第二幕 一場

|琴織姫の屋敷。

 夏の早朝。

 侍女のわかばとあおばが雨戸を開ける。

 庭に朝顔が咲き乱れている。



わかば 「まあ、今朝の朝顔の美しいこと」

あおば 「ほんに、一段と色鮮やかで」

わかば 「ちょっと涼しげな青い色」

あおば 「ちょっと悩ましげな赤い色」

わかば 「珍しく白い朝顔も」

あおば 「明日咲く蕾のかわいらしさ」

わかば 「朝顔を見ると、何かこう、元気がわいてくるような気がしませんか」

あおば 「毎朝見ているのに、毎朝新鮮で、雨戸を開けるたびにどきどきしま

    す」

わかば 「そう、朝顔って新妻のようですわ」

あおば 「新妻ですか」

わかば 「目覚めればそこにいるけど、日々新しい顔を見せてくれ、それでいて

    頼りなげで…」

あおば 「私たちにもそういう時がありました」

わかば 「そんなに遠い日のことではないのに、すっかり忘れてしまって、困っ

    たものです」

あおば 「だから、朝顔も新妻も儚い」

わかは 「そうですわね。でも最近の新妻はあまり儚くもなく、背の君よりも遅

    くまで眠っていたり、目覚めても寝床の中で見送ったりするそうです」

あおば 「それはまだ良いほうで半分眠ったまま一声かけて、すぐにまた眠って

    しまうとか」

わかば 「それでは殿方も愛想が尽きますでしょうに」

あおば 「それがそうでもないらしく、それまでに二人して結構朝寝するものだ

    から、急がねば人目につきますでしょ」

わかば 「それはそれは…。それでは余韻も何もあったものじゃない」

あおば 「あっけらかんと言うか、実にさばさばと出会いと別れが繰り返される

    そうです」

わかば 「時代といってしまえばそれまでですが、私たちとてまだ若いのに、ほ

    んのここ数年でずいぶん変わりましたわね」

あおば 「新妻の新しい顔も見せてくれず、ぐずぐずと後朝きぬぎぬの別れもそこそこ

    に。その後の歌も形式みたいなものになっているとか」

わかば 「残り香の漂う中で、背の君よりの歌を読むすばらしさを知らないなん

    て…」

あおば 「そうなのです。それより眠るほうがいいのですからね。でも若いとき

    でなければ出せない恋の色もありますのに」

わかば 「いえいえ、若いということはそれだけで何ものにも変えがたいもので

    すわ。でも、若いときはそれが特別なことではなく、気づかないうちに

    つい若さを浪費してしまうものです。私たちもそうだったと思いません

    か、だから若いときは案外に色を出せないものではないでしょうか」

あおば 「さすがわかばさん。おっしゃることが違います。そうでしたわね、若

    さとはすばやく駆け抜けてしまうものかもしれませんわ。色を出すまも

    なく」

わかば 「本当の色が出せるのは私たちの年頃だとは思いませんか」

あおば 「はい、今まさにその色を出そうとしていらっしゃるのが、こちらの姫

    様…。何色でしょうか」

わかば 「姫様のお色は朝顔色。いえ、夢色。それもくっきりと美しい色…」

あおば 「(次第に落ち着かなくなる)そう…。今日は待ちに待った日ですも

    の」

わかば 「今日の日のために姫様は朝顔に水をやり、機を織り、あふれる思いを

    筆に託し、それはもう…」

あおば 「蝉は長い間土の下で暮らし、やっと地上に出られてもほんの数日しか

    生きられませんし、薄羽蜉蝣に至ってはわずか一日の…。いえ、あ、申

    し訳ございません、間違えてしまいました」

わかば 「あおばさん…」


 侍女こずえ、よたよたと登場。


こずえ 「は、まぶしい。あ、よろよろ」

わかば 「まあ、ご覧あそばせ。しおれかけの夕顔の君のお出ましですよ」

こずえ 「遅くなりまして…。申し訳ございません…。お早うございます」

わかば 「おそようございます」

こずえ 「もぉ、そんな風におっしゃらなくてもよいではございませんか。これ

    でも小さくなっておりますのに」

わかば 「小さくなってそのくらいですか。夜になればまた大きくなられるので

    しょ」

こずえ 「何しろ昨日、里帰りより戻ってまいりましたもので、つい寝過ごしま

    して…」

わかば 「存じておりますわ。でも戻られたのはまだ明るい刻限でした。挨拶も

    そこそこに疲れたとおっしゃってすぐ横になられて、目が覚めると台所

    で瓜をお食べになり、また横になり、一眠りしてから夜食を召し上がら

    れて、その後本格的にお休みになり、今頃お目覚めになられたというこ

    とはようく存じております」

こずえ 「もぉ、もももももぉ」

わかば 「はて、どこからか牛が迷い込んだようで、あおばさん、お気をつけあ

    そばせ」

あおば 「(気を取り直して)夏の夜の暑さにやられてしまった牛のようで、何

    をしでかすやらたまったものではございませんわね。わかばさん」

こずえ 「よよ、よよよのよ。あまりの衝撃に思わず倒れる一人の美女。よよ」

    

 こずえは座り込む。


あおば 「牛が何やらほざいておりますわ」

わかば 「随分痩せた牛で、でもこういうのが案外皮下脂肪が多いのですよ」

あおば 「そう、あの内臓肥満というのですね」

わかば 「あれはいやですね」

あおば 「どこの誰とは申しませんけど。痩せの何とかで、夜更かしの好きな人

    が危ないそうで」

わかば 「それに暇さえあれば食べて寝るばかり。そんな人に美女なんて一人も

    おりませんわよねえ」

あおば 「そうですとも、いくら睡眠不足が肌に悪いからといって、寝ればいい

    というものではありませんわ」

こずえ 「まあ、それはあまりのおっしゃり様(すっと立ち上がる)そういうこ

    とは日頃から気をつけております。それにしても、わかばさん、あおば

    さんも私たちは朝が早すぎると思いませんか。それというのもこちらの

    姫様が類まれなくらいに早起きでいらっしゃるからです。今ではお隣の

    真由姫様までご一緒に早起きされるのであちらの方たちも、ついに真由

    姫様の体内時計が狂われたとのではと嘆いておられます。大体、今時の

    姫様方はいずこも朝は遅いものと決まっております。だから、そこにお

    仕えする私たちも必然的に朝が弱いのです。姫様ももう少し世間の常識

    に合わせてくださればよろしいのに、今の私ときたら実家におりました

    ときより早起きで、このたび里帰りしましたときには、両親をはじめ家

    中のものが驚いておりました。それもこれも姫様が早起きされる故と申

    せば。はっ、なぜに姫様はそのように早起きされるのかえ。実はこれこ

    れ、かくかく、しかじか、あ、それそれ。姫様は朝顔がお好きでいらっ

    しゃる、それも花の咲くところをご覧になりたいゆえ早起きなのでござ

    いますと申せば、実家の父も母も、花と言うものはいつの間にか咲いて

    いるものではないのか、じっと見つめていてもなかなか咲いてくれぬで

    はないかと言います。私もその通りだと思いますが、姫様は朝顔は目の

    前で咲いてくれるとおっしゃられるのですと申せば、それこそ驚き、羽

    ばたき、あ、飛んでった。さらにもさらに、朝顔は咲くときになにやら

    音がするという話には、まるで狐につままれたように、きっと姫様はど

    こからか違う世界からお見えになられた方ではないのか。はたまた…は

    たまた…。は、疲れた。そのようなわけで…。疲れました。よよよよ

    よ…」

わかば 「なにがよよよですか」

あおば 「なにが疲れたですか」

わかば 「この朝のすがすがしさ」

あおば 「咲いたばかりの朝顔のけなげさ」

こずえ 「そうはおっしゃられても、私が低血圧で朝がだめなことは、わかばさ

    んもあおばさんもご存知じゃないですか」

わかば 「どこが低血圧で、朝がだめなものですか。朝からそれだけお口が回れ

    ば立派なものです。朝が早い代わりに、お昼寝の時間もあるじゃないで

    すか」

あおば 「それに朝が弱いといいながら、朝食に遅れたことはございませんも

    のね」

こずえ 「それは朝早く起きて働くからでございますよ。人間動けばおなかがす

    くものです」

わかば 「あら、寝ててもおなかが空くんじゃないですか。私などはこの暑さで

    すっかり食欲はないのに、お昼寝の後のこずえさんの食欲には感心いた

    しますわ」

こずえ 「ですから、無理してでもしっかりご飯をいただかないと体がもちませ

    んもの。何しろ早起きをいたしますと、一日が長くて、長くて…」

あおば 「起きて間がないけど、もうおなかがすいたのじゃございませんか、こ

    ずえさん」

こずえ 「実はそうなので、私こう見えても虚弱体質でして、よよ」

わかば 「こずえさんが虚弱体質なら、世の中病人だらけですわ」

こずえ 「まあ、それではまるで私がうそつきのようじゃないですか。それはあ

    んまりと言うもの。これ、このとおり、すぐに立ちくらみが…」


 琴織姫、朝顔の鉢を持って登場。

  

琴織姫 「朝早くから、にぎやかねえ」

 

 侍女たち、口々に「姫様」「お早うございます」と言う。

 こずえは琴織姫にかけより朝顔の鉢を受け取る。


こずえ 「まあ、見事な朝顔でございますこと。やはり早起きはするものでござ

    いますわねえ。この様に大輪の朝顔が見られますのは、ひとえに姫様の

    お陰と常日頃より感謝いたしております」

わかば 「調子のいい」

あおば 「ことを言い」

こずえ 「何のことでございますか。それよりもご覧なさいませ。この朝顔。な

    んとすばらしい。本日の朝顔合わせは琴織姫様の勝ちで決まりですわ。

琴織姫 「それはどうかしら。隣の真由様も丹精されているようだし、でも、今

    朝はちょっと自信があります」

こずえ 「さようでございますとも、姫様と真由姫様では朝顔に対する思い入

    れ、年期が違います。この色の深みといい、形の良さといい、昨日今日

    の真由姫様とでは比べ物になるものではありません。すべて、姫様の長

    年のご努力の賜物にございます」

琴織姫 「つまり、私が年をとってると言いたいの」

こずえ 「とんでもございません。琴織姫様のほうが真由姫様より十ほどお若く

    見えます」

琴織姫 「真由様より十も若ければほんの子供ではないの」

あおば 「こずえさん」

わかば 「また、墓穴を掘りましたわね」

こずえ 「いえ、あの。あ、持病の貧血が、ドタッ」


 こずえ、大げさに前に倒れる。


わかば 「都合が悪くなるとすぐにこれですからね」 

あおば 「よくもまあ、次々と病気が思い浮かびますこと」

わかば 「こずえさん、いつまでそのようにしているつもりですか」

あおば 「お隣のみどりさんがお見えになったら、なんと言われますことやら」

こずえ 「(ガバと起き上がる)ああ、またあの暑苦しい顔を見なければいけな

    いのね。思い出しただけで暑くなってまいりました。あの顔はどう見

    たって夏向きじゃございませんわ。それにひきかえ」

わかば 「それにひきかえ、こずえさんは涼しいお顔立ちですこと」

こずえ 「まあ、わかばさん、たまにはいいことおっしゃってくださいますのね

    え」

わかば 「たまだけ余計です。でも、あなたのお顔は涼しすぎます」

こずえ 「この暑いときに涼しすぎるってことはないでしょうに」

あおば 「いいえ、何を言っても言われても、どこ吹く風のシャボン玉」

こずえ 「ああ、そんなことを言ったのはきっとみどりさんでしょ。もう、すぐ

    に私のさわやかさを妬むのだから。本当にいや、あんな人」

琴織姫 「おや、お隣とは仲良しじゃなかったの」

こずえ 「それが仲のいいような、よくないような。複雑でして」

わかば 「ちっとも複雑じゃございませんわ。仲良くけんかしておりますもの」

あおば 「先日、真由姫様とみどりさんがお泊りになられましたとき、こずえさ

    んとみどりさんは夜遅くまで話を。それも大きな声で」

こずえ 「そんな、そんなことは…。確かにあの日みどりさんとちょっと内緒話

    はしました。それも小さな声で」

あおば 「あの夜のあなた方は、花火の話から、すぐに殿方の話題になり、御所

    の公達の噂話から、お向かいの姫君の背の君の事まで、それはそれは何

    でもよくご存知で」

わかば 「でも、夕食の後だというのに食べ物の話だけはつきないようで」

こずえ 「どうしてそんなことまで。不思議ですわ。私たちは小さな声で話して

    おりましたのに、わかばさんもあおばさんも、耳がいいというか、きっ

    と聞き耳がお上手なんですわ」

あおば 「あら、人聞きの悪い。それにちっとも不思議ではありません。あなた

    方の話は聞く耳を持たなくても聞こえますの」

わかば 「そう。あなた方の内緒話は内緒話ではないのです。確かに、最初は小

    さな声でひそひそとやってますが、それがだんだん声が大きくなってる

    ことに二人ともちっとも気がついてないのですから」

あおば 「あの日は姫様方とご一緒に朝顔の咲く瞬間を拝見いたすことになって

    おりました」

わかば 「生まれてはじめて、朝顔の咲く瞬間をこの目で見ました。それはも

    う、超感動ものでございましたわ」

あおば 「毎朝あんな早起きはできませんけど、ぜひもう一度見てみたいもので

    す」

琴織姫 「そうね、外はまだ暗いのに、なんとなく光の気配が感じられて、あの

    筆の先のようなつぼみが少し膨らみ、そして身をよじるように開き始

    め、少し思いとどまってから、ふっと花の先端が開くのです。それから

    あの、たたみ込まれている一枚の花びらが、まるで八重花のように開い

    ていき、最後に花全体が開くのです」 

わかば 「それが次々にあちこちで咲き始めるものですから、もううれしくてう

    れしくて」

あおば 「でも、こずえさんとみどりさんはその時刻には、よくお休みでした」

わかば 「私とあおばさんはうるさいので少し離れた部屋で、早めに休みました

    けど、あなた方は夜更かしの延長をするのだといってずいぶん張り切っ

    ていらっしゃいましたわね」

こずえ 「はあ、それはそうでしたけど、それならば起こしてくださればいい

    じゃありませんか」

あおば 「起こしましたよ、何度も。でもだめでした」

こずえ 「それが深夜になりますと、さすがに眠くなりました。それでももう少

    しだからとがんばっておりましたのに、みどりさんが今のうちに一眠り

    しようて言いだしまして、少しくらいなら寝過ごしても誰かが起こして

    くれるからって」

わかば 「おや、あの朝みどりさんも同じことを言ってましたよ。あなたたちは

    顔は似てないけど、都合の悪いことは相手のせいにするところはよく似

    ておりますこと」

こずえ 「失礼な。みどりさんなんかと一緒にしないでくださいませ。。あの人

    は育ちの割にはがさつで、おしゃべりで、丈夫なだけがとりえの人でし

    て。それに比べれば私なぞ霞のようなもの」

あおば 「まあ、あつかましい」

琴織姫 「霞というより霧ね。こずえにかかる霧は、きりはきりでもきりがな

    いのきり。でも、今朝の霧はこのあたりで晴らしましょう。実はね、

    朝の弱いこずえのために夜咲くようにしている朝顔があるの」

こずえ 「えっ、朝顔って夜も咲くのですか。夕顔のことではないのですか」

琴織姫 「朝顔は光を感じ取りながら成長していき、光によって咲くのですか

    ら、昼と夜を逆にしてやれば夜咲かせることもできます。夕顔は分類上

    はひょうたん科の一年草で、朝顔は昼顔科だから、花の形は似てても種

    類は違います」

こずえ 「まあ、朝顔と夕顔って親戚ではないのですね、初めて知りました。姫

    様は何でもよくご存知で」

あおば 「知らないのはあなただけです。私たちは日頃より姫様のお話をよく

    伺っております。あなたがお好きなのは食べ物と人のうわさ話」


 わかばがあわててあおばの袖を引く。

 琴織姫、それに気づかぬ振りをして。


琴織姫 「今日の夕刻ごろに咲いてくれる朝顔が私の部屋に一鉢あります」

こずえ 「まあ、それはそれは…。でも…。うふふふ」 

わかば 「何ですか、その妙な笑いは」

こずえ 「姫様もお人が悪い、その夜咲く朝顔は私のためではなく…、ご一緒に

    ご覧になりたい方のためではございませんか」     

琴織姫 「何のことかしら」

こずえ 「またまた、おとぼけになって」

あおば 「こずえさん」

こずえ 「だってぇ」

わかば 「よろしいではございませんか、どなたのためでも咲く花に変わりはご

    ざいませんわ」

琴織姫 「いいことを言ってくれること」

わかば 「はい、さらにもうひとつ、みどりさんもお喜びでしょ」

こずえ 「あら、またあの人も一緒ですか」

わかば 「当然じゃないですか、せっかくの姫様のお心づくしですのに、一人で

    も多くの方にお声をかけなくては」

こずえ 「わかばさんもたまには、いえ、先ほどと合わせてたまたまにはいいこ

    とをおっしゃるのね」

わかば 「たまたまとは何ですか。たまとか、またたびとか、私は猫ではござい

    ません」

こずえ 「猫のほうがずっとかわいい。いえいえ、こちらのことで」


 他の侍女登場


侍女 「申し上げます。お隣の真由姫様お見えにございます」


 真由姫登場。


真由姫 「おはようございます、琴織様」

琴織姫 「真由様、おはようございます」


 真由姫、侍女たちとも挨拶を交わす。

 こずえ、みどりがいないのが気にかかる。


真由姫 「琴織様、今朝は久しぶりに朝顔が咲く瞬間を見ることができました」

琴織姫 「まあ、私もです」

真由姫 「琴織様は夕べからずっと起きていらっしゃったのでないのですか。眠

    れなかったのでは」

琴織姫 「存じません」

真由姫 「今日は特別の日ですもの、いたしかたございません」

琴織姫 「存じません、いやな真由様」

真由姫 「ほら、また、琴織様の存じませんがはじまった。でも、もう何も申し

    ません。これ以上言いますと、琴織様に嫌われてしまいそうで」

琴織姫 「賢明なお心で」

真由姫 「いいえ、ちょっとお羨ましいだけ。私にはまだ文をくださる方もいま

    せんもの」

琴織姫 「真由様はまだお若いもの」

真由姫 「でもお向かいの姫君とは同い年です、なのにあちらにはいろいろとお

    噂がございます」  

琴織姫 「それは真由様がおかわいらしいので、まだ子供のように思われている

    のですわ」

真由姫 「そうでしょうか。あら、ごめんなさい。朝からつまらぬことを申しま

    したわ。でも、今日も暑くなりそうですわね。私はどちらかといえば夏

    が弱いのですけど、琴織様から夏の良さを教えていただいたおかげで、

    ずいぶんとすごしやすくなりました」

琴織姫 「私は夏が好きなのですけど、この頃ではさすがに暑さがこたえるよう

    になりました、ああ、真由様。こずえの里帰りの土産の桃がよく冷えて

    おりますので、おめざにいかが」

真由姫 「まあ、うれしい、喜んでいただきます。(こずえに)ありがとう」

こずえ 「あの瓜もございますので、後ほどお屋敷にお届けいたします。何しろ

    帰ってまいりましたのが、夕刻のこととて、土産の重さに疲れ果て」

わかば 「また、その話ですか。別にあなたが桃や瓜を担いできたわけではな

    く、ご実家の下働きの者の引く荷車にあなたも便乗して帰ってきたじゃ

    ないですか」

あおば 「ほんに何事も大仰な」

こずえ 「(素知らぬ態で)あの、真由姫様、今朝は、朝顔は」

真由姫 「わかっております。みどりがいないのが気になるのでしょ」

こずえ 「いえ、そんなことはないことではない」

真由姫 「みどり、これへ」


 みどり、朝顔の鉢を持って登場。


みどり 「皆様、おはようございます」

真由姫 「さあ、琴織様、まずは今朝の朝顔合わせから」

琴織姫 「おや、ずいぶんと余裕がおありで」

真由姫 「はい」

琴織姫 「では、いざ」

真由姫 「いざ」


 互いに朝顔の鉢を差し出す。一同の視線が鉢に注がれる。

 ややあって、琴織姫と真由姫、互いに微笑む。


真由姫 「琴織様、見事でございますわ」

琴織姫 「真由さまこそ、すばらしい」

真由姫 「琴織様のおかげでございます」

琴織姫 「いえいえ、朝顔は種をまいて水をやれば、陽の光を浴びて勝手に伸び

    てくれます。鉢植えで大輪の花を咲かせようと思えばそれなりの手入れ

    がいるけど、それとて大変なものではなく、誰にでも咲かせられるやさ

    しい花です」

真由姫 「でも最初は薬として伝わったのですね」

琴織姫 「はい、聖徳太子の時代に遣唐使が種を持ち帰りました。種は利尿剤と

    して使われたのですが、今ではすっかり夏の観賞用として親しまれてい

    ます」

真由姫 「でも、琴織様。秋の菊には赤白黄色青までありますのに、朝顔に黄色

    はございませんわね、どうして黄色朝顔はないのでしょうか」

琴織姫 「私もいろいろ交配を重ねてみるのですか…」

真由姫 「黄色朝顔が陽の光を浴びますときれいでしょうね」

琴織姫 「それはさぞ美しいことでしょう」

真由姫 「咲かせてみたいものですわ」

琴織姫 「それにしても真由様もずいぶんと研究熱心になられましたこと」

真由姫 「すべて琴織様のお仕込みでございます」

琴織姫 「それはさぞお困りのことでしょう」

真由姫 「いえ、私より側の者の方が」

琴織姫 「それは私のほうとて同じこと。もう少し世間の常識に合わせてほしい

    とか」

真由姫 「体内時計が狂ってしまったとか」

琴織姫 「まあ、どうしましょ」

真由姫 「では狂いついでにもうひとつ。琴織様、つまらぬことをお聞きいたし

    ますけど、確かに朝顔は私のようなものぐさにも咲かせられる花でござ

    いますが、さらにものぐさをいたしまして、伸び放題に伸ばしますと、

    あの蔓はどこまで伸びるのでございましょうや」

琴織姫 「面白いことをお考えで…。そうですね、どこまで伸びますことやら。

    では来年は真由様のお庭から、うちの庭まで朝顔の蔓を引き入れ、どこ

    まで伸びるかやってみましょうか」

真由姫 「何往復いたしますか、楽しみでございますわ。来年はぜひやってみま

    しょう」

琴織姫 「でも、あまり蔓を伸ばしますと、蔓に養分を取られて花は期待できま

    せんよ」

真由姫 「そうですわね。大輪の花を咲かせるには早くに芽を摘むのですけど、

    小さな朝顔というのもそれはそれでかわいらしいのではないでしょう

    か」

わかぱ 「そういたしますと、朝顔のひさしといいますか、屋根ができて見た目

    にも涼しくなりますわ。(周囲を見回しながら)朝顔ぶきの屋根って

    あったらすてきですわねえ。(あおばに)それこそ風流じゃないです

    か」

あおば 「(一瞬はっとなって)ええ、風流です、ですわ」

こずえ 「(つられるように)朝顔はそれだけではございませんでしょ」

みどり 「(つられて)そうですわ」

こずえ 「朝顔は…」

みどり 「朝顔は…」

こずえ 「ねえ、ちょっと何かない」

みどり 「何かって急にふられても」

こずえ 「何とか言いなさいよ、友達甲斐のない人ね」

みどり 「何よ、自分から言い出して」

こずえ 「何さ、すぐに何でものるくせに」

みどり 「そんなこと言ったって」


 琴織姫、真由姫がみどりに何か言いかけようとするのを止めるように。


琴織姫 「真由様、こうしてみていると朝顔ってまるで楽譜のようではないです

    か、花と葉がまるで音符のように蔓の線上で最初の音を待っている。

    そっとふれれば…」

真由姫 「やがて音色が」

琴織姫 「音色。そういう音があり、それが音色」

真由姫 「音色。そういう色があり、それが音色」

琴織姫 「音があり、色と出会って音色」

真由姫 「音色、なんてすばらしい言葉」

琴織姫 「音色、なんてすばらしい響き」

真由姫 「さあ、朝の光を浴びて、いま音色が」

琴織姫 「さわやかに、華やかに」

真由姫 「のびやかに、あでやかに」

琴織姫 「朝はすべての始まり」

真由姫 「花は愛の始まり」


 こずえとみどり、うっとりとして踊りだす。


こずえ 「ああ、花には蝶」

みどり 「蝶が奏でる音色」

こずえ 「だんだんと胸は高鳴り」

みどり 「だんだんと空へ、空へ」

こずえ 「いまの音色はどんな音色」

みどり 「それはあなたの心の音色」

こずえ 「心の音色」

みどり 「ああ、私たちはなんて芸術的なんでしょう」

こずえ 「このあふれでる知性」

みどり 「隠しきれないこの教養」

こずえ 「いくつもの宝物を手にして」

みどり 「ああ、罪なのね」

こずえ 「そう、罪なのよ。うそは」

みどり 「ああ、どうか、お許しください」

こずえ 「許さぬものではないが、許すにしては」

みどり 「許すにしては」

こずえ 「許すにしては、この美貌が邪魔をする」

みどり 「いえいえ、その口が邪魔なのよ」

こずえ 「そう、その口が。何を言わせるの、やり直し」

みどり 「どこから」

こずえ 「この美貌が邪魔をするから」

みどり 「いやよ、あなたはいつも自分ばかりいい方にいくのだから」

こずえ 「当然でしょ」

みどり 「どこが当然なものですか」

こずえ 「だって事実ですもの」

みどり 「それを言うなら事実無根」

わかば 「もう、せっかく姫様方がすばらしいお言葉の掛け合いをなさってらっ

    しゃるのに、いつも二人して台無しにするのだから」

こずえ 「そう、いつもこの人がぶち壊すのだから」

みどり 「その言葉、全部あなたにお返しするわ」

こずえ 「あら、そんなこと言っていいの。それなら桃も瓜も真由姫様の分しか

    あげないもの」

みどり 「結構です。真由姫様はいつでも何でも分けてくださる方です。どなた

    かと違って独り占めなどなさいませんっ」

こずえ 「何ですって、それではまるでうちの姫様がなんでも独り占めするみた

    いじゃないの」

みどり 「琴織姫様のことではありません」

こずえ 「だって、そう聞こえるもの」

みどり 「それは言葉の弾みで。大体あなたが変なこと言い出すからおかしなこ

    とになったのでしょ」

こずえ 「私のいったいどこが変かしら」

みどり 「だってそうでしょ。この前の私の里帰りのときの土産のかき餅やあら

    れを食べながら、この次の私の里帰りのときには果物をたくさん持って

    くるわね、実家の畑にはおいしい桃や瓜がたくさんなっているから、ま

    た一緒に食べましょうねって言いながら、あなた、かき餅にあられ一体

    いくつ食べたと思ってるの」

こずえ 「まあ、いやな人。あなたってわたしが食べたあられの数まで数えてた

    の。あきれた人」

みどり 「そんなの数えたりするわけないでしょ」

こずえ 「いくつ食べたか、なんて」

みどり 「どうしてあなたって、いちいち人の言葉のあげ足を取るのかしら」

こずえ 「どうしてあなたって、いちいち細かいのかしら」

みどり 「どっちが細かいのかしら。真由姫様の分しかあげないというほうが余

    程細かいのではないから」

こずえ 「それは例えの話し、言葉あやすらわからない人ね。ええ、そうです

    わ。あなたがめだかなら、どうせ私は池の鯉よ。ええ、あなたが案山子

    なら、どうせ私は菊人形です。どうせ私はそれだけの女です」

みどり 「もぉ、いつも自分ばかりいい方じゃないですか」

こずえ 「だって、私はあなたのように強くはございませんもの。賞味期限の切

    れたものをいくらでも食べられるなんて、おうらやましい」

みどり 「もう、聞き飽きましたわ。あなたのその病人もどきのお話」

こずえ 「失礼な、病人もどきだなんて」

わかば 「まあまあ、もうおよしなさいませ」

琴織姫 「二人ともマジでけんかしてますこと」

真由姫 「食べ物の恨みはこわいですわ」

琴織姫 「これで殿方の好みが同じなら、きっと血の雨がふることでしょう」

真由姫 「すっかり立場を忘れております」

わかば 「二人ともいい加減にしないと、せっかくの朝顔合わせが台無しではな

    いですか」

こずえ 「そうそう、で、今朝の朝顔合わせは、当然琴織姫様の勝ちで」

みどり 「あら、今朝は真由姫様の朝顔の方がすてきですわ」

こずえ 「いいえ、琴織姫様の勝ちです」

みどり 「いいえ、真由姫様の勝ちです」

琴織姫 「まあまあ、二人とも主人思いですこと。ねえ、真由様」

真由姫 「そうですけど、何よりも久しぶりのけんかを楽しんでいるようではな

    いですか」

琴織姫 「花より団子ならぬ、花よりけんかですか」

こずえ 「まあ、けんかではございません」

みどり 「そうでございますとも。今朝の朝顔あわせの甲乙をつけようとしてい

    るわけでして」

わかば 「姫様方はそんなに勝ち負けにこだわっているわけではなく、少しでも

    いい花を咲かせようとなさってらっしゃるだけです」

こずえ 「でも何事も競ってこそ、価値があるというもの」

みどり 「まあ、あなたもたまにはいいことをおっしゃるのね」

こずえ 「たまだけ余計。それはわかばさんの口癖です」

わかば 「口癖とは何ですか。口癖とは」

あおば 「まあまあ、およしなさいませ」

 

 一同、驚く。


みどり 「あ、あの、それより、今朝の朝顔合わせの結果は」

こずえ 「そ、そうですわね」

わかば 「はあ、どうなので…」

琴織姫 「今朝は引き分けでございますわね。真由様」

真由姫 「はい、それにいたしましても随分とにぎやかな朝顔合わせになりまし

    たこと」

琴織姫 「こずえが里帰りしておりました間は、何か物足りないくらいでした

    が、帰ってまいりますと、この有様で。では、真由様、あちらでお目ざ

    でも」

真由姫 「はい」


 侍女登場。   


侍女 「申し上げます。永久様お越しにございます。久遠様もご一緒に」


 一同動揺するが、琴織姫はさっと御簾の中に隠れる。

 それを真由姫だけは気づかない。

 

真由姫 「まあ、どういたしましょう。すっかり長居いたしまして…」


 永久、久遠登場。

 

こずえ 「まあ、永久様、お帰りなされませ」

わかば 「お帰りなされませ、お待ち申しておりました」

あおば 「(元気なく)お帰りなされませ」

こずえ 「まあ、そのお召し物、ようお似合いで」

わかば 「それは姫様がお手ずから、織られたものですわ」

こずえ 「お仕立ては私もお手伝いいたしました」

わかば 「それより…」


 真由姫、もじもじしている。

 

こずえ 「あのこちら、お隣の真由姫様にございます」

真由姫 「あの、はじめまして、真由にございます」

永久  「永久にございます。お越しなされませ。真由姫のお噂は姫よりよう伺

    ごうております」

真由姫 「お会いできて光栄です」

永久  「お噂にたがわず愛らしいお方で、これからも姫と仲ようにお願いいた

    します」

真由姫 「こちらこそ、琴織様にはお世話になってばかりで…」

みどり 「私は真由姫さま付きのみどりと申すものにございます。琴織姫様は真

    由姫さまのみならず、私にまでお心遣いくださるお優しい方でございま

    す」

永久  「申しおくれました。この者は久遠と申すもの、お見知りおきを」

久遠  「(緊張して)お初にお目にかかります、久遠にございます」

真由姫 「……。(混乱している)」

永久  「真由姫、久遠はこの地ははじめてゆえ、どこぞへ案内してやってはく

    ださらぬか」

真由姫 「は、はい」

永久  「真由姫、見えませぬか、聞こえませぬか」

真由姫 「いえ、そのようなことは…。つい長居をしてしまいまして申し訳なく

    思っております。すぐにお暇いたします」


 永久、側の朝顔に目がいく。


永久  「その朝顔は」

真由姫 「あ、私のでございます。こちらが琴織様ので」 

 

 みどり、永久の前に琴織姫の鉢を、久遠の前に真由姫の鉢を置く。

 

永久  「どちらも見事な朝顔で」

久遠  「本当に…」


真由姫 「(饒舌になっていく)ありがとうございます。すべて琴織様に教えて

    いただいたもので、今朝も琴織様と朝顔合わせをいたしました。私の朝

    顔より琴織様のほうがそれはすばらしく、それに朝顔の由来などそれは

    お詳しく、いつも教えていただいております。朝顔は遣唐使の時代

    に…。今はすっかり観賞用に…。それに朝顔と夕顔は…」

みどり 「真由姫様、そのお話は永久さまではなく、あちらで、久遠様に」

真由姫 「は、はい、すべて琴織様からの受け売りでして。あの、あら、琴織様

    がいない」

こずえ 「まあ、姫様」

わかば 「いずこへ」


 「琴織様」「姫様」と探しながら、侍女たちは上手へ。

 真由姫は下手へ。追うように久遠も退場。

 永久、周囲をさっと見回し、すぐに御簾の中に入っていく。

 侍女たち登場。


わかば 「びっくりしましたわね」

みどり 「到着が早すぎますわ」

こずえ 「それよりあの久遠さまなる方までお見えになるとは」

わかば 「だれか、聞いてましたか」

こずえ 「いいえ、おそらく誰も」

みどり 「なにも」

あおば 「……」

みどり 「あ、真由姫が」

こずえ 「久遠様も」

わかば 「大丈夫でしょ」

みどり 「永久様は」

わかば 「それこそ心配には及びませんよ」

みどり 「そうでしたわね」

こずえ 「そうですよ。もう、私たちに何か起こる気遣いはないのですから」

みどり 「でも、こうしていると、つい、そのことを忘れてしまって」

わかば 「現実に引き戻されるまで、このままでいましょうね、あおばさん」

あおば 「永久様…。久遠様…。私には何も、何も…」 

こずえ 「あおばさん、疲れたのでしょ」

みどり 「さあ、あちらで休みましょう」


 あおばを支えるようにして退場。

 朝顔の鉢ふたつ。


琴織姫 「いや、いやでございます」


 琴織姫、御簾から出てくる。

 続いて永久も出てくる。


琴織姫 「(髪をなでつけながら)せっかくよく眠っておりましたのに」

永久  「いつから姫はそのように着飾ったままで眠るようになられたのかな」

琴織姫 「それは…。それはあまりにお出でが遅いので、つい眠ってしまいまし

    た」

永久  「はて、船は予定より早く着いたはずだが、船頭が優秀で快適な旅で

    あったが」

琴織姫 「存じません…。それより、近頃は私のことなぞすっかりお見限りで」

永久  「それは致し方のないこと、そのことは姫も承知のはず」

琴織姫 「存じ…。わかっております、殿方はいつも仕事仕事とおっしゃいます

    けど、私とて遊んでいるわけではございません」

永久  「姫、久方ぶりに会えたというに…。誰も姫が遊んでばかりいるとは

    思ってなどおらぬ。この屋敷で一番最初に私を出迎えてくれたのは庭

    の朝顔じゃ。船から降りてここに向かう道すがらにも、朝顔は目にした

    が、ひいき目ではなく、この家の朝顔が一番であった。そしてここにも

    大輪の朝顔がある。なんと見事に咲かせたものよ」

琴織姫 「そちらは真由様の朝顔です」

永久  「はて。いや先ほど、真由姫はこちらが姫のだと申されたが」 

琴織姫 「……」

永久  「どちらの朝顔も美しい」

琴織姫 「……」

永久  「それは姫の美しさに比らぶれば何ほどのことはない。花は眺めて楽し

    むもの。生きている姫のたおやかさ、いとしさに勝るものではない」

琴織姫 「朝顔のことではございません。真由様のことです」

永久  「真由姫がどうかされたのか」

琴織姫 「真由様は私よりも若く、おかわいらしゅうございますわ」

永久  「ここでは皆たいした違いはないではないか」

琴織姫 「それにしては真由様にはお優しいことで」

永久  「それは姫の妹のような方だから、ちょっとお話をしただけではない

    か」

琴織姫 「あら、ずいぶんとご熱心でしたこと」

永久  「姫、真由姫とは今日はじめてあったばかりだ。それに姫がさっさと隠

    れてしまうものだから、動揺されてかわいそうであった」

琴織姫 「隠れたのではございません」

永久  「姫にはそのつもりはなくとも、真由姫には突然のこと、その場を白け

    させまいと一生懸命であった…。それを詰まらぬ」

琴織姫 「詰まらぬ?」

永久  「いや。姫にとって妹ならば、私にとっても妹ではないか」

琴織姫 「では、久遠様のことは」

永久  「真由姫と同じで弟のような方だ。したが姫、眠っていたのではないの

    かな」

琴織姫 「え、いえ、存じません、そのようなこと誰が申しましたの」

永久  「今しがた姫が」

琴織姫 「違います、眠ってなどおりません…。いえ、少しは眠ったり。もう、

    そのようなことどうでもよいではないですか」

永久  「姫、何があったか知らぬが…」

琴織姫 「何もご存じないのですね」

永久  「知らぬ」

琴織姫 「どうして知ってはくださいませんの」

永久  「どうしてといわれても…」

琴織姫 「知ってはくださいませんのか」

永久  「知りたい」

琴織姫 「本当に」

永久  「うん」

琴織姫 「もぉ、くやしいぃ…」

永久  「何が、あったと言うのだ」

琴織姫 「(なかなか言いだせない)落ちてしまいました…。藤原定家様が百人

    一首の編纂をされることも、私の歌がその候補に挙がっていることもご

    存知ですわね」

永久  「そのことは、文に書いてあった」

琴織姫 「それが、それが…。だめだったのです」

永久  「……」

琴織姫 「大方の予想では、大丈夫だということでしたのに…。そのように伺っ

    ておりましたのに」

永久  「定家様が、そのように仰せられたのか」

琴織姫 「定家様にお会いしたことはございません。定家様は雲の上の人ですも

    の。でも、お側近くの人から伺っていたのですけどだめでした。それ

    は、私は。紫式部様や清少納言様のような才女でもなく、ましてや小野

    小町様のように美しくもございません。でも何とか百人の中には入れる

    と思っていたのです。それが…」

永久  「残念であったな…」

琴織姫 「でももう、過ぎたことですから、いつまでも悔やんでいてもせんない

    ことですけど、思い出すと悔しくて…。そんなときに、私がそんな思い

    をしているときに、あなたは側にいてくださらない…。私のことなど、

    すっかりお見限りではございませんか」

永久  「見限ったりしてはない。それは私とて同じこと、思うように会えない

    身のつらさ。私とてせつない」

琴織姫 「では、どうして側にいてくださいません」

永久  「姫、それを私に言えと申すのか。言えば二人ともなおつらくなるので

    はないか。いったいどうしたというのだ、やっと会えたというに姫は。

    なあ、琴織」

琴織姫 「……」

永久  「しかし姫、古今東西歌詠みの方はたくさんおられる。そのうち新百人

    一首もできるのではないか。そのときは姫の歌も載っているはずだ。い

    や、必ず載るさ」

琴織姫 「さようでしょうが。でも、正直言って自信をなくしております。そう

    なのです。歌詠みの方は増える一方で、特に若い方に多く、紙と筆があ

    れば誰にでもできることですもの。その中から一歩抜け出すだけでも大

    変なことなのです」

永久  「姫もまだ若いではないか。それにしても姫は相変わらず多才、多芸。

    歌は詠む、機は織る、四季折々の花を咲かせながら、よくおやりにな

    る」

琴織姫 「返ってそれがいけないのではないかと思っております。あれこれ手を

    広げすぎて…」

永久  「これはまた気弱なことを、文にはそのようなことは書いてなかった

    が」

琴織姫 「それはあなたに心配をかけまいとして。それなのに私の心などちっと

    もおわかりではないのですね。だから、久方ぶりにお会いしたという

    に、やさしい言葉もかけてくださらない」

永久  「はて、これは困ったもの。私は姫と違って歌は得意ではないゆえ」

琴織姫 「……」

永久  「それにしても、藤原定家様も見る目がない。お年のせいやも知れぬ」

琴織姫 「(か細く泣き出す)申しわけございません。(そろそろと向きなお

    る)会いとうございましたのに、本当に会いとうございました」

永久  「姫、琴織、私も会いたかった」

琴織姫 「やっと会えました。やっと」

永久  「やっと会えたな」

琴織姫 「はい」

永久  「琴織!」

琴織姫 「永久様!」

永久  「ああ、夢で見る姫も美しいが、こうして目の前にいる姫が一番美し

    い」

琴織姫 「私は年をとりませんもの」

永久  「そうだった。それにしても最初から驚かせてくれるではないか」

琴織姫 「それが。その、ちょっとすねてしまいました。もう少し派手にけんか

    してみるのもいいかなと考えたりしておりました」

永久  「何だ、それではあの様になだめたり、ご機嫌をとったりするのではな

    かった」

琴織姫 「あら、では、私のことを美しいとおっしゃってくださったのも、ただ

    のご機嫌取りでしたの」

永久  「それはだ、それは、いや、そのようなことはない」

琴織姫 「では、もう一度おっしゃってくださいませ」

永久  「そのように真正面から見つめられては、思うように言葉もでぬわ」

琴織姫 「よろしいではございませんか、滅多にあることではないのですから」

永久  「姫こそ、歌詠みではないか」

琴織姫 「私の瞳の中はあなただけです。今はこのままで……。ああ、永久さま

    だ永久様だ。夢にまで見た永久様だ」

永久  「琴織姫、会いたかった」

琴織姫 「永久様」


 やさしい曲が流れるか、二人の踊りでもいい。


琴織姫 「陽が昇ってまいりましたわね、裏山に涼しい木陰があります。そちら

    へ参りましょう」

永久  「二人揃って、参ろうか」

琴織姫 「はい」


 二人、退場。

  

                    暗転


































































織姫

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