冷たい手のひら

詠野万知子

Episode01:揺れる肖像

第1話 揺れる肖像-01

 少女がショーウィンドウを覗き込む。

 流行の服を着たマネキンは、真っ白のつるりとした肌の、のっぺらぼうだった。

 少女が見つめていると、ふいにマネキンが色づきはじめる

「わっ」

 驚いて声をあげた、少し間抜けなその表情のまま、彼女の姿がマネキンに投影された。鏡のような写し身は、しかし実際の少女とは異なる最新流行の服を着ている。

 少し堅苦しいデザインのジャケットと、相反して軽やかに裾のひろがったスカートだ。今も、彼女の後ろを同じような服を着た女性が通って行く。

 少女は楽しそうに笑う。

 マネキンも、声は出さないが、同じ表情を作る。

「すごい! 見てください、ご主人様」

「珍しくもないよ」

「でも、わたし、初めて見ました」

「そんなことない」

 ショーウィンドウの周辺に設置されたカメラによって、リアルタイムで来客の顔をマネキンに投影するシステムは、少し広い服屋ならどこも採用している。

 面倒な試着いらずの、ちょっと立ち寄っただけの客の気を惹く、ありふれたディスプレイだ。

 子供でもいまどき喜ばない。

 少年はひそかに嘆息する。

 連れだって歩く彼女は、少年よりも四、五歳は年上のお姉さんに見える。

 それなのに少年のほうが大人びた冷めた顔をして、何にでも目を奪われる彼女を呆れて追いかけていた。

「フラン。あまり勝手に歩かない」

「はーい」

 間延びした返事の仕方を、どこで覚えたのか。少年――アレックスは新鮮味よりもむしろ、違和感を抱いてフランを眺める。

 あれが自動人形メイトだとは、通りすがりの者が横目で見ただけでは分からないだろう。

 くるくると視線を巡らせ、何かを見つけては顔を輝かせる。

 忙しく動き回る彼女の現在の消費電力を考えると気分が重い。

 アレックスは俯いて、靴の先を見て歩いた。

 重たい気分が背中にのしかかるから――理由はそれだけではない。

 今の彼女を、視界に入れたくないから。

 あれは、決して、アレックスの望んだ姿ではないからだ。

 これまで、フランは必要最低限の電力で稼動していた。

 自己主張はなく、表情も変えず、学習機能も最低限に絞った。

 そこまですると、フランの能力は今どきの携帯電話にも劣る。

 人工知能の発達を促されることもなく、目立った個性も見受けられない、人間にそっくりな機械が歩いている程度でしかない。

 流行の熱が冷め、自動人形が『それほど便利なものではない』と理解されて以降、自動人形を愛でる所有者が市場の過半数を占める。

 アレックスは過半数のほうではない。

 自動人形を愛玩する趣味を、十二歳にして早々覚えたわけではない。

「ご主人様、あれ! あれ、何ですか?」

 今まさに、若い大型犬をもてあます飼い主みたいに、アレックスは少女に振り回されている。

 こんなものは望んでいないのに。

 歯噛みしながら、思い浮かべるのは、平素の彼女の姿だ。

 無駄なことは何ひとつ喋らない、従順な、それこそが自動人形であれという模範のような――

 ほんの一時間前までの彼女を、アレックスは、ひどく懐かしく感じる。



 リルの町は小さいが、長距離列車の駅を持つため、その周辺だけは極端に賑わっている。待ち時間を過ごすためにと併設された巨大なショッピングモールには生活に必要な施設がほとんど含まれていた。

 葬儀場さえあればそこで生まれてから死ぬまでを過ごすことも不可能ではない――とは、住人が冗談で交わすお決まりの文句だ。あながち冗談でもない。そんな巨大なモールを三分の一も踏破せず、アレックスは列車の座席に背中を預けた。

 窓から見える景色に雪がちらつき始める。霞む景色の向こうに、巨大なアーケードの建物がぼんやりと光を帯びている。発車までの時間は、あと十分――

「……」

 嘆息をひとつ。

 先刻から、彼は窓ばかり見つめている。

 正面から顔をそらして、いい加減首が痛むが、まだ前を向かない。なぜなら、

「……何か僕に用でしょうか」

「いや、いやいや。美しいお人形を連れていたから、つい夢中になって、眺めていたいだけさ」

 小さな老人が、前の座席から身を乗り出すようにこちらを見つめていた。

 豊かな白髪が逆立ち、長いあごひげがにやついた唇をかたどっている。

 歯はすべて揃っており、赤い唇の隙間からきらりと輝いた。

 老人のようで、老人らしからぬような、そんな男だった。

「あの。……非常識だと思いませんか」

 ようやく前を向いて、眼前で笑う老人を見据える。

 レンズの小さな眼鏡の向こうで、妙に大きな瞳が瞬きをする。

 老人はへらっと笑うと、やっとアレックスに背を向けた。

 ほっと安堵しかけた、その耳元へ、

「少し見せてもらってもいいですか」

 しわがれた声が囁く。

 すぐ真横に、フランのひざをまたいで、老人が迫っていた。

 ひ、と喉の奥からもれそうになった悲鳴を飲み込む。

「きれいなお人形ですね。素敵です。でも……ううん、いや、素晴らしい」

 老人はよく見ると汚い身なりをしている。眼鏡のつるをテープで巻いて修繕したような跡があった。考えてみれば、こんな姿をした男が、決して安価ではない長距離列車のチケットを持っているのか怪しく思えてくる。

 すえた匂いが鼻をついて、アレックスは無意識ににおいの元を探した。

 老人の、裾足らずのズボンから覗く細い足の先に、廃棄物のような靴が引っかかっている。そこが原因だった。

 係わり合いになりたくない。

 素直にそう感じて、老人に向き直る。

 老人はフランのに触れ、鼻の先をつつき、なぜか耳の穴を覗き込んで、そして、

「……――」

 内緒話をするように、何かを囁きかけた。

「あの、すみませんが、ご遠慮いただけますか」

 ぶしつけな態度に堪えかねて、席を立つ。

 これで聞かなければ無理にでも追い出すつもりで一歩踏み出すと、老人はあっさり身を引いた。

「それじゃあ、坊ちゃん。ありがとう、そのお人形を大切にしてあげなさい」

 やっぱり乗客ではなかったのだ。老人が通路を駆け去っていく。

 なんだったんだ、と憤慨する心持ちを落ち着けようと大きく嘆息して、座席に座りなおす。

 発車まで、あと、二分――。

「まったく、大人のくせに、困るよな」

「どうしてです?」

「なぜって、自制心というのを持ってしかるべき立場なのに――」

 ありえるはずのない、問いかける声に、少年が言葉をなくす。

 いったい誰から投げかけられた声なのか、頭が理解を拒んでいた。

「ご主人様? なぜ、お話をやめてしまうのですか?」

「……フラン」

「はい。ご主人様、続きを聞かせてください。なぜなんですか?」

 無感情で無口で従順な、自動人形の無機質さだけで構成された、そのはずだった。

 旅の連れが、不思議そうな表情を浮かべて、少年の顔を覗き込む。目に映るものを、信じがたそうに少年は見つめ返す。

「フラン? ……《ボックス感情表現機能》をオフに」

 設定したはずのない機能の制限を、訝りながら告げた。

「はい。――ご命令について、試行しましたが、遮断されました」

「……何?」

「《ボックス》をオフにするためには、指定されたパスワードが必要になります」

 ガイダンス音声が冷たく告げる。一瞬後には、彼女は人格を取り戻した顔で少年を見つめている。

「不正改竄されたのか」

 自動人形の設定変更には、しかるべき条件を満たす必要がある。

 アレックス自身は何も指示していないし、接触した老人にも不可能なはずだった。

 言葉の意味が理解できないように、フランが小さく首をかしげる。

「わたしには、わかりません」

 困ったような声がアレックスの肩を震わせた。

 感情の乗った声色が、眉のカーブの歪みが、わずかに弧を描く唇が、フランをまるで別の存在に見せる。

 自動人形ではなく。

 まるで、人間のような――。

 

 発車のベルが鳴り響く。


 少年は自動人形の手を引いて、足早に通路を駆け、慌てて列車を飛び降りた。

 その背後で、ドアが閉じて、やがて列車が動き出す。

 過ぎ行く列車を背に、アレックスは来た道を引き返した。

「ご主人様。どうして、列車を降りてしまわれたんですか?

 わたしたちは、今の列車でネオンビスコへ行くはずでした」

「……わかってる」

「では、なぜ」

「……どうして、とか、なぜとか、僕に質問をするな」

「それは、ご命令でしょうか」

「そうだ。命令だ」

「了承いたしました。――設定いたしました」

「あの老人を探す。それまでは帰れない」

 外套を翻して、駅舎からショッピングモールへがる道を歩む。

 ガラス張りの壁の向こう、灰色の町が雪に霞んでいる。



 まず始めに、鉄道会社へ連絡を入れた。

 手荷物だけで列車を降りてしまい、車内にトランクを残したままだ。

 貴重品を入れてないのは幸いだったが、決して不用品ではないから気掛かりだ。

 しかし、身軽になれたのは都合が良かった。

 あれから一時間、一向に老人の捜索ははかどらない。

 理由はひとつ、フランが何にでも興味を示して足を止めるからだ。

 その上、アレックスへ散弾銃のように質問を浴びせかけてくる。

「ご主人様、ご主人様」

「何?」

「あれ何ですか?」

「……犬だよ。パピヨンだ」

「かわいいです、お菓子みたい。あっ、ご主人様、ご主人様」

「何?」

「あれ、何ですか? あの赤いの」

「風船だよ。見たことあるだろ」

「かわいいですね~、トマトみたい。あっ、ご主人様」

「何?」

 次第に声に怒気が混ざり出す。

 そんなことはお構いなしに、フランは看板を指差した

 人工知能を持つ自動人形は、知能の育成のために何にでも興味を示し、知識を求める性質を持つ。普段は最低限の機能だけを有効にしているフランが本来その顔を喜怒哀楽などの表情で染めることはない。しかし今はめまぐるしく視線をめぐらせ、町を眺め、そのたびに表情を変えていた。

「あれは何が描いてあるんですか?」

「歯。あの建物は歯科医院」

「へぇえ~、へんなかたちですねぇ。食パンみたい。あっ、ご主人様、ご主人様」

 もう、応えるのも煩わしい。

 ネットワークに接続可能な自動人形は、いつでも膨大な情報にアクセスできる。

 犬や風船や歯の形を知らないはずがない。

 フランはただ、主人と会話がしたいがためにそれらを利用しているだけだ。

 己が話題を持たない子供のやり方でアレックスと関わろうとしているのだ。

 それが分かったから、アレックスはいっそう煩わしく思う。

「あれは何でしょうか。ほら、あそこに」

「あれは噴水だ」

 町の広場のような空間を指差して、フランが感心したような声を漏らす。

「噴水、はじめて見ました」

「そうだったか」

 確かに、旅した町で見かけたことはない。

 フランが知識としては知っていても、実物を見たのはこれがはじめてになる。

「一体何のために水を噴射させ、循環させるのでしょうか」

「知らない。鑑賞目的だろう」

 うんざりと嘆息交じりに告げる。

「さっきも言ったはずだ。僕に質問するな」

 待ってましたとばかりに、フランの表情が輝いた。

「いいえ、ご主人様は『どうして、とか、なぜとか、僕に質問をするな』とおっしゃったのです。ですから、わたしは『どうして・なぜ』、この二語を用いてご主人様に質問することはできません」

「ああ――ああ、そうだ。僕が間違っていた、ごめんよ」

 投げやりに答える。一瞬で何もかもが面倒になって、命令の上書きを諦めた。

「構いません。間違いは誰にでもあることです」

 胸を張って、額面どおりに受け取ったらしい。

 自動人形は許すように笑った。

 その笑顔を、アレックスは硬く目を閉じて、視界から追い出した。

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