涼宮ハルヒの衝動

@natsuki

第1話 それぞれの未来

 なんだろうな、結局薬局、俺はいつものように放課後、SOS団の部室へと足を運ぶ。

 ドアを開ける。

「ちっす」

 朝比奈さんのこぼれるような笑顔が俺を迎えてくれる。朝比奈さん、あなたは天使ですか? 朝比奈さんほどメイド服が似合う高校生がこの世にいるであろうか?

 などと会うたびに自問自答する俺である。

 古泉が上目使いで俺に視線をくれる。

「涼宮さんは、もう帰りましたよ。私的な用事があるとかで、僕たちにも適当に切り上げて今日は解散って指示でした」

 ハルヒのことなど俺がいつ聞いたんだ? お前は超能力者か? そうだった、こいつは確かに異能の持ち主だった。普段のこいつはその異能をおくびにも出さないから、ついついちょっとイケメンの理屈っぽいやけに俺の近くで語りかける同級生にしか思えない。

 もっとも、こいつの異能は限定的で……まっ、いいか、普段はごくごく普通のごくごくまともな一般的な高校生男子……いや、待てよ。そういう役回りを名優のごときスキルで演じているような気もするところが、こいつの胡散臭いところでもある。

 「なにか僕の顔についてますか? うふふ」

 うわっ!? いつのまに俺の顔数センチのところに? 「近いんだよ古泉、顔が」「近すぎましたか? これは、これは、うふふ」毎度のルーティーンである。

 長門はといえば、相変わらず緩んだ午後の日差しの中、読書に勤しんでいた。

「なに読んでるんだ長門?」

「これ」背表紙を向けながら長門が一言。

 背表紙から「ライ麦畑でつかまえて」JD・サリンジャー、村上春樹訳と読めた。

「面白いのか、それ」

「そう」

 相変わらず必要最低限の単語しか使わないし、喋らない。長門の長ぜりふは一度だけだ。

 こいつのマンションで自らを語った時だけ。延々30分ほどは喋っていたであろうその驚愕するほどの内容は、今でもしっかりと心に焼き付いている。

 俺自身にわかには到底信じられなかった。

 「キョンくん、お茶どうぞ。涼宮さんの許しを得て、わたしこれから書道部の部活に参加しますので失礼しますね」

 ハルヒが鶴屋さんとどういう密約を交わしたのか? 定かではないが、どうやら朝比奈さんはSOS団と掛け持ちらしい。

 現に鶴屋さんも書道部と弓道部を掛け持ちしてる。それも、どっちも部長である。あの人は、本当に底が知れない。俺は密かに陰陽師の子孫ではないかと疑っている。

 「う、うまい」朝比奈さん、あなたの炒れる一杯は最高です。

「静岡の銘茶雁が音ですから」

 朝比奈さんは、それだけ言うとそそくさと身支度を整えて出て行った。

「聞きましたか、涼宮さん。本気で東大理Ⅲ受けるみたいですよ、うふふ」

 古泉がうれしそうに俺に言葉を投げた。俺は無言、この期に及んで大学なんぞ遠い先のことなどと思っているのは俺だけか? 

 夏休み直前の教室もセンター試験だとか、進学の話だとかが話題に上りつつあった。微妙にざわついていた。

「どうせいくなら日本で一番難しいとこにきまってるじゃん。と、おっしゃってました。進路指導の担当からも偏差値80超えの涼宮さんなら大丈夫とお墨付きをもらってますからねぇ、ああ、ちなみに僕も理Ⅲとまではいきませんが理ⅠかⅡくらい受験して涼宮さんのあとを追います。機関からの要請も鑑みてね。あなたもどうですか? 今から猛勉強すれば……」

 俺は古泉の戯言を無視。

「長門、お前も行くのか」

 長門が一瞬こちらを向いた。

「そう、そのつもり」

 お前たちが変人なんだよ! この学校の偏差値は50程度なんだぞ!? そ、それがなんで全員志望が東大なんだよ……。

 朝比奈さんはどうするんだろう? まさか、まさか朝比奈さんまでハルヒを監視するために先に東大に?

「ああ、朝比奈さんですか? さすがに東大は無理っぽいと言ってました。津田塾かポン女あたりで涼宮さんのインカレの誘いを受けてSOS団の部員を継続するつもりみたいです。あぁ、朝比奈さんには留年というウルトラCもありますがね、ブレーンがどう判断するかですよ、あくまでも身近にいるべきと判断したら留年という選択もありえます」

 お前はなぜ俺の心が読めるんだよ? この似非超能力使いめ。


 開いた窓からは夏の匂いをいっぱいに含んだ微風が入り込んでいた。遠くに霞む入道雲、雨がくるかもしれない。風鈴が鳴った。

 風鈴には去年ハルヒが七夕に書いた短冊がくくりつけてあった。いわく、

「世界があたしを中心に回るようにせよ」

「地球の自転を逆回転にして欲しい」

 そんな短冊に隠れるように俺の短冊もあった。

「犬を洗えそうな庭付きの一戸建てをよこせ」


 それぞれの未来がその先にあった。俺はといえばここで停滞したままだ。ハルヒは己の未来に向かって邁進中。あいつに迷いはない。いやいや、あいつなら幾多の天才に混じって、とんでもない発明をしてノーベル賞を狙ってもおかしくない。

 そんなやつが俺の席の後ろにいる。幸か不幸か、どっちなんだ!?

「あなたの戸惑い、手に取るように分かります。毎日が非日常の世界から一気に生臭い日常の話題へ、高校三年間って真っ只中のぼくらは意識していませんが、モラトリアムで煌いていて一瞬の夢のような、そんな日々ですよね。あなたの気持ちお察しします」

 至極もっともな古泉にしては分かりやすい御託。妙に納得している俺がいた。

 モラトリアム。あといったいどのくらいの猶予があるんだ? このまま能天気に非日常の世界で夢を食うバクじゃいけないのか? 

 赤服じいさんがいないと気づいた時の虚しさったら思い出すたびに哀しくなる。

 空なんて飛べないし、満月の夜にピーターパンが迎えにきてくれることもない。

 つまらない現実は荒涼とした草木一本生えないサハラ砂漠のように俺の前に横たわっている。

 しかし、ハルヒと出会い、もう一度そんな世界を夢見た。

 「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」

「とても簡単なことなんだ。心で見ないとよく見えない。大事なことは目には見えないってことさ」

 どっかの王子やキツネが俺の頭に囁いた。

 静寂の部室。ハルヒがいないと火が消えたようだ。

 遠雷。古泉が物憂げに窓の外を眺める。 雨が一粒、二粒、窓ガラスを叩く。

 長門が立ち上がり窓を閉める。カーテンを引く。

「さて、帰るか」俺は一言いい、二人を見る。

「そうですね、今日はなにかが起こりそうな気配もないみたいですし、傘ありますよ。お貸しします」

「おお、ありがと。おきっぱの傘、ギラれてなかったからなロッカー見たら」

 長門が無言で部室の鍵を持ち、ドアを開け俺たちを待つ。

 文芸部のプレートの上にセロテープで張られたSOS団と書かれた手書きの切れ端が剥がれかけていた。

 俺はそれを張りなおした。


 まあ、いいさ、偏差値50の俺が今からジタバタしてもどうにもなるものでもあるまい。もうちょっとだけ俺はこのモラトリアムを楽しむことにする、いいよなハルヒ。










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