なみだ

 水面に街灯が、車のライトが、月明かりが、遠くの漁船の明かりが、

ちかちかゆらゆらと反射している。


 さぁ、いよいよだ。

しかし改めてみると、その水の汚さである。

細かなプラスチック片、ペットボトル、ふやけた紙、ビニール袋、

清涼飲料水の缶、黒いゴムの欠片、ボロ布。

それでも仕方がない。

ざぁざぁざぁと波がそよいで、葦もゆれている。


アスファルトの階段をひとつづつ降りる。

四段目は半分で、五段目は完全に水の中だ。

靴の隙間からじう、と冷たい水が入る、靴下が濡れる。

進むともっと酷い、かなり心地が悪くなる。

裾が濡れる、膝が重くなる。

向こう岸の水生植物が見える。

あの草のすきまの暗闇には何があるのだろうか。

鴨が巣をつくっているのか、青大将が潜んでいるのか。

ベルトが浸かる。

靴底がぬるりとして、砂と泥と、おそらく藻があるのだな、と足先を考える。

シャツが空気を持ってぷくりと膨れる。

私はそれを手で押さえてぶくぶくと空気を抜いてやる。

いよいよ布が肌に張り付いて寒くなる、芯が冷える。

ずぶずぶと水がくる、体がゆう、と浮こうとする。

すこし波があって、わたしがゆらりとした。

 

首が沈む、顎が水につく。

波がどんどん近くなる。

襟足がいちばんぞおっとしたのではないだろうか。

昔からこのあたりを触られるのは好きではなかったなぁ、と思う。

もう反射した光はそれだけになって、水面は墨汁である。

さて、呼吸器官が沈むといよいよである。

鼻から気泡がぐぐうともれる。

耳がふさがれて音が曇る、すべての感覚が居眠りをしているように鈍くなる。

目は開けたままにしよう。

波がぐちゃととろけてすべて不明瞭になる。

でもまだ前髪がクラゲのように浮かんでいるから、もっと進む。

そして全身が水の中に入る。


そこで、ああこんなものか、といつも思う。

もう靴も、靴下も、襟足の不愉快さも忘れてしまった。

もっと深いところへ行こうと思う。

もしかしたらこのまま海まで流されて、漁船の網にかかるのではなかろうか。

脱げない服が鉛のようになって、どんどん揺れて、どんどん沈む。

ぶくぶくと泡がでなくなったら私が終わるのだろうか。

私が水になるのか、水が私になるのか。

息がいつまでつづくのか。

そんなことを、わたしはかんがえていた。


こうしていると、彼女が私を迎えにきてくれた。

彼女は私の手を引いて水から引っ張り上げて、

風邪ひくよ、などと言う。

困ったひとだと思う。

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