいないと眠れないのか」

 寝間着姿の銀は、気恥ずかしさのせいか、顔を布団にうずめた。彼は、さきほど彼女の自室を訪れ、自分の閨に誘ったのだ。この伊豆から大分離れる京に行っていたとは言え、その日数はたかが3日間だ。その短い期間でさえ、銀の心は、薄氷の存在がないと耐えられないほどになっていた。

「いい年しながら、甘えん坊だな」

 そう言いながらも、彼女の声色はまんざらでもなさそうだった。小さな弟を寝かしつけるように、彼女は自分の手を彼の胸元に優しく当てていた。

「早く寝ないと、明日起きれないぞ」

「うん……」

 明朝、路子が収める街の中心にある斑鳩宮伊豆御殿で、鳳四宮廷貴族の大集会がある。その大集会は、地区毎に毎年開かれ、そこに住まう民は、何を問おうと参加必須だった。

 伊豆御殿自体は近年に築かれたものだが、その由来は、大覚寺にあると言われている。焼津にある大覚寺全珠院は、ヤマトタケル東征の舞台とも言われ、真言宗大覚寺派を謳う寺院として知られていたが、鳳四宮廷貴族が1族、斑鳩宮がその実権を握った。生粋の神道、本国神話が仏教に侵されていることに憤慨した斑鳩宮家は、本尊である千手観音ごと全珠院をすべて焼き打ち、そこに祀られていた神話ゆかりの宝具の数々を略奪し、伊豆御殿に収めたのだ。そこは言わば、日本の神々を崇め祀るだけに作られた大社の1つとも言えた。

「ほら、寝るならそれをほどけ」

 薄氷は、銀の顔全体を包む黒い布を指した。

「……ほどかなきゃだめ?」

「そんな恰好で寝るのか? 和葉に笑われるぞ」

「和葉は?」

「もうとっくに寝たさ。さっき見てきた」

 そう言うと、銀は安心したのか、自分の頭に巻かれた布を解いた。黒布の奥から、蚕の繭のような細さときめ細やかな髪が揺れた。

「きれいだ」

 本心だった。薄氷は、彼の銀色に輝く髪を見て、思わずつぶやいた。日本人離れした明るい毛色。まるで波しぶきに濡れた白鯨の腹のような、煌きと整然さが伴う彼の銀髪。ここに住まう子供たちにも見せるのを憚っている彼が、薄氷だけに唯一見せてくれるその姿を見る度、彼女は彼の心に入り込むことを許されたと実感した。

「それは?」

 頭巾が解かれても、目元を覆う布はそのままだった。

「ほどかないのか?」

「うん。こっちの方が安心する」

「そうか」

 これ以上言うことをせず、彼女は彼の隣に横たわり、身を近くに寄せた。

「明日、どうしても行かなきゃだめ?」

 銀が薄氷に子供のように問いかける。

「ふふっ。なんだ? 怖いのか?」

 ズレかけていた布団を、銀の肩に上げる。

「大丈夫さ。お前を虐めるやつなんかいない。例えそんなやつがいても、私が守ってやる」

 銀は集会に行くのが初めてだった。それまであまりの対人恐怖症の酷さを、路子が慮り、上鷺宮家のつてを利用して、特例を計っていた。しかし、このままでは彼のためにもならないと思い、路子は彼をどうにかして集会に参加させようとしていたのだ。それは路子にとっても、大きな決断であっただろう。彼女たちが京に行く前から、そのことは知らされていたが、それでも銀は不安だった。

「そんなに路子様が信じられないか?」

 薄氷の表情が少し曇る。

「ううん、そんなことないよ。路子様が、良い人だってこと、僕もよく知ってる。だけど……」

 彼の手がかすかに震える。その様子を見て、薄氷は彼の手を握りしめた。

「人が怖い気持ちは、私もよくわかるさ。だけどお前は一人じゃない。私がいる」

 彼の汗ばんだ手をぎゅっと握りながら、優しく答えた。

「ずっと一緒にいてやる。だから安心してくれ」

「……うん」

 そう言ったきり、彼はしばらくすると静かな寝息を立て始めた。それでも彼の手は、彼女の指を離さなかった。

 眠りについた愛おしい存在を見て、薄氷は静かに笑った。

 ――仕方ないな。

 彼女は、彼を起こさないよう、枕元の提灯を静かに寄せて、火を消す。室内に満たされた闇と、雨音の心地よい刻みに身を任せて、彼女は瞼を閉じた。

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