中之島リバーズエッジ

@ngotds

第1話

 人に心があるか、本当のところは分からないけれど、私は貴方達をただの鐘と信じていないから、今日も私は晩飯を作る。

 私達は、私達に、人、いきもの、事象に、心があると感じている。これはとても良いことだと思う。なぜなら私には心がなかったのだから。


 放課後、すでに薄暗くなり始めている廊下で、委員長が魔法少女の如き衣装に身を包み立ち竦んでいた。両の肘を肩まで上げ下腕をだらりとぶら下げながら両足を交差させている様は、マリオネットか或いはコンテンポラリーな身体芸術と言えなくもない。委員長はヤクザの娘であるが、なに、随分のびのびと育ったものである。


 過日、委員長が立候補した時、すわヤクザの娘による大阪征服計画が始まったのかと一同騒然としたものであるが、委員長のこのざま、一体これは何か。放課後の廊下で一人素っ頓狂なことをするのは大阪征服計画の一端としては随分迂遠ではなかろうか。同様の疑問を、共にいた級友の絹延も持ったのであろう「何してるの」と至極真っ当な質問をした。


「あの、怪しいものではございません」


 こいつ、自分でも自分を怪しいと思っているのか。この状況、級友でなければとっとと退散するところだが、何分見知った顔である。逃げる前に多少の話なら聞かぬでもない。ただし、問題がある。こいつは登下校時、常に若衆を付き従えているヤクザの娘だということだ。これまでクラスの者は彼女を畏れ訝り誰も近寄らなかったし、彼女もそのことを察してか誰とも交流を持とうとはしなかった。然るに委員長に立候補するとは何事か。私はそこに陰謀の汚臭を感じ取った。


 もし彼女に対抗して立候補すればどうなるか想像に難くない。学校から帰宅すれば、ダンプなりロードローラーなりが家に突っ込んでいるのであろう。或いは父親がハニートラップに遭い、或いはカツアゲされ、或いは上靴に画鋲が入れられ、或いは学食の味噌汁に自分だけえのきが房のまま入っているのだ。さらば誰も抗うものはいなかろう。結果、彼女は対抗馬なく全票獲得し晴れて委員長となった。


 つまり、見知ってはいるが、それだけでは信用できないのだ。こいつは何を考えているのかわからない。


 委員長は、腰まであるややウェーブがかった髪をゆらゆらさせながら、ただただ困惑の色を湛えていた。ピンクの髪留め、装飾を施されたブーツと手袋、色とりどりのアクセサリの可愛らしさだけが状況に異議を唱えている。


 一体こいつは何をしているのか。考えられるシナリオとしては例えばこうだ。純真無垢な女子高生たる私達が魔法少女らしき衣装に釣られ「きゃーかわいいー」などと委員長に近寄った瞬間、いずこかに潜んでいた若衆が我々に襲いかかる。屈強な男共にかかってはか弱い私達などひとたまりもないであろう。衣服は瞬く間に剥ぎ取られ、委員長の如き胡乱な装束を着こまされるのだ。私達は可愛い衣装に満悦至極。魔法少女トリオを結成し、それを足掛かりに大阪に委員長を中心とした魔法少女の国をこさえるのだ。とりあえずは大阪城でも占拠するのが良かろう。ええい何が魔法少女だ。それでは無法少女ではないか。


 逃げるべきだ。古来より、君子危うきに近寄らずという。私は自分自身を君子と標榜するほど高慢な人間ではないが、多少君子たる所以もないではないかもしれないので、君子らしく振る舞っても誰も私を非難しないであろう。あんな衣装、着こまされてはたまらん。人には向き不向きとか、似合う似合わないとか、付き合いきれないだとか色々あるのだ。それに私は早急に家に帰らねばならぬ。腹を空かせた兄ちゃんと母ちゃんに飯を作ってやらねばならないのだ。


「絹延。提案がある。向こうにある階段、そこから帰ろう。委員長に近づかずに済む」


 この提案は、助けてもらえるものと思っていた委員長にとって意外だったのか「待ってください!」などと私達を引き止めにかかったが、聞く耳は捨てさるべきであろう。帰ろう。決意を固めよう。


「でも妙見、委員長凄い困った顔しているよ。見てよほら。うわっスゴ。凄いあれ。何あれ。凄い困ってる」

「ええい絹延!四の五を言うな!あれは罠だ。困ったふりをして助けに掛かる私達を引き寄せる戦術に違いない」


 ちらりと委員長に目をやると、確かに、私の人生で一度も見たこともないほどに委員長は困った顔をしていた。


「吉田戦車でもあの顔は描けないよ!」

「お前はもう黙れ。ヤクザの娘を挑発するな。さぁ今こそ大阪府陸上一〇〇メートル二位記録保持者の走りを見せてみろ」

「いやぁ、いまちょっと怪我をしてるんで、走るのはちょっと」


 この阿呆、埒が明かん。いつ業を煮やした若衆が飛びかかってくるとも限らんのだぞ。私は階段に向かい絹延を引きずった。


「行かないでください!助けてください!」


 帰ろうとする私達を見た委員長がこれまでになく強い語気で叫んだので思わず振り返ってしまった。視界に飛び込んできたのは、両腕を上げたまま振り、足を交差させたままヨチヨチと走ってくる委員長だった。気持ち悪いものには心が動くより先に体が動くものである。絹延は「ギョエ~」と叫び、引きずられていたのを一転、私の襟を引き階段に向かい駈け出した。これは良し。後で絹延にはやればできる子の称号でもやろうか。


 だが、階段への角を曲がった私達は、冷えた蝋のように固い何かにぶつかった。廊下に交通の妨げとなるようなものを放置するななどと怒りも覚えたが、よくよく見てみるとそれは級友の一人、鳥居であった。


 鳥居の私生活は謎に包まれている。私生活ばかりでなく、本人すら謎に包まれている。死体なき殺人事件、参加者なきティーパーティー、蝙蝠の世界観、心のない人間・・・。

 彼女の口は音を発さず、手は意味ある素振りをなさず、表情筋はいかなる感情も現さない。鳥居は、内心に生理的欲求の他あたかも存在しないかの如く振る舞う。寒さ故に雹すら降った或る日、防寒用の着衣のため神社の息子多田くんは身包みを剥がされた。教室に侵入した蜂を殺したのは鶯さんの鞄であったし、弁当を食われた人は幾多にも上る―今思い出しても腹が立つ―。故に、彼女は自動人形と揶揄される。私の内に眠る公共心は、あんな奴入学させやがってと、随分憤っているものである。


 それはさておき、前門の自動人形、後門のマリオネットである。ゾンビとヤクザに絡まれていると言っても過言ではない。神め、篤実な女子高生に何たる仕打ち。誰かが説教してやらんといけないようだ。


 私達が廊下を転げまわっている間に、委員長が追いつき私達はいよいよ苦境に追い込まれた。薄儚い私達の命の灯火は、ゾンビの唸声とヤクザの雄叫びによって、いまや吹き消されようとしている。


 だが、委員長は動かなかった。鳥居も動かなかった。私達は動けなかった。ただ、廊下に委員長の息切れのみが暫く木霊していた。いや、よくよく耳をこらせば、往来を行き交う車のエンジン音や、学生の歓談の声が聞こえてきた。学生たちは話の内容すら分かる程である。どうやら、級友のうわさ話に興じているようだ。それに冬とはいえ、私は僅かばかり汗をかいている。空気が動く冷やりとした感触を背中に感じた。途端に私は馬鹿らしくなり、僅かばかり人としての本分に立ち返ることにした。


「で、委員長。どうしたの。いかにもお困りのようであるが」

「服が、脱げないのです」


 男にとって服は脱ぐもの。女にとっては着るもの。「いやぁ、着られるものです」と、はにかんだのは新社会人となった頃の兄ちゃんである。それにしても着られるものを脱げない道理があろうか。


「脱げないというのは、物理的な意味でか」

「脱いだら捕まっちゃうよ?委員長は逮捕が慣れている方の人?」

「服が全く動かないのです。布で作られているはずではあるのですが、どこを動かそうとしてもびくともしないのです。まるで鎧でも着こまされている気分です」

 服が全く動かないなど、俄には信じがたい話である。

「解せん。そもそもそのような物をどのように着込んだのだ」


 委員長が「私もなんと説明して良いのか」などと前置きし語ったところでは、担任の畦野から漫画研究部の多田君に返却物を渡す旨依頼され、漫画研究部の部室を訪れたと。部室内に入ったところ無人であったが、部室の中央にマネキンに掛けられた衣装があったので、興味本位にマネキンに手を伸ば―


「いや、ちょっと待て。何故漫画研究部にこのような衣装があるのだ」

「コスプレ用じゃないの?自分たちで衣装作ってさ、着るんだ、イベントとかで」

「奴ら、手芸部まで兼ねているのか。あるだろう、手芸部。兼部すればいいものを。それに漫画研究部の奴らは全員男だったはずだ。この衣装は女物ではないか」

「きっと、凄い、イベントなんだよ。色んな意味で、きっと、うん、そうだと思うけど。そう思うしかない」

「あの、よろしいでしょうか」

「気にせず、続けてくれ」


 どこまで話しましたでしょうか。ああ、衣装に触ろうとしたところでしたね。曰く、委員長は衣装に手を伸ばし、指先を触れた瞬間、衣装があたかも生き物であるかのように空を舞い委員長に覆い被さ―


「いや、ちょっと待て。服が飛んで来るなんておかしいだろう」

「なんてことだ・・・凄い。凄い服だ。きっと未知の凄いテクノロジーとかを使ってるんだ・・・」

「何部!?」

「SF研?」

「それではフィクションになってしまうではないか」

「あの、よろしいでしょうか」

「どうぞ、続けて」


 それで、服が私を着て、助けを求めて今に至るんですよ、と委員長は大分端折って説明した。助けを求めているにもかかわらず、全く不誠実な輩である。親の顔が見たい。親を出せ。いや、親はヤクザか。


「よく解らんが、わかった」


 しかし、勝手に飛びかかった上、着こまされてしかも脱げない服など触りたくもない。切る、燃やす、溶かす。いずれもヤクザの娘においそれと実行できん。小指を切られ、髪は燃やされ、骨まで溶かされるのが落ちであろう。しかしながら放って帰っても結果は同じか。とっとと帰って飯を作りたいのだが。


「助けたいのはやまやまだが、妙案が思い浮かばん。絹延、何かあるか」

「切る、燃やす、溶かす」

「委員長が無事ではすまい」

「鋏はちょっとねぇ。高枝切り鋏かな」

 なお悪いわ。


「だいたい漫画研究部の奴ら、何しているのだ。奴らの所有物であろうに、奴らが委員長の服を脱がすのが筋だろう」


 そう、そうなのだ。冴えたやり方が思い浮かばないのは、私の発想がちょっと貧乏なのではなく、彼らの責任を重視する責任感が、私の心を覆いつくしてしまっているからに違いない。淑女はヴェールを被るものである。己の輪郭すら淡く儚い。考えが纏まらないのも仕方はない。


「皆、男性ですから、服を脱がしてとはとても申し上げられません。それに下校時間を過ぎていますので、既にお帰りなられているかと思います」

 故に、魔法少女は歯に衣着せない。まったくずけずけと正論言いやがって。


「よし、明日を待とう。明日になれば彼らも来る」

「帰ろうにも帰れませんし、このような姿、親には見せれません。学校に泊まるわけにも参りません。どうにか、どうにかお力添えを頂ければ」

「あーうん。それは大変だ。そうだ一緒に隠れる場所を探そう」

「あの、面倒くさくなっていませんか」

「いや、全くそんなことはないぞ」

 実は、全くそのとおりなのだ。有耶無耶、先送り、事勿れ。なんと魅力的な言葉か。

「考えあぐねているのが、そのように見えるのであろう」

 言い訳ぐらいはしておいてやるべきか。


 だが、面倒臭がっていては、何時まで経っても家に帰れないであろうことは確かだ。委員長を脱がしきるか、騙しきらねばならぬ。絹延は役に立たない。今も窓の外を見て呆けている。大方鳶でも探しているのであろう。


 ふと、視線を感じ、もう一人いた事を思い出した。鳥居は私をじぃっと見ていた。私の目、眉間、鼻、口、顔、手、体、いずれでもなくただ私を見ていた。気色わるい奴である。自動人形にはサッケードがないのか。恐らくは私が鋭意問題解決に向けて奮闘努力しているさまを、こいつは見続けていたのであろう。彼女の視線はそう確信するに十分な違和感を孕んでいたし、それが、こいつが自動人形と揶揄される所以であろうとも思った。


「鳥居よ。貴様は何故ここに留まっているのだ」

 ああ、馬鹿馬鹿しいことを言ってしまった。問うても応えはないであろうに。だが、何故こいつはここにいるのだ。そして何故私達を、私を見続けているのだ。自動人形に他者の観察なぞ不要であろう。

「手伝って、呉れるのか」

 応えは無かった。

「ふん。所詮人形は人形か」

 だが、鳥居は口を開いた。

「カタ」

「かた?」

「カタカタカタ」

 私は驚いた。自動人形が出しうる音はといえば確かにカタカタというのが相場であろう。だが、何故。人形扱いした私に合わせ、人形たらんとしてくれたのか。それはいかにも人形らしくない。

「お前、もしかして、」

 まさかな。だが鳥居の焦点は既に無限遠へと遠ざかっていた。


「そういえばさ」鳶が嘴を開いた。

「鳥居ちゃんの秘密をこの間発見したんだ」

「へぇ」

 脳たりんは脳なしにシンパシーでも感じるのか。人形の秘密を探るなど、余程のモノ好きである。

「なんと、大きい音を出すと反応するんだ」

「そりゃぁ」普通は。

「そうだろうよ」

「いやいやいや、信じてくれてないんだね。妙見も委員長も見たらびっくりするよ」

「あの、それよりもお助け頂ければ」

 委員長が御尤もなことを宣うたが、絹延は無視した。

「いくよ~」

 絹延は、足を大股に開き、腰に力を溜め、委員長を指さし、学校中の窓が割れんばかりの大声で叫んだ。

「鳥居ちゃん!委員長の服を脱がせ!」


 瞬間、鳥居は跳躍した。鳥居はいわば天気のようなものだ。ただそこにあり、たまに私たちにちょっかいをかけてくるが、私達にはどうしようもない。ただ黙って耐えるしかない。ただし、それも今まではだ。鳥居が、今、絹延の言に従い委員長の衣服を力任せに剥ぎとっている。私は委員長が少し気の毒になった。泥濘に嵌ったところに嵐がやってきたようなものだ。

 結果的に、魔法少女の衣装は服としての我執を忘却し、委員長は下校時刻を過ぎていることに感謝せねばならぬ格好となった。

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