第24話(表の下)此度において最大の被害者である鬼姫は、途方に暮れる




 ――そうして、えっちらおっちら山を下りて駅へと戻ってきた鬼姫が目にしたのは。




(……何じゃアイツ?)



 古ぼけた駅の改札口(?)の前で、半べそを掻いて辺りを見回している、学生服を身に纏った少年の姿であった。


 少年は……顔立ちや背丈から見て中学生……14歳ぐらいだろうか。


 鬼姫の基準ではそろそろ成人間近かなといった感じなその子は、鬼姫の接近に気付いていないようで、キョロキョロと周囲を何度も見回している。


 その際、何やら掌より少し大きめな光る板との間を視線が行き来している。目を凝らして見て見れば……何かを確認している……のだろうか。



 ……誰かを探している……というよりは、誰かに見つからないように視線を向けている……といった感じか。



(ふむ、ワシと同じように居眠りして終電してしまったのじゃな)



 ちょっと、親近感が湧いた。いや、まあ、居眠りしたわけじゃないし、色々な不幸が重なった結果、仕方なく、こんなよく分からん駅に来てしまっただけだから……そう、鬼姫は自分の思考を訂正しつつ。



(――見た所、『蟲』たちのような禍々しい気配も『力』も感じぬ……迷い込んだ、と見るべき……?)



 とりあえず、『力』を抑えて……次いで、少年をどうするべきか……その事に、鬼姫は思考を巡らせる。


 何せ、こんな場所だ。加えて、あの様子を見る限り……『蟲』に遭遇済みと見て、間違いない。相当な恐怖を堪え続けているのは、確実だ。


 と、なれば、『力』を抑えて接触したとて、混乱を招くのは必至。場合によっては逃走し、そのまま蟲と遭遇して……なんて事態にもなりかねない。



 ……ある意味、こういう場合が鬼姫にとっては一番困るのだ。



 好き勝手やってきた悪人なら放っておくが、少年から感じ取れる気質は明らかに善良。殴って言う事を利かせるには、些か罪悪感を覚える。


 なので、そ~っと。比較的雑草が長く伸びている所で腰を下ろし、身を隠す。


 幸いにも、駅以外に光源となる物は夜空に浮かぶ月しかない。だから、紅白カラーが目立つ巫女服とはいえ、じっくり注視しなければまず見つからないだろう。


 このまま、少し遠くから見守っておくべきか……あまり離れているといざという時に助けられないので、助けられる距離から様子見しよう……と、思っていると。




 ――ぱっちり、目が合った。




(はて、まさかワシに気付いて……あ、気付いたようじゃな)



 たまたま視線が向いたかもと思ったが、ビクッと少年の肩が跳ねたのを見やった鬼姫は……よっこらせと立ち上がると、ぽんぽんぽんと地を蹴って駆け寄り……少年の前に立った。


 ……少年からすれば、恐怖しか感じなかっただろう。


 見た目が少女(角付き)で巫女服という、怖さが比較的マシな姿だとしても、だ。オリンピック選手顔負けの速度で迫って来れば、恐怖のあまり腰が抜けても仕方がない。


 事実、悲鳴こそ上げなかったが、少年の腰は明らかに引けていて、顔色も明らかに青ざめていた。



「……ふむ、『すまほ』というやつじゃな。ワシ、知っとるぞ。それは便利なやつらしいのう」



 対して、鬼姫の方は、先ほど少年が手にしていた『光る板』……抱えるようにして握り締めているソレの正体に気付き、これは良いぞと手を叩いて喜んだ。


 何故かといえば、答えは単純明快。スマホを使って、こういう場合に役立つ(痒い所に手が届く)やつを呼んで貰おうと思ったからだった。



 この場所が何処なのか分からないが、アイツの事だ。



 こういう場合の移動手段の一つや二つは持っているだろうという考えからであり、鬼姫は「突然ですまぬ、人を呼んで欲しいのじゃ」さっさと尋ねた。



「ソフィアという娘なんじゃが、お主の『すまほ』とやらで呼んでほしいのじゃ」



 ……少年からの返答は、少しばかりの間が必要であった。まあ、当然の事だろう。


 見ず知らずの不審極まりない風貌の少女(角が生えている)が、猛スピードで眼前まで来たかと思えば、ソフィアなる人物に連絡してくれとお願いしてきたのだ。


 普通は面食らって息を呑むところであるし、逃げ出さないだけマシである。というより、辛うじてであっても返答しただけ平均よりも度胸が有る方だろう。



「…………えっ、と……その、ソフィアさんという女性へ、連絡を取って欲しいの?」



 恐る恐る……そんな感じで返事をした少年に、「――うむ! 話が分かるやつじゃな」鬼姫は満面の笑みで頷いた。



「あやつなら解決法の一つや二つは知っておるはずじゃからな。ワシは『すまほ』を持っておらぬからな……お願いなのじゃ」

「……電話するだけなら出来るけど……分かった。それじゃあ、番号を教えて貰えるかな?」



 尋ねられた鬼姫は、これまた満面の笑みで答えた。



「知らん」

「え?」



「あやつの電話番号など知らぬ。じゃが、『すまほ』が有れば分かるのじゃろう? 後で礼をするから、やってほしいのじゃ」

「……無理だよ、番号無しで連絡なんて」

「なに?」


 これには逆に、鬼姫の方が面食らった。



「……ちょ、ちょっと待って」



 だが、それを見て、今度は少年の方が何かを察したのだろう。あるいは、思いついたのだろう。


 少年はスマホを両手で持って操作をし始めた。


 その指先の動きは見事であり、一切の滞りはない。ある種の職人を想起させる、見事な指裁きであった……と。



 ちらり、と。



 少しばかりの間を置いてから、少年の視線が、意味深に向けられる。当然、鬼姫が察せられるわけもなく、首を傾げるだけであった。


 そのまま、また少しばかりの間を置いた後。



「あの、一つ聞いていいですか?」



 こちらの様子を伺うかのような低姿勢で尋ねてきた。



「どうして、スマホが有れば番号が分かると思ったの?」

「前に、ソフィアから『うきぺであ』なる万能な『いんたーねっと』があると聞いてな。『いんたーねっと』の世界には、何でもあるのじゃろう?」

「な、何でも有るかは分からないけど、そりゃあ、番号も有るには有ると思うけど……あの、インターネットって何か分かりますか?」

「『いんたーねっと』は『いんたーねっと』じゃろう。ワシはそういうぽちぽちな世界には疎いのじゃ」

「……うん、そうだね」

「ところで、先ほどから何度も『すまほ』を見ているようじゃが、番号を調べられなかったのじゃろう? いったい、何を調べておるのじゃ?」



 何やら納得した様子で頷く少年に、先ほどから気になっていることを尋ねる。すると、「あ、えっと……」少年は特に変な反応を見せるわけでもなく、素直に鬼姫へと画面を見せた。



 ……眩しいのじゃ。



 普段からそういうモノを見慣れていない鬼姫は、思わず目を瞬かせる。少し鬱陶しく思ったが、子供のやることだと流した鬼姫は、目を細めながら画面を見つめ……ふむ、と首を傾げた。


 画面には、よく分からない図形や数字と共に、文章が幾つも表示されている。読める部分もあるが、どうにも読み難い……というか、意味がいまいち分かり辛い。



(……草? 草が生える? 読める部分もあるが、所々に意味の分からぬ文が混じって読み難いのう……)



 何とか意味を解読しようとしたが……面倒になったので、止める。


 次いで、コレが何なのかと尋ねてみれば、「掲示板みたいなもので、今の状況を相談していたんです」そんな事を返された……掲示板、コレが?



 ……。


 ……。


 …………軽く話を聞いた鬼姫は、ふむ、と頷いた。



 何が何だか分からないが、少年曰く『本物の霊能力者が相談に乗ってくれている』とのこと。かなり眉唾な話だとは思うが、一つだけ、無視出来ない点がある。


 それは、相談している相手が、『鬼姫』に関することで幾つか助言をしている……という点だ。



 その助言者の名は、『パンdeぐらたん』。



 冗談のような珍妙な名前だが、実力は確かなようだ。何せ、秘匿された存在である己(鬼姫)を知っているだけでなく、その対応方法(名前を教えてはならない等)をも知っているのだ。



(それも、ワシが接触するよりも前に……ワシの存在をこの子に知らせていた……予知夢の類か、それに近しい『力』があるようじゃな)



 ……何者なのかは一切不明(少年にも、詳しくは分からないらしい)だが、知識の面でも相当なモノであるのが窺い知れる。


 加えて、この状況で少年自身が助かる為に、鬼姫……つまりは、己と行動を共にせよと指示したようなのだ。よりにもよって、鬼姫……己と行動を共にせよ、と。



 ……非常に怪しい。鬼姫の、率直な感想が、ソレであった。



 しかし、この少年を放っておくわけにはいかない。いくら何でも放っておいてそのまま『蟲』に……ともなれば、気分が悪いどころの話ではない。


 それに、少年曰く……いや、謎の霊能力者である『パンdeぐらたん』は、『貴女も手っ取り早く此処を脱出したいのなら、協力した方が良い』とまで断言した。


 ……先ほどの『蟲』の事もあるし、少年の命に係わる事だ。ここは、少年の為にも行動を共にするべきなのかもしれない。



「……少年よ、お主はワシを怖いと思うか?」

「……怖くないといえば嘘だけど、君はむやみやたらに誰かを傷付ける存在じゃないって……だから、信じるよ。怖いけど、俺は君を信じて一緒に行動する」



 はっきりと答えた少年の目には、鬼姫に対する怯えの色があった。でも、鬼姫を信じようとする儚い勇気の色もあった。


 言葉を選びながらも、少年からは嘘を感じ取れなかった鬼姫は、「ならば、共に手を借りて此処を出るとしよう」それで、決断した。





 ……。


 ……。


 …………で、順序が逆になったが、鬼姫と少年は改めて自己紹介を行った。



 とはいえ、鬼姫はその性質上、『名を名乗れないし、名乗られるのも駄目』なので、鬼姫は少年を『少年』と呼び、少年は鬼姫を『君・貴女・少女』と呼ぶ事となった。



 ……で、だ。



 まず、鬼姫が少年から聞き出したのは、『どうして此処に居るのか?』という大前提だが……少年の気質を見やりながらも話が進むにつれて、鬼姫は……ある意味、自分と同じだなと思った。



 ――簡潔に述べるのであれば、少年もまた鬼姫と同じく、居眠りから目が覚めたらこの駅に居たらしい。



 居眠りをする前は、都内の在来線とやらを利用していた。それで、突然強烈な眠気を覚えて抗えないまま目を瞑り……ハッと目が覚めた時には、駅構内の階段傍の壁に背を預ける形で座り込んでいたのだという。



 だから、最初は何が何だか全く分からなかったらしい。まあ、当然である。



 けれども、少年にとって不幸中の幸いだったのは……少年が、少なからず冷静を保てるだけの度胸を持っていたという点だろう。


 目覚めてすぐ、少年は己が非常にマズイ事態に陥っている事に察したらしい。理由は分からないが、とにかく、この状況は非常に危険であると強く考えたそうだ。



 ……おそらくそれは、本能的な危機感がもたらした感覚なのだろうと鬼姫は推測する。



 何が何だか分からないが、とにかく少年は外部と連絡を取ろうとした。けれども、不思議な事に、誰にも電話が通じなかった……いや、正確には、誰も応答しなかったのだ。


 原因は不明だが、警察への連絡すら、コール音がするだけで一向に繋がらないのである。先ほどの、『電話するだけなら出来る』という発言の理由だ。


 その中で、何とか外部と連絡を取ろうとして……何故か、ときおり暇潰し程度に見ていたオカルト系のネット掲示板にだけは回線が繋がったらしく、そこに助けを求め……例の、『ぐらたん』とやらの指示を受け、ここに待機していた……というのが、今に至るまでの一連の流れであった。



 ……少年が、そいつの指示を素直に受け入れた理由は、どうやら以前から本物としか思えない発言やら何やらをしていたから。



 詳しくは話さなかったが、誰にも教えていないプライベートな部分もあっさり言い当てたり、その人が今どんな格好をしているのかも言い当てたり、そういうのを何度か目にしていたから……という事であった。


 ……で、他にも『この空間がどういうモノなのか』とか、『おそらくは意図的に作られたモノ』だとか、細々とした話を色々とされて……そうしてから、少しの間を置いて。



(……よく分からんが、電車の路線を間違えたわけではないのじゃな? ワシが悪いわけではない……一安心なのじゃ)



 一通りの話を聞いた鬼姫が、とりあえずは自分なりに考えて出した結論が、ソレであった。


 鬼姫にとって、この場所が人為的だとか故意的に作られたとか、そんな事はどうでもいい。何者かの思惑が動いている……それすらも、どうでもいい。



 重要なのは、この少年が何事もなく無事に助かる事。


 お使いの品もろとも粉々になったお土産の責任の所在を何処へ押し付けるか。


 そして、『お使いの品(可能なら、土産も)』を新たに入手する手段があるか。



 鬼姫の頭に有るのは、この三つだけであった。






 ……。


 ……。


 …………そうして、改めて鬼姫は少年に今後の事について尋ねた。



 何にせよ、現時点で鬼姫がやれることは何も無い。この場において、頼りになるのは少年からの情報(正確には、相談相手からだけれども)であり、それに従って動くべきだと思ったからだ。



「えーっと、ちょっと待って……」



 鬼姫の問い掛けに、少年は再びスマホを操作し始め……少しの間を置いてから、「駅の構内に戻れ……って、指示です」駅を指差した。



「詳細は省かれたけど、この空間を維持する柱とも言うべき『核』が二つあって、一つは社の中に……一つは駅構内の何処かにあるらしいんです」

「ふむ、駅の中か……確か、この駅の名は『そこむし』じゃったな」

「はい……で、ここを脱出する為には、まず、その核を両方とも壊さなければならないらしくて……あの、もう『社の方はもう壊したでしょ?』って言われているんですけど、本当ですか?」

「社……ああ、それっぽいのは壊したのじゃ。何か親玉みたいなやつがおったからそいつも仕留めたのじゃが、おそらく、ソレの事じゃろうな」



 ――と、なれば、ここの何処かにある核を壊せば良いわけじゃな。



 その言葉と共に、駅の方へと改めて視線を向けた鬼姫は……はて、と首を傾げた。


 駅構内とは言っても、『そこむし駅』は無人駅だ。椅子などは設置しておらず、自動販売機も無い。というより、駅そのものの敷地が大きくはない。


 必要最低限の券売機などの機械を除けば、職員用と思われる部屋への扉が二つ。外から見る限り、どちらもそう広いモノではない。


 おそらく、か何かだろうが……鬼姫が見る限り、どちらも不穏な気配は感じ取れないが……まあいい。


 改札を通って、中へ……まず、改札口から近い方の……鍵で閉じられた扉をぶち抜いて、室内へ。古ぼけた照明を点けて見やれば……ふむ。



 ――近い方の部屋は、駅員室のようだ。



 外からでも薄々分かってはいたが、室内は相応に狭い。とはいえ、寝泊まり出来るように最低限の道具は揃っていたようだ。


 日に焼けて変色している床に、コンセントの刺さっていないテレビ。ロッカーには磁石で引っ掛けられたカレンダー、小さな電気スタンドだけが置かれた机。折り畳み式の簡易ベッドに押入れ……等々。


 カレンダーを見やれば、現在より……10年も前だ。


 ロッカーの中を見やれば、何も無い。紙切れ一枚すら残されておらず、押入れの中には袋に収納された布団一式(枕込み)が二組あるだけであった……と。



 がたり、と。



 物音に鬼姫が振り返れば、チラリとスマホを確認していた少年が、机の引き出しから懐中電灯を取り出していた。



 かちり、と。



 電池が残っていたのか、光が灯る。どうしてそこを見ようと思った(まあ、指示なのだろう)のかはさておき、そのまま……視線を部屋の奥、給湯室へと向かう。


 給湯室は……全体的に、細長い作りをしている。入って左側にトイレ、右側に流し台。その奥には冷蔵庫があって……中は空っぽ。コンセントが、無造作に転がっていた。


 ……社の時に感じた、あの異様な気配は感じない。給湯室にも、トイレにも……少なくとも、鬼姫は何も感じなかった。


 念のため、軽く探ってみる。だが、それらしいモノは何一つ見当たらない。結局、手掛かり一つ見つけられないまま、もう一つの部屋へと向かう為に外へ……ん?



「――どうしたのじゃ?」



 見やれば、少年が……スマホの画面と駅員室とを交互に見つめている。何か見つけたのだろうかと思って尋ねれば、「……いや、その、変じゃないですか」少年は困惑した様子であった。



「何で、あそこには備品が何もないんでしょうか」

「ふむ?」

「だって、駅員室ですよ。なら、有るはずじゃないですか。業務日誌とか、いざという時のマニュアル本とか、申請用とか保管用とかの書類……どうして、此処には何一つ残されていないのかな……」

「もう一つの部屋に有ると思うのじゃ」

「工具とかなら分かりますけど、わざわざ鍵付きのロッカーから書類全部を移す理由が分かりません。それに、給湯室には小さいですけど金庫まであったのに……」

「金庫?」

「隅っこに置かれていました。扉は空いていて、中は空っぽでした。無人になった際に引き払うにしても、ここまで念入りに引き払ったりするのか……ちょっと不思議かな、と」



 ――どうにも納得がいかない。いや、納得というよりは、しっくり来ない……といった感じだろうか。



 いまいち、鬼姫には分からない。鬼姫が見た限りでは、引き払われた部屋でしかない。



 でも、覚えている内は頭に留めておく。



 とりあえず、駅員室には不穏な気配も特別強い『負の力』も感じない。幾らか警戒しつつ、鬼姫は少年を手招きし……もう一つの、残った部屋を見やった。



 ……駅長室の方とは以外、こちらは鉄製の頑丈そうな扉だ。



 宿直室よりも大きな南京錠を壊して室内を覗き込めば、推測していた通り……そこは物置部屋だった。


 大小様々な箱もそうだが、六角レンチやドライバーや反射板などの道具が無造作に放置されており、どれもが埃被っていた。



「……点きませんね」

「その為に懐中電灯を取れと指示されたのじゃな」



 電気は……いや、線が切れているのだろう。パチパチとスイッチを切り替えても、明かりが点く気配はない。



「足元に気を付けるのじゃ」



 鬼姫にとって、暗闇ですら昼間と同じ。『ぐらたん』とやらの指示があれば言えとだけ伝えつつ、鬼姫は鬼姫なりに室内を調べてみることにした。



 ……。


 ……。


 …………だが、大して広くない室内。入った瞬間(それこそ、外からでも)に分からなかった以上、中に入れば分かるなんて事はない。



 ものの5分と掛からずに室内を調べ終えた鬼姫は……さて、困ったぞと頭を掻いて……ふと、スマホを見つめ続けている少年を見やった。


 懐中電灯という頼りない明かりでは効率が悪いと判断した結果、少年はぐらたんの指示をいち早く受け取る事を選んだらしい……と。



「……あの、部屋の隅にある大きな箱の中を覗いてもらえますか?」

「アレか? アレは先ほど見たのじゃが……中は錆びついた鉄くずやら短い鉄棒やら……」



 少年の言う、部屋の隅にある箱とは、室内に置かれた箱の中では上から3番目に大きな、鉄製の箱である。


 中には、おおよそ使えそうな道具や怪しい物は入っていなかった。


 おそらくは、鉄くずやら何やら、溶かして再利用出来るモノを入れておくための箱ではないか……そう、鬼姫は睨んでいた。



 ――しかし、少年曰く、中に入っているモノではなく、その奥……底に有るモノを見ろ……とのこと。



 底に……首を傾げつつも、ポイポイと中のモノを外に放り出す。がしゃんがしゃんと非常に喧しかったが、特に問題も起こらずに大半を外へ……あっ!



「……これを捻れば良いのじゃな?」

「うん、そうしろって」



 取っての付いた蓋らしき鉄板を持ち上げれば、その下は凹んでいて、中には捻るタイプのスイッチがあった。


 少年の指示の下、スイッチを捻る……少し後。


 ビリビリ、あるいは、ガリガリ、と。


 何かが動き出したかのような振動音と共に、荷物が置かれていない部屋の隅の床が動きだして……あっという間に、そこには地下へと続く階段が姿を見せていた。



 ……。


 ……。


 …………幾ばくかの沈黙が流れた。



 地下へと続くその怪談の奥は、真っ暗で何も見えない。文字通り、光が一切入らないせいだろう。恐る恐るといった様子で少年が向けた懐中電灯の光も、途中までしか届かない。


 思わず……少年は恐怖に震える足腰に堪らず一歩退く。


 まるで、地獄の窯が開いたかのような……どこまでも暗闇が続いていて……光すらをも呑みこんでいるかのような、底知れぬ何かが感じ取れた。



「……何がとは言わぬが、黄泉へと続く道を見ているようで無性に腹が立つのじゃ」



 いや、訂正する。感じ取ったのは少年だけで、鬼姫の方は特に何も感じてはいなかったようだ――って、黄泉?



「黄泉って、あの世の事ですよね? あの世への道って、こんなにおっかないんですか?」

「ん? いやいや、よほど悪い事をしていなければあのような道にはならぬ。お主のように真面目に生き続けていれば、もっと明るく穏やかな道……そうじゃな、木漏れ日に照らされた心地良い並木道を歩くような感じになるのじゃ」

「並木道……ですか?」

「犯した罪に対する罰は、閻魔の裁きによって変わるわけではないのじゃ。閻魔の裁きは、既に定まった罪を改めて言葉にして、それを死者へと届ける為の形式なモノに過ぎぬのじゃ」

「え、そうなんですか?」

「うむ、故に、大王たちへの言い訳は無意味なのじゃ。ワシの時はそれを知らなんだがゆえに、ワシを先に地獄へ送るのかと頭に来て大王を殴り飛ばしてしまってな」



 聞き捨てならない単語に思わず声を震わせる少年。けれども、その震えも直後に返された鬼姫の言葉によって……呆然とするしかない少年を他所に、鬼姫は……ふんす、と荒く鼻息を吹いた。



「あの時は実に大変だったのじゃ。悪気は無いと言うておるのに、地獄の鬼やら大王やらがわらわらと集まってきおってな……蹴散らすのに時間が掛かったのじゃ」

「あ、うん……」

「あの時はもう、色々有ってワシも怒髪天でな。現世に戻る時には天照のやつも出張って来たから本気の大喧嘩になって……いや、すまぬ、いらぬ無駄口なのじゃ」



 ――え、そこで止められる方が気になるんですけど。



 そう言い掛けた少年ではあったが、それを言葉には出来なかった。何故なら、意味深に笑みを浮かべる鬼姫の形相に、思わず口を噤んでしまったから。



「どうやら、この奥に『核』があると見て間違いないのじゃ。ワシの『せんさー』がビンビンなのじゃ」



 そう、鬼姫が呟いて、すぐ。



 かちかちかち、と。



 微かに響いた物音に、少年が何気なく懐中電灯の明かりを階段下の暗闇へ向けた――瞬間、ぬるりと光の中に姿を見せたのは、またもや『蟲』であった。



「――っ!?」



 ミミズに人の身体を掛け合わせたかのような異形の姿に、びくん、と少年は身体を硬直させた。こんな場所に居るだなんて、考えていなかったのだろう。


 逃げる事はおろか身構える事すらも出来ないまま、その『ミミズ蟲』はぐぎゃぐぎゃと気味の悪い雄叫びと共に、素早く階段を駆け上がって――だが、そこまで。



 ――前触れもなく、光が――そう、少年が手にしているスマホより放たれた光が、その全身を覆うようにしてふわりと広がった。



 その正体は、聖なる力。鬼姫が放つ『負の力』とは対極に位置するモノ。


 それが硬直する少年を護り、逆に、『ミミズ蟲』の触手のような手足が――少年に近づいた事で、瞬時に焼け爛れてしまった。



「あつぅい!?」



 ついでに、少年を護ろうとしていた鬼姫も焼いた。大したダメージではないが、あまりに想定外の事に、ぴょいん、と飛び退いたぐらいであった。



「な、何じゃいきなり!?」



 堪らず、鬼姫は怒りを露わに振り返った。



「え、あ、その、何か、パンdeぐらたんさんが、『何かヤバい気配しているから結界張るね♪』って……あの、ごめんなさい」



 何が何だか分からないが、悪い事をしたと思ったのだろう。


 申し訳なさそうに頭を下げる少年の姿に、「い、いや、お主が悪いわけではないのじゃ、気にするでない」こんな子供相手にと、振り上げた怒りをそっと静めた。



 ……じゃが、機会があれば、ぐらたん野郎だけは絶対ぶん殴っておくのじゃ。



 とりあえず、そう己を慰めた鬼姫は……改めて、階段向こうへと続く闇を見やる。そして、無言のままに手に蒼き炎を灯らせ、それを一振りの槍に変えると――無造作に投げつけた。



 ――鬼姫が投げつける、『負の力』が凝縮された青き槍。



 それは、闇の向こうで待ち構えていた『蟲』を貫いた。その勢いは止まらず、懐中電灯の光の届かぬ闇の中で蠢いていた他の蟲をも蹴散らして消滅し――最後に、ドゴンと、何かにぶつかって槍は消えた。



 ……。


 ……。


 …………ふむ、これで良い。



「よし、邪魔なやつは蹴散らし――あつぅい!?」

「あ、あの、すみません! 何かまた、『やべぇの使ったから結界パワー増し増しね♪』だ、そうでして……」

「うぐ、うぐぐ……いや、済まぬ、言われて気付いたのじゃ。ワシの短慮が招いた事……非は、ワシにあるのじゃ」

「で、でも、ごめんなさい」



 謝りつつも、少年は……ふと、思った。




 ――もしかして、『パンdeぐらたん』さん……この子とは知り合いなんだろうか?




 でも、それを言葉にはしなかった。辛うじて声に出さないだけの冷静さは……少年にもまだ、残されていた。





 ……。


 ……。


 …………階段には、照明らしき器具は何一つ設置されていないのだろう。いや、正確には、階段を下りた先にも続いていた、通路にも。


 どこにも、照明器具らしき物は見当たらない。


 おかげで、通路の中は真っ暗だ。文字通り、光一つ入らない地下の空間。懐中電灯の明かりではあまりに頼りなく、まるで光が呑み込まれているかのようにジワジワとライトの先端がゆらゆら揺れている。



 ……そう、本来ならば、そうなっているはずであった。



 懐中電灯を持っているのは少年だけで、それ以外に明かりに成る物は何一つない。乾電池が3本入っているだけの、非常に頼りない唯一の明かり。


 強いて他を挙げるならば、スマホのライトぐらいだが……その程度では、何処までも広がっているようにすら思えてしまう暗闇を祓う事など出来はしない。


 暗闇などモノともしない鬼姫ならともかく、特別な『力』を持たない少年には……『蟲』の事も相まって、かなり辛いものがあるだろう。


 己がどうなっているのか、時間すら見失うほどの、暗闇がもたらす重圧。何の訓練も受けていない人なら、瞬く間に精神を擦り減らしてゆく……極限の状況。


 地下ゆえに音は無く、聞こえてくるのは己が吐き出す呼吸音と、心臓の鼓動と、足音。そして、鼓膜が破れそうなほどに響く、静寂がもたらす耳鳴りだけ。



 それ以外の音がすれば、それは『蟲』だ。



 暗闇の奥に潜んでいたのか、それとも外から入って来たのかは不明だが、分かることは一つだけ。それは、どちらにしても、自分たちに襲い掛かってくる『敵』ということだけ。



 ――恐ろしい話だ。



 前から来るのか後ろから来るのか、近づいているのか離れているのか、何一つ分からない。


 分かるのは、ただ、『蟲』が居るということだけ。


 本来ならば、少年は呼吸すらままならなくなるほどの緊張感と恐怖に苛まれ、錯乱していてもおかしくなかっただろう。


 ――だが、しかし……少年は、そうならなかった。



「……あの、なんか、ごめんなさい」



 前を歩く鬼姫に謝る、少年。



「お主が謝る必要はないのじゃ……」



 対して、にゅいーんと長く伸びた影法師を作っている、鬼姫。



 ……そう、少年はそうならなかった。何故ならば――少年の全身が光り輝き、闇を照らしていたのだ。



 その眩しさは相当なモノで、直視すれば目が眩んでしまうぐらいの明るさで。少年を中心に、おおよそ半径30メートル前後……それまでは、まるで昼間のように明るい。


 単純に光が届いている距離にもなれば、その10倍はあるだろう。つまり、相当な距離まで光は届いており……同時に、その光が届く範囲において、『蟲』たちは火に飛び込む羽虫も同然の状況であった。



 ……。


 ……。


 …………さて、まるで意味が分からないだろうから、簡潔に状況を述べよう。



 それは、突然であった。



 地下への階段を折り始めてすぐ、少年の身体がこれまで以上に輝き始めたのだ。えっ、と驚く合間に光は強まり……あっという間に、小さな太陽が如き輝きになってしまったのである。



 原因は、考えるまでもない。曰く『ここってガチでヤバそうなんで、パワーつよつよでイキマスね♪』である。



 その眩しさは鬼姫も思わず目を瞑ってしまい、直視する事が出来ないぐらい。加えて、その光には当然のように『生の力』……すなわち、鬼姫のような存在には毒にしかならない『力』が含まれていた。


 つまり、先ほど『蟲』たちを殺した結界のアレが大きく広がったようなものだが……これには、鬼姫も困ってしまった。



 何せ、眩しい。本当に、眩しい。



 結界を構成する清浄なる力なんぞはどうでもよくて、とにかく眩し過ぎる。あまりに眩しくて、直視出来ない。袖口で隠しながらでも難しくて、必然的に背を向けるしかなくなったぐらいに眩しいのだ。



 そりゃあ、明るいのは有り難い。



 夜目が利く鬼姫ならまだしも、少年の精神を安定させる為には、何処に潜んでいるか分からない状況よりも、視界がしっかり開けている方が良いに決まっている。


 事実、地下へと降りた当初に比べ、明らかに少年の身体からは余計な力が抜けていた。引き攣るような呼吸音も穏やかに、足取りも軽く、顔色だって良くなっている。


 最初の頃は『蟲』が姿を見せる度に肩が震えていたが、10メートルも近づけないまま灰のように朽ち果て消えるのを繰り返し目撃すれば……心に幾らかの余裕が生まれるのは当然だろう。



 ……対して、鬼姫の方はといえば……けして、快適とは言い難い。



 背後から吹き付けられる『力』によって生じる、チリチリとした熱気。溜まり続ける不快感を発散したくとも、その相手となる『蟲』たちは鬼姫が攻撃する前に消滅してしまう。


 地下通路は今のところは一本道で、途中で幾つか部屋を見つけるぐらいしか変化はない。


 扉を開ける度にいちいち少年から放たれる眩しさが目にちらつくし、その部屋の中も、これといって気になる物は何もなく、駅員室と同じように引き払われていて何も無い。


 おかげで……地下に入って20分も過ぎる頃。しかめたままの鬼姫の顔は、老人のようにしわくちゃに強張っていた。



「……大丈夫ですか? こっちは全然眩しさを感じないから分からないんですけど、その、辛いのでは?」

「大丈夫じゃ……ただ、肩が凝って堪らんのじゃ……」

「あの、大丈夫そうだから、少し離れましょうか?」

「いや、それは止めるのじゃ。その結界とて万全ではないじゃろうし、万が一もあるからのう……」

「なら、少し休憩しますか?」

「いや、進むのじゃ。大本の気配に近づいている感じがするのじゃ……さっさと倒して、ここを出たいのじゃ……」



 そう答える鬼姫だが、その声色に元気は無い。言葉通り、肩が凝るのだろう。


 時折立ち止まっては肩をトントン、ついでに腰をトントン……とぼとぼとした足取りも合わさって、その背中には何とも言い表し難い哀愁が漂っていた……と。



「……む、この部屋、何か変じゃな?」



 通路を進む事、幾しばらく。通算、7個目となる部屋の前(つまり、扉の前)に立った鬼姫は、これまでとは異なる反応を見せた。


 部屋の名称を示すモノは何も無い。部屋の中に、不穏な気配も無い。だが、どうしてか……違和感を鬼姫は覚えた。


 なので、入ることにした。


 ばきり、と鍵を壊して中に入れば、これまで見つけて来た部屋と同じく、備品一つ置かれていない、がらんとした内装が鬼姫たちを出迎えた。



「……何もありませんね」



 続いて入って来た少年が、室内を見回しながらポツリと呟く。少年の感想は、見たままの事実であった。


 地下なので窓は無く、部屋の隅に換気扇が設置されている。スイッチを入れる……と、不思議な事に、この部屋は電気が通っているようで、換気扇が動いた。


 こうなると、照明も点くのだろう。広さは……だいたい、8畳ほどだろうか。会議室として使うには少々手狭なこの部屋は、以前、何に使われていたのだろうか?



「……あの?」

「少々、そこで待っておれ……ええい、眩しいのじゃ」



 少年の目から見れば、何もおかしい所は見当たらない。しかし、鬼姫は何かを察知したのだろう。


 少年が入ったことで更に眩しさが増した事で、更に鬼姫の表情が酷い事になっている中、それでも手探りで室内を歩き回り……不意に、その足を止めた。



「何か有るのじゃ」

「え?」

「ココに、何か有るのじゃ」



 ――もしや、これが『核』なのでは?



 そう思いながら、『少年の目には何も無い空間』へと、鬼姫は手を伸ばし――た、その瞬間。



 ――カッ! と。



 これまで眩しさを感じなかった少年すらも目が眩むほどの、強烈な光。あまりに突然過ぎて、「うっ!?」堪らず両腕で目を隠してしまうほどの、光の暴力が室内を覆い尽くす――その最中。




「ぐぉああああ!!!!??? 目がぁぁあ!! 目がああああ!!!!」




 ごろごろ、と。


 真正面からまともに光を浴びてしまった鬼姫は、完全に目が眩んでしまった。さすがの鬼姫もこれには堪らず転げまわり、ビクビクと身体を痙攣させるしかなかった。


 ……そんな鬼姫を他所に、だ。


 光は、思いの外早く治まった。恐る恐る、腕の間から顔を覗かせた少年は、「――え?」一変していた眼前の光景を前に、先ほどとは異なる理由で目を瞬かせた。



 異なる光景――簡潔に述べるならば、そこはいわゆる汚部屋おへやというやつであった。



 床一面、それこそ、足の踏み場を探さなければならないほどに無造作に放り棄てられた、ゴミの数々。辛うじてテーブルの存在が確認出来たが、あまりに物が置かれ過ぎていて、もはや集積所だ。


 ちなみに、まだマシな方だろう。


 そうやってテーブルの辺りに袋で纏められているのは、まだマシな方。酷いのになると、僅かに汁の残ったカップ麺やら割り箸やら飲みかけのペットボトルやらが剥き出しのまま転がっていた。



「うわぁ……」



 室内を見回した少年は、それ以上の言葉が出なかった。


 よく見れば、ゴミだけではない。おそらくは使用済みと思われる衣服(下着も含めて)が部屋の隅に纏められており、皺だらけの小山を形成している。もしかしたら、未使用が紛れているのかもしれないが……うわぁ。


 ……パンツまで転がってるよ。


 少年の視線が、明らかに使用済みと思われるパンツにて止まる。状況次第によっては落ち着きがなくなる光景だが……はっきり言って、多感な時期の少年ですら、そう思えない光景であった。


 ……例えそれが、滅多にお目に掛かれないレベルの美女の私物であろうとも。



「……誰だろう」



 ぽつりと、少年は呟く。


 そう、少年の視線の先。ゴミだらけの汚部屋の中で、ぐうぐうと寝息を立てている半裸の美女へと止まった。


 美女は、この汚部屋と共に出現した人物であり、目に毒な姿をしていた。


 薄いタンクトップは二つの膨らみをグイッと押し上げ、へそが見えている。正面からでなくとも谷間が確認出来るばかりか、ぽっちりとはみ出してすらいた。



 ……何だか見てはならないモノを見てしまった気分だ。



 視線を変えれば、壁一面を覆い隠すほどのディスプレイ。まるで、門番が如く左右に設置され、ステンレスの棚にて整然と積み上げられているPC本体と、周辺機器。


 おそらく、自作か改造か。一般人なら思わず身を引くぐらいの圧迫感だ。


 壁に照明器具を設置しているかのような煌々とした画面には、ゲーム、アニメ、ドラマ、様々な映像がバラバラに映し出されている。その、画面の光に照らされている床もまた……あ、いや、そっちはゴミしかない。



 ……。


 ……。


 …………どうしたものか、少年は手元のスマホに視線を向け……次いで、美女に声を掛けた。



「あの、少し良いですか?」



 起こすつもりで、普段よりも大きな声を出した。


 けれども、美女の寝息に変化はない。もう少し大きな声を出すが、寝息は変わらない。ならばと肩を揺さぶってみるも、眠りから覚める気配はない。



 これは……困ったな。



 内心にて、少年はため息を零した。男相手なら無理やりにでも起こせるが、女性だ。それも、妙齢のうえに下着姿……いったい、何者なのだろうか?



「うぬぬ……今日は厄日なのじゃ」



 見守るしかない少年を他所に、ようやく回復したのだろう。


 のそのそと、顔をしかめたままではあるが、鬼姫が身体を起こした。そして、チラリと少年を見やり……一変した室内をぐるりと見回し、次いで、寝息を立てている美女へと視線を向けると。



「……お前、こんな場所に引き籠って何をしておるのじゃ」



 深々と……それはもう、身体中に溜め込んでいる活力を全てため息に変えてしまったかのような、大きな大きなため息を零したのであった。



 ……。


 ……。


 …………当然、その溜息の意味が分からない少年は、困ったように首を傾げながらスマホを見やった後……恐る恐る、鬼姫へと尋ねた。



「あの、その人とは知り合いなんですか?」

「知り合いというか、腐れ縁じゃな。何度か殴り合いをした程度の仲なのじゃ」

「……そ、そうなんですか」

「うむ。こやつは隙あらば、こういうジメジメした場所に引き籠るやつでな……ツクヨミのやつも嘆いておるのじゃ……さて、と」



 軽く引いている少年を他所に、鬼姫は無造作に美人の傍へ寄ると……それはもう部屋中に響き渡る程の強さで、ばちーん、と尻を引っ叩いた。思わず、見ているだけの少年が身を竦めるぐらいであった。



「いっ、だっ!?」



 ――当然、いくら眠りが深くとも、それだけの力で叩けば象でも飛び起きる。



 びくん、と打ち上げられた魚のように飛び跳ねて目を覚ました美女は、困惑した様子で辺りを見回し……その視線が、己を見下ろす鬼姫と、その後ろで成り行きを見守っている少年を捉えた。



「……あれ、「ワシの名を出すな」……チビちゃん、何であんたが此処に居るのだ?」

「それはワシの台詞じゃ。お主は何度引き籠れば気が済むのじゃ、『アマテラス』よ……して、お主がこんな場所におる理由は、何時も通りか?」

「そりゃあ、あんた……ちょっと待て、コーヒー飲んで眠気飛ばすから」



 寝ぼけ眼を擦って欠伸を零しながらの質問に、鬼姫は逆に質問をする。


 けれども、アマテラスと呼ばれた美女は寝起きもあって質問に答えず、のそのそと傍のゴミ山から缶コーヒーを……えぇ……。



 ――それ、ゴミじゃなかったのか。



 そう言い掛けたのは、果たしてどちらが先か。封が空いていないとはいえ、もう少し抵抗感が有っても……いや、無いからこの汚部屋に居ても平気――ん?



「何じゃ、少年よ」



 袖を引かれたので振り返れば、困惑した様子の少年がそこに居た。



「あの、あの人ってどういう人なんですか 『ぐらたんさん』が草を生やしっぱなしで要領が得なくて……」

「どういう人、というよりは、どういう神か、じゃな。信じ難いとは思うが、アレは天照大御神(あまてらすおおみかみ)の分霊……分身みたいなものなのじゃ」


 ――草が生えっぱなしとは、いったい?



 何の事かなと思った鬼姫だが、「はあ、そうなんですか……」いまいち分かってなさそうな少年を見て、まあワシが知らなくても問題はないかと改め、アマテラス……いや、天照を見やった。



「――シャアアオラァァァ!!! 来い来い来い! 虹色来い! 虹色来い! 虹色来い! 来いやオラァアアン!!!!」



 すると、いつの間にか……少年と同じくスマホを片手に絶叫している残念美人。



「来い来い来いこ――ぬぁあああ!!!??? てめえじゃねえよすり抜けるなよなあああああ――最後の石がぁあああああ!!!!!!」



 ……いや、残念な神様が、居た。


 何か、悲しい事があったのだろう。悲鳴と共に頭をかきむしる姿は、神様どころか怨霊のソレである。


 100年の恋ならぬ、100年の信仰が冷めそうな光景だ。


 先ほどまで缶コーヒーを飲んで眠気覚ましをしていたはずなのだが、本当に何時の間に……堪らず、鬼姫はため息を零した。



 ……天照大御神あまてらすおおみかみ。日本神話においては『天岩戸あまのいわと』の話が有名だろうか。



 イザナミのみことと呼ばれる最高神と、伊弉諾いざなぎみことと呼ばれる最高神との間に生まれた三大神であり、三貴人とも呼ばれる内の一柱である。


 当然ながら、しょうもない嘘を付く鬼姫ではないから、眼前の天照は本物である。しかし、何時ぞやに降臨したスサノヲとは違い、本物ではあるが本体ではない。


 どうしてかといえば、それは天照の神格と、その性質に原因がある。


 簡潔に述べるならば、人間が生まれた環境、住む場所によって影響を受けるように、神々がその存在を発現する際、その場所(土地)の影響を強く受け、また、影響を与えるのだ。


 清浄なる『生の力』に満ち溢れた場所を(基本的には)嫌がる鬼姫がそうであるように、魚には魚の、神々には、その神々に適した環境というものがある。


 たとえば、スサノヲが最もその性質を強く発現するのは、嵐が吹き荒れる場所。あるいは、海に近しい場所(理想は、海上)で、自然が多い場所も含まれる。


 なので、それ以外の場所……つまり、人間たちが暮らす市街地などではその『力』も『性質』も多大に阻害された状態で発現する。以前、スサノヲ本体が降臨出来た理由が、コレだ。



 加えて、スサノヲは『力』を抑えるのが非常に上手い。もはや、芸術の域だ。



 何時ぞやの『箱(憤怒)』の件から察せられるように、人の中に紛れて生活している時もあるし、何なら霊能力者の目から逃れる事だって朝飯前である……が、しかし。



 対して、天照は……それが非常に下手なのだ。



 故に、神社の中など、元々神々が降り立てる場所、神々が住まう(住んでいた)場所、降臨出来るように準備された場所、周囲への影響がほぼ0に抑えられる場所、そういったところにしか降臨出来ない。


 だが、部屋の散らかり用からも察せられる通り、『やることはやる』のだが、それ以外はてんで駄目。うっかり、周囲を浄化してしまった……なんてことも、過去に有ったとか。


 なので、そこから考えれば……天照本体がおいそれと降臨しない理由もおのずと分かるだろう。


 それに、天照大御神は三大神の頂点にして、太陽神の側面を持つ高天原(たかまがはら)の主神である。つまり、スサノヲよりも神格も『力』も全てにおいて格上なのだ。


 いくら『力』が阻害される場所に降臨したとしても、周囲にもたらす影響は甚大。故に、よほどの理由が無い限りは地上に降りてこない……はずだったのだが。



「何が楽しくて、こんなせまっ苦しい場所に引き籠っておるのやら……」

「……TS合法ロリババァには、分からんでしょうねえ」



 思わず……といった様子で零した鬼姫に、女神は目敏く反応した。「てぃーえすろりばばあ……何じゃそれは、あだ名か?」当然、意味が分からなかった鬼姫は素直に聞き返した……のだが。



「――お前に、『陰の者』の気持ちは分からんでしょうねえ!!!」



 何故か、いきなり怒鳴り返された。その手は再びスマホを掴んでいて、何やら警戒なBGMが流れていた。



「『陰の者』には『陰の者』としての暮らしがあるのだ! 『陽の者』はすぐそうやって『陰の者』を差別して……そういうことするから吾輩が岩戸(いわと)にこもる事になるのだ、分かったか!?」

「え、いや、ワシはまだ何も……」

「分からないなら放っておけ! 吾輩はこれよりてぇてぇ成分を補給してデイリーミッションをこなし、イベントミッションをクリアして石を集めなければならんのだ!」

「いや、だから、ワシは何も……」

「まったく、お前みたいな『陽の者』が傍に居るとガチャ運が吸い取られてしょうがないというのに……今回も推しの為に天丼する事になりそうだ――ふぉぉおおお!!! キタァ! 花婿衣裳来たよコレ尊い、尊すぎる……!」

「おい、話を聞くのじゃ」

「うるせぇ! こっちは尊さをDNAにキメているんだよ……てめえ、これ以上この尊みを邪魔してみろ、吾輩ガチギレすんぞ、本気になったらお前マジでぶっ飛ばすぞ……!」



 あまりに突然というか、脈絡が無いというか。


 後ろで成り行きを見ていた少年は、(ええ……なに、この人……?)コミュニケーション能力に難が有り過ぎるのではないかと思わずにはいられなかった。


 そして、それは鬼姫も同様であった。


 だが、明らかにヤバい目つきになっている天照(分霊とはいえ)に、それを真正面から言えるわけもない。というか、こんな意味不明な流れで戦いたくない。


 社交的とは言い難い性格であり、キレる年頃(1000年モノ)である鬼姫も、「お、おう、済まぬ、ワシが悪かったのじゃ……」これには面食らうしかなかった。



 ……。


 ……。


 …………とはいえ、この状況で無視して離れるわけにはいかない。



「……天照よ、ワシに対して不平不満をぶつけるのは構わぬ。じゃが、此度は無関係なやつもおる。偶然とはいえ、こうして対面したのじゃ……こやつを助ける為にも、少しは協力してくれぬか?」



 ふざけた態度だとしても、実力は桁違いだ。とりあえず、己の背後にて困惑しっぱなしの少年を落ち着かせながら下手に出る。


 すると、ようやく少年の存在に気付いたのだろうか。



「うん? こやつ……?」



 それまでスマホとディスプレイを交互に見てニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべていた天照が、始めて少年を見やり……しばしの間、困惑したかのように目を瞬かせていた。



 ……。


 ……。


 …………そうして、たっぷり10秒ほどの沈黙の後。



「――これだから『陽の者』は嫌いなんだよ! 彼氏なんていませんってツラしといて、こんな可愛い男の子の――滅べ!」

「は?」


「でも大丈夫! 吾輩には可愛い可愛いスサノヲちゃんがいるもの! スサノヲちゃんに比べたら、そんな芋臭いやつはチェリーボーイなのだ!」

「は?」


「その芋臭さとスサノヲちゃんの可愛さに免じて許してやろう! やっぱりスサノヲちゃんは可愛いよね! あの可愛さ……はぁ~……しゅき……!」

「 ? ? ? ? ? ? ? 」



 ――おかしい、日本語を話していることは理解出来るのに、何を言っているのかがまるで分からない。



 そう、言い掛けた鬼姫ではあったが、それを口にすると何時ぞやの喧嘩が始まりそうで……そうこうしている内に、天照はごそごそと床に散らばっているゴミ山の中を探り……ほいっ、と鬼姫に投げ――って!?



「あつぅうい!!!???」



 投げつけられたのは、年代を感じさせる黒い剣であった。反射的に受け取った鬼姫であったが、直後に落としてしまった。


 何故なら、触れた瞬間に鬼姫の手から炎が吹き出し、容赦なく手を焼き始めたからで……ギョッと目を見開いて驚く少年を他所に、手を振って火を払うと……ギロリ、と天照を睨みつけた。



「モドキとはいえ、いきなり草薙剣くさなぎのつるぎを投げつけるやつがあるか! お前はワシを殺す気か! さすがにアレはワシでも痛いのじゃぞ!」

「殺しても復活するようなやつが何を言うか……ソレを、この通路の奥にいるやつに刺せ。それで、あんたら二人はここから弾き出され、本来の世界に戻れる。忠告しておくけど、やるならその剣を使えよ……でないと、何処に戻されるか運任せになるからな」



 その言葉に、鬼姫はピクリと眉根を痙攣させた。



「……薄々そんな気はしていたのじゃが、やはり、ここは意図的に作られた異空間なのじゃな?」

「少し違う。『意図的に作ろうとした』っていうのが正しくて、『求めていた結果が偶発的に出来た』っていうのが正解。だから、あいつらもここがどういう状態になっているのかは把握しきれていないし、楔やら何やら色々試したみたいだけど、結局は制御しきれずに放棄したからな」



「あいつら?」



「『科学的に超常現象を解明し、機械技術で超常的な事柄全てを自在に操ろうとしている団体』だよ。正式名称はなんだったかな……まあ、チビちゃんは気にしなくていいんじゃないかな……どうせ3日もすれば忘れる頭だし」

「お前さっきからワシに喧嘩撃っておるのか? やるか? そろそろワシの我慢も限界なのじゃが?」

「なら、一から説明してほしいの? 何百年も前にあんたが色々暴れ回った時に壊滅した陰陽道の組織やら、大陸からこっちに来た時にあんたが潰した邪教やら何やらの成れの果てなんだけど……本当に、一から説明してほしいの?」

「……そんな昔の話を長々とされても困るのじゃ。ワシにも分かるように短く簡潔にまとめるべきだとワシは思うのじゃ」

「つまり、外道な事やってたやつらの子孫が、今も黙々と外道な事をしていて、ここはそんな外道なやつらが持て余して捨てた場所ってこと……お分かり?」

「ふむ、分かり易いのう……助かったのじゃ。これで、こやつを無事に帰らせられそうじゃな」



 頭を下げる鬼姫に、天照は苦笑を零した――次いで、「あ、そうそう……」少年を見やった。



「やるのはチビちゃんじゃなくて、あんたがやりなさいさ」

「え、俺、ですか?」



 いきなり話を振られた少年は、困惑した様子で己を指差した。「俺がやるよりも……」ちらりと、少年の視線が鬼姫へ……まあ、少年の反応も当然である。



「あんたもさっき見ただろ。チビちゃんは剣を持てない……あんたなら持っても影響は無い。ここまで守って貰ったのだろう? ならば、一つぐらいは男を見せるべきだとは思わんか?」

「は、はあ……分かりました」



 けれども、そう言われてしまえば、拒否など出来るわけもなく。


 鬼姫の方もアレを持つのは嫌だったので、これは楽が出来るのじゃと安堵のため息を零した――と、思った直後。



「――さて、吾輩も他所へ引っ越すから、これでお別れだな」

「え?」

「居場所を知られた隠れ家なんぞ、もはや別荘も同じ。次の隠れ家に移動するのは自然の流れ……では諸君、さらばだ!」



 呆気に取られる間もなく、ピカッと光が部屋中を埋め尽くした。ハッと、瞬きした直後にはもう、そこには何も無く……その前の、何一つ物が無い無機質な部屋に戻っていた。




 ……。


 ……。


 …………出現したのが突然なら、消え去ったのもまた突然であった。



 人が神の御心を理解出来ないように、神もまた人の心を理解出来ない。まるで、それを体現していたかのような慌ただしさに……鬼姫も少年も、ぽつん、とその場に立ち尽くすしかなかった。



「……あの神様、何なんですか?」

「言うな、アレでも高天ヶ原たかまがはらに居る方はしっかり仕事をしておるのじゃ」

「は、はあ、そうなんですか……」



 立ち尽くすしか、なかったのである。



 かつては帝をも震え上がらせた伝説の怨霊も、痛いモノは痛い事に変わりはない。誰だって、燃えると分かっているモノを持ちたくなどない。


 出来る事なら痛い事は避けたいし、面倒事は他人に擦り付けたい……それは、鬼姫とて同じなのであった。





 ……。


 ……。


 …………で、部屋を出て、再び通路を進む事……10分程。


 思いの外早く、最深部と思われる(天照の話では、だが)行き止まりへと到着した。


 最深部の行き止まりは、これまでコンクリートやタイルで整備された通路とは違い、岩石やら何やらが剥き出しになっている。


 だが、只々剥き出しのまま放置されているわけではない。


 剥き出しの壁の大半を覆うようにして設置されている、奇妙な造り(少なくとも、鬼姫が見た限りでは)をした祭壇が、何とも言い難い存在感を放っていた。


 どうして、そう思ったのか……それは単に、祀られている御神体(実際は、違うのかもしれないが……)と思わしきソレは、鬼姫の感性からすれば、『不気味』の一言であったからだ。



 ……まず、奇妙な造りと思った理由……それは、御神体を祀る祭壇なのだが、それが鬼姫の知る祭壇とは形が異なっている。



 見たままを言葉にするなら、大きなカプセルにホルマリン漬けされた標本だ。それも、ただのホルマリン漬けではなく、何やらハイテクな機械に繋がった、よく分からない作りをしている。


 それが、全部で三つ。三つの、機械に繋がった、実際はホルマリンなのかどうかすら分からない液体に浸された三つのナニカ。


 はっきり言って、鬼姫は当初、それが祭壇であるかどうかすら分からなかった。分かったのは、液体に浸けられたその三つからは『力』を感じ取れて、直感的にそれが御神体であることに気付けたからだ。


 そう、不思議な事に、ここには御神体が三つもある。御神体そのものは同じなのだが、それも、本体となる御神体の御霊が分けられたものではない。


 例えるなら、器は三つとも同じなのに、中身だけが三つとも違うのだ……この時点で、意味が分からない。


 加えて、場合によっては互い打ち消し合うという……ある種の『三すくみ』にも似た形が取られているのである。これでは、神がこの御神体に居る意味がない。


 しかも、どうもこの御神体に宿っているのは……善神ではない。かといって付喪神の類でもなく、悪神や邪神といった、人々に害意をもたらす類の神でもない。


 どちらでもないのだ。色で例えるなら、透明である。薄らと、『神』としての気配を感じ取れはするが……それが限界だ。


 探れば探る程、まるで手応えが無い。鬼姫の目を持ってしても、御神体に宿る神がどのような性質なのかが読み取れない。奇妙を通り越して、もはや不気味の領域だ。



 そのうえ、肝心な御神体はと言えば……『頭部が異常に大きな遺体』である。



 生まれつき頭部が大きいなんて話ではない。あまりに、大き過ぎる。しかも、大きいのは大脳が納まっている上部だけ。電球のように、そこだけが大人でも抱えるのが難しい程に大きいのだ。


 明らかに、人為的に(あるいは、意図的に)作られた存在だ。


 これ以上ないぐらいに大きく見開かれた目は、今にも飛び出しそう。おそらく、目を閉じることが出来ないのだろう。頭部の肥大に、皮膚の遊びが足りていないせいなのは、一目で分かった。



 ……。


 ……。


 …………いったい、どのような存在が居るのだろうか。



 強いて気になる部分を挙げるならば、そこだろう。本当に、見れば見る程に気味が悪ければ趣味も悪く、正気すら疑う御神体である。


 そう、鬼姫は思うのであった。



「……よし、刺すのじゃ」



 とはいえ、怖気づいてばかりもいられない。それに、やるのは己ではなく少年なのだと気持ちを改めた鬼姫は、やれと少年に促した。


 闇夜の中で出くわせば腰を抜かしても不思議ではないアレな外観だが、幸いにも、少年の身体(正確には、スマホからだが)は今も光り輝いている。


 なので、御神体の異形な姿にピクリと身体を震わせこそすれ、怯えて足を止めるようなことはなかった。



「え、どれに?」



 しかし、当然、いきなり言われてやれるわけもない。というか、知識も何もない少年の目から見ても、御神体と思わしき物体は三つあるのだ。


 御神体の薄気味悪さは別として、どれを刺せば良いのだろうか。加えて、三つの御神体は全てカプセルに収まっている。そのまま刺すにしても、これでやれば……折れるかもしれない。



 ……ちらり、と。



 鬼姫が持てない黒い剣(曰く、草薙剣もどき)へと視線を落とした少年は、困ったように鬼姫とを交互に視線を向けるしかなかった。



「どれでも良い。見た所、ソレは三つが揃って一つを成して……いや、正確な所はワシにも分からぬのじゃが、おそらく、ソレは三つが揃っている事に意味があると思うのじゃ」

「え?」

「でなければ、そのような造りにする意味が無い。意味は分からぬとも、意味が有るのは確か……故に、一つでも崩してしまえば、後は総崩れよ……どれだけ奇奇怪怪であろうと、原理は同じなのじゃ」

「……でも、その」

「安心するのじゃ、その程度で剣が欠けたりはせぬ。紛い物とはいえ、神剣じゃからな」



 ――だから、やれ。



 そう言われれば……鬼姫に……というか、ここまで守ってくれた相手からの指示を無視する厚顔無恥さは、少年には無い。


 とりあえず、少年は言われるがままに剣を構え、一番近しい位置にある御神体へと切っ先を突き刺した――と、思った時にはもう、刃は深々と御神体に刺さっていた。



「えっ!?」



 分厚そうなガラスの抵抗なんぞ、傍から見た限りでは何も感じさせない。まるで、空気を貫くように、刀身はあっさりと半ばまで埋もれた。


 少年の、驚愕に見開かれた眼。ぴくり、と震えた、両手。


 おそらく、肉を刺した感触を感じなかったのだろう。あるいは、もっと別の……言葉では語れぬおぞましい感触がしたのかもしれない。



「あの、これっ――」



 振り返った少年の視線が、鬼姫を捉え――。





 ……。




 ……。



 …………うん?




 ふと、目が覚めた鬼姫は……最初、自分がどうなっているのかを上手く認識出来なかった。


 どこか見覚えのある光景、つい先日も聞いた覚えのある異音。がやがやと、やかましいとすら思えてしまう人々の喧騒に、鬼姫はむくりと身体を起こした。



 ……起こした?



 その瞬間、ようやく血が頭に回った(まあ、鬼姫は死者だけれども)のだろう。ハッと我に返った鬼姫は、反射的に辺りを見回し……おや、と首を傾げた。


 いったいどうして……それは、鬼姫が記憶している直前の景色と、現在の景色とがあまりに違いが有り過ぎたからだ。


 具体的には、鬼姫は駅構内のベンチに座っていた。


 つまり、先ほどまでそこで寝ていたわけだが……問題なのは、そこが、鬼姫が本来降りようとしていた、神社(お由の神社である)の最寄駅のベンチであったことだ。


 しかも、時刻は……昼の11時07分。


 照明の眩しさとは異なる、太陽の光。それを薄らと感じ取りながらも、何気なく構内に設置された時計を見やった鬼姫は……はて、と首を傾げた。


 都心ではないとはいえ、人通りはしっかりある。その顔ぶれはどれも普通の一般人……死者ではないし、あの場所で何度も遭遇した『蟲』のそれとは大きく違う。



 違うと言えば、恰好も違う。



 記憶が確かなら、何時もの楽な姿……角を生やした巫女服姿だったはずが、今の鬼姫は白いワイシャツに赤いスカートにおかっぱ頭だ……つまり、周囲に害を及ばさないよう『力』をグッと抑えた状態だ。


 それは、『そこむし駅』にて降りる前の……お使いに出ていた時の姿であって……自然と、鬼姫は……己の姿に首を傾げた。



「……夢を、見ておったのか?」



 そう呟いた直後、そんなはずはない、と鬼姫は内心にて首を横に振る。


 おそらく、御神体を破壊した事であの世界を構成する術が解かれ、外の世界……要は、鬼姫たちが暮らす本来の世界へと弾かれ、戻されたのだろうが……確かめる術は、ない。


 それに、アレだ。


 感覚的な話ではあるが、アレは、夢にしては明らかに鮮明過ぎた。長らく存在している鬼姫とはいえ、あそこまで鮮明な夢はこれまで一度として見た覚えはないからだ。



(……ふむ?)



 それと、もう一つ。どうにも腑に落ちないというか、気になるのは……その前の記憶と、今の状況とが合致しないことへの説明が付かない事だろうか。


 それがどういうことかと言えば、鬼姫の記憶では、『そこむし駅』へと到着する前の記憶は、電車に乗っていた辺りまで。より詳細に述べるのであれば、座席でうたた寝していた辺りまでだということ。


 と、なれば、鬼姫が次に目覚めるとしたら、同じ電車の中か、終点である。あるいは、親切な駅員が声を掛けた時点だろうが……それでも、眠ったままの鬼姫を運び出すようなことはしない。



 なのに、鬼姫は電車の外に居る。それも、降りようとしていた目的の駅に。



 眠っている鬼姫に気付いた親切な駅員が、たまたま鬼姫の降りようとした駅に、鬼姫を起こすことなく下ろす……そんな事が、あるのだろうか?



 可能性として、有るのだろうか?



 内心にて、鬼姫は再度首を傾げる。いや、酒を飲んで気持ちよくなっていたなら分からないでもないが、道中は完全に素面だったし、己に気付かせないままそんな事が可能なのは……だ。



 ……。


 ……。


 …………何だろうか、何となく、何かしらの思惑を感じずにはいられない。どうにも、何かに巻き込まれたような気がしてならない。そう、鬼姫は思った。



 ――どうにも、しっくり来ない。何がどうなのか、鬼姫自身にも分からないが……どうも、スッキリしない。



(なんじゃろうなあ……この違和感は……)



 思い返せば、何もかもが分からないままに事が終わったような気がする。あの『そこむし駅』もそうだが、あの『蟲』もそうだし、どうしてあの場所に入り込んでしまったのか……それすら謎だ。


 結局、あの場所が異質な空間であり、何者かの意志によって生まれた場所であるのは天照の発現からも……まあ、そこらへんは薄々と察していたが……そもそも、天照の事もそうだ。


 伊達に、天照と殴り合いはしていない。大して仲良くはないが、天照の性格ぐらいは把握している。だからこそ、違和感を覚えるのだ……いくら天照でも、あんな場所にわざわざ隠れ家を作るだろうか?



(本当に一人ぼっちになると拗ねるからのう、あやつは……人の多い場所の隅っこに、こっそり隠れ家を作りそうなものじゃが……)



 だが、考えたところで答えなんて出るわけもなく……すぐに、思考は最初に戻される。




 ……。


 ……。


 …………少なくとも、鬼姫は……此度の騒動が腑に落ちなかった。思い返してみれば、始まりから何から何までワケが分からないままに事が進み、気付けばこのような……あっ。



(そういえば、あの少年はどうしたのじゃ?)



 今更ながらにその事に思い至った鬼姫はベンチから飛び降り、辺りを見回す……が、当然のことながら、少年の姿は見つけられなかった。



(……無事であれば良いのじゃが)



 この際、自分の事はどうでも良い。重要なのは、あの少年が無事にあの地を脱出し、平穏無事なここへ戻れている……それだけだ。


 何せ、連絡先はおろか名前すら(仕方がない事とはいえ)知らない相手だ。よほど目立つ特徴が有れば別だが……いや、特徴が有ったところで探し出す事なんて鬼姫には不可能だ。


 既に起きて、帰路に着いているのであれば良い。


 しかし、万が一、自分だけがこっちに戻れて、あの少年があそこに置き去りにされたのだとしたら……もう、鬼姫にはどうにも出来ない。『そこむし駅』に行くことすら、鬼姫には出来ないのだから。



 ……。


 ……。


 …………まあ、天照の事だ。苛立ちを覚えるぐらいの面倒な性格をしているが、やる時はきっちりやる、仕事が出来る女神だ。


 おそらく、鬼姫がそうであるように、少年もまた、少年が本来行こうとしていた目的地の辺りで目を覚ましているのだろう。


 そう、考えた鬼姫は……さて、と気持ちを切り替えると。



「……帰るとするかのう」



 さっさとお由が待つ神社へと帰る事に――決めたのだが。



 気付いたのだ。



 気付いて、しまったのだ。



 勝手知ったるとは言い過ぎだが、見覚えのある光景。自然と気が楽になった鬼姫は……改札口を前にした、その時に。



「さて、切符、切符と……あっ、そうじゃったな」



 本来であれば、この駅にて使うはずだった切符を、『そこむし駅』を出る時に置いてきた事を……思い出した。



 そこまでは、いい。切符の買い方は、耳にタコが出来る程に聞いていたし、わざわざ図にしてまで教えて貰ったから、その点は心配ない。



 問題なのは……そう、問題なのは、事前に持たされた財布を開いた、その瞬間……鬼姫の表情が凍りついた、その時。



 券売機の列に並んでいた鬼姫は、凍りついた顔のままに列を離れる。訝しむ人たちの視線を尻目に、鬼姫はそのまま人の流れに逆らって……他に比べていくらか閑散としていたトイレの中へと入ると。



(――しまったのじゃぁあああ!!!! 残ったお金、ぜーんぶ買い食いに使ったのを忘れていたのじゃぁあああ!!!!!)



 声には出さなかったが、心の中で大絶叫した。それは、これ以上ないぐらいに鬼姫の内心がこもった、魂の叫びであった。



 そう、鬼姫はすっかり失念していたのだ。



 お使いの品も土産物も買ったし、どうせ後は帰るだけだと思って、残ったお金で買い食いした事をすっかり忘れていた。


 おかげで、切符を買う所ではない。自販機の安いジュースを一本買える程度しかない。一番安い切符ですら、今の鬼姫には手が届かないのだ。



 ……非常に、困った。たらり、と、鬼姫の頬を冷や汗が伝う。



 人助けの為ならばまだしも、今回は違う。自身が汚名を被るぐらいはどうでもいいが、今の鬼姫は恩人である亡骸に憑依している……間違っても、この身体につまらない罪を背負わせるのは鬼姫の矜持が許さない。


 かといって、鬼姫自身が戻るだけなら、憑依しているこの身体から出れば勝手に神社に戻されるが……そうすると、この身体を此処に置き去りにしてしまう事になる。


 そうなれば、確実に大騒ぎだ。何せ、鬼姫が憑依しているからこそ、傍目には『生きているように見える』のだ。


 鬼姫が身体から離れた直後、顔色は白く、血の色は消え、一目で死体だと分かる状態になってしまう。肉体そのものはとっくの昔に死亡し、亡骸となっているのだ。


 だから、鬼姫はこのまま改札口を出る必要がある。お金を払って、胸を張って駅を出る必要があるわけ……なのだが。



「来るのじゃ、夕姫(ゆうひめ)よ!」



 とりあえず、1人で考えても埒が明かないと判断した鬼姫は、己の娘(正確には、少し違うが)である夕姫を召喚する事にした。


 この夕姫というモノは、人ではない。鬼姫の『力』を帯びた事で自我を持った140センチ強の人形であり、見た目は(一部を除いて)小学生の女の子(?)である。


 鬼姫の『力』によって生まれた存在なだけあって、鬼姫との親和性は抜群の一言。制限はあるものの、テレポートよろしく、夕姫を召喚する事が出来るのだ。



 念じてから、少しの間を置いて……ふわり、と。



 何も無い空間から突如として現れたのは、大きなシャツにスカートを身に纏った、人形のように整った顔立ち(まあ、作り物だし)の少女……夕姫。


 その夕姫を、鬼姫は素早く抱き留めた。「――うむっ」その際、カモフラージュの為に大きく設計された擬似おっぱいがぼよんと鬼姫の視界を塞いだが……まあ、仕方がない。



「……何故、抱き留める?」

「ここはトイレじゃからな。素足で歩かせるのはあまりに……な」

「なるほど、エンガチョー」



 納得した夕姫は、促されるがまま鬼姫が抱きやすいよう大人しくする。そうして、しっくり来る体勢になった鬼姫は、さて、と気持ちを改めると。



「では、これより、お金を払って駅を脱出する作戦を考えるのじゃ」

「何を言っているのか、分からない」



 無表情のままに(作り物なので、当たり前だが)困惑しているのが一目で分かる夕姫を他所に、鬼姫は宣言したのであった。



 ……。


 ……。


 …………ちなみに、その後。混み始めたせいで10分後にはトイレを出ることになって。


 結局どうにも妙案が思い浮かばなかった鬼姫たちは、『お前らなにやってんの?』といった感じで呆れた様子のソフィアが迎えに来るまで、駅構内をぶらぶら散策するのであった。




なお、ソフィアの顔を見た瞬間、お使いの品の事を思い出し、逃げかけたのは……まあ、いつもの事であった。




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