ゲーム機大戦と名付け
山川一
第1話 黎明期~ファミコン
任天堂は早くからゲーム機市場に参入していた。最初のゲーム機は、1977年、テレビゲーム15。これはエポックのテレビテニスに対抗したもの。テレビテニスがPONGのゲームができるにとどまるのに対し、任天堂のテレビゲーム15ではなんと15種類のゲームができるということを名前に込めている。この時はまだ名前が単にできるゲームの機能を表しているにすぎない。その後、1981年、エポックのカセットビジョン以降、カートリッジ式のゲーム機が主体となってくる。そこで、これまで決まったゲームをするゲーム機から、カセットの交換によって色々なゲームができるということで、そもそもゲーム機って一体なにができるのかがぼやけてくる。その結果、1983年、バンダイのアルカディア(よくわからない)や1983年、トミーのぴゅう太(子供向けコンピュータ)、1983年、学研TVボーイなど種々登場したゲーム機の名前も迷走していることがわかる。
そんな中、1983年に任天堂が出したゲーム機はファミリーコンピュータ。これまで、ゲーム機の機能を中心に名前がつけられていたのに対し、ファミリー(家族)というのはいかにも抽象的だ。しかし、任天堂が何をしようとしていたかがこのファミコンからすぐに分かる。家族で楽しめるコンピュータにしようとしたと。当時、対抗馬であったセガのSG-1000は、SEGA GameのSGであり、SG-1000(セガのゲーム機)という意味からするとかなり見ているところが違うと分かる。ゲーム機を作るにあたって、セガはゲーム機を見ているが、任天堂は家族を見ていたと思われる。
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