とある町のコメディSS

日暮ススキ

道のり

 及川茂は悩んでいた。

 この後自分がどうするべきか、どうしようもなく悩み、立ち竦んでいた。

 現在、目的地である我が母校を目指しているわけなのだが、右に曲がればそれですぐに到着するのだが、しかして今日はなんの前触れもなく工事が始まり、及川の前に立ちふさがっていた。秒数にして約四十五秒。ただそれだけで到着する道順を、筋肉質な壮年の男たちや、大仰なショベルカーによって盛大に塞がれていた。

 ただ、立ち竦んでいる理由は、左に曲がって大回りをしなくてはいけないこと、そのことについて悩み、苦しんでいるというわけではない。もしそうであるならば「うわまじかよ、なんでこんなとこで工事してんだよくそが」とか言いながら左へ曲がっていく同じクラスの高田のように、中間テストで総合点が及川よりも二十点高かったことを鼻に掛け、そのことで幾度も絡んでくる高田のように、それでも現代文の点数だけ赤点で、密かに呼び出しを食らっていたことを及川は知っている高田のように、低能な暴言を吐きながら左へ曲がればいいのだ。本来悩む必要などない。

 それでも及川には、躊躇なく左に曲がることができずにいた。理由は工事現場を見ればよく分かる。よく見れば、分かる。

 隙間があるのだ。間隙があるのだ。素人目にはわからないかもしれないが、高田にはどうしたってわかりようはずがないが、それでも、人一人通れる、確かな抜け道が工事現場に存在した。これを見過ごすことを、及川はできなかった。

 それならその道をさっさと進めばいい話であるように思われるだろうが、事はそう単純ではない。

 まず、右方向の道路全体は蜂模様のポールによって、建前ながら塞がれている。これを飛び越えていくか、下をくぐり抜けていくか、大人しくそっと外してそっと戻して進むか、民衆の意見は別れるところであろう。

 この道を通るにあたって重要なことは、なによりも隠密であること、それに尽きる。工事現場の屈強な男どもの、どの瞳にも映るわけには行かない。学校に報告されれば万事休すだ。よって道は二つ。多少の物音をさせながらも作業員という名の衛兵達に見られる前にそそくさとやり過ごすか、あるいは慎重を期し,、素早さを犠牲にしながらも正確さを追求して忍びのように切り抜けるか、どちらかである。

 第二に、生徒の眼である。ここは通学路であり、高田のような間抜けな暴言を吐かないまでも、多少顔をしかめて左に曲がっている生徒が見受けられる。はっきり言ってちょっと恥ずかしい。高校生にもなってコソコソと動くのはいささか気が引ける。幸か不幸か、先生はいないので即職員室に呼び出しを食らうという事はないが。

 そして最後に、大人しく左へ曲がるということも、選択肢として含まれているという事を念頭に置かなければならない。秒数にして約二百五十三秒。学校際に用水路が流れていることが仇となり、そのためにこの位置からでは裏門から入るのが最も早く、しかしそれでも二百余秒は掛かる。正直とてもとてもしんどい。

 ……………………という事を五分間悩んだわけだが、そこでふと、以前父に聞かされた話を思い出した。

「茂、いいか。お前は今後、いろんな道を歩くことになるだろう。その辺の道路という意味じゃない。人生という道のりのことだ。」

 帰宅した父は、閉めたドアに背を預けながらおもむろに語りかけた。

「その中でお前は、選択を迫られる時、道を選ばなくてはならない時があるだろう。その時お前は、どの道を選ぶ? 最も堅実な道を選ぶか? 一発逆転の道を選ぶか?」

 何時になく真剣な目を及川に向けながら、父は言った。

「だが、そうじゃない。違うんだ。そこでお前の取るべき選択肢はひとつ、楽しいと思うところに行け。考えるな、感じろ。人生楽しんだもの勝ちだ」 

 もしこの言葉を、競馬でボロ負けしてワンカップをちびちび飲みながら帰ってきた時以外の状況で語っていたならば、父親としての株は多少上がっただろうが、それはまた別の話。

 兎に角、途中でドブ顔からに突っ込んで死んでおくべきだった父親の言葉であるが、内容には共感できる。いつ死ぬともわからない人生だ。いついかなる時も、楽しんでおくべきである。決意は固まった。

 早速、及川は行動を開始した。まずは最初の関門であるポールを、おっちゃんたちの目、特に手前に立っている警備のおっちゃんの映らぬようにこっそりと、だが勢い良く飛び越え…………

 「おい、お前そこで何やってんだ」

ている瞬間に、後ろから声をかけられた。予想外の口撃に面くらい、派手な音を立てて顔から地面に落ちた。痛みに耐えながら顔を上げると、そこには生活指導の田中がいた。ひょろい出で立ちだが生活指導の先生である。

「あんちゃん、危ないからあっちの道から行きな」

 撃墜音で及川の存在に気づいた警備のおっちゃんによって、及川は戦場を追い出された。

「お前、C組の及川だな。昼休みに職員室に来い」

 それだけ言うと、田中は去っていった。ひょろい背中を見せつけながら、とぼとぼと左側の道を歩いて行った。

 取り残された俺は、警備のおっちゃんに変な目で見られるのも構わず、崩れ落ち、競馬バカの父親の言葉に共感したことを、心の底から後悔した。今度実家に帰ったら日本酒の瓶で頭かち割ってやる。


 

 

 

 

 

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