イシュア・サーガ ~元最強魔導士は戦いたくない~

キール・アーカーシャ

第1話

「イシュア・サーガ ~元最強魔導士は戦いたくない~」

                           キール・アーカーシャ

 

『青年とは自らを天才と勘違いする生き物である。

だがしかし、その勘違いが彼らを成功へと導くのだ。

自ら卑下し歩まぬ者に、成功の余地は無いのだから』

――大魔導士アルグリッド「書簡一七五・一・一五」


 プロローグ


 この世界に最強の魔導士が居るとすれば、それは恐らく俺だ。

 ああ、自己紹介がまだだったな。俺の名はイシュア。歳は17。学生だ。

学生と言っても、ただの学生じゃあ無い。

国の学院の中で最も難関とされる《剣の院》の2年生だ。

 剣の院は勇者を育成するために設立され、最後の魔王が討伐された今も優秀な軍人を輩出するために存続している。

 なので約100年前に魔王が倒されたというのに、未だに勇者学科などというふざけた名称の学科があるのだ。

 ちなみに俺は魔導士学科に所属している。そこは魔法を勉強する場だ。

 他にも魔導技師学科や戦士学科などが有るが、俺が属している魔導士学科を含め、勇者学科に比べたら劣るとされている。まぁ、つまり勇者様は偉いという事さ。


おっと、誰かが来たようだ。

来訪者は寮の同室者のレオネスだった。「行かなくていいのかい?」との彼の言葉で俺はハタと思い出す。

 ああ、そうだった。決闘の時間だ。調子に乗った勇者候補をぶちのめしに行かないとな。

 

「イシュアッ!よく逃げずに来たなぁ。この勇者カインズの末裔にして、王の槍サー・クルストフ・アルグレイフの長子たるサイオン・アルグレイフに対し、怯えずに立ち向かおうという蛮勇は認めてやるぞッ!所詮は魔導士学科の貴様がなッ!」

 グラウンドで長口上を述べているのは勇者学科のエリート(自称)であるサイオンだ。

 ちなみに奴はこの学院に従者達を連れてきており、確か彼らは戦士学科に所属していたはずだ。

 その従者達は取り巻きとして、今、奴の言葉に大げさに頷いている。

 サイオンと従者達は海外に留学していて、一ヶ月前に転入して来たから俺の事を知らないのだ。そして、俺の態度がでかいと文句をつけ、決闘を申しこんで来た。  

さらにサイオンは言葉を続けた。

「どうした?今なら跪(ひざまず)き私に忠誠を誓えば、許してやらない事もないぞぉッ!」

 いい加減、奴の甲高い声を聞くのも苛ついてくる。

 従者達が今度は奴の周りに薔薇の花びらをまき出したのもシャクにさわる。

 一刻も早く終わらせよう。

 無言で俺はグラウンドを横切り、魔力を解放しながら奴に近づく。解放された魔力は周囲に吹き荒れていく。

 今、グラウンドは俺の魔力で鳴動している程だった。それに奴は気圧され、急に体をガタガタと震わせる。武者震いでは無いだろう。

 一方、従者達は「ヒィィッ!」と悲鳴をあげて早くも逃げ出していた。あの従者達、どうも危機察知能力だけは高いと見える。戦場で生き残るタイプだな。

それに比べて、その主(あるじ)の方といえば・・・・・・。

「お、おいッ。ちょっと待てッ!なんなのだ、これはッ!って、こら。逃げるな、お前達ッ!」

 挙動不審にサイオンは叫んでいた。こいつも、しゃべらなきゃそれなりに整った顔なんだがなぁ。まぁ、すぐに黙らせてやるさ。

「案ずるな。殺しはしない」

 俺の宣告に奴は一瞬考えこみ、怒りで顔を真っ赤にし、木剣を振り上げ俺に襲いかかってきた。

「こんのぉぉぉッ!ちょっと、魔力が多いだけでぇぇぇぇッ!」

 奴が最後まで言葉を紡ぐ事は無かった。

 その刹那、俺の拳が奴の顔にめりこみ、奴は情けなく吹き飛んでいったからだ。

「戦闘中にしゃべるな」

 落下しグラウンドに叩き付けられピクピクと体を震わす奴に、俺の言葉は恐らく届いていないだろう。

 そして、周囲に歓声が巻き起こった。この試合を見ていた生徒達が、俺の勝利に惜しみない拍手を送ってくれたのだ。悪く無い気分だ。

 しかし、あまり目立ちすぎるのは良くない。

 あくまで俺は勇者を補佐する魔導士に過ぎないのだから。決して主役たる勇者より活躍してはいけないのだ。そうして、早々と俺は自室へと戻るのだった。


 夜、就寝時間が迫る中、俺は自室のベッドの上で古の魔導書を読みこんでいた。

 自室とは言っても二人一部屋であり、同室者のレオネスは部屋の反対側に位置するベッドの上で柔軟体操をしていた。

 筋肉が硬いと動きが鈍る。故に一日の終わりにああして体をほぐしているのだ。

 流石は同学年の中でも最強の勇者候補だけはあり、才能があるだけでは無く勤勉と言える。こいつだけは俺も本気を出さないと敵わないだろう。

もっとも、負ける気は全くしないが。

「いやぁ。しかし昼間、すごかったね」

 そうレオネスは声を掛けてきた。

「そうか?レオネス、お前なら奴くらい楽に倒せただろう?」

「どうかな。僕だと数合は剣を打ち交わさないと無理だろうね」

「お前は謙遜ばかりだな」

 との俺の言葉にレオネスは苦笑した。

「でも惜しいね。イシュア、君こそ勇者になるべきなのに」

「倒すべき魔王も居ないのに?」

 肩をすくめて俺は答えた。

「じゃあ魔王が復活するか、新たな魔王が生まれたら君は戦うのかい?」

「それこそ嫌だ。何が悲しくて戦場で一番槍を演じなくちゃいけない?俺は命が惜しいんだよ。大体、真に恐れるべきは人間か堕ちた人間だろう?その相手なら魔導士で十分さ。もちろん、俺は戦わないが」

「やれやれ口でも君には敵わないや」

 対して、俺は無言で立ち上がる。それを見て、レオネスは口を開いた。

「また例の研究かい?」

「ああ。今日も遅くなるから、寮長の見回りを誤魔化しておいてくれ」

 すると、レオネスはため息を吐いた。

「分かったよ。何をしてるか詳しくは知らないけど、気をつけて」

「ああ」

 俺はインビジブル(不可視)の魔法を無詠唱で紡ぎながら答えた。

 指を鳴らすや、展開していた魔法が発動する。

 そして、透明化した俺は極力音をたてないように扉を開けて、長い廊下に出るのだった。


 向かった先は森の中にある廃墟だ。寮から歩いて四半刻(30分)くらいの所である。

 ここは既に使う者も立ち寄る者も無く、秘密裏に何かを行うとしたら絶好の場所だ。

 時折、不埒な男女のカップルがやって来る時があるが、そんな時は幽霊のふりをして脅かして追い返してやる。

 言っておくが嫉妬からでは無い。純粋に研究の邪魔だからだ。

 なので、この廃墟には幽霊が出るともっぱらの噂なのだ。話が逸れた。

 この廃墟の地下室で俺は、ある魔導の研究をしている。それは禁呪と呼ばれる類いの術式だ。大いなる力を得る代わりに、魂を冥府の神に捧げるというものである。

 しかし、俺は代償を支払うこと無く、それを発動してやろうと思ったのだ。

 つまりだ、冥府の神が代償を求めると言っても、それもまた術式に過ぎない。だから、魂を奪おうとするその術式を、永劫に流転する閉鎖結界に閉じこめ蓋をすれば問題ないはずだ。

 何で誰も気づかなかったのか不思議なくらいだ。もっとも、緻密な魔導制御が必要になるから誰でも出来る事では無いがな。

 だが、俺はついに具体的な理論を完成させた。そして今宵、いよいよ実行に移すわけだ。

 ああ、もしこの術式が成功したら、俺はどうなってしまうのだろうか?

 さらなる力を得てしまうなんて・・・・・・。

それはまさに神とでも呼ぶべき存在じゃないのか?

 

はやる心を抑え、俺は慎重にあくまで慎重に作業を進めていった。

地下室の床は塗料で描いた魔方陣で埋め尽くされる。さらに俺はロウソクを、基点とすべき場所に置いていく。そして、その中心で俺は全体を確認する。

うむ、我ながら完璧な陣だ。これ程に複雑な方陣だというのに、線に歪み一つ無い。

さぁ、詠唱の開始だ。俺は魔導書を片手に古代語の呪文を唱え始める。

すると、ロウソクの炎が一気に青き幽炎の如くと化す。

出だしは良い感じだ。部屋の気温が急に下がったように感じられる。

今、この場は魔なる第六天に接続せんとしているのだ。あと少し、あと少しだ。

「偉大なる冥府の王ゼレル・ディス・ヴォードよ。我が至高なる魂を御身に捧げよう。その代価として死と闇の法を我に授け給え」

 この誓約に応えるかのように、魔方陣から闇が噴き出してきた。

 そして、俺の目の前に闇は凝縮していった。

 生まれたのは漆黒の球体だった。俺は体を悦びで震わせた。これこそ冥府の宝珠(オーブ)に違いない。俺は怖れず宝珠を右手で掴んだ。

 刹那、手を通じて冥府の呪詛が流れこんでくる。

 その呪詛は俺の心臓に達しようとしている。このままでは俺の魂は冥府の王の所有物となってしまう。させるものか。俺の魂は俺のもの。お前の力も俺のものだッ!

 急ぎ術式を発動し、閉鎖結界を作り出す。そこに俺は体内の呪詛を転送していく。異変を察したのか呪詛は次第に強まっていく。しかし、ここで負けるわけにはいかない。

 魔力を全開にし、全ての呪詛を結界の中へと送る。そして、ついに呪詛が途切れた。

 俺は左手で印を結び、床の魔方陣を砕いた。これにより、第六天なる冥界との接続が失われていく。

 床のヒビから闇が這い出ようとするも、もはや遅い。俺の勝ちだ。怨嗟の声を響かせながら、闇は冥府に帰っていくのだった。一方、俺の手には冥府の宝珠が未だに握られている。やった。俺はついに冥府の力を手にしたのだ。

 達成の余韻にひたっている中、妙な音が響きだした。それは呪詛を入れてある閉鎖結界から聞こえてくる。

「なんだ、出ようとしているのか?生意気な奴め」

 俺は閉鎖結界の外側にさらに多重結界を張り、封印を万全にした。

 しかし、音はいっこうに鳴り止まない。それどころか鳴動は高まる一方だった。

 嫌な汗が背を伝う。もしかして、やばいんじゃ・・・・・・。

 一目散に逃げようとした瞬間、全ての結界が一気に砕け、地下室は闇に飲まれた。

 暗黒に包まれた俺は抗いようも無く意識を失うのだった。


 目を覚ました俺はバッと起き上がる。そこは地下室ではあるが、あちこちが崩れていた。天井の隙間から朝日が差しこんでいる。

「生きてはいるのか・・・・・・」

 呟き、俺は負傷していないか全身を触る。しかし、特に違和感を覚えない。

外傷はしていないようだ。とはいえ、内臓や脳がやられている可能性もある。少しでも体調に異変を感じたら、医者にかかろう。次に確認するのは冥府の宝珠だ。

だが、それは欠片(かけら)も見当たらなかった。

「はぁ・・・・・・クソッ、失敗か。だが、まぁいい。また再挑戦すれば問題ない」

 そう、時間はいくらでも有るのだから。

「さて、朝になってしまったし、今は帰ろう。授業が始まってしまう。何が起きたかは夜に調査すれば良い」

 俺は一人頷き、指を鳴らした。しかし、インビジブルの魔法は発動しない。何度、指を鳴らしても不可視の術を紡ぐ事が出来なかった。

「何でだ?魔力を使い果たしたか。チッ・・・・・・面倒だ。いや、まさか」

 段々と嫌な予感がしてきた。

「炎よッ!」

 簡易魔法を俺は唱える。しかし、何も発動しない。これに費やす魔力なんてごくわずかのはずだ。残ってないわけが無い。

「水よッ!土よッ!風よッ!」

 すると、小さなつむじ風が起きた。だが、これは逆に俺を絶望の淵に送った。

「待て、待て・・・・・・魔力はあるのに、魔法がロクに使えないだと?この賢者すら超えている俺がか?あり得ない。そうだ、あり得ない」

 突然の事態に頭が真っ白になりかけながら、俺は知りうる魔法を詠唱し出した。しかし、まともに発動できるのは一つも無かった。それどころか、一つ詠唱する度に大きな疲労が押し寄せてくる。混乱で視界が歪む中、俺はある予感を抱かずには居られなかった。

「俺は・・・・・・全ての力を失ったのか?」

 その呟きは壊れかけた地下室に、虚しく響き渡るのだった。


 第1話


 その日の午前は幸運な事に座学の授業しか無く、問題は無かった。どうも、頭の冴えは変わらないようだ。これにはホッとする。しかし、午後は5限が実戦魔術学、6限が基礎体力訓練となる。この二つの実技は今の俺にとり危険だ。

 入学して以来、俺は最高の成績をキープし続けて来た。そして、生徒だけでなく一部の教師も嫉妬を見せている。隙あらば、俺を叩き落とそうとするだろう。

 ただし、5限の講師の学匠(マイスター)シャルネとは良好な関係が築けている。彼女は気さくであり、俺の才能を深く理解してくれている人物だ。なので、5限は問題ないだろう。恐らく上手く誤魔化せるはずだ。

 真にまずいのは6限だ。この授業の講師レイヴンは俺の天敵のような奴だ。奴は生徒をしごく事に悦びを見出す厄介な存在であり、生徒達からは嫌われている。

 そして何より問題なのは、俺と奴は犬猿の仲だと言う事だ。

 憎たらしい事に、魔力を使わない純粋な体術で言えば、俺は奴には敵わない。

 なので6限の基礎体力訓練に関しては、俺は奴に頭が上がらないのだ。

 どうせ今日も俺が反抗的だという理由で、他の生徒達が帰った後も放課後にグラウンドを何十周もさせるのだろう。

 いつもなら誰にも分からないレベルで魔力をまとい、体力の底上げをするのだが、今の俺にはそんな器用な真似は出来ない。というか魔力を全開にしても、大して筋力を増強できないだろう。ああ、憂鬱だ。早く魔力を取り戻さなくては。


 昼休みが終わり、5限の授業に俺は出席していた。

 場所はグラウンドだ。日差しがやけに照りつけてきて気分が悪い。もしかして魔力だけでなく、体力も落ちているのか?そういえば、階段の上り下りもきつく感じた。まるで、年寄りにでもなった気分だ・・・・・・。

「さぁ、みんな。今日も実戦魔術を学んでいきましょう」

 との学匠シャルネの元気良い声がグラウンドに響いた。

 それに生徒達は「はいッ!」とやる気に満ちた返事をした。

 しかし一方で、今の俺は暑さとショックでうなだれているのだった。

 早く日陰に移動させて欲しい・・・・・・。

「今回は戦闘において最も重要である守護魔法の使い方を教えます。これは魔導習得Ⅰの授業の方で既に身に修めているとは思いますが、どういう状況下で使うのか、と言う事を説明したいと思います」

 それから、学匠シャルネは基礎的な事を話し出した。

 守護魔法は常に張っておかねばならないとか。敵の火力に応じて、前方とか後方とかに重ね掛けする必要があるとか。魔力が足りない時でも頭の周囲だけは守護せねばならないとか。

 俺はそれらの情報を適当に聞き流す。全て知り尽くした事だ。とはいえ流石は学匠シャルネ、要点がまとまっていて分かりやすい。

 生徒達、特に男子生徒は学匠シャルネの話に聞き入っている。というか、見入っているという方が正しいか?

 学匠シャルネは講師達の中でも1、2位を争う美人であり、偏屈な魔導士学科の男子生徒も彼女の授業の時だけは静聴するのだ。むしろ学匠シャルネの講義の時にうるさくしたら、彼女の信奉者達から後でリンチの目にあうだろう。

 まぁ、学匠シャルネに男子生徒の人気が集まるのも分からないでも無い。ローブ越しですら膨らみがハッキリと見て取れるくらいにスタイルが良く、それでいて清楚な雰囲気が漂っており、しかも面倒見がよくて優しいのだ。茶色い髪にポニーテールというのも、嫌味がなく素晴らしく良い。

 ちなみに俺は学匠シャルネと放課後、よく魔導に関して意見を交わし合ったりしていて、それを気にくわない連中も多いようだ。とはいえ俺の実力の前で、彼らも俺にだけは手を出せずに居る。あれ・・・・・・魔力が失われた事がばれれば、俺、まずいんじゃ。

 やばい。魔力を取り戻すまで学匠シャルネとは必要な時以外は接触は控えよう。

 ともかく、今は大人しく目立たないようにせねば。

「では、実演をイシュア君、お願い出来るかしら?」

 突然、声を掛けられ俺は大いに戸惑う。実演だと?よりによって今、このタイミングでか?簡易魔法すらロクに使えない俺に、守護魔法など出来るわけが無いだろうがッ!さっきだって使えなかったしな。俺は体をわななかせる。何とか上手く断らねば。

「先生。守護魔法に関しては俺より適任者が居ると思います。セリーアさんなど、いかがでしょう」

 との俺の言葉に女性生徒セリーアに視線が集まる。

「む、無理ですッ!私なんかじゃとても」

 セリーアは顔を真っ赤にして拒絶するのだった。

「そうね。守護魔法は失敗した時が危険だし、やっぱりイシュア君、お願い出来るかしら?」

「・・・・・・はい」

 そう学匠シェルネに俺は返答する。仕方ない、覚悟を決めよう。

 大丈夫、俺なら出来る。そうだ、俺は逆境に強い男だ。追いこまれる事で力が取り戻せるに違いない。今までの人生で俺が本気で願って、上手くいかなかった事は無い。

 いける、よし、いける気が本当にしてきた。俺の内に眠る魔力が今、目覚めつつあるのを何となく感じる気もしなくは無い。そして、俺は学匠シェルネのもとへ颯爽と向かうのだった。今、俺と学匠シェルネは対峙している形だ。学生達は固唾を飲んで成り行きを見守っている。

「では、イシュア君。守護魔法スフィアを発動してちょうだい」

「はい」

 杖を抜き、俺は詠唱を開始する。全霊をこめ、わずかな全魔力を解放し、俺はひたすらに術式を紡ぐ。これ程に緊張するのはいつ以来だ?

 昨夜、冥府の王との契約の時だって、こんなには心臓が昂ぶらなかった。

 クソッ、雑念を払え。イメージを心の内に想像し、創造しろ。いけッ!

 次の瞬間、守護魔法スフィアが発動し、俺の周囲に綺麗な半透明の膜が生じた。

 今、守護魔法が俺を包むように覆っているのだった。

「やった・・・・・・」

 放心状態で俺は呟いた。ハハッ、やはり俺は俺だったか。この調子なら他の魔法もすぐに取り戻せるだろう。しかしその時、俺は妙な違和感を覚えずには居られなかった。

 守護魔法が妙に揺らめいているのだ。普通、守護魔法とは堅牢であり、術者との一定距離に固定されているものだ。

 なのに、この守護魔法スフィアはそよ風を受けて、わずかに凹んだりしている。

 もっとも、その変化は微小であり、俺以外に気付いて居る者は居ないだろう。

「流石ね。何て綺麗な守護魔法スフィアかしら。歪み一つ無い」

 学匠シェルネは酷く勘違いをしている。しかし、今の俺には何も反論する事が出来ない。

「さて、これ程の結界なら多少は強い攻撃でもビクともしないでしょうね」

 その発言に、俺は愕然とする。やめろッ!死ぬから、まじで死ぬからッ!俺は心の内で叫び続ける。

そんな俺の心中を全く察してくれず、学匠シェルネは無詠唱で巨大な火球を作り出す。結界越しでも、その熱さを感じる。普通なら結界の中は外と隔離されているから、このような事はあり得ない。恐らく、あまりにも薄すぎるのだ、この結界は。

 おい、結界ッ!少しは機能しろ、この馬鹿ッ!

しかも結界は浮遊する火球の熱で少しずつ溶けているようにすら見える。

「みんな。守護魔法というのは単に張ってお仕舞(しま)いでは無いの。攻撃がぶつかる瞬間に魔力を注ぐことで、遙かに壊れづらくする事が出来るわ。では、イシュア君。これから私がゆっくりとブレイズの魔法をそっちに向けて放つから、着弾する時に魔力を守護魔法にこめてね」

「へ?は、はい・・・・・・」

 俺の返事に満足し、学匠シェルネは杖を振った。それと共に火球がジワジワと近づいて来る。まるで死が迫っているかだ。大丈夫か?大丈夫なのか、この結界で?

ええい、腹をくくれ、イシュア。今のお前に出来るのは着弾の瞬間に全魔力を守護魔法の結界につぎ込む事だけだ。タイミングを外すわけにはいかない。

 杖を握る手に汗が滲む。世界がスロー・モーションになったかだ。火球が止まって見える程に。しかし、少しずつ少しずつ火球は迫って来ている。

 そして、火球が守護魔法に触れるか否かの所で、俺は全魔力を解放し、守護魔法を強化するのだった。次の瞬間、爆発が起き、俺の体は吹き飛んで行った。もちろん、結界は一瞬にして砕けている。

「ウ・・・・・・ゲホッ、ゲホッ・・・・・・」

 気づけば俺はグラウンドの端に生えている樹木の枝に引っかかっていた。

「何てこった。酷すぎる・・・・・・。終わった、俺の実技の内申点」

 グラウンドの中央を見ると、そこには未だに爆煙が生じており、いかに学匠シェルネの魔法の威力が高かったかが覗える。先生、俺を信じてくれたのは嬉しいが、マジで死ぬから止めて欲しい。しかし、どうも様子が変だ。

 誰も俺を心配しようとしていない。いや、違う。誰も俺が吹き飛ばされた事に気づいていないのだ。生徒達、いや学匠シェルネも俺が煙の中で無事なのだと確信しているのだ。

 とはいえ、煙が晴れれば否が応でも真実を知るだろう。俺の最強伝説は滅んだのだ。

 あまりにもガックリと来て、俺は木の枝の上から動けずに居た。

「まぁ、生きてるだけ感謝すべきなのか?」

 と俺は枝の上でボソッと呟くのだった。すると、一陣の風が吹き、煙を虚空に散らしていった。当然のごとくに、そこには俺の姿は無い。

 生徒達のどよめきが聞こえる。学匠シェルネも予期せぬ事態に、キョロキョロと辺りを見回し俺の姿を探す。あぁ、終わった。木の枝に引っかかる俺を見たら、学匠シェルネも深く失望する事だろう。すると、男子生徒達の声が聞こえてくる。

「おい、これって」

「ああ。あいつ何てこった・・・・・・イシュア、あいつ信じられない。転移魔法を身に付けていたなんて」

 ん?何か様子がおかしいぞ。

「転移魔法?古に失われたという伝説の?」

「そんな馬鹿なッ!」

 生徒達は口々に議論を交わしだした。学匠シェルネは口元に手を当て考え込んでいた

 しかし、何かを納得したのか、大きく頷き、狂喜の混じった笑みを見せた。

 こんな表情を見せる先生は初めてだ。何かすごく勘違いをしている気がする。

 待て待て・・・・・・。つまり、こういう事か?

 先生達は俺が瞬間移動とかワープとかして、あの場から姿を消したと思っているのか?

 あり得ない。いくら俺でも転移魔法を使う事は出来なかった。転移魔法は失われて久しいし、文献によれば先天的な才能に依る所が大きいらしい。

 さすがの俺でも得手、不得手はある。とはいえ、これはチャンスなのじゃ無いか?

 本当に俺が転移魔法を使ったと思わせれば、今回の実技の内申点は最高だろう。

 とすると、どうすれば良い?今の俺の服はマズイ。爆炎で所々、焼け焦げている。これじゃ爆発を受けたのが丸わかりだ。

 急いで替えのローブを用意せねば。しかし、それは寮の自室にしか無い。ここから往復で八半刻(15分)は掛かるぞ。なるべく早く戻らねば。こういうのは時間がたつとインパクトに欠けるからな。クッ、体の節々が痛むが、俊敏にそれでいて誰にもばれないように移動せねば。

 そして、俺は木の裏に回り、少しずつ木をよじ降りた。それから、身をかがめながら茂みの後ろをコッソリと進むのだ。

 今の所、誰にも気づかれていない。ついに俺はグラウンドから教室のある本館へと辿り着く。授業中なので誰も廊下には居ない。

 とはいえ、さぼりと間違われないように、教室の窓の内から見えないように、再び身をかがめて移動する。よし、ここまでは完璧だ。

 本館を抜け、寮まで全力疾走する。息切れが激しい。こんなに疲れたのはいつ以来だ?

 だが、寮の入り口まであと少しという所で、俺は最悪な人物に出会った。

 それは寮長だった。彼女は成人しているとの噂だが、その外見はあまりに可愛らしく、俺達は陰で彼女を少女寮長と呼んでおり、美少女好きの男子生徒の間では人気らしい。

 しかし小さな可愛らしい外見に反し、彼女は規律に厳しい所もある。

 その癖、自分には非常に甘いのだ。今も食べ歩きは禁止なのに、円盤状の飴に棒がついているやつ、確かペロペロ・キャンディーだったかを、おいしそうに舐めながら歩いていた。

「む・・・・・・。イシュア。お主(ぬし)、プッ、アッハッハッハッ。なんじゃ、その格好ッ!焦げとる。焦げとるしッ!マジ噴くのぅッ」

 寮長は飴を持ってない方の手で腹を抱えて笑い出した。少女に馬鹿にされると、本当にむかつく。

「すみません。授業の道具を忘れてしまって。急いでいるので部屋に向かって構いませんか?」

 大人な俺は丁寧に対応する。

「ん?とか言って、どーせサボりなんじゃろ?素直に言ってみるが良い。お姉さんは寛大だから許してやるぞ。ほーれ、ほーれ」

 誰がお姉さんだッ!そういうのは学匠シェルネくらい育ってから言え。

 しかし、俺は心の内をおくびにも出さずに交渉する。

「寮長。あとでケーキを作りますので、それで勘弁して頂けませんか?」

 ケーキという言葉に寮長は耳を大きくピクつかせる。

「仕方ない。今日中じゃぞ。忘れるで無いぞッ!それに、生クリームがいっぱいで苺もたくさん載せるんじゃぞ」

「ええ。必ず」

「よし、通ってよしなのじゃ!今回だけは見逃してやるのじゃ」

 お許しを得て、俺は寮の中へ駆けて行く。背後から寮長の「ケーキ!ケーキ!」という脳天気な声が聞こえた気がするが今は無視だ。

 部屋に戻った俺は一瞬でローブを替え、急ぎ今まで来た道を反転する。

 幸運な事に、誰とも遭遇しない。あと少し、あと少しでグラウンドだ。

 グラウンドに出る前に息を整える。さぁ、英雄の凱旋だ。

 俺は何食わぬ顔で、グラウンドを進む。生徒達は俺に気付き、どよめきをあげる。

 すると、学匠シェルネが血相を変えて、駆けてきた。

「イシュア君、無事だったの?一体、どうしたって言うの?」

 学匠シェルネは俺の両肩に手を当て、本当に心配そうに尋ねてきた。

 それと共に、グラウンドは静まりかえる。もちろん、生徒達は俺の返答を聞き漏らすまいと傾注している。

「転移魔法です、先生」

 俺の言葉に学匠シェルネは肩から手を離し、大きく一歩後ずさった。

 生徒達は再び一気にざわつき出す。

 よし。皆、疑う事もせず信じているようだな。

「ほ、本当に?」

 信じられないという風に学匠シェルネが聞いてくる。

「ええ、先生。確かに転移魔法です」

 この宣言に、生徒達は興奮を抑える事が出来ないようだった。

 一方で学匠シェルネはあくまで平静を装いながら口を開いた。

「やっぱり、そうだったのね。最初、そうだと思ったんだけど、ちっとも姿を現わさないから心配したのよ。でも、まさか本当に転移魔法だなんて・・・・・・」

 普段、微笑みを絶やさない学匠シェルネも今回ばかりは驚きと興奮の入り交じった表情を隠せていなかった。

「すみません。あまりに遠くへ転移し過ぎてしまって。寮の方まで飛ばされてしまったんです。それで戻って来るのに時間が掛かってしまいました。いやぁ、でも転移魔法は駄目ですね。魔導制御が難しかったです。下手したら地面とか壁とかに埋めこむ形で転移してしまうでしょう」

 これで上手く誤魔化せてくれッ。

「そ、そう・・・・・・と、ともかく体に問題は無いの?」

「ええ。ただ、魔力を著しく消費したので疲れましたね」

 疲れているのは事実だ。さぁ、いけるか?いけるか?

「それは良くないわ。医務室に行きましょう。体に異常が無いかを調べてもらった方が良いでしょうし。みんな、今日の授業は自習とします。教室に戻ってて。さ、イシュア君。一人で歩ける?」

「はい、先生」

 やった。ついにやったぞ。何とか今日の授業を乗り切った。しかも、これなら6限を何の問題もなくサボれるじゃ無いか。アッハッハ。大精霊は俺を見捨てなかったようだな。

 そして、俺は学匠シェルネの付き添いのもと、内心ホッとしながら医務室に向かった。

 とはいえ、これが思わぬ騒動を引き起こす事になるとは、この時の俺は想像だにしていなかったのだ。

 

 第2話


 それから俺は医術師のホリー先生による診察を受けた。上半身を裸になったりしたのに、横で学匠シェルネが見守っており、少し気恥ずかしかった。

 ちなみにホリー先生も学匠シェルネに劣らぬ美人である。ただし、その美しさは対照的で、学匠シェルネが癒やし系ならホリー先生はクールな美女といった感じだ。

 長い黒髪に医術師の白衣が非常によく似合っていると言えよう。

 とはいえ、美人は似るものなのか何となく二人には近しいものが有る気がする。

ただし、ホリー先生は非常に厳しい人物であり、仮病でもしようなら即座に叩き出される。なので彼女のファンはわざと転んだりして怪我をして、医務室を訪れるのだ。

ところで学匠シェルネとホリー先生、真逆な二人ではあるがとても仲が良いとの事だ。

休日は二人でお茶を飲んだりしているらしい。微笑ましい限りだ。

「問題ないだろう。しかし、背中の紋様、なんだこれ?」

 ホリー先生の言葉に俺はギョッとした。

「背中?」

「見てみろ」

 言われた通り、首を捻って自身の背中を鏡で覗いてみる。すると、漆黒の象形文字のような紋様がそこには刻まれていた。こんなもの俺は知らないぞ。

ふいに脳裏に昨夜の儀式がよぎる。まさか、あれの影響か?

「あ、あの・・・・・・これ何なんですか?」

「さぁ」

 ホリー先生は肩をすくめた。

 おい何だ、その無責任な発言は。

「まぁ、見たところ魔力を感じないから、ただの痣か何かじゃないのか?それともイシュア。お前、入れ墨とかする趣味があったのか?」

「いえ。それは無いです」

「ともかく、異常は見られなかった。なので少し休んだら寮に戻るんだな」

「ありがとうございます」

 とりあえず、俺は頭を下げておいた。

 すると、5限の終了を告げる鐘が鳴った。それと共にホリー先生が手をパンと叩いた。

「さぁ、シェルネ。次の授業の支度に行く必要があるんじゃないか?こいつは大丈夫だ。心配する事はない」

「そう。ならホリー、後は任せたわね。じゃあ、イシュア君。大丈夫との事だけど、体には気を付けてね。無茶しちゃ駄目よ。少しでも体調が悪いなって感じたら、誰かに言うのよ」

 との学匠シェルネの優しく温かい言葉が、俺の心に染みわたる。

「はい。ご心配をおかけしました」

「いえ。私こそ、ごめんなさいね。無茶なことをさせてしまって」

「お気になさらないで下さい。己の力量もわきまえず、転移魔法の真似事をしてしまった自分が悪いんです」

「そんな事は無いわ。正直、本当に転移魔法を発動できたなんて、未だに信じられないけど、目の前で起きたのだから信じざるを得ないわ。弱冠17歳で失われし古代魔法を蘇らせるなんて、貴方は本当に天才よ、イシュア君。でも、そのやり方は私を含めて誰にもしゃべっちゃ駄目よ。きちんと論文として発表するか、もしくは特許(パテント)申請をするべきよ。どうしたら良いか分からなかったら相談に乗るからね」

 褒められたのは非常に嬉しいが、思わぬ展開に俺は頭を抱えたくなる。

「い、いえ。まだ未完成なものなので。ですが、いずれ術式が真に完成したら、ご相談に伺うと思います」

「ええ。楽しみにしてるわね」

 そして、学匠シェルネは花のように微笑むのだった。

 

 6限の授業が始まる中、俺は医務室のベッドでゴロゴロしていた。

 学匠シェルネは去っており、部屋には俺とホリー先生の二人きりだ。

 しかし、お互い話す事が全く無いので、沈黙が場を流れている。

 すると、外から「1、2ッ!1、2ッ!」と掛け声が聞こえてきた。恐らく講師レイヴンの授業で、生徒達が延々と走らされているのだろう。

 対して俺は体は少し痛むが、極楽な気分だ。すまんな、みんな。

 しかし、今回の事件で気づいた事がいくつかある。

 一つは俺の魔力はほとんど戻っていないという事。俺が使えそうな魔法は風の簡易魔法と守護魔法スフィアくらいみたいだ。

 ただし、朝の段階では全く使えなかったスフィアの魔法が、形だけでも発動しただけ進歩していると言えるだろう。いずれ全ての力を取り戻すだろうさ。フッフッフ。

 もう一つは、俺は明らかに体力が落ちているという事。寮まで行って帰っただけで酷く疲れている自分がいる。とはいえ、これは爆風で吹っ飛ばされた後なので、何とも言えない話だ。これに関しては保留だな。

「お前、転移魔法を使えるのか?」

 突然、声を掛けられ俺はビクッとする。

「は、はい。使えるというか、何(なん)というか・・・・・・」

 しどろもどろになりながら、俺はホリー先生に答えた。

「そうか」

 素っ気なく呟き、ホリー先生は窓から外を眺めだした。

この人の考える事は良く分からん。

 沈黙に耐えられず、俺は用意されたコップの水を少し口に含む。

「お前、シェルネの事が好きなのか?」

 再び突如として掛けられた言葉に、俺は飲みかけた水を噴き出す。

「ん、どうした?図星か?」

 ホリー先生の横顔には意地悪い笑みが微かに浮かんでいた。

 この人、絶対、楽しんでやがる。クソッ、転移魔法じゃない話題で戸惑う事になるとは。

「確かに学匠シェルネに対しては尊敬の念を抱(いだ)いていますが、あくまでそれだけですよ」

「ふーん。そうか、つまらないな」

 とだけ言って、ホリー先生はまた黙ってしまった。しかし何がしたいんだ、この人は。

「お前。猫と犬、どちらが好きだ?」

 また奇妙な質問が投げかけられる。なんだ?心理テストか?

「猫ですかね。世話が楽そうですし」

 すると、ホリー先生はフッと笑うのだった。何だ?俺は見当違いの事を言ってしまったのか?

 しかし、ホリー先生は何も答えてくれない。俺は彼女の意図をおもんばかってみる。

 もしかして、この人は俺が寂しく無いように話し掛けてきてくれてるんじゃ無いだろうか?だとすると、少しは優しい所があるじゃないか。

 その後6限が終わってからも、俺は時折投げかけられる質問に答えていくのだった。


 段々と医務室のベッドが心地よくなってきた俺は、このまま眠ってしまいたい衝動に駆られるが、夕食の時間なので帰る事にした。

「ホリー先生。大分、体調が良くなってきたので戻る事にします」

「ん?そうか。腹が減ったか」

 会話になってないしッ!しかも、図星なのがむかつく。

「ま、まぁ、それもあります。じゃあ、失礼します。どうも、ありがとうございました」

「ああ。もう来るなよ」

 そう言って、ホリー先生は軽く手を振ってきた。最後に少し意地悪をしてやろう。

「いえ、怪我をしたらまたお世話になります」

「だから・・・・・・怪我をするなと言ってるんだ」

 ホリー先生は照れたふうに答えるのだった。彼女にとり素直に身を案じるのは恥ずかしい事らしい。

「分かりました。善処します」

「はぁ。本当に善処してくれよ」

 対して、俺は大きく頷いて見せた。こうして、俺は医務室を後にするのだった。


 さっきから廊下をゆっくりと進んでいるのだが、どうも俺は注目の的らしい。あちこちから痛い程の視線を感じるし、内容こそ分からないがひそひそ話の声も聞こえる。

 どうやら、転移魔法の件はもう噂になってしまったようだ。何だか面倒な事になってきてしまった。こういう時にどうすれば良いか。答えは簡単だ。断定しなければ良い。

 群衆の好きに想像させるのが一番だ。下手に受け答えをすると、粗探(あらさが)しが始まるからな。

 政府の高官である暦(こよみ)博士(はくし)なる祖父に教えられ、こうした政治的な知識は身に付けている。もし魔力が戻らなくても、祖父のような政治家を目指すのも悪くは無い。

 とはいえ祖父を見ていると、あまり政界のドロドロに足を踏み入れたいとは思わない。

 なので、やはり魔導士としての力を取り戻さねばな。そのためにも、きちんと食事をとって体力を付けよう。まぁ、隅っこで急いで食べれば、目立たずに済むだろう。

 などと思いながら食堂の扉を開ける。

「イシュアだッ!おい、みんな、イシュアだぞッ!」

 との声が響き、食事中の人々の視線が一気に俺に集まる。

 誰だ、余計な事を言いおったのは。いや、その声。魔導技師学科のラッズだな。

 彼は魔導技師の癖に体力が有り余っており、同時に相当の噂好きだ。

「イシュアッ!転移魔法、どうやったんだよ。教えてくれよ」

 奴は俺に駆け寄り、そう尋ねた。

 教えてくれだと?むしろ、転移魔法のやり方など俺が知りたいわッ!大体、知ってても教えるわけが無いだろうがッ。

 しかし、食堂の学生達も気になるらしく、俺とラッズの周りに集まり出した。

「転移魔法って本当?」

「すごすぎるぜ、イシュア」

「なぁなぁ、イシュア。それって、女湯とかに一瞬で行けるか?」

「もしかして、軍隊とかも一瞬で動かせるのか?」

 などと口々に言いながら、学生達が俺に詰め寄ってくる。

 知るかッ!自分で考えろッ!ああ、そんなに押すな。潰れそうだ。

「ちょっ、俺は食事をッ!どいてくれッ、ちょっ、あぁぁぁぁぁ・・・・・・」

 そんな俺の声は、虚しく群衆の中に消えていくのだった。

 

 結局、俺はその日、食事をとる事が出来なかった。

 何時間もかけて、命からがら食堂から逃げ出した俺は、自室のベッドで丸まっていた。

 鍵が掛かっているから、もはや誰も入って来れないはずだ。本当は寮の部屋に鍵を付けるのは禁止だが、誰もがやってる事だ。

 ただし、寮長が見回りにくるので、就寝時間になったら鍵を開けておく必要がある。

 とはいえ、その頃には野次馬も寝静まっていることだろう。

「イシュア、開けてくれよ。おーいッ!」

 扉の外からノックの音と共に、男子生徒の声が響く。

「うるさいッ!イシュアは居ないッ!居ないんだよッ!」

 パニック気味に俺はそう叫び返す。

「居るじゃんかよッ!」

 との声と共に、外では笑い声が響く。その通りだよ、悪いかッ?

 一方で、同室者のレオネスは何も聞こうとはして来なかった。今、彼は図書館で借りた本をぺらぺらとめくっている。彼の気遣いには本当に助かる。しかし、こいつ男の俺から見ても、妙に本を読むさまがきまっているな。女子生徒達が黄色い歓声をあげるのも分かる気もするな。とはいえ、今はそれどころでは無い。

「クゥ、何て事だ」

 思わず弱音を漏らしてしまう。

「まぁまぁ、人の噂も75日って言うしね」

 レオネスが初めて口を聞いた。俺が部屋に戻ってきた時から、彼は無言で本を読み続けていたのだ。

「三ヶ月近くじゃないか」

「そうだね」

 と答え、レオネスは再び黙ってしまう。

「レオネス」

「なんだい?」

「お前は気にならないのか?」

「転移魔法の事?」

「そうだ」

 すると、レオネスは本を閉じ、考えこんだ。

「まぁ、気にならないと言えば嘘になるだろうけど。正直、あんまし関係ないかな。イシュアは転移魔法があろうと無かろうと凄く強いし。むしろ、中途半端に大技を覚えない方がいいんじゃないかと思うけど」

 正論がグサッと心に突き刺さる。

 昨日の俺に言ってやりたいくらいだ。冥府の力なんて得ようとした俺が馬鹿だった。

「そ。そうだな。アッハッハッ」

 乾いた笑いを俺はあげる。

「ところで、医務室で休んでたんだって?」

 そうレオネスが尋ねてきた。

「ああ。のんびり出来たよ。ホリー先生と謎な会話を楽しんでいた」

「ははっ。先生も相変わらずだなぁ」

 懐かしむようにレオネスは言うのだった。

「ん?レオネスはホリー先生をよく知ってるのか?」

「うん。僕も一年の初めの頃は剣が苦手で、よく医務室で先生のお世話になったんだよ。ただ、この半年くらいは行く事も無いけど」

「へぇ、そうだったのか。色々と初耳だな」

「まぁ、それは一年生の前期の話で、僕がイシュアと仲良くなったのは一年の後期だからね」

「なる程」

 そう俺は納得するのだった。

 すると、窓が叩かれる音がした。

 見れば、窓の外に男子生徒のラッズがへばりついていた。

 ここは3階だぞッ。クソッ、こいつ腰を縄で結んでやがる。まさか、縄をつけて屋上から降りて来たのか?その根性だけは認めざるを得ないか。

「開けてくれぇ、イシュアぁッ!」

 窓をノックしながらラッズは悲痛な声をあげた。

 さすがに怖くなって来たのだろう。しかし、そうまでして転移魔法を知りたいか?

「知らんッ、帰れッ!」

 そう冷酷に告げ、俺は無慈悲にカーテンを閉める。これで一件落着だ。

「ちょっと、可哀相なんじゃないの?」

 そうレオネスが声を掛けてくる。

「ふん、自業自得さ」

 などと答える間も、カーテン越しに窓が叩かれる音がする。本当にこりない奴だ。

 まぁ、しばらく無視したら飽きて去ってく事だろう。

「ちょっ、やばい、やばいッ!縄が緩んでッ!アアアアアアッッッ!」

 とのラッズの絶叫が響き、何かがドスンと落ちる音がした。

 おい、これはマジでやばいんじゃないのか?

「イシュアッ」

「ああ」

 そして、俺とレオネスはカーテンを開けた。

 すると、「よっ」と挨拶してくるラッズの姿が窓に映った。

「どういう事だ・・・・・・?」

 俺は呆れながら窓越しに尋ねた。大体、察しはつくが。

「あ、驚いた?まぁ、ドッキリだよ、ドッキリ。砂袋を落として、音も演出してみました」

 悪びれもせず、ラッズは種明かしをしてくる。ここまで来ると憎む気にもなれない。

「お前は劇作家にでもなるべきだよ」

「あ、そうかな?俺もそっちの才能はあると思うんだよね。そういうわけで、将来のネタとして転移魔法の事を教えてよ」

「諦めろッ!」

「そこを何とかぁ」

 ラッズは両手を合せて頼みこんできた。本当にしつこい奴だ。

「ちょっと可哀相なんじゃ・・・・・・」

 すると、レオネスが情にほだされ口を挟んできた。

「駄目だ。一つ例外を作ると、法が歪む」

「法って」

「俺が法だ」

 と俺が決め台詞を発していると、ラッズを釣り上げている縄が急にほどけだした。

 今にもラッズは落下せんとしていた。ただし、本人はボケッとしていたのだが。

 クソッ、嘘から出た真かッ!

 レオネスは一瞬で窓を開け、ラッズの手を掴む。

「ヒィィッ」

 今頃にして事態に気づいたのか、ラッズの情けない声が響く。しかし、無理も無い。今、ラッズを支えているのはレオネスの手のみなのだ。

 あまりの展開に俺も驚きを隠せない。

 とはいえ、レオネスなら何の問題も無いだろう。人一人を引っ張るなど勇者候補なら出来て当然だ。

「ちょっと・・・・・・何で、こんなに重いんだッ・・・・・・」

 レオネスの焦燥の声が響く。

「へ?」

 見る間に、レオネスも引きずられていく。

 俺はとっさにレオネスの腰を掴むも、信じられない力が下に向けて掛かっている。

 何かがおかしい。

「レオネスッ、助けてくれぇッ!」

「分かってるッ、だけどッ!」

 そうレオネスは魔力を全開にして、ラッズに叫び返す。

 いかん。俺とレオネスの力でもラッズを引き上げられない。いや、俺はほとんど役立ててない気がするが。

「イシュアッ!俺を支えないでいいから、直接、ラッズを引っ張ってくれッ!」

「分かった」

 俺は言われるままにラッズの腕を掴む。急に力が抜けていく。クソッ、こんな所で体力の限界か?どんなに弱まってるんだ、俺の体は。

 一方で、ラッズは半泣きでわめいている。

 その時、俺はラッズの周囲に見た事の無い術式が掛かっているのに気づいた。

「何かの術がラッズに張られているッ!重力操作か何かだッ!」

 俺の言葉にレオネスはギョッとする。

「どうにか解呪できないのか、イシュア?」

「無理だッ。解呪は俺も苦手なんだ」

 すると、ラッズは口を開いた。

「イシュアッ!転移魔法で助けてくれよッ!」

「出来るかッ!もう魔力切れなんだッ!」

 この時、俺は悪意に気づいた。

 何者かが俺に転移魔法を使わせようとしている。

 そいつがラッズに術を掛け、転移魔法を使わざるを得ない状況に追いこんだのだ。

 クソッ、ふざけるなッ!使いたくても使えないんだよ、こっちは!

 こうしている間にもラッズの体はどんどんと重くなってくる。俺とレオネスの力も限界が近づいている。いや、別に俺はあんまし役立ってないわけだが。

 ええい、何か打開策を考えろ。

 重力操作を打ち消すには・・・・・・待て、そもそも本当に重力操作なのか?

 おかしい。本当に重力操作ならば、今頃、ラッズの腕は重みの負荷で千切れてもおかしくないはずだ。ラッズは魔導技師学科で魔力をほとんど有していないから、一般人と変わらぬ身体能力しか持たない。

 となると、別の魔術・・・・・・。そうかッ!

「レオネスッ。これは呪いだッ!対象に触れると、発動する呪術(じゅじゅつ)だ」

「つまり?」

「ラッズに触れると身体機能が落ちるんだッ!」

「なら、どうすれば良いッ?」

 レオネスが焦り、叫ぶ。冷静に考えれば当たり前の方法も、いざ戦場では思いつかないものだ。

「ラッズから手を離して、俺を引っ張れッ!俺はラッズを掴み続けるから。そうすれば、お前は呪術の影響を受けずに済む。」

「分かったッ。じゃあ、離すよッ」

「早くしろッ!」

 俺の叫びと共に、レオネスはラッズから手を離した。

 すると、俺一人にラッズの体重が掛かる。この時、俺は甘く見ていた。

 今の俺は、俺が考えて居る以上に力を失っていたのだ。

「え?」

 決して俺はラッズの手を離そうとしなかったが、ラッズに引きずられ、レオネスが俺の体を掴む前に、あっという間に窓からずり落ちてしまった。

見る間に、俺はラッズと共に地面へと加速していく。ラッズの絶叫が響く。

「ッッッ!」

 この時、俺の脳も加速していた。そう、学匠シェルネの火球を受けた時のように。

 スロー・モーションの中、レオネスが本来の実力を取り戻し、窓(まど)縁(ぶち)を蹴って一気に地面に降り立つのが分かった。

 彼は俺達を受け止めようと移動している。

 だが、受ける時にラッズに触れたら呪術で力が抜けて、失敗してしまうかも知れない。

 俺は渾身の力を振り絞り、ラッズを上に自分を下にした。

 次の瞬間、時は元に戻り、俺は大きな衝撃を受けた。

「クゥ・・・・・・だけど、生きている」

 そう俺は呟いた。レオネスは俺と俺の上に乗るラッズを抱えていた。

 すなわち、レオネスがラッズには直接触れていない形だ。

 一方、俺はラッズに押し潰されている上に呪術を受け、最悪な状態だ。

「早く、どけ・・・・・・」

 しかし、ラッズはどうも気絶しているようで返事が無い。

「はぁ」

 安堵の吐息を漏らしながら、レオネスはソッと俺達を地面に降ろした。

 それから俺は自力でラッズをどけて、這い出ていく。

 ラッズから離れ、体調は少し良くなった。とはいえ、以前に比べたら全然ではあるが。

「酷い目にあったな」

「でも、無事で良かったよ」

「ギリギリだったけどな」

「イシュアが下じゃ無かったら厳しかったかも知れない。すごい呪術だ」

 レオネスはスヤスヤと眠るラッズを覗きこみ言うのだった。

 すると、ラッズの体から黒い羽のようなものが散っていき、虚空に消えていった。

 まるで夢だったかのようだ。

「呪術は解けたみたいだな」

「でも一体、誰が?」

 そう呟くレオネスの顔は見たことが無い程に険しかった。

「分からんな。しかし、妙だな。ラッズから魔力の痕跡を感じ取れない。あれほどの呪術ならラッズの体に術者の魔力痕が残っているはずなのにな。それさえ分かれば、犯人はすぐに分かるってのに」

「というか、僕はそもそも呪術自体を認識できなかった。僕の体はだるくなってたから、その影響は受けていたんだろうけど」

「待て、レオネス。さっき、ラッズの体から黒い羽みたいのが舞っていっただろう?」

 との俺の言葉に、レオネスは怪訝な顔をした。

「羽?いや、見てないけど。いつの事だい?」

「だから、地面に置かれたラッズを俺が覗きこんだ時だよ」

「・・・・・・ごめん。その時、僕もラッズを見てたけど、黒い羽には気づかなかった」

 そうレオネスは真剣に答えた。

「俺にしか見えてなかったのか?」

「かもしれない」

「わけが分からないな」

 すると、レオネスが眉をひそめ、口を開いた。

「イシュア。今から僕は馬鹿な事を言うかも知れない」

「構わない、言ってくれ」

「その呪術。僕には見えなかったけど確かに実在した。しかも、魔力の跡も無い。とすると、それは普通の力じゃない」

「それはそうだろうな。異様な力だった」

 しかし、レオネスは首を横に振った。

「違うんだ、イシュア。その呪術は本当に魔法だったのかい?」

「どういう事だ?」

「つまり、僕達の知らない未知の力がそこには在ったんじゃ無いかって」

 その言葉に俺はギョッとする。確かに言われて見れば、その通りだ。信じがたくはあるが、あれは普通の魔力とは明らかに違った。

「しかし、未知の力と言われてもなぁ」

「ただ、イシュア。君にはそれが見えたんだろう?なら、君はその未知の力を知っているんじゃないかと思って」

「ありえない。もし、そんな力があったら、論文か何かで発表してるさ」

「それもそうだね。ただ、もし心当たりがあったら教えて欲しい」

「ああ・・・・・・アッ」

 ふと、俺は思い至った。冥府の力。それは未知の力と呼べない事も無いだろう。

 もしかして、あの儀式の影響で色々と見えるようになってしまったのか?

「イシュア?」

「い、いや。何でも無い。そ、それより、ラッズをどうしたものか。気絶してるし」

 何とか話題を変えようと俺はした。冥府の力に関しては誰にも知られたくない。すると、タイミングの良いことに、誰かがやってきた。

 ラッズの仲間達が血相を変え、寮の裏口から出てきたのだ。

「だ、大丈夫か?」

 仲間の一人が怖ず怖ずと尋ねてきた。

「お前達、何してたんだ?手助けしてくれても良かったのに」

 刺々しい口調で俺は問い詰める。

「そ、それが意識が飛んでて。気づいたら、ロープがほどけてて。それで下を見たら、レオネスとイシュアとラッズが居て」

 との説明に、俺とレオネスは顔を見合わせる。

「待て。意識を失ってたのは全員がか?」

「あ、ああ。屋上に居た全員がだよ。今も頭が少しボーッとする。変なものでも食べたかなぁ?」

 などと脳天気な事を言ってくる。恐らく、それも犯人の仕業だろう。何かの力で犯人は彼らを眠らせ、俺がラッズを助けなければいけない状況を作り上げたのだ。全ては、俺に転移魔法を使わせるために。

俺は彼らをジッと観察するが、やはり彼らにも魔力の跡が無い。この敵は魔力痕を残さずに、人間を眠らせる事も出来るようだ。厄介な事、この上ないな。

とはいえ、今はこの場を収めないとな。俺はラッズの仲間達に告げる。

「事情は分かった。なら、ラッズを連れて今は戻ってくれ、な」

「りょ、了解」

 と、ラッズの仲間達は胸に手を当て敬礼をしてくる。相当、混乱しているようだ。

「こらー。お前達ー、何しとんじゃぁーッ!」

 すると、怒っているわりに間延びした声が響く。

 振り返り見れば、少女寮長が羽ウサギの人形を片手に駆けてきた。

 しかし、途中でこけた。羽ウサギの人形をかばうように器用に転んだのは賞賛に値するだろう。さらに彼女は急ぎ起き上がるも、今度は足を滑らせ尻もちをついた。

 何てドジな奴なんだ。しかも、パンツが見えてるし。クマの刺繍が付いてるしッ!

「うー、痛い」

 一方で、寮長は泣き言を呟いてる。とはいえ、隙が出来たのは事実。

 俺はレオネスをうながし、逃げ出すのだった。また、ラッズの仲間達も急ぎ奴を抱え、一目散に駆けていく。

「待てーッ、逃げるなーッ!くぅ、暗闇で顔が見えんかったし、むかつくーッ!」

 という叫び声が後には響くのだった。こちらの顔が割れなかったのは幸いだ。

 これ以上、無駄な面倒に巻きこまれるのはゴメンだからな。

 

 第3話


 その夜、俺は廃墟の地下室には行かなかった。本当はすぐにでも向かいたかったのだが、体力的に限界だったし、俺を狙う奴も居るみたいだし、今夜は大人しくしている事にしたのだ。

 しかし早朝、俺は行動を開始した。体力も回復したし、廃墟の地下室へ向かったのだ。

 とりあえず、持って来たパンを廃墟の前で食べる事にする。うん、うまい。

 食事を摂ったことで頭が冴えてきた気もする。今なら力を取り戻す事も叶うに違いない。

 水を飲み、立ち上がる。さぁ、始めよう。

 地下への階段を降りていく。薄暗く湿った空間が俺の前に広がる。まず、俺は魔方陣の残骸を調べていく。しかし、特に何かが分かるわけでは無い。

「困ったものだ。とはいえ契約は一応、成立したって事なのか?」

 首を傾げつつ俺は呟く。もし、そうなら非常に厄介だ。代償として奪われてしまった力を取り戻すのは非常に難しいだろう。契約の解除をしなくちゃいけないからな。こんなの明らかに無効契約だ、馬鹿やろうッ!

「冥府の王と交渉するしかないのか?やり方は分からないけど」

 そして、俺は深いため息を吐いた。

 すると、階段から足音が近づいて来た。一人じゃない、複数だ。

 俺はとっさに身構える。もしかして、昨日のラッズに呪術を施した犯人が現れたのか?

 しかし、どうも違うようだった。やって来たのは俺が以前に決闘で倒したサイオンと、その従者達であった。

「これは勇者候補サイオン。こんな早朝に何の用だ?」

 との俺の言葉に、サイオンは露骨に顔をしかめた。

「それはこっちの台詞だ。イシュア、貴様こそ何をしている。こんな廃墟で」

「何かをしてちゃいけないのか?」

「質問を質問で返すなッ!」

 怒気をはらませ、サイオンは木剣を取りだした。

「おだやかじゃ無いな」

「私はな。イシュア、貴様のイカサマを暴きに来たんだ」

「イカサマ?」

 妙な事になってきたぞ。まぁ、話を聞いてみる事にしよう。

「そうだッ!転移魔法を使ったなど、ただのトリックだろう。そうに決まっている!」

 サイオンは俺に木剣を突きつけ叫んだ。

「良く分かったじゃないか。そうだ、トリックなんだ」

「フン、何を言っても無駄だ。大方、転移魔法のふりをして、不可視魔法で隠れてたんだろう。私には全て分かって・・・・・・え?ちょっと待て。今、何て言った?」

 急にサイオンの調子が狂ったようだ。おかしな奴め。

「だから、お前の言うとおりトリックだ。ちょっとした冗談だよ、冗談。そういうわけで、皆の誤解を解いておいてくれ。俺も迷惑してるんだ」

 すると、サイオンはあんぐりと口を開けだした。間抜け面ってやつだな。しかし、奴は急にわなわなと震えだし、顔を真っ赤にし出した。リアクションが面白いな、こいつ。

「イシュアァァァァッ!そうやって、人をいつもおちょくりおって!お、お前が転移魔法を使ったのは分かってるんだぞッ!」

 半狂乱にサイオンはわめき出した。やばい、奴も相当に混乱してるぞ。支離滅裂だ。

「ちょっと待て。お前、言ってる事がおかしいぞ」

「うるさい、私だっておかしいと思ってるんだ。昨日、貴様が不可視魔法で隠れたんじゃないかと、学匠シェルネに聞いてみたんだ。その場に居た最も信用のおける人だからな」

 その言葉に俺も少し納得する。確かに俺が奴でも同じ事をしたかも知れない。とはいえ、不可視魔法で姿を隠して、転移したふりをするという発想は無かったな。なかなか、興味深い。

「ふむふむ、それで?」

「だけど、学匠シェルネは不可視魔法では無いとおっしゃられた。もし、不可視魔法を使ったなら、わずかに魔力痕が残るはずだと。しかし、あの場にお前の魔力の跡は全く存在しなかったそうだ。守護魔法のものを除いて」

「なる程。でも、待て。そうなると、転移魔法の魔力痕が残ってないとおかしいじゃ無いか」

 そう俺はサイオンに問いかけた。ちなみに、魔法とかで魔力を使えば周囲に必ず魔力痕という跡が残る。なので能力を使って犯罪をおかそうとしても一発でばれてしまう。

 しかし、自分で言ってなんだが、これって結構な矛盾じゃないか?

「そう。そうなんだ。でも、学匠シェルネは転移魔法は魔力痕が残らないものだと、おっしゃられたんだ。わけが分からない」

 サイオンの言葉に俺は記憶を辿る。そう言えば、何かの伝説でそんな話があったような気もしなくは無い。うーん、何か奇妙な程に上手く皆が勘違いしてるなぁ。

「よーく、分かった。だが、サイオン。お前も学匠シェルネも勘違いをしているんだ。実はな、俺は学匠シェルネの放ったブレイズの魔法で吹っ飛んでったんだ。それでグラウンドの端に樹木があるだろう?大きいやつが。それに引っかかってたんだ。そしたら、皆が転移魔法だなんだと誤解してしまったんだよ。それで調子に乗って、本当に転移魔法が使えたふりをしたんだ。いやぁ、ホントにごめんね」

 そう俺は正直に話してみた。さぁ、反応は如何に。

「つ、つまり。爆風で吹き飛んだから魔力を使わずにグラウンドの端まで移動できたと言いたいのか、お前は?」

「ああ、その通りだ。理解できたか?」

「ふざけるなァァァッァッ!」

 とサイオンの怒号が地下室に響いた。これには従者達も耳を押さえていた。

 ああ、耳がキンキンする。ただでさえ体が弱ってるのに、止めて欲しいものだ。

「イシュアッ!あまり俺を馬鹿にするのも、いい加減にしろ。そんな事、人間に出来るわけが無いだろうが。それはすなわち、魔力をまとう事なく爆発を受けた事になる。生身の人間が爆風を受けて無事なわけが無いだろうがッ!」

 その言葉に俺も考えこむ。もっともな意見だ。

「確かに・・・・・・何でだろうな。いやぁ世の中、不思議な事も多いなぁ。今回の事件をテーマに卒業論文でも書こうかなぁ」

 と、俺は呟いてみる。しかし、困ったなぁ。真実を話してみてもこれじゃ、昨日の犯人も俺が転移魔法を使って無いって信じてくれないぞ。

 すると、サイオンは怒りで身を震わせ出した。

「イシュアッッッ!も、もう許さんッ!決闘だッ!」

「待て、サイオン。質問がある、いくつかな」

「質問だとぉッ!いいだろう。私は貴様と違い、正直に答えてやるぞォォッ!」

 そうテンション高く、サイオンは答えた。何だか楽しくなってきたぞ。

「では、質問1ッ!サイオン、お前はどうやって俺が廃墟に居る事を知った?」

「簡単だ。一晩中、従者達に交代で貴様の部屋を見張らせていた。そしたら、貴様が朝早く寮を抜け出したと従者が念話で報告してきた。あまりに怪しい。なので急いで起きて、貴様を追ったのさ!」

 妙なポーズを決め、サイオンは誇らしげに言ってきた。しかし、この従者達も可哀相に。この馬鹿の道楽に付き合わされて。その間、本人は安らかに眠ってたんだろうな。

「なる程。ならば、従者の頑張りに敬意を表しながら、質問2だッ!まぁ、これは聞くまでも無いだろうが、お前や従者達の中で呪術を使えるものは居るか?」

「呪術だと?ワラ人形とかか?」

「違う?人の体力などを弱める類いの術式だ」

 対し、サイオンは高笑いをあげだした。

「お前はアホか。私達は剣がメインの勇者と戦士達だ。魔法など使えるはずが無いだろうがッ!」

「あ、やっぱり」

 すると、サイオンはまた憤りだした。魔法が使えない事がコンプレックスなのかも知れない。古き時代の勇者は魔法など楽勝で使えたというのに、嘆かわしい。

「イシュアッ!少し、魔法が使えるからって調子に乗るなよッ!」

「すまない、サイオン。お前の魔法コンプレックスを刺激するつもりは無かったんだ」

 と俺が謝ってやったってのに、サイオンは「フォオオオッッ!」と激怒し吼えだした。

「いやぁ、でもやっぱり、お前が犯人じゃ無かったか。となると、困ったなぁ」

 そう俺が納得していると、サイオンは目を血走らせだした。もしかして、本気で怒ってるのか?面倒だなぁ。

 などと考えていると、サイオンが唸るように言葉を発してきた。

「質問は終わりかッッッッァッ!」

「ああ、終わりだッ。だが、決闘はしないぞ、サイオンッ!」

「何故じゃああああッ!」

「俺は戦いたくないんだッ!」

 と、決めぜりふを俺は発した。

 それを受け、サイオンは気圧され少しよろけた。異様な沈黙が場を流れる。

「戦いたく・・・・・・ない?」

 毒気を抜かれたようにサイオンは尋ねてきた。

「ああ、そうだ。俺は疲れた。人生にな。しばらくゴロゴロして生きていきたい。動物達となッ!」

 すると、サイオンは木剣を落とし、頭を抱えだした。

「お、お前、どんな動物と余生を過ごしたいんだッ!」

「猫・・・・・・かな。もしくは、象・・・・・・かな」

「つぶらな瞳の象さんかッ!?」

「そうだッ!」

 俺達の激しいやり取りに、従者達はハラハラしながら見守っていた。いや多分、呆れながらも見てたんだと思う。

「イシュア・・・・・・お前というやつは・・・・・・」

 突然、サイオンは天を仰ぎ涙を流し出した。ついに狂ったか?

 俺の戸惑いをよそに、サイオンは涙も拭わずに口を開いた。

「そうか。お前も象さん好きだったか」

「え?ま、まぁ」

 適当に俺は相づちを打つ。

 すると、サイオンは俺に歩み寄り、両肩をガシッと掴んだ。な、なんだ?

「ああ、イシュア。全て、全て理解したぞ。この私だけは」

「え?ちょっと待て、何の事だ?」

「いやいや、みなまで言うな。分かってる。分かってるからな」

 絶対に何も分かってないという確信が俺にはある。

「まず言っておこう。象さん好きに悪人は居ないとッ!」

 とのサイオンの言葉に、従者の一人が高々と手を挙げる。

「サイオン様。私も象が好きですッ!」

 次の瞬間、その従者はサイオンに殴られ、吹っ飛んでいった。何気に受け身を取ってるし。

「この愚か者がッ!生半可な気持ちで象さん好きを公言するなッ!」

「ヒィィ、お許しをォォォッ!」

 可哀相に従者は地に頭を擦りつけて謝っていた。しかし、全くダメージが無さそうな所を見ると、こいつ案外、サイオンより強いんじゃないのか?

「許す。ああ、イシュア。済まなかったな、従者が迷惑を掛けて」

「え。い、いや。別に」

 むしろ迷惑をこうむったのは従者の方だろう、明らかに。

「さて、イシュア。お前の言う事を信じよう。まぁ、誰にでもあるさ。つい嘘をついてしまう事くらい。でも、私には本当の事を話してくれたんだな。嬉しいぞ」

 とのキザな台詞に身の毛がよだつ。

やめろ、俺に優しくするなッ。お前はいつものお前で居てくれ、サイオンッ!いつもの疑り深いお前は何処へ行ったッ?

「まぁ、全てトリックだったんだな。種こそ良く分からないが、私との決闘の時も何かの仕掛けがあったのだろう?そうでなければ、この私が負けるはずも無いものな」

 との言葉に俺は呆れながらも妙に納得する。こいつ、だから変に信じてきたのか。

「え?いや、あれは本当の実力で・・・・・・」

 しかし、サイオンは俺の言葉を無視し、高笑いをし出しやがった。人の話を聞かないのは変わらないな、こいつ。

「またまた。良いんだぞ、イシュア、もう本当の弱い自分をさらけ出して。最強を演じる必要はもう無いんだッ!」

 との凄まじい勘違いに、俺はポカンと口を開けざるを得なかった。

 乾いた笑いが自然と口をつく。そんな中、サイオンは俺の肩をポンポンと叩いた。

「辛かったな、イシュア。だが、安心しろ。最強と勘違いされる重圧を私が取り除いてやる。そう、私が皆に説明してやるからな。お前が本当は弱いんだと!」

 そうサイオンは高らかに告げてくるのだった。

 あまりの事態に俺はよろめきそうになった。いや、確かに今の俺は弱者と言えるかも知れないが・・・・・・。ま、まぁ結果オーライなのか?

「あ、ありがとう」

 俺はぎこちなく答える。内心、かなり複雑な気持ちではあるが。

「いや、いいんだ。後は私に全て任せておけ」

「う、うん・・・・・・」

 非常に不安だ。

「ところでイシュア。私の領地ではな、象を飼育してるんだ。白い象さんだぞ。とっても可愛らしい事、この上ない。今度の夏の休みにでも見に来るといい」

「え?えぇと」

「まぁ、そう遠慮するな。もっと、喜びを表に出して良いんだぞ」

「え。わ、わーい。嬉しいなぁ・・・・・・」

 とりあえず、作り笑いをしてみる。すると、サイオンは非常に満足そうに何度も頷いてきた。

「じゃあ、私達は先に戻るぞ。お前も魔法の訓練は程々にして朝食に来るといい。しかし、イシュア。お前も人並みに魔法が使えるように見せるために、こんなにも努力をしているんだな。さすがは我がパーティの魔導士だ」

「ちょっと待て、誰が何だって?」

 さすがに今のは聞き捨てならない。

「ん?私と従者達だけでは魔法が使えないだろう。故にイシュア。お前は後方から補助の魔法を掛けてくれれば良い。な、それなら危険も少ないだろう?」

 とサイオンは言ってきやがった。

 ふざけるなッ!お前とパーティを組んだら、命がいくつ有っても足りんわッ!

 だが、サイオンは俺の肩を再びポンポンと叩いてくる。過剰なスキン・シップは止めてくれ、マジで。

「ではな、イシュア。我が心の友よ。アッハッハッハッハ!」

 こうして、俺を心の友と認定しやがったサイオンは高笑いをあげながら、従者達を引き連れ地下室を去って行くのだった。

 あまりの展開に、俺は頭を抱え床をゴロゴロと転がりだした。もう、どうにでもなれだ。

「はぁ・・・・・・駄目だ。ついていけん」

 床で大の字になりながら、俺は呟いた。

「帰ろうかな」

 そして、俺は廃墟を後にするのだった。


第4話


 寮に向けてトボトボと森の中を歩いて行く。精神的に酷く疲れたからか、足取りが重い。

 獣道を抜け、多少は整備されている散歩用の道に入る。とはいえ、寮までここから六半刻(20分)くらいは掛かるのだ。

 今の俺にとり、六半刻(20分)を歩くのは相当にかったるい。大体、まだ授業も始まっていないのに、こんだけ疲れているのはマズイだろう。

 その時、俺は前方から誰かが歩いて来るのに気づいた。

 誰だ、こんな朝早くから。思わず、俺は茂みに隠れた。そして、茂みの中で気配を消そうと目を閉じ、ジッと息をひそめ続けるのだった。しかし、何をやってるんだ、俺は一体。どうも、魔力を失ってから弱気でいけない。

 段々と足音が近づいて来る。妙に緊張してきた。クソッ、以前の魔力さえあれば、どんな状況でも怯える事ないというのに。とっさに隠れてしまったから、それが誰なのか全く分からない。

 すると、足音がすぐ近くで止まった。やばい、ばれてるのか?冷や汗がダラダラと流れ出す。痛い程に視線を感じる。絶対にばれてるぞ、これは。

 ならば、こちらも見てやろう。

 そう思い、俺は意を決し目を開けた。茂み越しには女性のスラッとして美しい生足が映る。やけに艶めかしい雰囲気が漂っている。けしからん、けしからんぞ、これは。

「イシュア君?」

 掛けられた声に俺は安堵した。聞き覚えのあるその声は学匠シェルネのものだった。

 俺はガサッと音をさせながら立ち上がった。

 すると、学匠シェルネは少しビクッとするのだった。怯えさせてしまい、本当に申しわけ無い。ちなみに、今の俺は上半身だけ茂みから出ている形だ。

「おはようございます、学匠シェルネ」

 丁寧に俺は挨拶をする。

「お、おはよう。イシュア君」

 戸惑いつつ、学匠シェルネは挨拶を返してきた。

 しかし、学匠シェルネの格好は普段のローブ姿と違い、私服だった。

 ミニスカートを落ち着いた感じで着こなすのは流石だ。いかん、あまりジロジロと見てはいけない。

「いやぁ、奇遇ですね。こんな所で」

 そう俺は話を切り出す。

「そ、そうね。とりあえず、そこから出てきたら?」

「あ、はい。すいません。今、そっちに」

 と答えながら俺は茂みを出ようとするも、ズボンの尻の所に枝が引っかかる。

「クゥ、枝ごときが邪魔をするなぁぁぁッ!」

 無理に出ようとすると、一気に引き抜けて俺は地面を転がる。あまりに無様すぎる。

 しかも尻の辺りに痛みを覚えたので、恐る恐る見ていると、何とズボンが破けていた。

 微妙に尻が見えている。なんてこった、よりにもよって学匠シェルネの前でッ!

 俺は愛想笑いを浮かべながら、尻を手で押さえる。

「だ、大丈夫?」

 心配そうに学匠シェルネが尋ねてくる。

「は、はい。何とか・・・・・・」

「でも、ズボン破れたわよね?」

「・・・・・・はい」

 正直に俺は答える事にした。あぁ、穴があったら入りたい。モグラのように。

「ごめんなさいね、私のせいで」

「いえ、全ては俺の不注意が原因ですから」

「もし良ければ、そのズボン縫ってあげましょうか?」

 一瞬、俺はその発言に反応できなかった。待て、今この人は何ておっしゃった?

「えぇと、先生がですか?」

「嫌じゃ無ければ、だけど」

「いえ、お願いします」

 そう即答した。別に他意は無い。単に新しいズボンを買う金がうくからな。裁縫に関して、俺は非常に苦手だから自分で直すのは無理だし。

「なら、後でズボンを渡してちょうだい」

「はい。必ず」

 たまには良いイベントもあるものだッ。やばい、気分が高揚してきた。ところで、学匠シェルネは講師としては非常に若く、俺より約3歳年上。彼女は2年前に剣の院を卒業して、そのまま学院に残り、魔導士の講師として働いているのだ。ちなみに、卒業と同時に学匠の称号を得た非常に優秀で希有な例だ。

 しかし、もし俺が生まれて来るのが2、3年早かったら、学匠シェルネと学院を共に過ごせたわけか。彼女が同級生だったら、俺は間違い無く告白していた事だろう。そして、俺は彼女と付き合いだし、幸せな学院生活を送り・・・・・・良いッ!

 それに比べて、なんだ、今のこの状況はッ。魔力も失って、学園に残れるかすら危ういラインだと言うのに。クゥッ、学匠シェルネ、いやあえて今はこう呼ぼう、シェルネと。多分、シェルネと付き合っていて満たされていたら、俺は冥府の力なんかに手を出そうとはしなかったはずだ。

 あぁ、あと3年、あと3年早く生まれていれば・・・・・・惜しい。なんて惜しいんだッ。

クソッ、俺は時の神ゾルワーンを恨む、恨むぞッ!

 などと妄想にひたっていたら、学匠シェルネが心配そうに声を掛けてきた。

「あの、イシュア君、大丈夫?」

「ええ。問題ありません。少し考えごとをしていまして」

「そ、そう・・・・・・」

 戸惑いを見せる学匠シェルネを俺は観察する。確か再来月が学匠シェルネの誕生日だから、今、彼女は19か。あれ?悪くないんじゃ。

 とはいえ、俺と彼女は生徒と講師の関係、恋や愛など許されはしない。

 いや、だからこそ禁じられた恋は燃え上がるものッ!テンションが上がって来たぞッ!

 待て、待て、待て。イシュア、落ち着け。落ち着くんだ。クール・ダウンしろ。焦るのは良くない。俺はまだ若い。もっと魅力的な娘に出会う可能性も十分にある。

 よし、この件に関しては保留だ、保留。そういう事にしておこう。

 結論が出て、俺は清々(すがすが)しい気分に浸っていた。まぁ、世間話でもするか。純粋に彼女と話すのは楽しいし。

「学匠シェルネ。ここには何をしに?」

「散歩よ。私、毎朝、この森を散策してるのよ」

「あ、そうなんですか。いやぁ奇遇ですね。自分も良く散歩に来るんですよ」

「そうなの?今まで会わなかったのが不思議なくらいね」

「ハハッ、そうですね」

 それから俺は適当に誤魔化しながら会話を続けた。

 とはいえ、そろそろ寮に戻った方が良い時間だ。

「学匠シェルネ。朝食の時間も近づいていますし、そろそろ失礼します」

「あらそう?でも、まだ鐘も鳴ってないし、良ければもう少し一緒に散歩していかない?」

「あ、はい」

 と、俺は即答した。

 そして、俺と学匠シェルネは横を並びながら歩き出した。話すのはとりとめの無い事ばかりだ。

 しばらくすると、奥にある泉へと出た。結構、寮から離れてしまったな。

 俺と学匠シェルネは何も言葉を発さずに、澄み渡る泉をただ眺め続けていた。

 とはいえ、何だこのムードは。俺にも春が来てしまったのか?そんなッ、心の準備が。

「イシュア君」

「なんでしょう?」

 心を落ち着かせながら、俺は平静を装いつつ答えた。

「あなたは学院を卒業したらどうするつもり?」

 彼女が投げかけてきたのは思わぬ質問だった。

「えぇと・・・・・・まぁ、第3学年での成績次第ですかね。とはいえ、志望としては警察関係ですかね」

「秘密警察って事?」

「はい」

 短く俺は答える。この件に関しては、いくら学匠シェルネといえど、あまり多くを語りたくないのだ。

「そう。惜しいわね。私はてっきり、あなたは魔導士の学者として研究をするのかと思っていたわ」

「この国は魔導士に関しては研究設備が整っていませんから。この学院もその名は《剣の院》ですし。結局は勇者や戦士という剣を使う職が優先されます」

「なら、外国で研究をするという道は?私も生まれは隣国のカルギス王国よ。育ったのはこのアレルカン公国だけどね」

「それは初耳ですね」

 すると、学匠シェルネは柔和な笑みを見せた。

「ええ。私の叔父はカルギス王国の魔導研究機関で働いているのよ。良ければ紹介するわよ。今度の夏の休み、私と一緒に遊びに行ってみない?」

 との誘いに心が揺れる。

 クソッ、象さんにせよ、これじゃ俺の夏休みは暇無しだぞッ!

 だが、今はそんな現実逃避的な事を考えて居る場合では無い。道化は終わりだ。

 心を切り替え、俺は寂しげにそれでいて冷たく告げる。

「残念です、先生」

「残念?」

 学匠シェルネは首を傾げる。

「レオネスッ!」

 そう俺は同室者にして親友の名を叫ぶ。すると、一瞬にして彼は俺の前に現れる。

「いやぁ、本当にラブコメでも始めるのかと思ったよ」

 レオネスの緊張感の無い言葉も、今回だけは許そう。こいつが居なければ、今回の作戦はたてようが無かったのだからな。

 そう、全ては作戦だったのだ。俺は昨日の犯人をおびきよせるために、あえて廃墟へと向かったのだ。一人になれば、向こうから接触してくると思って。さらに、今の俺は魔力が使えないから、護衛としてレオネスに遠くから見張らせていた。

 しかし、まさか掛かったのが学匠シェルネなんて・・・・・・クソッ、信じたく無かった。

「これは・・・・・・どうしたの?レオネス君よね、あなたは」

 キョトンとしながら学匠シェルネは問いかけてくる。代わりに俺が口を開く。

「学匠シェルネ。もう止めにしませんか、芝居は。あなたはカルギスのスパイか何かだったんですね」

 俺の言葉に、学匠シェルネは眉をひそめる。

「イシュア君、言って良い事と悪い事があるわよ。冗談にしても・・・・・・」

「いやいや、冗談でこんな事は言いませんよ。昨日の夜、ラッズに呪術を掛けたのは、あなただったんですね」

「何を言っているの?」

 そう答える学匠シェルネは本当に戸惑っているように見えた。

クソッ、目をうるませやがって。

「あり得ないんですよ、先生。転移魔法を俺が身に付けたと知っていながら、外国の研究機関を推薦するなんて。焦りすぎましたね。昨日の犯人があなたかどうかは置いておいて、少なくともあなたを秘密警察に引き渡す必要はありますね」

「こんな事で秘密警察が動くと思うの?」

「思いますね。俺の祖父は暦博士です。祖父の口添えがあれば、彼らも動かざるを得ないでしょう。そして、俺は祖父に溺愛されているのですッ!」

 高らかに俺は告げてやった。

 すると、学匠シェルネは額に手を当て、ため息を吐いた。それから釈明を始めた。

「イシュア君。確かに私の発言は不適当だったわ。このアレルカン公国に身を置くものとして、不適切だったのは認めるわ。でも、悪意は無かったのよ。純粋にあなたの将来を思っての言葉だったの。色んな道があるって言いたかっただけで」

「まぁ、後は秘密警察に話してください」

 冷酷に俺は言い放った。

「・・・・・・イシュア君。あなたは若く、秘密警察の恐ろしさを知らないから、そんな風に軽く言えるんだわ。恐らく、彼らに拘束されたら、私は二度と日の当たる場所に出てこれないでしょうね。彼らは証拠をねつ造してまでも、容疑者を断罪する。秘密警察を志すなら少しは分かるでしょう?」

「ええ。それが公国の利益となるなら彼らはそうするでしょうね」

「私はそれ程にあなたに嫌われていたのね」

 再び瞳をうるませ、学匠シェルネは声を震わせてきた。

「ッ、うるさいッ!俺の純情をもて遊ぶなッ!チクショウ。災難ばかりだ。こんな事になるくらいなら、仲良くするんじゃ無かった。い、言っておくけど、俺は本当にあんたを信頼してたんだぞ。なのに裏切りやがって、これだから女はッ!」

「お、落ち着いて、イシュア君」

「これが落ち着いてられるかぁぁぁぁぁッ!」

 俺の魂の咆哮が響き渡り、鳥たちが驚いて羽ばたいていく。

「ハァ、ハァ・・・・・・レオネス。早く、こいつを捕まえろッ!」

「う、うん」

 そう答え、レオネスは学匠シェルネに歩み寄った。

「潮時か・・・・・・」

 学匠シェルネの呟きに、レオネスは足を止めた。

「やっと認めましたね。ただ、レオネスと戦うのはお勧めしませんよ。この距離ならあなたが魔法を紡ぐより先に、彼の剣があなたを打つでしょう」

 との俺の言葉に、学匠シェルネは俺をジロリと見つめた。

「確かに、私はスパイよ。カルギス王国のね。それを認めた上で、もう一度あなたを誘うわ。イシュア君、私と来て。あなたは本物の天才よ。初めてあなたの魔法を見た時は、魂が震えたわ。そして確信した。ああ、この子は歴史に名を残す存在になるだろうって。その講師を一年と少し、引き受けられたのが、私にとってどれだけ光栄な事だったか」

「甘言を連ねても俺の心には響きませんよ」

「私は、嘘は言ってないわ。もし私を秘密警察に突き出して脳を覗かせたら、彼らに聞いて見ると良いわ。私は本当にあなたを尊敬している。出来る事ならあなたと一緒に、魔導を研究したいと心から願っている」

「嘘をつけッ!もうたくさんだッ!」

 涙が零れる。なんなんだ、これは。そんな事を言うのは止めてくれッ。どうせなら悪人のままで終わってくれよ、先生・・・・・・。

 すると、レオネスが冷静に口を挟んだ。

「イシュア、ごめん。僕は学匠シェルネを拘束するよ。君は見てなくて良い。あとは僕に任せてくれ」

 そして、レオネスは信じられない程の魔力を解放した。森中がレオネスの波動で震えている。彼の赤い魔力により、その黒髪は燃えるような赤髪に染まっていた。これ程までに怒っているレオネスを見るのは初めてだ。

「あなたは最低だ、学匠シェルネ」

 刀を突きつけ、レオネスは告げた。対して、学匠シェルネはフッと笑うのだった。

「そうね、最低でなければスパイなんて出来ないわね。でも、失敗したな。確かに、昨日の今日でイシュア君が一人で早朝に出かけるなんて、おかしいとは思ったのよね。ただ、サイオン君とのやり取りで、私の気が緩んじゃったのよね。まんまと罠に掛かってしまった。全ては昨日の犯人をおびき寄せるためだったのね」

 その言葉から、学匠シェルネは俺の行動を何らかの形で見ていたのが分かる。とはいえ、今はそのカラクリは関係ない。彼女は公国の裏切り者なのだ。その事実だけで十分だ。

「ええ。学匠シェルネ。大人しく投降してください」

 しかし、そのレオネスの言葉に、学匠シェルネは首を横に振った。

「レオネス君。確かに君は私より強い。でも、私も何の用意が無かったわけじゃないの」

 その刹那、何かがレオネスを吹き飛ばしていった。

 とはいえレオネスは空中で体勢を立て直し、泉の端に着地した。ダメージは少なそうだ。

「なんで・・・・・・」

 呟くレオネスの視線の先には、一人の女性が居た。

 そこに居たのは医術師のホリー先生だった。彼女はこんな時も白衣を着ている。というか、この展開は想定外だぞッ!

すると、軽く咎めるようにホリー先生は学匠シェルネに言葉を掛けた。

「やれやれ。シェルネ、油断し過ぎだ」

「ごめんなさい」

 二人のやり取りから、ホリー先生もスパイだと推測がつく。クソッ、最悪だ。

「ホリー。レオネス君を押さえていて」

「了解」

 簡素に答え、ホリー先生はレオネスへと向かって行く。対して、レオネスはホリー先生から距離を取るように移動した。そして、見る間にレオネスとホリー先生は森の奥へと向かい、見えなくなっていった。

 残されたのは俺と学匠シェルネだけ。

 あれ・・・・・・これってマズイんじゃ。おいッ、レオネス。帰って来い、こらーッ!

 すると、学匠シェルネがスタスタと俺に歩み寄ってくる。

 俺は背を向けて逃げ出すも、学匠シェルネの紡いだ拘束の魔法による鎖が俺を縛る。

う、動けん・・・・・・。俺にはMの趣味は無いと言うのに。

「でも幸運だったわ。やはり、あなたは昨日の転移魔法のせいで魔力がほとんど残ってないのね。そうでなければ、私ごときの術式であなたを縛れるわけが無い」

「サイオンに説明したのが真実なんですけどね」

「単に爆風で吹き飛ばされただけ、というのを信じろと言うの?私も見くびられたものね。サイオン君は騙せても、私は無理よ」

 との学匠シェルネとのやり取りの間も、俺は懸命に鎖を打ち破ろうとしていた。

 しかし、ガチャガチャと鎖の鳴る音のみが響くだけで、それはビクともしなかった。

「無駄よ。魔力も無い状態じゃ何万回やろうと、その鎖を壊せはしないわ」

「ですよね・・・・・・」

 諦めて、俺は無駄な抵抗をやめる。こうなったら、和解に持って行くしかない。

 落ち着け、俺。まずは何か和ませるような話題を持っていくんだ。

「先生って、もしかしてSっ気がありますか?」

 対し、学匠シェルネは呆れた風に眉をひそめた。

「イシュア君。別に私はSでもMでも無いから。ただ、今はSでも良いわよ」

 すると、学匠シェルネは右手に魔力を集中させた。何か、やばいぞ。

「これから私はあなたの記憶を探るわ。もしかしたら、脳に後遺症が残るかもしれないけど、ごめんなさいね」

「ちょ、ちょっ。先生ッ!やめてください、俺達の仲じゃ無いですかッ」

「本当は私もこんな事はしたくないの。でも、段々と本当に転移魔法が使えたのか確信が無くなってきたわ。だから、確認のためにね」

「いや、だから転移魔法は使ってませんって!」

 すると、学匠シェルネはふいに黙りこんだ。

 お?必死の説得が通じたのか?よしよし、さすがは学匠シェルネ、物わかりが良い。

 しかし、俺の抱(いだ)いたわずかな期待は無惨にも打ち砕かれた。

「イシュア君。痛くしないからね」

 微笑み、学匠シェルネは俺の頭に手を近づけてきた。

「ヒィィィッ!」

 恥も外聞も関係なしに情けなく俺はわめき叫ぶも、学匠シェルネは無慈悲に手を伸ばしてくる。その手が頭に触れるや、俺はなすすべもなく意識を失った。


 ・・・・・・・・・・

 一方、レオネスと医術師のホリーは戦闘を繰り広げていた。

 レオネスは刀にこめた魔力をホリーに向けて放つも、その流星のごとき赤き魔力は見えない何かにより、ホリーの眼前で弾かれていった。

「何故です、先生ッ!」

 そうレオネスは悲痛に叫んだ。すると、寂しげに目を伏せながらホリーは言葉を紡いだ。

「語る必要があるのか?」

「あなたには恩がある」

「私は何もしていない」

「だけどッ!」

 と、レオネスは声を荒げるのだった。

 対し、ホリーは困った風にため息をついた。

「まず私は君に感謝されるいわれは無い。全ては医術師としての義務として行(おこな)っていただけだ。いや厳密に言うならば、医術師を演じる義務と言った方が正しいか」

 それを聞き、レオネスは自身を語り出した。

「僕は偉大な父を持ち、卑屈な幼少を送って来ました」

「みたいだな。剣聖シオネス、父とするなら偉大すぎる存在だ」

「だから、僕は剣が嫌いでした」

「嫌いな事を無理にすれば怪我もするわけだ」

 とのホリーの言葉に、レオネスは頷いた。

「でも、父の名を汚さないためにも、頑張る必要があったんです。たとえ、怪我をしたとしても」

「知っているよ。だから君は医務室に来た」

 そうホリーは微笑み答えた。

「はい。そして、先生と巡り会いました」

「君は恥ずかしい台詞をためらいも無く口にする」

「いけませんか?」

 対し、ホリーはわずかな逡巡(しゅんじゅん)を見せた。

「別に。好きなだけ語ると良い。私は君をあちらから引き離せれば、それでいいのだから」

「イシュアは僕より強いですよ」

「魔力さえあればな」

 と、ホリーは冷静に告げるのだった。さらにホリーは続けた。

「一つ忠告だ。君はこの半年で非常なる力を身に付けた。身体能力、魔力においても私を超えているだろう。まぁ、所詮、私は医術師であり戦闘職では無いが」

「・・・・・・はい」

「だが、私は君には負けないよ。何故か、分かるか?」

「いえ」

「覚悟だよ」

 その刹那、ホリーの前に不可視の何かが湧出した。見えずとも、レオネスは確かにそれを感じ取っていた。

「その力・・・・・・」

「分かるのか?そう。昨日、ラッズ君に掛けたのはこの力だ。これこそが、私の覚悟そのものだ」

「実行者は先生だったんですね。でも先生、何があなたを駆り立てるんです?」

 とのレオネスの言葉に、ホリーは考えこむ素振りをした。

「妙な事を言う。全ては義務だよ。誓いとも言える。さぁ、始めよう。よく考えたら、私はおしゃべりが苦手なんだ」

 そう告げ、ホリーは不可視の力を高めていった。対し、レオネスは未知なる力を相手に、距離を取りつつ応戦するのだった。

 

 第5話


 気づけば俺は暗黒の中に居た。最後に覚えているのは学匠シェルネに頭を探られんとする所だ。あぁ、俺、やられちまったのか。しかし、光一つ無い。今の俺の絶望的な状況を暗示しているかのようだ。

 チクショウ、俺の人生、一体なんだったんだ。

 などと考えを巡らしていると、突如として炎が浮かび上がった。

 さらに、その炎の中から一人の少女が現れた。

「な、なんだッ」

 思わず俺は後ずさる。明らかにヤバイ気がしてきた。女は危険だ。ガキでもな。

 とはいえ、何て露出度が高いんだ、こいつは。胸と秘部など最低限、ボンテージっぽい黒い服で隠してるだけだし。しかも、体つきの割には胸が突き出てるし。こいつ、明らかに男を誘ってやがる。クソッ、どうせまた可愛い顔して俺をたぶらかそうとしてるんだろッ!分かってるんだからな!

 いや、待て。そもそも、あえて触れなかったが、この少女、羽が生えてやがる。羽毛の無いコウモリの翼みたいなのが。悪魔的な羽とも言えるだろう。

というか、頭にも角みたいのが付いてて、尻尾もあるし。こいつ、まさか本当に悪魔なのか。だとすると、さながら女悪魔とでも呼ぶべきか?

 待て待て、まさか俺は地獄に墜ちてしまったのか。やめてくれ。俺はそんなに悪い事をしてないぞッ。

『アハハ。驚いてるなぁ、人間』

 と、脳に声が響く。何て強い念話だ。恐らく、この女悪魔のものだろう。

「ああ、そうだ。俺は今、非常に驚いて居るぞ。だから、説明してくれ。この現状を」

 すると、ニィと女悪魔は顔に凶悪な笑みを浮かべた。

『いいだろう、人間。我が名はイラナ・ディス・ヴォード、冥府の王ゼレルの第9子なり』

 などと女悪魔は誇らしげに言ってくる。しかし、冥府の王だとッ!

「悪魔ッ子、冥府の王の親族を名乗るのは止した方がいい。今、俺は冥府の王に対し、とてもむかついているからな」

『ん?何に怒ってるのかな?言ってみるといい』

「いいだろう。奴に俺は騙され、魔力を奪われてしまったんだ。クソッ!」

『なる程。まぁ、知ってるけどな。アハハハハッ!』

 甲高い笑い声が俺の脳に鳴り響く。クゥッ、むかつく事、この上ない。

「やめろ、笑うな。しかし、知っているとはどういう事だ?」

『だって、お前の力を喰ったのは、この私なんだからな。クッ、プハハハッ!』

 と、今度は腹をよじらせ笑い出しやがった。俺は愕然とし、口をポカンと開けた。

 しかし、すぐに正気に戻り、問い詰める。

「おいッ、ふざけるなよッ!返せ、俺の魔力。返せってばッッッ!」

『む、り』

 女悪魔イラナは指をチッチと振り、そう答えてきやがった。

「何が無理じゃぁぁぁッ!喰ったとか言ったな、吐け。今すぐ吐け」

『なんだ?お前、私の吐瀉物が好みなのか?気持ち悪いな』

「違うわッ!マジで返してくれ。あれが無いと俺の人生メチャクチャなんだよ」

 すると、今度はイラナはクスクスと笑みをこぼした。

『もう消化してしまった。おいしかったぞ。おかげで少し成長できた』

 との返答に俺は怒りで体をわななかせた。女悪魔イラナは面白そうに胸を突き出して、ゆっさゆっさ揺らして踊り出してるし。

「お、お前ッ!その胸か、その無駄にデカイ乳に俺の魔力は変換されてしまったと言うのかッ!」

『光栄に思うが良い。人間』

「ふっざけんなッ!」

 俺の怒声が暗闇に響き渡った。

「ハァ、ハァ・・・・・・おい、悪魔ッ子。いいから大人しく俺の魔力を返せ。さもないと」

『さもないと?』

「そのデカ乳から搾り取ってでも奪わせてもらうぞッ!牛さんのようになッ!」

 対して、女悪魔イラナは俺にゴミでも見るような目を向けてきた。

『キモッ・・・・・・』

 そのボソッとした呟きが、俺の繊細な心に突き刺さる。

「っていうか、マジで返して。お願いします。ほんと、一生の頼みですから」

 と言い、俺は東方に伝わる土下座を行った。クッ、何たる醜態か。

『そうやって、私に一夜の契りを懇願してくる男共は掃き捨てる程に居たなぁ』

「おい、ガキんちょが偉そうな事を言ってるんじゃ無いッ!」

『ガキだと?貴様、この私が何千年の時を過ごしてきたと思っている?』

「どう見たってガキだろうがッ!」

 すると俺の言葉に、女悪魔イラナはこめかみをひくつかせた。

『に、人間・・・・・・。あまり調子に乗るなよ』

「うるさい、悪魔が調子に乗ってるんじゃないッ!」

 そして、俺達は視線をぶつけ合い、激しく火花を散らせた。しかし、こんな事をしている場合でも無い。今、この瞬間も俺の脳は学匠シェルネの魔術により大変な事になっているやも知れないのだ。

「待て、いがみあっても仕方ない。お互いに話を整理しよう」

『よかろう。ただし言っておくが、この姿はかりそめのもの。本来の私の姿はさらに大人な女性の姿だからな』

「わ、分かった」

 どうも、ガキと呼ばれた事がよっぽどシャクに触るらしいな。まぁ、今はそういう事にしておこう。もっともガキって言っても、小柄なのを除けば外見年齢は俺より一つか二つ下ってところだろうけど。間違っても少女寮長と一緒にしてはいけない。

「それで聞きたい事がある」

『なんだ?』

「今の俺はどうなっている。俺の肉体の事だ。ここは俺の夢か何かなんだろう?」

『正確には冥府と現世の狭間だがな』

 との女悪魔イラナの言葉に、俺は嫌な汗をかく。

「ま、待て。それって俺、死にそう?」

『そうとも言う。とはいえ、それは私が呼んだからだ。別に今の所、お前の肉体に致命的な損傷は無い』

 これを聞き、俺は安堵した。学匠シェルネも鬼では無いようだ。

「じゃあ、早く戻してくれ。俺は帰りたいんだ」

『それはお前次第だ、イシュア』

 初めて名前を呼ばれ、俺は警戒を露にした。信じるな、イシュア。女はみんな小悪魔だ。いや、こいつは本当に悪魔だけど。

「どういう事だ?」

『私と正式に契約を交わせ。さすれば、断片的ではあるが冥府の力を分け与えよう。お前は不遜にも我が父、冥府の王ゼレルを欺こうとし、何ら代価を払う意志もなく力を得ようとした』

 との宣告に俺はドキリとする。やめろ、それだと俺が悪者みたいじゃないか。

 俺の心中に構わず、さらに女悪魔イラナは続けた。

『だが、私は寛大だ。イシュア、お前より受け取った魔力の分、対価を支払おう。そう、等価交換の如くに。そして、さぁ、契約を完全に』

 そう告げ、女悪魔イラナは手の甲を差し出してくる。忠誠の口づけをしろという事だ。

 瞬間、俺は抗いようも無い誘惑に駆られた。何も考えず、この華奢(きゃしゃ)な悪魔の手にキスをしてしまいたい。よく見れば、彼女は非常に色っぽく艶(あで)やかだ。

 確かに、男達が彼女に言い寄ったというのも嘘では無いかもしれない。

 しかし、それは性的な欲求と言うよりも崇拝に近い感覚だったのでは無いだろうか?

 ただ、彼女に屈服・服従したいという・・・・・・。

 俺は虚ろになりながら、しゃがみこんで彼女の手に取る。この手に口づけを交わせば、契約は終わりだ。

 あぁ、あと少しで・・・・・・。その刹那、俺の脳裏に稲妻がはしった。そして、全てを理解する。

クッ、ふざけるなッ!俺は全身を理性で従わせる。そして、俺は動きを止める。

『なに?』

 女悪魔イラナはひどく驚いているようだった。

「悪魔ッ子・・・・・・。お前の目論見には従わん。そうやって、俺の魂を完全に喰らおうと思ってるんだろう。その手には乗らん」

『魂を捧げる事もなく力を得ようというのか?』

「そうだッ!もう一度、言ってやる。俺の魂は俺のもの。お前の力は俺のものだッ!」

 すると、周囲の暗黒が鳴動し出した。

『そ、そんなッ。契約が成立しようとしている。なんで?こんな不確定な形での契約なんて、今まで無かったのに』

 と、イラナはひどく怯えたふうに呟くのだった。

「お前の力をよこせッッッ!」

 揺れる空間の中、俺は悠然と立ち上がる。しかし、あまりに震動は激しく、俺とイラナはよろけ出す。

「ちょ、ちょッ」

 そして、俺はなすすべも無く、イラナへと倒れかかる。

 不可抗力として、彼女のたわわな胸に俺の顔はうずもれる。やけに甘い香りが俺を満たす。クソッ、不覚にも一瞬ときめいてしまったじゃないかッ!

『な、なァッ、この変態がッ!離れろッ!』

 一方、そう叫びながら、イラナは俺に殴りかかった。なんとか俺は掌(てのひら)でイラナの拳を掴んで止めようとする。

 しかし次の瞬間、何かがカチリと合わさる音がして、地面が崩落しだした。

 狂った鐘の音が鳴り響く中、俺達は手を繋いだまま深き闇へと墜ちていくのだった。

 

 ・・・・・・・・・・

 学匠シェルネは気絶するイシュアの脳から記憶を読み取ろうとしていた。

 だが、彼女に伝わるのは雑音まじりの断片的な映像であり、肝心の転移魔法に関しては何の情報も得れなかった。

 何かがおかしい、そうシェルネは直感していた。

 その刹那、彼女を魔力とは異なる未知なる力が襲ったのだ。


 ・・・・・・・・・・

 目を開ければ、そこは元の森だった。

 しかし、俺の視界に広がるのは朱(あか)と蒼(あお)の双眸(そうぼう)。俺の瞳が左が朱、右が蒼に染まっているのがはっきりと分かる。その二つが重なる領域、視野は紫に彩られている。

「イシュア君。あなた・・・・・・その瞳。魔眼だとでも言うの?」

 学匠シェルネが声を震わせている。

「先生、俺は力を手にしました。失って真に得たのです」

 その宣言と共に、俺の背後に女悪魔イラナが現れる。それを見て、一瞬、学匠シェルネはギョッとした表情を見せた。しかし、構わずイラナは言葉を紡ぐ。

『イシュア。これも運命(さだめ)、今しばらく契約者として力を貸そう。だが、今のお前は最弱。私の個有能力を得たとして、上手く使いこなせるかな?』

 試すようにイラナが問いかけてくる。

「まぁ、示そうか?俺が、俺達が最弱にして最強たる所以(ゆえん)を」

『それでこそ、我が契約者だッ。フハッ、アハハハハッ!』

 さぞ面白おかしそうにイラナは笑いをあげる。それを聞き、俺も爽快にして痛快になる。

「手加減は出来ないわ・・・・・・ごめんなさい」

 そう告げ、学匠シェルネは未知なる力を出現させる。彼女の前に召喚されたのは、白い霊体の球体だった。それは次々に変形していき、ドレスを着た貴婦人のごとくとなる。

『ほう、あの女。冥府の力を有しているな』

 感心したようにイラナは呟いた。どうも、その声は学匠シェルネにも聞こえたようだ。

「この力はアバター能力と呼ばれて居るわ。でも、それはカルギス王国においても極秘とされているの」

「そんな秘密を俺みたいな学生に教えちゃっていいんですか?」

 と、俺は学匠シェルネに言ってやった。

「ただの学生が何故、アバターを見る事が出来るのかしら?アバター能力を知覚できるのは、同じアバター使いだけだと言うのに」

「さぁ、俺よりこいつに聞いて下さいよ」

 肩をすくめ、俺は手で女悪魔イラナを示す。

「教えてくれるのかしら?」

『供物しだいだな、人間女。お前の能力を喰らわせてくれたなら、考えようぞ。フフッ』

 あまりに尊大なイラナの言いぐさに、学匠シェルネは顔をしかめた。

「そう。ならば力づくで・・・・・・。舞いなさい、沈黙の貴婦人ヘレナ」

 との学匠シェルネの命を受け、彼女の召喚したアバターなる霊体がクルクルと回り出した。そして、その貴婦人のごときアバターはドレスの端をちょこんとつまみ、優雅にお辞儀(カーテシー)をしてきた。

 対し、俺は右手を胸に左足を引き、上品にお辞儀(ボウ・アンド・スクレイプ)を示した。

 これを見て、学匠シェルネは狂喜の笑みを浮かべる。

 さぁ、戦いの準備は整った。苛烈にして熾烈なる舞踏会の幕を開けよう。

 

 ・・・・・・・・・・

 医術師ホリーの見えざる攻撃を喰らい続け、さしものレオネスも地面に力なく横たわっていた。一方で、ホリーは全くの無傷であり、息すら荒れていなかった。

「だから言っただろう?君では私に敵わないと」

 そうホリーは寂しげに告げるのだった。

「・・・・・・懐かしいですね」

 ポツリとレオネスは地面に転がりながら呟いた。

「何がだ?」

「前は医務室で無様に僕は倒れてました」

「あの時と違って、手当てをする気はないよ」

「必要も無いです。今の僕は一人で立てますから」

 と答え、レオネスは起き上がろうとした。

 しかし、見えない圧力がレオネスに掛かり、それを邪魔した。

「私の能力は堕天。対象、もしくは対象に触れた者を地に堕とす力。抗うのは止めなさい」

「それでも僕はッ」

 叫び、レオネスは重圧に対し果敢に立ち上がろうとするのだった。

「どうして君は・・・・・・」

 さしものホリーも戸惑いを隠せないようだった。

「今ならイシュアの気持ちが痛い程に分かります。尊敬し信頼していた人に裏切られる痛み。妙に僕と彼は似ていますね」

「イシュアは君と違い、最初から優秀だった。完成された存在。故に私としては興味から外れていた。まぁ、最近の彼は少し面白いが」

「彼はいつだって、見ていて退屈しない人物ですよ」

「違いない」

 そう答え、ホリーは一瞬フッと笑みを見せるのだった。しかし、それは白昼夢のように消え失せ、元の凍てついた表情に戻るのだった。

「それに比べレオネス、君は原石だった。磨けば磨く程に光る宝石のごとく。でも、誰もその才に気づいては居なかった。けど今は違う」

「先生のおかげです。医務室に置いてあった東方の剣術書を読み、僕は刀を極める道を決めました」

「偶然だよ。私自身、少しは刀を使う時があるから」

 そう言うや、ホリーは空中に一本の刀を召喚した。それを手に、下段の構えを成した。

 これにより、さらにホリーの守りは盤石となるのであった。

「綺麗な構えですね」

「褒められたものじゃ無い。所詮は剣士の真似事だ。故に、君にアドバイスする事も無かった」

「それも嬉しかったんです。何も言わずにいてくれたから、僕は自分の力で学ぼうとしました。今までのように、父や家庭教師に無理に習わされるのと違って」

 と告げるレオネスに対し、ホリーは黙りこんだ。そんな中、レオネスは言葉を続けた。

「先生。もしかしたら、先生はそこまで考えていてくれたんじゃないですか?」

「勘違いだよ、レオネス。残念だけど」

 そう冷たくホリーは答えた。

「・・・・・・そうですか。それでも先生、僕はあなたに感謝しています。だからこそッ」

 すると、レオネスは短刀を取りだし、自身の腹部を刺した。

「何をしてるッ!」

 困惑と心配の表情を浮かべ、ホリーは声をあげた。

「だからこそ、僕はあなたを止める」

 血を口からこぼしながら、レオネスは短刀を腹部から抜いた。それと共に、レオネスに掛かっていたホリーの能力が破壊され、レオネスの鮮血と共に虚空に散っていった。

「馬鹿な・・・・・・私の能力をただのナイフで切るだと」

 空を舞う呪術の断片なる黒い羽を見つめ、ホリーは声を漏らした。

「これで、自由に動けます」

「確かに、君の実力は認めよう。理屈は分からないが、君は私の力に対抗できる何かの技を有しているようだ。だがッ・・・・・・お前は馬鹿かッ!死ぬ気なのかッ!」

 そうホリーは叫んだ。レオネスの衣服は今、血にまみれている状態だった。

「死ぬ覚悟は元より出来ています。剣を志すと真に決めた時から」

「ふざけるなッ。まだ若いのに、易々と死ぬなどと口にするな」

「それが、先生の本音なんですね」

 とのレオネスの言葉に、ホリーはハッと口を片手で塞いだ。

「先生。あなたは人を傷つけられない。あなたの攻撃は全て僕の急所を外している。それに、昨日のラッズの時も彼が怪我をしないように力を微調整してましたよね?地上でラッズを受け止めた時に、そう感じました」

「違うッ。私は転移魔法をイシュアから引き出そうとッ!」

「あなたは優しい人だ」

「やめろッッッ!」

 こらえきれずに、ホリーは感情的に叫んだ。

「君が何を言おうと、これから私は君を戦闘不能に追いこむ」

「一つ伺って、いいですか?」

「最後に一つだけなら」

 それを聞き、レオネスは言葉を投げかけた。

「先生は今、見えない何かを召喚していますよね」

「是と言っておこう」

「その何かを僕の剣で斬れば、先生自身はどうなります?」

「別に肉体的なダメージを受ける事は無い。私の能力は分離型だからな。これが砕けようと壊れようと、私の肉体が傷つく事は無い。ただ、私の霊体に衝撃が跳ね返ってくるから、気絶くらいはするかもな」

「それを聞いて安心しました」

 と言い、レオネスは剣を構えた。

「私もみくびられたものだ。斬ろうにも、これを君は見えていないのだろう?」

 ホリーは空中に浮遊しているアバターにチラリと目をやり、言うのだった。

「ええ。でも、問題はありません」

「そうか。なら終わらせよう」

 次の瞬間、ホリーの不可視なるアバターが襲いかかる。

 しかし、レオネスは刀剣にてアバターの拳を防いでいた。

「馬鹿な・・・・・・」

 思わずホリーは言葉を漏らした。

「クッ」

 さらにホリーはアバターで猛攻を仕掛けるも、そのことごとくをレオネスは弾いていった。

 空中をアバターの拳とレオネスの刀による火花が次々と散っていく。

 そんな中、レオネスは告げるのだった。

「瞳、息づかい、鼓動、魔力、あなたの全てが僕に教えてくれる。その不可視なる存在を。その形状は片翼の堕天使。輪郭の誤差は半フィニスの範囲内に収まる」

 レオネスの呟きに、ホリーは驚愕せざるを得なかった。

「まさか、君は演算しているのか。私の生体反応から私の力を。あり得ない。そんなのは最後の魔王が使ったとされる演算力(アエレ)の力に他ならないッ」

 しかし、その声は演算の深みに居るレオネスにとり、ただの波動の一つとしか捉えられなかった。

 徐々にレオネスの剣撃が鋭さを増していく。

 ホリーのアバターはそれを何とかしのいでいるが、守備に徹せざるを得ないまでに追いこまれていた。

「私はッ、こんな所でッッッ!」

 その魂の叫びと共に、そのアバターはオーラを纏い、レオネスに次々と攻撃を繰り出した。初撃を刀で受けた瞬間、二人の力が共鳴し出す。そして、レオネスはアバターに秘められしホリーの記憶に触れるのだった。


 泣いていた。幼いホリーとシェルネはその施設で血まみれで泣きじゃくっていた。

《戦わないと・・・・・・それでも戦わないと。お母さんを助けるんだ、私達で》

 そうホリーはシェルネを励ますのだった。

 しかし、一人きりの時、ホリーは部屋の隅でガタガタと震えていた。

《怖い・・・・・・怖いよ・・・・・・誰かッ、助けて。私達を助けてッ・・・・・・》

 涙をこぼしながらホリーは切なる言葉を漏らすのだった。


「助けますッ、僕が、いや僕達が。必ず、あなた達を助けてみせます!」

 そうレオネスは記憶領域のホリーに対し、手を差し伸べて叫ぶのだった。

 幼いホリーはレオネスの手を恐る恐る掴んだ。

 刹那、記憶の空間は音をたてて崩れていった。


 そして、現実世界にレオネスは意識を取り戻していった。この時、レオネスは世界が凍れるかに感じていた。全ては緩やかに進み、アバターの閃光のごとき拳撃も徐々にしか移らない。

 対し、レオネスは目を瞑り、魔力を刹那に高めた。

 次の瞬間、時は動き出し、レオネスの姿は忽然と消えた。アバターの拳は何も貫かない。

「空波斬(くうはざん)・・・・・・」

 その呟きはアバターの背後からした。

 リンと鈴のごとき音が鳴り響き、レオネスの最上級-剣技が発動する。

 波動なる時空をも切断する一撃が既にアバターを両断している。

 ゆっくりと、アバターは上下にずり落ちていき、パリンと音をたてて空中に霧散していくのだった。

「う・・・・・・あ・・・・・・」

 己がアバターを失い、ホリーは力なく片膝をついた。しかし、彼女はそれでも限界の中、意識をかろうじて保っていた。

「クゥッ」

 最後の力を振り絞ってホリーは立ち上がり、今度は刀を上段に構える。

 対して、レオネスも上段の構えを示した。彼もまた血を失う中に最上級-剣技を放った為、意識を失う寸前であった。

 沈黙が二人の間に流れる。そよ風による葉ずれの音だけが、ささめき鳴る。

 視線を合わせながら、二人は互いに礼をする。

 間合いをはかりながら、距離を詰め合う。

 そして、同時に掛け声を叫び、刀を振り降ろす。

 二つの刀が交錯し合った刹那、ホリーの刀身は無惨に砕かれていった。

 同時に、彼女は今度こそ糸の切れたかに地面に崩れ落ちた。

 しかし、レオネスも傷ついた体で奥義を放ったため、口から血をこぼし、片膝をついた。

「イシュア・・・・・・頼む。やはり、僕一人じゃ無理そうだ。力を貸してくれ。どうか先生達を助ける力を」

 霞む視界の中、レオネスは届かぬと分かっていながらも、呟かずにはいられなかった。

「後は任せたよ。少し、疲れちゃった」

 そして、再び伝わらぬ言の葉を発し、レオネスは意識を失い地面に倒れこむのだった。

 どこからともなく飛んで来た小鳥たちが心配そうにレオネスを囲むが、彼は安らかに眠り続けるだけであった。


 ・・・・・・・・・・

 学匠シェルネの操る貴婦人のごときアバターが俺に迫り、拳を突き出してくる。

 これを避けるのは、今の俺の運動能力じゃ不可能だ。

「オウフッ!」

 情けなく声を漏らしながら、俺は吹き飛ばされていく。

 地面にぶつかり、俺の体はゴロゴロと転がり木に当たり、ようやく止まる。

 クッソ、あの貴婦人の姿をしたアバター、ものすごく強いぞ。いや、むしろ・・・・・・。

『イシュア。お前、メチャクチャ弱いなぁ』

 ニヤニヤとしながら女悪魔イラナは言ってくる。うっさい、そのくらい、俺も分かってるんだよ。

「・・・・・・イシュア君。抵抗はやめて、大人しくしてちょうだい。こちらも、いたたまれなくなるわ」

 学匠シェルネも哀れみの目を向けてくる。

 しかし、俺は忽然と立ち上がり、答える。

「まぁまぁ。戦いはこれからですよ。これか・・・・・・」

 その時、プシューと音をたて、俺の額から血が噴き出した。

『おお、噴水みたいだな』

「ちょっと、イシュア君、大丈夫?」

 などと、イラナと学匠シェルネは口々に言ってくる。

 やばい、血が足りない。頭がクラクラして来た。というか敵に心配されるとは情けない限りだ、俺。

「とはいえ、学匠シェルネ。そろそろ俺の体力的にもキツイので終わらさせてもらいますよ」

「どう考えても不可能に思えるけど」

 すると、イラナが口を挟んできた。

『クックック、イシュア。お前がやられるのも、終わりと言えるのだぞ』

「うっさいわッ!そんな意味で終わらせるって言うわけないだろうがッ!」

 との俺とイラナのやり取りに、学匠シェルネは何度目か分からないため息を吐いた。

「あなた達には調子が狂わされるわ。でも、ここまで弱り切ったあなたに対しては、もはやアバターを使う必要すらない。てっきり、あなたもアバターを保有しているのかと思ったけど、違うのね」

「まぁ、アバターっぽいのは、ここに浮いてますけどね」

 もちろん、それは女悪魔イラナの事だ。

『ちょっと待て、人間。誰がアバターっぽいって?あんな人形みたいなのと一緒にするな、このボケが』

 イラナは貴婦人のごときアバターを指差し、文句を言ってきた。

「悪かった。とはいえ、学匠シェルネ。そのアバターを使わないと俺には勝てないと思いますけどね」

「どういう事かしら?」

「使ってみたらどうです。好きな魔法を」

 俺の言葉に、学匠シェルネは訝しげな表情を浮かべる。

「鎖よッ!」

 簡易詠唱を学匠シェルネは紡ぐも、何の魔法も発動されない。

「どうして・・・・・・」

 唖然としながら彼女は呟いた。

「ああ、俺の能力ですよ。もう、あなたは魔法を使えない」

「何をしたのッ?」

「さぁ、なんでしょうね」

 と、俺は不敵な笑みを浮かべ、答えた。

「もう容赦はしないわ。これからあなたを気絶させます」

「なら先生、最後に俺から提案があります」

「何かしら?」

 怪訝な顔をして学匠シェルネが尋ねてくる。

「二重スパイになりませんか?つまり、本当にこの国に忠誠を誓うのです。そして、カルギス王国の情報をこちらに流し、あちらには偽の情報を渡す。どうです?」

「・・・・・・魅力的な提案だけど無理よ。カルギス王国は裏切り者に容赦しない。もう、どうしようも無いのよ」

「そうですか。なら俺も本気を出しましょう。この二つの魔眼をいい加減に使いましょう」

 その俺の言葉と共に、両眼は輝きを増す。

「って、今まで使ってなかったの?」

「ええ。ちょっと、制御が利かなくて。ほとんど使えてませんでした」

「イシュア君。あなたと戦っていると、すごく不安になるわ。つい心配になって」

 自嘲気味に学匠シェルネは言うのだった。

「俺は安心できますけどね。本当の暗殺者だったら、今頃、俺は死んでますから」

「それが私の甘さと弱さなのよね・・・・・・」

「まぁ、向いてないんですよ、スパイなんかに」

 本心から俺はそう告げる。すると、学匠シェルネも困ったように口を開いた。

「言えてるわね」

「でも、やり直せるのでは?」

「無理よ」

 寂しげに学匠シェルネは答える。さらに彼女は切なげに続ける。

「血の花が咲く。それが私の心象風景。今、それを具現化しましょう・・・・・・」

 その言の葉と共に、白き貴婦人のごときアバターは真紅に染まっていき、空中を赤い花びらが舞いだした。

『イシュア、魔眼を発動しろ。契約者として命じる』

「チッ。分かってる」

 と、イラナに答え、俺は左目の朱(あか)の魔眼を発動する。

 次の瞬間、世界は凍れるかに止まった。厳密に言えばわずかに動いているが、十分に眼で追える範囲でしか全ては移らない。

『そう、それこそが我が左目・時駆けの魔眼の力。ただし、この力はあくまでお前の反応を高めているだけだ。全ては遅く見えるだろうが、同時にお前の体も動きは鈍る』

 とのイラナの言葉が、時の流れを超え、俺に届く。

『分かってるさ』

 そう俺は念話で彼女に答え、動き出す。

 ゆっくりと、しかし無駄な動きをせずに、迫る花びらを避けていく。

 この魔眼を使わなければ、反応が遅れ、避けるのに間に合わなかっただろう。

『さぁ、次なる魔眼の出番だ』

 言われずとも、そうするつもりだ。俺は右眼の魔眼を発動する。

 魔眼の蒼の輝きと共に、俺の体から一瞬で青い波動が放たれる。

 俺の波動に触れるや、貴婦人のごときアバターは動きを止める。

『我が右眼・干渉の魔眼は、対象の魔導制御を崩す。クックック、大技を出したのが仇となったな、人間女』

 イラナはさぞ楽しげに語る。そんな中、アバターの生みだした花びらが光と化して虚空に消えていく。魔法とかを使う場合、発動するには魔力を制御しなければならない。それを魔導制御と言うのだが、この魔眼はそれを乱す力を持つのだ。もし、魔導制御が完全に崩れれば、その術式は無効と化し発動できない。

 とはいえ、相手の魔導制御がしっかりしている場合、魔眼の力を持ってしても魔導制御を崩す事は出来ない。ちなみに、難しい術式ほど魔導制御は大変になり、簡単な術式ほど制御も楽になる。

 なので基本、この魔眼で打ち消せるのは、相手の大技だけとなる。しかも、その大技だって相手が魔導制御を完璧にしている場合は、乱しようがない。まぁ、今回は上手くいって良かった、良かった。

『隙が出来たぞ。進め、我が契約者』

 とのイラナの言葉に従い、俺は真っ直ぐに学匠シェルネへと進む。

 今、魔導制御を崩され、相手のアバターは硬直している状態だ。

 限界まで力を振り絞り、俺は学匠シェルネとの距離を詰めていく。

 彼女の焦燥がはっきりと見て取れる。しかし、もはや俺を止めれるものは居ない。

『最後だ。第3の魔眼を使え、イシュアッ!』

 女悪魔イラナの叫びと共に、俺は額に第3の眼を浮かばせる。その光彩は紫。その能力は・・・・・・。その刹那、学匠シェルネが激しく動揺したのが見て取れる。

『さぁ、奴の記憶を書き換えてやれ。我が第3の目・干渉の魔眼は、触れた相手に対し、記憶を操作できる。もっとも敵の魔力が強いほどに、書き換えるまでの時間は多く掛かるがな』

 と、ご丁寧にイラナは説明してくれる。もっとも、契約が交わされた段階で、使い方は脳に刻まれてたがな。ちなみに先程、学匠シェルネに拘束魔法の使い方を忘れさせたのもこの力だ。アバターに何度も殴られる事でも、使い手本人に触れた事になるらしい。とはいえ、アバターの場合は厳密には本人では無いから、書き換えられる記憶が限られていたがな。

 さて、俺はショックで動けなくなっている学匠シェルネの頭に手を伸ばす。頭に直接、触れた方が早く記憶を変えられそうだからな。しかし、その時、イラナが声を掛けてきた。

『何をしている、イシュア。頭じゃ無い。奴の左胸に触れろ。心臓の上のな』

『待てッ!なんで胸なんだッ!』

 俺は念話で叫び返す。

『なんでと言われてもなぁ。この能力は魂に干渉するわけで、人間の魂は基本、心臓にあるからなぁ。フッフッフ』

『ええいッ、やけだッ!』

 仕方なしに俺は学匠シェルネの胸に手を伸ばす。そして、彼女の大きく膨らみきった胸に俺の手は触れる。布越しにやけに柔らかな感触が俺の手に伝わるが、今はそれどころでは無い。彼女のさらなる驚愕の表情が目に焼き付く。本当に申しわけ無いが、これも戦闘での上だ。決して、スケベたらしい理由からでは無いんだからなッ!

 ともかく、さぁ、新たな決め台詞を発す時が来た。

『書き換えさせてもらうぞッ、その魂、魂をッ!』

 そう告げ、俺は彼女の記憶へと干渉を開始する。

 今、彼女の記憶が俺に流れこんでいく。しかし、俺一人ではとてもその情報を処理しきれない。それを見てか、イラナが手助けをしてくれる。

『クックック。イシュア。さぁ、この人間女の何を変える?どの記憶を』

『過去を』

『ならば、その記憶を知るがいい』

 イラナの言葉と共に、俺の意識は学匠シェルネの記憶領域へと飛ばされていった。


 全てが燃えていた。

 そんな中、カルギス王国の兵士達が村人達を虐殺している。村人達も応戦はしているが、彼らの魔法は兵士達のまとう鎧には通用せず弾かれてしまう。そして、成すすべも無く、村人達は無惨に殺されていく。

『イヤァァァァッァッ!』

 幼いシェルネは森の中で泣き叫ぶ。彼女の額には第3の目が開かれていた。

 いや、彼女だけでは無い。先程の村人達も同じく額に3個目の瞳を有していた。

 それはシェルネの母親も同様で、しかし、シェルネの双子の姉である幼いホリーだけは違った。

《み、つ、け、た、ぞ・・・・・・》

 その時、突如として黒い影が現れ、シェルネとホリーと母親の3人に襲いかかった。

 

 風景が変わり、シェルネとホリーは拘束されていた。そして、彼女達は手錠を付けられたまま、兵士達に連行されていく。

 連れられた先は水晶に近い何かで出来た部屋だった。

 そこには青白い光(マナ)に満ちた神聖な空間が広がっていた。さらに、奥にある祭壇には一人の女性が張り付けにされていた。その女性は半ば結晶と化し、沈黙していた。

『お母さんッ!』

 幼いシェルネは叫び、母に駆け寄ろうとした。しかし兵士達に阻まれ、その場から動けない。一方で、幼いホリーはうずくまりただ泣きじゃくっていた。

 そんな二人に仮面と王冠を付けた一人の男が近づいた。彼は言葉を区切りながら、二人にくぐもった声で告げるのだった。

《お前達の母親は、王国の基盤として、深き眠りに、ついている。救いたくば、基盤以上の働きを、示せ・・・・・・》

 すると、急にノイズが走った。さらに、俺の前に女悪魔イラナが現れる。

『イシュア。まずい、この人間女の記憶にはこれ以上、干渉できない。それに、これ以上やると彼女の脳が壊れるぞ。今、見た範囲か、あるいはお前が知る彼女の情報から、何とか記憶を書き換えろ』

 とのイラナの言葉が俺の魂に響く。しかし、どうすればいい。どうすれば・・・・・・、そうだッ!閃きが降りる。

『とりあえず、彼女の生まれをカルギス王国ではなく、このアレルカン公国にする。さらに、今の王冠をつけた男をアレルカン公国の大公にしておけ。それで敵国をカルギスに』

『だが、相当の矛盾が彼女の中に生じるぞ』

『なら、矛盾しそうな部分の記憶を薄れさせろ』

 そう俺はイラナに命じた。

『無茶を言う。まぁ、やってみよう。ただし、きちんと精査せずに無差別に書き換えるから、どうなるかは知らんぞ』

『ああ』

『では、始めよう』

 刹那、イラナの体から波動が巻き起こる。それと共に光で出来た歯車が無数に出現していく。さらに、イラナは空中に鍵盤機(けんばんき)を出現させ、その歯車を自在に操っていく。

 だが、先程から生じているノイズは激しさを増していく。

『イラナッ、まだかッ!』

『あと少しだッ!クゥッ!』

 そして、イラナは人差し指で鍵盤機を叩き、改竄(かいざん)を完了させた。

 次の瞬間、歯車は奇妙に噛み合い、どこからともなく光があふれ出した。その光に飲まれ、俺とイラナは元の世界へと飛ばされていくのだった。


「ふぅ」

 俺は何とは無しに安堵のため息を吐いた。とはいえ、これからが本番かも知れない。

 見れば、学匠シェルネはぼんやりとした目をしていた。

「・・・・・・イシュア君」

 そう学匠シェルネは微かに声を漏らした。

「はい」

 と、緊張しながら俺は答える。すると、学匠シェルネはハッと俺の方を見てきた。

「な、何で、あなたは私の胸を鷲(わし)づかみにしてるのかしら?」

 冷たい微笑みを浮かべながら、学匠シェルネは問いかけてきた。やばい、メッチャ怒ってる。俺の馬鹿ッ、あまりの展開に胸から手を離す事を忘れていた・・・・・・。

「ち、違うんです。これは誤解でッ!」

 焦り俺の手は震え出す。すると、学匠シェルネの胸もその震動で揺れ出す。

 やめろッ、俺の手、止まってくれ。頼むから。っていうか変だぞ、俺の手。胸にくいこんで取れないッ!

「イ、イシュア君」

「今、今ッ!離します、今ッ!何か、筋肉が妙に固まってしまって、動かせないんです。意味が分からないですよね、俺もです」

「と、ともかく、外すわね」

 そして、学匠シェルネは俺の指を一本一本、胸から取り外そうとした。胸からはがされると共に、俺の指はバキバキと音をたてる。メチャクチャ痛い。

「ア・・・・・・クァ・・・・・・」

「だ、大丈夫?」

 と、心配そうに言いながらも、学匠シェルネは容赦なく俺の指を引きはがしていく。

「フゥ」

 学匠シェルネは俺の指を全て外し終わり、吐息を漏らした。

 一方で、俺は未だに痙攣する右腕を左手で掴みながら、指に生じている痛みに苦悶していた。しかし、これは何が原因だ?手を介して彼女と深く接続(リンク)したから、その後遺症か?

 すると、彼女は怖ず怖ずと声を掛けてくる。

「だ、大丈夫?」

「は、はい。ご迷惑をおかけしました」

「いえ、私こそ無理に外しちゃってごめんなさい」

 と学匠シェルネは謝ってきた。ああ、いつもの先生に戻ってる気がする。

 すると、学匠シェルネは首を傾げ、尋ねてきた。

「イシュア君。どうして、私達はこんな所に居るんだっけ?」

「ああ、それはですね。朝の散歩の時に偶然、俺と先生は森で出くわしたんです」

「え?ああ、そう言えばそんな気も・・・・・・」

 と呟き、口元に手を当て、学匠シェルネは考えこみだした。

「それから俺の転移魔法を先生に見せる事になって。失敗しちゃって」

「・・・・・・そうなの?」

「ええ。すみません。失敗しちゃったみたいですね。アハハハハッ」

 と、俺は乾いた笑いをあげる。すると、学匠シェルネは頭に手を当てていた。

「変ね。何か私、混乱してる。あれ・・・・・・私は一体。そう、私はお母さんを助けないといけないのに・・・・・・。でも、あれ?なんで私、カルギスの情報を得るのに、アレルカンに居るの?」

 ブツブツと学匠シェルネは呟きだした。

「学匠シェルネ。落ち着いて下さい。剣の院は一種の国際機関です。だから、第3学年になると、世界の各国に傭兵として派遣されたりします。なので、この学院はアレルカンにありながらも、カルギスなどの情報も入ります。だからアレルカンの秘密警察も、この学院には目を光らせて居るんですよ」

「え、えぇ・・・・・・そうね」

 すると、学匠シェルネは地面にへたりこんだ。彼女の目はトロンとしている。

「あれ・・・・・・変ね。眠くなって・・・・・・」

 そして、彼女は横たわって、可愛らしく寝息をたてて眠ってしまった。

「よ、よし。誤魔化したぞ。我ながら完璧だ」

『どこがだ。穴だらけじゃないか?』

 と言ってくるのは女悪魔のイラナだ。

「む。じゃあ、他にどうすればよかった?言って見ろ。代替案も無いのに人を批判するのは良くないぞ」

『別に転移魔法を使ったという記憶、つまり昨日と今日の事だけ変えればいいんじゃなかったのか?それでお前が転移魔法を使えたというのが勘違いだったと思わせて、上司にそう報告させれば』

「・・・・・・確かに」

 言われて見ると、それはもっともな意見だった。

「なぁ、今からそういう風に記憶を直せないかな?」

『いちど書き換えた所を上書きで直すと、脳に後遺症が出るかも知れないぞ』

「それは駄目だ・・・・・・」

 しかし、非情に困った事になってしまったぞ。そんな俺の苦悩にお構いなしに、イラナは次なる言葉を投げかけてきた。

『ところで、カルギスの諜報機関がこのシェルネとかいう女に接触してきたらどうするつもりなんだ?スパイなら何かしらの諜報機関に報告したり、上の諜報員と接触したりするんじゃないのか?その時に、アレルカンのスパイと思いこんでたら大変な事になるだろう?』

「えぇい。うっさい!うっさい、うっさい!気にするな。今、考えてるんだよ」

『お前は本当に考え無しだなぁ・・・・・・』

 との女悪魔イラナの呆れた声に苛立ちがつのる。しかし、こいつの言うとおりだ。記憶を書き換える時は、何て名案なんだろうと思ったが、冷静に思い直してみると何てアホな事をしてしまったんだ。

 頭を抱え考えこんでいると、不意に茂みから草の鳴る音がした。

「だ、誰だッ・・・・・・」

 恐る恐る俺は尋ねた。すると、出てきたのは思いがけぬ人物だった。

 そこから現れたのはホリー先生だった。彼女は気絶するレオネスを抱えていた。

 地面にレオネスを優しく横たえると、ホリー先生は疲れたのか地べたに座りこんだ 

「え。えぇと?」

 困惑しながら俺は何かを尋ねようとする。しかし、その前に向こうから質問されてしまった。

「お前、シェルネに勝ったのか?」

「は、はい・・・・・・」

「そうか。まぁ、少し前から見てたから知ってるがな」

 とのホリー先生の言葉に、俺はイラッとする。なら、聞かないでくれよッ!

「しかし、イシュア。お前、シェルネに何をした?洗脳か何かか?それにその悪魔みたいな外見の存在はお前のアバターか?」

「まぁ、そんな所です」

 と俺は面倒なので適当に答えた。とはいえ、イラナはアバターとまた言われて、ムッとしているようだった。そんな中、ホリー先生はさらに尋ねてきた。

「そうか・・・・・・。一つ聞きたい。お前、シェルネをどうしたいんだ?」

「どうすると言われましても。分かりません」

 むしろ、教えて欲しいくらいだ。すると、ホリー先生はフッと笑うのだった。

「というか、レオネスはどうしたんです?」

「命に別状は無いよ。傷も塞いでおいたし、疲れて眠っているだけだ。彼の魔力と生命力は非常に高い。これくらいでは決して死にはしない」

「何故、敵を助けるような真似を?」

 そう鋭く俺は問い詰める。対し、ホリー先生は空を仰ぎ、言葉を紡いだ。

「何故だろうね。確かに馬鹿みたいだ。殺せばいいものをね。でも、君も同じ気持ちじゃないのか?」

「・・・・・・かも知れません」

 との俺の言葉に、ホリー先生は微笑みを見せた。

「いずれにせよ、私はもう戦えない。魔力は尽き、能力もしばらくは発動できないだろう。だから、降参だ。ただ、君に慈悲が残っているのなら、私を殺しても構わないがシェルネだけは助けてくれないか?」

「もともと、学匠シェルネを殺す気はありませんよ」

「そうか・・・・・・」

 奇妙な沈黙が場に降りた。それを破ったのはホリー先生の方だった。

「君は私達をどうしたい?任務に失敗した私達は終わりだ。カルギス、アレルカンの両国から私達は狙われ続けるだろう」

「二重スパイになってください。形だけでいいので、アレルカンに忠誠を誓ってください」

「・・・・・・いいだろう。それでシェルネの命が少しでも長引くのなら」

 と、あっさりとホリー先生は承諾してくれた。あまりにあっけなく、こちらが拍子抜けする程に。

「本当にいいんですか?」

「ああ。誓って」

 すると、イラナが口を挟んできた。

『待て、イシュア。このホリーとかいう女、肝心な部分に触れてないぞ。カルギスを裏切るつもりなら、母親はどうするつもりだ?』

 そのイラナの言葉に、俺もハッとした。確かに、その通りだ。

「お前達、シェルネの記憶を見たのか?」

「まぁ、そんな所です」

 そう俺はホリー先生に答えといた。

「そうか・・・・・・。そろそろ潮時だと思ったんだ。どれ程にカルギスに忠誠を尽くしても、母さんが帰ってくる事は無い。分かってたんだ、母さんは結晶化が進みすぎて、もう手遅れだって。ならば、せめてシェルネの命だけでも守りたいと願うのが姉として当然だろう?恐らく、母さんもそう願うはずなんだ」

「まぁ、そうかも知れません」

「信じてくれるのか?」

 と、ホリー先生は潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。

「はい。ともかく、話を聞かせてください。まず、この学院にカルギスのスパイは他に居ますか?」

「いや、私達二人だけだ。カルギス出身の生徒達も諜報機関とは関係ない。アレルカンの秘密警察は恐ろしいまでに優秀だからな。下手にスパイも送りこめないんだ」

「なる程。しかし、スパイとは横の繋がりは基本ないのでは?故に知りようが無いと言えるのでは?」

 との俺の言葉に、ホリー先生は苦笑した。

「良く知ってるな。確かに、私達の上にはデギンズという男が居て、彼がアレルカンに居るスパイの多くを統括しているようだ。とはいえ、私とシェルネは心までカルギスに売ったわけじゃない。私達なりに色々と調べているんだ。その上での発言だ」

「そうですか。じゃあ確実にスパイが居ないとは言い切れないんですね」

「まぁ、そうなる。とはいえ、今回、転移魔法を君が使ったという事はカルギスに報告してある。すると、すぐに返事が来て、数日以内に君を捕らえてカルギスへと連れてこいとの命令が来た。それ程までに転移魔法とは魅力的なのだ。軍隊だろうと何だろうと好きな場所に送りこめるからな。それと、時間に猶予があるのは、君の実力を考慮しての事だと思う。転移魔法の術者など普通に戦っては私達では敵わないからな。うまく隙を突かねばならないと、上は判断したのだろう」

「そういう事ですか。その割には襲ってくるのが早かったですね」

 すると、ホリー先生は自嘲気味に微笑んだ。学匠シェルネのお姉さんだけあり、本当はけっこう表情が豊かだ。

「君が魔力切れだと判断しての事だ。間違ってはなかったようだが、それでも負けてしまうとはな・・・・・・。まぁ、それは置いといて、カルギスの諜報部は増援を送ろうとはしなかった。もし、剣の院にスパイが居るなら協力させたはずだ」

「かも知れませんね」

 と俺は少し納得してきた。

「ところで一つ、はっきりさせておきたいのだが、君は転移魔法を本当に使えるのか?」

「いえ、だから使えないんですって」

「ふむ・・・・・・やはりそうか。そんな気もしてたんだ。となると、皆が勘違いした時は、本当に爆風で吹き飛ばされたのか?」

「はい。そうなんです」

 これを聞き、ホリー先生は考えこみ出した。

「しかし、妙だな。となると、体が異常に頑丈という事になる。普通、それだけの距離を吹っ飛べば、気絶くらいはするからな」

『クックック。教えてやろう、我が契約者イシュアはとうに人間では無い』

 口を挟んできたのはイラナだが、俺は衝撃の新事実に唖然とした。

「ちょっと、待てッ!どういう事だッ!」

『ん?背中の紋様があるじゃろう?それは刻印だ。あの晩、儀式は奇妙な形で完成を見せた。お前の体は半ば冥界にある。故に、多少の事では死にはしない。もっとも、生きているとも言えないがな』

「ま、待て。生きてないって、どういう事だ?」

『すなわち、ゾンビみたいなものだと思えばいい』

 あまりの宣告に俺はポカンと口を開く。

「俺、ゾンビ?」

『そう、ゾンビ』

 などという奇妙なやり取りをイラナとした後、俺は地面をゴロゴロと転がった。

「駄目だ。もう付いて行けない」

「まぁ、元気を出せ、イシュア。お前がゾンビでも私は気にしないぞ」

「おお、ホリー先生」

 妙に感動してしまった。しかし、ホリー先生は非常にクールで現実的だった。

「それより今後の話をしよう」

「あ、はい・・・・・・」

 正直、もう少し慰めて欲しかったが、まぁ仕方ない。

「まず、君を捕らえるまで最低でも2日間の猶予があった。でも、私は上に君を捕らえるのは無理だと言うつもりだ。実力が違い過ぎると」

「ふむふむ」

「恐らく、その報告を受けたらカルギスから増援が来るはずだ」

「でしょうね」

「それを倒す」

「倒すッ?」

 段々と話が変になってきたぞ。

「そして、倒した敵を君の能力で洗脳して味方にする」

「はぁ・・・・・・」

「さらに、私達の上司であるデギンズも隙を見て洗脳する」

「えぇ?」

「そして、いつかカルギス国王であるジェネアス魔導王も洗脳する。完璧だろう?そうすれば母さんを解放する事も出来る!」

 目を輝かせてホリー先生は語りだした。あかん、この人、色々とアホな子だった。

 さすがに魔導王とか無理に決まってるだろう・・・・・・。無理だ、絶対に無理。まぁ、先生も本当は分かってるんだろうけど。

「い、いや、でもですね。俺の能力にも色々と制限がありまして」

 その時、起床を告げる鐘が鳴り出した。

「おっと、話は後だ。戻らなくては。私はレオネスとシェルネを医務室まで運ぶから、君は体を休めておくといい」

 と言い、ホリー先生はレオネスと学匠シェルネを両手で軽々と持ち上げた。

「ちょっ、俺も手伝いますよ」

「む、そうか・・・・・・」

 そして、ホリー先生はレオネスを俺に渡して来た。しかし、こいつ重い。筋肉のせいか、とても今の俺では運べない。

「仕方ない。じゃあ、シェルネの方を頼む」

「え?あ、はい。任せて下さい」

「お前、本当に分かりやすい奴だなぁ」

 呆れたふうにホリー先生は言うのだった。何か誤解をしているようだが、べ、別に俺はよこしまな気持ちで学匠シェルネを運ぼうと思っているわけじゃ無いんだからなッ!

 しかし、悲しいかな、女性である学匠シェルネすら俺の力では支えられなかった。

 いかん、今の俺は非常に弱っているぞッ!

「なんか、お前、今の私でも勝てそうだな」

 とのホリー先生の言葉に、俺はビクッとする。やめろ、俺は平和主義者なんだ。

「冗談だよ、冗談」

 そう意地悪っぽく告げて、ホリー先生は二人を抱えて、去って行ってしまった。

「帰るか・・・・・・」

 と呟き、俺は切れたズボンの尻の部分を押さえつつ、女悪魔イラナを連れて寮に戻るのだった。


 第6話


 体をふらつかせながら俺は自室に戻り、急いで着替えをした。

 そして、朝食を摂りに食堂へ向かう。ゾンビになっても腹は減る。というか今の所、魔力が無くなった事と疲れやすくなった事を除けば、あんまし変わっていないように思える。

『なぁ、イラナ。ゾンビと普通の人間って何が違うんだ?』

 と俺は念話で背後をフヨフヨと浮いているイラナに尋ねてみた。

『そりゃ、ゾンビは腐ってるだろう?』

 イラナの返答に俺は動きを止める。

『待て。俺も腐ってくのか?』

 すると、イラナは意地悪く笑みを浮かべ、答えてきた。

『冗談だよ、冗談。クフフッ。正確にはゾンビ的な存在って事さ』

『お、お前な。人が本気で悩んでるってのに』

『まぁ、そう怒るな。説明してない違いと言えば、性欲が衰えるくらいかな』

 との言葉に俺は凍り付いた。

『おい、今なんと?』

『だから、ゾンビが生殖する必要ないだろう?まぁ、行為自体は出来るだろうし、相手によっては子供も作れるかも知れないけど、感じないよ』

『感じない?』

『そう。エロい事をしても何も感じません。あぁ、安心していい。味覚とかそういうのは残ってるから、食事は楽しめるはずだ。ん?どうした?』

「ふっざけんなァァァァァッ!」

 俺は声を出して叫んだ。すると、周りの学生達がビクッと体を震わせた。しまった、気をつけねば。しかし・・・・・・。

『お、お前なぁ。それが何を意味するか分かってるのか?おいッ!』

『うるさいなぁ。気にするな、勃ちはするから。女を喜ばせる事は出来るぞ』

『俺が喜べないんだよッ!』

 衝撃の新事実に頭がふらつき出した。あかん、俺の人生、どんどん変な方向に行ってる気がする。

『イシュア、気にするな。尻の穴は感じるかも知れない』

「なんで、そこは感じるんだよッッッ!」

 と叫ばずには居られなかった。


 傷心中の俺は食堂に入る。あぁ、今日も注目の的になるのか?

 すると、中の学生達が俺に気づくや、場がざわついた。クッ、また囲まれて質問するのか?しかし、反応は予想外であり、皆は気まずそうに食事を再開した。俺に声を掛けようとする者は誰も居ない。どういう事だ?煩わしくなくていいが、だが少し寂しいぞッ!

 俺は食堂のおばちゃんから食事を受け取る。おばちゃんの料理はおいしいから、それを心の慰めとしよう。

すると、おばちゃんは心配そうに俺に言葉を掛けた。

「イシュアちゃん。私はあんたの事を信じてるからね」

 これを聞き、俺は嫌な予感を覚えた。

「え?何の事です?」

「あら、知らないのかい?噂になってるよ、あんたが転移魔法で女湯を覗いたって」

 そう小声でおばちゃんは教えてくれた。一瞬、おばちゃんが何を言ってるのか分からなかった。女湯?転移魔法?ありえない。誰だ、そんなデマを飛ばした輩はッ!

「何でも寮長のメリルちゃんが昨日の夜、お風呂場で銀髪の男を見たって」

 との言葉に俺は唖然とする。少女寮長、奴かッッッ!クソッ、俺に何の恨みがあってッ!確かに俺は銀髪であり、学生で銀髪は俺しか居ないが、それでもッ。

「そ、そうですか・・・・・・ありがとうございます」

「イシュアちゃん。負けちゃ駄目だからね」

 おばちゃんの温かい励ましが身と心に染みる。しかし、何でかな。涙が出ちゃいそうだ。

 それから俺は食堂の隅で、速攻で飯を片付ける。隣の席の生徒が俺を避けるように距離をとったが今はそれどころでは無い。少女寮長、奴と話をつける必要があるッ!

 クソッ、一難去ってまた一難だ。いや、厳密には一難まだ去って無いけどな。

 

 俺は寮へと急いで戻った。すると、何たる幸運か。目の前を少女寮長がノホホンと歩いて来る。

「見つけたぞ、この嘘つきがッ!」

 そう俺は奴に告げてやる。すると、少女寮長はギクッと体を震わせ、とりつくうようにコホンと咳をした。周りの人達は何事かと成り行きを見守っている。

「な、なんの事じゃ?この覗き魔。ま、まさか。公衆の面前でワチシを襲おうというのかッ!この変態めッ!」

「違うッ!俺は身の潔白を証明しに来たんだッ!」

 と、俺は宣言してやった。ん?なんか段々とギャラリーが増えて居るぞ。まぁいい。奴を悉(ことごと)く論破してやろう。眠くはあるが、奴を言い負かすくらい雑作も無いだろう。

「むぅ、往生際の悪い奴じゃな。昨日、ワチシが消灯時間の後にノンビリとお風呂に入ったら、お主(ぬし)が居たんじゃッ!それで煙のように消えたんじゃッ!」

「あり得ない。俺は普通に寝ていた。大体、あんた以外に目撃者は居ないのか?」

「そ、それはワチシ一人じゃったが・・・・・・」

 目を泳がせながら少女寮長は答えてくる。クソッ、明らかな嘘だ。というか、なんで皆はこんなあからさまな嘘を信じるんだ。ま、まさか俺の人望の無さからかッ?

「ともかく、あんたの言葉は信用ならないッ!変な言いがかりをつけるのは止めてくれ」

「そんな事、言われても。ワチシは嘘ついてないもん。ヒック、ヒック」

と声を震わせ、少女寮長は涙をこぼしだした。それを見て、観衆達は俺に冷たい視線を送って来た。おい、あれは明らかに嘘泣きだろうがッ!

「うわ、美少女を泣かせてるよ」

「寮長、可哀相」

「イシュア、最低」

 などと口々に奴らは俺を批判して来やがる。まずい、このままじゃ俺は冤罪だッ!しかし、どうすれば・・・・・・。

 その時、救いの手が俺に差し出された。いや、本当に救いかは知らないが。

『クックック。イシュア。苦労しているなぁ』

 現れたのは女悪魔のイラナだった。

『おい、何とかしてくれ。知恵を貸せ』

『まぁ、いいだろう。お前に自殺でもされたら、つまらないからな』

 イラナの言葉には釈然としないが、まぁ今は何も言うまい。

『さて、イシュア。もう、こうなってはお前の負けだ』

『こらっ!諦めずに考えろッ!』

『まぁまぁ。正攻法では無理だと言いたいのさ。なら、からめ手で勝利をもぎ取るしか無いだろう』

『フムフム』

 俺はイラナに聞き入る。

『そもそもを考えて見ろ、イシュア。お前、何故あの少女が怒ってるか分かるか?』

『怒ってる?』

『そうだ。奴は怒っている。非常にな。それでお前の悪評を広めたのだろう』

『なる程・・・・・・』

 少しずつ分かってきたぞ。

『私には心当たりがある。これは痴情のもつれだな』

『違うわッ!』

 俺は頭を抱えたくなる。駄目だ、こいつに聞いたのが間違いだった。

『まぁ、冗談はさておき、思い出せイシュア。お前、何かを忘れてないか?』

『忘れてる?』

 と聞き返し、俺は記憶を巡らせた。すると、思い当たる節があった。

『おい・・・・・・まさか、ケーキを作る約束を忘れたから、こんな事になったのか?』

 そう。俺は寮に服を着替えに行った時に、少女寮長とそんな約束をした気がするのだ。

『まさに、その通りだ。さぁ、後は自分で何とかしろ』

 と言い、イラナは俺の背後に行ってしまった。仕方ない、やるしか無いか。

 俺の学院生活を守るためにもなッ!

「寮長ッ!すまなかった。昨日、俺がケーキを作り忘れてしまった事を怒ってるんだな。今から特大のケーキを急いで作るから、それで許してくれ」

「え?ほんと?」

 少女寮長はアホな事に目を煌めかせている。クックック、引っかかってきてるぞ。

「ああ。昨日、約束した通り、苺もいっぱいだ」

「い、苺ッ・・・・・・」

 そう呟き、少女寮長はヨダレを少し垂らしていた。そんなにケーキが好きか、こいつは。

「ああ。たくさんの苺だ。クリームもいっぱいだ。しかし、今の俺は変態扱いされてるからな。食堂を借りる事もままならないだろう。困ったものだ」

「何ッ、それは大変だ。みんな、昨日のはワチシの勘違いじゃッ!無かった事にしとくれ、なぁ?」

 すると、怖い程に場は静まりかえった。

「あれ?」

 と、少女寮長は首を傾げている。自分のミスに未だ気づいてないのだろう。

「寮長。嘘をついたと認めましたね?」

 優しく俺は微笑みかけながら、尋ねてやる。

「え?あぁッ!ち、違うもん。ワチシは嘘なんかつかないし。でも、ケーキは食べたいし。どうしよう?」

 との寮長の言葉に、一気に場はざわつき出した。フフッ、勝ったな。

「寮長、最低・・・・・・」

「なんだ、嘘かよ」

「イシュア、すまなかったッ」

 などと観衆達は口にしている。しかし、お前達、あっさりと手の平を返しすぎだぞ。

 まぁいい。俺は少女寮長に投降勧告をしてやる。

「寮長、謝るなら早い方が良いですよ」

「う、うぅ。あーん。ごめんなさいッ!ケーキが食べたかっただけで、悪気はなかったんですッ!あーんッ」

 どうも、本気で泣き出してしまったようだ。だが、勝負ありだ。よしよし。


 その後、寮長はしょんぼりしながら正座をしていた。

 話を聞きつけた校長が彼女にその罰を与えたのだった。

「いや、済まなかったな、イシュア君。ワシの孫がとんでもない迷惑を掛けてしまい」

 校長は少女寮長と違い、非常に誠実な人である。孫である少女寮長に甘い事も多いが。

 とはいえ、今回はしっかりと叱っており、少女寮長も涙目である。

「うー、ケーキ・・・・・・」

「こりゃ、メリルッ!反省しとらんのかッ!」

「うー。おじいちゃんの馬鹿ぁ」

 との少女寮長メリルの言葉は、校長の心にグサリと刺さったようだ。

「くぅ、メリル。おじいちゃんに何て口を」

 叱りつけようとしているのかも知れないが、校長はどう見てもオロオロとしていた。

「おじいちゃんのオタンコナスッ!」

「おおッ、メリル。何と言う口を聞くんじゃ。おじいちゃん、悲しいぞい・・・・・・」

 今、校長が非常に落ちこんでいるのが目に見えて分かった。仕方ない。

「あの、校長。良ければ、寮長にケーキを作りましょうか。一度は約束した事ですし」

「何?イシュア君。ほ、本当にいいのか?」

「はい。放課後でよろしければ」

 これを聞き、校長は妙に感激した面持ちを見せた。

「メリル。良かったなぁ。イシュア君がケーキを作ってくれるそうじゃぞ」

「いよっし、なのじゃ!イシュア。お前、いい奴じゃな」

「ど、どうも・・・・・・」

 あんまし、少女寮長に褒められても嬉しくない。すると、校長は俺の両肩をガシッと掴んできた。

「仕方ない。これも縁じゃな。やる、イシュア君」

「へ?何をくれるんですか?」

「孫を、メリルを君にあげようッ!」

 との突然の台詞に、俺はポカンとする。

「いやいや、あげるって。寮長は物じゃないんですから」

「言うな、イシュア君。しかし、孫のメリルをもらってくれる程に心の広い者は君くらいしか居ないんじゃッ!優秀で才覚もあるしの。これでメリルも安泰じゃ」

「待ってください。そんな、無理です」

 冷や汗が俺の全身を伝う。まずい、これは戦闘より酷い状況かも知れない。何とか上手く断らねば。

「そ、それに寮長だって、俺なんかじゃ嫌でしょう?」

 俺は寮長の方を見て言う。そうだろう?そうだって言ってくれよッ!

「え?ワチシは別にいいぞ。ケーキも作ってくれるし。よく見たらカッコイイ気もするし」

 頬を赤らめ、少女寮長はモジモジと恥ずかしそうにしていた。おい、やめろッ!マジでやめてくれッ!

「うむうむ、メリルも気に入っとるみたいじゃしな。さて、式はいつがいいかのう?」

 などと校長は真剣に考えこみ出した。まずい、このままでは俺の人生、完全に終わる。

「校長、しかし、まだ若すぎると思うんです」

「む。そうじゃった。君はまだ学生じゃったな。なら、卒業と同時に結婚式じゃな。フッフッフ。ひ孫、ひ孫が生まれるのか。きっと、さぞ可愛いんじゃろうな」

「待って下さい。犯罪ですよ、校長ッ!彼女は幼すぎますッ!」

 つい、本音が口を出てしまった。

「ん?あぁ、イシュア君。勘違いをしておるようじゃな。メリルは去年、成人しておるよ。だから、何の気兼ねもいらない。確かに発達が少し遅れてるように見えるのは事実じゃろうが、それも魔導の事故の影響なんじゃ。だから何らかのきっかけがあれば、一気に成長すると思うんじゃがのぅ。でも、今の姿でも十分に可愛らしいじゃろう?」

「ハ、ハハ・・・・・・」

 俺は乾いた笑いしかあげられなかった。どうしよう、どうやって断ろう。確かに外見で断るのは失礼な気もするし、性格が合わないとも言い辛いし。

 すると、寮長メリルが口を開いてきた。

「おじいちゃん。あんましイシュアを急かさんでやって。彼は照れてるんじゃよ」

 との明らかにおかしい寮長メリルの発言に俺は叫び出したくなった。

「そうか、照れとるのか。ハッハッハ。イシュア君。なら、今はあえて聞かないでおこうか。いやぁ、しかし良かった、良かった。孫の婿が決まるとは。・・・・・・老い先短いワシじゃが、あの世の婆さんや息子夫婦に良い土産話が出来たのぅ。ハッハッハ」

 そう喜ぶ校長に俺は何も言うことが出来なかったのだ。


 その日、俺は午前の授業をさぼった。いや、本当は行くつもりだったんだ。しかし、あまりに疲れていた上に、寮長メリルとの騒動で心もへし折られ、俺は自室のベッドでふて寝をしていた。もう、出席点とか知らないし。

 気づけば昼になっており、俺は買っておいたパンをモシャモシャ食べて、また昼寝をした。そして、再び起きれば放課後だ。授業?何それ、おいしい?

 確か、ケーキを作るんだったな。厨房の隅を貸してもらおう。

 食堂のおばちゃんに頼むと、快諾してもらえて、俺は無心にケーキを作り出す。

 のんびりと作っていたら一刻(2時間)くらい掛かったが、まぁ出来は良い方だろう。

 生クリームの上に苺をまんべんなく載っけてやる。さらに、すりつぶした苺を入れたゼリーを上から掛けて出来上がりだ。非常に疲れたが、まぁ良い気分転換になった。

 白い木の箱に苺のケーキを入れ、俺は寮長の部屋へと赴いた。しかし、ノックしても誰も居ないので、面倒だから部屋の前に置いてその場を後にした。よし、これで任務完了だ。

 しかし、何かを忘れている気がする。すると、女悪魔イラナが声を掛けてくる。

『イシュア。お前、医務室に行かなくていいのか?』

「忘れてた・・・・・・」

 気が重いが、俺は急いで医務室に向かうのだった。


「おっ、やっと来たな」

 医務室で俺を待ち受けていたのはホリー先生だった。

「すいません。色々と立てこんでしまいまして」

「いや、いいさ。二人とも目を覚ましているぞ」

 とのホリー先生の言葉に横を見てみると、確かにベッドの上ではあるが学匠シェルネとレオネスはそれぞれ起きているようだった。

「先にレオネスが目を覚ましたから、彼には事情を話して口裏を合せるように言ってある」

 そうホリー先生が俺に耳打ちしてきた。これに俺はコクリと頷いた。

「さて、シェルネ。お前はもう大丈夫だから、部屋に戻って休んでるといい。後で私も見に行くから」

「ええ。そうさせてもらうわ。じゃあ、レオネス君もお大事に。イシュア君もまたね」

 そして、学匠シェルネは部屋を後にするのだった。これで気兼ねなく話せる。

「で、実際どうしましょう?」

 俺はホリー先生に尋ねてみる。頼りになるのかならないのか、よく分からないけど。

「ともかく、互いの情報を交換し合おう。言える範囲でいいからな」

「はい」

 そして、俺はここ数日の状況をホリー先生達に説明した。

「なる程。事情は理解した。とんでも無い話だ」

 すると、レオネスが尋ねてきた。

「えぇと、その女悪魔のイラナって?」

「ん?ああ。出てきてくれイラナ」

 すると、イラナは面倒くさそうに現れた。

『私が見えるか、聞こえるか?』

「ああ。見えるし、聞こえる」

 確かに頷き、ホリー先生は答えた。一方で、レオネスは周囲を見回していた。

「え、えぇと。あぁ、確かにそこに小悪魔みたいな少女が存在するんですよね?」

 とのレオネスの言葉に俺はギョッとする。

「レオネス。お前、どうして?」

「二人の視線とかから演算して割り出したんだ」

「嘘だろ・・・・・・」

 俺は呆然と呟いた。何だかレオネスが俺の届き得ぬ高みに登ってしまった気分だ。

「しかし、素晴らしい力だ。これは我々にとり大いなる戦力と言えるだろう」

「そ、そうですか?」

 と、レオネスは照れたようにホリー先生に答えた。しかし、なんだ、この二人の雰囲気。

 何だか妙な絆を感じるぞ。この場における疎外感を覚える。クゥッ。

「そ、それでホリー先生。話せる範囲でいいので、事情を語ってもらえますか?」

「ああ。ただ、君の知っている事が大体全てだ。私達はアレルカンに送りこまれるにあたり、記憶の一部を消されているから、カルギスの事は断片的にしか覚えていないんだ」

「なる程。でも、それは学匠シェルネを納得させるのに好都合でしょうね」

「ああ。今の所シェルネはそれほど違和感を覚えて無いようだが、まぁ、シェルネに関しては私が上手くやるさ。それよりも、今後の事だ。ともかく、明日までに何か考えておいてくれ。もちろん、私も打開策を練るから」

「分かりました」

 そう俺は簡潔に答えた。そして、俺は医務室を後にするのだった。レオネスはもう少し残るそうだ。クゥ、俺という親友よりホリー先生の方が良いのか?まぁ、いいけどなッ。

 俺は夕食を食堂でとり、部屋に戻っていた。一人だと妙に寂しい。すると、イラナが壁をすり抜けて出てきた。まぁ、こいつでも話し相手くらいにはなるか。

『来てやったぞ』

「呼んでないがな」

『フッ。それより、お前。カルギスからの刺客とか来たら倒せるのか?』

「・・・・・・確かになぁ。それは大きな問題だ。よし、魔法の練習をしてみよう」

『ほう。やって見るがいい』

 それから俺はイラナを引き連れ、廃墟まで行った。ここは絶好の魔法の練習場だ。

 地下室には何故か隠匿の結界が張られていて、結界の中で魔法を使っても外では分からないのだ。大方、昔にこの地下室を作った奴が張ったのだろう。ちなみに、ホリー先生の話だと学匠シェルネのアバター能力も似た結界能力を持っていて、だからこそ俺達の戦闘に誰も気づかなかったのだそうだ。普通だったら、魔力反応を察知して講師の誰かが飛んで来てもおかしく無いからなぁ。

 ともかく、今は魔法の練習だ。昼間に寝すぎたから夜なのに頭が無駄に冴えている。

「オオオオッ、風よッ!」 

 俺の素晴らしい詠唱により、小さなつむじ風が舞った。

『いやぁ、涼しいなぁ』

 ニヤニヤとしながら、イラナは俺の魔法練習を眺めている。すごく馬鹿にされている気もするが、あまり考え無い事にする。

「炎よッ!」

 今度は親指くらいの小さな火が空中に出現した。

『ほう、火打ち石イシュアと呼んでやろう』

「なんだ、それッ!小間使いじゃないぞ、俺はッ!」

『フッフッフ』

 と、イラナは一笑に付すだけだった。気を取り直して、次の魔法に移る。イラナは俺を馬鹿にして、俺の前方から眺めている。魔法の練習をする時、前に人が居てはいけないんだがな。まぁ、彼女は霊体だから魔法は効かないとは思うけど。気にせず、続けよう。

「水よッッッ!」

 次の瞬間、俺の振った杖から異様な何かが飛び出した。それは白濁の液体だった。

 魔力で出来たその謎な液体は、俺の意志を超えて、イラナに掛かっていった。

『へ?』

 キョトンとするイラナは白濁の液にまみれていた。ふざけるな、これじゃ俺がアレをぶっかけたみたいじゃ無いか。イラナの顔面や胸にまで掛かってるし。これはあかん・・・・・・。

『え?え、えぇぇぇぇ?嘘、ちょ、キモ、キモ過ぎるッ!いやぁぁぁぁッッッ!』

 そう叫び、イラナは壁の向こうに消えて行ってしまった。今回ばかりは本当に申しわけ無いと思う。だが、俺も真剣にやっての事だ。と、ともかく、修行を続けよう。

「土よッ!」

 その刹那、俺は尻部に激しい衝撃を感じた。

「お、おふっ。ちょっ、無い、これは無いッ!」

 尻を押さえ、俺は悶絶した。見れば、足下の地面が盛り上がっており、その先端が尻に直撃したのだろう。クゥ、最悪すぎるぞ、これはッ!二度と土の魔法は使わん。

 すると、いつの間にか戻って来たイラナがケタケタと笑っていた。

『ダサッ。まぁ、自業自得だな。私にあんな気持ち悪いものをぶっかけた罰だ』

「うっさい。俺も好きでやったわけじゃないッ!ともかく、次だ」

 それから色々と魔法を試すも、他にはロクに発動できたのは無かった。あぁ、守護魔法は相変わらず、とても薄いのを張る事が出来た。実戦じゃ絶対に役立たないけどな。

 すると、イラナが声を掛けてきた。

『本当にお前は使えないなぁ』

「うるさい。そうだ、召喚術を試してみよう。以前は苦手だったが、逆に今は得意になっているかも知れない」

『無駄だと思うけどな』

「ふん」

 イラナを無視して、俺は召喚術の準備に入る。一番、簡単な妖精ピクシーの召喚で構わないだろう。召喚術は非常に術式が複雑で厄介だが、ピクシーくらいなら丸暗記している。

 地面に魔方陣を描き、俺は詠唱を開始する。そして締めに杖を振ると、何と本当に召喚術が発動してくれた。

「よっしッ!」

『む・・・・・・』

 俺の喜びとは裏腹に、イラナはつまらなそうにした。ざまーみろ。

 しかし、煙の中から出てきた召喚獣は俺の想像を絶する存在だった。それは何十本もの触手だった。

 艶めかしく蠢(うごめ)くそれらはイラナに向かい一気に襲いかかっていった。

『ちょッ!離せ、こらッ!いやぁッ!』

 ヌルヌルとした触手がイラナの全身に絡まり、その絹のような肌を粘液で汚していく。

 正直、少し興奮する。しかし、悲しいかなゾンビな俺はそれ以上、何も感じない。

『このッ!触手ごときがッ!』

 すると、イラナは次々と触手を潰しだした。刹那、俺の股間に激痛が走る。

「なんだ、これッ!もしかして、触手がやられると、俺のキノコに跳ね返りでダメージが来るのか?ちょッ、やめろ、イラナッ!俺のアレが死んでしまうッ!」

『うっさい。全部、潰すッ!』

「ノォォォォォッ!」

 との俺の絶叫は、触手が駆逐されるにつれ悶絶へと変わるのだった。

『はぁはぁはぁ』

 鬼気迫る表情で全ての触手を倒したイラナは息を荒げていた。

 一方で、キノコに尋常ならざるダメージを受けた俺は、地面でひくついていた。

「もう・・・・・・今日の練習は終わりだ。終わ、り」

 そして俺は力尽き、そのまま床に倒れこむのだった。もう二度と召喚術だけはしまいと誓いながら。


 第7話


 気づけば俺は最強の力を取り戻していた。魔法も使い放題。刃向かう奴はみんな倒してやった。正直、笑いが止まらない。皆が俺の名を叫ぶ。「イシュア、イシュアッ!」と。

 そう、俺は最強魔導士イシュアだ。しかし、絶好の気分の中、後ろから俺の肩を叩いてくる奴が居る。やめろ、俺を引き戻すな。分かってる、分かってるが、今くらい夢を見させてくれッ!しかし、容赦なく肩を叩く力は強まる。はいはい、起きりゃいいんでしょ、起きりゃ。

目を開けると、どうも朝のようだった。さらに、焦点が合いだすと、俺の前にはホリー先生が居た。ちなみに場所は廃墟の地下室だ。どうやら、あのまま眠ってしまったらしい。

「おはようございます」

 とりあえず、俺は挨拶しておいた。

「おはよう、イシュア君。少し探したんだ。君の行方が分からなくなったとレオネスが言って来てな」

「あ、そうだったんですか。レオネスは?」

「部屋で寝てるんじゃないか?彼は体調が戻ってないだろうからな。それに今日は土曜日だろう?」

「そうでした」

 妙に得をした気分となる。よし、今日と明日はゴロゴロ出来るぞ。

「まだ夜が明けたばかりだが、そろそろ戻った方がいいだろうな」

「はい・・・・・・」

「ところで、イシュア君。自慰的な行為をするならば、後片付けはしておくべきだと思うんだがな」

 そう言い、ホリー先生はチラッと床に散らばる白濁の液を目を向けるのだった。

「ちょ、違いますッ!誤解です!あれは単なる水魔術の失敗作で」

 すると、ホリー先生はプッと噴き出した。

「冗談だよ。一瞬、ギョッとしたが違うようだな。まぁ、私も経験は無いから良く知らないが」

「あ、そうですか」

「ちなみに、シェルネも処女だぞ」

「へ、へー・・・・・・そ、そうなんですかぁ」

 なるべく平静を保ちながら俺は答えた。クゥ、ホリー先生はニヤニヤしてるし。

 いかん、話題を変えねば。

「ホリー先生。聞き忘れていた事があるんですが」

「なんだ?答えられる範囲なら何でも言おう。シェルネの3サイズとかな」

「い、いや、それはいいです。あのですね、転移魔法の事ですが」

「ああ」

 と、ホリー先生は相づちを打ってきた。

「それで転移魔法って本当に実在するんですか?」

 すると、ホリー先生は難しい顔をした。

「恐らく使い手は居る。ただ、あくまでそれは噂に過ぎないが」

「どんな噂なんです?」

「スタルフォン共和国、私が所属したカルギスと北方の国境で接する共和国だが、そこにある魔導士が居ると噂されている。彼はアバター能力を有しており、かつ闇魔術を極めていると言う話だ。そして、彼はアバター能力に魔導を組み合わせ、転移魔法を完成させたとの事だ。真偽は分からないが、あながちデマとも思えない」

「ふむ・・・・・・」

 俺はホリー先生の言葉を考えてみる。ともかく、次なる質問を投げかけてみる。

「それで、転移魔法は相当に難しいわけですね。ちなみに、アバター能力単体で転移を使える使い手は居ないんですか?」

「いや、単体では不可能だろう。アバター能力は普通の魔法とは趣(おもむき)が違うんだ。たとえば、私の能力は相手の弱体化で、シェルネの能力は相手の魔法を封じたり、外から魔力探知が出来ない結界を張ったりする能力だ」

「つまり、直接的な能力では無いと?」

 との俺の言葉にホリー先生は頷いた。

「そうなる。何て言えばいいのかな、人間に干渉はできるが、物や空間には干渉できないみたいな」

「まぁ、何となく分かります。となると、アバターを使った攻撃魔法的なのは無いんですか?」

「私の知る限りは存在しない。ただし、アバターで敵を殴る事は出来るんだ。これに関しては私も理屈は分からない。あぁ、ちなみにシェルネが花びらを使っただろうが、あれは触れると眠らせる効果がある力だ。殺傷力は無い」

「あ、そうだったんですか」

 そう俺はホリー先生に答えた。しかし、ちゃんと避けて良かった、良かった。とはいえ、学匠シェルネは能力をたくさん持っている感じだなぁ。さすがだ。まぁ、それは置いといて、さらに俺は質問を続ける。

「じゃあ、逆に単なる剣とかでアバターを壊す事は出来るんですか?」

「いや、普通は無理だ。とはいえ、レオネスの剣技で斬られてしまったから条件次第では可能なんだろうな。ただし、悪いが詳しくは分からない。すまないな」

「いえ。お気になさらず。十分に参考になりました」

 そう俺が答えるや、遠くで起床の鐘が鳴り出した。もう時間だ。それから、俺とホリー先生は別々に学院へと戻るのだった。


 その日、俺は食事以外の時間はベッドの上でゴロゴロして過ごしていた。

 体がだるく何もする元気が湧かない。急に老人になった気分だ。一方でレオネスは元気なもので傷も完全に塞がり、外を走っている。全く信じられん。あの元気、分けて欲しいものだ。

 しかし、今日が休みで本当に良かった。明日も休みで本当に幸せだ。あぁ、毎日が休みだったらどれ程に幸せだろう。そうだ、後で風呂に行こう。最近、水拭(みずぶ)きと清めの魔法をするだけで済ませる事が多かったからな。そもそも今は清めの魔法もロクに使えないし。

 すると、コンコンとノックの音が響いた。

「どうぞ。開いてますから」

 そして、中に入ってきたのは寮長メリルだった。なんか面倒な予感がしてきた。

「寮長、何か御用ですか?」

 仕方ないので体を起こし、俺は聞いてみた。

「む。ケーキ、おいしかったのじゃ」

 満面の笑みで少し恥ずかしそうに礼を言ってくる寮長は、普段と違い可愛らしくある。

 さながら小動物を見てる感じだ。いつも、こうしてくれればいいのにね。

「それはどうも。まぁ、気が向いたらまた作りますよ」

「ほ、本当か?」

「ええ」

 その時、俺は尋常ならざる殺気を感じた。

『イシュアッ!急ぎ逃げろッ、来るぞッ!廊下からだ』

 突如、現れた女悪魔イラナが俺に叫んでくる。《何が》と聞き返す前に、俺は寮長メリルを抱え、窓から飛び出した。

 次の瞬間、俺の部屋から未知なる閃光が生じた。それと共に、波動が周囲を通り過ぎていき、世界は白黒となった。恐らくアバター能力だ。チクショウ、信じられない。しかし、今は地面が迫っている。何とか俺は両足で着地する。同時に3階からの落下の衝撃が全身に突き刺さる。

 しかし、ゾンビと化した俺は魔力を使えずとも、この程度では戦闘不能にはならない。

「な、な、な、何じゃッ!」

 俺の腕の中で寮長は目をパチクリさせている。寮長に説明してる余裕は無い。

「しかし、まさか、刺客なのか?」

 嫌な汗が全身を伝う。ともかく逃げねば。俺は駆け出そうとする。

 その時だった。一人の男が駆けてきた。それは講師のレイヴンだった。

「イシュア。何事だ?それに、この白黒の空間は?」

 とレイヴンは尋ねてきた。しかし、この状況では有り難い増援だった。

「敵ですッ!」

「敵だと?魔力は感じないが。俺はお前が寮長を抱えて飛び降りたのを見て、驚いて駆けつけたんだ。そしたら周囲がモノクロになりやがって」

「魔力を隠蔽する力を持った敵なんですッ!」

 との俺の言葉にレイヴンは眉をひそめた。クソッ、こいつとは仲が悪いし、どうせ信じてくれないんだろう。しかし、返答は意外なものだった。

「信じよう、イシュア。お前は高慢ちきだが、こういう嘘はつかないからな」

 そして、レイヴンは剣を一瞬にして抜いていた。あまりにもその動作は素早く、今の俺の目では追えなかった。

 すると、レイヴンは何も無い目の前の空間に一気に斬りかかった。刹那、剣は見えない何かに阻まれた。不可視の結界が張られている。俺はとっさに両の魔眼を発動する。探知用の魔眼では無いが、普通の眼よりは見えざるものも見やすいだろう。

 次の瞬間、俺の視界には一人の美少女が映った。彼女は不可視の結界の中に隠れている。

 その時、その少女はニヤリと妖艶な笑みを浮かべた。アバター能力が来るッ!

「先生ッ!下がってくださいッ!」

 との俺の言葉に、レイヴンは一気に後退し、剣にこめた魔力を不可視の結界に向けて放った。魔力が結界に当たるや爆発が起き、それにより砂煙が生じていく。その隙に俺達は森へと逃げ出したのだった。ちなみに、レイヴンは上空に魔力を打ち上げて、緊急を知らせたが、この異様なる空間では効果があるかどうか・・・・・・。

 

「あれは何だ、イシュア」

 木立の陰でレイヴンが有無を言わせぬ迫力で問い詰めてきた。

「分かりません。俺を狙う敵でしょう」

「敵?お前、どんな面倒に巻きこまれているんだ?」

 半ば呆れたふうにレイヴンは言ってきた。仕方ない。少しだけ事情を説明しておこう。

「俺が転移魔法を使ったって噂を聞きつけた他国の工作員ですよ」

「馬鹿な・・・・・・」

 レイヴンは信じられないといったふうに額に手を当て、呟いた。

「もちろん、俺は転移魔法なんてつかえません。むしろ、今は体調を崩していて魔力が切れた状態なんです」

「つまり、お前は戦えないと?」

「あまり役立てないかと」

 との俺の答えに、レイヴンは苛立たしそうにため息を吐いた。

「まぁいい。寮長、あなたは戦闘は?」

「む、無理なのじゃ。怖いのは苦手なのじゃ」

 寮長メリルは顔を青ざめさせながらレイヴンに言うのだった。

「なら、イシュア。寮長を守れ。俺が奴を食い止める。しばらくすれば、他の講師達も気づくだろう。そうすれば、どんな工作員だろうと問題ない」

「はい。ですが、先生。敵は見えざる力を使います。それを俺は見る事が出来るんです」

 との俺の言葉に、レイヴンは俺の朱と蒼の魔眼を見て頷いた。

「なら、後方から念話で俺にその力を説明し続けろ。いいな」

「はい」

「ただし、戦況が悪くなったら、俺を見捨てて逃げろ。分かったか?」

「・・・・・・はい」

 もしかしたら、俺はレイヴン先生を誤解していたかもしれない。この人は厳しいかもしれないが、それは自身にも当てはまるんだ。確か身分が低いから騎士の位は得れなかったとの事だが、この人こそ真の騎士と言えるかも知れない。

 そして、俺達は息をひそめ、その場でジッと嵐が通り過ぎるのを待ち続けた。

 しかし、嵐は俺達に気づいたようだ。

『イシュア。五刻の方向(10時方向)から来ている』

 再び突如出てきた女悪魔イラナが俺に敵の場所を教えてくれた。

「先生、五刻の方向」

 とだけ聞くや、レイヴン先生は魔力を全開にして、瞬時に抜刀術をその方向に放った。

 その斬撃は木々を易々と切断し、敵に迫った。しかし、敵の少女の目前で不可視の結界に再び阻まれるのだった。とはいえ、今度は結界にヒビが入っていき、結界は一気に砕けていった。それと共に、少女の姿をはっきりと視認できる。

 ゴスロリを着た金髪の少女、それが今回の敵の正体だった。しかし、彼女から漂う魔力は禍々(まがまが)しさを有しており、見る者の全てに死を印象づけた。少女の美しさが畏怖を引き立てており、俺は逃げ出したくなる衝動に駆られる。寮長メリルも泣きそうになりながら、震える手で俺の上着の裾を掴んでいた。

「案ずるな。お前達は俺が守る」

 振り返らずにレイヴン先生は背後の俺達に告げるのだった。何だか急にその背中が大きく見える。何て頼もしいんだろう。そして、レイヴン先生は少女に剣を向ける。

「さて、お嬢ちゃん。おいたが過ぎるんじゃないのかな?ここが何処か分かっているのか?」

 そうレイヴン先生は少女を挑発する。しかし、少女は不気味に笑みを浮かべ答えるのだった。

「偽善の院でしょう?世界の中心に位置しながら、戦乱を傍観し続ける。そして、時折、思い出したかのようにわずかな兵隊を派遣したりする。独善的に」

「世界連盟の決定に従っているだけなんだがな」

 とのレイヴン先生の言葉に、少女は冷たい視線を向けた。そして、急に狂ったように笑い出した。

「アハハ、世界連盟、世界連盟ッ!しょせんは、このアレルカン公国にある仲良し組織でしょう?ねぇ、どうしてアレルカン公国は中立を謳(うた)うの?どうして、世界連盟は戦争を嫌うの?多くの国々は戦いを望んでいるというのに」

 と、高らかに歌うように少女は告げるのだった。対して、レイヴン先生は舌打ちした。

「狂ってやがるな」

「ありがとう、狂わない魔導士は魔導士では無いわ。さぁさ、踊りましょう。死の輪舞(ロンド)を」

 そして、少女はクルクルと優雅に回りながら、アバターを召喚してきた。

 彼女のアバターは大きな時計だった。それに機械的な手が生えている。明らかにこれは危険な存在だと本能が俺に告げていた。ともかく、レイヴン先生に知らせねば。

『先生ッ、時計型の召喚獣が奴の前に』

『ああ、微かに感じている。だがッ!』

 刹那、レイヴン先生の姿が消えた。そして、先生は少女の真後ろに出現し、一閃を放つ。

 次の瞬間、少女の二重目の結界に剣がぶつかり、衝撃で結界ごと少女は吹き飛ばされていった。さらに、レイヴン先生は残像を描きながら追撃を行った。しかし、レイヴン先生メチャクチャ強いじゃないか。いやぁ、これはアバターとか関係ないレベルだ。

 とはいえ、少女に張られた結界は強固であり、今度はなかなか打ち破る事が出来なかった。少女はアバターでレイヴン先生を攻撃しようとするのだが、先生の動きのあまりの速さに付いて行けてなかった。

『悪いが、俺は踊りが苦手なんだ。合わせてみろよッ!』

 とレイヴン先生は少女に告げ、さらなる猛攻を仕掛けた。

『アハハッ、確かに体の大きさが違うわね。なら、合わせてあげるわッ!』

 そう少女は答え、全方位に魔弾(魔力の塊)を放ちだした。レイヴン先生はこれを器用に避け、木を蹴って上方から少女に迫った。しかし、少女は繰り出された先生の攻撃を躱したのだ。先生はさらに三連の突きを放つも、少女はいとも容易く避け続けた。ちなみに、俺の目からは先生が少女の残像を突いたようにしか見えなかった。

『はい、捕まえた』

 少女の凍り付くような言葉が紡がれた時、彼女のアバターはレイヴン先生の両肩を背後から掴んでいた。

「先生ッ!」

 そう俺が叫ぶ刹那、アバターの未知なる能力が発動し、先生は光に飲み込まれていった。

 しかし、この展開はマズイ・・・・・・。そして、光が収まるや、そこにはブカブカの服を着た一人の少年が出てきた。かなり小さく10歳くらいだろうか?この少年、キョトンとしている。

「へ?」

 突然の事に、一方で俺は妙な声を漏らしてしまった。すると、ゴスロリ少女が声をあげて笑い出した。

「アハハハハッ、小さくなった、小さくなった」

 との少女の言葉で俺は我に返る。

「ま、まさか、対象を若返らせる能力?」

 思わず、俺は呟いた。

「そう、そうなのよ。すごいでしょ?」

 誇らしげに少女は答えてくる。確かにすごいけど、敵としては最悪だ。ちなみに、少年レイヴン先生は唖然としているようだった。どうも、魔力が使えなくなってしまったようだ。そういう問題でも無い気もするが。しかし、レイヴン先生の尊い犠牲のおかげで、敵の能力が分かった。よしッ!

「寮長ッ!」

 そして、俺は寮長メリルを抱え、一気に逃げ出した。あんなのと戦ってられるか。


 ・・・・・・・・・・

 少年と化したレイヴンは普段と違う体に戸惑い、動けずに居た。

「あ、あいつ。逃げろとは言ったが、本当に逃げやがった・・・・・・」

 自身の高い声に違和感を覚えながら、レイヴンは呟くのだった。

 すると、ゴスロリ少女がレイヴンを覗きこんできた。相対的に見たら、今や彼女の方がレイヴンよりも大きいと言えた。

「クソッ!」

 とっさにレイヴンは剣を拾い、少女を斬りつけようとした。しかし、次の瞬間には少女の蹴りがレイヴンの手にぶつかり、剣は手から弾かれて飛んでいき木に突き刺さるのであった。レイヴンは剣を取ろうとするも、少女は容赦なくレイヴンを踏みつぶしてきた。

「グッ・・・・・・」

 苦悶の声をレイヴンはあげる。しかし、少女は狂喜の笑みを浮かべながら、レイヴンを何度も何度も踏みちらした。

「ハァ、ハァ」

 息を荒くして、頬を紅潮させながら、少女はレイヴンを痛めつけていく。

「おい、やめッ、やめろッ!ちょッ!」

 少年となり弱気となったレイヴンは敵である少女に言うのだった。しかし、返ってきたのは無慈悲な言葉であった。

「だ、め」

 そして、レイヴンの悲鳴が響く中、少女は彼を責め続けるのだった。

 

 ・・・・・・・・・・

 俺と寮長が森を逃げていく中、遠くからレイヴン先生の悲痛な声が響いてくる。先生、あなたの事は決して忘れないからなッ!

 そして、だんだんと疲れてきたので、俺は寮長を降ろして息を整えた。

 すると、寮長が瞳を潤ませ、口を開いた。

「イシュア。死ぬ時は一緒じゃぞ」

 突然のラブコメ展開に頭を抱えたくなる。

「いや、普通に生き残るんで」

 少なくとも俺一人でもな。まぁ、少女が死ぬと寝覚めが悪いんで、極力は守ろうと思うけどな。

「あぁ、レオネス、ホリー先生。早く、助けに来てくれ・・・・・・」

 そう俺は呟くのだった。


 ・・・・・・・・・・

 その頃、レオネスとホリーは医務室で紅茶を楽しみながら仲良くチェスをしていた。

「チェックメイトだな」

 ニヤリとしてホリーは告げるのだった。

「参りました」

 と、レオネスは潔く投了した。

「さて、もう一戦だ」

 そうして、ホリーとレオネスは駒を並べ出した。今、医務室は非常に平和であった。


 ・・・・・・・・・・

「ゴフヘッ!」

 情けない声をあげながら、俺は敵なる少女の魔法で吹き飛んでいた。地面にぶつかり、

衝撃が体に走るも、普通に生きている。というか既に半分死んでいる。こういう時はゾンビで良かったと心から思う。

「イシュアッ!」

 寮長が心配そうに声をあげる。しかし、俺が立ち上がると、安堵の表情を見せる。

 一方で、ゴスロリ少女は傷つく俺を見て、嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みを浮かべている。クソッ、こいつドSじゃないかッ!レイヴン先生もさぞ痛めつけられたのだろう。その二の舞になってたまるか。

俺はMじゃあ無いからな。ともかく時間を稼がねば。

「おい、お前。名前は何て言う。名乗る名も無いのか?」

 そう俺は問い詰める。

「私?私は時の魔導士ヘクサス」

「ヘクサス・・・・・・」

 記憶を辿るも、その名に思い当たりは無かった。まぁ、どうせ偽名だろうけど。すると、魔導士ヘクサスは俺に言葉を掛けてきた。

「それよりも、イシュア・ハリスティル。私のアバター能力が見えるみたいね。転移魔法というのも、あながち嘘では無いのかしら?」

「お前はカルギスの人間なのか?」

「質問を質問で返すのは」

「良くないか?」

 との俺のさらなる質問に、魔導士ヘクサスはギリッと奥歯を噛んだ。ヘクサスから膨大な魔力があふれ出す。アバター能力に加えてこれはマジで止めて欲しい。

「脳だけ残っていればいいか・・・・・・」

 などとヘクサスはボソッと呟いた。さらっと怖い事を言ってくれるな、このゴスロリ少女はッ!

 仕方ないので俺は両の魔眼を発動する。正直、魔眼を使うと疲れるんだが、脳だけになるよりはマシか。すると、女悪魔イラナがここぞとばかりに出てきた。

『ハハハッ、イシュア。またもや大ピンチだなぁ。しかし、それを乗り越えてこそ、我が契約者にふさわしい。さぁ、あのゴスロリS女をヒィヒィ言わせてやれ』

「ヒィヒィ!」

『お前が言ってどうする。ッ、来るぞッ!』

 とのイラナの言葉と共に、戦闘が再び開始された。ともかく俺は左目の時駆けの魔眼を

発動した。刹那、世界はスロー・モーションと化し、奴の攻撃の全てを認識できる。

 が、放たれた大量の魔弾は隙間無く散りばめられ、避けようが無かった。

『チクショウ、無理ゲーだろう、これはッ!』

 などと叫ぶも、その時、俺は寮長にも魔弾が迫るのに気づいてしまった。

『クソッ、俺の馬鹿ッッッ!』

 そして、俺は身を挺(てい)して、寮長をかばう形となった。ゆっくりと魔弾は近づき、俺に直撃していく。次の瞬間、俺の体は寮長ごと吹き飛んで行く。

 地面を俺達は転がるも、寮長は何とか無事そうだ。

「うぅ、イシュア。すまぬぅ」

 と、寮長は可愛らしく言ってくるが、今はそれどころでは無い。追撃が来る。

 俺は魔眼を再び発動させようとするが、刹那、俺に流星のごとき魔力が直撃する。

 そして、俺は大木に無惨に叩き付けられた。正直、実力が違い過ぎる・・・・・・。

 意識が朦朧(もうろう)とする俺に向かい、ゆっくりとヘクサスは歩み寄ってきた。しかし、やはり勝てなかったか。あとは運を天に委ねよう。この潔さも俺の美徳だな。

 この時、予想外の展開が生じた。寮長がヘクサスの前に立ちはだかったのだ。

「このぉッ!ワチシの旦那に手を出すなぁッ!」

 と、寮長は叫んでいる。しかし、旦那って誰だ?・・・・・・おい、まさか俺か?やめろッ、誤解が生じる。やめて、マジで既成(きせい)事実化(じじつか)しちゃうからッ!

「アハハッ、何?あなた達、そういう関係だったの?」

 蔑(さげす)んだ目でヘクサスが俺を見てくる。やめろ、全ては勘違いだ。俺はもっと大人な女性が好みなんだよ。しかし、傷ついた今の俺は声を出せなかった。

「うぅ・・・・・・」

 寮長は小動物のように震えながらも、両手を広げ俺をかばおうとしている。いっその事、本当の小動物みたいに隠れていればいいのに、あの馬鹿ッ!

「はいはい。じゃあ、赤ちゃんに戻りまちょうねぇ」

 そう小馬鹿にして告げ、ヘクサスは寮長にアバター能力を使おうとする。

「や、め・・・・・・」

 何とか声を出そうとするも、今の俺はあまりに無力だった。ヘクサスのアバターは寮長の肩に手を当て、力を発動した。光が生じ、対象の時が遡る・・・・・・はずだった。

「なに?」

 予想外の展開にヘクサスは顔をしかめた。そこには前と変わらぬ寮長の姿があったのだ。

「はれ?私、平気?」

 キョトンとしながら、寮長は呟いた。

「何故ッ。クッ!」

 そして、ムキになって魔導士ヘクサスはアバター能力を寮長に使い続けた。

 しかし、一向に寮長に変化が訪れる様子は無かった。

「そんな・・・・・・ならばッ!」

 と言い、ヘクサスはアバター能力を全開にした。時計型のアバターが軋(きし)む程のオーラが今、吹き荒れている。こんなのを喰らえば、いくら寮長でも大変な事になる。下手をすれば、生まれる前に戻ってしまうかも知れない。

「やめろッ!」

 叫び、俺は駆け出す。世界が凍れるかに遅まる中、俺は寮長の手を掴んだ。その刹那、ヘクサスの時戻しの力が発動した。だが、次の瞬間に起きたのは奇怪な現象だった。

 それは共鳴と言えたかも知れない。寮長の魔力がヘクサスのアバターと反応を示したのだ。時空をも歪ます波動が周囲を包んでいく。

「ゾ、ルア、ーン」

 瞳孔の開いた寮長は、時の神の名を口にした。

「寮長ッ!」

 だが、俺の叫びは光に埋もれていくのだった。


 声が断片的に聞こえる。

『輪廻の限界・・・・・・冥府に魂は』

『邪神は復活・・・・・・箱庭の時を遅らせ・・・・・・』

 話し合っているのは二人の男女だった。その傍(かたわ)らに寮長が居た。

「パパ、ママ」

 寮長は二人に微笑み掛け、二人は寮長に微笑み返した。

 しかし、ノイズが走り、その映像は砕けていった。

 場面は次へ移る。雨の中、並んだ二つの墓石の前で寮長は傘も差さずに座りこんでいた。

「ヒック、ヒック・・・・・・パパ、ママ」

 寮長はただ泣きじゃくっていた。すると、後ろから息を切らした校長が開いた傘を彼女に差し出していた。そして、校長は哀しみをたたえながら、しゃがみこみ、彼女に視線を合わせた。

「メリル。おじいちゃんが居るからな。おじいちゃんはメリルの傍にずっとおるからな」

 そう誓い、校長は彼女を抱きしめるのだった。

「う、うぁ、おじいちゃん、おじいちゃんッ!うわぁぁぁんッッッ!」

 寮長は校長に顔をうずくめ、ひたすらにむせび泣くのだった。

 この光景に俺は少なからぬ衝撃を受けていた。だが、深く考える間も無く、俺の意識は現実に引き戻されていった。


「ッ・・・・・・」

 気づけば、俺と寮長は地面に横たわっていた。すると、寮長が目を微かに開き、俺の方を見てきた。

「イシュア。逃げるのじゃ」

 自身の心配もせず、寮長は言ってくる。

「体が動かないんだよ。それに俺に見捨てられたら、寮長、泣くだろう?」

 そう俺は答えてやる。

「泣きなどせん。もともと、知っていたのじゃ。イシュアがワチシの事なんか、本当は何とも思って無い事くらい。むしろ迷惑しとるんじゃろう?」

「そんな事は・・・・・・」

 しかし、俺は少し口ごもってしまう。それはあながち間違っていないから。

「いいんじゃ。ワチシみたいな大人になれない者を、恋し、愛してくれる人なんて居ないんじゃから。分かっておった、分かっておったけど」

 ポロポロと涙をこぼしながら、寮長メリルは言葉を紡いでくる。そんな彼女に手を伸ばし、その涙を俺はすくう。

「泣くなよ。確かに、あんたは子供にしか見えない。そして、性格も子供っぽい。でも、俺は勘違いしていた。十分にあんたの心は大人だった。そこらのガキとは違う。ガキってのは、無邪気に人を傷つけ、無垢に人に迷惑を掛ける。だが、あんたは他人を思いやれる人だ。まぁ、少しわがままな所は有るがな」

 と言い、俺はメリルに微笑み掛けて、ハンカチを渡してやる。

「イシュア・・・・・・」

「ともかく、そこで見ててくれ。まぁ、示そうか。俺が最強たる所以(ゆえん)を」

 そして、俺は全身の力を振り絞り、必死に立ち上がる。すると、拍手が鳴る。見れば、ヘクサスが小馬鹿にしたように手を叩いてやがる。チクショウ、見世物じゃねぇんだぞッ!

「本当に面白いわね。わざわざ来たかいがあったわ」

 などと奴はぬかしてきやがる。

「へぇ、そうかい。楽しんでもらえて光栄だ。でもさ、目的は果たせないだろうぜ」

「どういう事かしら?」

「転移魔法のやり方をさ、忘れちまったんだよ。お前の仲間に頭をぶたれてな」

「へぇ、記憶を一部、失ったって事なの?」

「ああ」

 と、俺は頷いた。

「なら、思い出させてあげるわ。どうせ、嘘でしょうけど」

 すると、一瞬にしてアバターが俺の肩を掴んできた。

「脳に衝撃を受ける前に、お前の体を戻してあげる」

「へぇ、器用な事が出来るものだな」

「ええ。限定的ではあるけどね。さぁ、取り戻しなさい、記憶をッ!」

 そして、ヘクサスの能力が発動した。俺の時が戻って行く。

「どう?思い出したかしら?」

「駄目だな。あと数日、戻してくれないか?」

「仕方ないわね。フフッ、時よッ!」

 ヘクサスは言の葉を発し、再び能力を行使した。それと共に、俺の体はさらに時を遡(さかのぼ)ってく。

 そして、時の逆行の光は収まり、辺りは静まりかえった。そんな中、俺は笑いを飛ばす。

「ハ、アハハハハハッ!」

 笑みが止まらない。俺の全身から止めどなく赤黒い魔力があふれ出す。やった、やったぞッ!

今、俺は全てを取り返したのだ。すなわち、俺の体は冥府の儀式を行う前に戻っていた。

 最強たる魔力を有している状態に俺はあるのだ。この事態にヘクサスはギョッとした顔をしている。それはそうだろう。突如、自身を遙かに超す魔力を持つ者が目の前に現れたのだから。

「お、お前は・・・・・・」

 声を震わすヘクサスに答える代わりに、俺は魔力をさらに解放する。刹那、俺の前方に居る全ては吹き飛んで行く。恐らく、奴のアバターも。

 女悪魔イラナとの契約前に戻ったことで、俺はアバターを視認する力を失っている。

 だが、必要ありはしない。魔力を当てれば破壊できずとも、アバターを弾く事は出来る。

 さて、これ以上、歳が若返るのはマズイ。速攻あるのみだ。

 俺は瞬間移動に等しい程の速さで奴を攪乱しながら、無詠唱で魔法を紡いでいく。

 次の瞬間、ヘクサスの居た地点に大規模な爆発が巻き起こる。

 おっと、忘れる所だった。寮長に結界を張らねば。瞬時に展開された結界が寮長を爆風から守る。この隙をヘクサスは見逃さなかった。煙から出てきて、氷の槍を放ってくる。

 しかし、俺が指を鳴らすや、それらの槍は一瞬にして溶けきる。お返しに俺は極大の炎をお見舞いする。なかなか素早い事に、奴はこの攻撃をかろうじて避けたようだった。 

 ただ、ヘクサスを守護する結界は今回の一撃で半数以上、砕け散っていった。

『信じられない。かすっただけで私の多重結界を7層まで突破するなんて』

 空中でヘクサスは驚きを隠せないようだった。今、ヘクサスは空を浮いている。飛行の魔法というのは非常に珍しく、恐らくあれはアバターの力だ。大方、アバターの上にでも乗っているのかも知れない。

『でも、今の攻防で分かったわ。お前、魔力は高まったけど私のアバターが見えてない』

「見る必要すらない」

『認めたわね』

 獰猛な笑みを浮かべ、ヘクサスは落下しながら魔法を展開しだした。同時に、異様なオーラが近づくのを感じる。アバターが俺に迫っているのだろう。しかし、知った事かッ!

 俺は古代魔法ベヘナ・ベゼを移動しながら詠唱し出す。それと共に、周囲に暗雲が巻き起こる。

『エゼ(ああ)・ディリハナ(暗黒よ)・バーシェ(消せ)・ラクセ(太陽を)・・・・・・』

 詠唱は完了し、地より亡者の手の如き魔力が奴に向かう。ヘクサスは足に魔力を集中させ、空中を蹴った。圧縮された空気の反動でヘクサスは俺の魔法を避けていく。

 しかし、俺の魔法は未だヘクサスを追っている状態だ。一方、地面に着地したヘクサスは後方より迫る魔力に対し、光魔法で攻撃を仕掛けた。

 これを喰らい、亡者の手の如き俺の魔法は消滅していく。

 だが、次なる手は打ってある。刹那、地面より、俺の土魔法が槍の如くにヘクサスへと迫る。ヘクサスは跳んでそれを躱す。しかし、その時には俺は風魔法を放っていた。

 これを奴は避けきれず、奴を守る結界はさらに崩れていく。

 しかし、その時、俺を守護する結界が突如として破られた。アバターだ。一瞬にして俺の結界を消滅させやがった。まぁ、想定済みだがな。刹那、アバターが居るであろう方向に水魔法を撃ちこんでやる。これを受け、アバターは吹っ飛んでいったのだろう。気配が遠ざかるのを感じる。

 さらに、俺が指を鳴らすと、アバターに纏わり付いた水が凍り出す。これにより、アバターの姿がハッキリと見える。

『クッ』

 すると、ヘクサスはアバターを一端、解除したのだろう。アバターに付いていた氷が散っていく。そんな中、次なる攻撃を俺は仕掛けていく。これを受け、ヘクサスは防戦に回るのだった。しかし、俺の魔法をさばききれず、奴の結界は一枚、また一枚と砕けていく。

『教えてやろうか、魔導士ヘクサス?お前は魔力量こそ俺に劣るが、魔法の技巧に関しては確かに一流と言えるだろう。本来、俺と互角に近い勝負が出来てもおかしくは無かった。

だがッ、貴様は誤ったッ!』

 との俺の叫びに答える余裕は今の奴には無いだろう。しかし、高速で移動し続ける奴を追いながら、俺は構わず続ける。

『アバターに貴様は依存しすぎた。確かに、それは見えない。その力は強大だ。だがな、魔法とアバター能力を同時に使える程、お前の脳は出来上がってはいないんだよッ!』

『黙れッ!』

 感情的に奴は氷の槍を放ってくる。しかし、俺の姿はそこには無い。

『ど、どこだ・・・・・・』

 ヘクサスは周りの木々を見回しながら呟いた。

『そもそも、こちらを視認できなければ、アバターの持ち腐れだ』

『ッ!』

 俺の声がしたであろう方向に奴は光魔法を放ってくる。しかし、外れだ。

『もし、貴様がアバターを真に使おうと思うなら、脳領域を二つに分け、アバターと魔法をそれぞれに割り当て、同時並行的に処理を行うべきだった。こんなふうになッ!』

 そして、俺は二つの詠唱を重ねて紡いだ。次の瞬間、魔なる炎と水が吹き荒れる。

『クッッッ!』

 対し、ヘクサスは残った結界を最大限に強化して耐えていた。

『さらに言うなら、敵を探知する領域をもう一つ作るべきだ。第3の脳領域をなッ!』

 そう告げながら、俺は奴の結界を解析していた。俺の右眼には奴の結界の構造が映し出されている。

『ほら、見えてくる。結界にムラがあるのが手に取るように分かる』

『適当な事をッ』

『ぬかして無いんだよッ!』

 次の瞬間、水の槍が結界の最も薄い部分を貫いた。砕け散った結界の断片がヘクサスの周囲を綺麗に舞っていく。一方で、ヘクサスは戦意を喪失しかけたようで、無様に両膝を地面につけていた。そんな彼女に俺は優しく声を掛けてやる。

「チャンスをやろう。俺を攻撃してくるがいい。その時、俺はお前の本体を攻撃しない。どうだ?」

 すると、ヘクサスは怒りで全身をわななかせ出した。

「後悔するなッ、イシュア・ハリスティルッッッ!」

 そう叫び、ヘクサスは全身の魔力を高めた。

 しかし、次の瞬間、彼女の動きは止まった。今、俺の背後では土魔法が発動しており、背後から俺に襲ってこようとしたアバターを、地面から生えた槍が貫いているのだった。

「なる程。確かに見えずとも、術者を観察すれば、動きを読めない事も無い」

「あ、あぁ・・・・・・」

 半ば口を開き、ヘクサスは体を震わせていた。

「しかも、魔法でもアバターを壊せるようだな。これは大きな収穫だな」

 刹那、何かが砕け散る音が俺の後ろから響いた。恐らく奴のアバターが無惨に砕け散っているのだろう。それと共に、ヘクサスは力を失い、地面に倒れるのだった。

 フッ、また勝ってしまったようだな。やはり、本来の俺は最強すぎるな。ハッハッハ!

「いよっしッ、もはや、これで問題なし。しかし、これで何も心配する必要が無くなったな。刺客でも何でも来やがれッ、アッハッハ!」

 もはや高笑いを発さずにはいられない。しかし、その時、俺の頭に痛みが走る。

 この感覚は何だ?何かが俺の頭に噛みついているぞッ!

『いやぁ、食べ残しがあるとは。フッフッフ』

 頭に歯を突き立てながら念話を送ってくるのは女悪魔イラナだった。おい、ふざけるな、いったい何の恨みがあってッ!

しかしその時、俺は次の展開を予想できてしまった。

「やめろッ!喰うつもりだな、俺の魔力をッ!せっかく魔力が戻ったのに」

『そりゃ喰うでしょ?』

「喰うなッ!」

『や、ぁ、だ』

 などと甘く呟き、奴は俺の頭から魔力を吸い出して来やがった。

「あ、あ、アアアアアアアッッッッッ!」

 との俺の絶叫などお構いなしに、イラナは力を奪い続けていく。

 そして、頭から歯が離され、俺は地面に片膝をついた。か、体に力が入らん。

 クソッ、元に戻りやがった。さ、最悪だ。一方で顔を上げると、妙に艶々(つやつや)としたイラナの姿がそこにはあった。しかも、こいつ胸がさらに成長してるし。正直、今の俺の状態とは対照的と言えただろう。

「ま、魔力。俺の魔力・・・・・・」

 杖を取りだし、俺は風の魔法を発動する。しかし、つむじ風が起こるだけだった。

「あかん。本当に俺、魔法、使えない」

 しかし、その時ふと思い立つ。

「そ、そうだ。もう一回、魔導士ヘクサスに時を戻してもらえばいいんだ。ハッハッハ、何だ、心配して損した」

『それは無理だろうな』

 とのイラナの声が無情に響く。

「おい、何故だ?言ってみなさい。お兄さん、怒らないから」

『さっきのは残りカスみたいなものだからな。でも、今度はしっかりとお前の魔力を奪っておいたから』

「ふざけるなッッッ!」

 そう怒鳴るしかなかった。

『怒らないと言ってた癖に』

「俺はお前のお兄さんじゃ無いからな」

『屁理屈ばかりだな、お前は。ところで、どうするんだ?あの女魔導士』

 とのイラナの言葉に俺はハッとする。どうしよう・・・・・・。

「まぁ、ともかく記憶を消しとくか?普通の少女として過ごして来たとか」

『イシュア。お前も結構えげつない事をするなぁ』

「いやぁ、秘密警察に渡すよりはいいと思うけど。あいつら、敵に回すとマジで怖いから」

『そんな所に就職しようとしてるのか、お前は』

「味方にすれば最高さ。フッフッフ」

 ニヤリと笑みを浮かべ、俺は答える。

『しかし、魔力が無くて成れるものなのか?』

「・・・・・・無理だろうな」

『それは可哀相に』

「お前が言うなッッッ!」

 思わず、俺は声を荒げてしまった。

『まぁまぁ。それより、奴が目を覚ます前に、早く記憶を書き換えた方がいいんじゃないのか?』

「分かってるよ」

 そう、ぶっきらぼうに答え、俺は魔導士ヘクサスへと歩み寄った。すると、イラナが口を開いてきた。

『胸にしろ。記憶の改竄(かいざん)にも時間制限がある。特に恐らく相手がアバター使いだとな』

「お前、そんなに俺に女性の胸を触らせて楽しいか?」

『まぁ、な』

「・・・・・・もういい。やればいいんだろ、やれば?」

『そうそう』

 と嬉しそうに言うイラナに対し、俺はため息を吐き、ヘクサスの胸に手を当てた。

 ゴスロリの服越しに、微妙な膨らみの感触が伝わる。何だか、とても悲しくなってきた。

 これじゃ、まるで俺は眠る女の子に悪戯をする変質者みたいじゃないか。

 ともかく、早く記憶を変えてしまおう。まずは、彼女の記憶を見なければな。

 そして、俺とイラナは記憶空間へと侵入するのだった。

 しかし、そこに現れたのは真っ白い空間だった。その中央に黒い箱が浮いている。

「おい、イラナ。なんだ、これは」

『分からない。しかし、その箱から記憶を感じる。恐らく、そこに奴の記憶が凝縮されているのだろう』

「ふむ・・・・・・」

 とりあえず、俺はその箱に触れてみる。しかし、その刹那、俺の手に電流のごとき魔力(マナ)が走った。

「いったッ」

 反射的に箱から手を離し、俺は痛みで顔をしかめた。

『うーむ。防衛機構が作動しているようだな』

「おい、じゃあどうすればいいんだよッ!」

『簡単だ。この箱ごと消去すればいい』

 などと軽く言ってくれる、この女悪魔は。

「お前な。それだと記憶が全部、消されちゃうんじゃないのか?そうすると赤ん坊レベルに心も戻っちゃうんじゃ」

『いや、それは無い。私達が書き換えるのは魂の記憶だ。それに釣られて脳の情報も変わるわけだが、ここで重要なのは必ずしも全てが連動するわけじゃないという事だ』

「つまり?」

『まぁ、私の経験上ではあるが、生活の知識などは覚えている事は多い。ただし、勉強で得た知識など意図して覚えようとした事柄は忘れやすいだろう。特に魔法の使い方などは

イメージが魂に刻まれているから、より忘却しやすいだろうな』

 とのイラナの説明に俺は納得した。

「なる程。まぁ、なら問題ないのかな。えぇい。何とかなるだろう。消去するぞ、イラナ」

『よし来た』

 ニヤリと笑みを浮かべ、イラナは術式を展開し出した。記憶の箱の周囲を卵形の魔法が覆っていく。そして、それが発動するや、卵はヒビ割れていき粉々に砕け散り、中には何も存在していなかった。黒い箱は綺麗さっぱり消えて無くなってしまった。あまりにあっけなく、達成感も何もありはしない。そして、俺達は元の現実世界に意識を戻していくのだった。

 目を開ければ、いつの間にか、白黒だった世界は本来の色彩を取り戻していた。まぁ、記憶を消した事でヘクサスの術が全て解けたのだろう。

 森の緑を見ると、少し落ち着いた気分になれる。もっとも、戦闘の跡で所々ひどい事になってるけど。

「ん?」

 ふと目を向けると、寮長メリルが結界の中で体育座りをして震えながら両手で目を覆っていた。忘れてた。というか何やってるんだ、この人は。まさか、怖くてずっと目を瞑ってたとかじゃないだろうな。

 近寄り、結界をトントンと叩くと、寮長は恐る恐る目を開けてきた。それと共に、タイミングのいい事に、結界は効果時間を過ぎて散っていった。

「イ、イシュア?」

 心配そうに寮長はこちらを見上げてくる。

「寮長、無事でしたか?」

 素っ気なく俺は声を掛ける。あまり懐かれても困るからな。

「う、うむ。イシュアこそ大丈夫なのか?」

「ええ。奴は倒しましたよ。まぁ、瞬殺みたいなものですね」

 との俺の言葉に、寮長は目をキラキラと輝かせ出した。

「さ、流石はイシュアなのじゃ。クゥ、こんなにカッコよくて強い人がワチシの彼氏なんて幸せ過ぎるのじゃ」

「ちょっと待てッ!誰が、誰の彼氏だってッ?」

 声を震わせながら、俺は寮長に問い詰めた。あかん、この人は脳内がお花畑になってる。

「え?涙、指で拭ってくれたし・・・・・・」

 ポッと頬を赤らめながら、寮長はモジモジして言ってくる。

 あれ?そんな事あったっけ?うーん、そう言えば、あったような気もしなくはない。

 ちなみに、俺の後ろでは女悪魔のイラナが腹を抱えて笑ってやがる。チクショウ、笑ってるんじゃねぇしッ!って、マズイ。このままではガチで彼氏にされかねない。

「いえ、寮長。あれには深い意味はありません。ま、まぁ、泣いてる女性に優しくするのは男のさがと言えるでしょうね、アッハッハ」

 と、俺は何とか誤魔化そうとした。

「うむ、イシュアは優しいのじゃ。そして、照れ屋さんでもあるんじゃな」

「は?」

「ワチシは全部、分かっておるから大丈夫なのじゃ。うむ」

 などと寮長はのたまってきた。『うむ』じゃないしッ!

「イシュア。手、繋いでもいいぞ」

「へ?」

 戸惑う俺に対し、寮長は小さな手を差し出してきた。どうしろって言うんだッ!

 待て、記憶を書き換えればいいんじゃないのか?そうだ、俺を好きになった記憶を無くせばいいんだ。さぁ、イシュア、彼女の手を握り、記憶を変えてやれ。

 それが双方のためだ。

「はぁ、仕方ないですね」

 と答え、俺は何食わぬ顔で彼女の華奢(きゃしゃ)な手を握り返す。

 さぁ、彼氏ごっこもこれで終わりだ。俺は第3の目を発動する。

 だけど、本当にそれでいいのか、イシュア?

 彼女の心を踏みにじるような事をして。まがりなりにも俺を慕ってくれているというのに。俺は・・・・・・。

 その時、何故か懐かしく温かい声が聞こえた。記憶から消し去られてしまったその女性(ひと)の声は俺の魂に告げる。

《イシュア。愛する人を間違えてはいけないのよ。それを間違えてしまえば、それが露(あらわ)になった時、あなたは奈落に叩き落とされるのよ。人は自分を不幸にする人を初めは好きになるもの。だから、欲望のままに進めば、人は愛の苦しみの螺旋を堕ちていく事になるの。

だから、あなたを愛してくれる人を愛しなさい。妄愛でなく心からあなたを愛してくれる人を・・・・・・互いに幸せになれる人を。イシュア、あなたは愛する人とその人との子と幸せな人生を送りなさい。ね、イシュア・・・・・・》

 魔眼に一瞬、顔こそ良く見えなかったが、長い銀髪の女性が映った気がした。

 何となく、それは母さんな気がする。

 

「イシュア、泣いておるのか?」

 不安そうな寮長の言葉に、俺はハッとする。泣いている?誰がだ?いや、俺か。そう、泣いているのか、俺は?右眼から涙が頬を伝っている。自分が嫌になる。どうして、こう涙もろいんだ。

「寮長。俺は嘘つきなんです」

「ほえ?そうなんか?」

「はい。でも、そんな自分が嫌なんです」

「むぅ。じゃが、ワチシはそんなイシュアも好きじゃぞ」

 などと脳天気に寮長は言ってくる。対して、俺は言葉を続ける。

「正直、俺は寮長の事を恋人として見ていません。ただ、仲良くしたいとは思うんです」

「うむ・・・・・・」

「だから、普通に友達になりませんか」

 との俺の提案に、寮長は一瞬キョトンとする。しかし、彼女はすぐに満面の笑みを浮かべた。

「分かったのじゃ。まずは、お友達からじゃな。それから、お付き合いを始めて、最後にラブラブに結婚なのじゃ!」

「は?」

 乾いた声が俺の喉から漏れる。何を言ってるんだ、この人は。

「ホップ・ステップ・ジャンプじゃな、うむ」

 などと勝手に納得し出しているしッ!ともかく、彼女から俺は手を離す。

「あぁ・・・・・・もっとニギニギしてたかったのじゃ」

 と寂しそうに言ってくる。すごくションボリとしている。クソッ、これじゃ俺が悪者みたいじゃないか。俺は罪悪感が嫌いなのに。

「はは。ま、まぁ、その内また」

 そう彼女に約束してしまう。あぁ、俺は本当に馬鹿だ。こんな事で将来、秘密警察が務まるのか?反語でない事を祈ろう。すると、ブルーな俺の気分とは裏腹に、彼女はすぐに元気を取り戻したようだ。あぁ、なんて単純なんだ、この人は。

「うむ。絶対じゃぞ」

「ええ」

「わーい、わーい」

 と彼女は小躍りしている。

「さて、寮長。良ければホリー先生を呼んできてもらえませんか?」

「ホリー先生なのか?分かったのじゃ。他の先生達も呼ぶのか?」

「いえ、ホリー先生だけです。お願いします」

「分かったのじゃ。急いで呼んでくるのじゃ。ただ・・・・・・」

 すると、寮長は急にモジモジし出した。ともかく、俺は問いかけてみた。

「ただ?」

「あ、あのな。お友達なんじゃから、寮長じゃなくて、メリルって名前で呼んで欲しいのじゃ」

 との言葉に、俺は凍り付いた。今、その呼び名を受け入れれば、恐らく俺はずっと彼女をメリルと呼び続ける事になる気がする。そう、人前でもだ。そしたら、きっとそれは噂になって学園中を駆け巡るだろう。あかん、これ以上、俺は目立ちたくないのに。

「だ、駄目かの・・・・・・」

 目にウルウルと涙を浮かべながら、寮長は俺を見上げてきた。これはもうお手上げだ。

「分かった。じゃあ、メリル。まぁ、これからもよろしくな」

「うむ、なのじゃ、イシュア」

 との彼女に対し、何か皮肉でも言ってやろうかと思った。でも、メリルの太陽のような笑みを見て、俺は毒気を抜かれ、苦笑を漏らすだけに留めておくのだった。

 しかし、何かを忘れている気がするが、まぁ大した事では無いだろう。

 

 ・・・・・・・・・・

 森の中で、講師のレイヴンは少年姿から元の体に戻って居た。しかし、受けた傷はそのままであり、地べたに倒れたまま動けずにいた。

「・・・・・・イシュア。あいつ、絶対、忘れてやがる」

 と、レイヴンは呟き、それでもひたすら助けを待ち続けるのだった。


 第8話


 それから駆けつけたホリー先生とレオネスに、俺は事情を説明し始めた。

 ちなみに、寮長は疲れてしまったようで、木の根元で眠ってしまっている。

「敵を倒して記憶を消しておきました」

 との俺の言葉に、ホリー先生は真剣な面持ちで頷いた。

「なる程。結果は分かった。では最初から詳しく事情を話してもらえないか?」

「はい。まず、寮長が俺の部屋を訪れて。それで、敵の気配を感じて、窓から飛び降りたんです。で、その後に・・・・・・あ」

 説明する内に、俺はとんでもない事に気づいてしまった。

「ん?どうした?」

 怪訝な顔をしてホリー先生が尋ねてくる。

「いえ。レイヴン先生の事、忘れていました」 

 やばい、怒っているかも知れない。

 ともかく、俺は事情を軽く説明して、急いでレイヴン先生を探しに行くのだった。

 ただ幸運な事に、レイヴン先生はすぐに見つかった。体も元の大きさに戻っていて、良かった良かった。だが・・・・・・。

「イ・・・・・・シュア・・・・・・」

 開口一番にレイヴン先生は俺の名を恨みがましそうに呻いてくる。あぁ、絶対に怒ってるぞ、これは。

「先生、もう大丈夫です。今、戦闘が終わった所なんです。でも無事でよかった」

 と言い、レイヴン先生の手を握る。そして、俺は第3の魔眼を発動し、彼の記憶を消していく。対象は、今回の騒動に関してだけだ。半日くらい記憶を失う事になるだろうが、まぁ、それだけだ。

『いやぁ、イシュア。お前も成長して、私も嬉しいぞ。段々と記憶を消すことに躊躇(ちゅうちょ)が無くなって来たなぁ』

 などと女悪魔イラナが嬉しそうに言ってくる。そんな彼女を俺は無視する。

 そして、俺とイラナはレイヴン先生の記憶を改竄し終えるのだった。

 

 結局、その後、レイヴン先生を医務室に運ぶため、俺達は学院に向かって行った。

 もちろん、気絶する魔導士ヘクサスも連れて行く。ちなみに、レイヴン先生をレオネスが、ヘクサスをホリー先生が抱える形だ。

 そして、何故か俺は眠る寮長メリルをおんぶしている。こいつは軽いから、何とかおぶれてしまったのが運の尽きだ。スヤスヤと寝息をたてて眠りやがって。俺は今、とても疲れているというのに。そんなこんなで俺達は学院に戻っていくのだった。

 

 医務室でホリー先生はヘクサスとレイヴンの手当てをしていた。ちなみに、この二人は未だに良く眠っている。それと、寮長メリルは途中で起きたので、先に帰してある。

「しかし、この魔導士ヘクサスって結局、何者なんですかね」

 と、俺はホリー先生に尋ねてみる。

「さぁな。まぁ、カルギスの所属ではあるだろうが。しかし、単身この学院に潜入してくるとはな。大したものだ。とはいえ、これでカルギスも手を出しづらくなっただろうな。何せ、私を含め貴重なアバター使いを3人も失った事になる。しばらくは様子見に入るんじゃ無いのかな?」

「だといいんですけどね」

「まぁ、ともかく今日は休め。明日、色々と考えればいい」

「はい」

 そして、俺は部屋を後にするのだった。


 自室で俺はゴロゴロとベッドに転がっていた。レオネスはあのまま医務室に残ってるから、今、部屋には俺一人しか居ない。しかし、体が汚れてしまった。

「そうだ、風呂に行こう」

 我ながら、それは名案と言えた。

 よし、行こう。温かい湯につかって、体の疲れを癒やすのだ。

 そして、俺は支度をして、いざ温泉の湧く浴場へと向かうのだった。しかし、歩いていると急に疲れがドッと出て、目がかすむ始末だ。それでも、俺はフラフラになりながら体を引きずるようにして右側の浴場に入っていく。ちなみに右側が男湯で左側が女湯となっているのだ。更衣室で衣服を脱いでいき裸になる。よし、いざ湯へッ!

 それから俺は体をきちんと洗い、湯船に入るのだった。

「あぁ、生き返る・・・・・・」

 思わず極楽を感じてしまう。

「うむ。そうなのじゃ」

 との聞き覚えのある声が横からする。嫌な汗が全身から噴き出す。

 恐る恐る声のした方を見れば、そこには裸らしき寮長が居た。ありえないッ!

 俺は目をゴシゴシとこすり、再び横に目をやる。しかし、モヤでぼやけていたが、そこには紛れもなく寮長が湯船に浸かっているのだった。

「寮長・・・・・・?」

 声を震わせながら、俺は呟く。

「む、メリルと呼ぶ約束じゃぞ」

「え・・・・・・あ、ああ。それで、メリル。何で居るの?」

「だって、今は女湯の時間じゃろう?」

 との言葉に、俺は愕然とする。そ、そうだ、そうだった。休日は清掃のため、一つの湯を掃除している間、もう片方の湯を時間で区切って使用するんだった。つまり、今は女性の時間・・・・・・。まずい。

 これは非常にまずいぞ、イシュア。ただでさえ、女湯覗きの疑惑があるというのに。

 ともかく、急いでこの場を後にせねば。このままでは俺の社会的生命が終わる。

 俺は湯船を出て、急ぎ更衣室へと向かう。しかし、思い切りこけてしまう。

「オフッ・・・・・・こ、こんな時に」

「だ、大丈夫か、イシュア?」

「あ、ああ。じゃあな、メリル」

 そして、俺は瞬時に立ち上がり、更衣室への扉を開いた。

 刹那、脱衣中の女子生徒と目が合ってしまう。あまりの事態に、女子生徒は口をパクつかせている。とっさに俺は彼女に迫った。そして、その胸を鷲づかみする。

『忘れてくれッ!』

 一瞬にして、今見た記憶を消すのだった。我ながら能力の使い方が上手くなってきたようだった。さぁ、今の内に逃げねば。記憶を消すと、しばらくは眠ってくれるが、すぐに目を覚ますこともありうる。俺は急いで服を着だす。

 しかし、運命は俺に味方してくれなかったようだ。外から女子生徒達の声がするのだ。

 それはどんどんと近づいて来る。まずい、このままじゃ鉢合わせだ。破れかぶれに俺は服を着たまま浴場へと戻っていく。ああ、終わった、俺の人生。

「ん?イシュア。どうしたんじゃ?」

 メリルがキョトンとして言ってくる。しかし、刹那、俺の脳裏に閃きが降りる。

「ッ、メリル。お、俺に協力してくれないか」

 そして、俺は手短に作戦を説明した。

「分かったのじゃ。ふふふ、イシュアの頼みなら聞かぬわけにはいかんのじゃ」

 これを聞き、俺は急ぎ風呂桶を手にする。それから湯船に入っていき、奥の窪みへと向かう。そこで風呂桶を逆さにし、頭をかぶせ、一気に水面下に潜る。

 風呂桶の中に空気が入っているから窒息はしないが、かなり窮屈な感じだ。

 そして、俺を隠すように、メリルが前に来る。つまり、岩の窪みに入った俺をメリルで蓋(ふた)した感じだ。よし、これで瞬時にばれる事は無い。あとは運を天に任せるだけだ。

 すると、女子生徒達が浴場に入ってきたようだ。早く出て行ってくれ。早くッ!

 しかし、俺の願いとは裏腹に彼女達の入浴は長かった。さらに、次から次へと新たな者が入って来る。

 あぁ、暑い。暑すぎる。のぼせてきた。多分、全てを放り捨てて湯船を飛び出していけば、涼しい風が俺を待って居てくれることだろう。いっそ、そうしてしまおうか?

 潔くこの身をさらし、堂々と外に出ればいいんじゃないか?うん、いける。きっと、それで全ては上手くいく・・・・・・。邪魔する奴は記憶を消してやればいい。

 ッ、何を考えている、イシュア。駄目だ、駄目。のぼせて理性が失われつつあるぞ。

 確かに、記憶を変えれば何とかなるかも知れないが、それは倫理的に良くない。

 さっきの女子生徒にも申しわけない事をしてしまった。

 ともかく今は耐えねば、耐えるんだ、イシュア・・・・・・。うぅ、暑い。


 どれ程の時間が経っただろうか、色々と限界が近づいた俺に、メリルが合図をしてきた。

 そして、俺は恐る恐る湯船から顔を出す。

「もう大丈夫なのじゃ。今の内に脱出するのじゃ」

 とメリルは声を掛けてきた。

「あ、ああ。ありがとな、メリル」

「どういたしましてなのじゃ」

 そして、俺達は急いで湯船を出た。ちなみに、メリルは裸であり、前を小さな手ぬぐいで隠しているだけだ。決して直視しないように注意しながら、俺は行動を起こす。まず、メリルが更衣室へと入り、誰も居ない事を確かめる。あぁ、やっとこの状況を脱せる。濡れてはいるが、既に服は着てるから、このまま外に出ればいい。とはいえ、出た瞬間に人が居るとまずいから、もう一度メリルに確認してもらわねば。

 と思った矢先、裸のメリルがふらつき出した。

「お、おい。しっかりしろ」

 手で目を覆って、直視しないようにしながら、俺は彼女に言うのだった。

「はれ・・・・・・頭グラグラするのじゃ。のぼせちゃった」

 などとメリルは呟く。確かに長時間あれだけ湯に浸かれば、湯疲れしても仕方ないだろう。でも、あと少し何とかならないのか。

 だが、俺の祈り虚しく、彼女は床に倒れこんでしまった。

「メ、メリル。しっかりしろ。クッ」

 とんでも無い事態になってしまった。誰か人を呼ばねば。こうなったら、恥も外聞もありはしない。

 すると、何たる事か、更衣室の扉が一気に開かれた。

「・・・・・・イシュア。お前、何をやっている」

 冷たく声を掛けてきたのは、ホリー先生だった。

「良かった、先生。彼女が倒れてしまって」

「へ、へぇ・・・・・・二人で何をしてたのかな」

 顔を妙にひくつかせながら、ホリー先生は尋ねてくる。いかん、何かを誤解しているようだぞッ。

「違うんです、先生ッ!何もやましい事はしていません。誓ってッ!」

「お、お前達、そういう関係だったんだな。いや、全く気づかなかった。戦いを共にする事で愛が芽生えてしまったんだな」

 などとホリー先生は一人、納得し出している。しかし、反論をする前に、先生はメリルにバスタオルを掛けて言葉を続けた。

「と、ともかく、医務室まで運ぼう・・・・・・あ、お前は触らなくていいから」

 そして、メリルを抱えるホリー先生の後を俺は付いていくのだった。


 医務室には眠る魔導士ヘクサスと、椅子で本を読むレオネスが居た。レイヴン先生は帰ったようだな。すると、レオネスがこちらを見てくる。

「あ、お帰りなさい。って寮長?何かあったんですか?」

 と、レオネスはホリー先生に尋ねてきた。対し、ホリー先生は深刻そうに答えるのだった。

「あ、ああ。プレイが激しすぎて、浴室で寮長が倒れてしまったんだ」

「プレイ?ん、イシュア。何で服が濡れて・・・・・・ま、まさかッ!」

 レオネスは突如、体をガタガタと震わせ出した。

「違う。違うぞ、レオネス。俺は何もしていない。ただ、間違えて女湯の時間帯に入ってしまったんだッ!」

 との俺の言葉に、レオネスは俺から顔を背けた。

「ふ、不潔だ・・・・・・」

「誤解だ、レオネス」

 そう言い、俺はレオネスに手を伸ばす。すると、レオネスはビクッと後ろに下がった。

「イ、イシュア。僕の記憶まで書き換えるつもりかい?」

「待てッ!誰がそんなことをするか。良く聞け。今から事情を話すから」

 そして、俺は全てを打ち明けた。それを聞き、レオネスは少しは納得したようだった。

「そうだったのか。すまない、イシュア。僕はとんだ勘違いを」

「いや、分かってくれればいいんだ。元々、俺が時間帯を間違えたのが悪いんだしな」

「しかし、イシュア。本当に寮長とは特別な関係では無いのかい?」

「当たり前だ。ただの友達だ、友達」

 と言う俺に対し、レオネスは意味深に頷くのだった。すると、ホリー先生が口を挟んできた。

「はは。まぁ、プレイと言うのは冗談だよ、冗談。とはいえ、イシュアと寮長の仲がそれ程までに進んで居たとはなぁ」

 ニヤニヤとするホリー先生を見て、少しイラッとする。

「先生。意味が分からないのですが。俺、ちゃんと説明しましたよね」

「ああ、きちんと伝わったぞ。色々とな」

 そう言って、ホリー先生はレオネスと顔を見合わせ、頷き合うのだった。

 すると、寮長が目を開き、起き上がった。

「はれ?ここ、どこ?」

 寮長はキョトンとしている。

「ああ。医務室だよ。ともかく水を飲むといい」

 と言い、ホリー先生は寮長にコップを差し出した。

「え?うむ・・・・・・」

 渡された水を寮長はゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み出した。

「む、おいしかったのじゃ」

「それは良かった。寮長、あなたは更衣室で倒れていたんだ。しばらくは安静にしている事だ」

 と、ホリー先生は寮長に告げるのだった。

「分かったのじゃ。それより、イシュア?」

「なんだ?」

「無事、脱出できたのか?」

「ああ。お前のおかげでな」

 ぶっきらぼうに答えてやる。

「そうか、それは良かったのじゃ。えへへ」

 などと本当に嬉しそうにする寮長を見て、俺はため息を吐くのだった。

「まぁ、助かった。ありがとな」

「うむ。どういたしまして、なのじゃ」

 そんな俺達のやり取りを、ホリー先生とレオネスは興味深そうに見ていやがる。

「おい、レオネス。これはマジなのでは無いのか?」

「はい、先生。これはかなり来てますね」

 などと本人の前で言い合ってやがる。

「こら、やめろ。違うからな、断じて違うからなッ!」

 そう俺は反論する。対して、レオネスは俺の肩をポンと叩いてくる。

「分かってるよ、イシュア。君の気持ちは。素直になれないんだね。でも、僕は応援してるから」

「私も陰ながら応援しよう。まぁ、節度をもって付き合いたまえよ、少年」

 とホリー先生もレオネスの援護射撃をしてくる。

「だーかーら、違うんだぁぁぁぁぁッ!」

 そして、俺の悲痛な叫びが医務室に木霊(こだま)する。一方で寮長メリルは恥ずかしそうに俯(うつむ)きながらもニコニコしているのだった。


 ・・・・・・・・・・

 翌朝、朝食を済ませた俺は再び医務室へと向かった。すると、ホリー先生が机に突っ伏して眠っていた。

「先生」

 と声を掛けると、ホリー先生はすごく眠そうに顔を上げた。ちなみに頬の所に赤い跡が残っており、本当に無防備な感じである。

「・・・・・・おはよう」

「おはようございます」

「イシュアか。眠ってしまったな。魔導士ヘクサスを看てたんだが」

 アクビをしながら、ホリー先生は言うのだった。一方、ヘクサスはベッドで深い眠りについていた。彼女についてホリー先生に聞いてみる事にする。

「まだ目を覚まさないんですか?」

「いや、いったん少し起きたよ。ただ、水を飲んですぐにまた眠ってしまった」

「何か言ってましたか?」

「うーん。記憶喪失の典型みたいな感じだったな。『私は誰?ここはどこ?』、みたいな」

 とのホリー先生の言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。やばい、ヘクサスのイメージと全然違うし。やはり、記憶は人格形成に深く関わっているのか。

「そ、そうですか。まぁ、大人しいなら問題ないんですけどね」

「ああ。それは本当にそうだ。とはいえ、シェルネを見ていると不安になるがな」

「不安?」

 ギョッとしながら俺は聞き返した。

「ああ。どうも、君に記憶を書き換えられてからのシェルネは何と言うか、そうだな生気(せいき)が無いんだ。常にボーッとしてる感じと言ったら分かるか?」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。まぁ、今は混乱してるだけかも知れないが。さらに、問題がある」

「は、はい」

 まだ何かあるのか。嫌だな、こういう宣告は。

「記憶を変えられたせいでシェルネは今、魔法が使えない。故に、講師として不適任だ」

「あ・・・・・・」

 どうして思い至らなかったか不思議なくらい、それは至極当然の事だった。

「ど、どうしましょう」

 対し、ホリー先生はため息を吐いた。

「分からん。しばらく休職するしか無いだろうな。そうなるとシェルネは剣の院の外に出て行かなくてはならない。だが、それは危険でもある。剣の院はこれでも比較的に安全な場所だからな。諜報員や工作員も手を出しづらい、これでもな。だが、もしセキュリティの甘い所に今のシェルネが放り出されたら、カルギスは彼女を数日とせずに殺すか拉致するかするだろうな」

「はい・・・・・・となると、学匠シェルネをどこかにかくまう必要がありますね」

「そうだ。そこで頼みがある。君は暦博士の孫だろう?何とかならないのか?」

 とのホリー先生の言葉に、俺は考えこむ。確かに不可能では無い。爺様なら喜んで俺の頼みを聞いてくれる気がする。まぁ、元はと言えば俺がまいた種だし、仕方ないか。

「分かりました。秘密警察の協力者用の避難施設を使えるか聞いてみます」

「待て、避難施設?なんだ、それは?」

「秘密警察は様々な敵対組織の情報を得ようとしますよね。それで、敵組織にいる人物を協力者として飼い慣らすんです」

 そう俺は説明していく。対し、ホリー先生は自嘲気味に答えてきた。

「なる程。スパイとして取りこむわけだ。今の私やシェルネみたいな感じで」

「まぁ、そんな感じです。ただ、もちろん裏切った事が敵組織にばれる事もままあるわけです。その時に、その協力者や家族を避難させる隠れ家が、この国にはいくつも存在しています」

「その一つを使わせてもらおうと言う事か」

「まぁ、そうなりますね」

 との俺の言葉に、ホリー先生は考えこみ出した。

「しかし、それは私達を秘密警察に突き出すのと変わらないんじゃないか?」

「いえ。秘密警察も一枚岩じゃありません。昔は3つくらいに分かれてたんですけど、現大公の指示で一つに統合されました。ここで重要なのは、一つになったはいいものの、格部署の仲は悪いという事です」

「管轄の違いか。分かる気がするよ。警察組織は特にそれが顕著だ」

「はい。それで運がいい事に、暦博士である祖父の息のかかった秘密警察の部署は穏健派なんです。もっとも、力は一番小さいんですけどね。それに格部署の仲が悪いので、情報の共有もあまりなされてませんから、今回の件も他の部署に知らされる事は無いでしょう」

 この説明でホリー先生も得心したようだ。

「なる程。なら急いで頼んでみてくれないか。そこに魔導士ヘクサスも送ればいい」

「はい。ただ、爺様も許可してくれるかは分かりませんが」

「構わない。可能性があるだけな」

 そう言い、ホリー先生は立ち上がった。

「さて、じゃあ私は朝食を摂ってくる。その後、校長にシェルネを休職させるように医術師として勧告してくる。それで、もうすぐレオネスが飯から帰ってくるだろうから、それまで魔導士ヘクサスを見張っててくれ」

「はい」

 こうして、俺は一人部屋に残り、眠り続ける魔導士ヘクサスを監視するのだった。


 その後、戻って来たレオネスに見張りを任せ、俺は考えをまとめるため学院を散策する事にした。しかし、俺も避難施設に隠れた方がいいかもな。なんか、この学院も安全じゃないみたいだし。ここ数日で2回も襲撃にあうなんてな。秘密警察も少しは工作を察知して欲しいものだ。もしかしたら、俺が思ってるよりいい加減な組織なのかも知れない。

 まぁ、そのいい加減さのおかげで、魔導士ヘクサスが学院の医務室で眠ってても問題になってないわけだが。

 とはいえ、これを機に本当にしばらく剣の院を休学した方がいいかもな。魔力が戻らない状態で周囲を誤魔化すのにも限界があるだろうしな。ま、まぁ学匠シェルネと一緒に秘密の避難施設で過ごすのも悪く無いか。うん、少し休もう。最近、頑張り過ぎてるしな。その時だった。

「あ、イシュアッ!」

 などと俺に声を掛けてくる奴が居る。この声は寮長のメリルだ。

「や、やぁメリル」

 愛想笑いで俺は答える。

「イシュア。今、暇なのか?」

「ま、まぁ。色々と考えごとをしてるんだけどな」

「そうか暇なんじゃな」

 と、相変わらず全く話が通じていない。そして、なし崩し的に俺とメリルは並んで歩く形となった。ふむ、しかし一応、学院を休学する前にメリルに話しておいた方がいいかもな。

「メリル。実は俺」

「こ、告白なのか?ま、まだ心の準備が出来てないのじゃ」

 などと言葉を被せてきやがる。しかも、なんだこの勘違いはッ!

「違う。俺は学院を少し休もうと思ってる」

 との俺の言葉に、メリルはキョトンとする。それに構わず俺は話を続ける。

「すなわち、俺はしばらく学院を去ろうと思っているんだ」

「ま、まっちょくれッ!それって、会えなくなってしまうのか?」

「そうだ。ごめんな」

 そう冷酷に告げてやる。よっし、これで肩の荷がおり・・・・・・た?すると、メリルが突然泣き出しやがった。もう大泣きだ。周りの学生達がこちらを見て、ヒソヒソとしている。

 やばい、再び俺のイメージが悪くなってしまう。用務員のオッサンまで、こっちをジッと見てるし。

「待てッ。い、今のは冗談だ、冗談」

 ああ、なんで訂正してるんだ俺・・・・・・。しかし、これを聞き、メリルは目をパチクリさせ出した。

「冗談?ほんと?」

「あ、ああ。本当だ。済まない。少し意地悪を言いたくなったんだ」

「うぅ、あんまし苛(いじ)めないで欲しいのじゃ、イシュア」

 上目遣いでウルウルと目を潤ませながらメリルは言ってくる。やめろ、そういう仕草をするのはッ!

「ああ。すまなかったな。さぁ、お前ら、こっちを見てないであっちへ行け。しっし」

 と、俺は野次馬を追い払う。その時、俺は腹部に衝撃を受けた。見ればメリルが俺に抱きついてきてる。おい、何の真似だッ!

「こら、何をしてるッ!」

「うぅ、もう一生離さんのじゃ」

「やめろ、離せ。過剰なスキンシップ反対ッ!」

 叫びながらメリルを引きはがそうとするも、上手く出来ない。

 気づけば観客は増えだし、辺りはざわついている。いかん、いかんぞ、イシュア。

 このままでは有らぬ誤解が生じる。

「あぁ、学匠シェルネとホリー先生の次は寮長にまで手を出すなんて」

 と一人の男子生徒が呟いた。あまりに聞き捨てならん発言だ。

「待てッ!やめろ、変な噂を流すな。というか、離れろ、こらーッ!」

「メッチャ仲良しなのじゃ」

 そう言い、メリルはより強く抱きついてきた。

「クソッッッ!こうなっては」

 俺はメリルをくっ付けたまま、その場を駆け出し後にするのだった。

 その後、お菓子を作ってあげる約束をしてようやく俺が解放されたのは、その日の夕方だった・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・

 深夜、剣の院の城下にあたる街ティエネにて、一日の仕事を終えた学院の用務員の男が足早に自宅へと戻って行った。そして帰るや否や、その家の地下にその男は駆けこんだ。

 地下室には魔なる祭壇が安置されており、男は慎重におぞましい祈りを捧げだした。

 すると、霊的な波動が祭壇より沸き上がりだした。そして、その波動は見る者が見れば、人型に映るのだった。その人型は禍々しく告げる。

『ワルシ・アゼよ。申すが良い』

 対し、用務員の男は平伏し、報告を開始した。

「ハッ。申し上げます。例のイシュアなる男、全くの無傷でありました」

『そうか。治癒能力を持つか、もしくは傷一つ負わなかったか・・・・・・いずれにせよ脅威である事に間違いは無い。して、我が弟子ヘクサスは?』

「未だに行方は知れません。何処かに監禁されているのやも知れません。もしくは」

『塵と化したか』

 そう人型は微かな感傷を湛(たた)え、呟くのであった。しかし、その情念は一瞬にして煙のように消え失せた。

『続けよ、ワルシ・アゼよ』

「ハッ。ある噂を聞きつけました」

「噂と言うと?」

「彼(か)の者イシュアは絶倫であり、女性達を日々たぶらかせ続けていると。シェルネとホリーもイシュアの魔手にかかった模様です」

 と怒りで声を震わせながら用務員ワルシ・アゼは告げるのであった。

『フム・・・・・・なる程。それでシェルネとホリーも墜ちたか。ミイラ取りがミイラになるとはこの事だな』

 そして、その人型の霊体は低く妖しげに笑い出すのであった。その不気味な嘲笑ともとれる声を聞き、ワルシ・アゼは蒼白となり、体をビクつかせるのだった。

『しかし、アレルカンも馬鹿に出来たものでは無いな。剣聖シオネスの息子レオネスに加え、転移魔法の使い手イシュア。この二人を有しているという事が、どれだけの意味を持つ事か』

 と告げ、人型の霊体は突如ゆらめきだした。

『愚か者め。つけられていたかッッッ!』

 その言葉と共に、地下室に人型の霊体による霊気が吹き荒れだした。これにより部屋の温度は一気に低下したかに感じられた。すると、空中に渦が生じ、中から何かが現れた。

『アハハッ、ばれたか。貴様、名は?』

 出(い)でたるのは女悪魔イラナであった。実は、イラナは用務員がイシュアをジッと見ているのに気付き、ひそかに追跡していたのだ。

しかし、人型の霊体は不気味に沈黙を保っていた。

「な、なんだ貴様ッ!何者だッ!」

 一方で、用務員のワルシ・アゼは戸惑い、叫んだ。

『答えようぞ。我が名はイラナ・ディス・ヴォード、冥府の王ゼレルの第9子なりッ!』

 と高らかに述べるのだった。

『ほう、ならば名乗ろうか。我が名はデギンズ・アーテシア。星渡りの魔導士なり』

『星渡り?異星の人間かッ!』

『是(ぜ)と言うておこう』

 との言葉に、イラナは狂喜の笑みを浮かべた。

『初めて見た。確かにそのオーラ、ただものでは無いな、お前』

『冥府の姫に褒められ、光栄に思おうぞ。さぁ、我が指、ワルシ・アゼよ。この姫君にご退場願って頂くのだ』

「承知」

 そう短く答え、用務員の男ワルシ・アゼはアバター能力を発動した。しかし、その形状は何とも形容しがたい存在であった。いや、言い表そうと思えば一言で終わるのだが、それは場の暗く妖気ただよう雰囲気と明らかに乖離(かいり)しているであろう。

『ゴリラッ、ゴリラか、それ?動物園に早変わりだなぁッ』

 と意地悪そうに女悪魔イラナは言うのであった。確かに、そのアバターは黒い瞳をした白いゴリラにしか見えないのである。一方で、用務員ワルシ・アゼは怒りで顔を真っ赤にした。

「黙れッ!我がアバター、霊長類の王トプ・クフ・エテセを愚弄するかッ!」

『ならば見せてみるが良い。その自慢の猿力を』

「望むならばッ!」

 そして、ゴリラのアバターはイラナに襲いかかった。それをイラナは器用に躱(かわ)しだした。

 イラナもアバターも霊体同士であり、互いに攻撃を交わす事が出来る。しかし、イラナはあえて避け続けるだけだった。

「どうした?何も出来ないのか?」

『クククッ、この世界での干渉は難しい。だがッ、少しは力を示そうか?』

 と述べるや、イラナの手の平に口が開くのだった。手に出現した、いや元々備わっていたのだろうが、その口では歯がギチギチと嫌な音を立てていた。

『喰らおう』

その言葉と共に、ゴリラの体を構成するオーラの一部がその口へと吸収されていった。

 これを受け、用務員ワルシ・アゼは驚愕の相を見せた。

「な、なんだ、これはッ!力が吸われていくッ!やめろ、返せ、私のオーラをッ!」

『ならば返そうか、フフフッ』

 刹那、吸収されていたオーラが逆流し、ゴリラの形に戻っていった。それと共に、ゴリラの瞳が赤く輝くのだった。

 そして、ゴリラは主(あるじ)であるはずのワルシ・アゼへと向かっていった。

「な、な。やめろ、霊長類の王トプ・クフ・エテセ。クッ、供物のバナナを急ぎ取り寄せるからッ!それで許し給えッ!」

 しかし、ゴリラは歩みを止めなかった。

『クククッ、無駄だ。このゴリラ、お前のようなオッサンよりも、妖艶にして可憐なる姫に従いたいそうだ』

「馬鹿なッ!トプ・クフ・エテセよッ。バナナ10本ッ、いや15本だッ!頼むぅぅぅぅッ!」

 ワルシ・アゼの願い虚しく、ゴリラの拳は彼に直撃するのだった。

「ゴヘッ・・・・・・」

 そのまま壁に激突し、ワルシ・アゼは意識を失った。

『ほう、なかなかにやりおる』

 部下がやられたというのに、星渡りの魔導士デギンズは全くの動揺も見せていなかった。

『フフッ、これにこりたら、我が契約者イシュアに手出しをするのは控えておくのだな』

 とイラナは宣告するのだった。対し、デギンズの霊体はさらに勢いを増した。

『フハハッ。冥府の姫に、その契約者よ。戦火にて相まみえようぞッ!』

 と叫び、デギンズの霊体はイラナに襲いかかった。しかし、イラナの方が速かった。

『やれッ』

 イラナの命(めい)に、ゴリラは瞬時に拳を振り下ろし、祭壇を破壊するのだった。

 接点なる依り代を失い、デギンズの霊体は不気味な嘲笑を残し、本体が居るであろうカルギスへと戻っていくのであった。

 さらに、ゴリラのアバターも時間が切れたのか、虚空へと散っていくのだった。

『デギンズ・・・・・・その名、覚えておこう』

 そうイラナは呟くのだった。

「う・・・・・・うう」

 すると、用務員ワルシ・アゼは意識を戻したのか、うめき声を漏らした。

 しかし、次なる彼の様相は尋常では無かった。

「ウホッ?」

 首を傾げ、ワルシ・アゼは自身の胸を高らかに叩きだした。そう、さながらゴリラの如くに。

「ウホッ、ウホッ、ウホッホッ!」

 と興奮した様子で四足歩行で部屋中を駆け回るのだった。

『ふむ、アバターの能力が跳ね返ったのか?さながら、対象の精神を猿にする力か?フッ。まぁ、幸せそうでいいじゃないか』

 そう届かぬ言葉を、はしゃぎ回るワルシ・アゼに告げるのだった。


 ・・・・・・・・・・

 カルギス王国、宮廷にて。

深夜も過ぎ、明け方も近づいているというのに、玉座には魔導王ジェネアスの姿があった。全身に鎧をまとい仮面をつけた彼は動かぬ人形のごとくに、ただ座していた。

 しかし、彼から発せられる無言の威圧感は玉座の周囲に満ち満ちており、彼の存在を強く示していた。

 そんな中、一人の魔導士が禍々しいオーラを湛えながら、厳かに歩いて来た。

 二人のオーラがぶつかり合い、霊なる乱れが生じ出す。歴戦の勇士である周囲の近衛兵達もこれを受け、嫌な汗をかかずには居られなかった。

『・・・・・・デギンズ。何用、だ?』

 先に口を開いたのは魔導王ジェネアスの方だった。

『国王陛下。私の送りし4名のアバター使いが、彼(か)の者にことごとく敗れ去りました』

『ほ、う』

 もしかしたら、仮面の下ではジェネアスの瞳は細められているやも知れなかった。

『申しわけ御座いません。全ては私の責任に御座います』

『良い。そんな事を、言いに来た、わけでは、無かろう』

『ハッ』

 そう答え、デギンズはおぞましい笑みを浮かべた。そして、彼は本題に入る。

『陛下。彼(か)の者は何としても手中に収めねばなりませぬ』

 すると、一人の壮年の騎士が声をあげた。

「デギンズ・アーテシアッ!貴重なアバター使いを4名も失っておきながら、その責任も取らずに、国王陛下に奏上とは良い身分だなッ」

 騎士は剣に手を掛けており、その視線には殺気がこめられていた。

『ゼルヘルム卿。無礼はどちらかと。国王陛下がそれを望まれておられるのです』

「痴(し)れ事をッ」

 今、ゼルヘルムとデギンズの間には激しい闘気が衝突していた。その刹那であった。

『時は、来た』

 突如として響き渡る魔導王の言葉に、闘気は消え失せ、辺りは怖ろしいまでに静まりかえった。

『命ず。デギンズ・アーテシア、よ。ゼロを率い、アレルカン、公国へ、向かえ。旗は、置いて、ゆくのだ』

『御意』

 そして、デギンズは片膝を着き、頭をたれ、魔導士の礼をとった。

「ゼロ・・・・・・公式には存在しない第ゼロ番隊が今」

 思わず、近衛兵の一人は呟いた。

「これは大事になるぞ」

 身震いし、その傍らの近衛兵も小声を漏らすのだった。


 ・・・・・・・・・・

 天歴312年、アレルカン公国に突如として、国旗を持たぬ謎の武装組織が、カルギス王国方面より侵攻。

 瞬く間にアレルカンの国境警備隊は打ち破られる。そして、武装組織はレスネ河のほとりに広がるケーゼ大森林にて不気味に動きを止める。

 これを受け、アレルカンはカルギスに対し、即座に秘匿念話で事態の説明を求める。

 しかし、カルギス側は知らぬ存ぜぬを一点張るのであった。

 そんな中、アレルカンの北東部方面隊はレスネ河を挟んで、その国籍不明の武装組織と対峙する事となる。ところが、嵐の前の静けさか、武装組織は何の反応も見せない。

 だがもし、レスネ河が抜かれれば、その先には剣の院が間近に控えているのであった。

 それを今のイシュアは知るよしも無い。

 

 第9話


 夢を俺は見ていた。お花畑でゴロゴロ転がっているのだ。すると、泣き声がする。

 見れば、俺が転がって潰した花々が涙しているのだ。どうしろっていうんだッ!

 すると鼻歌まじりに奴が来た。そう、寮長メリルだ。奴め、とうとう俺の夢にまで侵食してきやがった。オー・マイ・スピリッツ!

 そして、メリルはじょうろを持っており、『よしよし』とか言いながら、泣いている花々に水をやりだした。

 とたん、花々は元気を取り戻し、急に成長し出した。あたりはすっかりジャングルだ。

 そこで俺とメリルは何故か仲良く暮らしている。

 すると、銅鑼の音が響く。火を持った兵士達が近づいて来るのだ。

 火矢がジャングルに降り注ぐ。大火事だ。

 木々や花々が悲鳴をあげている。

そして、夢の俺は弱っちい癖に、群がる兵隊達に果敢に立ち向かうのだ。

 場面は切り替わり、金髪の美少年が俺の前に現れる。

《君が基点なんだね、イシュア。空間を司(つかさど)るといい。彼女が時、君が空間。それで時空が完成する》

 などと少年は好き勝手に言ってきやがる。ふざけるな。それじゃまるで俺とメリルが。

《母と恋人は違う。君は母を追い求め過ぎている。何故なら・・・・・・》

 刹那、俺の魂にノイズが走る。クゥッ、何だよ、これは。

《ああ、すまない。まだ語るのが早すぎたようだ。後は自分で見つけるんだね。やれやれ、

もう時間だ。また会える日を楽しみにしているよ、イシュア》

 そして、光が辺りに満ちていき、俺の意識は現実世界へと呼び戻されていくのだった。

 

目を開けると、もう夕方だった。そうだ、今日は授業をさぼって寝てる事にしたんだった。爺様への手紙を徹夜で書いて早朝に出して、メチャクチャ眠かったからな。まぁ良く寝たなぁ。しかし・・・・・・。

「何か夢を見ていた気がする。まぁ、いいか。覚えて無いって事は、どうでもいい夢なんだろう」

 と一人、納得する事にした。すると、ドアが思い切り開かれた。思わずビクッとしてしまう。入って来たのはレオネスだった。

「レオネス。あまり驚かせないでくれ」

 しかし、血相を変えたレオネスには俺の言葉は耳に入ってないようだった。

「イシュア。落ち着いて聞いてくれ」

「まず、お前が落ち着け」

「戦争が始まった」

 レオネスの言ってる意味が良く分からない。せんそー?何それ、おいしい?

「って、戦争だと、何処と何処がッ?」

「イシュア、お、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか!カルギスか、カルギス王国が攻めて来たのか?」

 と、俺はレオネスを問い詰めた。

「わ、分からない。カルギスの方から正体不明の軍隊が攻めて来たんだ。国境警備隊はやられたらしい。今、その軍隊はレスネ河を挟む形で、アレルカンの北東部方面隊と相対している状況だ」

「待て・・・・・・レスネ河ッ?嘘だろ、剣の院のすぐ傍じゃないかッ!ありえん。早く逃げないとッ!」

「む、無理だと思うよ」

「なんで?!」

 しかし、そうは答えたものの、俺にはある嫌な予感がしていたのだ。

「だって、恐らく僕たちも戦場に出ることになるから」

「学徒出陣かよォォォッッッ!!!」

 との俺の悲痛な叫びが辺りに木霊するのだった。


 ・・・・・・・・・・

 ともかく俺はホリー先生に急ぎ相談する事にした。

 もちろん、レオネスも一緒だ。

 そして、医務室の中ではホリー先生が深刻な面持ちで待っていた。

「来たか、二人とも」

 ホリー先生は溜息混じりに告げた。

「はい。ホリー先生、戦争の話は本当なんですか?」

 と、俺はすぐさま本題に入った。

 これにホリー先生は頷いた。

「本当だ。学院長が嘘をついていなければだが」

 この答えに俺は絶望した。嘘だと言って欲しかった。

 すると、レオネスが発言した。

「ホリー先生。しかし、カルギスの狙いは何なんでしょう?まさか、イシュアを狙っての事なんでしょうか?」

「恐らくはな。カルギス王国もとうとう堪忍袋の緒を切らしたといった所か・・・・・・」

 だが、俺はこれに異論を挟んだ。

「いやいや、有り得ないですって。たかだが、一人の学生の為に国が動くなんて」

「そうかな?古代カルギス大帝国の話を知っているか?」

 そして、ホリー先生は語りだした。

「古代カルギス大帝国は蛮族が建国して、その王朝は三代目フィケン・シュレイジオにて栄えに栄え、大帝国は大陸半分を制するまでに至った。これを邪魔していたのがアレルカン王国なのだが、それは置いておこう。さて、カルギス大帝国の南西に砂漠地帯が広がり、そこにジキ王国という小国があった。この国はオアシスに位置する都市国家であり、ティザン山脈から流れる河により農耕を営んでいた。この河は砂漠へと流れ込み、その途中で砂に染みこみ尽きてしまうという。そんなジキ王国だが、国王の妹の子でラクジュマという男が居た。ラクジュマは僧侶であり学者であり、幼い頃は神童と呼ばれていた」

 とのホリー先生の説明に、段々と俺は焦りを覚えた。

「待って下さい、先生。歴史の授業は後で良いですから。今はそれどころじゃ無いですよね?」

 すると、ホリー先生はムッと顔をしかめた。

「少し黙って聞いてろ。全く、せっかちな男は嫌われるぞ」

「・・・・・・」

 やばい、この人、話が長い人だったか・・・・・・。しかも、レオネスはうっとりと聞いてるし!

「さて、話を続けよう。古代カルギス大帝国の三代目大王フィケン・シュレイジオは西方に天才僧侶が居るとの噂を聞き、その者を捕えて来るように命じたんだ。もちろん、大軍を率いさせてな。当時は一人の天才を略奪する為に、軍が侵略するなんて事もあったんだよ。分かったか、イシュア。カルギスとは昔からそういう国なんだ。お前という能力者を得るために武装集団を派遣しても全然おかしくないんだ」

 この話に俺はゲンナリした。なんちゅう国だ、カルギスって所は!そんな理由で攻められちゃ、たまったもんじゃない。

「ところで、先生。そのラクジュマはどうなったんですか?捕まったんですよね?」

「ああ。カルギスの将軍ラゴーが彼を捕えて、ジキ王国も占領して、本国に凱旋しようとした。だが、カルギス本国ではアレルカン王国との戦争が起きていて、両軍はレスネ河、

そう同じレスネ河で対峙しており、いざ戦いが始まった。結果はカルギスの大敗だった。

河から飛び立つ大量の鳥の羽音と、唸るような風音を、カルギス軍は敵襲と勘違いして浮き足だって大敗した。大王フィケン・シュレイジオも戦死したという。まぁ、別の説では大王は矢傷を負っただけで逃げ延び、その後に部下の裏切りで殺されたとも言われている」

 さらに、ホリー先生は続けた。

「いずれにせよ、レスネ河の戦いで大敗したカルギス大帝国は、内部分裂し、大王フィケン・シュレイジオを裏切って殺した部下が第2カルギス大帝国を建国してしまった。大王の命で僧侶ラクジュマを捕えたラゴー将軍は帰る場所を失い、仕方ないので自分も小国を建国した。しかし、第2カルギス大帝国の二代目大王ゴーヨは、ラゴー将軍の建国した小国にラクジュマという天才僧侶が居ると聞き、彼を欲しくなり、ラゴー将軍の小国を攻め滅ぼしてラクジュマを奪った」

「第2帝国も第1帝国もやってる事は同じじゃないですか!」

 思わず、俺は突っ込まずには居られなかった。

「そうだな。今のカルギス王国も同じだ。カルギスという国は一人の天才により国が隆盛する歴史を持つから、戦いで賢人を求める事は善であり正義にかなうと考える伝統があるんだ」

 このホリー先生の答えに、俺はアングリと口を開けた。やばい、これがヤンデレに追われる気分か?もてる男は辛いなんてもんじゃないぞ、これは・・・・・・。

 すると、レオネスがおずおずと尋ねた。

「ところで、ホリー先生。そのラクジュマは第2カルギス大帝国に捕まり、どうなったんですか?」

「ん?僧侶として経典を多く残したのさ。彼が居なかったら現在のミロク寺院は無かっただろうな。また、彼はカルギス語の文字を作ったり、土木事業を行(おこな)ったとも言われている。ちなみに、彼は破戒僧でもあった。本来、僧侶は妻帯や女性との行為を禁じられていたが、第2カルギス大帝国のゴーヨ大王は、ラクジュマ程の天才の血脈が失われてしまうのを憂い、彼に十人の美女を与えて、子供を作らせたという事さ。とはいえ、いずれにせよラクジュマは美女達に囲まれ幸せな余生を送ったんだ。よかったな、イシュア。お前も美女に囲まれ軟禁されるぞ」  

 とのホリー先生の意味深な言葉に、俺は恐怖を覚えた。いくら美女でも、囚われて種馬になるのはゴメンだ!

「いやいや、何で俺が捕まる事が前提なんですか!俺は自由の申し子なんですから!」

「そうだったな、お前にはメリル寮長が居たものな」

 もはや、ホリー先生の言葉に突っ込むまい。

 すると、レオネスが目を輝かせて言った。

「いや、ホリー先生。素晴らしい講義でした。カルギスの歴史が良く分かりました。目から鱗(うろこ)ですよ」

「ん?そうか、照れるな。ふふふ」

 と、ホリー先生は嬉しそうにしている。ラブコメは二人きりの時にしてくれ・・・・・・。

 俺は今、それどころじゃないんだから!ともかく、話題を元に戻さねば。

「・・・・・・それよりも、今後どうしましょう。俺はどうすればいいんですかね?」

 これにホリー先生は少し黙りこみ、そして真面目な顔で答えた。

「正直、分からんな。堅実に考えるなら学院内で引き籠もるのが良いと思うぞ。学院長の傍に居るのが一番安全だからな。しかし、お前が学院に居れば学院が狙われるのも事実だ。どうするかは、お前が考えるんだ、イシュア。お前の選択が運命を大きく変えるのだから」

 そんな事を言われても困る。俺は戦いたくない。でも、学院が俺のせいで狙われのだって嫌だ。俺にだって良心はある。・・・・・・あるけど、まぁ、学院内で引き籠もっている事にしよう。ただ、あくまで苦悩した上で、学院に留まる事にしよう。

 うむ、我ながら完璧な案だな。

「分かりました。今夜一晩、じっくり考えて決断します」

 と、深刻そうに俺は答えた。まぁ、戦わないという結論は既に決まっているがな。

「ああ、それがいい。私やレオネスならいつでも相談に乗るからな」

「はい」

 そうホリー先生に答え、俺はレオネスと共に部屋を後にするのだった。


 ・・・・・・・・・・

 翌朝、グラウンドに生徒達が集められており、点呼が開始される。

やばい、いつもと雰囲気が違う。ガチで戦争が始まるのか・・・・・・。

予(あらかじ)め分かっては居たけど、実感が伴うと全然違う。

 点呼が終わるや、校長が事態を説明し出した。正直、内容が頭に入らない。戦争って、おいおい。ギャグか?クッソ、何が原因でこんな事にッ!いや、俺だけどさぁ・・・・・・。

そんな中、校長の話は続く。

「アレルカン公国からは、この剣の院よりも部隊を出動するように要請があったのじゃ。第3学年の諸君には独立遊軍部隊として戦って貰う事となる」

 この時、逃げる事を決めていた俺には、そんな事はどうでもよかった。早く隙を見て逃げ出さないといけないのだからな。そう、良く考えたら学院が攻められて陥落しそうになったら、逃げねばならないのだ。それに昨晩思い至り、俺は困っていた。

 正直、校長の言葉は完全に素通りしており、むしろイライラしている今の俺にとっては目の前を飛び交う羽虫の方に注意がいっていた。

「クッ、こら、あっちいけ。シッシ」

 と、俺は顔に付いて来ようとする羽虫を追い払おうとした。しかし、依然としてその羽虫はしつこく俺の周囲をうろちょろするのだった。段々と怒りがこみあげてくる。ただでさえ、機嫌が悪いと言うのに。羽虫よ、あまり俺を怒らせない方がいい。

「さらに、第2学年の諸君よりも志願兵を募る。さぁ、我こそはと思う者は挙手をするが良い」

 その校長の言葉に場は静まりかえった。だが、俺の注意は羽虫に行っている。

 すると、羽虫め、とうとう俺の目の中に飛び込んで来やがった。左目に痛みが走る。

 そして、羽虫は目から出て上空へと逃げようとする。ふざけるなッ、死ねいッッッ!

 俺は右手を天に伸ばし、羽虫を捕まえよとする。しかし、羽虫は器用に躱(かわ)しやがった。

 そのままの体勢で、俺は宙を掴んだ拳を怒りで震わせる。一方で、羽虫は天高く消えて行ってしまった。

 クソッ、逃がしたか。まぁいい。これで邪魔者は消えた。すると、辺りが妙にざわついている。なんだ?何か、あったのか?ん、やけに視線が俺に集まっているぞ。これはどういう事だ?

「イシュア。あいつ、戦争に志願しやがった。やはり、ただ者じゃないぜ」

 との声が聞こえる。待て、何の話だ。おいッ!

 すると、俺の隣のレオネスが挙手した。さらに、サイオンとその従者達が。加えて、他の生徒達も次々に挙手をし出した。なんだ、これ?ああ、そうだ。いい加減、手を降ろそう。羽虫も居ないしな。その時、校長の声が響いた。

「良かろう。これ程までに勇敢な生徒達がおる事をワシは誇りに思う。では、部隊の編成を行うので、志願兵の諸君等はそのままグラウンドに残り、後は解散じゃ」

 との言葉で生徒達は寮へと戻っていく。俺も帰ろう。すると、サイオンが俺の腕を掴んでくる。

「流石だ、イシュア。己の弱さをものともせずに、戦争に志願するとはな。お前の愛国心は賞賛に値するぞ」

「いや、何言ってるんだ、お前。俺は疲れたから帰るんだ」

 これを聞き、サイオンは笑い出した。

「イシュア、お前は冗談も上手いな。感心させられてばかりだ。不安はあるかも知れないが、だが安心しろ。私が全霊をもって守ってやるからな、お前を」

「待て。何を言っている?」

 その時、何かが俺に向かい駆けてきた。寮長メリルだ。衝撃が俺の腹部に走る。

「ゴフッ・・・・・・」

 苦悶の声が漏れる。

「イシュアッ!すごいのじゃ。かっこいいのじゃ。流石はワチシの未来の旦那様なのじゃッ!」

「誰が、未来の何だッてッ!人聞きの悪い事を言うなッ!」

 思わず声を荒げてしまう。しかし、メリルは俺にスリスリと甘えてくるのだった。

 すると、レオネスがやって来た。

「イシュア。本当に君は勇敢だよ。この状況では、確かに戦争に行くというのも悪く無い選択肢かも知れない」

「ん?戦争。あぁ、戦争だな」

 いまいち話が飲み込めてこない。すると、レイヴン先生まで前から歩いて来た。

「イシュア。まさか、お前が戦争に志願するとはな」

「はい?何の事です?」

「とぼけるな。照れやがって。志願の際に、真っ先に手を挙げただろう。お前も大した奴だ。少し誤解していたぞ」

「え・・・・・・」

 なんか段々と事情が飲み込めてきたぞ。う、嘘だろ?俺、志願兵?

『アハハハハッ!イシュア。お前、面白すぎるなぁ』

 と女悪魔イラナが俺の後ろで嘲笑っていた。チクショウ、嘘だろ?

「そ、そんな」

 あまりのショックで目の前がグラグラとする。しかし、今更どうしようも無いのだった。

 

 そして、俺はレオネスが隊長の第721小隊に所属する事となった。

 一方で、サイオンは第722小隊の隊長だ。サイオンは俺と別々の隊になってしまった事をとても悔しがっていたが、正直どうでもいい。ちなみに、それぞれの小隊には第3学年の魔導士が副隊長として付いている。実質的には彼らが隊を率いる形となるだろう。

 今、作戦会議室では書類に志願兵達がサインをしている。

サイオンは「この勇者たる私がやらねば、いったい誰がやる?なぁ、イシュア?」とか言いながら、俺の背をポンと叩いてきた。

一方、俺は頭が真っ白になりながらも、仕方なく自身の名前を署名する。それをレイヴン先生が回収していく。あぁ、終わった・・・・・・。何でサインしちまったんだ、俺。

すると、レイヴン先生が羊皮紙を渡してくる。

「あと3刻(六時間)で出発となる。今すぐに遺書をしたためておくように」

 とのレイヴン先生の言葉に、俺はあんぐりと口を開ける。

 周囲では羊皮紙を片手に青くなっている者、震えが止まらない者、叫び声をあげる者、泣きながら書く者、剣舞を舞い出す者、様々である。しかし、みんな一様に精神が高揚しており普通じゃなかった。それは俺も同じである。

 呆然としながら、俺は適当にペンを走らせる。何を書いたか、全然、覚えていない。


 それから講師のアラン先生から作戦の概要が説明された。ちなみに、この人は図上演習に関する授業などを行っている作戦参謀のプロだ。

「今回、皆さんは世界連盟の所属として行動する事となります。故に、アレルカン公国軍とは管轄が違う事となり、最悪、公国軍の命令に従う必要はありません」

 との言葉に、微かに場がざわつく。しかし、いきなりぶっちゃけるなぁ、この人も。

「ただし、その代わり、剣の院よりの命令は絶対です。敵前逃亡は最悪、死罪もあり得ると覚悟しておいて下さい」

 それを聞き、俺は青ざめるしか無かった。万一の時は逃げだそうと思ってたのに。

 さらに、アラン先生は黒板に貼られた地図を指示棒で示した。

「ここに今回の皆さんが所属する第7独立大隊の参謀本部が置かれます。実質的に、ここから皆さんへと命令が発されていく事となります」

 その後も長々と説明は続いた。俺は真剣に聞き入る振りをしながら、いかに戦争を回避するかを考えて居た。しかし、瞬く間に時は過ぎ、出立の時が来た。終わった、俺の人生。


 見送りの学生達が手を振っている。中には涙を拭う女子生徒も少なからずいる。

一方、レオネス達は見送りの者達に手を振り返している。俺は背中にしょった背嚢(はいのう)の重みで潰されそうで、何も出来ない。

「重い・・・・・・マジ無理」

 これでレスネ河まで歩けとかマジで無理だ。正気の沙汰(さた)じゃない、

 その時、寮長メリルがやって来た。あぁ、また面倒ごとか?

「イシュア。重くないのか?」

 と、メリルは尋ねてくる。

「重い。死にそう」

 そう答えてやる。

「なら、ワチシに任せるのじゃ。リュックを地面に置くのじゃ」

「いや。一度置くと、もう一回背負うのがキツイんだけど」

「いいから任せるのじゃ」

 そして、メリルは背嚢を後ろから引っ張ってくる。ただでさえ、支えるのが限界だっていうのにッ!

「うわッ!」

 成すすべも無く、俺は背中から倒れこむ。俺は背嚢を外し、起き上がった。

「どうしてくれるんだ」

「見ておるのじゃ」

 そう言い、なんとメリルは詠唱をし出した。もしかして、重力操作系の魔法を使ってくれるのか?それは相当に高度な術式だけど、校長の孫ならもしかして。

 刹那、背嚢に魔法が発動した。それと共に、背嚢から何かが生えてきた。それは足だ。

 大根みたいに太い足が4本、背嚢からニョキニョキ出てきたのだ。しかも、何か毛深いし・・・・・・。さながら背嚢に小柄のオッサンが二人、入っている感じにも見える。

「何、これ?」

 唖然としながら俺は問いかける。

「うむ。散歩の魔法なのじゃ。これで一人でに歩き出すのじゃ」

 それはメリルに言われずとも良く分かる。今、俺の背嚢はサイオンの方へと近づき、彼を蹴飛ばしている。

「な、なんだ、これッ?」

 サイオンは不気味そうに後ずさっている。それをジリジリと俺の背嚢が追っているのだ。

 これには従者達も困っているようだ。

「こらー。リュックちゃん、戻ってくるのじゃ!」

 とのメリルの言葉に、俺の背嚢は即座に反応した。足早に駆けてくる。

 正直、何て言っていいか分からない。とんでもない魔法だ。

「ど、どうかの、イシュア。少しは役立てたか?」

「へ?うーん。ま、まぁ、確かにこれなら疲れないな」

「ほんとか。良かったのじゃ」

 と満面の笑みをメリルは浮かべてくる。

「ちなみに、これに乗っても大丈夫なのじゃ。イシュア、やってみとくれ」

「え?ああ」

 恐る恐る俺は背嚢に乗っかる。すると、案外、座りごこちはいい。

「ふむ、悪く無い」

「じゃろう、じゃろう」

 相変わらずメリルはニコニコしている。すると、第3学年の生徒達が進軍を始め出した。

 もうじき、第2学年の番だ。すると、メリルが意を決したように口を開いてきた。

「イシュア。絶対に帰ってくるんじゃぞ」

「え?まぁ、そりゃそうでしょ」

 と素っ気なく答えてやる。

「そ、そしたら結婚式じゃな」

「はッ?今、なんて言った?」

 驚きで身の震えが止まらない。その時、レイヴン先生がやって来た。

「イシュア、何をしている。整列が始まっているぞ」

「あ、はい。今、行きま・・・・・・すッ?」

 その時、メリルがジャンプをして、俺の頬にキスをしてきたのだ。

「こらッ!な、何て事をしやがるんだ、お前はッ!」

「うー。我慢できなかったのじゃ」

 とモジモジしながらメリルは答えて来やがる。ハッと気がつくと、周囲の視線が全て俺の方に向いている。レイヴン先生も困った奴めという具合に、苦笑いを浮かべている。

「さぁ、イシュア。行くぞ。寮長、安心して下さい。誰一人、死なせはしませんよ」

「うむ、レイヴン先生、任せたのじゃ」

 そして、メリルは俺の方を向き直った。

「待ってるのじゃ。イシュア。お主をずっと、ずっと待ってるから」

 と声を震わせるメリルの大きな瞳は、涙で潤んでいた。

「いや、待って無くていいです」

 すると、レイヴン先生に頭をごつかれた。地味に痛い。

「お前なぁ」

「クゥ、分かった。メリル。待っててくれ。必ず戻るから」

 この言葉に、レイヴン先生は満足そうに頷いていた。

「イシュアッッッ!」

 そして、メリルが俺に抱きついてくる。しかし、今回はすぐに離してくれた。

 いい加減、本当に時間だ。俺とレイヴン先生は顔を見交わし、歩き出して行く。


 進軍が始まった。俺は背嚢の上に乗っかっている。特別にレイヴン先生が許可してくれたのだ。トコトコと歩く背嚢に揺られながら、俺はフト後ろを振り返ってみた。

 メリルが泣きながら精一杯に手を振っているのが見える。さらに、学院の屋上にはホリー先生が居るのに気づいた。その横には学匠シェルネと、キョトンとした魔導士ヘクサスが見送ってくれている。

「レオネス」

 そう声を掛けて教えてやる。すると、レオネスも気づいたか、ホリー先生達に軽く手を振り返すのだった。しかし、これは行軍だ。前を向かねばならない。

こうして、俺達は戦争に行くのだ。


 ・・・・・・・・・・

 イシュア達が出立してから、メリルは悩んでいた。

「うー、やはり心配なのじゃ。ワチシも行かねばならない気がするのじゃ」

 そう思い立ったら彼女は早かった。涙をふいて、可愛らしいピンクのリュックにおやつや服を詰めて、旅立つのだった。しかし、メリルは考え無しに向かったため、北東のレスネ河とは反対とも言える西のティエネの街の方へ行ってしまったのだ。

 ティエナの街は比較的に近く、メリルの足でも四半刻(30分)ほどで辿り着く事が出来た。

「うー、散歩の魔法は同時に2度発動が出来ないから辛いのじゃ・・・・・・」

 と、メリルはリュックを背負って歩きながら、呟いた。

 もし、イシュアに魔法を使っていなければ、このリュックに足を生やして、その上に乗って移動する事が可能という事だ。

「でも、イシュアの役に立てて幸せなのじゃ」

 そうニコニコしながら先を進むのだった。


 街に着いて、メリルはようやく自分が方向を間違えた事に気づき出した。

いや、それ以前の問題か。

「はれ?レスネ河って、どうやって行けばいいんじゃったっけ?」

 と、首を傾げた。一方、街の人々は慌ただしく避難の準備をしていた。

 馬車に次々と荷物を運ぶ人々。鐘がひっきりなしに鳴らされる。子供の泣き声や、人々の「早く逃げろッ!」との喧噪が響く。そんな非日常の光景。

「あ、あの、レスネ河にはどうやって行けばいいんじゃ?」

 道行く人にメリルは尋ねる。

「え?今忙しいから、後にしてッ!」

 と、誰に聞いてもメリルは相手にされなかった。

 メリルはトボトボと街を歩いていた。人々は殺気立っており、ぶつかると怒鳴られた。

「邪魔だッ!」

「ご、ごめんなさい、なのじゃ」

「チッ」

 舌打ちし、その男は足早に通り過ぎていった。

 いつしか、メリルは半泣きになりながら、路地裏に座りこんでいた。

「うう、やっぱり、ワチシじゃ無理じゃったんじゃ、クスン」

 目を拭いながら、メリルは言うのだった。

 その時、メリルは「ウホ・・・・・・」という弱った太い声を聞いた。

「へ?」

 声のした方を見れば、路地裏の奥に一人の男が倒れていた。

「だ、大丈夫なのか?」

 駆け寄り、メリルは言うのだった。対し、その男、用務員ワルシ・アゼは口を開いた。

「ウホ・・・・・・ウホホ、ウホ・・・・・・」

「む、お主、ゴリラ語しかしゃべれぬのか?ふむふむ、お腹が減って倒れてしまったんじゃな」

「ウホ、ウホウホホ」

「うむうむ。何?バナナを食べないと死んでしまう?それは大変じゃ。なら、これをあげるのじゃ。おやつに持って来て良かったのじゃ」

 そして、メリルはリュックから一房のバナナを取りだした。

「はい、なのじゃ」

 それを恐る恐るワルシ・アゼは受け取るのだった。

「ウホ?」

「食べて大丈夫なのじゃ。あげるのじゃ」

 これを聞き、ワルシ・アゼはバナナをむいて貪るように食べ出した。

 彼は今、泣いていた。バナナのあまりのおいしさと、メリルの優しさに感激しながら。

 それを見て、メリルも嬉しそうにニコニコするのだった。

「ウホ、ウホウホッ!」

「ふぇ?命の恩人だから、一生、付いて来ます?でも、ワチシ、これからレスネ河に行かなきゃいけないのじゃ。そこはカルギスとの戦争で危険なのじゃ。それに、行き方が良く分からないのじゃ・・・・・・」

 すると、ワルシ・アゼは自身の胸を力強く叩いた。

「ウホ、ウホウホッ!」

「へ?案内してくれるの?」

「ウホッホ!」

 そして、ワルシ・アゼはメリルを肩に乗せ、駆けだした。

「わーい、行くのじゃ!」

 風を切りながら、ワルシ・アゼとメリルはレスネ河へ進む。


 ・・・・・・・・・・

 それは強行軍だった。一刻(2時間)で八半刻(15分)の休みしか俺達は貰えない。

 しかも、魔力は最低限しか使う事は許されない。もっとも、これが普通の場なら大した問題は無かっただろう。だが、今回は何かが違う。進むだけで生気を奪われていくような、そんな感覚がつきまとうのだ。

 故に、皆は憔悴しきっていた。レオネスも体の不調に顔をしかめている。

 一方で、俺はメリルの魔法のおかげで、大して疲れずにすんでいた。

 だけど、着く前からこんなので、本当に戦えるのか?

 そんな中、二度目の休みがとられた。

「レオネス。何かがおかしくないか?」

 俺はレオネスに話し掛ける。

「ああ。もしかしたら呪術か何かかもしれない。魔導王は呪詛を得意とするそうだ」

「なる程。厄介だな・・・・・・」

 と答え、俺は空を見上げた。暗雲が天を覆っている。今にも雨が降り出しそうだ。

その時だった。遙か遠方が燃え上がった。天にも届く程の白き炎が突如として湧いたのだ。

「あれはレスネ河の方だぞ」

 思わず、俺は呟いた。しばらくすると、その火炎は収まり、見えなくなった。

 すると、念話が飛び交うのが分かった。副長の魔導士が通信士を連れて、やって来る。

「隊長。渡河を試みたアレルカンの一個中隊が壊滅しました。しかし、不思議な事に死者はゼロという事です。全員、意識不明で戦闘不能だそうです」

「あの炎の仕業か?」

「恐らくは。白き炎が河より沸き上がり、彼らを飲み込んだそうです」

「それで死者が居ない?」

「はい。現在、解析中だそうですが、通常の魔法では考えられない模様です」

 それを聞き、俺とレオネスは顔を見合わせた。

「レオネス。これは・・・・・・」

「恐らくアバター能力が関わってるだろうね。しかも、普通の人にも見えるという事は魔力と融合した力なんじゃないかな」

「何て事だ」

 ふざけるな、そんなの勝てるわけが無い。魔導士ヘクサス以上の使い手って事じゃ無いか。だとすると、以前の俺ですら勝てるか怪しいラインだぞ。駄目だ、逃げないと。これはガチで死ぬ。

 そして、俺はフラフラとその場を後にするのだった。

 今、レオネスは副長の魔導士と話し込んでいる。逃げるなら今しか無い。

 すまない、レオネス。俺は駄目な奴なんだ。

「ちょっと、トイレに行って来る」

 そう座って休んでいる学生に言い、俺は街道沿いの林へと入っていく。

 しばらく、そのままゆっくりと進む。よし、これだけ離れたら問題ない。

急ぎ、逃げよう。

「イシュア?」

 突如、背後から声を掛けられた。振り返れば、レオネスが居た。

「ど、どうした、レオネス?お、お前も連れションがしたくなったのか?」

 しかし、レオネスは無言で首を横に振るのだった。

「・・・・・・あぁ、そうか。お前は騙せないな。そうさ、俺は逃げる。このままじゃ皆、死ぬぞ。勝てるわけが無い。《敵を知り己を知れば、百戦危うからず》と言うが、俺達は敵を知らなすぎる」

「だろうね」 

 そう短く答えてくる。

「俺は死にたくない。戦いたくない。ゴロゴロしてたいんだよッ!特に、これだけ弱くなってしまった今はな。お前に分かるか?俺の気持ちが。俺は頑張ってきたんだ。必死で自分を高めようとした。なのに、このざまだ。笑えよ、レオネスッ!」

「笑わないよ、イシュア。僕は信じている。たとえ今、君が逃げだそうと、必ず君は帰ってくる。何故なら、君は強いから」

「強い?俺の何処が強い?冗談や勘違いはよせよ。あまり俺に期待するなよ」

 泣きそうになる。これなら、いっそ叱ってくれた方がマシだ

「分かった。僕は何も見なかった。それだけだ」

「すまない・・・・・・」

 そして、俺は全てから逃げ出した。自分が情けなくなる。俺は最低だ。

 こんな最低な奴が生き残って、真面目で立派な若者達が死んでいく。戦争なんて狂ってやがるッ!それでも背を向けて無様に駆け出すことしか、俺には出来ないんだ。

 

どれだけ進んだだろう。いつしか雨が降り出していた。そんな中、俺はむせび泣いていた。葉っぱから落ちてくる雨水が俺の頭に降り注ぐ。その時、女悪魔イラナが現れた。

『おい、マズイぞ。やばい奴らが囲んでいる』

「え?」

 目を拭い立ち上がると、黒装束の者達が幽鬼の如くに姿を見せた。

「お、お前達は・・・・・・」

 すると、黒装束の一人が口を開いた。

「イシュア・ハリスティル。軍律・第9条・敵前逃亡罪の現行犯として逮捕する」

 その宣告に俺は身をガタガタと震わせるしか無かった。

「な、な。俺は学生で」

「関係ありはしない」

「ッ、お前達は何者だッ!何で、こう都合良く現れる事が出来るッ!」

 との俺の言葉を聞き、黒装束達はクックと低い笑いを漏らした。

「暦博士の孫が敵前逃亡。大きなスキャンダルとなるだろうな」

 これを聞き、俺はようやく事情を察した。

「なる程。爺様に敵なす者か。となると、対立派閥の暦博士か・・・・・・もしくは、外部省の」

 とたん、空気が凍り付いた。

「捕らえろ」

 次の瞬間、俺は地面に取り押さえられていた。

 だが、これ自体は問題ない。第3の魔眼を発動し、彼らの記憶を書き換えていく。俺を主となすようにと。

「あ・・・・・・う・・・・・・」

 俺に触れた黒装束達は記憶が混乱し、呆然とし出した。

「妙な術を使う。直接、触れずに束縛するぞ」

 そして、拘束の魔法を詠唱し出した。しかし、この時、記憶を書き換えられた黒装束達がようやく動き出した。

「貴様らッ!我が主に何をするッ!」

 そう叫び、仲間であったはずの黒装束に、彼らは襲いかかっていく。これにより、場に混乱が生じ出す。この隙に俺は逃げ出すのだった。

 しかし、敵もプロだ。すぐに体勢を整え、数名が俺を追ってくる。

 俺は左の魔眼を発動し、最適なコースを移動する。しかし、敵の方が圧倒的に素早く、こんなものは時間稼ぎに過ぎない。息が荒い。時が遅くなる分、苦しみが長くなる。

 それでも走り続ける。あぁ、俺は何て馬鹿なんだ。中途半端に志願し、中途半端に逃げ出す。いつだって、適当にしか生きれない。その癖、逃げる事だけは得意なんだ。

 でも、もう限界だ。もはや逃げ場が無い。終わったんだ。

 すると、急に視界が開け、前方が崖となっているのが分かった。えぇい、このまま飛びこんでやれッ!しかし、それすら許されなかった。拘束の魔法が俺を縛り上げる。

 終わった。本当に終わった。最悪、敵前逃亡の罪で死刑だ。

 いや、違う。恐らく爺様は俺を助けるために、大公に情状酌量を求めるだろう。

 そして、爺様の退官と引き換えに、恩赦が出る形で俺は助かるのかも知れない。

 あぁ、最悪だ。爺様の足を引っ張ってしまうなんて。学生だから許されると思っていた。

 馬鹿だ、俺は。どうしていつも、こう考え無しで行動してしまうんだ。

 その時だった。何かが茂みから飛び出してきた。それは俺の背嚢だった。メリルの術式が掛かった足の生えた背嚢、それが黒装束に体当たりを喰らわした。それと共に、拘束の魔法が緩む。何て事だ。こいつ、俺を助けに来てくれたんだ。涙が出そうになる。

 しかし、黒装束は瞬時に対応してくる。短刀で背嚢の足を切りつけるのだった。

 それと共に、背嚢の足から赤い血が飛ぶ。とっさに、俺は石を拾い、黒装束に投げつける。これにより出来たわずかな隙に、俺は背嚢を手に取り、崖を飛び降りるのだった。

 水面がすごい勢いで迫ってくる。だが、俺は決して背嚢を離さない。そして、そのまま増水しつつある川の流れに身を任せるのだった。


「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」

 しばらく流された後、何とか川から這い上がり、俺は息を吸いこんだ。正直、よく生き残ったと思う。ゾンビ化も悪くは無いかも知れない。

それから俺は、傷ついた背嚢の足に傷薬を塗って、布で縛ってやる。

「ありがとうな」

 そう俺が言うと、背嚢はモジモジと嬉しそうにするのだった。こうして見ると、少し可愛く思えてくるのが不思議だ。毛さえ剃ってあげれば、あんがい美脚になるかも知れない。

 ともかく、今は少しでも歩みを進めよう。俺は背嚢を抱え、先を行くのだった。

 恐らく、追っ手は近づいて来ている。逃げられはしないだろう。

 それでも、それでも俺は・・・・・・。

『イシュア。そのまま進め。味方が居る』

 とのイラナの声が聞こえる。俺はそれに従い、歩き続ける。

 すると、金髪の見知った顔が現れた。それはサイオンだった。

「サイオン・・・・・・」

 息も絶え絶えに俺は言うのだった。

「イシュア、どうした?」

 目をパチクリさせながらサイオンは尋ねてきた。

「助けてくれ。俺は、俺はッ」

 安堵で涙が止まらない。そして、俺は全てを包み隠さず話した。

「なる程。事情は分かったぞ。まぁ、任せとけ。でも、運が良かったな。実は土砂崩れが起きて、街道が使えなくなったんだ。それで私達の小隊は優秀だから山道を先に進むことになったんだ」

「そうか・・・・・・。だけど、サイオン。俺は敵前逃亡を」 

すると、サイオンは俺の肩をポンと叩いた。

「気にするな、友よ。時間を稼いでやる。その間に逃げろ」

「だ、だが」

「イシュア。私を誰だと思ってる。たまには私を頼れ」

「・・・・・・すまない」

 あぁ、俺は最低だ。こうやって人の善意を利用し、人を踏み台にして生きていこうとする。

「イシュアさん。この子、召喚獣ですか?治癒をしておきました」

 同じクラスの魔導士のセリーアがニコッと微笑み、背嚢を渡してくれる。

「ごめん」

 そして、俺は背嚢に乗っかり、その場を後にするのだった。


 ・・・・・・・・・・

 サイオンは副長である第3学年の魔導士の女性に尋ねた。

「問題はなかったか?」

「ありますね」

 副長の女性は一見冷たく答えた。しかし苦笑し、言葉を紡いだ。

「しかし、隊長の命令に従わぬわけにはいかないでしょう」

「ハハッ。まぁ、気にするな。・・・・・・約束したんだよ、守ってやるってな。騎士に二言はありはしない。それに、あいつは弱いからな、仕方ないんだ。とはいえ、この場を上手く切り抜けたら、迷惑料としてお前にも報償をやろう」

「期待しないでおきましょう。それより来ますよ」

「総員、魔力解放ッ!敵を足止めしろッ!剣は使わなくていい。あくまで足止めだッ!」

 そして、サイオン達は迫る黒装束へと立ち向かっていくのだった。

 

 ・・・・・・・・・・

 あぁ、俺は駄目だ。あまりに駄目だ。皆に迷惑ばかり掛けて。それで・・・・・・。クソッ。

「止まってくれ」

 俺の言葉に、背嚢は動きを止めた。

「イラナ」

 すると、女悪魔イラナが出てきた。

『どうした、我が契約者?』

「道を教えてくれないか?レスネ河への道を」

『ほう。急にどうした?』

「敵の大将の記憶を書き換える」

 との俺の言葉に、イラナは笑い出した。

『出来ると思っているのか?馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿とは』

「黙れッ!」

 との叫びに呼応するかに、稲光が生じた。一拍遅れて、雷鳴が轟く。

「全てを挽回するには、これしか無い。あぁ、そうだ。戦争も回避できて万々歳じゃ無いか。そうだろ?そうだと言えよッ!」

 対し、イラナは笑いもせず、神妙な表情を浮かべていた。

『いいだろう。面白そうだ。お前が死のうと私に不都合は無いしな。まぁ、少し寂しいかも知れないがな』

「・・・・・・すまない」

『気にするな。だが、その前に来るぞ』

 その言葉と共に、一人の黒装束の男が出てきた。俺は彼に話し掛ける。

「見逃してくれないか?」

「愚かな。しかし正直、驚いている。まともにお前を追えるのは私一人だ」

「サイオン達はどうした?」

 との俺の問いに対し、答えもせずに黒装束は言い放つ。

「だが、魔力も感じられぬお前なら、私一人で十分だ」

「ふざけるなッッッ!」

 俺の怒号が響く。さらに、俺は続ける。

「なんなんだ、お前は。馬鹿なんじゃ無いのか?戦争なんだぞ。俺なんかを追うよりやるべき事があるんじゃないのか?特に憲兵でもありはしないのに」

「・・・・・・黙れ。裏切り者が」

「確かに、俺は裏切った。だが、俺はこれから死地に赴こうと思う。チャンスをくれないか?」

 対し、黒装束はフッと嘲笑うのだった。

「信じられるとでも?」

「そう願う」

「どのみち関係ありはしない。軍律に違反したのは事実だ。その後、戦う意志を見せようと関係ありはしない」

「そうかよッ!」

 魔眼を発動させ、ありったけの魔力を解放させながら、俺は叫んだ。そして、戦いが始まる。

 しかし、敵うわけが無い。奴の魔力を喰らい、俺は惨めに吹き飛んで行く。

 心配そうに、背嚢が俺に近づく。

「大丈夫だ。下がっててくれ・・・・・・」

 そう告げ、俺は立ち上がる。どうも、この男、俺をいたぶって楽しんでいる。

 ならば、チャンスがあるかも知れない。と思った矢先、その希望は打ち砕かれた。

「飽きたな。まぁ、腕くらいもげていても問題は無かろう」

 そして、奴は短刀を抜いてくるのだった。嗜虐的な笑みを浮かべながら、奴は俺に迫ってくる。魔眼によりスロー・モーションと化した世界で、俺はそれを必死に避けようとする。でも、無理だ。間に合わない。このままでは俺の左腕は切断されるだろう。

 その時だった。林から何かが飛び出してきた。そして、そいつは思い切り、黒装束の男を殴り飛ばした。それは大男であり、肩に誰かをのっけてる。

「イシュアッ!」

 現れたそいつの肩に乗るのはメリルだった。

「なんで?」

「間に合って良かったのじゃ。このゴリラさんが、イシュアの匂いを追ってくれたのじゃ」

 そして、一枚のハンカチをメリルは見せるのだった。

「それは・・・・・・」

「イシュアから借りたハンカチなのじゃ。ずっと肌身離さず持っていたのじゃ」

「そうなのか、助かった。だけど」

 ゆらりと幽鬼のごとくに立ち上がる黒装束に俺は目を向けた。やばい、メチャクチャ怒っている。

「油断したとは言え、お前、やるなウホッ・・・・・・ん?」

 黒装束の言葉に、緊迫した場面だというのに、俺は噴き出してしまった。

「こら、笑うな、ウホッホッ!クッ、なんだ、これは、ウホッ。言葉が、ウホッ!」

 妙な事になってきたが、ピンチなのは変わりない。すると、メリルはゴリラさんと呼んだ大男から降りていた。一瞬、彼女が天使か何かに見えた。いや、気のせいだった。

「ゴリラさん、やっつけるのじゃッ!」

「ウホッホッ!」

 そして、地響きをたて、ゴリラさんは黒装束に迫った。

「貴様ッ!外部省の暗部を舐めるな、ウボヘッホッ」

 刹那、ゴリラさんの拳が何十発も叩き込まれた。黒装束の男は成すすべも無く、吹き飛んで行った。

「ウッホ、ウッホ。ウッホッホッ!」

 勝利の雄叫びをあげ、ゴリラさんは胸を何度も叩くのだった。良く分からんが助かった。

「イシュアッッッ!」

 そう声をあげ、メリルが俺に抱きついてくる。何となく抱きしめ返してしまう。

「メリルッ!って、何で抱擁をかわしてるんだよ。クソッ、つい乗せられてしまった」

 抱きしめ返してしまったメリルを必死に引きはがす。しかし、メリルは俺の頬にキスをしてくるのだった。

「馬鹿、今はそれどころじゃ無いんだよ。こら、離れろ」

「うー、分かったのじゃ」

 しぶしぶといった感じで、メリルは抱きつくのを止めた。

「はぁ、ともかく助かった。二人とも礼を言う。でも、ここからは俺一人で行く。あまりに危険だからな」

「嫌なのじゃッ!」

「どうしてッ?」

「だって、夫婦はいつも一緒なのじゃ」

 とのメリルの言葉に、俺は額に手を当てた。

「あ、あのなぁ。友達、友達だから」

「ふえ?あ、そうじゃったのじゃ。今は」

「ともかく、俺はお前に傷ついて欲しく無い。一応、友達だし女性だしな」

 少し照れながら、俺は告げる。一方、メリルは妙に感激した面持ちをしてくる。

 そして、俺に抱きついてくる。クゥ、いつものパターンだ。

「イシュア。絶対に付いてくのじゃ。絶対に」

「・・・・・・えぇい、もう知らないぞ。好きにしろよ」

「好きにするのじゃ」

 と言い、俺の頬に何度もキスをしてこようとする。必死で躱そうとするも、何度かはぶつかってしまう。何て事だ。

「ともかく、急いでるんだ。そういうのは後にしてくれ」

「う、うむなのじゃ。後でいっぱいするのじゃ」

「違う。後でもするな」

「うー。照れなくて良いのじゃ」 

 ニコニコとしてメリルは言ってくる。

「はぁ、行こう。戦争を止めに」

  そして、俺達はレスネ河へと向かう。少女寮長に最弱魔導士に、女悪魔にゴリラさんに背嚢。何てパーティだ。まぁ、構わない。やってやろじゃ無いか。一発なッ!


 ・・・・・・・・・・

 一方で、レオネスの小隊はなんとか無事にレスネ河に辿り着いて居た。

 しかし、休む間もなく、戦闘準備に入らされるのだった。

「備えよ、備えよ。間も無く総攻撃を開始するッ!」

 と、騎馬兵がふれ回っていた。

 そんな中、レオネスは一人、河へと進んだ。向かうは河の中央。そこへ水面の上を歩いていくのだった。それはあまりに突然の行為であり、誰も止める事が出来なかった。

「あの馬鹿ッ!何やってるんだッ!レオネス、戻れッ!」

 講師レイヴンが叫ぶも、レオネスは応じなかった。

 レオネスはゆっくりと河の上で歩みを進めながら、赤い魔力を纏いながら思いを馳せていた。

(なぁ、イシュア。僕は信じているよ。君は昔からそうだった。いつだって、口では無関心を装ったりするけど、結局は助けに来てくれるんだ。今回だって、そうだろ?だから、君が来るまで時間を稼ごう。でも、長くは保たないかも知れない。早く来てくれると助かるよ)

 そう思考しつつ、レオネスは河の真ん中へと辿り着いた。刹那、河が光り出し、白い炎が巻き上がった。しかし、レオネスは刀を河に突き立て、白き炎を斬り裂いていった。

 これにより、レオネスの居る周囲だけ、炎は効果を発揮しないのだった。

 全ての炎が静まった後、レオネスは河の中央で佇(たたず)み叫んだ。

「我が名はレオネス・アスーシア。剣聖シオネス・アスーシアの長子なり。いざ、決闘を願う。我こそはと言う者はおらぬのかッ!」

 これに、対岸にいる武装組織の面々もざわついた。

 すると、一人の少年が前に出た。その少年は少女と見まごうばかりの美貌を湛(たた)えており、加えて氷のような鋭い剣気をその身に纏っていた。

「私はハスネ。お相手願います」

 水面上を進みながら、少年ハスネは刀を抜いて告げるのだった。

 今、レオネスとハスネ、二人の刀使いは赤き炎と青き氷の魔力を静かに高め、間合いをはかっていた。

 しかし、刹那、互いに斬り込み合い、衝撃波が河を穿(うが)つのであった。


 第10話


 俺とメリル達は森を進んでいた。俺が背嚢に、メリルがゴリラさんに、それぞれ乗っている形だ。ちなみに、ゴリラさんは女悪魔のイラナの顔を見て盛んに首を傾げたりしていたが、あれは何だったんだろうか?

 まぁ、そんな事はどうでもいい。森を抜けると、丁度、レスネ河だ。しかし、主戦場とは離れており、周囲には誰も居ない感じだ。

「よし、河を渡ろう。しかし、どうしたものか・・・・・・」

「イシュア。散歩の魔法の子は泳げるのじゃ」

 とメリルが説明してくれる。

「よし、じゃあ。俺の方は問題ない。ゴリラさんは?」

「ウホッホ」

「これくらいの流れなら問題ないそうじゃ」

 そうメリルが通訳してくれる。

「よし、じゃあ進もう」

 そして、俺達は河を渡り出すのだった。特に問題も無く、俺達は渡河を終える。

 さぁ、いよいよ敵陣は間近だ。その時だった。妙な寒気がし出した。

 いつの間にか、霧が立ちこめだしている。全身が逆立つ感覚。これは危険だ。

『この妖気。しまった、奴が来るッ!』

 イラナが焦燥の声をあげる。

「奴?」

 するとくぐもった嘲笑がどこからともなく漂った。さらに、黒い霧が浮かび上がり、それが凝縮して人と化した。魔導士だ。しかも、並じゃ無い。魔導士ヘクサスなんて赤児くらいに思える程の・・・・・・。

『イシュア・ハリスティル。これは手間が省けて幸いだ』

 その魔導士は俺に向かい告げてくる。

「手間?何の事だ?」

『剣の院にお前が居る限り、我が魔導はお前に届かぬ。学院長たるウェイスの結界術によりな』

「校長の術?何の事だ?」

 すると、魔導士はクックと低く笑いを漏らした。

『お前は守られていたのだ。誰もが知らぬ内にな。六柱神の巫女による加護、その運命操作が施されているのだ。だが、それもついに打ち破られた。愚か、死地へと自ら赴いてくるとは』

「わけの分からない事を言ってるんじゃないぞッ!」

 俺の叫び声が虚しく辺りに響いていく。

『名乗りが遅れたな。我が名はデギンズ・アーテシア。あの武装組織を率いし者だ』

「そんな奴がこんな所に居ていいのか?」

『構いはしない。此度の戦争、全ては貴様を捕らえる為のものだ。まぁ、それ以外に、全世界に我らが意志を示すという意味もあるが』

 との言葉に、俺はポカンとする。待て、今、聞き捨てならないものが耳に入ったぞ。

「待て、待て待て待て。俺を捕らえる為?ギャ、ギャグか?」

『冗談の類いでは無い。さぁ、時間が惜しい。始めようぞ、死合いを』

「・・・・・・クソッ。テメーを倒せば、戦争が止まるんだなッ!」

『可能性はあるだろうな』

「なら、やってやるッ!」

 そして、俺は破れかぶれに魔力を全開にし魔眼を発動した。奴の言う事が本当なら、これは最大のピンチでもあるがチャンスでもある。一生に一度くらい、命を懸けてやるッ!

 すると、ゴリラさんも拳を構えだした。

『・・・・・・ワルシ・アゼよ。私に刃向かうか?』

「ウ・・・・・・ウホッ、ウホホッ!」

 身をガタガタと震わせながらも、ゴリラさんは闘志を捨てなかった。

『愚か。獣と成りはて、畏怖と恐怖を失ったか。いいだろう。掛かってくるが良い。招こうぞ、我が世界に』

 刹那、周囲の時空が歪み出した。なんだ、これ。ま、まさか空間操作能力か?亜空間を形成するという。ふざけるな、そんなの勝てるわけが無いだろうがッ!

 しかし、俺の絶望と裏腹に、俺達は完全に亜空間に閉じ込められてしまった。

「チクショウッ!」

 そう叫び、俺はデギンズとかいう魔導士に立ち向かっていくのだった。


 ・・・・・・・・・・

 一方、レオネスとハスネの二人の刀使いによる死闘は熾烈を極めていた。

 彼らの剣撃は薄く速く、互いに避ける事が非常に困難であった。しかも、それを足場の悪い流れゆく水面の上で行うのである。それがどれ程に特異な事か、剣を握った者ならば誰もが感じ入るであろう。

 両岸の兵士や騎士達は、この二人の死合いを固唾を飲んで見守り続けた。

 指揮官達すら総攻撃の準備を忘れる程に、美麗にして苛烈な剣技に見入らざるを得なかったのである。

 一方、目論見が上手くいきつつあるのに、レオネスは激しい焦燥を抱いていた。

(この少年、強い。いや、単なる強さでは無い。彼の昏(くら)い瞳、これは数多(あまた)の人を斬ってきた目だ。これだけの若さで、どれ程の修羅を経てきたんだ、彼は。だが、それでもッ、勝てずとも長引かせてもらうぞッ!イシュアが来るまではッ!)

 そう深く決意し、レオネスはハスネの刀を次々に捌(さば)いていくのだった。

 激しい火花が散っていく。しかし、ハスネは突如、後ろに大きく滑るように退いた。

 彼は口を微かに開く。

「あなたは信念を持っているのですね」

「信ずるべきものがある」

「羨(うらや)ましい。私は一本の刃に成り果ててしまった」

 わずかな哀しみを湛えながら、ハスネはそう告げるのだった。しかし、鋭くレオネスを見据え、言うのだった。

「参ります」

 刹那、ハスネの姿は消えた。否、彼は身を極限まで低くしながら、レオネスの左方から疾風の如くに迫っていた。二人の織りなす刀陣(とうじん)がぶつかり合う。剣風が巻き上がる中に、神速とも言える両者の刀技(とうぎ)が放たれていく。

 散りゆく魔力の破片が互いの体を浅く傷つけ、鮮血が舞いゆく。そんな中、互いに渾身の一撃を切り出すのだった。次の瞬間、衝撃波が生じ、二人の体は弾かれていった。

 再び、小休止が訪れる。しかし、今度は互いに完全に無言であった。

 レオネスが中段に構える一方、ハスネは身をひねり死突の構えを示した。

 不気味な沈黙が両者を包む中、上流から唸るような轟音が響く。河は急激に濁りだし、

鉄砲水が押し寄せた。そんな中、両者は一気に間合いを詰め、斬り合うのだった。

 死闘を繰り広げる彼らを自然の猛威が襲う。先に跳んだのはレオネスだった。一方、ハスネは逃げ遅れたのか、濁流に呑み込まれていく。刹那、ハスネの刀技が発動し、濁流ごと全てを斬り裂いていく。レオネスは何とかこれを受けるも、さらに上空へと飛ばされていく。その時、レオネスは死を感じた。今、遙か下方からハスネの剣先が突きつけられている。

 次の瞬間、死突(しとつ)技(ぎ)が発動し、レオネスの鎖骨部を貫いた。これによりレオネスの上半身に激痛が走る。さらに、ハスネは大きく跳躍し、追撃を開始する。一方、レオネスは空中で最低限の体勢を整えるも、今の一撃で右腕に力が入らなくなっていた。

 迫るハスネをレオネスは左手のみで何とかしのいでいくのだった。

 しかし、終わりは着実に近づいていた。


 ・・・・・・・・・・

「ウォオオオオオオッ!」

 と声をあげて、俺は突進するも魔導士デギンズにかすりもしない。

 しかし、クソッ、奴め。反撃せずに、こちらの攻撃を避けるばかりだ。というか、どうも、奴に実体が無い感じだ。ゴリラさんのパンチやキックもことごとくが効いていない。

「ウホッ?」

 ようやくゴリラさんも何かがおかしい事に気づいたようだ。少し遅いけど。

『クックック。その程度か、イシュア・ハリスティル。魔術の一つでも使ってくるが良い』

 などとデギンズめ、挑発してきやがる。いいだろう、見せてやろう、命懸け俺の魔術を。後悔するなよッ!そして、俺は火の魔術を発動する。

 しかし、生じたのは爪に灯るような火だけだった。

『なんだ、それは?』

 怪訝そうにデギンズは言ってくる。

「うっさい、見てろ。風よッ!」

 今度はつむじ風が起こる。マズイ、このピンチだと言うのに全く魔力が戻って居ない。

「クッッッ!ならばッ!」

 そして、俺はメチャクチャに知りうる魔法を発動していく。しかし、それらは発動しないか、ほとんど役立たないかで、デギンズもあきれ果てているようだった。

『くだらぬ。買いかぶりすぎたか?』

「水よッ!」

 刹那、杖から白濁の液が大量に放たれ、デギンズに掛かった。

「あ・・・・・・」

 何だか凄く申しわけなくなった。

『プッ、イシュアァ。お前、とうとうオッサンにまで、ぶっかけるとはなぁ!』

 などと女悪魔イラナが言ってくる。おい、止めろ、誤解されるような言い方は。

 一方、デギンズさんは身をプルプルと震わせてらっしゃる。やばい、怒ってる。

 今回ばかりは俺にも非がある気がしなくも無い。すると、デギンズに掛かった白濁液が瞬時に蒸発していった。

『よかろう。戯れは終いだ。見せようぞ、我がアバターを』

 とのデギンズの言葉と共に、白い霧が奴の体から吹き荒れた。あの霧がアバターなのか?

 さらに、デギンズは未知なる魔術を紡ぐ。刹那、世界は白き炎に包まれた。

 その炎が収まった時、俺は生きていた。いったんは炎に飲み込まれたにも関わらず。

 というか、どうも今の攻撃、殺傷力が無いようだ。ゴリラさんとメリルは倒れているが、外傷は見当たらない。気絶しているだけのようだ。とはいえ、これでは戦えそうなのは俺とイラナと背嚢だけだ。いや、背嚢を入れていいのかは分からないが。ただ、背嚢は妙なやる気を見せ、シュッシュッと前足で空中に蹴りを見せている。

 また、デギンズは俺が倒れずにいるので感心しているようだった。俺のゾンビっぷりを舐めるなよ。

 この時、イラナはニヤリと笑みを見せた。

『見せたな、我が前でアバターを』

 そう告げ、イラナは左手をデギンズに向けた。すると、彼女の手の平から口が開き、歯まで見えた。何か良く分からないが、ともかく倒しちまえッ!そんな中、その口に向かい周囲のオーラが吸い込まれていった。白い霧や辺りに微かに残る白い炎、それらが彼女の異様なる口に吸収されていくのだ。しかし、デギンズもやられっぱなしでは無い。

『冥府の姫よ。オーラを奪うのは貴様の専売特許ではありはしないのだ』

 そして、デギンズもイラナに向かい、手の平を向ける。刹那、イラナのオーラがデギンズへと奪い取られていった。

『クッ・・・・・・』

 珍しく焦燥を見せるイラナ。一方、イラナとデギンズの間では互いの能力が激しくぶつかり合い、オーラの共鳴が引き起こされ、とても近寄れない。手持ち無沙汰な俺。

 一方、同じく暇な背嚢は、気絶するゴリラさんを蹴り起こそうとしている。

 しかし、段々と傍観も出来なくなってきた。俺達を閉じ込める亜空間が鳴動し出し、何とも嫌な気配が漂ってくるのだ。

 待て待て、亜空間が下手に壊れると異世界へ転送されるという伝説がある。そんなのはゴメンだぞ。マズイ、止(と)めねば。

「おい、イラナッ!止(や)めろ。止(や)めるんだッ!」

 しかし、俺の言葉は共鳴中の彼女には届かない。ええい、こうなったらヤケだッ!

 俺はゾンビの体であるのを良い事に、吹き荒れるオーラの中を進む、進む。

 そして、とうとう彼女の間近へと辿り着いた。

『このッ、馬鹿悪魔(あくま)ッ娘(こ)!』

 と叫び、俺は守護魔法スフィアを発動する。刹那、イラナを俺の結界が包む。これにより、いかに薄膜であろうとイラナの体は一時的にも外と遮断された。

 だが、予想だにしない展開が起こる。次の瞬間、今まで拮抗して両者の中央に存在した凝縮されたオーラが爆発的に広がっていくのだった。

「オウフッ!」

 情けなく声をあげながら、俺はオーラをもろに受けて亜空間の地面的な所をゴロゴロと転がっていく。

 しかも、共鳴は止まったのに、亜空間の鳴動はさらなる激しさを増していく。やっちまったか、これは?その時だった。突如、気絶していたはずのメリルが立ち上がったのだ。

 しかし、その目は閉じられており、体はユラユラと水か炎の如くに揺らめいている。どう見ても、普通じゃ無い。

「メリルッ!」

 と言い、彼女に手を掛けようとしたら、不可視の何かに俺の体は弾き飛ばされていった。

 さらに、メリルの周囲から波動が巻き起こり、その波動は亜空間を砕いていった。

『これは・・・・・・』

 さしものデギンズも驚きを禁じ得ないようだった。だが、そんな事はどうでもいい。

クソッ、メリルを助けねば。俺の中の何かが告げている。今、傍観すれば、絶対に後悔が俺を襲うだろうと。

 吹き荒れる波動を突っ切りながら、俺はメリルへと進む。こんなにも近いのに、こんなにも遠い。メリルの体から所々、血が滲んでいる。やはり、今すぐに止(と)めねばならない。

『メリルッ!おいッ、起きろッ!』

 俺は必死に彼女に手を伸ばす。しかし、押し寄せるオーラで俺の指はひしゃげていく。

 何気に痛い。

 それでも俺は怯まなかった。

『チクショウッ!勘違いするなよッ!』

 そして、俺はメリルの胸に手を当てた。刹那、彼女の記憶領域へと俺の意識は飛ばされていく。

 

 赤い夜。押し寄せる白き異形。黙示録の訪れし惑星アークレイに前世の俺は居た。

「ああ、チクショウッ!何で俺はこんな所に来ちまったんだッ!」

 叫びつつも、俺は戦い続ける。死闘は続き、俺は限界を迎える。

 しかし、そんな中、彼女が現れたのだ。

「イシュア、来たのじゃッ!」

 何て事なんだろう、前世のメリルは俺を助けに来てしまったのだ。弱いっていうのに。

 ノイズが走り、記憶が乱れる。しかし、結末を俺は知っている。

 血まみれのメリルを、俺は泣きながら抱きしめるのだ。

「メリルッ・・・・・・。何で来たんだッ!何で・・・・・・」

「だって・・・・・・好き・・・・・・じゃから」

 そして、彼女は俺の腕の中で息絶えるのだった。俺の絶叫が響く。


 もう、もう、俺は彼女に優しくしない。彼女に愛されてはいけない。これから俺は修羅の道を行く。それに彼女を巻きこむわけにはいかない。

違う惑星に行こう。そうすれば、二度と彼女に出会う事も無いだろう。

 でも・・・・・・結局、俺と彼女は再び巡り合い、そしてまた、彼女は俺を慕う・・・・・・。どうして、どうして、いつもこうなってしまうんだ。


 俺の意識の前に、金髪の美少年が現れる。

『少しは思い出したようだね』

「お前は・・・・・・」

『僕はフェイキオス。世界の観察者であり、宇宙の具現者だ』

 聞かずとも、それを俺の魂は知っていた。フェイキオスは続けて言う。

『メリル、彼女の魂はこの惑星レーベルテに来た。黄金律の救いに満ちた惑星アークレイから、君を追って』

 とのフェイキオスの言葉が突き刺さる。

「・・・・・・俺は逃げ続けたんだ」

『知っているよ』

「彼女に死んで欲しく無いんだッ!」

『でも、孤独は死より恐ろしい』

「ッ、どうすればいいか、分からないッ」

 泣きそうになりながら、俺は言う。

『好きにするといい、イシュア。前世と現世は必ずしも連動しない。今の君が君なんだ。さぁ、何を想う?何を願う?』

「力が欲しい。本当の力を。弱くてもいい。誰かを守れる力を」

『なら今、君に返そう。遠い昔に君から預った時空演算器リコル・エレ・アークレイを』

 そして、フェイキオスはどこか見覚えのある小さな魔導器を俺に渡してくる。

「ありがとう」

『気にすることは無いよ。元々は君のものなのだから。・・・・・・イシュア、運命は遠大だ。それに対し、一つの魂はあまりに矮小である。でも、どうか諦めないで。小さな波紋も世界を変えうるのだから』

「ああ。やってやるよ」

 との俺の言葉に、フェイキオスは優しげに微笑みを見せるのだった。

『見ているよ、このアカシック・レコードとも呼ばれし領域より』

 そんな中、俺の意識は現実へと戻って行く。いや、違う。メリルの精神領域へとだ。

しかし、そこには居やがる、時の神ゾルワーンが。

 霊格が違いすぎるためか、ゾルワーンの姿をほとんど視る事は出来ない。しかし、その波動は十分に感じ取れる。なにより、奴の前には檻に囚われたメリルの姿があった。恐らく、メリルの両親による実験の失敗に対する代償なのだろう、これは。

「メリルを離しやがれッッッ!」

 叫び、俺は駆けて行く。しかし、ゾルワーンの長く細い腕が振られるや、全ての時が動きを止める。もちろん、俺の体も凍ったかのように止まる。

 だが、俺の手に握られる時空演算器からカチカチと時計の針の如き音が響き始める。

 そして、時は強制的に動き出す。とはいえ、完全に時の流れが戻ったわけでは無い。

 ゆっくりとゆっくりと、俺は進み続けるのだ。彼女のもとへ。

「手を伸ばせッ、メリルッッッ!」

 必死に俺は手を差し出す。その瞬間、虚ろな彼女の瞳に光が灯る。

「イシュアッッッ!」

 そして、彼女は俺の手を握り返す。俺と彼女の手が触れ合い、世界は光に包まれる。


 気づけば、俺とメリルの意識は元の亜空間へと戻っていた。

『何をした、イシュア・ハリスティル』

 魔導士デギンズが顔を引きつらせながら尋ねてくる。

「さぁな。見せようか、俺が俺達が最強たる所以(ゆえん)をッ!」

 俺の後ろには、ようやく目を覚ましたゴリラさん、背嚢、イラナが居る。

 何て適当で最高な仲間達なんだ。

「勝たせてもらうぞ、デギンズッ!不意打ちでもなッ!」

 そう宣告してやる。

『ならば、掛かってくるが良いッ!』

 などと奴は叫んでくる。

「嫌だね。まともに戦う気は無いッ!」

 そして、俺は時空演算器リコル・エレ・アークレイを発動する。

 次の瞬間、亜空間は歪み出し、強制的な転移が始まる。

『これは・・・・・・』

「お前の力を利用させてもらった。味わうといい、転移魔法を」

 次の瞬間、亜空間は完全に砕け、デギンズと俺達は空に放り出された。

 そこは主戦場にならんとする所だ。すなわち、レスネ河の上空。

『これは、これは素晴らしいぞッッッ!何としても貴様を手に入れて見せよう、イシュア・ハリスティルッッッ!』

 狂喜の笑みを浮かべながら、落下するデギンズは膨大な魔力を高めやがる。

 そんな中、十の刹那にも満たないだろう最後の戦いが始まるのだった。


 ・・・・・・・・・・

 一方、レオネスは必死にハスネの攻撃を捌(さば)き続けるも、徐々に防御が崩されていった。

 その時、上空に異様なオーラが生じた。これを受け、レオネスは一瞬、気を逸らしてしまった。この隙をハスネが見逃すわけも無く、熾烈なる一撃を繰り出してくる。

 次の瞬間、レオネスの刀は巻き取られ、上空へと飛ばされていった。

 とっさに短刀を引き抜き、ハスネの追撃を受けるレオネスであったが、刹那、苦悶の声が上方より響くのであった。


 ・・・・・・・・・・

『馬鹿・・・・・・な』

 何とデギンズの腹部に刀が突き刺さっている。下から飛んで来たのだ。ともかく、これは好機だ。絶対にこのチャンスを逃すわけにはいかない。見れば、唖然とするレオネスと口を半ば開き呆然とする少年の刀使いが下に居る気がするが、今はどうでもいい。

「ゴリラさんッ!」

「ウホッ!」

 そして、ゴリラさんは背嚢を足場にしてジャンプし、一気にデギンズへと加速する。

「ウホッホッッッッ!」

 今、ゴリラさんの拳が次々にデギンズへと叩き込まれていく。

『こしゃくな・・・・・・ウ、ウホッ、などと言うとでも思ったかッ!』

 叫び、デギンズは魔力をゴリラさんへと放つ。

「ウホーーーッッッ!」

 と悲痛な声をあげながら、ゴリラさんは上空に吹っ飛ばされていく。

 ゴリラさん、お前の犠牲は忘れないからな。

「だが、デギンズ、魔力制御が乱れているなッ!」

 と奴に声を掛けてやる。そして、俺は干渉の魔眼を発動する。それと共に、俺の右眼は蒼く輝きを放ち出す。

 これにより、デギンズの魔力制御はさらに崩れていく。今、奴の体は歪(いびつ)に膨れあがっており、体を保つ事さえ出来ないようだ。あと一歩だッ!

『こしゃくなッッッ!私は星渡りの魔導士ッ』

「だから何だッ!俺達だって、星を越えて来たんだ、遙か彼方の銀河から、この惑星レーベルテへとッ!」

 そして、俺は時空演算器を発動する。しかし、魔力が足りない。クソッ、こんな所で。

「イシュア。ワチシの魔力を使っとくれッ!」

 と言ってメリルはその小さな手を俺の手に重ねる。今、俺の手を通してメリルの魔力が時空演算器に流れていく。さぁ、その力を示せ、時空演算器リコル・エレ・アークレイ。

次の瞬間、転移魔法が発動し、俺はデギンズの目前に迫る。そして、気持ち悪いが奴の胸に手を当てる。

 第3の紫の魔眼が俺の額に生じ、記憶改竄が始まる。

『アハハッ!イシュア、奴の記憶、ボロボロにして構わないだろうッ?』

「当然ッ!」

『それでこそ、我が契約者ッ!』

 と叫び、イラナは召喚した鍵盤機を弾き始める。

『やめろッッッ!』

 今、デギンズの体は目まぐるしく流動している。記憶が失われていき、自身の姿すら忘れてしまっているのだろう。

『終わりだッ!』

 最後に鍵盤を叩き、イラナは改竄を完了させる。それと共に、デギンズの絶叫が響く。

 そんな奴を蹴りつけ、俺は距離を取る。しかし、デギンズはしぶとかった。

『イシュア・ハリスティルッ!せめて、貴様の魂だけでも奪わせて貰うぞッ!』

 そして、デギンズの腕が凄い勢いで伸びてくる。空中でこれを避けるのは、今の俺には不可能だ。その時、空から何かが降ってきた。それは背嚢だった。

 背嚢は神速の蹴りを四本の足で繰り出し、デギンズの伸びる腕を踏みつぶしていく。

『馬鹿な・・・・・・』

 最後の一撃を防がれ、デギンズは力なく落下して行く。一方、背嚢は妙に誇らしげにしている。しかし背嚢、やるな、お前。

 すると、デギンズが言葉を紡いできた。

『良かろう。イシュア・ハリスティル。今は引こうぞ。だが、決して、貴様の事を忘れは』

 刹那、再び何かがデギンズへと降ってきた。今度はゴリラさんだった。

 そして、ゴリラさんパンチがデギンズの頬にモロに炸裂する。

『ウホーーーーーーッッッ!』

 とデギンズは咆哮をあげ、虚空に散っていくのだった。一方、ゴリラさんはグッと親指を立ててきた。何か最後、全部持ってかれた気がする。ま、まぁ、いいけど。

 そして、俺達はレスネ河へと成すすべも無く落ちていくのだった。

 とはいえ、ゴリラさんと背嚢がメリルと俺を乗せてくれ、俺達はそのまま河を流されて、戦場を去って行く。後は任せたぞ、レオネス。


 ・・・・・・・・・・

 レスネ河には奇妙な沈黙が降りていた。誰もが唖然とするしか無かった。

 しかし、敵の武装勢力側はようやく事態の深刻さに気づいたようだった。

「お、おい。今のデギンズ閣下だよな?」

「あ、ああ。嘘だろ、デギンズ様がやられてしまった」

「しかも、最後、ウホッとか言ってなかったか?」

「シッ。触れてはならない事もある」

「ともかく・・・・・・」

「逃げよう」

 などと武装勢力は結論を出し、蜘蛛の子を散らしたように慌てふためきながら撤退していく。

 一方、偶然とはいえハスネは自身のしでかしてしまった事の重大さに気付き、河の上で力なく両膝を着くのだった。

 去りゆく武装勢力を見つめ、レオネスは涙をこぼさずには居られなかった。

「本当に来てくれたんだね、イシュア。でも、イシュア。やっぱり凄いよ、君は。まさか戦争をこんな形で終わらせてしまうなんて」

 そう声を震わせ呟くのであった。


 第11話


 こうして戦争は終結した。俺とメリル達は先に学院に戻ったわけだが、結局、おとがめは無しだった。結構、ビクビクしながら憲兵とかが来るのを待ってたんだけど、流石は俺、

運命からも愛されているようだな。というのは冗談で、どうも校長が掛け合ってくれたおかげでなんとかなったみたいだ。俺がまだ学生だったというのも大きかったようだ。


 一方、あの時、河に居た敵の剣士ハスネは、敵の大将であるデギンズを不慮の事故とはいえ傷つけてしまったので、処刑を怖れてカルギスに戻らずにアレルカンに捕虜として残ったらしい。

 そして、戦勝祝いの宴も終わり、あっさり過ぎるくらいに再び学院生活が始まる。

 とはいえ色々と準備があるらしく、授業に関してはまだ開かれていない。

 やれやれ、しかし本当に戦争を何とかしてしまうとは、俺も捨てたモノじゃない。

 まぁ何だっていいさ。今は青春を謳歌する事にしよう。だが・・・・・・。

「イシュアッッッ!」

 大声をあげながら、メリルが駆けてくる。俺は必死に避けようとするも、いつも通りに抱きつかれてしまう。

「ええい、離れろ。暑苦しい」

「うー。ワチシは暑くても平気なのじゃ」

「俺が困るんだ」

 すると、ゴリラさんと背嚢ちゃんがやってくる。ちなみに、あの背嚢はメリルいわく女の子らしいので、無駄毛を剃ってリボンを付けている。それで背嚢ちゃんというわけだ。

 また、ゴリラさんはどうも学院の用務員だったらしく、今もウホウホ言いながら学院をホウキで綺麗にしてくれている。ただ、それとは別にダンディーな用務員の男性も雇われ、

ゴリラさんは女子生徒にも人気な彼にメラメラと対抗心を燃やしているようだ。

 さらにレオネスとホリー先生がやって来た。ちなみに、レオネスの怪我も今や完治したみたいだ。

「あ、イシュア」

「よお、レオネス。それにホリー先生」

 と挨拶する。すると、ホリー先生がニヤリとした。

「相変わらず、寮長と仲が良いな、イシュア」

「い、いやいや。レオネスとホリー先生には敵いませんよ」

 そう言葉を返してやる。これを聞き、ホリー先生は顔を赤くした。

「ば、馬鹿ッ!お前は何を言ってるんだ」

「そ、そうだよ、イシュア。べ、別に僕と先生は」

 などとホリー先生とレオネスは口々に反論してくる。

「はいはい。じゃあ、お幸せに」

 そう言い残し、俺は駆け出す。ちなみに、メリルはくっついたままだ。いい加減、離してくれ・・・・・・。


 中庭で引っ付くメリルと木陰で涼んでいたら、サイオンと従者達がやって来た。

「イシュア」

「ああ、サイオン」

 結局、彼らも無事だったわけだ。多少は怪我をしたみたいだが、後遺症は全く無いようで本当に良かった。口にはあまり出さないが、彼らには感謝してもしきれない。

「しかし、イシュア。お前、ドッペル・ゲンガーを知っているか?」

「え?世界には自分と同じ顔をした奴が3人居るとか?」

「そうだ。噂なのだが、レスネ河にお前を見たという奴が居るらしい。しかも、敵の最高司令官なる魔導士を倒したとか。ハハッ、あり得ないな。お前は弱いんだからな」

 とのサイオンの言葉に、乾いた笑いを返すしか無かった。まぁ、確かに俺は弱いし、昔も本当は弱かった。最近、それがようやく分かってきた気がする。

すると、サイオンが神妙な顔をしてきた。

「ところで、イシュア。部下への報償には何をあげれば良いと思う?」

「え?部下って誰?」

「私の副長を務めてくれた第3学年の魔導士だ」

 これに対し、俺は少し考えこむ。

「ああ、あの人か。まぁ、女の人だしな。アクセサリーとか好むんじゃ無いか?いや、知らないけど」

「そうか、アクセサリーか。私には母は居ないが、私の乳母も宝石の指輪を大切にしてたしな。よし、ありがとう、イシュア。そうか、宝石の指輪かぁ」

「え?ああ・・・・・・」

 そして、サイオンは高笑いをあげて去って行くのだった。

「しかし、あいつ。本当に宝石付きの指輪でも贈る気じゃ無いだろうな。ま、まぁ、知らん。何か壮大な誤解が生まれそうな気もするけど」

 と、俺は呟くのだった。

「指輪・・・・・・」

 すると、メリルが俺の方をジッと見てきた。

「待て。そんな金は俺には無い。しかも、そういうのは特別な相手に贈るもので」

「うぅ・・・・・・指輪ぁ」

 涙目で言われると困る。とはいえ確かに、こいつにも世話になったしな。指輪くらいあげてもいいかも知れない。しかし、どうしたものか。

 すると、茂みから何かが顔を出してきた。それは校長だった。ちなみに角度からメリルには見えていない。

『こ、校長ッ!な、何をしているんですか』

 と念話で尋ねる。

『イシュア君。これを・・・・・・さぁ』

 そして、何と魔法で小さなダイヤ付きの指輪を出して、俺に渡して来た。マズイ、色々と畳みかけられている気がする。しかし、校長には色々と世話になったし、敵前逃亡の件でも迷惑を掛けたし、今後の学院でのあり方を考えるに、校長の心象を悪くするわけにはいかない。今は従ったふりをするのが得策だろう。

 ともかく、俺は黙って頷いた。対し、校長は親指を立てて茂みに戻って行った。

「仕方ない。ほら、メリル。これやるよ」

 そうぶっきらぼうにメリルに指輪を渡してやる。すると、メリルは一瞬キョトンとする。

 しかし、目を丸くし、俺と指輪を交互に見てくる。

「ど、どうだ?貰い物だけど。ゴヘッ」

 刹那、衝撃が俺に走った。メリルが凄い勢いで俺に抱きついてきたのだ。

「イシュアッ!ほ、本当に良いのか?メッチャ、幸せなのじゃ」

「おいッ。深い意味は無いからなッ!こら、やめろ、口にキスしようとするなッ!」

「ムチュー」

 そして、悲しいかな、俺のファースト・キスは奴に奪われてしまった。

 放心状態の俺にスリスリとメリルは甘えてくる。しかし、数時間もすると、メリルも疲れたのか眠ってしまった。俺はボンヤリとそのまま中庭で時を過ごしていた。

 すると、芝生の向こう側の廊下を学匠シェルネと魔導士ヘクサスが仲良く手を繋ぎながら歩いているのが見えた。

ちなみに俺が爺様に送った手紙の返事によると、俺と学匠シェルネとヘクサスは今の所学園に居た方が安全らしいとの事だ。どうも校長の結界も大したものらしいし、その上、もう少ししたら爺様が来て、さらに結界を重ね掛けしてくれるらしい。また、警備員の数も増やしてくれるそうだ。これなら安心、安心。

すると、彼女らはこちらに気づいたのかニコニコして軽く手を振り、しかし、すぐに通り過ぎて行ってしまった。

「遠くなってしまったな。まぁ、そんなものか」

 そう口にすると、女悪魔イラナが現れた。

『失い、そして手にするものもある』

「かもな・・・・・・」

『これからどうする、我が契約者?』

「知らないさ。俺は考え無しなんでな。ただ今を生きていくだけだ」

『なる程。まぁ、行き当たりばったりな生き方も悪く無い。見ているこちらとしては面白いしな』

 そして、フフッと笑みを残し、イラナは虚空へと去って行った。

「でも、後悔はしないな。今の人生も確かに悪く無い」

 すると、メリルが「イシュアぁ・・・・・・」と寝言を口にする。こいつには困ったものだ。

「しかし、こいつにも幸せになって欲しいものだ」

 そう呟き、俺は彼女の薄い桜色の髪をソッと撫でるのだった。

 刹那、一陣の風が吹き、メリルの髪をなびかせていく。

風は天へと昇っていくのだろう。

 思えば、あまりに多くがあった。

 まるで幻想が重なるように。

 でも予感はする。これからも苦難は訪れ続けるだろうと。

 正直、乗り越えていけるかどうか怪しいラインだ。

 まぁそれでも、やるしか無いだろう。俺も死にたく無いし。

 それに、俺が死ぬと悲しむ奴も居るしな。

「全く、戦いたくないな」

 苦笑混じりに、俺はそう呟くのだった。


 ・・・・・・・・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イシュア・サーガ ~元最強魔導士は戦いたくない~ キール・アーカーシャ @keel-a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る