絶滅未来博物館

カワシマ・カズヒロ

「箱舟は抽選制」



ラッシュはトムの一番の友達だった。

ラッシュは今年の7月4日で5歳になるダルメシアンのオスだ。

お気に入りの遊びはリビングで行われるボール拾いだ。

トムが黄色いボールを投げると、ラッシュはそれを全力で拾いに行く。


「それ! 行けよ! ラッシュ!」


トムは家族で撮った写真が収められた写真スタンドや造花を飾る花瓶を破壊しないように細心の注意を払って、黄色いボールを投げた。

ボールはバウンドし、部屋の隅に転がった。

ラッシュは嬉しそうに息を弾ませながらボールを追った。


母親のグレースは眉間に深い皺を寄せた。


「トム。ボール遊びはダメって言ったでしょ!」

「ごめんなさい」


トムは俯いた。


「次からはもっと別な遊びにして。良いわね?」

「はい。ママ」


その様子を見ていたトムの兄のボブは舌打ちした。


トムはボブを見て咄嗟にラッシュを自分の後ろに下がらせた。


「ママは本当にトムには甘いよな」

「ボブ……!」

「ウソだよ」


ボブはテレビの電源を入れ、アニメが放送しているチャンネルを探した。

グレースは溜息を吐き、夕食の準備に戻った。

トムは空気を呼んでママの手伝いに回った。

ラッシュはボブからいじめられない位置に行って寝そべった。


「良い子ねトム」


グレースはトムの頭を抱きしめた。

その表情は心なしか悲しそうだった。


「良いよ。別に。それより、今日の夕食は何?」

「ビスケットとポーク・ビーンズとミートボール」

「やったぁ! ミートボール!」

「ふふっ、トムは本当にミートボールが好きね」

「ママ。ミートボールの缶を開けるの、僕がやって良い!?」

「良いわよ」


グレースはクスクス笑いながらトムにミートボールの缶と缶切りを渡した。

缶は銀色で、円柱形をしていた。

缶の側面には中身がミートボール(12個)である事を示す簡素なラベルが貼られている。

トムはぎこちない手付きで缶切りを動かし、缶を開けようと頑張った。


「トム。怪我しないでよ」

「大丈夫だよ」

「ママのやり方を見て。もっと早く缶を開けられるわよ」


グレースはポークビーンズの缶詰めを手際良く開けた。


「えーっ、分からない」

「だからこうやるの。こう」


グレースは2缶目のポークビーンズの缶詰めを開けた。

2度目の缶開けはトムがじっくり観察できるように、ゆっくりとしたペースで行われた。

トムは目を皿にして缶と母親の手元を見た。


「分かった!」とトムは叫んだ。


だがやはりその手際はぎこちなく、開いたミートボールの缶の切り口は酷く歪だった。


「何か違うな……すごくヘンだ」

「上出来よ。後半は随分良くなってると思うわ」

「そうかなぁ」


トムは缶を傾けてミートボールを皿の上に移動させながら首を捻った。

グレースはトムからミートボールの乗った皿を受け取り、ラップをかけた。


「ママが言うんだから間違いなし」


グレースは電子レンジにミートボールの皿を入れた。







料理が全て完成した頃、玄関のドアが開く音がした。

父親のデイビッドが帰宅したのだ。

トムは父親を出迎えるためパタパタと玄関へ向かった。

ラッシュもその後を追いかけた。


「お帰りなさいパパ!」

「ただいま。良い子にしてたか?」

「うん。ママのお手伝いしてたよ」

「偉いぞトム。流石はウィンチェスター家の男だ。助け合いの精神はとても大事だ」


デイビッドは対放射線防護服を着たまま言った。

その声は防護服ごしであるために少々聞き取り難かった。

ラッシュはいつもの癖でデイビッドにまとわりつこうとした。

トムはラッシュを捕まえた。


「ダメだぞ、ラッシュ。そのままだ」

「良いぞトム。そのままラッシュを抑えておいてくれ」


デイビッドは防護服を慣れた手付きで防護服を脱いだ。

デイビッドは次に放射能除去クローゼットを開き、その中に脱いだ防護服を投げ入れた。

クローゼットの汚染された防護服を検知するランプが緑に点灯した。

クローゼットは自動的に閉まり、除染が轟音と共に始まった。


「よし。これでゆっくり休める」


デイビッドはトムを抱き上げた。

だが防護服を脱いだデイビッドはシャツとジーンズは汗でボトボトになっていた。

防護服の気密性と重さのせいだ。

トムは暴れた。

トムは7歳でかなり重くなっていたので、デイビッドは下ろさざるを得なかった。


「トム、悪かった。久しぶりにお前を抱っこしたかったんだよ」

「僕はもうチビじゃないよ」

「分かってるよ。もうやらないさ。次にやったら腰が折れそうだからな」


デイビッドは壁に掛かったタオルで汗を拭った。




リビングではグレースが料理を配膳している最中、ボブはアニメに夢中だった。


「ただいま。ボブ、グレース」

「お帰り」


ボブは一瞬だけ父親の方を向いて挨拶し、その後すぐにテレビの方に向き直った。


「お帰りなさいデイビッド。ってもう、何するのよ」


デイビッドはグレースの都合などお構いなしでキスをしにかかった。

グレースはキスが長くならないうちに彼を引き離した。


「だったらすぐに抵抗すれば良かったんだ」

「あなたは良いわよね。悩みとか無さそうで」

「そんな事は無いさ。なるだけ嫌な事について考えないようにしてるだけ」

「はぁ。もう良いわ。早く夕飯にしましょ」

「今日はミートボールだよ。パパ」

「良いね。パパもミートボールは大好きだ」


4人は食卓に着き、デイビッドが家族を代表して神への祈りを捧げた。

そして夕食が始まった。

料理はビスケットとポーク・ビーンズとミートボール。

飲み物はミルクだった。


「パパ。ラッシュにミルクあげて良い?」


トムがおずおずと父親に聞いた。

父親は目を瞑り、頷いた。


「ラッシュは大事な家族だもんな。良いよ。あげても」

「やった!」


トムは台所から空の皿を取ってくると、自分の分の牛乳を皿に注いだ。

トムが牛乳の入った皿を床に置いてやるとラッシュはお行儀良くそれを舐めた。

デイビッドはトムのコップに自分の分のミルクを注いだ。

ボブは面白く無さそうな顔をした。


「ラッシュのエサは水だけで良いんじゃない?」

「どうしてそんな事言うんだよ!」


トムがボブに対して怒った。

ボブはそれを鼻で笑った。


「食料の生産量が減るかも知れないってニュースでやってたんだ。そのうちラッシュにやるエサなんか無くなるぞ。だったら今から水だけで生きられるように訓練してやるのが優しさって奴じゃないかな」

「減らないかも知れないじゃないか!」

「お前は本当にバカだな。第三次大戦なんか絶対に起きやしないって言われてたんだぞ。食料の配給だって絶対減るに決まってる。そうだろ。パパ?」


ボブは父親に同意を求めた。

デイビッドのそばまで行き、ボブの肩に手を乗せた。

そして優しく声をかけた。


「ボブ。明日の事は分からない。だが今日という日を生き延びられた。その事を神様に感謝しよう」

「分かったよ。パパ……」

「何、大丈夫。そのうち家にもノア2行きの順番が回って来るさ」

「ジョニーの家みたいに?」

「ジョニーの家みたいにさ。ある日、突然来るんだ」

「本当? 何時!?」

「何時!?」


ボブは勿論、トムも興奮した。

デイビッドはグレースに視線を送った。

グレースは「肝心なところでダメな人ね」という顔をした。


「ノア2に行くためのの抽選は毎日やってるけど、ここのところボブもトムも悪い事をしてるからどうなるか分からないわね……」

「じゃあ、ボブと僕がしばらく良い子にしてたら当たるかな! 明日から良い子にしようよボブ!」

「そういう下心があるうちはダメね」


グレースとデイビッドはクスクス笑った。








それからしばらくの間、トムは良い子にしていた。

ラッシュが黄色いボールを鼻で転がしながら擦り寄ってきても、ボール遊びに応じる事は無かった。


「ダメだぞ。ラッシュ。あっちで大人しく遊んでろ。僕は今掃除してる途中なんだ」


トムは掃除機の進路上を塞ぐラッシュに命令した。

ラッシュはすごすごとリビングを出て行った。

トムは掃除を再開した。

ボブはトムを嘲った。


「お前は本当にバカだな」

「何だよ。ボブ。ノア2には行きたくないのかよ!」

「勿論、行きたいに決まってる」

「窓拭きはどうなったんだよ」

「もう終わった」


それは明らかにウソだった。

ボブが母親から渡された雑巾は濡れてすらいなかった。

ボブは椅子の上に行儀悪く座りながら、テレビを見ていた。

トムは地団駄を踏んだ。


「ボブのせいで家族皆がノア2に行けなくなったらどうするんだよ!」

「良い子にしてなくったってノア2には行けるさ」


テレビではノア2の抽選発表をやっていた。

陽気な司会者が青い地球の3Dモデルをバックに当選世帯の住所と名前を次々と読み上げていた。

BGMはエルヴィス・プレスリーの「ア・リトル・レス・カンバーセーション」で曲の終わりに近付くとループした。


「パパとママの会話を聞いたんだ。夜に。3ヵ月後だってさ」

「3ヶ月も?」

「パパはノア2の技術者なんだ。だから最後の方まで残らなきゃいけないんだってさ」

「そんなぁ……」

「3ヶ月は長いよな。だから適当にやっときゃ良いんだよ」


ボブは狡賢そうな微笑を浮かべた。


「でも」

「まぁ、どうやって過ごすかはお前が決めたら良いんじゃないか?」


トムは掃除機の電源を切り、リビングを出た。

トムはラッシュを呼んだ。

2階にある自分の部屋にラッシュと一緒に戻るためだ。

ラッシュはすぐにトムの下に走って来た。

トムは自分の部屋のベッドに寝そべり、落ち着き無くその場をくるくる回るラッシュを眺めた。


「なぁ、ラッシュ。僕はどうしたら良いと思う?」


ラッシュはくるくる回るばかりだった。


「なぁ、ラッシュってば」


トムはラッシュを抱き寄せた。

その時、トムはラッシュの足にガムテープが巻きついているのを発見した。

トムはガムテープを剥がしてやろうと四苦八苦した。

しばらくして2階での騒がしい音を聞きつけたグレースがトムの部屋のドアをノックした。


「トム。何かあったの?」

「ラッシュにガムテープがくっついて取れないんだ」

「ボブね」

「多分」


グレースは「またか」と肩を竦めた。

グレースはトムの部屋の隣にあるボブの部屋に向かった。

トムはボブが震え上がる事を期待した。

トムは壁の近くに立ち、ボブとママの会話を盗み聞きした。


「ボブ。ラッシュになんて事するの!」

「ごめんなさい」


トムは手を振って喜んだ。

トムは「ボブの奴、ザマ見ろ!」と思った。

だがボブの捨て台詞がトムの逆鱗に触れた。


「良いじゃん。あんな可愛いくない犬。ダルメシアンじゃなくてゴールデン・レトリバーだったら僕もちょっとは可愛がってやったかも知れないけどさ」


トムは急いでボブの部屋に行き、ボブを突き飛ばした。


「ラッシュに謝れよ!」

「ウゼェな! 一々突っかかって来やがって! お前ムカつくんだよ!」


2人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。


「2人とも! ダメよ喧嘩なんて!」


グレースはすぐに2人の間に割って入った。

ボブは母親の制止の手を掻い潜り、トムの腕をつねった。

トムは負けじとボブの手を殴った。


「誰が謝るか!」

「ラッシュに謝らなかったらお前の部屋をぐちゃぐちゃにしてやる!」

「ダメだって言ってるでしょ!」


グレースは無理矢理2人を引き剥がした。

ボブもトムも流石に大人の力には勝てなかった。

ボブは勉強机の椅子に座らされ、トムは自分の部屋に戻らされる事になった。


「今あった事は後でパパにも聞いて貰うわ」

「はい……」


2人は揃って項垂れた。

そしてグレースの宣言通り、食事の後に家族会議が開かれた。




デイビッドが落ち着いた声でボブに聞いた。


「どうしてラッシュを苛めるんだ?」

「だってラッシュはムカつくんだもん」

「例えば?」

「ウンコの臭いとか」

「臭いか。まぁ、確かに臭い時もある。だけどパパのウンコだって臭い時、あるだろ?」


ボブとトムは吹き出した。

グレースは吹き出すのを我慢した。


「ラッシュもそれと同じだと思えば良い。できるな?」

「はい……」

「それからトム。ボブのためにラッシュがヘンなところでウンコをしないようにマメにトイレに行かせてくれ」

「うん」


だがボブはその後もラッシュに対する嫌がらせをやめなかった。

嫌がらせの動機と嫌がらせは複雑化し、ボブとトムのラッシュを巡る攻防は激化の一途を辿った。








兄弟の戦いが終わったのは掴み合いの大喧嘩が行われた日から約3ヶ月後の事だった。

帰宅したデイビッドが神妙な面持ちで家族の顔を見回した。


「皆聞いてくれ。いよいよ我がウィンチェスター家もノア2に行ける事になったぞ」

「やったぁー!」

「パパ! それ本当!」

「本当だとも。ちょっと急だが、明日出発だ」

「ええ!? まだ何も準備してないよ。マンガとかゲームとか」

「対放射線防護服さえあれば大丈夫よ」

「トム、お前は本当にバカだな。向こうに行けばマンガでもゲームでも幾らでもあるぞ」

「バカはボブの方だよ。ノア2につくまで退屈したら困るだろ?」

「良いよトム。好きなのを持って行け。ただしノア2に行くための施設に着いたら一旦捨てなきゃいけない事を忘れるな」

「じゃあ僕、マリオ持って行く」

「じゃあ僕はタートルズのコミックにしよう」

「はーい。じゃあ最後の晩餐と行きましょう」


食卓には何時になく豪華な食事が並んだ。

メインのカリカリに焼けた本物のベーコンと目玉焼き。

付け合せのポテトとニンジン。

デザートのオレンジ。

飲み物は本物のミルク。

いつもは缶詰めばかりだったのでボブもトムも、デイビッドまでもが大喜びだった。

ノア2行きの具体的な日程をグレースが事前に知っていたから出来た芸当だ。

デイビッドはさらにこっそり隠し持っていたワインも開けた。


「やだ。それ私が初めてのデートの時にあげた奴じゃない」

「君からの初めてのプレゼントだと思うと開けられなかったんだ」

「バッカじゃないの」

「君も飲むだろ」

「酸っぱくなってなければ飲んでも良いわよ」


デイビッドはワインを2人分のグラスに注いだ。

そしてそのうちの1つを手に取り、味見をした。


「大丈夫だ。いける」


デイビッドは手を付けていない方のグラスをグレースに渡した。


「じゃあ乾杯」

「僕もやりたい」

「僕も僕も」

「じゃあ皆で乾杯しよう。お前達にはコレだ」


デイビッドはペプシのボトルをドンと机の上に置いた。


「うわ! ペプシだ!」

「どこで手に入れたかって言うと」


デイビッドが来歴を説明する前にボブがペプシのボトルを開けてしまった。


「まぁ良いか。それじゃ、乾杯」

「待って。ラッシュにもミルクをあげなきゃ」


トムは空の皿にミルクを注いだ。

いつもの3割増しで、皿からはミルクが今にもこぼれそうになっていた。


「ラッシュ。おいで。今日のミルクはおいしいぞ」


トムがミルクの入った皿を床に置くと、デイビッドは再び乾杯を宣言した。


「楽園への移住を祝して、乾杯!!」

「乾杯!」


ウィンチェスター家の久しぶりのパーティーは大いに盛り上がり、夜12時を回るまで続いた。








翌朝早く、ウィンチェスター一家はノア2に向けて出発した。

全員、対放射線防護服を着込み対放射線防護処理をしたワゴンに乗った。

トムはラッシュの入ったケージとマリオを手に抱えていた。

ボブはボロボロになったタートルズのコミックを2冊持っていた。

2人は後部座席に乗った。

運転席にはグレースが座り、助手席にはデイビッドが座った。

トムが聞いた。


「今日はパパが運転するんじゃないの?」

「ママの運転はイヤ?」

「別に、イヤじゃないよ」

「じゃあ問題ないわね。トム、お外ではあんまりそういう事は言わない方が良いわよ。女の人だって普通に運転するんだからね」

「はい」

「じゃあ出発!」


ワゴンはゆっくりと、一家が住み慣れた家を離れた。

トムは後ろを向き、今まで住んでいた家の方を眺めた。


「もう帰って来ないんだね」


トムはポツリと呟く様に言った。


「そうね。見ておくなら、今のうちよ」


グレースはトムとボブに優しく言って聞かせた。


「うん」

「そうするよ」


トムは実際、段々と小さくなって行く家を見続けた。

ボブはコミックを読み続けた。

しばらくすると家は完全に見えなくなった。

代わりに住民がごっそりいなくなり、廃墟と化した町並みがトムの目に飛び込んできた。

ボブは怖くなってラッシュの入ったケージを抱き、俯いた。


「何もそんな怖がる事無いだろ。お化けが出るとでも思ってるのかよ」


コミックに飽きたボブが両手を突き出してトムを脅かした。

トムは怖がりながらもボブに抗議した。


「言うなよ。そんな風な事を言うとお化けが出てくるんだぞ」

「バカじゃないかお前。お化けなんかいやしない。捨てられたペットならいるかも知れないけどな」


ボブはラッシュの入ったケージに触れながらニタリと笑った。

トムはボブに触られまいとケージを左右に揺すった。

だがボブはケージを両手でガッチリと掴んだ。


「触るな!」

「何で触っちゃダメなんだよ」


トムは咄嗟に父親に助けを求めた。

トムは力を振り絞ってボブの手を振り払い、助手席にいる父親にケージを差し出した。


「パパ! パパが持ってて!」


デイビッドはトムからケージを受け取った。

そして、助手席のドアを開け、ケージを投げ捨てた。

ケージの中からラッシュが飛び出した。

トムは血の気が引いて行くのを感じた。


「パパ……!? どうして……!?」

「トム。もっと早く話しておくべきだった」

「何を……」

「ラッシュはノア2には行けない」

「何を言ってるんだよパパ。ママ、車を止めて。ラッシュを迎えに行かなきゃ」


トムは窓に頭を密着させ、ラッシュがまだその場にいる事を確認した。

だが、ラッシュはどんどん小さくなって行く。

車は止まるどころが益々スピードを増して行く。

トムはドアを開けようとした。

だがドアはロックされており、開けられなかった。

トムは窓を叩きながら叫んだ。


「ママ!」

「トム。ダメなのよ」

「ラッシュは家族なのに!」

「ラッシュは犬だ。だから人間の場合みたいにノア2サーバ──世界中の天才が集まって作った凄く大きなコンピュータだ──に意識をアップロードする事ができないんだ。もっと早く言っておくべきだった」

「ラッシュ、ラッシュ……」

「ノア2に着いたらまた新しいの買えば良いんだから泣くなよな。今度はゴールデン・レトリバーが良いけど」

「ボブ!!」


デイビッドはボブを殴った。

車内に鈍い金属音が反響した。

ボブは無傷だったがボブはデイビッドの暴力に竦みあがった。

デイビッドは沈痛な面持ちでトムを抱きしめた。

トムは暴れた。

だが、それは無駄な抵抗だった。


「すまなかった。トム。私達のことは幾らでも恨んでくれて良い。だがラッシュを追わないでくれ。私達と一緒にノア2に来てくれ」


トムには泣く事しか出来なかった。


「どうしてラッシュはこんな目に遭わなきゃ行けないの?」

「ラッシュは、僕達より少し運が無かったんだ。でも全てはちょっとした運なんだ。第三次世界大戦で大勢の人や動物がアッと言う間に死んでしまった。それに比べれば、僕達もラッシュも幸運だったと言えないか?」


トムは歯を食い縛りながら同意した。


「それにまだすぐにラッシュが死ぬと決まった訳じゃない。しばらくは生きられるかも知れない」

「本当に?」

「ああ。だから祈ろう。ラッシュの幸運を」

「分かった。祈るよ。ノア2に行っても」


トムは涙を拭おうとした。

だが、防護服を着ていたのでそれはかなわなかった。




























「地上に残されていた生体反応はそれで最後か?」


黒いボーリング玉の様な頭をした船長が青いボーリング玉の様な頭の副長に問いかけた。


副長は答えた。


「はい。第3惑星に残されていた生物はこの四足歩行の生物が最後です」


「間に合わなかったか。残念だ。もう少し早くこの星に到着していれば、この星に文明を築き上げた種族を我らの母なる大地に連れて行ってやれたのだがな」


船長は頭を紫色に変色させた。


「過ぎてしまった事を悔やんでも仕方ありません。彼らは、運が無かったのです」


副長は黄色いボールで遊ぶラッシュの頭を撫でた。






「箱舟は抽選制」終わり

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