山嶺へ(六)
「四詩――!!」
四詩は一直線に落ちた。ふたりをつなぐ命綱がびんとはりつめる。力を込めて立った一矢までずるずると引き摺られ、辛うじて一矢がつかんだ岩が、ふたりをつなぎとめた。
――よろしいですか。
わたしが落ちたら、綱を切ってください。
くり返し、天幕のなかで言われたことばが蘇る。
ふたりの体格はほぼ互角だ。そのため、どちらかが落ちた場合、命綱で支えるほうにも危険がおおきい。このとき、優先すべきは、四の巫祝の命ではなく、一の巫祝の命だ。
巫祝の肉体は、輪廻する魂の、一瞬の仮宿に過ぎない。
そう一矢は理解している。
しかし、昨晩も触れた彼女のからだ、あの吹雪の日に犯した彼女の肌――……
行が終わったとき手に入れられないものに、なんの価値があるというのか。
もう一度転生したとき、四詩は一矢を受け入れるかもしれない。
一矢は腰に差していた短剣を抜いた。
「一矢さま! 綱を切ってください!!」
この声を聴くことは、この先一生ないのか――……
「早く!!」
――藤世、藤世。あなたが大好き。
憎悪の雪嵐が一矢を押しひしぎ、彼女は一太刀で綱を断った。
四詩は全身を襲う痛みでめざめた。
暗く、息が苦しい。一瞬で自分の危機を悟り、腕をはげしく振った。幸い、自分を覆っていた雪は浅く、すぐに晴天が見えた。痛みに耐えながら這い上がり、雪を払う。深い谷底に自分がいることがわかる。立ち上がろうとして、崩れ落ちる。両足に力が入らない。折れているか、捻挫したのだろう。荒く息をして、それからそっと微笑んだ。
一矢を助けられた。
ひどく傷つけてしまった彼女を。
崖から落ちて、谷底の雪崩に巻き込まれたのだろう。周りの雪の状態からそう判断して、四詩はぞっとした。
落ちた場所から遠く離れたところにいる上、自分は両脚を怪我している。自力で人里に辿り着くのは、不可能に等しい。
荷物は背にくくりつけられたままだが、行を終えようとしていたいま、残りの食料は乏しい。あと二日もつかどうか。雪があるため水には困らないが、自分の命が尽きる前に、助けが来るだろうか――……
そのとき、崖上からかすかな声が聞こえた。
「……詩――!! 四詩……!!」
四詩はびくりと震えた。総毛立つ。
全身が歓喜していた。夢ではない。ここは現し世だ。
まさか、そんな――……
疑うこころは、はっきりと届く声にかき消された。
「――四詩!! そこにいるんでしょう!?」
四詩はおおきく息を吸うと、叫び返した。
「藤世――!! 藤世、わたしはここだよ!! 藤世!!」
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