第2話 火曜日 ~悩み多き火曜日~

「こ、古藤さんまた休みだそうです。」

ADHDの吉川が電話を何度も切りそこねつつ報告した。

さて、本日の休みは古藤さんらしい。「また休みか…」阿部はため息をつく。別に彼女じゃないといけない仕事があるわけではない。カバーもきくよう、社内LANで仕事の進捗状況は把握できるようになっている。しかし、ここ数日の勤務態度はなんであろう。出社したらしたでぼぅーっとしている。しょっちゅう医務室で休む。「病気だからって甘えているんじゃねえ!」阿部は心の中で毒づく。どうせまた失恋でもしたのだろう。安部のキーボードを打つ音が徐々に強くなっていく。この課に入ることがどれだけの難病患者が羨んでいると思っているのだ。ああいうだらしない奴がいるから難病患者が誤解されて就職しづらくなるのだ。

阿部が心で毒づいている頃、古藤は父親に買ってもらったマンションで横になっていた。だるい。”全身倦怠感”膠原病特有の症状だ。特に台風シーズンは関節も痛む。頭がクラクラする。

昨日は柄にもなく“日経PC”を購入し、練習問題までトライした。すると、翌朝…出た!過緊張による発熱。自作のアイスノンハチマキを巻き巻き古藤は横になっていた。「まさかこれしながら出社するわけにはいかないしなあ。」ハチマキを押さえつつ古藤はため息をつく。しかし、甘い。Lineで同病相哀れもうと派遣の友人鶴田にメッセージを送った所、鶴田はリンパ節に沿って熱ピタシートを貼り、熱でも出社の準備に余念がない。「あんたはいいわよあそこに採用されて。いたっ」貼る場所をやりなおして脱毛したしい。鶴田早々とLINEから退出。古藤はぬいぐるみに向かって最近多くなった独り言を吐く。「ふん、大きなお世話よ。病人だらけの課なんてウザくってたまらないわ。絶対職場結婚なんてヤダ。」古藤は自分も病人のくせにその事は棚に上げる。「だいたい採用試験なんて、受けいれるサイドの事を考えて演じるものなのよ。」古藤はぬいぐるみに訴える。「都庁側は初めての試みで戸惑っているのよ。できるだけ手間はかからず、自己管理、つまり無理しないで素直そうな人を取るに決まっているじゃない。」古藤は昔から要領が良い。「鶴ちゃん“自分をわかってもらう”とかいって前職での経歴を朗々というから、また発症(正確には憎悪、状況が悪くなることをいう)されたらやばいと思われるのよ。だから彼氏出来ないのよね~。」最後の独り言は、自分はどうなのだと反論されてしかるべきだが、運よくぬいぐるみは言い返さない。彼女は短期的、あるいは自分の都合さえ考慮に入れなければ、正しい判断ができる人なのだ。

「今日はこれからどうしようかなあ。」ベットでゴロゴロしながら古藤は模索する。「阿部さんに嫌味言われそうだしぃ、午後から出社しようかなあ。」古藤は寝返りを打った「でも、帯状疱疹出るとキモいしなあ…いーや、先生も頑張りすぎないようにって言っていたしぃ。」古藤は図々しい割に小心者なのだ。自分の病気についてウィキピアで調べたが、先生に言われた事以外の箇所、例えば内臓疾患等々は読んでいるうちに怖くなり、結局未だに読み切れていない。大体において彼女は自覚症状が出る前に健康診断で発覚したのだから幸運な人とも言える。しかし、だからこそ、自分が病人であることをなかなか受け入れられないのだ。

「電話がADHDの吉川君でよかった。」古藤は内心をほっとしていた。「阿部さんだと怒るしなあ。似た病気なのに理解ナーイ。」といいつつ彼女も阿部の病気のことは詳しくは知らない。

暇つぶしになんとなくリモコンを手に取り適当にスイッチを押す。「昼間って韓ドラばっかり。あーあ、もしあの時発症していなかったら…。」古藤はしょっちゅう昔の恋人や職場に思いを馳せてしまう。大抵思い出とは美化されがちで、もし続けていても結婚したかキャリアアップしたかなど、分かりはしないのだ。とはいえ外資のディラーだったので、仕事はそれなりに、いや結構出来たのだ。たらたらiPhoneでフェイスブックを見ていると、日経新聞の広告が目に留まった。「前職を辞めてから一度も見なくなったなあ。ディラーのスピードについて行けなくなっちゃったものね。分析力も落ちたわ。集中しようとするとすぐ発熱するのじゃ仕事にならないし…。」TV画面はガーガーと無機音で白黒になり何も写さなくなっていた。「楽しかったなあ。動きがある物を相手にして。予測が当たった時はまるで自分が世界を支配しているような気持ちになった。」画面は相変わらず白黒のままだ。「今の私を見たら、昔の私は軽蔑するだろうなあ。」画面は自動的にショップチャンネルに変更され、古藤の歳では買うはずもないおむつパッドが宣伝されていた。「あの努力、勉強量を恋愛に回していれば、今頃は同期のバイトみたいに結婚していたろうあ。」確かに努力はしていた。仕事の後どれほど疲れていても、英語と中国語のヒアリングは欠かさなかった。仕事で飲むときは早朝か、突然決まった時はトイレの中で最低限の勉強をしていた。「私の人生ってなんだろう。留学の話も出ていたなんて、今の私を見たら誰も信じないよね。」そして発病。あらゆる民間療法を試しまくり、得た結論は「そんなもので治ったら医者はいらない」という過酷な現実であった。悪いことは重なるものである。恋愛で治ると自己啓発CDで言われたので試してみたら、ストーカーで追いかけられまくってえらい目に遭った。「やっぱり仕事しないとなあ。それも今の仕事でかぁ。やりたくないけど勉強しよう。」アイスノンハチマキの中身を入れ替えつつ古藤は再び日経PCをめくる。

 古藤は1週間前失恋をした。それも4時間半もかけて否定されまくった。弁護士という人種は話すことが仕事なのか、いつまでも話し続ける。しかもマイペースで話が飛ぶので会話にならず、一方的である。「なにも『ごめん、俺、病気とか、ダメ』と一言言えばいいじゃないか!」古藤のハチマキから雫が雑誌に垂れる。病気が嫌なのはわからないことはない。自分だって病気の課に行くのが嫌なのだから。

発病してから古藤は自分に段々嫌気がさしてきている。「男性に守られたい、甘えたい。」そして最近は「子供が欲しい。」38であるが、可能性はゼロではない。そんな焦りが相手に伝わったのであろう。重い女には徐々に距離が取られ電話が来なくなった。「自分が会いたいときは呼び出すくせに、こちらが会いたいときは用事があるとかいって平気で飲み会に行く(FBに載っているからバレバレなのだ。)無用心な奴。」別の見方をすれば「それとも私の気持ちなど奴にとってゴミみたいなものなのか?」今頃気づくのが恋愛デビュー遅すぎ甘ちゃん古藤の痛さである。「なんて傲慢な奴。区議のだれかさんのように乗り込んでやりたい!でも疲れそう…。」古藤に限らず、一般に人は弱ってくると結婚や恋愛に頼りたくなる。新しい環境、例えば大学に入った途端カップルがボコボコ出来るのは不安感からだ。そんなカップルを横目に見ながら古藤は勉学に励み、難関ゼミで切磋琢磨し、優秀な成績で卒業、誰が聞いても知っている外資コンサルタント会社に入り、ディラーとして日夜勉強に励んでいた。「その私がねえ…。」40前に男を追い掛け回して縋り付くとは思ってもみなかった。もはや無様で情けないなんて感情はとうに消えていた。

「でも、私そういうのは無理みたい。」日経PCを解きながら古藤は苦笑いをする。「さて、問題を解こう。今日は前半休を取ろう。そして、行くか、職場に。」いつの間にか外は晴れて夏の空らしくなっていた。


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