七夕ラプソディ
高尾 結
第1話
七夕の短冊を書くのが昔から嫌いだった。
わざわざもっともらしい願い事を考えるのも嫌だったし、それを皆が見る場所に飾るのも嫌。ある時からずっと同じ事を願い続けるようになったけれど、それを書くことはできない願いだった。だから私はいつも適当な嘘を書く。嘘なんて嫌なのに、本当のことが書けないから嘘つきになる。だからこの季節が大嫌いだった。
「世界平和なんて、お前、よく書くよなあ」
私の書いた短冊を見ながら、あきれたように
「なんでよ、立派でしょ。なんていうか、崇高な感じ?」
近所のホームセンターに飾られた笹飾りの前のテーブルで、私と彬は並んで短冊を書いていた。私は嫌いだけど、彬はこういったものが大好きなのだ。少しでも楽し気な気配が漂っていれば、抜かりなく参加する。
彬と私は同い年で、かつて
逆に彬の父親は結婚生活がわずか5ヶ月しかもたなかったことに大変ショックを受けたらしく、その勢いでIターンとやらに応募して、林業に転職し、飛騨の山奥に行ってしまった。その思い込みと極端さが結婚生活が長続きしない最大の理由ではと思うのだが、本人に自覚と反省は全く無いらしい。山暮らしも5年になろうとする今では自称ネイチャーなんとかを名乗り、ブログのアップに余念がない。
いい迷惑なのは一人息子の彬だ。父親の結婚・離婚・転職という流転に付き合わされ、1年の間に2回の転校と3回の転居を経験し、何とか落ち着いたかと思ったらそこは全校生徒12人の過疎地だった。高校進学のためには下宿するしかなく、高山で半強制的一人暮らしを始めて2年半になる。
私は彬の短冊を見ようとした。
「見んなよ」
「何でよ、どうせ飾るんだからいいじゃない」
肩に手を掛け、首の後ろから覗き込もうと顔を近づける。その途端、彬が腕を払って私の体をはねのけた。
「止めろよ。ベタベタすんな」
首まで真っ赤になっている。拗ねたような顔をして、また背を向けてしまった。仕方ないので私は自分の短冊に落書きをして時間を潰すことにした。
「よし、これでいいや」
彬の短冊は細く畳んで結ばれていた。
「なにそれ、おみくじ?」
呆れ顔の私を尻目に、彬はいそいそと結んだ短冊と私の落書きだらけの短冊を笹に飾り付けた。
「さ、猫缶買いに行くべ」
ここに来た本来の目的を遂げるために、私と彬はペット用品売り場に向かった。
彬は年に数回、高山から名古屋にやって来る。私はいつも買い物やゲームに付き合い、簡単な夕食を食べ、夜の高速バス乗り場で彬を見送る。高校に進学した頃急に連絡があり、それから2年半、ずっと似たような事を繰り返してきた。まるで恋人同士の逢瀬のようだが、私と彬は
猫缶を3つ買い込み、私たちは地下鉄に乗った。目的地は
「どこで降りるんだっけ」
「桜通線の桜本町」
「乗り継ぎ、どこだっけ」
「今池」
また今年も同じ台詞を繰り返している。年寄り夫婦みたいだと思ったが、彬は全く気にする様子はなく、猫缶を取り出してパッケージを眺めていた。
短い同居生活の間に私と彬の距離を縮めてくれたのはブブだった。
彬の父親と私の母親が再婚したのは私たちが中学1年になる寸前の3月だった。彬父子とブブが私たちの住んでいた古い家にやってきたのだ。母が誰かと付き合っているということは気付いていたが、突然二人を連れて来た時は、さすがにびっくりした。
「彬君、入学してすぐに転校するの可哀相じゃない」
というのが、結婚を急いだ理由だった。
我が家は母娘3人の女所帯だった。ほとんど何の相談も無く決められた再婚に、私と姉は当然不満を覚えた。姉の美紀は当時中学3年で、母親の不行状もあり荒れに荒れまくっている最中だった。そこに見知らぬ男二人が来たとあっては、まさに火に油を注ぐようなものである。新婚生活の甘い空気など吹き飛ぶような、激しい争いが母と姉の間で日夜繰り返されるようになった。彬の父親が取成そうとしたが、二人の諍いの仲裁に入るのはほぼ不可能な状態だった。やがて姉は家に寄りつかなくなった。母は怒っていたが、あまりにも紋切型な展開に私は何も言う気力が起きなかった。
母と姉はとてもよく似ていた。華やかな容姿も、激しい気性も、深慮のない単純な脳味噌も。母は20才で姉を産んだ。そして離婚し、22才で再婚して私を産み、3年経たずにまた離婚したのだ。その後は長い独身生活が続くのだが、その間も次から次へと男が絶えることはなかった。資産家だった祖父が残してくれたこの家と細々とした不動産収入が私たちの生活を支えてくれた。母が詐欺にあわなかったのはほぼ奇跡に近いだろう。恋人はいても結婚はしなかった母がなぜ急いで彬の父親とは再婚したのか、未だに謎である。
新学期が始まり私と彬は姉と同じ中学校に入学した。再婚相手の子供同士という関係が気恥ずかしく、私は彬の存在を学校でも家でも無視し続けた。彬は昔から人懐っこく、他学区からの進学だったにも関わらずあっという間に多くの友達を作っていた。私の方はできるだけ目立たないように細心の気配りをしながら、地味に真面目にやっていた。派手で可愛らしく素行不良な姉は近隣では有名な存在で、変な火の粉が降りかかってくるのを恐れてのことだった。
彬は私よりもずっと学生生活を楽しんでいるようだったが、家に帰ると所在無さ気だった。姉の一件で夫婦仲まで次第に怪しくなっていったからだ。彬の様子が家と学校では全く違うことには気付いていたが、無視し続けた。私だって一杯一杯で、少しくらい悩んでも当然だと思っていた。
5月のある日、部屋で宿題をしていると、扉をノックする音がした。開けると、そこには彬が立っている。
「ブブ、見なかった?」
最初何の事か分からなかったが、すぐに猫のことだと思い至った。
「知らない」
速攻で扉を閉めようとしたが、彬が隙間に手を挟む方が早かった。
「手、離してよ」
「いないんだよね、どこを捜しても」
扉の開け閉めで力業の攻防が起きたが、結局彬が勝った。開け放たれた扉の前で、私は腕を組んで彬を睨んだ。
「で、何なの?」
「捜すの、手伝ってほしいんだけど」
「はあ?何で?そんなの一人でやりなよ」
「最近、ブブはおかしいんだ。あっちこっちフラフラ出歩いて‥もう年だし、惚けてるのかも」
猫が惚ける話は初耳だった。
「慣れない場所だし、交通事故にあったりしたら困る」
「知らないよ、そんなの。私には関係ないし」
「関係あるだろ、家族なんだから」
あんたとも猫とも家族になった覚えはない、と口元まで出掛かったが、何とか言葉を引っ込めた。彬の表情が切羽詰まったものだったからだ。結局、私は彬と共にブブ捜しに出かけた。近所の公園、河原、神社の境内、校庭と方々を捜したが、ブブは見つからなかった。日はすっかり暮れ、周囲は薄闇に包まれていく。
「もう帰ろう」
彬が言った
「いいの?ブブ見つかってないじゃん」
「そうだけどこれ以上遅くなったらお母さん心配するから」
姉の不在に慣れていている夜遊び好きの母が、こんな時刻から心配するとは思えなかったが、これ以上捜し続けるのも面倒なので黙って帰宅することにした。
一緒に帰って来た私たちを見ても、母はほぼ何の反応も示さなかった。拍子抜けするほど普通に夕食が出され、無言で食事をし、私たちは何事もなかったかのように二階に上った。お互いの部屋に入る前に彬が言った。
「明日また捜してみる」
自分でも意外なほどすぐに言葉が出た。
「分かった、じゃ手伝うから」
彬は驚いたような顔をした。
「いや、悪いし」
「いいよ、このまま見つからなかったら何か気持ち悪いし」
「‥ありがとう」
彬の礼の言葉を聞いて、気恥ずかしくて私は慌てて部屋に入った。
翌朝、まだ寝ている時、再びノックの音が響いた。寝ぼけ眼で扉を開けると、彬がブブを抱えて立っていた。
「昨夜遅くに帰ってきたんだ」
ブブは彬の腕の中で体を丸めていた。トラ柄で、年寄りの猫らしく毛つやが悪い。ブブの姿をしっかりと見たのはこれが初めてだった。
「良かったね」
私は手を延ばし、ブブの頭を撫でた。ブブは目を細めている。その様子を見て、彬がいかにもうれしそうに笑った。
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