第25話 透明な足跡-08
雪に濡れた体を包む毛布のなかで目を覚ました。
誰かに担架に乗せられ、揺られたところで眠りに落ちたらしい。
あたりを見渡すと、町へ戻ってきたようだ。
建物の中に運ばれたらしい。病院だろうか。
ただ、病室ではない。
待合室の革張りのソファに横になっていた。
隣にエドリスが腰掛けていて、同じように毛布にくるまっている。
ふいに気づいて視線を落とす。
アレックスの手はエドリスの手の中に包まれていた。
明るいところで改めてみるとアレックスより頼もしい大きな手をしている。
今はもう体温を取り戻して温かい。
「エドリス」
囁き声で呼びかける。どうやら座ったまま眠っているようだ。
そうっと手を引き抜いて体を起こし、改めて周囲を窺った。
懐中電灯を手に町の周囲を捜索していたのは警察だった。
町からほど近い工場街、今はほとんど廃墟と化した無人の通りで二人を保護し、町へ運んでくれた。雪の中を歩いた苦労は無駄ではなかったようだ。
アレックスが目を覚ましたことに気づくと、病院の職員だろうか、お湯とパンを差し出してくれた。それから体を拭くタオルと着替えを一式。
試しに動いてみて、体はなんとか大丈夫そうだと確かめる。
思っていたよりも、さ迷い歩いた時間は短かったのかもしれない。
永遠にたどり着けないような気さえしていたのに。
今もこうして、もう、パンを食べている。暢気なものだと思う。
「エドリス!」
開いたエレベーターから叫び声と一緒に、小さな姿が飛び込んできた。
思ったとおりそれはニネットで、急いだのだろう、赤い顔をしている。
涙に潤む瞳をまんまるに開いてエドリスを上から下まで確かめるように見つめた。
「エドリス! ああ、エドリスだっ!」
姉の毛布にしがみ付いて、ふと気づいて、濡れた髪をタオルで拭い始める。エドリスはそうするうちに目を覚まし、まだぼんやりとした眼でニネットを見つけた。
「ニネット。ニネット」
「うん。ニネットだよ。良かった……お帰り、エドリス」
「ニネット」
「うん」
満面の笑みを浮かべて答える。
その表情を横から見ていて、報われた心地がした。
それからニネットはぱっと横を向いて、アレックスへ詰め寄った。
「アレックス! 無事なの!? 怪我はない? ごめんなさい!」
「謝らないで。僕は大丈夫」
「ううん! 全部、聞いたの。さっきパパが戻って来て……今、下で警察の人とお話してる」
ニネットの眉が心細そうに歪む。
アレックスは手を伸ばして、冷え切った指先で、その眉間に触った。
「うん?」
ニネットが眉間を手のひらで押さえる。
「きみとエドリスが、再会できて良かった」
「うん……アレックスのおかげ! ありがとう!」
「ううん。僕のおかげじゃない」
全部はニネットの力だと思う。
彼女が居なければアレックスは行動を起こしもしなかったのだろうから。
「ねえ、フランを知らない」
期待をかけて問いかけたわけではなかった。
すぐにニネットの表情から答えを得る。
「フラン、一緒じゃないの? ごめんなさい、わたしは知らないの」
「そう。いいよ」
彼女のことも探しに行かねばならない。
今はまだ外へ出るだけの力はなかった。
時間が経てば経つほど同じだけ距離は開いていくと実感をもって知っている。
だから、アレックスはまだ冷たい足に力を入れて立ち上がった。
「探しに行くの?」
「うん。今度は町の中だけだから、さほど苦労はしないよ」
「でも、外、まだ雪だよ。夜も遅いし……」
ニネットは控え目に制止する。
彼女も共感できるから、強くは引き止められないようだ。
困った顔をさせることは気が咎めたが、過去の間違いを繰り返すつもりもない。
アレックスはせめて着替えを肩に羽織って、エレベーターのボタンを押した。
先に隣の搬入用エレベーターの扉が開いて、ストレッチャーが運び込まれる。
乗せられた女性の姿に気をとられ、アレックスは続いて到着した来客用エレベーターに乗り損ねてしまう。
運びこまれたのは、見間違えるはずもない、フランだった。
「フラン」
呼び止めるほどの声量が出ず、ストレッチャーの向かった病室へ歩む。
次第に思考力が追いついて、とにかく処置をやめさせようと呼び止めた。
「僕の
下手に胸部を圧迫されたら、鉄製とはいえ繊細な作りをした骨は無事ではすまない。人間と同じように扱えるほど自動人形はまだ丈夫ではないのだ。
そうでなくともフランは機能を停止して、動く気配もない。
「自動人形? きみの?」
医師か看護師か、怪訝そうにアレックスとフランとを見比べる。
無遠慮な指が瞼を抉じ開け、口の中を暴き、ようやく納得したように手をどけた。
部屋のなかに苦笑の空気が広がって、同じだけ安堵の気配も降りる。
「街中で倒れていて、通報があったんだ」
住人たちは自動人形を見慣れないから、人間と間違えても不思議はない。
誤解を受けるのはもっともで、動くのをやめた自動人形は何よりも死体に良く似ていた。
ただ何故そんな半端なところで倒れていたのかが不可解だ。
捨てるにしろ、隠すにしろ、ふさわしい場所があるはずだ。
「フラン、壊れちゃったの?」
事態を見守っていたニネットがアレックスの隣に寄り添って、横になった自動人形を心配そうに見やった。
「わからない。それを調べなくちゃ」
足りないものも沢山ある。荷物と端末と外套も。
フランが目の届く範囲にあることが、何よりアレックスの緊張をほぐす。
今更足が萎えて床に膝をついた。
気づいた大人に抱え起こされ病室に案内される。
この歳にもなって着替えや身支度を手伝ってもらう羽目になって、でもそれを恥ずかしがるほどの余力が残っていないことだけが幸いだった。
*
朝のうちにニネットがやったことは、駅前に張り紙を幾枚か張り出すことだった。
《探し人・エドリス、見つかりました。ご協力ありがとうございます。》
そんな文句と、またへたっぴな似顔絵を添えて。
それから、出会えるかぎりの人たちのもとを訪ね、エドリスが帰って来たことを連絡した。誰も彼もが無事を喜び、ニネットのがんばりを褒めてくれる。
ニネットは『アレックスのおかげ』と賛辞を辞退して回ったという。
「それで、彼女がぼくのところまで来てくれたんだよ」
アレックスの病室を訪れたのはケネスだった。
差し入れと一緒に彼が端末を持ってきて、バッセル夫人との顛末を語った。
おおまかな事情もニネットから聞いて把握しているようだ。
「目を離して悪かったね。フランは僕が充電椅子を取りに行った隙に店を出て行ってしまったんだ」
アレックスは幾度とないフランの失踪癖を思って険しい表情をする。
「でも、おかげで防犯装置が働いたらしいね。端末はずっと鳴り止まないのかと思ったけど、じきに解除された」
そんなはずはないと思った。
アレックスはその機能を有効にした覚えは無いからだ。
端末を確かめると、確かに防犯装置起動の形跡があった。
そのときになって、履歴と受信箱を埋め尽くす勢いでメイベルからの電話とメールが入っているのに気づく。
防犯装置を勝手に取り付けたのもメイベルなら、警告を聞いて事態に気づいたのも彼女だったらしい。
メールの内容をチェックしていくと『警察に頼んだ』だの『無事なら一報くれ』だの、短いながらにアレックスを案じる文言が無数に届いている。
中には、まるで場違いにレフ・クランコの世間話のメールも届いていて、その落差に気が抜けた。
「過保護に感謝しなくちゃならないな」
ケネスへ彼女の人となりを説明して、アレックスは呟いた。
「そんなの、過保護でもなんでもないよ。子供の一人旅にはまだ足りないくらいだ」
ケネスは心配そうに言う。
「とにかく、メイベルへ連絡してあげなきゃ」
「うん。そうだ、フランのことをちょっと診て欲しいんだけど、頼める?」
「いいよ。そう思って道具も持ってきた」
同じ病室にフランも入れてもらった。
彼女は待合室用の長椅子を運び込んで、その上に横たわっている。ケネスが作業を始めた頃、アレックスもようやく取り戻した端末を手に電話をかけた。
メイベルが出るまで一コールもかからない。
夜中から、アレックスが眠っている間も、そうして待っていたのかもしれない。
『アレク! ――アレックスなの?』
そうじゃなかったらどうしよう、と不安の篭もった問いかけだった。
「僕だよ。連絡が遅くなってごめん」
『ああ――』
安堵に胸を詰まらせて、言葉を継げなくなった気配に、アレックスは少しだけ胸を痛める。
『もうすぐ列車に乗ろうと思っていたところ』
「その必要はないよ。僕は無事だ。ちょっと端末を失くしてた。詳しい話はあとで帰ってから――」
『だめだ。今、しなさい』
据わった声に抗うことはむずかしかった。彼女は頑固者だ。
今ここで話を打ち切ったら、本当にロウェルまで迎えに来るだろう。
「わかった。……」
彼女だって今すぐ眠りたいほど疲弊しているはずだ。
にもかかわらずアレックスの説明へ最後まで熱心に耳を傾けて、事態の把握につとめていた。アレックスにもまだ全容が分からないものの、おおよその見当はつく。
とにかくメイベルが重視したのは、危険な目に遭ったということだ。
『帰ってきなさい、アレックス。今のあなたと、フランの状態を、無事とは言わないでしょ』
「僕はなんとも。でも、フランは……」
雪が緩衝材になったとは言え、彼女の
内部がどれだけ損傷したかは分からない。目に見えない箇所で決定的な損害を受けていることだってあるのだ。人間と同じように――。
エドリスの姿を探す。
開け放った病室のドアから、ニネットと寄り添う彼女が見えた。
『聞いてるの? アレックス』
「あ……、何?」
『だから、選びなさい。あたしが迎えに行くのか、それともちゃんと自分で帰って来られるか』
「自分で帰れるよ。メイベルは、仕事があるだろうし」
嘆息する音が聞こえて、だけど大分安心したような調子だから、アレックスまでほっとする。
『待ってるからね、アレックス。何かあったらすぐ連絡して』
「うん。分かってる。メイベルも休んで。それじゃあ……」
通話のあいだもずっと、フランのことを見ていた。
ケネスは自動人形をラップトップPCにつなぎ、簡易的な診断ソフトを走らせている。
「損傷箇所がいくつかある。空管もいくつか切れてるかも。倒れたのは単にエネルギー切れのせいだろう。この身長で、ノーガードで地面に倒れたんだ。雪が無ければもっと酷かったはずだよ。電源は入れないほうがいい。動いた拍子に、まだ無事の空管も、部品を支えきれずに断線するかも」
「ケネスに治せる?」
「うちは基本は部品屋だからね、設備も不十分だよ。できないことはないけど……」
「わかった。電話の相手が専門家だ。彼女に診せるよ」
「それが良い」
ケネスが厚意で移送鞄をくれた。
最初からその見通しで持ってきてくれたらしい。
屈葬者のように膝を折り曲げ、ともすれば胎児のような姿勢で、フランが緩衝材つきの鞄のなかに収まる。
ニネットが集めて持ってきてくれたアレックスの荷物と一緒に並べておくと、一人旅には不相応な大荷物ができあがる。
「明日の列車で帰ることになった。ニネットたちのことを、見ていてくれる?」
「できる限りはね。まあ、二人はもう大丈夫そうだよ」
ケネスと同じ方向を見る。
待合室のソファで、仲睦ましげな姉妹が寄り添い、なにごとかお喋りをしている。もっぱら話し役はニネットだ。エドリスは話を理解しているのか分からないが、時折妹に触れ、微笑を浮かべる。
エドリスはまだまともに言葉も喋れず、物忘れも酷く、健常者と同様の生活を送るのは難しいという。
酸素欠乏による脳細胞の損傷が彼女からいくつかのものを奪った。
外からは見えない重篤な損傷を、ニネットの両親は容易に受け入れられなかったのだろう。まるである日突然娘が人形に入れ替わってしまったのと同じくらいの衝撃だ。
でもニネットにとっては、それは重大な問題ではなかったのだ。
エドリスは、自分自身を何割か失って、けれどまだ、そこにはエドリスの欠片が残っている。ニネットにはそれが分かるのだ。
エドリスの指先は親しみに満ちて見え、触れられたニネットは幸せそうに微笑を浮かべる。アレックスは急に二人を遠くに、憧れの場所に感じてしまう。
不足なく余分もない、完璧な関係に見えて、急に自分を頼り無く感じた。
*
駅へニネットとエドリスは見送りに来てくれた。
両親の所在を問うと、警察に任せきりだという。
しばらくは、彼女たちは両親の元を離れて暮らすことになるそうだ。
出会ったときと同じ場所で、ニネットの手には探し人のビラではなくエドリスの手が収まっていた。
「エドリスが居るから平気だよ」
ニネットが、本当にその通りなのだろう、不安の欠片もない調子で言う。
「アレックス、帰り道、気をつけてね。フラン、良くなるといいね」
「うん。ありがとう。落ち着いたら、きっとまた会いに来る」
「待ってるね。でも、無理しないで」
頷いて、荷物を手にする。
滑車がついた鞄だから、フランほどの重量でも負担はそこまで感じない。
「アレックスのお姉ちゃんも、絶対見つかるよ」
「ありがとう」
ふいに、エドリスがアレックスへ歩み寄って、そっと手を伸ばす。
白い指がアレックスの髪をかきわけるように動いた。
懐かしい感触に目頭が熱くなる。
それはフランチェスカのする仕草にとてもよく似ていた。
アレックスの頭を撫でる。ただの気まぐれの手遊びだったのかもしれない。
満足したようにエドリスは手を引いた。
改めて彼女を見る。穏やかな顔をしている。
「二人とも、もうはぐれないでね」
「うん。大丈夫!」
ニネットの返事は頼もしかった。
彼女の声に送り出され、アレックスはホームへと歩む。
がらがらのボックス席に鞄がふたつ。
来たときよりも荷物が増えている。
代わりに、人の姿がひとつ消えた。
「フラン。また勝手にふらついて、仕方がないやつ」
答えのない鞄へ話しかける己を滑稽に思って、でも、言葉を続けた。
「でも、おかげで助かった」
正しくは、メイベルのおかげ――そのはずだ。
だというのに、不思議と、フランに救われた気持ちだった。
端末で履歴を調べると、フランは停止の直前、膨大な量の通信を行っていた。
ネット上にアクセスして、情報を取り寄せていたのだ。
そこで状況を検討し、行動を導き出した。
あたかも彼女が考えたかのような判断に驚く。
分析を重ねれば、主人を助けるための合理的な選択だったのだろうが――。
いいや、まだ、気が落ち着かないだけだ。
自動人形がものを考えるわけがないのだから。
早くメイベルのもとへ帰りたくて焦がれた。
フランを治して、もう一度目覚めたあかつきには、今度こそ厳しい条件で縛ってやらないといけない。
手抜かり無く、徹底的に、命令に忠実な自動人形に鍛えなおすのだ。
そうして早く、旅に戻りたい。いつも視界の端にあるはずの姿が見当たらないのは非常に落ち着かない心地だった。
ずっと一人旅のはずだったのに、こうして一人だけになってはじめて気付いた。
フランは単純な道具ではなくて、旅の道のりを支えてくれる相棒だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます