第五話 少年と亡霊

 世界から魔物の気配が消える、夜明け前のわずかな時──。

 ガイスから例の短剣を受け取って以来、クレイゾールはその日もまどろみの荒野を駆けていた。塗り潰したような闇の中を、小さな闇が躊躇いもなく疾駆する。

 それは昨日でも今日でもない、虚無の狭間。

 その瞬間、世界のすべてはクレイゾールのためだけにあり、黒の抱擁はそのちっぽけな自我を受け止めてくれるただ一つの存在だった。

 この場所で剣を握っている間だけは、虚ろの心に刹那の充実が宿った。

 自分が自分でいるという事を、その身を通して確かに実感出来た。

「ハ……! ハッ……!」

 剣を振るたび、霧がかっていた思考に閃きが走る。

 砂を蹴る足にも力が宿り、この数日間で見違えるほどの回復を見せている。

 それはつまり、意思の芽生えによるものだろう。

 こうして一人、未明の海を泳ぎ、明け方とともに寝床へ帰る。そんな日常がもう何日も続いている。例の──火傷の少年の容体が芳しくないためだ。

 いかな運命の悪戯か、ここルザルでの滞在は当初の予定を過ぎ、すでに一週間を迎えようとしていた。

 ガイスは新たな旅の同行者バーンを拾って以来、その看病にかかりきりとなり、ほとんどクレイゾールに構う余裕もなくなっていた。よほど危険な状態が続いているのか、ガイスは片時もバーンのそばを離れず、日中も半分目を開けた状態でこくりこくりと船を漕いでいる。

 ガイスは何も語らないが、彼らの状況に当面の変化はないのだろう。ゆえにクレイゾールは長旅の疲労を気にする事なく、こうして早くから荒野に出向く事も出来るのだが──昨夜遅く、クレイゾールはそのガイスを一つ驚かせた事があった。

 亡霊ゴーストとは何かと、彼に尋ねてみたのだ。

 その時のガイスの驚きようときたら、言うまでもなかった。普段驚くほど無口なクレイゾールから、何を聞かれたのかと思えば亡霊についてだ。ガイスは憔悴し切った顔に浮かべた嫌悪感を隠そうともせずクレイゾールを睨み据えた。

 けれど「クレイゾールだからこそか」と彼なりの合点は得たらしい。ひどく面倒臭そうにではあるが、ガイスは亡霊についての知る限りを答え、今もクレイゾールの脳裏には、そうして聞かされた彼からの言葉が断片的に残されていた。

 亡霊とはつまり──死んだ人間の霊の事だ。

 その姿は千差万別。一つとして同じものはなく、肉体を失った魂が、生前の思念を象って現世にその姿を具現化させたもの。半透明で実体のない身体を持ち、空気のように宙を浮遊する、半ば自然現象のような存在。

 それが世に云う亡霊である。

 また亡霊は極めて無力な存在であり、特に何をするといった事もなければ、これといって人に危害を加える事もない。当てもなく宙を漂っているだけで、あえて害を上げるとすれば、急に現れて人を驚かせるくらいなものだろうか。その点ギルディアに関して亡霊は取り立てて珍しい存在ではないので、慣れるのも早い。実際クレイゾールは旅の間に何度も亡霊を目にしているし、それも二度三度と続けて見れば、もはや灰色の風景とも何ら変わりがなくなってくる。

 そのため亡霊を目にした際の例としては、そのまま無視するというのが、ギルディアでは最も適切な対処とされていた。何故なら亡霊に自我はなく、接触する事も出来ない、ただというだけの存在なのだから。

 永遠に生と死の狭間を彷徨うだけの、かつて人間だった者の、哀れなるかな成れの果て。残滓のようなものだ。自ずからそうした存在に関わり合う道理もない。

 けれど何故クレイゾールがそんな疑問をガイスに持ちかけたのか──。

 その答えはまさに、この場所にあった。

 クレイゾールが足を運ぶ先々の荒野に、音もなく現れる

 初めてそれを目にしてからもう何日も経っているが、どこに場所を変えても、その亡霊は現れた。いつから居たのかも定かではなく、ふと目を休めた視線の先に。

 それでいて一瞬目を離した隙に消えていたりするのだから、いかなクレイゾールでもその亡霊が気になりだしてくるのは無理もない話だろう。足を運んだ先々で、無意識に視線があの亡霊を探し始めている。

 不思議な亡霊だった。

 ガイスから聞いたどの話にもあたらない。

 何故なら亡霊は、あくまで大気を回遊するだけの存在であり、意識的に一箇所へ留まっていられるような存在ではないから。その性質は煙にも近いとされ、何度も同じ亡霊を目にする例は非常に珍しい。

 そしてその亡霊を異様たらしめている特徴は、何よりその風貌だろう。

 金色の刺繍が施された黒の法衣を身に纏い、上半身だけの身体で、ふわふわと宙に浮かぶそれ。法衣の裾から漏れる半透明な肉体は水のように定まりがなく、慣性に揺れて下の方はほとんど空気と同化している。

 地面に垂れ下がるほどの長い腕にはそれに負けず劣らずの巨大な鎌を、もう片方の腕には分厚い赤表紙の本を抱えているが、どちらも亡霊が持ち歩くにしてはあまりに大仰な荷物と言えた。死して本を読み耽る亡霊など聞いた事もないし、生前の燻りを象ったにしろ具体的に過ぎるものだろう。

 さらにそれら亡霊の特徴の中でも、一際少年の目を引くもの。

 それは亡霊の被る、白磁にも似た奇妙な仮面だった。

 道化師の薄笑いを連想させる真っ白な仮面。その表面には切れ長の視界窓が二つ並んでおり、その下には大きく裂けた口が、口角を頬まで裂いて左右に広がっている。

 何から何まで亡霊らしからぬ、特異な亡霊──。

 果たしてそれは、今日もこの場所に来ているだろうか。

 それまで走っていた足を不意に止め、辺りを見回すクレイゾール。

 頭上には、朝の機微が滲み始めていた。

 狭間の刻が終わろうとしている。間もなく世界には鈍色の息吹が注ぎ込まれ、昨日という一日が終わるだろう。代り映えのしない今日を引き連れて。

 それら光と影の移ろいをぼんやりと見つめながら、自らもまた白き霧の中へと没してゆくクレイゾールの精神。ざわめき出す世界の事象の中で、塵のような彼の自我は瞬く間に居場所を失って忘却の彼方へ埋もれてしまう。思考の糸が途絶え始める。

 けれどその間際、荒野に佇む黒い影をクレイゾールの意識が捉えた。

 ──

 反射的に顔を向け、目を凝らす。

 痩せた木々が点在する灰色の荒野、その一つに寄り添うように、黒衣の亡霊がぽつりと佇んでいた。何をするでもなく、物言わぬ仮面だけをクレイゾールに向けて。

 亡霊の中にはごく稀に、特定の場所に縛られたものもいると聞く。

 日によって現れる場所こそ異なるが、あれもこの辺り一帯に縛られた亡霊なのかもしれない。そんな風にガイスの話を脳裏に巡らせるクレイゾールだったが、今日に限って亡霊が意外な行動を見せた。

 不意に揺らぐような動作を見せ、その場を離れたのだ。

 陽を浴びて消えるのかもしれないと思ったのも束の間、今度は風に吹かれるようにゆっくりと、しかし明らかにクレイゾールを目指して近づいてくる。

 逃げるでもなく、こちらもただ静かに亡霊の到着を待つクレイゾール。

 そうして少年と亡霊は、ごく自然と向き合う形となった。

「──何ヲシテイルノダ?」

 だが、あまりに当然のように亡霊が話しかけてきたものだから、それにはさしものクレイゾールも目を丸くするしかなかった。

 亡霊が──言葉を。

 亡霊は、こんな風に人の言葉を喋れたのだろうか?

 亡霊とはあくまで異なる世界の住人であり、触れる事はもちろん、互いの声も聞こえないとされる存在のはずだ。そういうものだと、昨夜ガイスもクレイゾールに語ったばかりだ。しかし一方でこれら現実との認識の相違は、クレイゾールにとって一過性の驚きでしかなかったのも事実だった。

 何しろこの亡霊に関してはずっと奇妙に感じていたし、それがいまさら言葉を喋ったところで、それ以上の驚愕には当たらない。それどころか、という雰囲気すらこの亡霊にはあった。

「何……して……?」

 しかし亡霊についての是非はともかく、「何をしている」というその問いに関して、残念だがクレイゾールに満足な語彙は揃えられなかった。何か意味のある言葉を返そうとするのだが、いつものように考えが散ってまとまらない。

 第一、その様子をずっと観察してきたのはこの亡霊の方ではなかったのか。

 眉間に皺を寄せる少年の表情に気付いてか、亡霊は質問を変えた。

「ナラバ……ココハ何処カナ?」

「ギルディア」

 今度は、クレイゾールも難なく答えた。

 ここはギルディアだ。それならば答えられる。

「ギルディア、カ。ソウカ。ギルディア」

 その答えに、亡霊は薄笑いを浮かべた仮面で何度かそう頷いた。

 亡霊の声は仮面の下からくぐもった響きで発せられ、ひどく聞き取りづらい。また仮面に表情がないため、それと会話をしているという実感もあまりない。しかし亡霊は聞き手の事情などを斟酌する風もなく、当たり前のように三度口を開いた。

 いや口を開いたのかどうかは分からなかったが、とにかく、声は聞こえた。

「オ前ハ、私ヲ、何ダト思ウ?」

「亡霊」

 これもクレイゾールは一言で答えた。それ以外にない。

 しかし当の亡霊がそれを尋ねるというのも、何とも間の抜けた話だ。さらに言うなら亡霊自身、その答えに少なからずの衝撃さえ受けているように見え、薄気味の悪さよりもちぐはぐな滑稽さの方が徐々に浮き彫りとなってくる。

「……ヨケレバ、モウ少シ、話ガシタイノダガ」

 亡霊からの遠慮がちな申し出を、クレイゾールはこくりと頷いて了承した。

 特に断る理由もない。この亡霊にはクレイゾールとしても少なからずの興味があるし、それが言葉を話す事が分かったいま、その興味はさらに高まったと言っていい。

 やがてどちらからともなく腰を下ろし、互いに肩を並べる少年と亡霊。

 ──としたつもりなのだろうが、やはり亡霊は宙に浮いていた。




 本格的な冬が近づくにつれ、徐々に日が短くなっているようだった。僅かな日照時間は風のように過ぎ去り、早くも周囲には夜の気配が漂い始めている。

 しかし今日ほど短く、奇妙な一日もなかったろう。

 何しろ少年は一日のほとんどを、この場所で亡霊と過ごしていたのだから。

 そして日の短さとともに実感したもう一つの点は、この亡霊が思いのほかお喋りだという事だった。

 あれから今に至るまで、クレイゾールは亡霊の問いかけに休む間もなく頭を働かせていた。普段のクレイゾールならすぐに切れてしまう思考の糸も、亡霊の声がその間を取り持ち、奇跡的に会話が保たれている。

 もちろん単純なものもあれば難解なものもあり、クレイゾールが答えられたのはそのわずか一割にも満たないだろうが、亡霊がそれを気にする様子はなかった。答えられないならそれで構わず、まったく違う次の問いを投げかける。そうして失いかけたクレイゾールの意識は再び呼び戻され、また次の思考に移ってゆく。

 一方で亡霊自身の喋り方も、始めはつかえながらの喋り方だったものが、少しずつ流暢さを増しているようだった。亡霊に対して生気が宿るという表現もないが、その言葉に含まれる見えざる力というもの、あるいは感情というものが言葉の節々に感じられるようになり、今では亡霊と話しているといった気がまるでしない。

 そんな中、亡霊との会話を通して徐々に判明してきた事実は、どうやらこの亡霊は亡霊になりたての、人間で言えばまだ赤子のようなものらしいという事だった。

 何と言っても自分が亡霊だという自覚さえなかったくらいで、自身の事を語ろうとして言葉に詰まる彼の姿は、同情と共に失笑も誘う。

 ただし一口に赤子といっても、亡霊と人間のそれとではずいぶん解釈に違いがあるという事も理解しておかねばならないだろう。人間の赤子ならばそれ以前の、自分が生まれるより前の過去はないが、亡霊には生きていたがあるから。

 そのため亡霊には言語や生活、環境についてなど、ある程度の知識なら始めから備わっているようで、からきし無知というわけでもなかった。だのに自分自身に関する知識はまるでなく、それにこの亡霊は戸惑ったのだという。

 やがて唯一の例外である自身の名前を、亡霊は「ノーベルス」と名乗った。

「名前だけ?」

「ソウラシイ。今デモ自分ガ亡──」

「亡霊だよ」

 クレイゾールの即答は、今回も少しだけ亡霊を傷つけたようだ。

 哀れなノーベルスは心なしか肩を落とし、しばし仮面を伏せたが、やがて何か思い出したようにもぞもぞと懐を探り出した。体の正面に抱えた鞄のような袋から、先刻しまった本を取り出して、見てみろとばかりクレイゾールに差し出してくる。

 ずっしりと重い赤銅色の背表紙を受け取るクレイゾール。

 クレイゾールが本に触れたのも、恐らくはこれが初めての経験だろう。ギルディアでは本という物自体、数えるほどもないし、識字率も低ければ、それを読み解ける人間はさらに少ない。しかしいくら身近な物でなくても、それが普通の本でない事だけはクレイゾールにもすぐに分かった。

 本を開いて真っ先に飛び込んでくる圧倒的な余白部分。

 肝心の文字の記述となるものが、まったくもって欠如している。

 これでは本としての役割をまるで果たしておらず、どんな大層な装丁も無駄でしかなかった。白紙ばかりの頁を眺め、クレイゾールが小首を傾げる。

 けれどぱらぱらと本を捲っているうち、やがて一箇所だけ、何か文字が書かれた頁が目に留まった。

 よく見れば、そこに〈ノーベルス〉と亡霊の名が綴られている。

 それと同時にと、クレイゾールは初めてその事実に気がついた。

「面白イダロウ? ソレニハ、私ノ記憶ガ綴ラレテイルラシイ。自分ノ名前ダケハソコデ知ッタ」

 そう言ってノーベルスは自分の名前が書かれた部分を示しながら、他の貢もまた同じように捲ってゆく。するとそこには〈ギルディア〉やら〈亡霊〉やら、今しがたの会話で登場したいつくかの言葉が箇条書きで綴られており、ノーベルスはそれらをクレイゾールに説明しながら、どこか得意げな声で胸を張った。

「何カヲ思イ出シタリ、知識ヲ得タリスルト、コノヨウニ項目ガ増エテユク。コレガ私ニトッテノ記憶媒体、サシズメ脳ノ代ワリト言ッタトコロカナ」

 事実ノーベルスの仮面から覗く内側は、洞のようになっていて肉体がない。

 どうなっているのだろうと少年が思う間もなく、ノーベルスの話は饒舌に続く。

「私ガ思ウニ、コノ姿モ、コノ奇怪ナ品々モ、私自身ノ自我ガ生ミ出シタ産物ダロウ。強キ想イガ現世ニ焼キツキ、歪ニ形ヲ成シタモノ」

 そして手元の鎌を持ち上げながら、呆れたように肩を竦める。

 それはノーベルスの身長よりも大きい、柄の長い、特別大きな鎌だった。

 何の素材で出来ているのかは分からないが、緩やかに弧を描いた刃は有機的でもあり、何か線状の生物がのたうつような筋が幾重にも重なって見える。

「マア、コンナ物騒ナモノヲ携エテオルヨウデハ、生前ノ私ノ人格モ疑ワレテクルガ」

 そして訪れる少しの沈黙と、何かを期待するような亡霊の態度。

 それはきっと、このお喋りな亡霊なりの冗談だったのかもしれない。

 けれどもそこまでの理解をクレイゾールに求めるのは、さすがに無理があった。当のクレイゾールはぽかんと口を開けたまま次の言葉を待っているし、一方の亡霊は気まずそうに咳払いなどをして、あちらはあちらで次の話題を探している。

 死してなお空気を読む力は備わっているらしい。

「──トモカク。ココデオ前ト話セタ事ハ僥倖ダッタ。コンナ身ナリニナロウトモ、少ナクトモ以前、自分ハ人デアッタトイウ確信ハ持テタカラナ」

 仕切り直すように、そうクレイゾールへ向き直る。

 今も人としての意識を強く残すノーベルスだけに、その肯定は何より自我の安定に繋がったのだろう。亡霊は心からの感謝をクレイゾールに述べた。

 確かに、亡霊を見て逃げ出す事もなく、日がな一日亡霊のお喋りに付き合う相手もクレイゾールをおいては他におるまい。

「オ前ハ、私ガ出会ッタ初メテノ人間ダ。モウ何日モコノ荒野ヲ彷徨ッテイタヨウニ思ウガ、出会ウノハ蛮族ゴブリンバカリデ、魔族ドモトハ話モ通ジン。奴ラノ騒々シサニハ辟易トシテイタトコロダ」

 そしてその後は安心感からか、ぶつぶつとこれまでの愚痴をノーベルスは漏らし始める。よほど心細い思いをしてきたのか、亡霊のぼやきは止まらない。

 亡霊も魔族の一種なのではという疑問はさておき、しかしそれよりもクレイゾールの心を捉えていたのは、より根源的で単純な謎だった。

 亡霊の一人語りの合間を縫い、ぽつりと呟く。

「ノーベルスは、オス?」

 途端、ふわふわと浮かんでいたノーベルスの動きがピタリと静止した。

 はっとするその様子を見る限り、自分でも盲点だったに違いない。果たして自分の性はどちらなのか、真剣に思案を巡らせるノーベルス。しかしどれほど考えても確信を得るまでには至らず、けれど性別不詳のままでは今後の自己同一性にも関わる。

 やがてノーベルスは恐る恐る、願望にも近い結論を口にした。

「男性――ノツモリ、ナンダガ」

「本は?」

 クレイゾールは唐突にそんな事を言う。

 しかし何の手がかりもないこの状況では、あながち無視出来る意見でもない。

 ノーベルスは一理ある風に頷いて、再び小脇に抱えた本を取り出した。白紙の貢を慎重に捲りながら、どこかに文字がないかと探してみる。

 すると先程ノーベルスの名前が記されていた貢と同じ場所に、また新たな記述が生まれていた。

 どこか申し訳なさそうに、〈〉と。

「オス、ラシイ」

 一瞬の沈黙と、亡霊の、何とも言えぬ実感のなさ。

 さも他人事のようなノーベルスの呟きは奇妙な哀愁さえ感じさせるものだったが、同時に、くすくすと空気の漏れるような笑い声が聞こえてきたのもその時だった。

 なんと、クレイゾールが肩を揺らして笑っていた。

 いかな表情も浮かべる事のなかった口元に隙間ばかりの歯を覗かせて、優しげに目を細めたクレイゾールが柔らかな笑顔を見せている。

 するとつられたノーベルスからもウフフと気味の悪い笑い声が漏れ、二人の声は自然と混ざり合い、場違いに明るい空気をその場に作り出した。

 その笑顔は、紛れもない少年の笑顔だった。

 決して剣を振るうあの中身のない悦びではない。心から湧き上がる、少年の持っていた本来の素顔。

 その後もしばらく、その場から二人の声が消える事はなかった。

 世界が再び夕闇に暮れゆく中にも、その暖かな声は絶える事なく響いて。

 少年と亡霊は、互いに身を寄せ――気が済むまで笑い続けた。

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