第27話 【幕間】自動人形ごっこ-02
制作や修繕など、
共同事務所件作業所件住居になっていて、住人が入れ替わることも珍しくない。
だから、新しい住人には慣れているはずだった。
それなのに、スノウリング邸から戻った彼女を見てパブロは言葉をなくして立ち尽くしている。普段は寡黙な彼の顔に物言いたげな色が浮かんでいる。
聞かずとも理解できるその言葉に、メイベルは先回りして答えた。
「また、拾ってきた」
あまりお行儀の良いことではないが、メイベルには拾い癖がある。
さすがに積極的にゴミ箱を漁るようなことはしないが、ちらりと覗き込んでそこに何かを感じたら、手を突っ込むのも厭わない――
これは例え話だが、同じ状況に立った場合、例えた通りの行動を取るだろう。
「スノウリングの家に……置き去りにされていたの」
「自動人形――じゃないな」
「一人はね」
「どっちが……」
「人間不信の目をしているほう」
パブロはメイベルの後ろに並ぶ二人を見比べた。
髪や瞳の色から同じ遺伝子を受け継いだと判る。
それ以前に顔立ちが良く似ていた。
少し冷たい、鋭利な印象を受ける容貌をしている。
パブロの視線を受け止め、探るように見返してくるのは二人のうち少女のほう。
ちょうどメイベルと同じくらいの年頃に見える。
少しだけ怯えて眉をひそめて、遠慮がちにパブロを見つめた――思わず息を呑む。よく出来ている。
不安に思うのは、公用地で稼動する自動人形に搭載義務があるセンサー・アイの赤い発光が見られないからだ。
パブロは長身を屈めて男の子の顔を覗き込むように見つめた。
視線は交わらない。
男の子はどこをも見ていない。
眼差しは中空を胡乱に眺めている。
すべての物事は無関係であるかのように、何にも注意を払わない。いじけたように結ばれた唇は、しかし内心の不満を伝えるための表情ではないようだ。
両者と対面して、パブロが親しみを覚えたのは自動人形のほうだった。
自動人形はただでさえ人間に快さを与える所作を組み込まれているから、当然といえば当然かもしれない。
「自動人形じゃないんだな」
「見て判るでしょ」
パブロは頷く。本能的には親しみを抱く相手を同類だと認めたくなる。何も響かない、関係を結ぶことが難しい、無反応な相手を同胞としては受け入れがたい。
ここまでのやりとりも、聞こえているのかいないのか、彼に声が届いたようにはとても思えなかった。
「またか」
「なに?」
「……」
がらくたを拾ってきた。
流石にその言葉は飲み込んで、しかし視線で少年を示す。
「すぐに治るよ。大丈夫」
パブロの目を見て意図を解して、メイベルは口の端を吊り上げ笑って見せた。
パブロは嘆息で受け流して、旅から戻った住人を家へと招き入れる。
半ば物置と化していた部屋を大雑把に片付け、ベッドメイクだけ済ませた。
メイベルは二人を――一人と一体を部屋へ案内して、ここがあなたたちの部屋だと伝える。
「ありがとうございます、ご主人様。何かお手伝いすることはありますか?」
「メイベル、で良いよ。フラン。あなたはお客さんだから、手伝うことはない」
「でも……」
「だから、しばらくは休眠状態でいて。必要なときには起こすから」
「畏まりました」
フラン自ら、指示された椅子に掛けて休眠状態になる。
取り残されたアレックスは部屋の前で立ち尽くしたまま動かない。
「……きみも命令がないと動けない?」
ぴくり、と前髪が揺れる。声が届いた。
言葉の調子も理解していたようだ。
少しの苛立ちを意図的に滲ませると、彼は怯えた風に縮こまる。
アレックス・スノウリング。
置き去りにされた男の子。
「お腹、空いてない? なら、今日はもう眠って。明日は町へ出て必要なものを買いに行く。着替えとか、日用品をね。だからちょっとでも元気に歩けるように休んでおいて」
小さく、頷くように頭が揺れた。
だからメイベルは一息を吐いて部屋を出て、後ろ手にドアを閉める。
「……《
いつから見ていたのか、廊下とリビングを繋ぐドアの向こうから半身だけ覗かせて、でもそれだけで充分な存在感を放つ大男・パブロが尋ねた。
先ほど玄関でうかがわせた迷惑そうな調子はもう失せて、彼の本心からの心配が声に表れている。
「違う、と思う。自分は人間だって理解はしてるよ。あえて言うなら『自動人形ごっこ』」
「ごっこ、って」
暢気な響きに焦ったように問い返した。
無理もない――と、理解してあげたい気持ちはある。
大人に置き去りにされた子供に、自分を確かに保てと言うほうが酷だ。
だから抱きしめて、頭を撫でて、いくらでも優しい言葉で慰めてやりたかった。
そうしたほうが、メイベルだってどれほど心地が良いかわからない。
でも今はそうしていてはだめになる。
メイベルは簡潔にパブロへ経緯を説明した。
彼は何者で、なぜ連れて来るに至ったのか。
立ち話に疲れてダイニングへ移動し、今は暖かなお茶を間に挟んで顔を向き合わせている。冷えた指先で暖かなカップに触れると、ぴりぴりと痺れるようだ。
「養うのか。お前が?」
「……検討はしてる。前向きに」
「抱えこむことはない。誰か、ほかにあの子を任せられる人を、まずは探すんだ。居るだろ。両親じゃなくても誰かが」
「今の今まで放っておいたくせに?」
パブロは口を噤む。ため息を飲み込んで、短く吐息した。
親戚も、近所の住人も――誰もあの子を見つけなかった。
頼れる人がいるならば、アレックスはとっくにその人のそばにいるはずだ。
パブロの心配はわかる。メイベルに過ぎた責任を負わせたくないのだと思う。
――でも、あたしは彼を見つけた。
いつも、考える。
ゴミ回収所で、道端で、何気なく目に付いた部品たちが「まだ使える」と気付いてしまったとき。このまま放っておいたら、あの部品たちは廃棄され、あるいは溶かされ再資源化される。せっかく、今そのかたちをしているのに、すべて無かったことにされて消えてしまう。
それをメイベルは惜しいと思う。
このままで使い道があるならば、出来る限りは使うべきだ。
無駄だったなんて思いたくない。
だれかに不要だと判断されたからって、そこで終わりだなんて認めたくなかった。
置き去りにされたのがなんだって言うんだろう。
そんなことをした人たちのために、己を否定して自身の可能性を放棄してしまうのは、そんなのは贅沢な怠惰じゃないか。
「あたしは、見つけてよかったって思ってるよ」
パブロはそれ以上メイベルを諭しても時間の無駄だと悟ったようだ。
呆れ果ててはいるものの、どうせこうなると最初から理解していたはずだ。
理解ある同居人に感謝を示す代わりに、メイベルは彼の太い腕を一度だけ小突いた。
***
アレックスが人形工房コッペリウスへ来て一週間が経つ。
彼はメイベルが促せば食事を摂るしシャワーを浴びるし、最低限の身の回りのことは行った。
勿論排泄もする、眠りもする。自動人形ではなく人間の行動を取る。
そうしていながら、何かにつけては己は自動人形であると示したがるような素振りを見せた。充電椅子に座ってみたり、曖昧な指示に従わなかったり、自分の意見をまるで主張しようとしないとか――それでも、メイベルから見たアレックスはまったくもって人間だ。
表情はいつも強張って迷子の顔のまま、泣きもしなければ笑いもしない。
顔面を引き締めて感情を面に出さないようにと努めている。
それが傍目に判るからもどかしい。
自動人形はそんなにへたくそに表情を繕わないはずだ。
「メイベル。ご主人様の衣類をお持ちしました。お洗濯をお願いできますか?」
「うん。ありがと」
「何かお手伝いできることはありますか?」
「いや、こっちは大丈夫。アレックスの様子を見ていて。何か欲しがったり、どこかへ行きたがったり、そういう反応があったら教えてよ」
「わかりました。では、部屋へ戻ります」
仮契約の期限が切れて、メイベルはフランの主人をアレックスに設定した。
マシンに繋いで解析してみれば、フランにはパスワードもセキュリティも未搭載だと判明したため、苦労なくアレックスはフランの主になった。
だからと言ってアレックスのほうからフランを使うようなことは一切なかったが――世話を焼かれることは拒んでいないみたいだ。
メイベルが洗濯を終えて居間へ引き返す道で、アレックスの姿を見た。
「あ」
トイレのドアを閉めて、部屋へ戻っていく。
フランが後を付いていないことから、言いつけて部屋で待たせているのだろう。
ということは、フランとなら彼は会話をするのだ。
メイベルへは最低限の仕草でしか意思を示さないが、自動人形相手にそれだけで指示を与えるのは難しい。
「……ちぇ」
自動人形を二体、同じ部屋に入れたところで、彼らは楽しくお喋りを交わしたりなんてしない。もしも彼らの主がそう行動することを望むなら、誰が見ていなくても会話のラリーを続けるだろう。そうでなければ、人間の見ていないところで人間らしく振る舞う必要はない。エネルギーは有限だ。
だから、メイベルの見ていない時にだけ言葉を用いる彼は、やっぱり自動人形らしくはない。まったく、人間でしかないというのに。
***
寝台の上に横たわっている、それは自動人形の上半身だ。
軽量鉄の脊椎を除かせて、あらゆる管がいまは身体の外に引きずり出されて寝台の脇へ垂れている。
メイベルはいくつもの管のなかから処置すべき一本を見つけ出して、新しい空管を取り付けようとしていた。
ふと顔をあげると、寝台の向こうで男の子が椅子に座っている姿が見える。
充電椅子だが、なるべく人間にも座り心地の良いようなものを選んだ。
まだ小さな身体がすっぽりと椅子に納まってしまう。
アレックスは初期状態の自動人形みたいな表情でメイベルのほうを見ていた。
実際に見ているかは判らない。ただこちらを向いているだけだ。
「これが
聞こえていないかもしれない。意味は伝わらないかもしれない。
けれどメイベルは工程のひとつひとつをアレックスに説明しながら仕事を続けた。
「この子は胴体はエメス社製の汎用型だけど、腕がちょっと変わってるね。筋肉質で太めかな。誰かモデルがいるのかもしれない。重たいから、腕の中の空管もそのぶん増える。空管もいちばん丈夫なものを使ってるね」
痛んだ空管を交換し、メスを入れて作った傷口に同材質の
薄い皮膜を被せると傷口はもう見分けがつかない。
「足は新品に取り替えるんだって。自動人形は足を消耗しやすいから、定期的に交換するのは正しいメンテナンスかな。このお客さんは自動人形を大事にしているね。で、こっちが注文された足。お、エワルド・ワークスの新作だな」
包装紙を剥くと梱包財に包まれた脚が表れる。
「新作をすぐ取り付けちゃうのはちょっとオススメしないけど……まあ、エワルドなら問題ないか」
丁寧に取り除いた梱包材をぞんざいに床に落として、上半身だけの自動人形に足を添えてやる。
「エワルド・ワークスっていうのが今一番大衆的なメーカーだよ。アレックスのお父さんたちはエメス社での仕事が多かったよね。エメス社のほうがちょっと高級かな。長く使うならエメス社だけど、手軽に使うならエワルドがお勧めってかんじ。……」
試すように家族の話題を出してみたが、アレックスからは何の反応も引き出せない。アレックスと建設的な意見を交わすためには、まず彼を人間に戻す必要がある。
今は何を提案しても『ぼくは自動人形だから』の返答ひとつで退けられてしまう。
学校へ行くこととか、親戚に連絡を取ることとか――あるいはスノウリング夫妻の居場所についての推測を聞かせてもらうとか。
いずれの提案・質問にもアレックスはろくな回答を寄越さない。
だからメイベルはアレックスに仕事を見学させ、自動人形と人間との違いや差を自覚させようと考えたのだ。
幸いにも己を自動人形だと自認している彼は、ひとの命令に逆らわない。
自動人形であれ誰のどんな命令も聞くというのは誤解だ。
そんな行動もまたアレックスが人間であることの証明に他ならないのに――。
もどかしさが募る。
嘆息を飲み込んで作業に集中した。
一度集中してしまうと、アレックスへの語りかけも忘れて没頭してしまう。
自動人形の脚に予め組み込まれている空管をひとつひとつ丁寧に、既存の胴体の空管へ繋いでいく。
最後に関節を嵌めこんで、
慣れた仕事だからと言って簡単に出来るわけじゃない。
達成感と解放感にかられて息を吐く。
ふと顔を上げると、アレックスの眼差しは明確に寝台に投げかけられていた。
見ている。確かに、その目で、こちらを眺めている。
「……興味沸いた? アレックスは、自動人形は好き? 家で一緒に暮らしていたんでしょ?」
質問を投げかけた途端、アレックスはまた無関心を装ってしまった。
タイミングが早かったか、とメイベルは悔やむ。
もうちょっと気付かないふりを続けて様子を見ていればよかった。
焦ってはだめだ。
時間をかけてでも、彼を人間にしなくてはならない。
***
更に一週間が経過した。
彼は《D-ick》に違いないから専門の医者に見せるように、放置するのは虐待だから、と厳しく忠告する同居人も居た。
メイベルは聞く耳を持たず、引き続きアレックスを仕事場に招いた。
アレックスに仕事を見せるようになってから基本的な説明は全て終えて、あとはメイベルが思うまま自動人形の部品や型式を紹介している。
度々アレックスが寝台に興味深そうな眼差しを投げかけることがあったが、メイベルがそれに気づいた素振りを見せるとすぐに取り繕ってしまった。
「興味ある、アレックス? ……触ってみる?」
お客さんから預かった自動人形をむやみに触らせるわけにはいかない。ちょうど、今寝台に横たわっているのはメイベルが制作している自分のための自動人形だ。
外装部分はほとんど揃って、まだ機動の要となる《心臓》が完成していない、空っぽの器。
「これ、今あたしが作ってる自動人形。名前はもう決めてるの。トレシャっていうんだ」
関節の上に位置する造膚に刃を居れ、模肉を断つ。
肘から先を外して、むき出しの空管を点検する。
正しく連なり、繋がっているかを確かめ、再び肘を腕に嵌め、造膚を馴染ませる。傷口はもう傍目には判らない。
「ちょっとずつ、使えそうなパーツ集めて、元手ゼロで作ってる。最終的な仕上げにはお金かけなきゃいけないだろうけど……」
まだ形作られていない卵のような貌を撫でる。
顔を作るためには専門家の力を借りる必要があるだろう。
メイベルはそこに関しては門外漢だ。
「フランを作った職人は一体誰だろう」
メイベルは思う。
あんなに見事に人の顔を映し出して、まるで魔術師だ。
精巧な似せものを作り出す観察眼と、それに忠実に従って動く指先を持ち合わせた芸術家のような仕事。
「すっごい腕の良い職人。世間が放っておくとは思えないな。だからきっと既に名のある人だと思う。アレックスは、……知らないか。フランがいつどこで、誰に作られたかなんて」
「……」
無言で質問を退ける。
彼から有益な情報を引き出すには、まだ時間が必要だ。
「……触ってみる?」
再びの問いかけに、アレックスの前髪がぴくりと動いた。
頷こうとする首を、直前で制止したような動作だった。
「触ってもいいよ。あたし、ちょっとここ外すから」
アレックスと自動人形を二人きりにして部屋を出る。
そうすることで仕事場がめちゃくちゃになったとしても構わないと思った。
アレックスが能動的に動くことが喜ばしい変化だとメイベルは考えるからだ。
結局、一時間ほど経って部屋へ戻っても一目に何かが変わった様子はなかった。
寝台の上の《トレシャ》も、出て行った時と変わらぬ位置にある。
――そんなに上手くはいかないか。
嘆息をひとつ。居間で食事を摂るように、と椅子の上でじっとしているアレックスに命令口調で告げる。
今日はメイベルも仕事に区切りをつけて、共に食卓へ向かうことにした。だから、作業台からひとつだけ失われていた道具の存在に、メイベルは気付かない。
***
自動人形も悲鳴を上げるのだ、ということを、メイベルはその夜はじめて知った。
考えてみれば、確かに合理的なのだ。
悲鳴は、不快な音域で唐突に響き渡る大音声であり、だからこそ人の注意をひき、異変を周囲に伝えるために効果的だ。ふいの仕草に伴う小さな悲鳴であれば、お得意の「人間らしさ」の演出にも繋がろう。
その夜聞いた声を、メイベルは咄嗟に自動人形のものだとは思わなかった。
アトリエの誰かに何かが起きたのだ――事件か事故か、とにかく急を要する緊急事態に違いない。
飛び出すように廊下に来てからふと気付く。
このアトリエに、今、女性はあたし一人だけだ。
膨れ上がる予感と胸騒ぎが手に汗を浮かべて、ドアノブがうまく回せない。
その扉は先日までただの物置として使用されていた部屋のもので、今は急な客人が暮らしている。
アレックスと彼の自動人形、フランだ。
声は、きっとフランのものに違いなかった。
扉が開いた拍子に転がり込むように部屋へ踏み入って、メイベルは彼女の顔を見た。すがるような、助けを求める表情をしてメイベルを振り仰ぎ、すぐに視線をベッドへ戻す。
「ご主人様、もうやめて!」
叫び声が悲痛に響いた。
部屋に灯りは廊下から差す電灯のみ。
ベッドはまるで切り取られたように、一部分だけ灯りに照らし出されている。
そこに彼はちょうど真白い腕を晒していた。
今にも血を流す、真白い腕を。
まだ足りないと言わんばかりに、見慣れたメイベルの仕事道具で、彼は自ら腕に線を刻もうとしている。
咄嗟に動いた己の手が何をするのか、メイベルは他人事のように感じていた。
手は刃先を掴み、彼の指から愛用の仕事道具を奪い取る。
手のひらが妙に汗ばんでいるのは焦りのせいだと思ったが、すぐにそれが汗ではなく刃で傷ついたために流れた血だと思い当たった。不思議と痛くない。
「アレックス……アレク」
腕を掴んで制止すればよかったな、と今更気付く。
でもそれではこの子の腕が痛んだだろう、と己の判断の正しさを確認した。
手の中で滑るメスを無傷の手のひらに持ち替えて、空いた手を少年の頬へ運ぶ。
指先で頬に軽く触れると血の跡が残った。
背後でドアが開かれ、部屋に灯りが差し込む。同居人が騒ぎを聞いてかけつけたのか、でも今はただ黙って様子を見るに留まっている。
ようやく見えたアレックスの顔に、何かを我慢する表情が浮かんでいた。
歯を食いしばって、眉を寄せて、涙のにじむ目でメイベルを見上げた。
唇が震えている。言葉を紡げず、ただ震えている。
「何してんだばか、痛いに決まってる」
肉を断ち、腕を外して、その下の空管でも確かめようとしたのだろうか。
作りかけの傷から滲む血を、メイベルはシーツで拭った。
アレックスは傷に触れられ少しだけ身を固くする。
「わかってるくせに」
自動人形ではないから、彼の身体は血を流す。
当然痛みも伴って。
確かめるまでもなく、それは事実だ。
震える小さな肩を抱いて、メイベルはアレックスの体温を感じる。
今とても熱い。
自動人形がこんなに熱くなったら、すぐにも壊れてしまうだろう。
「ほんとうは、分かってるくせに。自動人形じゃないってこと、自分が一番分かっているんだろ」
自動人形ごっこはもうお終いだ。
アレックスだって今更取り繕うことはできないだろう。
くしゃくしゃに顔を歪めて、精一杯泣かないように眉間に力を入れている。
そのせいで喋れずにいる彼が、でも何度も躊躇いながら、口を開いた。
「じゃあどうして、ぼくは、置いて行かれたの?」
震えて、ねじれ、跳ねる声で、問いかける。
途端に目じりに涙が溢れ、すぐにも顎を伝って落ちた。
痛むのか、刻んだ傷を片手で抑えて、涙を拭う手だてを失う。
「ぼくは、ほんとは自動人形だから、連れていって貰えなかったんだよ。だって、家にはもう、自動人形しか残っていなかったんだよ。だから」
涙の合間に聞こえるかすかな言葉にメイベルは耳を傾けていた。
彼の手の届かないところへメスを落として、からっぽの手で頭を撫でる。
小さな上体を抱きかかえて、耳元で彼の吐息を、声を聞いた。
「だからほんとに自動人形だったらよかったのに。それならいいのに」
彼は納得したかったのだ。
去り行く夫妻はフランチェスカだけ連れて行った。
自動人形に任せた家に彼を取り残したまま行方を消した。
彼は、だから解釈したのだ。
何故置き去りになったのか――ほかの自動人形と同じように。
理由は明快、自分も自動人形だったのだ。
そう導き出した答えにすがって、己を守ろうとした。
傷つかないように、事実から目をそらした。
《D-ick》だなんてとんでもない。アレックスは誰よりも自分が自動人形ではないと知っていて、だからこそ、苦しんでいた。
そんなこと、認めたくないに違いない。
関心がないから置き去りにされた。
事実は彼にとってはそれだけだ。
もしかしたらなにか事情があって、彼を守る為に、両親は彼を置いて行ったのかもしれないなんて、複雑に考える余裕も知恵もまだアレックスは持っていない。
この小さな男の子は、今ようやく事実と向き合ったばかりだ。
「アレックス。間違いなく、あんたは人間だよ」
うん、と小さな返事が、頷きと共に聞こえた。
寝間着に染みて肌に触れる涙も呼気もとても熱い。
メイベルはようやくアレックスと出会えたと思った。
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