泣き止んで、世界が滅んでもいいから 02
修羅場も後半戦を迎えようとしたその時に、ふらりと彼は現れた。マリベルに悪態をつかれながらカウンターに張り付いて盛り付けを行っていたレオに向かって一言「腹減った」 不機嫌丸出しでそう告げる顔は子供のようだ。ついでに絶妙なバランスで芸術にまで昇華した、盛り付けの一番上に乗る果実の繰り抜きを指で掴んで口へと放り込むのだから堪らない。
「あああぁぁぁ!」
崩れ行く色とりどりの果実ボールタワー。
「この配置が、この配色が大事だったのに…」
灰となって燃え尽きるレオ。アリスは知らん顔だ。珍しく白に白銀で縁取りをした法衣など着ている。
「俺の夕飯は?」
崩れた果実ボールは底に敷かれたペールカラーのソースに浮かんで、これはこれで見れたものだ、と勝手に判断したマリベルはさっさとホールへ料理を運んでしまった。
「アリス…よくも俺の最高傑作を…」
半眼で睨むレオに神子はへらりと笑い返す。本当にこうやって相手を煽る所だけはレオに良く似てしまった。
「いやあ美味しかったよ。最高傑作を最初に口にできたのが俺でよかった。残りは凱旋兵にくれてやろう」
「おまっ、絶対そんなに腹減ってないだろ!」
「いやいや、城中晩餐の良い匂いが立ち込めてお腹もぐぅぐぅだぜ。胸焼けしそうなくらい」
「やっぱり腹へってねえじゃねえか!」
すっかり作業の進まなくなったカウンターに痺れを切らしたのか、料理長がずかずかと近寄ってきた。
「応援!何やって……って!神子様ではありませんか!?」
カウンター越しに覗く神子の顔を見つけるや否や、跪きそうな勢いの料理長にアリスは微笑みかける。レオの名づけたところの神子スマイルでだ。
純度の高すぎる黒い髪と、色を持つことを拒否した白い肌。そして白銀を嵌め込んだ瞳。そこに中性的な顔のパーツでアルカイックスマイルを浮かべれば、さあどうなるだろう。
一人の熱心な信者の完成だ。
「おつかれ、あの殺戮王女の凱旋で大忙しみたいだな」
しかし、残念なことにその口から吐かれる言葉は神々しさのかけらもない。それでも料理長は崇拝の目でアリスを見つめている。彼は
「神子様、そのような事を聞かれるとまた王族派に睨まれますぞ」
「気にしてねえよ。それよりこいつ連れて行ってもいい?」
「どうぞどうぞ。おいレオ、きちんと神子様に栄養のあるものを食べさせるんだぞ。こんなにか細い身体でなぁ……民を支えて……」
華奢なアリスの身体を見つめて涙ぐむ料理長に薄ら寒いものを感じながら、レオは早々に厨房を出た。さっきまで猫の手も借りたいと言いながら、猫どころか馬車馬のごとく自分を働かしていたくせ。いや恐ろしい。
「で、どうしたんだ」
レオはアリスに問う。レオがここへきてから知ったことがいくつかある。その一つが、城の中には王族派神子派の派閥があり、そのいざこざを疎ましく思ってアリスがほとんど自分の居住区を出ないという事だ。
だから、今ここに彼がいることはとても珍しい。
「あの女が戻ってきた」
「殺戮王女か?」
「そうだ。顔を合わす前に戻る」
早足で居住区へ戻ろうとするアリスは逃げる兎のようだ。
「なんでそんなにびびってるんだ?」
城には勝利の喜びが満ち満ちて、凍える夜さえも跳ね返しているのに、なぜアリスは暗い方へ寒い方へとと逃げいくのだろう。アリスは後ろを振り返らない。
「王と神子は一代ずつペアとして考えられてるって知ってるか?」
「ああ、聞いたことはある」
カルマの根幹をなす大憲章にも記されている制度だ。カルマを束ねる王と、カルマを救うために遣わされた神子。手を取り合ってカルマの国を維持していくべきだという指針。それが王位を継ぐものは一人の神子を生涯保護することを義務付けるというものだった。
カルマの精神に安定を齎す為にも、カルマの荒野に安寧を齎す為にも。
「あれは実際神子一人を王が保有するって事だ。保護っていってる時点で対等じゃないのは自明だけどな」
「じゃあ現王が先代の神子の保護者だったってことは……」
「そうだ、俺の保護者はカルマ一保母さんが似合わない女、殺戮王女様だよ」
王族区と神子の居住区を分かつ長い廊下にを駆け足で進む。だが、後少しというところでぴたりとアリスの足が止まった。
ほんの数メートル先に一人の少女が佇んでいる。少女を捕らえたアリスの瞳が安っぽい硝子玉のように色を薄める。アリスが驚く時、怯える時の特徴だった。
「あら、入れ違いになっていたようね」
小声でレオは囁く。
「あいつか?」
「あぁ」
アリスは見る事すらむ拒否するように目を伏せた。
殺戮王女は鮮血の様に鮮やかな髪と、真白な花嫁衣裳に身を包んだ美しい少女だった。ドレスと同じくらい白い肌は紅い唇で彩られ妖艶に見る者を誘い、同色の紅玉の瞳が獰猛な輝きを発して相手の視線を奪う。
ただその顔に張り付いているのは無表情であり、ぎらぎらと生命力の漲る瞳とその表情のアンバランスさが彼女の危うさを物語っていた。
「ごめんなさい神子。禊に手間取っていたらそのまま晩餐になってしまって。先に会いに行く時間が無かったの」
「なんだ、俺は戦場帰りの真っ赤なドレスん時のアンタの方が好きなのにな」
アリスがへらりと笑いながら王女の間近まで進んでいく。どうしても自分の区画に入りたいのだ。まだ、此処は王族の領域だから。
殺戮王女はにこりとも笑わない。
彼女が笑い、踊り、謳うのは戦場でだけだ。出陣時の花嫁衣装が返り血で真っ赤に染まるまで彼女は先陣を切って舞い続ける。彼女にとって戦場が誓いの場であり、切り結ぶ相手がすべて夫なのだ。
一国の主としてあまりに欠陥品だが、彼女の強さが国を強固なものにしているという現実もある。幸い父である元王が政治手腕をまだ振るっているため、あくまでも戦闘に特化した一王女としてまだ見られているというところも、うまく働いているのだろうが。
「ええ私も戦場にいるときのほうが好き。城は息が詰まるわ。つまらないもの」
「同感だな――俺も、溺れ死にそうだ」
王家の血が色濃く現れた髪を書き上げて王女は言った。当代に
「だからといって外に出てはいけないわよ。神子は私のもの。箱の中で死ぬまで私の為に泣き濡れて、その涙に無様に溺れていればいいのよ」
その言葉に、アリスの身体が大きく震えだした。慌ててアリスは自らの肩を抱くが、身体全体が痙攣して全く意味を為さない。
「あんた、それが神子への言葉なのか」
思わず声を上げたレオに、喋るなと痙攣しながらアリスが腕を引く。王女の脇から神子の領域まで身体を押し込もうとしたがもう遅い。
少女は戦場以外では基本的に無表情で無関心だ。ただし、神子に付随する因子に関して以外は。
「何者ですか」
「ただのコックだ」
「まあ、神子。また調理人を……」
王女はレオを見て、驚きを表情に刻んだ。そしてまじまじと真紅の瞳だけを動かしてレオを観察し、眉を顰める。
それは、アリスさえも初めて見る、彼女の人間らしい感情の発露だった。
彼女が全身全霊で表す、嫌悪だった。
「まだ、生き残っていたの……」
鼻と鼻が触れ合う距離まで顔を近づけ、彼女は吐き捨てた。
「その見っとも無い髪の色、目の色。血が濁ると外見に出るというのはこのことだったのね」
目を瞬かせるレオ。アリスも意味が理解できずに困惑している。アリスが心配していたのは、単純にあのクソ神子学者が王女にレオの存在を告げ口する事だった。だから事前に安全圏へと逃げようとしていたのだ。
「……貴方がわからないのも無理はないわ。知っている人間など王族のごく一部。だから貴方のような人間を城に通してしまったのね」
「えっと…どういう事だ?」
意味がわからない。レオは助けを求めるようにアリスと目を見合わせるが、相手の顔に浮かぶのも、自分と同じ困惑だ。その二人を、愚かな動物でも見るように王女が蔑んだ。
「何も知らないの……?いえ、貴方の父母でさえ事実を知らないかもしれないわね。そうでなければ、城に近づかせるなんて何て愚かなこと許すはずないもの」
「……さっきから意味わかんねーだけど。いい加減はっきり言ってくれよ?」
国を支える片割れに向かって、アリスは苛立ちを隠そうともしない。今日程この長い渡り廊下を恨んだことは無かった。
「時と共に薄まって消えていくと云われていたけど、まだそうと分かる赤が残っているなんて――――――不愉快」
王女はその言葉と共にボリュームのあるスカートから、細腕に不釣合いなカトラスを抜刀し、そのまま上段に持ち上げた。
突然の殺意。これから浴びる血の暖かさを想像してか、彼女のその表情には微かな恍惚が浮かぶ。
「レオ!」
「馬鹿、前に出るな!」
自ら盾となるべく前に飛び出すアリス。自分の存在が攻撃への最大の抑止力になる。それを理解した動きだった。だが、王女はアリスの思考など手に取るように読んでいる。
「甘いわ」
王女は重力を感じさせない動きでほんの少し跳躍し、無防備なアリスの脳天を易々と越え、レオの頭上に刃を振り下ろした。
ガキィィィィィィィィン!
金属を擦り合わせる不快な音が響き渡る。
「なに!?」
王女は目を見張る。彼女の手からカトラスが消えていた。空中で弾かれくるくると宙を待った刃が、豪奢な絨毯に大きな穴を開けて突き刺さる。
刃の沈む重たい音が響いた。刀身には、包帯のような白い紐が撒きついている。
「い……ててて……」
全ての衝撃を殺しきれなかったのか、レオの髪の間から鮮血が零れた。髪を伝うそれは、彼の髪の一房だけを紅く染め上げる。
「レオ…?」
何が起きたのかわからなかったアリスが、レオを振り仰いだ。
ぽたり、と垂れた一滴の血が白い頬に落ちる。
アリスの瞳が赤を映した。レオはそれを苦々しく思う。
いつもそうだ。彼は簡単に他のものに侵されてしまう。
「大丈夫か!?」
アリスは傷の具合を見ようとレオの頭に手を這わす。斬られた訳ではなく衝撃で額を浅く裂いただけなので、毛細血管が弾け派手に血は出ているが。そう酷い怪我ではなかった。
「なぜ…?」
王女は殺すつもりだった。彼女自身も自覚している悪癖だが、一度殺そうと思ったが最後、彼女の意識など吹き飛んでしまう。そうして気付けば相手は死体になっているのが常だった。
「さあて、何故でしょう?」
笑ってレオは何も無い両手を広げた。顎を伝う血がレオの飄々とした笑みに不気味さを添える。
王女は思わず数歩下がる。その忌み名の所以となる彼女の逸脱した殺人欲求を向けられた相手が、我に返った後に生きているということが未だかつて無かったのだ。もう一度この丸腰の男に刃を振りかざせばいいだけのことを、混乱した彼女は思いつかない。
さっさと怖気づいて帰ってくれ。
一方、レオは冷や汗を流しながらそう祈っていた。簡単な仕掛けだ。彼女が戦闘に意識を飛ばしているが故に気付かなかっただけの。
踵。アリスの踵がぎりぎりのところで神子居住区画に入り込んでいる。
境界線には必ず結界がある。普段の出入りでは音でしか認識できないが、これは神子を全ての不義や呪いや殺意から守るためのものなのだ。神子への暴力に対して機能しない訳が無い。
アリスが必死で自分の区画内に向かっていたのはその為だったのだ。自分の命を守るために。そして自分の傍にいれば必然的に守られるレオのために。
「なるほど……小ざかしい延命手段ね。鼠のよう」
状況を理解した王女が無表情に戻って呟く。
「それにしても、あれは何かしら?」
王女が指差す先のカトラスに撒きついていたのは包帯ではなかった。今は輪となり刀身を中心に、白い祖字列が宙をくるくると回っている。
「あぁ、俺の馬鹿!!――――消し忘れてた……そ、そうだ。これは秘密兵器だぜ」
すぐにその祖字列の白い輪は霧散した。殺戮王女の表情は泥を塗りつけられたかのように苦々しい。
「たかがコックの癖に祖字列を扱えるなんて……」
戦闘においてコックごときに一杯食わされたという屈辱が、彼女を酷く残酷な気分にさせる。
「もういいわ。本当に興醒めですこと」
突き立てられたカトラスを、重さを感じさせない操作で抜き取りパニエの中にしまう。剣を突き立てられないならば、別の行為を凶器として突き刺せば良い事だ。
「――――神子、来なさい。物忘れの良い子。遠征で手綱を放している内に躾が抜けてしまったのね」
上品な笑みで真っ赤な唇が弧を描く。彼女は軽やかな足取りで渡り廊下を進み、華やかな笑い声が木霊する会場へと消えていく。アリスは傍で呆然としていたが、やがてふらふらと殺戮王女の後を追いだした。
「おい、アリス!」
その声にびくりと反応してアリスがこちらを振り向く。その顔には死地に赴く兵士さながらの悲壮感が浮かんでいる。
「……大丈夫だ。ちょっと一緒に挨拶してくるだけだからよ。レオは俺の部屋に戻っててくれ」
「なら俺も厨房の手伝いに、」
「駄目だ‼」
強い声音にレオが伸ばしかけていた手を止めた。アリスはがたがたと震えていた。華奢な体に恐怖が蓄積されていく。それが臨界に達したのか、唐突にアリスは吐いた。白い法衣を汚しながら、止め処なく、まるで身体に時限式での毒でも仕込まれていたかのように。
「絶対っ……来るん……じゃ、ねえっ――!!」
苦しそうにえずきながら床に蹲るアリスにレオは触れることができなかった。吐瀉物の飛沫が靴に付いている。そんな近くなのに、一歩も足が進まない。そうしている内に、宴会場から遅い神子の歩みを心配して、親衛隊長が小走りで現れた。
「神子殿!?」
キリはアリスに走り寄ると、アリスを助け起こし、汚れた法衣を脱がせた。給仕の運んでいた水差しを取り上げて汚れた顔や手を清め、見張中の兵士に替えの服を持ってくるように命じる。てきぱきと神子の世話を行う姿をレオはただ見ているだけだった。
「神子殿。体調が優れないのであれば」
「……五月蠅えよ。俺があの女と居て、調子の良い時があったか?」
キリの肩に手をかけて「さっさと連れてけよ。引き摺ってでも」とアリスが口の端を歪めて笑う。過酷な村での生活の中でレオが無理を押し通すときに良くしていた表情だ。
キリは痛ましそうに顔を歪めつつもやがて、主の命に従って彼を支えて歩き出した。
「お……おい」
蚊帳の外だったレオがやっと声を出す。だが二人の歩みは止まらない。
「察しろコック。お前は王女の手が出ない領域で小さくなっていれば良いんだ」
それはつまり、アリスに庇われているということ。レオの心に悔しさが溢れ出す。
どうして守られなきゃいけない。俺は足手まといなのか?
助けに来たつもりが、どうして助けられているのか。
とぼとぼとアリスの部屋に篭り、レオは透明な天蓋を眺めながらアリスの帰りを待つ。そのままどれくらい時間が経ったのだろう、何時の間にか空に雲が立ち込め、雨が降り出した。
己の無力さを噛み締めながら、レオは天を叩く滴を見つめていた。
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