完全な彼女

唯乃いるま

完全な彼女

人……いや、生き物は産まれた瞬間から老化する。

老化は遺伝子に組み込まれたプログラムの1つだ。その現象が結果として老衰になり生き物は必ず死ぬ。でも、もしも、その老化というプログラムが壊れてしまっていたら。

僕がこんなことを考えるようになったのは、ある女の人との出会いが原因だ。

 彼女は完璧な性格と知性。そして外見を持っていた。天は二物を与えずとは良く言うが彼女に天は二物どころか様々な物を与えている。その艶のある漆黒の長い黒髪は、彼女の憂うような薄幸の表情を引き立たせ、その大きな瞳は、彼女の生への喜びをより強く映し出していた。

 僕が18歳の頃、彼女とは福岡の海辺にある祖母の家で出会った。当時は朴訥で本の虫だった僕は、学校に通う事も無く手を余した両親によって祖母の家に預けられたのだ。

祖母は寝たきりで介護が必要だった。僕は学校には行きたくなく、出来るなら家でずっと本を読んでいたかった。僕と両親と祖母の利害が一致した結果なので、僕は特に文句を言うこともなく福岡の祖母の家で祖母と暮らしていた。

 それが先月から1人の女性も住むことになった。初めて彼女と出会ったのは、夏の暑さが過ぎ去った後の夜の海でゆったりと波の音に耳を傾かせている時だった。

「波の音を聞いていると、胎児だった頃を思い出さない?」

ふと、女性の声が僕の頭上からした。僕は驚き起き上がると、そこには月夜に照らされた妖艶な彼女の姿が見える。彼女は月光のせいか幽霊にも天使にも見えるような、そんなこの世のものではない美しさだと僕は感じた。その美しさに見とれて硬直していると、彼女は少し困ったような表情で僕に近づく。

「話しかけたら……悪かったかしら?」

「いいえ、人がいるとは思えなかったので」

「大丈夫よ、私は生きた人だからね。怖がらないで」

そう言われて僕は初めて自分の身体が震えている事に気づいた。彼女はどうやらそれを闇夜に紛れて現れた幽霊か何かだと、僕が思っていると勘違いしたらしい。

「隣、いいかしら」

僕は貴方に見とれて震えていたんだとは言えず。彼女の言葉に頷くのが精いっぱいだった。

彼女は名前を千代と名乗った。最近、この辺りに引っ越してきて偶にはと散歩しに夜の海辺に来たら先客がいたと語った。

「僕も先日ここに引っ越してきたばかりなんです。名前は春人と言います。本が好きです」

「そうか、少年は本が好きなんだね。本は良いね、あらゆる文化や言語、時代や記憶を残してくれる。私も本は好よ」

千代さんという不思議な女性に、少年と言われ少しだけムッとしたが大人しい僕の性格では、それを怒りとして表すことはできなかった。そして、黙り込んでいると彼女は少し挑発的に笑みを浮かべた。

「少年――と呼ばれるのは嫌だったかしら」

「もう18歳ですから、子供呼ばわりされるのは好きではないです」

そう言うと彼女はまた笑う。そして「そうかそうか」と頷いた。

 僕は何処か千代さんに、古風な雰囲気を感じてしまう。彼女自身は古風な雰囲気ではなく、最近の若い人によくある普通の服を着ていた。髪型も長く綺麗なストレートなだけで、特段変わっているという訳でもない。

その違和感を考えてながら、彼女の言葉を振り返ると言葉自体が古風というよりも、言葉の選び方や考え方が現代の人というより、小説にでてくるような明治や昭和の人のようだった。

「千代さんって、何をやってる人なんですか?その、失礼ですけど、言葉とか話のニュアンスがまるで物書きの人の台詞みたいですね」

「悪いわね。癖なのよ。別に中二病をこじらせてる、とかじゃないから気にしないで欲しいわね。私は――そうね、流浪人みたいに色々な所に行っているだけよ。それより、少年はこんな時間に何をしていたの?明日も学校じゃないのかしら?」

「そう。なんですか。学校は行ってないです。中学からずっと馴染めなくて。今は祖母と共に暮らしています」

「あら、そうなの。でも学問を習うのに学校じゃなければいけないという事はないわね。昔は寺小屋で物の書き方を教えていたくらいだもの」

「いつの時代の話をしてるんですか」

そう言うと、千代さんは笑いっていた。彼女の冗談めいた言葉に僕も固まった表情筋が緩み、笑ってしまう。彼女は笑い方もとても綺麗で、その月夜に照らされた姿からは、年齢を知ることはできない。

「そう言えば、さっき流浪人だと言いましたけど。どれくらい此処にいられるんですか?」

「どうかしら……。できれば落ち着いて暮らしたいのだけど、私にはそれが出来ないのよね。短期間でも数週間位はいれると思うわ。でもどうして?」

「い、いえ。また、会えたら会ってみたいな、なんて」

「ふふ。寡黙なのにそういう所は積極的なのね」

「そ、そうじゃないです! そういうんじゃなくて! 僕は、ただ」ただ、なんだろうか。興味を惹かれたとも恋愛感情が沸き起こったとも言えない。千代さんと話していると僕の中の僕すら知らない感情が湧き上がってくるのがとても心地良く、そして安心できた。

 彼女は悪戯に笑う。笑うのが好きなのだろうか、最初に見せた時の憂いた顔は今では多彩な笑顔を映し出している。潮風と共に彼女の何とも言えない、花のような香りが鼻をくすぐる。

「明日もここに同じ時間に来るわ。それより御婆様は心配されてるんじゃないかしら? もう結構な時間よ」

 千代さんにそう言われ、時計を見ると既に21時を過ぎていた。祖母が心配しているかもしれない。僕は千代さんに「明日も必ず来ます」と伝えると、急いで自宅に戻った。彼女の言うように祖母は心配したのか、寝たきりの身体を引きずって玄関口にいた。

僕は祖母に謝り、友人と携帯電話で話していたことを伝える。祖母は帰ってきたことに安堵し、そして、僕に友人がいたことに安心したようだった。

明日も同じ時間に出ることを言うと少し心配しながらも了承してくれた。

 翌日の夜になり僕は急いで海辺に行くと、そこには既に千代さんの姿があった。

彼女は海風を全身に感じるように立ち、海の全てを味わっているように思える。後ろから声をかけても良いものかとあぐねるっていると、彼女は後ろを振り返らずに「少年、来たんだね」と言う。

僕は千代さんの横に立つと平均的な身長の僕よりも少し低い彼女は僕の方に向いた。

「なるほど、少年の背は私より高ったのか」

「幾つくらいだと思ったんですか? 僕はもう18ですから背だってそれなりにありますよ」

「そう言えばそうだね。可愛らしい顔をしていたから、てっきり背も低いモノだと思っていたよ」

そんなに童顔ではないです。と言おうと思ったが、また千代さんのからかうような笑みに僕は見とれてしまった。どうにも緊張と安心が入り混じるというか、高揚した感覚が言語中枢を麻痺させるような、そんな感覚に陥る。これが恋だと言うなら僕は随分と高嶺の花に惚れてしまったようだ。

 僕は、恋愛という物に鈍感だった。初恋がここまでの人ならもしかしたら、よほどの面食いなのかもしれない。そう自嘲していると千代さんは神妙な顔をして僕に問いかける。

「少年にとって生きるとはどういう事だと思う?」

「生きる……ですか。実感がないですね。でもこうやって話していると、色々な感情が湧き出るようで生きていると感じます」

急な千代さんの問いに僕は考える間もなくただ無意識にそう答えていた。彼女はその答えを聞くと、嬉しそうにも悲しそうにも見えるような微妙な表情を向ける。

「千代さんにとって、生きるってどういうことですか?」

僕は何となく先ほどの問いを千代さんに返してみた。彼女の表情は微妙な顔から、直ぐに困惑したような表情に変わる。

僕は何か困った事を聞いてしまったのだろうか。昨夜の話だと冗談なのかわからないけど、各地を転々としているようだし、踏み込んだことを聞いてしまったのかもしれない。

「あの、答えにくかったら別にいいですよ。何となく聞いてみたかっただけなので」

「にくい、ではなくづらい。だよ少年」

「え?」

「言葉と言うのは、音によっては相手を不快にさせてしまうからね。答えにくい、より答えづらい。のほうが私は好きよ。生きるって言うのは、私からしたら何かしらね。とても長い事かしら、ただ惰性に身を任せながら生かされていると言えばいいのかもしれないわね」

僕は「それは、どういう意味ですか?」と聞くと彼女は、困ったように笑い「そのうち解るわ」と答えた。まるで幼子に老人が言うかのようなそんなニュアンスを受ける。とは言っても、千代さんは僕よりも精々5歳くらい上にしか見えない。

それなのに、彼女がそういうニュアンスを向けると言うのは、それだけ色々な人生経験があったのだろうか。

「千代さんは人生経験豊富なんですね。まるで年長者の方と話してる気分です」

「年長者には変わりないわよ?私は18歳を過ぎてるわ」

「いや、なんていうか」

「老人みたいだって思ってるのかしら?」

千代さんは少し不服そうに僕を見ると、僕は自分の失言に気づき謝る。すると彼女は不服そうな顔から瞬間的に、笑顔に変わると私の頭を撫でながら「許してあげるわ」と言った。

僕は突然のスキンシップに驚き硬直してしまう。

 柔らかい。千代さんの指が優しく僕を撫でると、それだけで僕は彼女に視線を合わせるのは出来なくなるくらいに頬が赤くなってしまう。頭が真っ白になりそうな自分を堪えながら、なんとか「子ども扱いしないでください」と言った。すると、彼女はまた悪戯そうに笑う。

彼女としてはからかい半分なのかもしれないけど、僕としては千代さんへ真剣な恋心を抱いてしまったのだろう。そう自覚すると、寡黙な自分自身が余計に緊張で寡黙になる。それを知ったように彼女は困ったように笑う。

「少年。少年はもしかして、私に一目惚れしてしまったのかしら」

「……」

「黙っているということは図星なんだね」

否定するべきだろう。頭の隅で冷静な僕がそう言った気がする。例え初恋の熱に魘されたとしても、彼女と僕とでは釣り合わない。そんなことは解りきっている。だからこそ、ここは否定しないといけない。

それでも、それでも僕は否定する事が出来なかった。

「初恋は破れるものと言います。だから別に付き合ってもらえるとも思っていません。ただ、千代さんと話せれば、それで満足です」

「そうか、少年は素直なのね。私も最初の頃に恋愛した時には、そう思ったわ。叶えられなくても良い。ただ、話せればそれでいいんだって。でもね、何回も続くうちに辛くなってしまったのよ」

「話すのがですか?」

「それはないわ。でもね、そうね……。少し、考えさせてくれるかしら」

千代さんはまるで思いつめたかのような苦しそうな表情をする。僕は自分のその恋心が彼女を苦しめるのなら、言うべきではないと後悔した。僕の表情が苦悩に歪んだのに気づいた彼女は、少し慌てたように手を振った。

「違うのよ。貴方の気持ちは嬉しいの。でもそれはね――いえ、これは明日話しましょう」

彼女はそう言うと「また明日ね。と言い僕から離れていってしまった」。それは、失恋よりも苦く僕の頭を混乱させる。しかし、彼女は「また明日ね」と言った。

僕に会いたくないのではなく、会いたいのだと何とか僕は僕自身の心が折れないように立て直す。

 僕は何とかふらついた足で家に帰ると、祖母はまた僕の事を心配してか玄関の前にいた。

祖母は僕の血色の悪さに驚き、何も言わずに家に入れると片足を引きづりながら温かなお茶を入れてくれた。

「何が遭ったのかは知らんがね。大丈夫かい?」

「大丈夫。失恋? しただけだから」

なんとか混乱しながらも僕がそういうと。祖母は黙って背中をさすってくれた。それから混乱が解れてだんだん冷静になってくると。そもそも失恋だったのかもわからなくなってきた。

「ばあちゃん。最近越してきた綺麗な人、知ってる?」

「殆ど寝たきりだからねぇ。解らんけど、惚れたんはここのお嬢さんなんか」

「うん。失恋したのかもわからないんだけど……何か良く解らなくて」

「女の子は、まぁ気が多いからねぇ。あんたはええ子だから、ドシッと構えていればええよ」

そういうと、祖母は僕の背中をトントンと叩いて笑った。そして「後悔だけはしないように、しゃんとしなさいな」と言い。片足を引きずりながら寝室へと戻っていく。僕は祖母に勇気づけられ、後悔のしないように千代さんと向き合うことに決めた。

 その日の夜は何もする気にはなれなかった。ただ、千代さんのことを考えた。彼女の苦悩した顔や初めて会った日の会話を思い出す。恐らく彼女には何か重大な問題があるのだろう。それが結果として、普通の人生や恋愛から遠ざけてしまっているのかもしれない。 どんな問題だとしても、僕は千代さんへの想いを消すことは出来ないだろう。それが例え短い日々の間に実ったとしても。

 翌日の夜。僕は祖母に出かけてくると伝えると、祖母は「頑張るんだよ」とだけ言い無言で見送ってくれた。今日は生憎の曇り空で、薄い月明かりと携帯の灯りだけを頼りに僕は海辺へと着いた。

霞む月明かりの中、千代さんは海辺の方ではなく僕の方を向いたまま待っていてくれた。

手には新聞紙で包まれた何かを持っている。もしかしたら、それが彼女を苦しめている原因なのかもしれない。

「少年。来てしまったのね」

「はい、来ました。僕は、千代さんの問題をどうにかしたいので」

そう言うと、彼女は困ったような嬉しいような笑顔を僕に向けた。「全く、今時にしては早熟した子ね」と言い、僕に新聞紙の包みを渡した。

僕はそれを受け取る。三角形のような形の包みをよく見ると、それは包丁のような形だった。

「もし、何も聞かないで愛しているなら、終わらせてくれないかって言ったら。少年は終わらせてくれるかしら」

 その目はからかいでも、試すようなものでもなく。ただ真剣に僕へと向けられていた。

僕は怖気づいたわけではないが、よく解らない震えが足から来る。何とか平静を保ちながら、千代さんになるべく男としての度量というものを見せてやろうと見栄を張った。

「好きなら終わらせてほしい。というなら、千代さん、何故そうしなければいけないのか教えてください。納得できるのなら、僕は厭わない」

言葉で言ったものの、内心ではどうにか回避したいと思った。それを悟られないようになるべく彼女から距離を置く。今日が晴天じゃなかったのは良かった。千代さんの表情は見えないものの、僕の表情も見えないだろう。

「本当に困った少年ね。」

「教えてくれないですか?」

「言ってもきっと嘘だと思うわ」

「そんな事はありません。僕は、千代さんの問題を嘘だとは思いません」

それは、紛れもない本心だった。とは言っても金銭的な問題だったら今の僕にはどうする事もできない。それでも、彼女の問題を理解したかった。

「私ね。遺伝子に問題があるのよ」

「病気ですか?」

「そうね。決定的な欠落よ。生き物としてあってはならない病気なの…なんて言ったら良いかしら。一番、解り易いのは不老……ね」

まるで冗談のようなことを真剣な口ぶりで言う。表情は見えないけど、けして茶化しているのではないのが理解できる。

「な、治らないんですか?」

「治せたら苦労しないわ。私の遺伝子はね、突然変異で老衰で亡くなることはないの。つまり、事故や自死、他殺されない限りは生き続けなければいけないのよ。それももう、かなりの長い間ね」

千代さんはそう言うと僕に近づいてきた。彼女は彼女なりに僕が真剣に話を聞こうとしているのか、確認したかったようだ。僕の強張った顔を見て彼女は安心し、その後、また悩ましい表情を浮かべる。

「少年は信じてくれるのね。人によっては冗談だろうと笑ったり、人によっては変わらない私を恐れ、逃げたわ。そうするうちに、私の恋心はとうに枯れ果ててしまったの。貴方の純愛を利用してしまうのは気が引けるけど、どうか終わらせてくれないかしら」

そこには、何十年、何百年とも解らない長くを生きすぎた彼女の悲痛な願いがあった。

僕は動揺が隠せなかった。それでも不思議と千代さんへの想いは変わらない。

 彼女の命を終わらせたくはなかった。だからこそ、僕は包丁を地面に落とし彼女を咄嗟に抱きしめる。

「どれくらいかかるか解らないけど、僕が貴方のその遺伝子を治しますから。どうか、待っていてほしい。あと数十年だけでも僕に時間をくれないですか?」

僕がそう言うと、彼女は泣いているのか胸元に濡れた感触がする。暫く静かに泣く彼女を抱きしめた。そして僕は決心した。例えそれが熱に魘されただけの初恋だとしても、千代さんを助けると。

暫くすると千代さんは「私はここで待っているから、春人は私を治せるように頑張って」と言い、泣きながら微笑んだ。僕は初めて自分の名前を呼ばれた喜びと、彼女の完璧な容姿端麗さの陰にある、あり得ない欠点への戸惑いを感じた。

僕が頷くと、彼女は「治せたら、貴方のファーストキスをいただくわ」と涙目でからかい、僕は照れた。

 それから僕は、祖母に彼女が病気であること、それを治すために僕は大学へ進学したいことを伝えると。祖母は何も言わずに頷いてくれた。僕は東京にある自宅へと戻った。その理由は彼女の呪縛を解くことだ。勿論、彼女の言葉は嘘だったかもしれない。迫真の演技だったかもしれないが、不老という最大にして最悪な生き物としての欠点を取り除く為に、僕に必要なのは知識だった。

 僕の姿勢に両親は眼を丸くしていたが、僕は両親に構っている余裕などなく日々を勉強に費やした。そして、遺伝子や生命について知る為に大学に進み、大学院へと行き、遺伝子上、不老があり得ることを知ると、最終的には研究者として海外へと渡った。

月日が流れる中で千代さんと再会することは、もしかしたらないかもしれない。それでも、もし、僕の研究の成果が、数世紀先であっても実り。そして、彼女の呪縛を解くことができるなら僕の命など惜しくはないと感じている。

 それは僕自身が50歳を超えた今でも尚抱き続けていた……。しかし、それは突然終焉を迎える。僕の初恋は老化のメカニズムや、それを回避して不老になる手順へと注がれて。更には不老から元の遺伝子に戻すという工程を数十年かけて、思考し研究し実験した。

しかし、結果は不老になる確率はあったとしても、それを人為的に行えることはできなく、更に言えば遺伝子内のメカニズムを変化させることは到底、現代の科学では無理なことだった。

 僕は絶望した。そして、その無気力感は日増しに僕の心を蝕む。そんな暗い気持ちが続いたある日の夜に夢に千代さんが現れた。彼女の苦悩の表情と「もし、本当に私を愛しているのであれば、君が終わらせてくれ」と、いう言葉が繰り返し私の夢に流れ込んだ。

私は現代の中でも天才と言われる部類にまで上り詰めた研究を突然と辞め。今は誰も住んでいない福岡の祖母の家にたどり着いた。

「そう、ここでなら貴方に会える気がするんだ」

濃くなった皴を撫でて僕は思い出の祖母の家を眺めた。経年劣化はすれども、そこは今でも祖母がいるような、そんな空気がする。

「僕は……いや、僕が終わらせよう」

それが彼女の望みであり僕自身への最初で最後の彼女への愛情となるのなら。千代さんの欠点である不老を終わらせて、数世紀の生という生き地獄から救いだそう。

せめて苦しくないように研究所から持ってきた劇薬を家に置き、僕は祖母の家を後にした。

 外は既に暗く夕闇に映し出された星々の輝きが、あの時と変わらない風景を映し出している。月夜に導かれるように僕は砂浜やと着いた。そして、老齢になりかかった今でもあの時と同じ気持ちが、千代さんへと向けられている事を確認する。

海辺の波音と、風の心地よい香りをたしなんでいると、突然後ろから懐かしい声が聞えた。

「随分と年をとったな、少年」

「千代さん……覚えてくれていたんですね」

「忘れたかったわ。でもその度に、ニュースで貴方の姿を見るはめになって、忘れられなかったのよ」

「すみません、僕は僕なりに頑張ったんですが」

「それ以上は言わなくていいわ。今日は別れを言いに来たのかしら?それとも…」

 僕は振り返り千代さんと対面する。年齢を重ねても、彼女の変わらない姿と同様に僕の高揚するこの初恋の恋心も変わらない。

僕は決心していると示すために、無言で頷いた。千代さんも同様に、私が何をするのか悟ったらしく悲しそうに微笑みながら頷いた。

「ありがとう。申し訳ないわね」

彼女はそう言うと少し俯き加減になった。それでも、月夜に照らされた彼女の姿は余りにも神々しく綺麗だ。

僕は「自宅に用意してありますから、案内します」そう伝えると、無言で彼女の手を繋ぎ祖母の家へと案内した。

道中は喋ることも無く、今では祖父と孫に近い年齢にまでなってしまった僕たちを、もし何も知らいない人が見たらどう思うのだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていた……その時だった。

突然の衝突音と共に、何が起こったのか僕には理解できなかった。握っていたはずの手の温もりはなく、あるのは黒い車がスリップ痕と共にぶつかった後の光景だった。

何が起こったのだろうか?

何も考えられなかった僕は千代さんの方を見る。しかし、そこに千代さんはいなかった。

「千代さん……? まさか」

 嫌な予感が頭の中を駆け巡る。「まさかそんな」ここまで来て、こんな結末だなんて。

僕は必死になって自分自身の想像を否定し、無事な千代さんを探した。

 そして、見つけた……。ありえない量の血だまりの中に、彼女は朦朧とした意識のまま人形のように寝転がっていた。

一目で助からないことが、頭の中では解っていながらも僕は駆け寄らずにはいられなかった。

「千代さん! 千代さん!!」

「……」

 血濡れになった彼女を抱きかかえると、千代さんは苦しそうに呼吸をしている。ここまで苦しんで生きてきたというのに、何故、終わりすらも安らかにしてくれないのか。

私は号泣し、彼女の手を握った。

千代さんの温かな手は次第に冷たくなり、強く握られていた手の力も次第に抜けきってしまった。

「そんな。こんな終わりなんて。僕は、僕は……!」

泣きながら僕が何かを言おうとした時、彼女は最後の力を振り絞って僕にキスをした。

鉄の臭いと共に、千代さんのあの独特な香りが混じる。

彼女は何か言いたそうに口をパクパクさせると、その後、微笑みながら息を引き取った。

こうして、完璧な彼女の決定的で最悪な欠点は彼女の命と共に消えていった。

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