奥田民生ボーイ

きたのさゆり

第1話

私の友人笹村僚一(36)は、奥田民生ボーイだ。

ちょっと前に「奥田民生になりたいボーイ」などと言う本が流行ったが、外見はまさしくそれで、ただ決定的に違うところがある。

彼は、「奥田民生に抱かれたいシュガーボーイ」なのである。


彼と私の中は小学校から続くが、彼が民生に出会った日のことを今でも思い出せる。

うるんだ眼をして登校してきて、授業もろくに聞いていないのが分かった。クラス委員の私はそっと彼を理科室に呼び、何があったのかを尋ねた瞬間、

「すごく、すごく好きな人に出会っちゃったんだ!」

ほうほうそれはクラスのアイドル千代ちゃんか美香ちゃんか

「ちがって、テレビの中の人で……」

うつむくと同時に、彼の膝にぽたぽたと水が落ち始めた。

何でテレビの人に恋をしただけで泣かねばならない。

「すごくかっこいい、男の人で、奥田民生って言うんだ……」

僚一はおびえたように私を見た。

「気持ち、悪いよね?」

その瞬間私の脳みそはフル回転した。男の子が男の人を好きになる、気持ち悪いって言うか私の常識にはなかった新発想である。でもそれを表に出してはならない。三年連続クラス委員を任された大人っぽさを発揮するのは今。

私は笑顔を作り、なるべく穏やかな声で「なんで?」と言った。

「かっこ良かったら普通好きになるよね?」

後に彼はこの私の言葉が彼の命を救ったと言った。……大げさだな。


彼には美的センスがあり、努力もしたので美大に進み、美術塾の講師となった。私には残念ながら特殊能力などなく、かろうじて金勘定が得意だったので銀行で働けることとなる。

「もうっ、お前は!」

1ヶ月に一度は会う仲だが、会うたび彼は私を叱る。

「そんな隙のない黒づくめなんか着て!もうちょっとエロい服着ないと男できないよ!」

黒は上下揃えておくと選ぶ時何も考えなくてもいいので楽なのだ。

その手抜きを知っているから余計怒る。

そう言えば最後に男と別れたのはいつだったか。

うっかり5年くらい過ぎているのではないか。

「夢ばっかり見てる人に言われたくないわよ」

負けずに言いかえす。

「あんたもう魔法使いになってんじゃないの」

ネットの妄言に「30まで童貞だったら魔法使いになれる」というのがある。とうに私達はその年を過ぎている。ちなみに私は処女ではない。

「今日はおしゃれな酵素イタリアンを予約してみました!美容と健康に凄く良いんだって!」

聞かなかったふりをして私の荷物をさりげなく持つと、僚一は歩きだした。

「あ」

ふっ、と振り返る。

赤いラッピングの袋がポイと飛んできた。でかい。

「何これ」

抱え込んだら意外と軽くて、もてあまし気味に聞いたら

「フジロック代」

と、返って来た。ああ、と思う。

毎年私達は民生を見にフジロックに通う。

私の趣味ではないので付き合ってもらうお礼にとくれるのだ。

ただ単にださい女と歩きたくないだけかもしれない。

硬い黒い服しか着ない私に、フジロックに相応しい一式を毎年くれる。

その服を着回せばどこでも評判が良い。

さすが美術で飯を食ってる奴のセンスは違う。

信号を私を気にしながらゆっくりと歩く遼一には邪気がない。

ある時はソロ、ある時はユニコーン、地球三兄弟、サンフジンズも始まって「最近は大忙しだよ!」と笑った。

そしてさすがグルメっ子。

酵素イタリアンもおしゃれで美味しゅうございました。

食材どころかワインにまで酵素がし込んであって、飲み口が柔らかくて美味しかった。

外に出ればワインに火照った体に外気が涼しかった。

夏がもうすぐだ。

「民生の子とかデビューしないのかなー」

何気なく言った言葉の後で、しまった、と思う。

ゆっくりと振り返ると僚一は微笑んで、ねー、するといいのにねー、と笑っていた。

僚一にとって民生の結婚とは、子どもとは一体何なんだろう。

「ハネムーン」と言う曲を二人で聴いた時、良い歌だな~とのんきに聞きいる私の横で僚一は泣きだしてしまった。


「民生が、民生が、誰かに、君は僕の物、って……」


その後の言葉が続かなかった。

背中をなでながら、この子が民生を卒業するのはいつだろうと思った。

なるべく取り返しのつくうちに。

けれど、ヘテロでもないこの子の取り返しってどこだろうとも思った。

なるべくあなたが幸せになれるように。

他の男と恋を繰り返しながら、特別な女友達のように僚一の幸せを祈った。


ナンパされている。

私ではない。僚一だ。

待ち合わせの駅前で、かなりのイケメンに食い下がられていた。

私を見つけ、ホッとした顔をして

「遅いよ!」

と叫ぶ。

イケメンはさびしそうに去っていった。

「……あんた、もしかして、もてる?」

「うん、もてるよ。」

男にも女にも、と、こともなげに彼は言った。

「……なのに童貞」

「だからこそチャームと言う魔法が使えるんだよ」

訳分からんわ、と言いながらショルダーバックを担いだ。

フジロックである。

真夏の祭典は年をとれば熱射病との戦いで、ホテルのツインの部屋の大きなバスタブに水を張ってから待ち合わせの場所に向かった。

こうしておけばギリギリまで会場に居られる。

二人分の服装は僚一が一気に買う訳で、自然と似たものになる。

私達は傍から見ればカップルに見えてしまうのではないだろうか。

しかし一人は5,6年彼氏のいない女、一人は36歳チェリーでシュガーなボーイ……それはハッキリ言って悲しい二人である。

人は一見しただけでは分からないんだな。

とりあえずビールを飲んで鮎を食わねば。


そして、民生が始まった。

前もって調べない私はトータスがいることに驚く。

そして意外にも、僚一は遠くの芝生に寝そべっていた。

ノリの良いナンバーが何曲か続いて、そして民生がエレキギターを外す。

「サンフジンズのジューイ・ラモーンが作った曲です。この会場に合うかなぁと思って練習してきました。」


アコースティックギターをチューニングの後に、つま弾きだした。

私も僚一もくるりは詳しくない。だからこそ歌詞を一心に聞いた。

気づけば私達は静かに涙を流していた。

僚一が泣くのはともかく、私が泣くのかよ、と自分にツッコミを入れた。


「ネクラが自慢の少年は、スーパースターと見つめ合い恋はしないよね。」


涙を頬に残しながら、むしろ吹っ切れたような笑顔で僚一は言った。

「僕のことをスキスキって言ってくれる人がいるんだ。とても良い人で、一生懸命で、年下だけど尊敬してる。」

きっといい子なのだろう。

「帰ったらあの子にOKだって言おう。来年は二人で民生を見に来よう。最後だって思って来たらこんな歌……」

そしてタオルで顔を覆い、ぱたんと横になった。

こんな歌の中にこいつを置いてはいけない。

私は元学級委員ぶりを発揮して、あんた熱射病よ、はやくホテル帰ろう!民生は来年見よう!と、即座にどついてホテルまでを歩いた。

民生を初めてリタイアした。


ホテルについて冷房を最低にし、ペットボトルを何本か一気飲みして二人で一緒に靴ごと服ごと風呂にダイブする。


「……何か、変なテンション。熱射病かな」


何十年か続いた片想いが終わったのである。変なテンションにもなるわ。と思いながら、逆らわずそうね、とだけ言った。

ああ、この子にはもう次の恋があるのね。

ほっとしたような、さびしいような気持ちでいると、ふいにぐいっと抱き寄せられた。


「……君を好きになれたら、どんなに良いかって何度も……」


背中からしゃくりあげている気配が伝わってくる。

こんな時に同調してはいけないことを知っている位私は大人だ。


「どけよ魔法使い」


わざとちょっと乱暴に水をかけた。

ひどい、と、泣きながら僚一が笑う。


「来年は三人でフジロック来ようよ」

「何言ってんの」


私はにやりと笑った。


「あたしにも彼氏ができるに決まってるじゃないの。4人で来るのよ」


できるかなぁ、と遼一は笑い、さよならスーパスターという民生の声が遠くから響いた。


<終劇>

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奥田民生ボーイ きたのさゆり @barasan

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