夫の秘密〜 隠し子とその妻

 愛人とその子供の存在を、本妻には隠し通して死んだ夫。


 その気持ちは、わからないでもない。本妻は大変なお嬢様で、教養があり、読書好き、おっとりしていて、料理も何もできない人。できないというより、する必要がない。お手伝いさんがいたし、実母と同居していたため、全く何もしなくてもいいのだが、それでも、なんというか、その辺りのことが、夫が愛人を作るきっかけになったのだろうか、と思わせる。


 本妻に愛人の存在が露見したのは、夫の死後で、夫の弟の告白だった。


 そんなこと今更言わなきゃいいのに、と、親族全員が思ったらしいが、弟の心中というのは、謎だ。おそらく、子供を最高学府に送り、立派に育て上げ、後を追うように亡くなった愛人が不憫だったんだろうな、と、俺は推測した。



 本妻は気丈でも、当たり前だが、相当にショックを受けただろう、と思う。弟の方は、若かった頃、おそらく戦後、行くところがなく、兄の家に身を寄せた時に、出てくる料理があまりにも酷くて、それを根に持っていたらしい、と伝え聞いた。


 食べ物の恨みというのは本当に恐ろしいな、と俺は思った。


 自分がひもじい時に、身を寄せても、まともに料理さえできない、お嬢様の兄の妻よりも、なんでも出来て、結局、苦労を重ねた愛人の方の肩を持ってしまう、というのはわからないでもない。


 それでも今更、言わなくても。


 本妻の子は一人っ子で、両親から可愛がられて育った。結婚して家庭を持ち、子供にも恵まれ、幸せにしている。すぐ近くに住んでいても、ホームにいる母とは、疎遠になりがちらしい。


 一人息子、目に入れても痛くない、と可愛がっても、そんなものだ。俺がこの話から学んだのは、女性の読書好きは、家庭崩壊という教訓と、料理できない、家事が何もできないのは、致命的、という点。主婦がいつも読書していると、家のことを何もしないということに繋がる。頭でっかちになり、動かないのに口うるさくなる。お手伝いさんがいようが、あんまり関係ない。他人にとって、必要な人間でないと、結局は寂しい人生を送らないといけなくなる、という教訓。


 本妻は、性格も良く、おとなしく、なんでも知っている穏やかな人で、愚痴一つこぼさない。なのに、なぜ?という気持ちで一杯になるが、そんな人でも、息子の嫁からは疎まれる。


 世の流れは、女の子。男だと、せっかくお腹を痛めて産んで、必死に育てても、お嫁さんに取られて、結局、老後が寂しい、というけれど、それは本当かもしれない。溺愛した息子でさえ、こんなもの。


 ただひとつ良いのは、本妻は楽な生活をしてきたせいなのか、長く虚弱で、健康とは言えなくとも、案外と長生きができそうだ。逆に、こんなに長生きするとは想定していなくて、ホームに先払いで、全て収めてしまった夫の遺産が、万が一、足りなくなったらどうしようか、と心配し始めている。


 超高齢者を支えるのは、もはや子供でなく、孫の世代になりつつある今、赤ちゃんだった孫と長く同居していてさえも、難しいのに、このケースの場合は、同居に失敗しているから、この先が少々、不安でもある。


 一体何が幸せなのか、考えさせられる。夫が死ぬまで、本当に100パーセント幸せそうだった彼女の生活。でも、彼女は穏やかな人なので、不安があっても、何も言わない。俺なら、絶対、秘密を隠し通したまま墓場まで行く。彼女が気の毒に思える。なぜ?と思ったが、数年後、理由が判明した。


夫の弟が発症していたのはアルツハイマー。言ってはいけない秘密を暴露した時、既にその兆候が出始めていたのだろう。


(追記)最後の三行は後日、加筆されたもの。


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