異文化交流 2 気候帯特有気象現象で強面体育教師を懲らしめちゃえっ!

午前八時二五分頃、豊中塚高校一年三組の教室。

和雪が自分の席に座ってくつろいでいると、

「ぃよう、かずゆき」

彼の中学時代からの数少ない親友、寺浦俊也がほぼいつも通りの時刻に登校して来て近寄って来た。丸顔で目は細め、背丈は一六九センチと普通だが、ぽっちゃり体格な子だ。

「おはよう俊也(しゅんや)」 

和雪は昨夕から今朝にかけての出来事のわだかまりを残しつつも、明るい声で挨拶を返してあげた。中学入学当時、俊也の出席番号は今学年同様、和雪のすぐ前だった。そのことと互いにアニメ好きだったことがきっかけで入学式の日から自然に話し合う機会が出来、お互い仲良くなったわけだ。

「俊也、姉ちゃんは俺とUSJでデートしたがってくるんだけど、俊也が代わりにしてやってくれないか?」

「ノーサンキュー。リアル姉は勘弁だ。かずゆきのリアル姉、アイドル声優としても通用するくらい顔はかわいいんだが」

 そんな会話を弾ませている時、

「おはよう俊也くん」

「……おっ、おはよう」 

 桜子に明るい声で挨拶された俊也は思わず目を逸らしてしまった。彼は桜子に限らず、三次元のリアルな女の子がよほど年上でもない限り苦手なのだ。かわいい女の子に話しかけられると緊張してしまうのは物心ついた頃かららしい。その性格が、彼が二次元美少女の世界にのめり込むようになった原因ではないかと和雪は推測している。

「やぁ、おはよう」

 ほどなく和雪のすぐ後ろの席の男子生徒も登校してくる。和雪にとっての親友は俊也と彼くらいなものだ。

「ひでのり、数Aと英語の宿題写させてくれへん? 分からんのばっかでほとんど白紙やねん」

 俊也はにこやかな表情でお願いしてみた。

「はいはい。喜んでぇ~」

秀則は快く応じ、自力で仕上げた宿題プリントを貸してあげた。

「サーンキュ」

「秀則、いい加減甘やかし過ぎは良くないぞ」

 こうしたやり取りを今までに数え切れないほど見て来た和雪は若干呆れ気味。同じ幼小中出身のため秀則のことは昔からよく知っている。つまり桜子にとっても古い顔馴染みというわけだ。フルネームは北之防秀則。公立中学入学当時から今に至るまで校内テストの総合得点で学年トップを取り続けている秀才君である。坊っちゃん刈り、四角い眼鏡、丸顔。まさに絵に描いたようながり勉くんな風貌な彼は、背丈は一五六センチと高一男子にしては低く、学年男子ワーストクラスだ。

「秀則くん、おはよう」

 桜子はそんな彼にもほんわか顔で明るく挨拶する。

「おっ、おはよう、ございますぅ」

 秀則は俯き加減で緊張気味に挨拶を返した。彼も俊也ほど重症ではないが、物心ついた頃から三次元のリアルな女の子を苦手としていて、小四の頃にはすでに二次元美少女の世界にどっぷり嵌っていた。しかしながら、秀則がそういった趣味を持っていることは、和雪は中一で秀則と小三以来の同じクラスになるまで気付かなかったのだ。

どうしようかな?

和雪は昨日の出来事を俊也と秀則には話そうかな、と思った。けれど、やはり信じてもらえるわけは無いだろうと感じ、黙っておくことに決めた。

八時半の、朝のSHR開始を告げるチャイムが鳴ってほどなく、

「皆さん、おはようございます。まだ六月上旬ですが、今日は朝から真夏のような暑さですね」

クラス担任で英語科の播野先生が半袖姿でやって来た。雪英の高一の時の担任でもあったお方だ。

背丈は一五〇センチちょっと。面長ぱっちり瞳。ほんのり栗色ミディアムボブヘア。二九歳の実年齢よりも若く見え、女子大生っぽさもまだ感じられるそんな彼女はいつも通り出席を取り、諸連絡を伝えて一時限目の授業が組まれてあるクラスへ移動していった。

 このクラスの今日の一時限目は家庭科。一年生が今学習しているのは保育の分野だ。

「このページを捲ると可愛らしい厚紙工作が迫り出してくる飛び出す絵本、皆さんも幼い頃に楽しんだと思います。遊び心があって懐かしいでしょ?」

 小顔でぱっちり瞳、ほんのり茶色な髪をフリルボブにし、お淑やかそうな感じの四十代女性教科担任はそれを教卓から、クラスメート達に向けて見せた。

あのハンカチ、厚紙工作どころか、生身の人間が飛び出したんだけど……。

「利川君、どうかしましたか?」 

「……あっ、いっ、いえ、なんでも」

 和雪はロダンの『考える人』のような格好をしていたため、教科担任に心配されてしまった。和雪の席は教卓に近いため目立ちやすいのだ。

 一時限目終了後。

「和雪くん、さっきの授業中深刻そうな顔してたけど、何か悩み事でもあるの?」

「いやぁ、何でもないよ」

 桜子が和雪の席へ歩み寄って来て、心配してくれた。

 同じ頃、和雪のお部屋では、

「カズユキくん、サクラコちゃんと本当に仲良さそうだね」

「交尾はもう済ませたのかな?」

「和雪お兄ちゃん、リアルにもいるなんて意外だね。クラス内での階級低そうなのに」

「和雪君、異性交遊関係はリア充ね」

「桜子さんはクラスに一人くらいいる、どんな冴えない男の子にも、たとえ正直気味悪いタイプであっても嫌がらず温かく接してくれる、心優しい女の子という感じがしますね。まさに大和撫子ですね」

 エスニック少女キャラ達が飛び出しベッドの上に座り込んで、テレビを眺めていた。

 和雪の学校での様子を、モニター越しに観察していたのだ。

「それにしてもこのハンカチは摩訶不思議だね。上空からの映像だけじゃなく建物内部の映像まで見られるなんて」

 ファリーダは感心気味に呟く。

「地球上の任意の地点のライブ映像を映し出すことが出来るってすごく便利ね。ストリートビューと、衛星カメラの合体版かしら?」

 バネッサは楽しそうに呟く。部屋ほぼ中央のローテーブル上に敷かれていた世界地図柄ハンカチ上の日本の北摂付近と、テレビ端子とが包装していた地球柄リボンで繋がれていたのだ。

「あっ、あのう、いいんでしょうか? 盗撮なんかして?」

 モニカは困惑顔でバネッサに問いかけてみる。

「……日本の法律的に、良くないとはわたくしも思いますけど、その、和雪君の学校での様子、もっと広げれば日本の高校生の学校生活が気になってしまって」

 バネッサは少し俯き加減になり、バツの悪そうに言い訳した直後、

――ドスドスドス。

と廊下を歩く足音が五人の耳元に飛び込んで来た。

「カズユキくんのウンムが来るようだね。みんな隠れて!」

 ファリーダは注意を促し、テレビの電源も切った。彼女を先頭に他の四人も素早く例のハンカチに飛び込む。

 一番動作の遅かったモニカが飛び込んで姿を消してから約二秒後に、扉がガチャリと開かれ、母が和雪のお部屋に足を踏み入れて来た。

「和雪ったら、こんなに散らかしちゃって。リボンまであるし……これ、和雪が気に入ってる世界地図柄のハンカチね。これも散らかしちゃって。もっと大事に扱わなきゃ」

 母はため息まじりに告げながら、床に散らばっていた世界地図柄のハンカチを小さく畳んで学習机の上に置き、掃除機をかけて部屋から出ていった。

「ウンム、畳んだら出にくくなっちゃうよ。ラバースアリック?」

 一階へ降りていったことが確認出来ると、ファリーダはハンカチからぴょこっと飛び出す。そしてハンカチをベッドの上に広げてあげた。

 すると他の四人もすぐに飛び出してくる。

「ファリーダさんに乗っかられてなまら重たかったです」

 モニカはホッとした表情で告げた。

「E・モニカ、一番重たそうなE・ファリーダに乗っかられるなんて災難だな」

「ワッ、ワタシ、そんなに重たくないよ。太ってないよ」

 マヒナに指摘され、ファリーダはむすぅっとなった。

「ラクダの瘤ん中みたいに脂肪いっぱいってキャラ設定になってるくせに」

「そんな設定ないもん!」

 ファリーダはそう主張して、マヒナの髪の毛を引っ張る。

「いたたたたたっ、やったな、E・ファリーダ」

 マヒナはファリーダのほっぺたをつねる。

「二人とも、興奮状態になるとより一層周囲の気温を上げちゃう設定になってるんだから、しょうもないことでケンカは止めましょうね」

 バネッサは優しくなだめてあげた。

「だってマヒナちゃんがぁー」

 ファリーダはつねられながら言い訳する。

「アタシ、E・ファリーダに温度では勝てねえけど湿度では圧勝出来るぜ」

 マヒナは髪の毛を引っ張られながら対抗する。

「そんなの、ワタシの乾燥体質で相殺出来るよ」

 ファリーダは得意顔で主張する。

 この部屋の室温はますます上がり、四〇℃以上にまで達していた。

「なまら暑苦しいですぅ~」

 モニカは純白ブラ&ショーツの下着姿で、和雪のベッドにうつ伏せ状態でぐったりしていた。

「暑ぅ~い。熱波が来た時のフィレンツェ以上だよ。モニカお姉ちゃん大丈夫?」

 クラリーチェは萌えアニメキャライラストのうちわを二柄手に取ると右手で自分に、左手でモニカに向けてパタパタ仰ぐ。

「二人とも、いい加減にしなさい。わたくし達、熱中症になっちゃうじゃない」

バネッサは不愉快そうな表情を浮かべ、二人の頭を今しがたケーナと呼ばれる縦笛楽器でコツンッと叩いた。

「いたぁ~っい。分かったよ、やめるよE・バネッサ」

「ワタシも大人気なかったな」

 すると二人はすぐにケンカをやめてくれた。バネッサのことを恐れているようだ。

「涼しくなって来てよかったです♪」

 最高46℃まで上がった室温も一気に20℃近く下がり、モニカはホッと一安心する。

「和雪お兄ちゃんのクラス、次は体育みたいだよ」

 クラリーチェによって再びテレビがつけられると、みんなはまたも画面に食い入る。

 和雪はすでに体操服姿でグラウンドに出ていた。

和雪達のクラスの二時限目、体育。今日は男女ともグラウンドで行われることになっていて男子はサッカー、女子はソフトボールだ。体操服もすでに完全夏用。男女とも同じ柄で、学年色黄色のラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと、青色ハーフパンツだ。

「なあ、かずゆき、ひでのり。おれ、今日買いたいCDあるから帰りに梅田のメイト寄ろうぜ」

「いいですねえ」

「姉ちゃんも大学の帰りによく梅田とかポンバシ寄ってるみたいだけど、今日は講義びっしり埋まってるみたいだし夕方ならたぶん遭わないだろうから俺も付き合うよ」

俊也、秀則、和雪。他男子が準備運動の腕立て伏せをしている最中、

「こらそこぉっ! おしゃべりせんと真面目にやらんかぁいっ!」

 背丈一八〇センチを越え筋骨隆々、強面な男子体育担当教師、鬼追(きおい)先生の怒号が。

和雪達三人はしぶしぶ会話をやめて、彼らなりに真面目に準備運動をこなしていく。

「あいつ、いつの間にあんな近くに。ほんま鬱陶しいわ~」

「僕達が準備運動中に注意されたのはこれで三度目ですね」

「鬼追先生はもっと偏差値が低くて問題児の多い高校に赴任した方が似合ってるよな」

 鬼追先生が遠くへ離れたのを確認すると、こんな愚痴を呟きながら。

「カズユキくんと、友人二人もあのぎこちない動きを見る限りスポーツは大の苦手みたいだね」

「そうだな。走り方からしても」

 ファリーダとマヒナは微笑み顔でコメントした。

ともあれ、和雪達が一周約二百メートルのトラックを気怠そうに二周走り終えた直後、

「あの、利川くん。悪いんだけどちょっといいかな?」

 突如、一人の女子生徒の呼び声が。

「えっ、俺」

 振り返るとそこには、和雪を呼んだ子ともう一人、

「和雪くん、保健室いっしょに付いて来て」

 桜子がいた。

「どうしたの?」

 和雪は心配そうに尋ねる。桜子は痛そうな表情をしていた。

「突き指しちゃって」

 桜子は左手人差し指を押さえながら伝える。

「そういうことだから、利川くんが連れて行ってあげてね♪」

 和雪を呼んだ子はウィンクまじりにお願いして来た。

「おっ、俺が、連れて行くの?」

「もっちろん♪ きみの彼女でしょ?」

「いや、そうじゃ、ないんだけど」

「いいから、いいから」

 その子に背中を押される。

「かずゆき、ついていってやれ」

「利川君、これは付き添うべきですよん」

 俊也と秀則からもにやけ顔でそう言われると、

「じゃあ、付いていって、あげるよ」

 和雪はちょっぴり緊張気味ながらも快く引き受けてあげた。

「ありがとう♪」

 桜子は嬉顔を浮かべる。

「あの、ちょっと、桜子ちゃんが怪我したみたいなので、保健室に連れて行って来ます」

和雪は鬼追先生に恐る恐る許可を取りに行ったあと、

「和雪くん、ごめんね。迷惑かけちゃって」

「べつにいいよ、気にしないで」

桜子と並ぶようにして歩いて保健室へ。

 辿り着くと、

「失礼、します。辻江先生、あの、この子が、体育の授業中に、突き指したみたいで」

 ちょっぴり緊張気味に保健室の、グラウンド側の扉をそっと引いて小声で叫び、先に中へ入った。

「辻江先生、失礼しまーす」

 桜子は申し訳なさそうに挨拶する。

「いらっしゃい」

 養護教諭、辻江先生は二人を笑顔で迎えてくれた。ぱっちり瞳に卵顔。さらさらした黒髪は黄色いりぼんでポニーテールに束ねている、三〇歳くらいの女性だ。

 今保健室には、この三人以外には誰もいないようだった。

「左手の、人差し指で」

桜子はソファにぺたりと座り込み、該当部位を辻江先生にかざす。

「軽い突き指だから、心配ないわ。利川君がこれ貼ってあげて」

 辻江先生は診察してアイシングを済ませたのち、微笑み顔で勧めて来た。

「俺が?」

「うん♪」

「和雪くん、お願いするね」

 桜子から照れ顔でお願いされると、

「わっ、分かった」

 和雪は辻江先生から受け取ったテーピングを桜子の左手人差し指に、緊張気味ながらも優しく巻いてあげた。

「和雪くん、ありがとう♪」

 桜子から満面の笑みでお礼を言われ、

「どういたしまして。じゃあ桜子ちゃん、俺、もう戻らなきゃ」 

 和雪は桜子から視線を逸らして照れくさそうにこう伝えて、保健室から出て行く。

「二人ともとても仲が良いわね」

 辻江先生はにっこり微笑んだ。

「はい。幼馴染同士ですので。では、私も失礼しまーす」

 桜子も嬉しそうに保健室をあとにする。

「カズユキくん、とても心優しい男の子だね。日本じゃ法律的に無理だけど、妻を複数持っても平等に扱ってくれそう」

「あたしも和雪お兄ちゃんに買ってもらえてすごく幸せ♪」

「桜子さん、お友達にも嬉しそうに伝えてますね」

 ファリーダ達は楽しそうに桜子のその後の動きを観察していると、

「こらっ! 利川。ぼけーっと突っ立っとらんとボール奪いにもっと積極的に動かんかいっ!」

 鬼追先生の怒号がファリーダ達の耳元にも飛び込んでくる。

 和雪が授業態度のことで説教されてしまっていたのだ。

「E・カズユキ、叱られてるみたいだな」

 マヒナはリモコンを操作し、映像を和雪の姿が映っている方に切り替えた。

「カズユキくんはカズユキくんなりに一生懸命頑張ってるのに、あの先生はアル=シャイターンだね。お仕置きしちゃえっ!」

 ファリーダはにやけ顔でそう呟くと、モニター画面に向かって両手をかざす。

『あちちっ! 何やこの風? いたっ! 砂まで飛んで来よったぞ』

 鬼追先生はびくりと反応して後ろを振り向いた。

「いい気味だね。サハラ砂漠の熱風、ハムシン攻撃。リビアではギブリ、ヨーロッパ側ではシロッコと呼ばれてる季節風だよ」

 ファリーダは得意げにほくそ笑む。

「あたしこの風嫌ぁ~い。次はあたしがあの怖いおじちゃんお仕置きするね。くらえっ! 梅雨のしとしと長雨♪」

「アタシのスコール攻撃ならもっとでかいダメージ与えられるぜ」

 画面に向かってクラリーチェは右手をかざし、マヒナはフゥゥゥーッと息を吹きかけた。

『なんでわしんとこだけ雨が?』

 鬼追先生はずぶ濡れに。

『なんかちょっと息苦しなって来たわ~』

 ほどなく鬼追先生の周囲一メートル以内だけ気圧が急低下した。バネッサが手をかざして攻撃を加えたのだ。

「標高四千メートル級の気圧に平然と耐えてるなんて、体育教師だけにタフね。モニカちゃん、ブリザード攻撃でとどめ差しちゃって。得意技でしょ?」

「あの、バネッサさん、かわいそうなので、ミナには、出来ないです」

「あらら。心優しいわね」

「モニカちゃん体温はすごく低いけど心は温かだね」

「あたしが台風攻撃でとどめ差すよ。マヒナお姉ちゃん、台風ちょうだい♪」

「OK.アタシのハリケーンをE・クラリーチェが受け取ったらその瞬間に台風だな」

マヒナは快く右手のひらを天井に向け、自然界では定義的にも起こり得ない超ミニハリケーンを発生させる。雲量はどんどん増え、十秒ほどで直径約五〇センチ、中心付近の最大瞬間風速八〇メートル以上にまで発達させた。

「温くてなまら不快な風ですね」

その端よりも離れた場所にいる他のみんなにも強風が届いた。黙読中だった雪英所有の青年コミックのページがバサバサ捲られ、髪も大きくなびいたモニカはなまら迷惑がる。

「完成させたよ。E・クラリーチェ。手を出して」

「グラーツィエ、マヒナお姉ちゃん」

マヒナが手渡した瞬間に一気に衰え直径三〇センチ程度に。

 クラリーチェはそれを画面内の鬼追先生に向かって投げつけた。

『突風まで吹いてきよった』

 鬼追先生にピンポイントで雨風がより一層強くなる。

「このおじちゃん、最大瞬間風速五〇メートル以上の風にも吹き飛ばされずに耐えれてるぅ。Bravo!!」

「温帯のE・クラリーチェは最盛期レベルはやっぱ維持出来ねえか」

「Si.これくらいが限界だよ」

「あいつ頑丈だし、アタシの本気、最大瞬間風速百メートル以上のハリケーン攻撃最盛期のまま食らわそうかな」

「マヒナちゃん、ワタシも本気出せば極々狭い範囲だけどその風速に匹敵する竜巻を発生させられるよ」

「E・ファリーダ、さすが砂漠気候属性だな」

「マヒナさん、ファリーダさん、さすがにその規模の気象現象はあの頑丈なお方に対してでも危険過ぎると思いますし、周りにいる子達や建物にも甚大な影響が及ぶかもなので絶対やめるべきです」

 モニカは困惑顔で注意する。

「それもそうだな。じゃあやめておこっと」

 マヒナはてへっと笑った。

「モニカちゃんの言う通りだね。クラリーチェちゃんの台風攻撃でもあの先生けっこうダメージ受けてるっぽいよ。もうこの辺で許してあげよう。もう一回ハムシン食らわせて服乾かしてあげなきゃね。それっ♪」

『あちちちっ! さっきからいったい何やねん?』

ともあれ和雪はあれ以降は、散々な目に遭わされた鬼追先生から注意されること無く体育の授業を終えたのだった。


         *


この日の放課後。和雪、俊也、秀則の帰宅部三人組は体育の授業中に打ち合わせた通り解散後すぐ、午後三時四〇分頃には学校を出て徒歩で最寄りの阪急電鉄駅へやって来た。

切符を買い改札を抜けホームへ上がり、ほどなくしてやって来た阪急宝塚線急行に乗り込んで、揺られること約12分。終点の梅田駅で降りた三人は人ごみを掻き分け改札口を出て、お目当てのアニメグッズ専門店へ立ち寄った。

 発売中または近日発売予定のアニメソングBGMなどが流れる、賑やかな店内。

 彼らと同い年くらいの子達が他にも大勢いた。

「あっ! これ、M○Sで今放送中のやつだ。ブルーレイのCM流してる」

 和雪は店内設置の小型テレビに目を留めた。

「おれ、このアニメのブルーレイめっちゃ集めたい。でも三話収録で八〇〇〇とかじゃ手が出んわー」

「僕達高校生にとっては高過ぎるよね」

「同意。おれ、このフィグマもめっちゃ欲しい。けど四五〇〇円もするんか。やっぱ高いなぁ。これまで買ったら今月分の小遣いすっからかんや」

俊也は商品箱を手に取り、全方向からじっくり観察し始める。

「買おう!」

 約五秒後、魅力にあっさり負け、購入することに決めた。

「寺浦君、清水の舞台から飛び降りましたねぇ。僕も欲しいグッズがあるのだよん。あのクリアファイル」

「おれも他にもあるぜ」

「俊也、秀則。衝動買いは程ほどにした方がいいぞ」

 和雪が爽やか笑顔で助言すると、

「かずゆきんち、こういうグッズ類リアル姉が買い集めてくれてるからいいよなぁ」

「僕もあんな感じのリアルお姉さんなら欲しいですよん」

 羨ましがられてしまう。

「まあ確かに姉ちゃんのおかげで俺はアニメグッズ購入費ほとんど使わずに済んでるけど。俺が欲しかったこの下敷きも買ってくれてたし」

 萌え四コマ漫画原作アニメのキャラ集合下敷きを手に取り、和雪は苦笑い。

そんな様子を和雪のお部屋から、

「カズユキくんったら、あんなテンプレートで量産型のアニメ美少女キャラに鼻の下伸ばしちゃって」

「アニメ美少女には容姿で劣っちゃうのは仕方ないわ。だからわたくし達は内面で魅力を出さなきゃね」

 ファリーダとバネッサはちょっぴり嫉妬心を抱きつつモニター越しに眺めていたのだった。

     ☆

夕方六時ちょっと過ぎ。

「ただいまー」

「おかえり和雪、お部屋はもっときれいにしなさいね」

「分かってるって母さん」

 和雪は帰宅後、手洗い、うがいを済ませて二階に上がり、

いるわけ、ない、よな? 

恐る恐る自室の扉を開くと、

「マルハバ! カズユキくん」

「エ コモ マイ。E・カズユキ」

「Moi! С приездом! 和雪さん」

「Bentornato! 和雪お兄ちゃん」

「Hola! 和雪君」 

 エスニック少女キャラ達がみんな揃って爽やかな表情で出迎えてくれた。

「……夢じゃ、無かったのか。昨日の、出来事は……」

 和雪は顔を強張らせる。

「だから現実だって。E・カズユキ、もう認めちゃいなよ。アタシ達は非実在と実在の二面性を持っているのだ」

 マヒナが肩をポンポンッと叩いてくる。

「わっ、分かった。認めるよ、もう」

 和雪はついに観念してしまった。その方が精神的にずっと楽だと感じたからだ。

「カズユキくん、今日、体育の先生に叱られたでしょ?」

 ファリーダににやけ顔で言われ、

「よくあることだけど、なんで知ってるの!?」

 和雪は当然のように驚く。

「これでカズユキくんの学校生活を覗いてたんだよ」

 ファリーダはテレビ画面を指し示す。和雪の通う学校校舎の映像が映し出されていた。

「いつの間にそこにカメラ仕掛けたの?」

「カメラは仕掛けてないわ。このハンカチには、地球上の好きな場所の映像を映し出せる技術が組み込まれてるみたいよ」

 バネッサが説明を加えると、

「どういう原理で、こんなことが?」

 和雪はかなり驚いている様子だった。エスニック少女キャラ達がハンカチ内から最初に飛び出した時と同じくらいに。

「それが、わたくしにもよく分からないの」

 バネッサは照れ笑いする。

「……これ、非常にやばくないか? 盗撮だろ」

「和雪さんもそう思いますよね?」

 モニカは同意を求めてくる。

「そっ、そりゃそうだろ」

「E・カズユキ、これでE・サクラコって子のおウチ内部も見られるぜ」

マヒナはそう伝えるとリモコンボタンを操作し、映像を切り替えた。

「こっ、これは――」 

 和雪は思わず顔を画面に近づけた。桜子のお部屋の一角の映像が映し出されたのだ。

 ピンク地白水玉模様のカーテンで、水色のカーペット。窓際に観葉植物。学習机の周りにはケーキ、ドーナッツ、アイスクリーム、いちご、みかん、バナナなんかを模ったスイーツ&フルーツアクセサリーやオルゴール、着せ替え人形。ゴマフアザラシ、モモンガ、コアラなどの動物やゆるキャラの可愛らしいぬいぐるみなんかがたくさん飾られてある、じつに女の子らしいお部屋だった。何度か桜子のお部屋を訪れたことのある和雪には特に目新しくは映らなかったが、こんな視点で観察したのはもちろん初めてのことだ。

「E・カズユキ、好きな女の子がおウチでどんな風にして過ごしてるか知りたいでしょ?」

 マヒナはにやっと微笑む。

「ダメダメダメ!」

 和雪は冷静に判断する。

「あっ、サクラコちゃんっていう子、今から降水をもたらすみたいだよ」

 ファリーダは画面を食い入るように見つめる。 

「どわあああああああっ、ダッ、ダメダメダメッ。法律的に」

「カズユキくん、見たくないの? 高校生くらいの男の子って、こういうのにすごく興味があるかと」

「ない、ない、ない、なぁーっい!」

 和雪は慌ててテレビの電源を切った。また映像が切り替わり、トイレで下着を脱ぎ下ろしている桜子の姿が映し出されていたのだ。桜子の穿いていた水玉模様のショーツを、和雪はほんの一瞬見てしまった。

「あーん、もっと観測したかったのにぃ」

「アタシもーっ。降水量気になるよね」

 ファリーダとマヒナはふくれっ面で駄々をこねる。

「これは、プライバシーの侵害だよ」

「ぺルドン和雪君、わたくし達、世界の人々の暮らしと環境について好奇心旺盛な性格設定になってるもので。これからは必要最低限の生活面だけを観測するようにするね」

 和雪に困惑顔で注意され、バネッサはスペイン語も交えて申し訳なさそうに謝る。

「いやぁ、全く見なくていいんだけど」

 和雪は対応に困ってしまう。

「カズユキくんのお部屋の環境、もっと知りたい欲求に負けて勝手に調べさせてもらったよ。面白い漫画やラノベ、けっこう持ってるね。ワタシも漫画やラノベ大好きだよ」 

「E・カズユキって、リアルな女の子の裸が載ってるエッチな本は一冊も持ってないんだな。ベッドの下も隈なく調べたんだけど、収納ケースが置いてあって、中に服とアニソンCDとゲームが入ってただけだし。男子中高生必須のアレする時に使うビジュアルは二次元の女の子のみってわけだな」

「カズユキくんは健全だね。いい子いい子。カズユキくんは中学の卒業アルバムによると誕生日が日本の祝日、文化の日な十一月三日で、サブカル趣味にも嵌ってるから文化的で日本人らしい日本人だね。武士道は備わってないけど。でもブシ○ードの作品は好きみたいだね」

 マヒナとファリーダは機嫌良さそうに話しかけてくる。

「……あのう、あんまり俺の部屋、荒らさないでね」

 和雪は悲しげな表情で注意しておく。

「和雪お兄ちゃん、このテレビ、テレビ番組は見れなかったよ。どのチャンネルに変えても受信出来ませんって出た。これじゃあイタリアでも大人気のド○えもんもクレ○ンしんちゃんもちび○る子ちゃんも妖怪○ッチも見れないよぉ」

 クラリーチェは和雪のポロシャツの裾をぐいぐい引っ張りながら不満そうに伝えた。

「そりゃあ放送用のアンテナ繋いでないからね。このテレビはDVD・ブルーレイ視聴とテレビゲーム専用なんだ。繋ぐのは大学合格してからって母さんと約束してる。姉ちゃんの部屋のは繋がってるよ」

 和雪は素の表情で伝える。

「それじゃ和雪お兄ちゃん、雪英お姉ちゃんのお部屋みたいにさせてもらえるように、お勉強頑張らなきゃいけないね」

「うっ、うん」

 クラリーチェににっこり笑顔上目遣いで言われ、和雪はちょっぴり照れくさがる。

 まあ、テレビ番組見れない現状でも特に不満はないんだけど……リビングで見ても母さん特に何も言わないし。

「E・カズユキ、E・サクラコ今からお風呂に入るみたいだぜ」

 マヒナは和雪が他の事に意識が移っていたのをいいことにまたテレビをつけ、桜子のおウチ内部を観察していた。

「うわっ、こらこらっ、ダメだろ」

 今度は桜子が脱衣場で服を脱いでいる様子が映し出されていた。桜子のブラジャー姿を一瞬見てしまった和雪は慌てて主電源を消し、マヒナの頭をパシンッと叩く。

「いたたたっ、ひどいよE・カズユキ」

 マヒナが頭を押さえながらそう言った直後、

「和雪ぃー、晩ご飯よぉー。今日利川先生、職員会議で遅くなるからいらないって。雪英も七時半頃になるって」

 一階から母の呼ぶ声が聞こえてくる。

「分かったーっ。すぐ行くよ」

 和雪は大声で返事をしたのち、

「桜子ちゃんがお風呂入ってるとこ、絶対覗いちゃダメだよ」

 ファリーダの方を向いてこう念を押し、部屋から出ていった。

「男の子からそんなこと注意されるって、変な気分だよね」

 ファリーダはにこっと微笑む。

「これはチャーンス! E・サクラコの入浴シーン、思う存分覗くぞーっ」

 マヒナは嬉しそうに叫んでテレビをつけ、桜子のおウチの浴室を映し出した。

 ちょうど桜子が風呂イスに腰掛け、長い髪の毛をシャンプーでこすっている最中だった。

「おう、E・サクラコ下の毛がけっこうもっさり生えてジャングルになりかけてるじゃん。E・カズユキはまだステップだったぜ。アタシは砂砂漠だけどな」

「桜子お姉ちゃん、おっぱい大きいね」

「ナイスバディだね、サクラコちゃん」

「羨ましいわぁ~」

 クラリーチェとファリーダとバネッサも画面に食い入る。桜子は自分の体をバスタオルで隠すことなく全裸姿だったのだ。

「皆さん、やめた方がいいですよ」

 モニカは困惑顔で再度注意するも、

「大丈夫だってE・モニカ。E・モニカもいっしょに見ようぜ」

「モニカちゃん、同性なのだからよろしいでしょ?」 

「今ちょうど体洗ってるいいところなのに。ワタシは浸かる時は塩をいっぱい入れて死海状態で入るのが一番落ち着くなぁ」

「モニカお姉ちゃん、眺めてると桜子お姉ちゃんといっしょにお風呂入ってる気分になれるよ」

 他の四人はこう言い訳して尚も画面に集中する。

「ねえ、皆さん……今すぐ、そういうдурак(ドゥラーク)なことはやめなさい!」

 モニカは眉をへの字に曲げて、なかなか流暢なロシア語も交えて少し強めに言った。

 すると次の瞬間、

「ミッ、ミスクーズィ、ミスクーズィ、ミスクーズィ、モニカお姉ちゃん」

「ひいいいいいいい、エ カラ マイE・モニカ」

「ロシエント!」

「アッ、アナアーシファ」

 他の四人は皆びくびく震えながら慌てて謝った。マヒナはとっさにテレビの電源を消す。クラリーチェは泣き出してしまった。モニカの顔が今しがた、ノルウェーの画家テオドール・キッテルセン(1857―1914)によって描かれた『森のトロール』の顔に急変化したのだ。しかも元の顔の大きさの五倍くらいまでふくれ上がっていた。モニカの顔はそれから瞬く間に何事も無かったかのように元の可愛らしいお顔へと戻った。

「ミナは、怒りがある程度上昇すると、こんな風になっちゃう設定になってるんです。和雪さんには絶対こんな醜い姿見られたくないです。穴があったら入りたいよぅ」

 モニカはとても照れくさそうに、顔を真っ赤に火照らせながら呟いた。

「「「「…………」」」」

 モニカの恐ろしい風貌を見てしまった四人は、すっかり反省したようである。

それから四〇分ほどのち、

「覗かなかった?」

夕食を取り、風呂にも入り終えた和雪が自室に戻って来た。

「あの、和雪さん。この人達、みんなで桜子さんのお風呂、覗いてましたよ」

 モニカは困惑顔で、四人を指し示しながら告げ口する。

「やっぱり……」

 和雪はムスッとなった。

「E・カズユキ、すまんね。もう金輪際やらねえから。たとえ裾礁が環礁になるくらい長い時間が経とうとも」

「アナアーシファ、カズユキくん。サクラコちゃんがオアシスに浸かるところ、どうしても見たくって」

「和雪君、もう二度とやらないから。わたくし、次こういうことしたらわが身を生贄に捧げるわ」

「和雪お兄ちゃん、ミスクーズィ」

 四人は和雪の方を向いて深々と頭を下げた。

「和雪さん、ご覧の通り皆さんは大いに反省しているので、許してあげて下さい」

 モニカは和雪の目を見つめながら頼み込む。

「まっ、まあ、いいけど。今後は、絶対やらないでね」

和雪はこう忠告して学習机の前に立つと、学習机に貼られた時間割表を眺めながら明日行われる授業の教科書・副教材、ノートを通学鞄に詰めていく。

その最中に、和雪のスマホ着信音が鳴り響いた。今放送中の深夜アニメのED主題歌だった。電話がかかって来たのだ。

「桜子ちゃんからか」

 番号を確認すると和雪はこう呟いてベッドに腰掛け、通話アイコンをタップする。

「もしもし」

『あっ、和雪くん。今日はありがとう。すごく嬉しかったよ♪』

「どういたしまして。怪我は、大丈夫?」

『うん、痛みも引いたからもう平気。和雪くんが手当てしてくれたおかげだよ♪』

「いやぁ、それほどでも。じゃっ、じゃあ俺、そろそろ切るね」

『あっ、待って和雪くん』

「なっ、何?」

『今から世界地図柄のハンカチ見に行くね』

「えっ! それは、ちょっと。今日はおウチで安静にしてた方が……」

『もう平気だよ。それじゃ、今から行くねー』

 そう伝えられ、電話を切られてしまった。

「ねえカズユキくん」

「うわっ!!」

 和雪はかなり驚く。すぐ横にファリーダがいたからだ。

「サクラコちゃんと、いっしょにお風呂に入ったこともあるよね?」

 ファリーダがにやけ顔でこんな質問をすると、

「ないよ」

 和雪は俯き加減で即答した。

「怪しい」

 ファリーダは顔をぐぐっと近づけてくる。

「あの、今から桜子ちゃん来るから、みんなは隠れてて。姿見られたら説明に困るし」

「ハサナン」

「Хорошо.」

「和雪お兄ちゃん、ハンカチの中に戻っておくね」

「今んところはそうした方が良さそうだな」

「わたくしは姿を見られても問題ないと思うけど……」

エスニック少女キャラ達は快く世界地図上の適した位置へ飛び込み姿を消した。

 それから一分も経たないうちに、

「和雪くん、こんばんは」

 桜子がこの部屋を訪れて来た。

「……いらっしゃい」

 和雪は緊張気味に招き入れる。

「和雪くん、世界地図柄のハ……あっ、これだね。やっぱ恰好いいね」

 桜子はローテーブル上に広げられていたのを楽しそうにじっくり眺め、こんな感想を抱いた。

「俺も、同じように感じたよ」

 和雪は全身から冷や汗が流れ出ていた。

「あの、和雪くん」

「なっ、何?」

「その……今度の土曜、明後日だけど、いっしょにショッピングに行こう」

「えっ!」

 桜子からの突然の発言に、和雪はどきっとした。

「あの、今日の、お礼がしたくて……」

「あっ、そっ、そう。それじゃ、いっ、いいけど」

デートの誘いなんじゃないのか? これ。

 和雪はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けてあげると、

「それじゃ、また明日ね。和雪くん、おやすみー」

 桜子は満足げにこの部屋から出て行ってくれた。

「おやすみ」

 和雪はホッとした気分で見送る。

「雪英ちゃん、また明日」

「またね、桜子ちゃん♪」

桜子が目下ダイニングで夕食中の雪英にもご挨拶して、玄関から外へ出て行ったのが確認出来ると、

「E・サクラコ、かわいいだけじゃなく性格もめっちゃ良さそうだな」

「桜子さんは純真無垢なお方のようですね」

「あんなかわいい子と親しく出来てるなんて、カズユキくんは幸せ者だね」

「あたしのお姉ちゃんに欲しいなぁ♪」

「和雪君、他の男の子に略奪されないようにしなきゃダメよ」

 エスニック少女キャラ達が飛び出してくる。

「みんなハンカチ内に戻っててくれてありがとう」

「カズユキくん、今からサクラコちゃんとのデートプラン考えようよ」

 ファリーダは顔をぐぐっと近づけてくる。

「べつにそれは、考えなくても……誘って来たのは桜子ちゃんの方だし」

「それはラーだよカズユキくん、カズユキくんがエスコートしてあげなきゃサクラコちゃんに嫌われちゃうよ」

「あたしもついて行って国際交流した~い」

「クラリーチェさん、デートの邪魔はダメですよ」

「それもそうだね。和雪お兄ちゃんと桜子お姉ちゃん、二人っきりで楽しんで来てね」

「E・カズユキ、E・サクラコとハネムーン楽しんで来なよ」

 マヒナはにやにや笑っていた。

「定義上無理だから。あっ、あのさ、バネッサちゃん。昨日、地図帳から民族衣装を取り出してたけど、他の教材からも、写真や図に載ってるやつを取り出せるの?」

 和雪は話題を切り替えようと、バネッサの方に話しかけた。

「Si.もちろん出来るわよ。ちょっと教科書借りるね」

 そう自信たっぷりに言うとバネッサは、化学基礎の教科書カラー口絵を開いて手を突っ込んだ。そして中から、金の延べ元素記号Auを取り出した。

「うわっ、E・バネッサ凄ぇ。本物だ」

「バネッサお姉ちゃんBravo!」

「バネッサちゃん、マジシャンみたーい」

 マヒナ、クラリーチェ、ファリーダはパチパチ大きく拍手する。

「あれ? でも中の写真はそのままだ」

 和雪は不思議そうにその教科書を見つめる。

「わたくしが取り出したものは、コピーされたものだからよ。何度でも複製出来るの。わたくしがこんな技を使えるのは、インカ帝国の伝説の太陽神、インティが授けてくれた力のおかげよ。キャラデザさんの設定によると。続いて英語の教科書から、登場人物のアメリカ人のボブ君を取り出してみせましょう」

バネッサは得意げな表情で、今度は英文読解用の教科書に手を突っ込む。

数秒後、

「Ouch!」

 中から男性の叫び声がした。

次の瞬間、クリーム色の髪の毛が飛び出て来た。

バネッサがさらに引っ張り上げると顔、首、胴体、足も姿を現す。

バネッサは本当にボブ(Bob)という登場人物を取り出して来たのだ。

「What‘s happen? Where’s here? Why am I here?」

 引っ張り出されたボブは周囲をきょろきょろ見渡す。彼はとてもびっくりしている様子で、かなり戸惑ってもいた。

「やっぱ英語か」

 和雪は冷静に突っ込む。彼はあの光景を先に目にしているので、もはやこんなことが起こってもあまり驚かなかった。

「大丈夫だよ。ボブはきっとこのテキストの範囲を超える用法は使用してこないから。英語の得意な日本人高校生よりもボキャブラリーは少ないと思うよ」

 ファリーダは推察する。

「Who are you?」

 ボブはエスニック少女キャラ達と、和雪のいる方に目を向ける。

「アロ~ハE・ボブ。O Mahina ko‘u inoa.I am Mahina.」

「ボブおじちゃん、はじめまして。あたしの名前はクラリーチェです。小学四年生、九歳です。趣味はお絵描き、特に好きな食べ物は日本料理と中華料理と地中海料理です」

 マヒナとクラリーチェは嬉しそうに自己紹介した。

「クラリーチェちゃん、ボブは老けて見えるけど、ワタシやカズユキくんと同級生ってことになってるよ。おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんって呼んであげた方がベターかも」

 ファリーダは笑顔で伝える。

「そっか。ミスクーズィ、ボブお兄ちゃん」

「Oh! very cuty girl! I‘m very happy to meet you.」

 上背一八〇センチくらいあるボブは中腰姿勢でクラリーチェの顔を眺めながらそう叫び、目を大きく開いた。

「ねえ、ボブお兄ちゃんさっき何って言ったの?」

 クラリーチェは興味津々に尋ねる。

「とてもかわいい女の子だね、キミと会えてボクはとても幸せだよ。だって」

 マヒナがにこにこ顔で教えてあげた。

「わぁーっ、嬉しいなーっ! あたしも幸せーっ♪」

 クラリーチェは満面の笑みを浮かべる。

「Clarice,I fell in love with you at first sight.Shall we dance and s○x?」

 ボブはこう告白すると突然、クラリーチェにガバッと抱きついた。

「……いっ、いやあああっ。こっ、怖ぁい、このおじちゃん」

 押し込まれ壁際に追い込まれたクラリーチェは途端に怯え出す。

 ボブにほっぺたをぐりぐり引っ付けられて、さらには耳元にフゥーッと息を吹きかけられたのだ。

「おい、何してるんだよ」

「ボブ君、クラリーチェちゃん嫌がってるからやめなさい!」

 和雪とバネッサは慌ててボブの背後に詰め寄る。

「Get out of the way!」

「きゃぁんっ!」

「いてっ、強いな、こいつ」

 瞬間、ボブに蹴り飛ばされてしまった。バネッサはしりもちをついたさい、けっこう可愛らしい悲鳴を上げた。

「Bob,Stop body contact to Clarice at once.」

 マヒナは穏やかな口調で注意した。

「No way!」

 けれどもボブは聞き耳持たず。

「In place of Clarice,Hug me.」

「I’m not interested in middle age‘s woman like you at all.You are,so to speak,foolish Chimpanzee.」

 ボブは腐った生魚でも見るかのような目つきで、命令して来たマヒナに向かって言い放つ。

「失礼だな、このロリコン。おまえのような年増には全く興味ないね。おまえはいわば、おバカなチンパンジーだ。だって」

 マヒナはアハハッと笑うもちょっぴり怒りが沸いたようだ。

「I‘ll marry Clarice in the near future.If the sun were to rise in the west,I wouldn’t change my mind.」 

 ボブはスキンシップをやめようとはしない。

「やめてやめてやめてぇぇぇぇぇぇぇ~」

 クラリーチェは大声で泣き叫ぶ。

「ボクは近い将来、クラリーチェと結婚するんだ。仮に太陽が西から昇っても、ボクは決心を変えないよ。だってさ」

 マヒナが苦笑いで解説すると、

「マヒナちゃんはまだまだ子どもだよ」

 ファリーダも怒りが沸いた。ぷっくりふくれる。

「あっ、あのうボブさん。クラリーチェさんとても怖がっているので……」

モニカも彼の暴挙を止めさせようと説得に加わる。

「Really? Clarice,please don‘t be afraid to me.If you marry me,I‘ll buy anything you want to.」

 ボブは一応、日本語も理解出来ているようだった。彼はクラリーチェに優しく微笑みかける。

「ボブおじちゃん、早くやめてぇぇぇぇぇぇぇーっ!」

 しかし逆効果。クラリーチェはますます大泣きしてしまった。

「Why?」

 ボブはハハハッと陽気に笑いながら問いかけ、再びクラリーチェに頬を引っ付ける。

「ロリコンのE・ボブ、E・クラリーチェいじめちゃダメだぞ」

 マヒナはこう注意すると直径三十センチくらいのココヤシの実に変身し、ボブの脳天にゴンッと直撃させた。

「Ouch!」

 ボブに衝撃が走る。両目が☆になった。

「引っ込め! 引っ込め!」

 マヒナは元の姿に戻ると英語の教科書を素早く拾い上げ彼のいたページを開く。そしてボブの脳天に押し付け、中へ戻してあげた。

「あぁん、すごく怖かったよぉぉぉ~。グラーツィエ、マヒナお姉ちゃぁぁぁーん」

 クラリーチェはえんえん泣きながら礼を言い、マヒナにぎゅぅっとしがみ付く。

「Kipa aloha♪」

 マヒナは上機嫌なにこにこ顔だ。 

「ボブって奴、教科書本文にはBob is the kindest boy in our class.って書かれてあるけど全くの嘘だったな」

 和雪は苦笑いを浮かべていた。

「マヒナちゃん、英語圏出身だけに英会話もペラペラね」

 バネッサは感心気味に呟く。

「ワタシはボブ君みたいなラム肉食系の男の子は苦手だな。カズユキくんみたいなモロヘイヤ食系がいい♪」

 ファリーダはそう告げて、和雪の手をぎゅっと握り締めた。

「えっ、あっ、あの……」

 和雪の頬は唐辛子の実のごとく赤くなる。

「カズユキくん、照れてる。かわいい」

 ファリーダはにこっと微笑みかけた。

「そっ、そんなことないって」

 和雪は必死に否定しようとする。

「和雪君、しぐさでバレバレよ。あの、英語の教科書にもう一人出てくるイギリス人男の子キャラ、トム君も引っ張り出してみようかしら? handsome boyって書かれてあるから」

 バネッサは微笑みながら問いかける。

「バネッサお姉ちゃん、もう止めてっ! また変なおじちゃんだったら嫌だよぉ~」

 クラリーチェはげんなりとした表情で伝えた。

「この教科書に出てくる女の子、メアリーとスージーはきっとボブに悲しい目に遭わされてるわ。ボブは笞打ち刑にすべきだよ」

 ファリーダはため息まじりに告げる。

「ボブ君も二次元平面上では本文通りのいい子かもしれないわよ。三次元空間上のリアルな女の子はオタクを嫌う酷い子が多いのと同じようにね」

「俺は桜子ちゃんは二次元からそのまま飛び出したような子だと思うよ。あの、俺、トイレ行ってくるね」

 和雪はそう伝えると部屋から出て、一階にあるトイレへ向かっていった。

 トイレの扉を閉めようとしたら、

「待ってカズユキくん!」

「わたくしもシェルパ風にお供しまーす♪」

 ファリーダとバネッサに阻止され、中に入り込まれてしまった。

「なんでついて来たんだよ? 父さんと母さんと姉ちゃんに見つかったら面倒なことになるだろ」

 和雪は当然のように困惑する。

「だってわたくしも降水もたらしたくなったんだもん。それに、世界のトイレ事情も知りたくて」

「ワタシも久し振りに降水来たよ。カズユキくんが行く時にいっしょに済ませておいた方がご家族に見つかりにくいかなっと思って。ハンカチ内のワタシんちのトイレで済ませることも可能なんだけどね」

 バネッサとファリーダはにっこり笑顔で主張する。

「だったらそうしてくれよ」

「カズユキくんちのおトイレの方が多機能で使いやすいと思って。実際使いやすそうだからこっち選んで正解だったよ」

「いや、不正解だろ。急にめちゃくちゃ暑苦しくなって来た」

「ワタシもバネッサちゃんの属性のせいで息苦しいよ。カズユキくん、早く済ませなきゃ」

「わたくし達は五人いっしょに近くにいることで和雪君達や、わたくし達にとっても快適な環境になるって設定になってるからね。暑い、暑い」

「ワタシ一人だけだと本気出せば室温50℃以上まで上げられるよ♪ 逆にマイナス40℃未満の酷寒にもね。砂漠気候は寒暖差が非常に激しいのだよ」

「……仕方ない、こんな環境下に長時間いたら絶対体調崩れるし。二人とも、俺の方見ないでね」

 和雪はこの子達出て行ってくれそうにないなと諦め、尿意にも耐え切れなくなって、やむを得ずパジャマズボンとトランクスをいっしょに脱ぎ下ろし、男の象徴を露出させると便器に狙いを定めた。

「男の子も座ってやる子もいるみたいだけど、和雪君は立ってやるのね」

「だから見るなって」

 バネッサに真顔でじーっと覗き込まれ、和雪は迷惑顔。

「ペルドン♪」

 バネッサはてへっと笑う。

「逆に女の子でも立ってする子はいるみたいだよね」

「ファリーダちゃんも、覗かないで」

 ファリーダにもにこにこ顔で覗き込まれ、和雪はかなり不愉快になる。彼はいよいよ用を足し始めた。

「和雪お兄ちゃんのおしっこの勢いは、降水量にしたらどれくらいになるのかな?」

「うっ、うわあああああっ!」

 いきなり真横から、いつの間にか入って来たクラリーチェにも覗かれ和雪はびくーっと反応する。

「ひゃぁんっ!」

狙いが外れ、クラリーチェのお顔にビチャッと引っ掛けてしまった。

「ごっ、ごめんクラリーチェちゃん」

 和雪は慌てて大変申し訳なさそうに謝罪する。

「いいの、いいの。あたし、今朝和雪お兄ちゃんにいっぱいかけちゃったし。これでおあいこになるね」

 クラリーチェはてへっと笑う。

「目には目を、歯には歯を、のハンムラビ法典みたいだね」

 ファリーダはすかさず笑顔で突っ込んだ。

「……」

 和雪は暑さも相まって顔をほんのり赤くさせながら残りの分も出し、なんとか用を足し終えた。レバーを引いて水をジャーッと流す。

「俺、手を洗ってくるから。クラリーチェちゃんも、お顔洗った方がいいよ」

「気を遣ってくれてグラーツィエ。和雪お兄ちゃん」

 クラリーチェは嬉しそうににっこり微笑む。

「三人とも、少しだけここで待っててね」

 和雪は注意を促した。

 両親に姿を見られたらかなり厄介なことになると感じたからだ。

 洗面所は幸い、トイレのすぐ隣にある。移動距離はごくわずかだ。

母さんと父さんも姉ちゃんも、今いないな。

 トイレから廊下に出た和雪は注意深く、周囲をきょろきょろと見渡し洗面所も確認した。

 安全確認が出来るとトイレに戻り、クラリーチェの手を引いて連れ出す。

 そしてすばやく洗面所へ誘導した。

「早く顔洗い済ませてね」

「Va bene.」

 クラリーチェは水道の蛇口を捻り、水を出すと両手に掬ってお顔にパシャッとかける。

「水冷たくて気持ちいい♪」

 この作業をさらに二回繰り返し無事、顔を洗い終えた。

「お顔拭いてあげるね」

 和雪は手拭いをクラリーチェのお顔に押し当て、なでるようにしてあげた。

「グラーツィエ、和雪お兄ちゃん。優しいね」

「どういたしまして。あの、クラリーチェちゃん。声が大きいよ。見つからないように部屋に戻ってね」

「Va bene.」

 和雪からの指示にクラリーチェは小声でそう答えて、足音を立てないように廊下を歩き、一段五秒くらいのペースでゆっくりと階段を上がっていく。

 その時、

「あら和雪」

「かっ、母さぁん!?」

リビングの方から母が突然現れ、和雪はびくーっ! と反応した。

「どうしたの? 和雪」

 母の方も少しびっくりしていた。

「何でもない。いきなり現れたから驚いただけ。母さんは、何しに来たの?」

「利川先生にちょっと用事があるのよ」

 母はそう言いながら和雪の前を通り過ぎ、階段の方へ近づいていった。

えっ!

 和雪は焦りの表情を浮かべる。

 さらに間が悪いことに、

トストストス。

父が二階の廊下を歩く音まで聞こえて来た。

ひっ、非常にまずいぞ、これは。なんでこんなあまりにタイミング良く。

 和雪の心拍数は急上昇する。

どっ、どうしよう。和雪お兄ちゃんのお父さんとお母さんが両側からあたしに近づいてくる。台風の目にいる気分だよぉ。

 クラリーチェも予想外の事態にかなり焦っていた。

こうなったら――。 

 ふと、クラリーチェはこの窮地を乗り切るグッドアイディアが浮かんだ。すぐに実践する。

「利川先生、ちょっとパソコン借りるわね」

「うん。分かった」

あっ、あれ? 見つからなかったのか?

 和雪は両親が何事も無かったかのように階段ですれ違ったことに、当然のように不思議がる。

父さん、トイレには、まだ行くなよ。

 和雪の願いが届いたのか、父はリビングへ。

ほどなくしてテレビの音声が聞こえて来た。

よぉし、父さんしばらく動かないな。

そう確信した和雪は階段を見に行った。

「和雪お兄ちゃん、あたしもう少しで見つかるところだったよ」

「うをわっ!」

 和雪は思わず仰け反る。階段から転げ落ちそうになった。

 突如、壁からクラリーチェが姿をにゅっと現したのだ。

「そんな所に隠れてたのか」

「あたしの体全体を生まれ故郷のおウチの壁に擬態させてたの。だから和雪お兄ちゃんのお母さんにもお父さんにも、あたしの存在が認識されなかったの」

 クラリーチェは満面の笑みで嬉しそうに伝える。

「そっか。そんな能力も使えるんだね。とにかく見つからなくて良かったね」

「Si! 壁が白色で良かったよ♪ マヒナお姉ちゃんの擬態はもっと上手いよ。じゃあ和雪お兄ちゃん。戻っておくね」

クラリーチェが自室に戻ったことが確認出来、

「セェーフ」

 とりあえず一安心した和雪は、ファリーダとバネッサを迎えに行くため再びトイレの方へ。

「あっ、あの」

 ドアノブに手をかけ、扉を開けた。その瞬間、

「ひゃん! もう、カズユキくん。ノックくらいしてね。エチケットだよ」

 ファリーダに悲鳴を上げられた。

「あっ、ごっ、ごめんっ!」

 和雪は慌てて謝り扉を閉めた。

 ファリーダが便座に腰掛けて気持ち良さそうに用を足している最中に出くわしてしまったのだ。恥部はとっさに両手で覆われたため見えなかったが、ファリーダが穿いていたサボテン柄のショーツは和雪の目にしっかりと焼き付いてしまった。

やってしまった。でも、悪いのはファリーダちゃんの方だよ。あの子達だって俺のトイレ覗き込んで来たし。

和雪は自分は悪くないと思いながら自室へ向かって階段を上っていく。

「あっ、和雪。今から『ウルビーノのヴィーナス』のポーズでヌードモデルしてくれへん?」

 途中で雪英とばったり遭遇してしまった。

「アホか」

 和雪は呆れ顔で言い、雪英とすれ違う。

「冗談やって♪ うち、今から放尿してくるから、覗いたら嫌よ」

「姉ちゃんっ、トイレなら、たった今父さんが入ったぞ」

「そうなんや。ほなもうしばらくしてから行くわ~」

 雪英はそう伝えて自室に戻ってくれた。

 危ねえーっ!

 とっさについた嘘が功を奏し、ホッと一安心した和雪が自室の扉を開くと、モニカは和雪の所有するマンガを読み、マヒナとクラリーチェは携帯型ゲームで遊んでいた。

「ちょっと寒いな。あのう、もう一度言うけど、あまり俺の部屋を荒らさないでね」

 和雪が優しく注意すると、

「エ カラ マイ、E・カズユキ」

「Извините.(イズヴィニーチェ)和雪さん。すぐに元の位置へ戻します」

「和雪お兄ちゃん、すぐお片づけするね」

 三人とも快く応じてくれた。

「ありがとう。大事に扱ってくれるんだったら俺の所有物好きに使ってもいいよ」

 和雪は快く条件付きでこんな許可を出すと、

「和雪さん、Большое спасибо.(バリショーエ スパシーバ)」

「和雪お兄ちゃん、大事に使うね」

「壊したり破いたり濡らしたりしないように丁寧に扱うぜ」

 三人はまた取り出して、さっきと同じような状態でくつろぎ始めたのだった。

 めっちゃ良い子達だな。

和雪はそう思いながら朗らかな気分で椅子に腰掛けた直後、

「カズユキくぅーん」

「もう、和雪君ったら。シャイな男の子ね」

部屋の扉がガチャッと開かれ、戻って来たファリーダとバネッサから声をかけられた。

「ごっ、ごめんなさぁーっい」

 和雪は反射的に謝る。

「カズユキくん、覗かれたこと、ワタシは全然気にしてないよ」

 ファリーダは頬をピンク色に染めながら自分の気持ちを伝える。

「わたくしもファリーダちゃんのあとに済ませたわよ。ファリーダちゃんの体温で便座熱くなったせいでお尻ちょっと火傷しちゃったわ。和雪君、なんで逃げたのかな? 男の子ならこういうシチュエーション大喜びすると思ったのに」

 バネッサは不思議そうに尋ねて来た。

「ギャルゲーの世界じゃないんだから」

 和雪は困惑顔ですかさず突っ込む。

「E・カズユキ、アタシ達はみんな普通に排泄行為をするからね。現実の女の子と生物学的特徴がほとんど同じだから。おしっこする量はアタシが一番多いぜ。ただリアルな人間の女の子とは違ってアタシ達、お尻とあそこは排泄物の臭いじゃなくて、気候特有の植物や該当地域の名物料理と同じ香りになってるぜ。アタシだったらバナナとかマンゴーとかカカオとかだな。その時々によっていろいろ変わるぜ。ドリアンの香りがする時もあるよ♪ E・カズユキ、試しに嗅いでみる?」

「ワタシはサボテンのお花の香りとかムサカの香りとかがするよ。嗅いでもいいよ」

 マヒナとファリーダはちょっぴり照れくさそうに打ち明けた。

「あたしはオリーブやオレンジやゴルゴンゾーラやピッツァ・マルゲリータの香りとかだよ。あたし、和雪お兄ちゃんみたいな男の人だったら匂い嗅がれてもいいなぁ。ボブみたいな男の人は絶対No(ノ)」

 クラリーチェは満面の笑みで主張する。

「わたくしも同意よ。和雪君、わたくしはアンティクーチョやトウモロコシや馬鈴薯なんかの香りがするわ。優しく嗅いでね」

「和雪さん、ミナはカレリアンピーラッカやサルミアッキやピロシキや、ジンギスカンやラベンダーなどの香りですよ。ミナ達の香りを堪能したくなったら、遠慮せずに嗅いで下さいね」 

 バネッサとモニカも頬をほんのり赤らめて、照れくさそうにこんなことをお願いしてくる。

「いや、いいよ……さてと、勉強始めなくちゃ」

 和雪は俯き加減に呟き、意識をよそに向けようと数学の問題を解き始める。

「カズユキくん予想通りの反応だ。真面目だね」

 ファリーダはフフッと笑った。

「俺の通ってる高校、進学校だから予習復習しっかりしないとすぐについていけなくなっちゃうから」

「あたし、これから和雪お兄ちゃんとテレビゲームで遊びたいのに」

 クラリーチェは不満そうに呟く。

「クラリーチェさん、学生の本分は勉学に励むことですから、勉強中は邪魔しないようにしてあげましょうね」

「はーい」

「ごめんね、みんな。平日は特に勉強忙しいから」

 和雪が申し訳なさそうに伝えた直後、

「和雪、マンガ返しに来たよ」

 雪英に入り込まれてしまった。

「姉ちゃん、勉強の邪魔だからそれ置いたら早く出て行って」

「分かったわ」

 ファリーダ達は目にも留まらぬ速さでハンカチ内に戻り世界地図上の適した位置へ。間一髪、姿は見られずに済んだ。

 雪英がこの部屋から出て行ってから三十秒ほどして、みんな一斉に飛び出してくる。

「今日、和雪君と雪英ちゃんが学校行ってる間に雪英ちゃんのお部屋も拝見したんだけど、一般人には耐えられない雰囲気ね」

「ユキエちゃんのお部屋は姉クメーネだね。人間が定住出来ないアネクメーネになぞらえて」

「E・ユキエの部屋の気候区分は変帯だな」

「姉ちゃんそれ自虐気味に言ってたよ」

 思わず笑ってしまった和雪は、勉強を再開。

「バネッサちゃん、お尻大丈夫? スカートとパンツ脱がすね」

「大丈夫よファリーダちゃん。ちょっとヒリヒリするくらいだから」

「バネッサちゃんのお尻、ちょっと赤くなっちゃってるね。アナアーシファ、バネッサちゃん、痛い思いさせちゃって」

「気にしないで。高山病に罹るより遥かに症状軽いから」

「バネッサお姉ちゃんのお尻、ニホンザルさんのお尻ほどは赤くないよ」

「E・ファリーダ、E・バネッサのお尻を焼畑にしちゃったんだな」

「バネッサさん、冷やしますね」

「スルパイキ、モニカちゃん、ひゃんっ! 冷た過ぎるわ。今度は凍傷になっちゃう」

「イズヴィニーチェ、バネッサさん」

 バネッサはケチュア語でお礼を言い、モニカにお尻に両手をじかに当ててもらった。

「……」

 すぐ後方で起きているこんな状況から、和雪は集中力を削がれるのだった。

 それでもその後ファリーダ達が気を遣って各自、和雪の所有するマンガや雑誌、携帯型ゲームなどで楽しんで静かに過ごしてくれると、

 なんかいつも以上に勉強が捗る。頭が冴えてる気がする。室温が快適な環境になってるからだな。

 和雪は普段よりも集中して勉強に励むことが出来た。

     ☆

まもなく日付が変わる頃、

「和雪お兄ちゃん、あたし、もう眠いから、寝るね。ブォナノッテ」

「ミナも眠いので寝ます。仮に白夜であっても深夜まで起きているのは辛いです。スパコイナイノーチ。ヒュヴァーウオタ。グナット」

「アタシも眠くなって来たぜ。メガネザルみたいに夜行性じゃないからな。E・カズユキ、あとは頑張ってね。アロハ ポ」

 睡魔に負けたモニカ、クラリーチェ、マヒナはハンカチ内の適した位置目掛けて飛び込み就寝。

「おやすみ♪」

 まだ勉強を頑張っている和雪は朗らかな気分で見送る。

「和雪君、夏にぴったりの夜食よ。元気が出るわよ」

 バネッサは和雪のために学習机の上に、あるメニューを置いてくれた。

 メキシコ料理の代表、タコスだった。

「ありがとうバネッサちゃん。俺これ好きだよ。これも地図帳から取り出したんだね」

「その通りよ。食べ物だって取り出せるの。ちなみにメキシコシティは高山気候の代表的な都市の一つよ」

「昨晩のパーティのお料理も、バネッサちゃんがカズユキくんの部屋にある地図帳や図鑑に載ってたイラストや写真から取り出したんだよ」

「そうなんだ。俺、小学生の頃から地理関連のことが好きで、世界の暮らしとか食文化とかが載ってる本、何冊か持ってるからそれから出したってわけか」

「Si.」

「カズユキくん、これ食べて一息つこう!」

「じゃあ、いただきます」 

 英語の復習中だった和雪は一旦シャーペンを置き、とうもろこし粉で作った薄焼きパン《トルティーヤ》の部分を手で掴んで挟まれた牛肉のサイコロステーキ、玉葱、トマト、コリアンダーなどの具といっしょに口に運び入れた。

「本物みたいだな。サルサもたっぷりかかっててめっちゃ美味い♪」

 そして満足げに一気に平らげていく。

「カズユキくん、お口直しのナツメヤシだよ」

 ファリーダは重量にして約十キロ、千個ほどの果実が詰まった一房丸ごと机の上に置いた。

「ありがたいけど、そのままじゃ食べられないよ」

 和雪はちょっぴり困ってしまう。

「アナアーシファ」

 ファリーダはてへっと笑った。

「ファリーダちゃんも物を取り出せる能力持ってたんだね」

「取り出したんじゃなくて召喚したんだよ。気候に関する物を召喚出来る能力はみんな持ってるよ。同じ気候帯なら出身地以外の物でも」

「わたくしも、アルパカとかを召喚出来るわ。こんな風に」

「うわっ!」

 バネッサが手をグーの形から広げると、和雪のお部屋に一頭のアルパカが現れた。

「これ、本物だよな?」

 和雪は恐る恐るアルパカの背中に手を触れると、アルパカはくるっと体の向きを変えて和雪の方を振り向いた。

 フェェェェェ~♪

 と鳴き声も上げる。

「本物みたいだな。獣臭さも漂ってるし」

 和雪は驚き顔を浮かべつつ、ハハッと笑う。

「本物よ。唾吐かれないうちに片づけておくわね」

バネッサは微笑み顔で言い、アルパカの頭にそっと手を触れるとアルパカの姿は一瞬で消滅した。

「このキャラを考えた人、こんな超自然設定も作ってたのか」

和雪は強く感心する。

「カズユキくん、これもどうぞ。エジプトのお茶だよ」

 ファリーダはナツメヤシの実を消したあと、グラスに注がれたカルカデと呼ばれるエジプト風ハイビスカスティーを召喚した。

「ありがとう。おう、初めて体験した味だけど、けっこう美味いな」

和雪はルビー色のそれを飲み干して一息つくと再びシャーペンを手に取り、英文読解の演習問題を解いていく。

五人全員飛び出していたさっきと比べて暑くてちょっと息苦しくなり、集中力が削がれたためか、その後は十分程度で家庭学習をやめた。

和雪が歯磨きとトイレを済ませて来て時刻は午前0時半過ぎ。

「ティスバフアラヘール! カズユキくん」

「和雪君、Buenas noches.Allin tuta.無理し過ぎないようにね」 

ファリーダとバネッサがハンカチ内に飛び込むのを見送って、

「おやすみー」

和雪は楽しげな気分でお布団に潜り込む。

あの子達、顔もしぐさも声もすごく萌えるな。

 和雪が眠り付いてから数分のち、

「和雪さんの寝顔、なまらめんこいです」

 眼鏡を外したモニカは飛び出して、和雪の寝顔を覗き込んでまたハンカチ内に戻っていったのだった。

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