腐女子が腐女子仲間に結婚の報告をしにいった談

@pandette

第1話

 1 くら寿司にて


 三年間付き合った彼と結婚することに決めた。

 彼は誰もが名前を知っているような有名飲食チェーンを経営するいわばセレブであり、非オタクではあるが、私の趣味に一定の理解を示してくれている。

 理想の旦那であるといってよかった。


 籍を入れた数日後、私は馴染みの腐女子仲間グループの会合 in くら寿司に出た。

 イヌのようにサーモンを喰らいながら数字松のすばらしさを陶然と語るA子(34)をながめやりつつ、

 死んでもこの女のようにはなりたくないなと思い、事実ならず済んだことを夫に感謝しつつ、結婚の報告をだしぬけに行った。

 それまでブヒヒと屠殺場のブタめいた鳴き声で賑々しかった彼女たちだったが、

 私の告白を聞くと一転、水を打ったように静かになった。


 数秒の果てしなく気まずい沈黙ののち、まっさきに口を開いたのはやはりムードメーカーのB子(34)である。

「えー、あー、それは三次元的な意味で?」

 B子は半笑いでそう尋ねた。

 私が「もちろん、二次元の嫁に決まってるじゃん!」と明るくぶっちゃければ救われる。いつもの私たちに戻れる。その一縷の望みに彼女はすがったのだ。

 私は答えた。

「うん。三次元的な意味で」

 彼女の希望を打ち砕いた。なにか、爽快感さえあった。タッチパネルが「まもなくご注文の品が到着します」と告げ、テーブルにとろサーモンが届いた。頼んだのはほんの数分前なのに、まるで一世紀も前の出来ごとのようだ。

 それでも、とろサーモンの食感はまるで今まさに川から揚げたばかりであるかのごときみずみずしさであった

 優越感からくる錯覚だろうか?

 いや違う。くら寿司が数年前に導入した新技術「鮮度くん」のおかげだ。

 それまでむき出しでベルトコンベアを回っていたくら寿司のネタだったが、いつからか透明なおわん状のキャップがつくようになった。

 ただのキャップではない。

 空気中には様々なウイルスが浮遊している。 インフルエンザ・風邪などのウイルスやホコリ・つば等からお寿司を守りたい。 そんなくら寿司技術部の思いから開発したのが不思議な寿司キャップ「鮮度くん」なのだ。

 ふつうならいちいち手動でキャップを外さなければネタがとれないところを、「鮮度くん」ならお皿の手前を上げるだけで、簡単にお皿がとれる。

 そこに価値あり。

 そこに技あり。

 かつての寿司キャップでは、 従業員と客の双方が「キャップをかぶせる・取る」際に、 キャップに触れる必要があり、手あかのよごれ・様々な菌の付着や 密封状態が続くことで起こるキャップを開けた時の臭いの問題があった。

 だからこそ強く伝えたい。

 今までの寿司キャップでは、意味がないということ。

 寿司をつば、菌、傷、においから守る寿司先進国に冠たるテクノロジー――それが「鮮度くん」なのだ。

 一説によると、「鮮度くん」は鳥をつかまえるしかけ(あみかごに紐をつけた棒をつっかけて餌をまき、小鳥がかごのなかに入ったら紐を引くアレ)から着想を得たらしい。

 このとろけるようなとろサーモンは、日本の伝統技術の粋がつまったまさにクールジャパンの味なのである。ノルウェー産だが。



「私も実はみんなに言わなきゃいけないことがあって……」

 私がふたつ目のとろサーモンをやっつけていると、B子が出し抜けに言った。

 まさか、彼女も結婚のカミングアウトだろうか。

 いや、そんな。ありえない。

 B子みたいな『蜘蛛巣城』のときの三船敏郎みたいな面構えの女なんて、いかなる時代、いかなる国にあっても需要があるはずもない。

 きっとFXで破産したとか、そんな話だろう。

「私、実は……侍やねん」


 意図をはかりかねた。意味をつかみかねた。

 B子がくら寿司のテーブルにとりつけてある蛇口でお湯を絞りだすように、一言一言を重々しく続けた。

「ただの侍やないねん。仇持ちやねん。

 父上の仇を討つまでは藩に戻られへんねん。

 二十年前から全国津々浦々を回っとったけど、十年くらい前に付き人の三郎兵衛爺が流行病でぽっくり逝っちまって、それからもう馬鹿らしゅうなって普通に就職して、昔からやりたかった腐女子はじめたんよ」

 B子がそんな噂の真相を抱えていたとは……文春並みのリサーチ力で知られる私たちも動揺を隠せない。

 考えてみれば、伏線はあった。

 前々からおかしいとは思っていたのだ。

 B子は出歩くとき常に大小の両刀をたばさんでおり、誰かの部屋でだべってくつろぐときでさえ、必ず自分の手の届く範囲に置いていた。

 最初は何かのコスプレ、あるいはとうらぶにハマったせいでちょっと遅れた中二病に罹患したのかとも思っていたが、考えてみれば私とB子が最初に出会った八年前から彼女は帯刀していたのである。


 C子(28)が私の気持ちを代弁するかのごときつぶやきを漏らした。

「秘密は女の性でありアクセサリー……そう、秘密こそが女を美しくするの。B子さんのことも、ドス・サントス子さん(私のこと)のことも、おなじ女として責められないわね……」

 一座の女たちはうなずきあった。

 我々はなんとちっぽけなことで見栄をはりあっていたのであろう。

 結婚するだとかしないだとか、誰がビッくらポンの景品をいただくか(今週の景品はみんなだいすき回すと光るコマだ)だとか、そんなつまらないことに拘泥していただなんて……。

 本当に自分の中身に、自分のネタに自身があるなら、堂々すべてさらけ出すべきだったのだ。このほこりたかき「鮮度くん」のように。

 私たちもこれからはくら寿司グループのように家族のような固い絆で結束しようではないか。

 涙ながらに私がそんな演説をぶつと、「それ、さっき私が言ったこととはだいぶ違うように思うんだけど」とC子はきまずそうに言った。私は黙殺した。


「ところでB子の仇って誰? 私、もしかしたら力になれるかもしれない」

 そう言ったのは『名探偵コナン』好きが高じて公安に勤めているFBI子(37)である。

 B子は「いまさら言ってもどうにもならへんし……死んどるかもやし……」と口籠ったが、私たちの興味本位による「ええ〜いいじゃん〜おしえてよ〜」の大合唱により、ついにその名を漏らした。

「ニャルラ原ホテ夫っていうんだけど……」



  “!?”



 FBI子は神妙な顔つきでつぶやいた。

「……ニャルラ原ホテ夫。知ってる、ええ、知ってるわ。知ってるなんてもんじゃない。回転寿司業界の大物よ。中部地方で違法に捕まえたかっぱたちに奴隷労働させてチェーンを拡大した『かっぱ寿司』の大元締め……フフ、ゾクゾクしてきたわ。

 いままでは、安穏無事に務め上げて、キャリア官僚の出世コースをひたはしるつもりだったけど、まさかこんな稀代のフィクサーと対決する機会をもてるなんて……きっと上は圧力をかけてくるだろうけど、私は屈さない」

 私にとっても聞き捨てならない名だった。

 ニャルラ原とは私の今の戸籍上の苗字であり、ホテ夫とは私の今の夫であったからだ。

 B子にこの事実を告げるべきであろうか?

 それは永遠を誓い合った仲良し腐女子グループの結束を壊すに値する告白だろうか?

 残酷な事実ハーシュ・トゥルースより優しいウソホワイト・ライが育む真実もまた存在するのでは?


 ――いや、そんなものは言い訳にすぎない。

 私たちはたった今、たがいの肚を晒し合うことこそが現代を生きる武士である腐女子の矜持である、と寿司を通じてくら寿司に教えられたばかりではないか?

「B子……実は」わたしはおそるおそる自分の夫について告白した。

「まさかそんな……私の手柄が……内務省内国安全保障局長……ゆくゆくは内務尚書の座が……」とFBI子の顔がみるみる青ざめていく。彼女は公人としてはいかなるダーティな手段もいとわない、まことに唾棄すべき小人であったが、家庭にあっては家族を愛し、毎年孤児のために匿名で多額の寄付を行う篤志家であった。さよう、人間の多面性とは複雑怪奇ではかり知れぬものである。

 B子は仏様にも似たアルカイックな真顔で私の告白を受け止め、おおきなため息をひとつつくと、懐からしわくちゃに折りたたまれた和紙を取り出し、私につきつけた。

「果たし状や。あんたの旦那に渡してくれ。刻限や場所はなかに書いてある。

 ……まさか、こんなことになるとはな、ほんま、堪忍な」

 B子は泣いていた。

 私は毅然とした態度で果たし状を受け取った。



2. 血闘! 四条河原!


 ――一週間後、京都・四条河原――

 夫が招集した大勢の河童と審判役のC子、そして私が見守るなか、世紀の対決、その戦端が開かれようとしていた。


 B子の獲物はあの太刀、地蔵行平。

 対するホテ夫が構えるはポンプアクション式のショットガン、レミントンM31。


「……私のためやない。ましてや、父上や藩のためでもない」B子は冷たい目でレミントンM31の凶悪な銃口を睨めながら、誰にともなくつぶやいた。「三郎兵衛爺……そして、この場でも見守ってくれとるかっぱたちのためや。今日、この場でおまえを膾にして、恥ずべき奴隷労働に終止符をうったる。いたいけなかっぱたちに犠牲をしいといて、何が回転寿司や、なにがクールジャパンや」


 ホテ夫は地獄の底で無数の悪霊たちが異なるキー音で不協和音を奏でているような哄笑で応じた。


「はじめっ!」


 C子が高らかに決戦の火蓋をきった。



3. 残酷無惨! 金沢の大地にかっぱたちの棲む秘境を見た!


 ――五年後、石川県・金沢市――

 あの戦いから五年。

 私は金沢にいた。

 夫の仕事に随伴するためだ。

 中部地方でかっぱを取り尽くしてしまったため、あらたなかっぱの供給源を探すことを強いられ、その結果ふさわしかろうと選定されたのが、この小京都と呼ばれる金沢シティーだった。

「こんな寒いところにもかっぱたちはいるのですね……」わたしはすっかりマダム風情が馴染んだ口調で夫に言った。

 夫はこの世のあらゆる病苦を凝縮したような、あるいは二秒ごとに断首刑に架せられる亡者の断末のような朗らかな笑い声をあげた。

「そうですね……B子も生きていればここに来たがったことでしょう」

 五年前のあの日――B子の頭はざくろのように咲いて爆ぜた。

 所詮は刀一本で散弾銃に立ち向かうほうが無茶だったのだ。

 誇り高き武士道の時代は遠くなりにけり……今日本を統べているのは、フォード式の合理主義とグローバルな新自由主義だ。

 私たちは回転寿司屋で不当に無賃金で搾取されるかっぱを、言葉の上で憐れむことはできる。

 だが、もはやかっぱの奴隷労働なしでは今の生活を保つことは不可能なのだ。

 他人の不幸せの上に成り立つ偽りの平和、そして幸福――つまるところは、結婚生活もまたそのようなものなのではないか?

 B子は四条河原で死に、FBI子はホテ夫の圧力によって左遷……今は全国の小学校を回って自転車の安全教習の寸劇に勤しんでいるらしい。C子はあの日から行方不明だ。

 私は……私はすべてを手に入れ、同時に失った。

 B子の士魂とFBI子の出世欲とC子の箴言癖、そしてかつて何物にも換え難かったオタ趣味とくら寿司通いと引き換えに、今の不足ない生活を手に入れたのだ。


 夫の携帯が鳴り、にわかに彼の触手が快さげに踊った。

 どうやら、隠れかっぱたちの生息地を彼の部下がつきとめたらしい。

 シェラトンホテル金沢に私たち専用のヘリが用意されている。

「そうね……参りましょう」

 私はホテルの方へ踵を返した。


 そのとき、ホテルの脇に植えてある草むらから、一塊の影が俊敏に躍り出て、私の脇腹にぶつかった。

 ドン、という衝撃音。

 一瞬、何をされたかわからなかった。

 影はどうやら人のようであった。

 ぼさぼさの蓬髪、すさまじい臭いを放つ赤黒いフリースのジャンパー。

 すべてを呪うような凄烈な形相。

 その顔に見覚えがあった。



 C子……。



 夫は私をかばうようにして、C子を振り払った。

 彼女が尻もちをつき、唐突に号泣しながら慟哭しはじめたところで、私は自分の脇腹の違和感に気づいた。

 赤黒い血に濡れた一振りの白刃――脇差しが私の土手っ腹に突き刺さっていたのである。


 ショックからか出血からか、一挙に平衡感覚を喪失し、私もC子のように無様な尻もちをついた。

 ただ、彼女と違って二度と起き上がれそうになかった。



「なんじゃ、こりゃあ……」

 私は血に濡れた自分の左手を凝視しながら、呆然とした。

「なんじゃこりゃあああああ!!!!!!!!!」



 夫が自分の触手でなんとか私の傷を塞ごうとがんばるが、もはや間に合わない。動脈をやられたらしく、黒ずんだ触手と触手の隙間からどんどん血が溢れてくる。

 彼の必死な姿を見て、この人はこの人なりに私を愛していてくれていたのだな、という妙に醒めた感慨を抱いた。

 薄れゆく意識のフィルターを通して、腹に刺さった脇差しを茫洋と見つめる。おそらくは無銘の、なんということはない平凡な脇差し。


 悟る。

 これは……B子の脇差しだ。

 五年前に四条河原で佩いていたものと同じだ。

 証拠はまるでないが、奇妙に確信できた。

 これは、C子のではなく、B子の復讐なのだ。


 夫はわけのわからない言語で私を励まそうとしている。

 C子は相変わらず夫以上にわけのわからない言葉で泣きむせんでいる

 私は……。


「あなたは最期に何を手にいれたの……B子……?」

 景色が急速にぼやけ、夫もC子も輪郭が崩れて散じていく。

 金沢の清く澄んだ高い空に、意識も私もなにもかもが溶けて混じっていく。

 円かった太陽が超新星爆発でもしたかのようにお椀状の天蓋に沿って拡散していき、やがて世界をやわらかな光で満たす。

 そうか、ここは「鮮度くん」のなかだったのだ。

 私たちはまだ五年前のくら寿司にいたのだ。

「私は……」

 手を伸ばせば世界に満ちた光をつかめそうな気がした。

 CHAGE and ASKAの『YEAH YEAH YEAH』が聴こえる――。

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