第5話 散る花

人の命はなんて短いのだろう。

アンと暮らすようになってしばらくして、彼女の義理の母が亡くなった。


出会ったときはまだ少女の面影を残していた彼女も、もう一人前の女主人の風格を身に着けていた。


アンも、彼女の義母のようにいつか命を散らせるのだろう。

そしてそれは、私にとってはあっという間のことなのだろう。

そう思うと胸が酷くざわついた。


アンは、義理の母が亡くなってからも花屋を切り盛りしていた。

義理の母が受け持っていた衣類の修理も彼女がすることになったようだ。


何か助けになることはないかと思って始めたのが、簡単な料理だった。

料理などしたこともなかった私だが、アンが夜、店じまいの準備をしている間に鍋に豆と芋、ニンジンなどを入れ煮込んだものを作ってみると彼女はとても喜んでくれた。

それがうれしくて、私が料理をすることが日課になったのだ。


この呪われた姿になってから、食事というものを摂ったことがなかったのだが、試しに食事の前に座って「食べたい」と願うと目の前の食事が灰になる代わりに私の頭の中に料理の味と満腹感が広がる。

化け物としか思えなかった自分を、少しだけ【ヒトらしい】そう思うことが出来た。


「あなたと一緒に食事できるなんて夢みたいだわ」


「私も、この姿で食事ができるとは思っていなかった」


くすくすと彼女は笑う。

こうして笑うと、出会った時のような少女のあどけなさが残っているように感じる。

彼女の目や口元に刻まれた浅い皺をみて、愛おしさと悲しさが湧き上がってくる。


最期までそばにいよう。


それが私の罪滅ぼしであり、幸せであり、罰なのだ。



何度もなんども花を植え、何度も何度も枯らすことを繰り返していた。

それはあっという間だった。

つかの間の幸せな日々、徐々に老いていく彼女。


だんだん、アンは眠る時間が増えてきた。

私の頭の手入れをできない日が増えた。

階段を降りられなくなった。


再婚をせずにいた彼女には身内はいなかった。

最初のうちは、町の顔なじみの人間がなにかと世話をしに来たのだがいつしかそれもなくなっていた。


私がいなければ、彼女は再婚をして子を設け、こんな孤独な最期を迎えなかったのではないか。

何が「罪滅ぼし」だ。

新たに罪を重ねただけじゃないかとすら思う。


もう長い間寝たきりの彼女のベッドのシーツを変えたり、干草を変える。

彼女を幸せに出来ずに、こんな場所で一人きりで死を迎えさせてしまうことが辛かった。


脈が弱いしわだらけの腕。

出会ったころは豊かな黄金色だった髪ももう灰色になっている。

人は醜い老婆と思うかもしれないが、私にとっては老いた彼女もとても美しく愛おしく思えて仕方ない。


自分と出会わなければもっと幸せになれたかもしれないのに…。


やせ細り生気のない彼女の手を握りしめる。



「あらあら、そんなに泣いてどうしたの?」


幼い子供に言い聞かせるような、しわがれているが優しく甘い声が聞こえた。


彼女が目を細めてこちらを見ていることに気が付く。

そして、私の両目のくぼみから水がこぼれていることにも今気が付いた。


「こんなおばあちゃんになるまで付き合わせてしまってごめんね」


少し自虐的に笑う彼女を見て胸が詰まった。

付き合わせたのは私のほうだ…そう思うけれどなかなか言葉が出てこない。


この時を逃したら、彼女と話せるときは永遠に来ないだろう。

そう感じて、必死に言葉を絞り出した。


「アン…本当にすまない…君の人生を無駄にしてしまった…

私がいなければ一人ぼっちで最期を迎えることもなかったのに…

気がついていたけど…君と離れたくなくて…

人の子の寿命は短いと知っていたのに…

愛する人の幸福を己のエゴで食い潰してしまうなんて…」




「私もあなたを愛しているわ植木鉢頭さん」



私の懺悔を遮ったのは思いがけない言葉だった。

花は咲かなかった。

でも、アンは私を愛していたなんて。


アンは最後の力をふり絞るかのように両手を持ち上げると、私の首に腕を回して顔を近寄せた。


「本当は、どうすればあなたの頭に花が咲くかわかってたの。

でも怖くて試せなかった。ごめんなさい。」


アンの顔が近付き、唇が私の人間であれば口であろう場所に触れる。


「こんなおばあちゃんのキスでごめんね」


彼女は涙を浮かべながらそう言って、ベッドの上に倒れた。

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