ジョー・セブン

XYI

トゥレ編 Nuovo nome - Nova

第1話 モニカ・ヴィドーの遺言書

 前髪の隙間から赤茶の瞳を覗かせて、ジョー・セブンはまっすぐに立っていた。その口元には微かな笑みを浮かべている。

 背は高く筋肉質な身体、二十代後半から三十代前半といったところだろうか。瞳と同じ色のコートをまとい、両手はポケットに収まっている。鼻筋が通り端正な顔立ちをしているが、ボサボサに伸びた癖毛に無精髭が荒んだ印象を与えた。顎を突き出して、なんとも偉ぶった態度だ。

「思わぬ収穫だな」

 彼はひざまづく青年に向かって、そう呟いた。青年は鮮やかな緑色をした瞳で、ジョーを見上げている。

「一緒に来い。お前に世界を見せてやる」

 そう言って彼が右手を差し出すと、青年は躊躇うことなく、その手を掴んだ。

「お前の呼び名は、今日から『トゥレ』だ。いいな」

 緑色に輝く瞳からは、大粒の涙が流れ落ちていた。それは悲しみからではなく、今までに感じたこともないほどの気持ちのたかぶりから起きた現象だった。


   *  *  *


 ──数週前、とある貴族の葬儀にジョーは参列していた。記名する際に用いた名は「ジュゼッペ・フェステ」。受付をしていた男性は、葬式に「フェステ祭り」だなんてなんとも不謹慎な名前だと眉をひそめたが、特に何を尋ねることもなく、彼の入場を許可した。

「フェステさん、どうやらあなたには特別席が用意されているようです。このまま、あの壁龕へきがんにある彫刻の前でお待ちください」

 ジョーは指差された場所へと目を向ける。そこには威容を誇る立像が置かれていた。近づけば近づくほどに、その英姿を見上げる格好となる。


「ユピテル像です。ローマ神話の最高神。その象徴でもある鷲のマークが、我々ヴィドー家の紋章にも描かれています」

 像を見上げていると、緑の眼をした青年に声をかけられた。ブロンドの髪と白肌がその瞳の色を際立たせている。青年は細い身体をしなやかに屈ませて、お辞儀をしてみせた。

「ご挨拶が遅れました、ミスター・フェステ。ロレンツォ・ヴィドーと申します。気軽に『ロロ』とお呼びください」

 彼はニヒルに笑いながら「俺のことは、英国式に『ジョー』でいいさ」と応えた。「ヴィドー家の末っ子が直々に出迎えてくれるとは。俺も偉くなったもんだ」

「祖母の遺言ですからね。そうでなければ、あなたはこの教会に立ち入ることもできなかったでしょう。ここは私たちにとって、特別な場所ですから」

「特別?」

「冠婚葬祭はしかり、祝い事や行事の総てをヴィドー家はこの教会で行っています。祖母の遺灰も、敷地内の庭園に撒かれることになるでしょう」

「夜は先祖が化けて出そうだな」

 ジョーの軽口にロロは笑いながらも「僕以外の親族には、冗談でもそんなことを言ってはいけませんよ。いくら零落しているとはいえ、プライドだけは一流のままですから」と助言した。


 彼らが貴族とは言っても、すでに国に貴族制度はなく、法的な立場は一般市民と同じであった。そのため、仰々しい爵位継承や家督相続も行われず、当主が亡くなった場合、その財産は、遺言書のない限り、法定相続に従い分与される。

 ロロの両親は若くして亡くなっており、祖父も他界していたため、ヴィドー家の財産は彼の祖母であるモニカ・ヴィドーにより管理されてきた。そして、彼女は生前、弁護士に二通の遺言書を託していたのだった。

 一通が、永逝後に開封するもの。

 一通は、葬儀後に開封するもの。


「一通目に記載されていたのは、葬儀の手順と、あなたのことでした」

 献花を終えると、ロロは出棺を待つ間、モニカ・ヴィドーが亡くなってからの一部始終を、ジョーに話していた。

「我々にとって、遺言書におけるジュゼッペ・フェステの登場は、まさに晴天の霹靂へきれきでした。なぜなら、誰もあなたのことを知らなかったから。葬儀にジュゼッペ・フェステと名乗る者が必ず現れるから、その人物を二通目の開封の場に招くようにと、文面で指示されていたのです」

 ジョーは、教会に足を踏み入れてから痛いほどに感じていた視線の理由に得心がいった。二通目の遺言書には、遺産相続に関することが書かれていることは明白だ。その場に部外者が参加することを、当然ながら彼らは快く思っていないのだろう。

「先にたずねておきますが、あなたが隠子である可能性はありませんよね?」

 ロロの問いかけにジョーは吹き出して「それはないな」と答えた。葬儀中に声を上げて笑う彼を、他の参列者が奇異の目で見ている。

「俺が彼女と親しくなったのは、病院でだ。暇そうにしていたから、よく話し相手になっていた。俺が退院するときに『自分の葬儀に参列してほしい』と頼まれていたから、今日ここに来たんだ。あの婆さんが貴族だってことを知ったのも、つい最近だよ。俺だって、今の話には驚いている」

 笑いながらそう話すジョーに、驚いているような素振りは見られない。けれど、ロロからはそれ以上の追及はなかった。二通目の遺言書が読み上げられれば、彼が招かれた理由も明らかになると信じていたからだ。


 やがて、出棺と火葬に散骨と、葬儀は滞りなく執り行われていった。参列者の多くが涙を流して別れを惜しんでいるのを見て、ジョーはモニカ・ヴィドーの人徳の高さを感じずにはいられなかった。自らが死んだときに、同じように泣いてくれる誰かがいるだろうか。そんなことも考えながら。

 すべての段取りが終えられると、ジョーを含めた関係者ら二十名ばかりが、教会の控室に集められた。中央には向かい合わせに机が並べられており、その最奥さいおうの椅子には、弁護士らしき男が白手袋をはめて着座している。室内には近親者だけではなく、使用人とおぼしき連中もたむろしていた。


 ロロは案内された椅子に着席するやいなや、隣に座るジョーに耳打ちを始めた。

「右手奥に座っているのが、長兄のコジモ・ヴィドーです。祖母が入院生活を送るようになってからは、彼がヴィドー家の実権を握っていました。事実上の当主ですね」

 言われた方向に目をやると、退屈そうな表情をした男が座っていた。ロロと同じ緑色をした瞳には、欠伸あくびによる涙が溜まっている。

「その正面にいるのが、姉のフランチェスカ。兄弟の中で祖母と最も親しかったのは、彼女でした」

 フランチェスカの緑色の瞳にも、涙が溜まっているようだった。しかし、コジモとは違い、彼女の目の周りは赤く腫れ上がっていた。ハンカチを口元に当てて、ひどく落ち込んだ表情をしている。

「兄も姉も共に未婚です。ヴィドー家の財産は、このどちらかに相続される可能性が高いでしょうね」

「お前には分与されないのか?」

 ジョーがそう尋ねると、ロロは小さく笑ってみせた。

「私はまだ成人したばかりですから、仮にそうなったとしても、兄姉けいしのどちらかに管理を頼みますよ」

「お前の婆さんから聞いた話だと、確かもう一人、お前と歳の近い兄貴がいたはずだ。名前は『カルロ』、だったかな。そいつはどこにいるんだ?」

 ジョーが眺める限りでは、ロロと使用人以外で若い男は見当たらない。

「ああ」ロロはすっかり忘れていたかのように「は、ここにはいませんよ。もう何年も部屋に引きこもっていて、私も五年以上は顔を合わせていません」と嘲笑気味に言い放った。「が相続の対象になるとは考えられませんね。ヴィドー家における汚点。すでに死んでいるようなものですから」

 ロロの表情は穏やかなままだったが、ジョーはその声色から、憎しみに近い感情を感じ取っていた。


「皆さま、お集まりのようですね」


 白髪交じりの弁護士の男がそう呟くと、その場にいた全員が一斉に口を閉じた。場が静まると、弁護士は短い前置きを述べた後、大勢の見守る前で、遺言書を開封していく。そして、中から便箋を取り出すと、文章をゆっくり読み上げ始めた。


「ヴィドー家の財産のすべてを、私の孫にあたるカルロ・ヴィドーに相続する。もし彼が相続を放棄する場合、私の友人であるジュゼッペ・フェステ氏の立ち会いのもと、本日から一週間以内に、カルロ・ヴィドーが新たな相続人を指名できるものとする」


 遺言書が読み上げられると、室内にはどよめきが起こった。コジモ、フランチェスカ、ロロの兄弟らは開いた口が塞がらないといった様子だ。その中でただ一人、ジョーだけが、くかかと笑い声を上げていた。

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