サブカル雑貨屋、街で浮く

みんなもともと生死

第1話

 今日は箸置きに万年筆とトビウオを置いたらどうだろうか、あと固焼きせんべいをカバン状に作り、運ぶこともでき食べることもできるカバンなんてエコだよなあと考えながら仕事をしていたら、そんな風に思考にばかり気をとられ、釣り銭を間違えたり、お客様にハートのキーホルダー無いですか? と聞かれたのにどこをどう間違えたのかドクロの燭台を渡して顰蹙を買ってしまった。まず、お客様はレジ台をどぎつい原色の赤のマニキュアが塗られた爪でコツコツコツと三拍子で叩きながら、「可憐なものを所望し、不気味な商品を持ってこられた怒りが大さじ3、日曜の優雅な買い物気分を台無しにされた不快が200グラム」とお怒りになられた。もちろん一点も商品は買ってもらえませんでした。そうして、そのお客様に怒られている間、ぽつりぽつると来る客を抹本さんが対応してくれたのは助かりました。

 しかし、店主のモツ山が僕の失態をしっかり見ていて、売り物のテンガロンハットをぶんぶん振り回し、叱責してくるのですからやっていられません。お叱りタイムが十五分経過し、後ろの机によっかかり、少しでも休息することができるのであろうかと思い、一分だけならバレないだろうと机に左手を置いた途端に、すぐさま「モロヘイヤー、モヘンジョモヘンジョ」と甲高い男の声が響き渡って、ネオンを見た原始人のような顔でモツ山は凝固していますし、振り返って確認すると、それは狐の人形でした。これがモロヘンヤーと叫びながら、ピンチを救おうとしてくれたのですね。モツ山は何もかも諦めきった表情を浮かべ、「もういいよ。売り場に戻りなさい」とぼそりと言いました。

 抹本さんは気の優しい朗らかな女性です。青森か福島か岩手辺りの出身だったように思います。僕がどんなにミスをしようとも、冗談か何か言って慰めてくれたり、ヨーデルを歌ったりしてくれます。けれども、そんな陽気な高らかな純朴なヨーデルは店内に人がいない雨の日くらいにしか聞くことができません。彼女は照れ屋なのです。

 さっきのモロヘンヤ狐の話をすると、抹本さんはくすくす笑って、「もう糖ちゃん、違うよー。モロヘイヤよ。モロ変やなんて。掃除してる時にあれ、これ可愛い。って思って、ボタン押したらキツネちゃんフラフラ動いて酔っ払いの動きみたいで、ふふふふっ」と言うじゃありませんか。うわっ、これは胡椒とシナモンを間違えてかけたくらい恥ずかしいですねえ。僕は声を潜め、モツ山に聞こえないように気を付け、「テンガロンハットをね、振り回すモツ山がモロヘンヤーって。狐がツッコミ入れてる気がしたんすよね」と呟いた。抹本さんがうすら笑いを浮かべ、「ほらほら、店主に聞かれちゃってもいいのー?」とにやにやしながら囁いたので、これはまずいですねとレシートの残量を確かめたり、そんなに減っていないビニール袋を補充したりするなどして仕事してるフリをした。

 この会話の後に奇怪なお客様が来店し、その服装や言動のおかしさに気をとられすぎて、またもやミスってしまった。ドリアンを背中にぶらさげた男は「俺、G♯mの和音というかコードな気分なんだけど、尖ってて、爆発してる炸裂してる感じの、モテるアイテムオススメしちゃってよ。進めたいやき君だよ。あと、これから童謡メタル流行ると思わない? 店員さんノリ悪いよー、劣悪だよー」と僕に言いながら、ちらちら抹本さんを見ている。欲情的な目で。しっかりした和音どころか、荒々しいノイズを心に響かせながら。だめだ、男よ。見るな、抹本さんにノイズが混入されてしまう。お前の視線は妖しげなラブホのネオンのそれだ。

 土曜メタルなんて、じゃらじゃらの金属、釘やらメダルを散りばめた鉄板でできた服を着るファッション誌など知らないです。キャッチコピーには「ゼンマイ仕掛けになってお前の為に全力稼動! マンガンやアルカリより俺エネルギー」「どんな金属でも君に比べたら、俺を熱くさせ伸ばすことはできない」などと書かれていて、そのうち男が常連になり出して、金の浴衣で登場して抹本さんの気を引こうとするから、僕は金とプラチナのチェック柄のシャツ、銀であしらったジーンズを履いて対抗するでしょう。

 そして俺は土曜メタルや色々なファッション誌、ニュース番組、なぜか科学雑誌にまで取り上げられ、金プラ貴人って呼ばれ、金箔の天ぷらを食べさせられ、その姿をパシャパシャ撮られる。シャッターのシャワーが降り注いで、気がついたら金のシャワーまで浴びさせられている。もはや奇人。しかし、イマイチ画にならないので、そこはグラビアアイドルなどに交代させられ、お払い箱になる。無念。

 そんなしのぎ合いも金プラ妄想も知らず、抹本さんはきらきら輝く僕らを眺めて眩しさに目をちかちかさせながら、「いいね、店のマスコットキャラになってよ」と無情な提案をして、いいや、思いもよらない名案を思いつき、僕らの恋愛の明暗を先延ばしにする。

 男は七色の花の彫刻を入れたグラスを器用に手作りして、抹本さんにプレゼントしやがる。

 そこで僕はギャグ精神を発揮し、虎とネズミが合体したような木彫りの置物を作って、彼女を爆笑させますが、じゃあ、と渡そうとすると怪訝な顔を一瞬浮かべ、すぐに苦笑いに変え、ごめんなさいと受け取りを拒否されてしまいます。うわああああっ。どないしよう。天気予報士の一休はん、教えたってくれへんか。冴え渡るトンチで快晴模様を。

 何だか急に息が苦しくなって、おや? と目の前を見ると僕の顔すれすれにある男の顔。胸倉を掴み、てめえ、このやろうを棒読みで執拗に繰り返す男。僕の首をきゅうきゅう締める男の手を、やめてくだせいと引き剥がそうとする抹本さん。恐怖の余り、語尾がおかしくなってしまっている。ははっ、可笑しい。

 男のてめえ、このやろうと抹本さんのやめてくだせいが十秒ほどリフレインして、沈黙の後、突然モヘンジョモヘンジョが響き渡り、見るとモツ山が狐の人形を指揮棒のように振っていた。素早く男は手を離すと、もう訳分かんねえ、この店と言いたげな表情を張り付かせて、入口辺りのキャットタワーに躓きつつ、去っていった。

 抹本さんの話によると、「ぜんまい食べたい、金箔サラダに入れて」と口走り始めた僕に、当然ながら男は面妖な思いを抱き、コケにされてくやしいと憤り、掴みかかったということでした。でも、僕は首を絞められながらも、どんなに迷惑をかけようが一度も怒ったことのない抹本さんが般若の顔で首を絞めてくれたら、きっと満面の笑みで答えますのに。こんな男の手にかかるよりは、本望っすよ。僥倖っすよ。などと最高にドMな考えを働かせていたのですが、流石にそんなことを吐露しまして、明日から抹本さんが口を利いてくれなくなることは容易に想像できるのでやめておきました。仕事ができない上に、脳の中の空想をそのまま言葉にして、いらないトラブルを招き、抹本さんを悲しませている不甲斐ない自分。金箔サラダ食べればどうにかなりますかね?

 モツ山は素直にホッとした顔を睨み顔に変え、「店の中で死なれても汚れて困る。他のところでくたばりやがれ」と毒舌を吐くけれど、助けてもらった恩はあるから一応礼を言った。ふんと鼻で笑って、表面に赤い波紋を広げた白いマーブル石鹸のテーブルをはたきではたき、店の奥へ消えた。

 そのテーブルは十日がかりで彼が抹本さんと地道に作ったもので、物珍しさにたまたま来店した雑誌編集者が飛びつき、取り上げられ、宣伝になったらしい。50℃の温度まで耐えられるように作られたスグレモノの不思議な石鹸テーブルの上に雑多に売り物が展開されている。アコーディオン、カメラ、ハンガー、皮むき器、柄杓、砂時計、ホッケー用ヘルメットなどで混沌としています。石鹸がちょいとでも溶けて、べとべとの商品になる恐れはありません。テーブル全体にラップフィルムを装備しているので、問題ないのです。


 自分のダメさ加減にほとほと愛想を尽かしつつ、僕は家に帰る。片栗粉をまぶした大福のような白い月がおいしそうだった。猫なんて飼っていないのに、大福をちぎって与え、うまうま食べる姿を見たいなと思ってしまった。

 特にめでたいことがある訳ではないのに、赤飯を食べ、緑茶を飲み、長風呂をし、シューベルトの魔王を聞いてから床に就いた。明日は火曜日でバイトの定休日だ。さっき見たカレンダーには先負と記されていたけど、大丈夫なんだろうか。

 まあ、なんとかなるな。


 ああ、のんびり眠っていたかったのになあ。生命保険の勧誘を断りきれず、加入してしまった。しかし、霊園の案内の電話には途中まで真剣に話を聞くフリをして、永代使用料について尋ねたところで僕は「ああぁ……うむむぬぁ」と呻き声をあげ、ゾンビを熱演した。さらに、「もち米ぇ、あんな、おはぎの内側におこわが入ってるねん」と訳のわからないことを言っていると、「ティラミスちまき」と相手が一言言って電話は切れた。もしかすると相手は内向的な性格で、普段は人に話しかけることすら大儀なのに、何度か転職を繰り返すうち、なんとなく受けた霊園の仕事が受かり、入社。とはいえ電話をかけてアピールするといった仕事までは把握しておらず、今日まで仕方なしに「霊園いりまへんか、流れる墓石まであるんよ。しゃあから、墓石がすいすい隅から隅まで流れてくんや」と霊園をユーモアに売り出してきたのだけど、僕のからかいでプッツンしてしまったのだろうか。

 保険に入ったストレスがそうさせたのか、からかい好きな生来の性格からなのか、たぶん両方だろう。不意をつかれ、若い女性があげた悲鳴が可愛かった。

 これ以上家にいるのもあれやなと思い、つぼ漬け堂に出かける。アパートから300mほど歩いた所にある変なリサイクルショップだ。店の入口を行灯が塞いでいて、備え付けの白いボタンを押すとトランプを持った主人が出てくる。そして、テーブルに座り、主人とババ抜きをして勝つと25%割増になり、負けると10%引きになる。子供の頃、犬に唇を舐められたり、ナース服を着て頭には工事用のヘルメットをかぶった奇怪なおばさんに追っかけまわされたりして運のない僕はこういうときに限って勝ってしまう。

 烏賊の絵が描かれたおちょことルーレット付き名刺入れを買って、店を出ようとしたのだが、今日が24日だということを思い出し、帰れなくなった。この店の名物娘スフレとセムラが毎月24日に登場して、チャンバラをしながら俳句を詠んだり、玉乗りをしながら手品をしたり、プロレスをしながら占ったりするといったパフォーマンスをするのだけど、何と言っても彼女たちのハーフ特有の美しさに惹かれる。確か……スウェーデンだったかイギリスかのハーフだった気がします。

 そりゃあ、多彩な芸が見られるのも楽しい。しかしですよ? 腕ひしぎ十字固めをかけられながらも、敷かれたマットの上でスフレちゃんは健気に微笑んで、余った手を動かし、苦痛のせいで顔がひょっとこのようにになるのをなんとか防ぎながら、ふるふる震える細い手で僕の手を掴んで手相を見てくれるんです。嬉しそうな顔をして小悪魔のように、或いは姑のように技をかけて妹であるスフレを責め続けるセムラの加虐的な表情も乙なものです。

 やはり美女だから嬉しいのであって、これが五十代の髭をぼうぼう生やした海賊船長の如きボディビルダーだったら、僕はあんみつを食べていて、何かの手違いで豚肉が入っていたような気分になってしまう。

 ちなみに占い料は二十分8074円だったのだけれど、ジャーマンスープレックスによってでんぐり返しの途中で静止した姿勢になったスフレの、その、なんというか股の辺りがあけっぴろげでけしからん感じになっていて、充分にお釣りをもらった気分になった。

 せっかく占ってもらったのに、悶えるスフレの姿に夢中になり、上の空でいたために内容を覚えていないのだけど。

 で、はて、今日はどんな出し物、演目を見せてくれるんだろうかと待っているといつもより三十分遅れてセムラのみが来て、彼女から今日は妹は来ないと言われた。さらに、終始退屈そうな無表情で折り紙を一枚三角に折りたたみ、目を描いただけのそっけないものをぞんざいに渡し、すぐさま帰っていったので、あまりの変わりぶりに僕はなんだか鰤を乱暴に貪り食いたい気分になった。味付けなしで。熊のように。

 帰り道、自販機でジュースを買おうとして適当に入れていた五千円札が風に飛ばされた。

「アンケートってフランス語なの、知ってた? そんでご協力をしてくれると確信妄信してるから、紙に書きたまえ」と言う男に否と一言ぼやくと、男が「そこのラーメン屋にでも入ってのんびり書こうよ。マシュマロおごってよ」としつこく絡んでくるので、ヤケになった僕がうろ覚えの光の三原色の定義を唱えたら、呆れて何も言わなくなった。煙に巻いた。


 バイトに出かけたら、休憩室でモツ山が盥に足を入れ、中の透明なゼリーをぴちゃぴちゃ踏みながら、「ルンルンルッコラ」とうきうきとした歌詞とは裏腹にお百度参りまでして失恋した学僧が自棄になってキャバクラに行き、しかし座禅を組んだり、写経について説明しようとしても「社長?」と聞き間違えられたりで会話は成立せず、苦笑いが悲しいみたいな陰惨としたメロディで歌っていた。「如何致しました?」と聞くと、モツ山は、はあーっと溜息を吐き、手をくるくるさせて踊り、Yの字に腕をあげ、そっけなく言った。「ん、これはただのお湯にゼラチン入れて固めたやつだ。なんか踏んでいると気持ちいい」

「そういえば、舞奈ちゃんまだ来てないですね」

 モツ山から元々無いような仕事のモチベーションを一気に不渡り手形に変える悲劇が告げられた。

「舞奈ちゃん、盲腸の上に左の鎖骨折っちゃって三ヶ月戻ってこないぞ」

 あまりにもガックリ来て、いつのまにか自分は夜の坂道に立っていた。ズキズキ頭が痛い。右手に何かを持っているのだが、それが何なのかわからないのだ。というのも、あれからだらだら開店作業をし、昼の休憩から記憶が途絶えているのである。妙に優しいモツ山が不気味で、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、かわはぎや帆立の貝ひもの肴まで振る舞いだし、二人でうまうま食って酔ったところまでは覚えているのだが、右手にあるのは何? って、携帯ゲーム機の電源を点けて照明に照らすとルッコラの束だった。何ですか、これは。モツ山がくれたのかな。一瞬、赤い月が見えて何かの凶兆かと薄気味悪い気分になった。

 自宅に戻った自分はコーヒーを拵えようとしたのだけど、ぼーっとしていたせいか、緑茶の急須に湯を注ぎ、それをコーヒーの粉が入ったマグカップにちゅるちゅる入れてしまったのだった。無意識にミスマッチな飲み物を作ってしまった。全くもってドジな野郎である、僕は。

 さらに、コーヒー緑茶を飲もうと器に手を伸ばしたのだが、取っ手がつるつるして、膝に熱湯をこぼしてしまった。その瞬間、僕の脳裏に発狂した男がぼろぼろと口からチョークを吐き、道路に散らばった液体がへのへのもへじを描く景色が浮かび、腹立たしさと阿呆さが混じったヘンテコステテコを履かされた人の気分になった。

 替えのズボンに履き替えるのが面倒で、そのままにした。

 湿ったズボンの不快さに耐えながら椅子に座っていると、やるせない鬱屈が心に高じ、大量の塩を食べてくるくる回りたい衝動に駆られたが、ぶっ倒れてはいけないし、身体中にパンツを纏って倒れている方が面白いし、かといって全身に着用できるほどのパンツを持ち合わせてはいないからこれも諦め、大量の砂糖を煮詰めてべっこう飴を作り、エアコンのリモコンを転がして表ならばシナモンをかけ、裏ならば唐辛子をべっこう飴にかけるといった馬鹿な遊びをして、裏が出たので辛いべっこう飴を舐めたのさ、ふふっ。

 それから今日はもう早く寝ようと布団を敷いたが、布団カバーが外れかけていて、ええいっ、と取り去って、バタッと倒れ込み、タダ同然で売られていたオルゴールがひたすら不協和音を奏でるのを聞きながら眠った。


 朝の占いは絶好調だったし、ショートボブのキレイな少女が幼稚園児の女の子に挨拶されて、にこにこ微笑んでた可愛らしさがたまらなかった。みずみずしいピーチ色の唇、キャラメル色の瞳。僕の心に跳ねた春のリズムがタンタンタン。

 店に着き、コンコンコンと扉を叩いて入室するとモツ山が筆を持って、パレットに盛られた絵の具をチョンチョンチョン取り、筍を紫色に塗っていた。

 ボンボンボン、と勢い良く順調な生活が破裂した。何でもモツ山が言うには、一回こいつをべろべろに酔わせたらどんな愚行に及ぶか試してやろうと缶ビール、モスコミュール、カルアミルク、栗焼酎を飲ませようとしたが、ちびちびとミルクを舐める猫並のペースで一向にグラスの中の酒は減らず、なみなみだし、と思えばお粗末なくらいに酒に弱く、茹でダコの顔になった僕がルッコラを持って、ふらふらと店内に出て、北欧辺りで作られた白熊のタオルホルダーを見ていた女性をルッコラではたき、後を追っかけていたモツ山は真っ青。彼の頭には食紅で青く染めた海鮮丼がお似合いかな? 空色から浅葱色、露草色とバリエーション豊かに変化し、モツ山の頭の回転速度は青春時代に女子のパンチラを脳裏に刻み付けた時よりも何百倍に稼働し、店の評判が落ちる、民事訴訟かなんか知らんけど訴えられる、女性に恋人がいたとして非行少年の成れの果てに恐喝や暴行を受ける、魚屋だった場合腐ったサケで叩かれ、灰色に変色したいくらを口に詰め込まれたりするなどといったトラブルに巻き込まれることを覚悟したが、女は僕をクビにするのであれば、無かったことにしてあげると言ったようで、迷わずモツ山はその要求を呑んだ。 ウォウ、僕は無限に永遠に自由。いっそヒッピーになろうかと思ったけど、今はホッピーで焼酎割って飲んで現実逃避したい。

 そして違和感が止まないのは悪酔いさせる原因を作ったモツ山が己の保身のために俺をクビにして、全く罪悪感を感じず、謝りもなしに平気にしていることだ。もしSM嬢と入れ替われたら、あの手この手で誘惑して店に呼び出し、モツ山よ、お前の金玉は木っ端微塵にしてやるですよ。と心の中で奇怪な言葉使いで呪詛しながら、抗議もせずに無言で店を後にした。

 クビになった次の日、癪だがしょうがない、モツ山に抹本さんの病室を聞こうとしたのだが、「うむ」と少々古風な生返事を繰り返すばかりで悪態をつきやがる。倦むのはこっちだ、うむ野郎。いつぞやの土曜メタル男に絡まれた際には助けた癖に、あれは幻だったのだろうか。仕方ねえ、退院まで待って、その後パソコンのメールアドレスでも渡すかってことにして、大人しく引き下がった。


 借家に住んでるのだけど、庭に巨大な果物があって、ドラゴンなんとかやらピタヤだっけ? まあ、そんな感じの名前のトゲトゲした南洋の果物にそっくりだった。

 昼頃に起き、洗濯物を取り込もうと庭に通じるガラス戸へ向かったら、それがあったのよ。やあ、ピタやんとフレンドリーになれる訳が無く、何故にこのような珍妙なものが放置されているのだろうという当然の疑問を抱いた。ピタやんは発砲スチロールで作られていて、幅も高さもだいたい一メートル、ところどころ塗りにムラがあり、カプセルみたいになっていて、パカッと開けられそうなのだけど、有毒ガスか、飛び出す刃物かなんかが仕掛けられているのではないかと思うと、頭の中で電話の音声ガイダンスの無機的な声が慎重論を無限に唱えてループし、いつまで経っても開けられない。

 鼻をつまみながら開ければ大丈夫と強く信じ、フタを持ち上げると案外軽く、するする取れて、中に蹲っていた少女と視線が合った。「おのれっ、無礼者。そこに直れーっ」と言う訳は無く、好意的な目で見つめ、「ファンなんです」と言った。しかし、ミュージシャン的な音楽活動は一切したことが無く、「おじさん賛歌」といったコミックバンド丸出しの曲を拵えたこともなければ、「君のほっぺにメレンゲ」といったうら若き乙女にウケる感じの曲を作ったこともなく、なぜ少女が僕を慕うのか、誰かと勘違いしているのでは?と少女に聞くと、「あの、四年前に書かれた月の丘で確定申告って漫画すごく好きで、何度も申告書を無くしてしまう熊に妖精が毒入りのかりんとうを仕掛けるけれど、熊がブレイクダンスしてかりんとう吹き飛ばしちゃうとこでお茶噴きましたね」と和やかな声で言い、ようやく納得した。

 大学を中退し、職に就かずにいた僕は従妹の夢の話を引用した漫画を描いて、それでサブカル系雑誌を発表している出版社になんとなく持ち込みをして、めでたく掲載される運びとなったのだけど、二ヵ月後にその雑誌が廃刊してしまった。確定申告する前におまんまの食い上げで、ゆとりが無くなり、さとりは開けそう。

 めげずに再起を誓った自分は、その後地底を舞台にした作品に絞った雑誌、主人公が生まれてから死ぬまで常にお使いを命ぜられる漫画、登場人物が一切登場せず、背景が次々と移り変わるだけの漫画ばかり載せたシュールで前衛的な雑誌にも、原稿募集のページを見て応募したが、あっけなく落ちて、漫画を描くこと自体が嫌になり、今日までテキトーに生きてきたのだった。やさぐれていく一方だったが、やべぇよ、美女来たよ。よしよし、理不尽にバイトをクビになる凶の次にこんなご褒美が待っていたなんて。僕は少女がさっきまで入っていたピタやんを指して、「今からアレ買いに行こうか」って言って、「スーパー暴食」を目指した。

 結局、ドラゴンフルーツなんていかつい名前の果物はメジャー志向のスーパーには置いておらず、イチジクを見て彼女が「珍しいね」って僕の左腕を甘く握って言うもので、すっかり頭が火照って口移しとかってね、何十時間と、生クリーム20本分の気力を費やせばそんな関係になるんでしょうと悩みながら、店内を歩き、買い物は彼女に任せるがままにした。

 抱き合ったままでんぐり返しをするとか、彼女が公園の鉄棒で懸垂しながらタイミングに合わせてキスするとか、そんな奇癖は華奢な体を見る限り、ないだろう。そもそも何というバカな発想を広げてるんだ、どこまでもうつけ者だな、僕は。

 イチジクを向かい合って食べる。

「あれ、作るの、大変じゃなかった?」と部屋の片隅に安置されたピタやんを眺めて、彼女に聞くと「そうらろっか? 簡単じゃ」とどこかの方言のような、独特な言葉遣いで答えた。それから期待に弾んだ声で言った。

「また漫画は描いたりするぽるか?」

 ぽるという、特殊な語尾はこの際、彼女のアイデンティティだと思って放っておいて、サクサク話を進める。

「今は描くのをやめているけど、うーん。あっ、でも書き溜めてた数年前の原稿見せてあげるよ、特別にね」

「えっ、本当? 嬉しいぽる」とはしゃぐ彼女に僕はめきめき有頂天。で、書斎に原稿を探しに行った。

 十分後。探しても漁ってもどこにも愛しい秘蔵っ子は見つからず、机の引き出しの二段目から取り出したゾンビのマスクを、すちょっ、と被り、居間へ戻ると彼女の姿は無く、呆然とした。たらーっとした、顔に何かが滴る感触がして、振り向くと彼女が手をメープルまみれにしてやってくるぽる。徒競走でいつもビリだった僕は冷蔵庫の前まで逃げたところで彼女に追いつかれ、僕の背中にメープルの手でポタポタ触れてくるではないか。うふうふ笑う彼女にとりあえず何か質問しようとした。

「ふふふっ、ねえ、君の名前は?」

「しきみよ」と名乗り、僕も「とうざ……」と名を告げようとしたのだが、しきみが遮り、冷ややかな声で「また漫画描いてそれが受かったら本名で呼ぶから、それまでペンネームの卑又ヌメノって呼ぶだじゃ」と言うからまいった。もっと格好のつくペンネームをつけておくべきだったでござる。しきみは僕にべとべとの手を舐めさせると、水道で手を洗い、居間の床に体育座りをして、転がっていたメープルの容器を弄びながら不敵な笑みを浮かべていた。

 しきみが買ってきた三種類の和風のドーナツを食べた。ゆず抹茶は生地にゆずを練りこみ、抹茶に砂糖を加えたシロップが表面にかかっている。きんつばはドーナツの中に芋あんが挟み込んである。百鬼夜行は毎日材料がランダムに変わり、何とも形容しがたい味がするぶっ飛んだドーナツらしい。さっそく一口食べたのだけど、あんずとずんだと柿が入っていて、表面にはきなこと梅クリーム。ほふふはっ、まずい。非常にカオスで、さっき食べた二種類が逆流しそうだよ。トラウマが形成されたっすよ。

 彼女の百鬼夜行は色が違い、どうやら中の具材も違うようで美味しさにうっとりしている。

「どういう具とか入ってるん?」と聞くと、「栗とかぼちゃと黒豆にみたらしっぽいソースがかかってる」なんてこっちのずんだとあんずの暴走に比べれば、まだ相性の良い組み合わせで悔しくなった。 食後、一時間ほどしきみは詩集を読んでいたが、彼女は本を置いて立ち上がり、「風呂に入りたいけど、先に入る?」と聞いてくるので「どうぞ、お先に」ってレディファーストを守る。

 しきみは居間の右手にある和室へ歩いていき、あら? 畳があるばかりでボタンを押せばにゅるにゅるバスタブが現れるのかしら。って、そんな訳無いわよねと一人ノリツッコミしている彼女に浴室はキッチンの北側にあると教える。親切な僕。事前に初めて住む人間に部屋の場所を教えないから、やっぱり不親切?

 そして、湯気を立てて戻ってきたしきみがぽつりと意味不明なことを言った。

「無色に単色が溶けて、かなれ混色してカラフル炸裂」

 テンションが上がりすぎて、洗面所から浴室にかけてくるくる回りながら移動し、さささっと服を脱ぎ、お湯に溶けた彼女のエネルギーを吸収したくって、顔から風呂に入る。異様に冷たくて、「おふっ」と変な声を出しつつ、水面を見ると色とりどりの正方形が浮かんでいる。三センチくらいの。ええ、カラフルな氷っすね。ずっと浸かっていれば、意識が朦朧として、僕はマッチ売りの少女と雪女と添い寝できるかもしれない。

 浴槽に入っていられず、シャワーで済ます。

 うん、ひんやりして勃つべきものも勃たないだろうし、雪女の胸を揉もうとして崩壊したら怖いし、マッチ売りの少女は年齢的にOKなのかわからないからやめておこう。それに、身近にイタズラ好きな点を除けば、エキセントリックな面白さを持った娘がいるではないか。

 こうなったら反対に彼女を困らせてみたいものだと思いながら居間に戻るとそんな願いが通じたのか、悩んでいる様子だ。

「ねえ、風呂フタあるじゃない。マスコミが取り上げる題材を風呂フタに限定して報道したら怖いわ」

「風呂フタブームって感じで? 何でそれが怖いんだね」

「一過性で終わらず、風呂フタなだけに湯の代わりに流行を閉じ込めるのよ」

「そこそこうまいこと言うね」

「でね、最初は風呂フタにくるまって遊んだり、酢飯と具を巻いてジャンボ風呂フタ寿司なんて出てきたりして、アホーで和やかな感じだけど、そのうち風呂フタで撲殺する事件が起き、風呂フタ無しでは外を歩けなくなる」

「やべぇじゃねえか」

「ついには風呂フタを愛する者と嫌う者を隔てる壁を作り、ますます離れぼっちっち。だけどね、やっぱすごいんだね。一人のミュージシャンがシャワーヘッドをマイク代わりにしながら歌う。今こそ風呂フタを割れ、そして腹を割って話し合う時だと。入浴剤を路上に撒き散らしつつ、喜び抱き合うぴーぽる。ねえ卑又、風呂フタ漫画描いてみてよ」

 唐突に漫画執筆の催促をされて、僕はうろたえながら「じゃあ一緒に風呂フタかけて寝てみますか?」と言うと、しきみは「いいよ、でも詩集を三十ページ朗読して、ジャンケンで十回連続で私に勝ったらサービスするわよ」と微妙に気を持たせる。その言葉を半分本気にして、とはいえ風呂フタではなく布団に警戒気味な彼女を寝かせ、詩集をもらい、題名をすっ飛ばして読み始める。高熱にうなされながら書いたような詩だった。


 なあ、友だちだろ

 なあ、金貸してくれよ

 まあ、お前の女前借りしたんだけどさ

 ああ、はがき食いてえ


 あまりにもひどく、自分が高熱の状態で血迷ってこんなふざけた本を買ったら破り捨てているのだが、彼女の物だし、苛立ちを堪え、読み進める。


 君のひいばあさんのさらにひいばあさんが好きだ

 その代から現在まで俺が婿さんだったのだよ


 短い詩だったおかげか、ものの五分で三十ページ分の徒労な苦行を終わらせ、しきみの顔を覗き込むともう寝ていて、顔も名前も知らないひいばあさんやひいじいさんを適当に思い浮かべながら眠った。マジ徒労っすよ。


 彼女が来て、三日目の昼に実に珍妙な出来事に巻き込まれた。寝たのは1時で、起きて彼女のくれた時計を見ると21時。とにかく読みづらい代物で、逆回転に針が動くわ、鏡文字だから鏡を使わなきゃいけないわで、面倒くさいくせものなんだな。

 時計はどうでもいいんだ。ちらちら見てもじろじろ念入りに凝視しても二十時間経っている。十時間以上眠ったことが無いし、おっかしいなーと不審がりながら訝りながら、寝室を出て、居間に続く襖を開け、唖然とした。

 80センチメートルくらいのエビの人形が二体ずつ縦に並んでいた。キッチンから襖の手前までずらずらっとね。頭と頭をスカートで繋いでいて、笑っていいのか怖がっていいのか。目の前にくりくりな瞳があって、僕はエビチリを奴らの頭にぶっかけてやりたくなったけれど、コンビニに置いてあるか微妙だし、エビ行列をしきみに教えたくなった。

 しゃがみこんだ僕はほふく前進でエビの門をくぐり抜けるという、意味も無くアホなことをやってから、彼女の部屋になった書斎へ向かった。って、いねぇし。二つある押入れを探し、左にはいなかった。じゃあ、右? 中学の時、野球ではよくレフトだったな、なぜかと独り言を言いながら、右の押入れに入る。甘い匂いが漂い、うなじにポトッと熱い何かが降り、悶絶した。

「ヤヤヤー、火山口付近でもエビが生きられれば幸いです。海老沢と海老原がござの上で逆エビ固め」

 突然、電波気味なしきみの歌が聞こえ、今度は彼女が僕の肩に手を置きつつ、一気に降りてきて、重みに耐え切れず、二人してフラフラ倒れた。すぐに立ち上がった彼女は僕の髪を指でくるくる巻き、三十秒ほど巻いたり戻したりを繰り返している。なるほどフォークに巻かれたスパゲティーって感じ。しきみはフォークで僕がスパゲティーならアルデンテじゃなく、生煮えな態度取らないとねって思った。つまり、彼女にイタズラばかりしないで、もっと違った行動パターンを取ってみてくれんかねと生煮えっぽい、うだうだした語調で言えばいいのだ。僕が話し出すと同時に、彼女のフォークが止まった。

「なんかな、あのな、エビの殻集めて僕が寝ている間にふりかけたりしたいと思ってたのか、うーん、そんな気がしてるんだけど、君母さんや父さんの旧姓は海老野だったりしたのかな? 僕はエビの殻とかよりシナモンとか苺の粉とか浴びたいね」

「エビの尻尾の形をさ、コンパスを使って丸くしたり、菱形にしたりして遊んだことあるの。あと、近所に住んでたノクオ君と一緒に犬や猫の背中にどれだけエビの殻を乗せられるか競ったこともあるぽる」

 ノンノン。僕ちんの話、聴き取ってくれたかい? 聴取っすよ。あはっ、いひっ、うふっ、げへっ。なんて変な笑い方しちゃう。

 最終的に僕はわんさか生えたフジツボの全ての穴をチューイングガムで塞ぐみたいな馬鹿げたことをやらされるかもしれん、彼女の企みによって。そして通りすがりの悪ガキが、あっ、あいつヤバくねえ? 何でフジツボにガムなんか、ぷはっ。おい、面白すぎるぞ、携帯で撮ろうぜってほざいて、しきみの言いなりになって愚行を演じる僕の姿を動画共有サイトに投稿して笑い者にするんだ。どうせ、みんな。

 フジツボ兄ちゃんって呼ばれて、だんだんそれがフジツボとキスした男、フジツボで変態性欲を満たす狂人という風に悪化していき、嘲られ、ついにはモノホンの狂人になってしまう。裸でフジツボの上をゴロゴロと転がり血まみれになっても明るい笑顔。接客用スマイル。スマイル無料の状態で女子供に抱きつこうとし、たまたま凶暴な感じの男、刃物やら拳銃やら武器をバリバリ使ってる人に絡まれ99パーセント殺しにされる。男の女房を抱擁しようとした罰で。

 フジツボ男にされるのは嫌だなあと妄想に夢中になり、押し黙っていると、しきみが「ナースゴール」と名前通りナースがゴールを死守しているというようなことを言って、外へ走り出て行った。まあ、すぐに戻ってくるだろう。

 むーん。もーん。まぬけな声を発しながら伸びをして考える。出家する訳でもないのに、今出家の仕方ばかり考えている。

 財産を全部家庭だったり、または児童養護施設か途上国かなんかに寄付したりしてゼロにするのが通常の出家なのかね。つまり、プラスの状態を一切ゼロにする訳だね。

 知力がすかんぴーんな人が勘違いして、出家すると言えばマイナスの状態をゼロにしてもらえる、坊さんに帳消しにしてもらえると思い込み、頼み込んだらどうなるんだね。「仏の顔も三度までOKだしな、いいよ」とすんなり肩代わりするんだろうか。そんなベタ甘で優しかったらなまぐさ坊主が量産されてしまうよな。かといって、マイナスをゼロにしてから来てくださいと正論を言うのだろうか。天文学的な額の借金を抱えた人が僧侶を志したら、出家できるの?

 四時過ぎにしきみは帰ってきた。左手にぶらさげた黒いビニール袋をドサッと床に置き、中に入っていた、何かがぶちまけられた。

 それらは紙粘土で作られた不気味な顔のオブジェで、苦悶だったり恥だったり無念だったり、辛気臭い表情をしてやがる。見ているこっちが憂鬱になり、天ぷら粉と卵を溶いたものに生きたどじょうを入れ、その中に顔を突っ込みたくなるような気分にさせるので、一言しまってくれと裏声で言ってみた。そうすることで、軽く冗談気味に諭せると思ったから。

 でも彼女は首を横に振って拒み、それからオブジェを手に取り、同じ表情をする。仕方なく僕は変顔、へんてこりんな顔を作った。口から舌を出し、寄り目にして、どんどん近寄った。くふっ、と吹き出し、あはははっ、と爆笑する彼女に俺もラフな心でラフする。

 ハンバーガー屋に出かけ、彼女がパンケーキを五個注文して、他には何も注文しない。あれ? マフィンとかナゲットとかサラダとかだってあるのに、ねえ? ビシソワーズやフランボワーズだって、ってそんなもん無いけど、君は前世パンケーキを求めても求めても与えられなかったスラム街の少女だったの?

 しゅたっ、なんてスピーディーではなく、のらりくらりに帰宅。しきみは「チラシ三、四枚くらい広げといて」と唐突に言うから、ぴらぴら広げると、ホームセンターのチラシの芝刈り機の上にちぎったパンケーキを撒いていくじゃん。這いつくばって犬のように食べるじゃん。彼女は底意地の悪い笑顔を浮かべながら、僕の頭を撫でる。はっはっ、と犬の真似をしながら彼女の手をペロペロ舐めると、一瞬怯えた表情をした後、高笑いをした。

 次にパンケーキのかけらをいくつかよこして、彼女はケラケラ笑いながら僕にパンケーキを投げてくる。なんとか悔しがらせようと胸を狙いまくると「エロスの権化」なんて怒る。ワイセツワイロを投げてやろうか。小判にやたら春画が刻まれてる、ふざけたものが享保十年に流行ったとか流行らないとか。って、一生懸命くだらぬことを説明すると信じるから笑える。もちろん、大嘘だ。

 それにしたって、しきみがどんな女性なのか、素性? あと出身地も聞くたびに「愉岳」「康良市」「うじゅな要塞」とこの世にない地名ばかり口にするのだ。身の上話は好きでないし、割とどうでもいいタイプなんで、色に関する名字の人、赤木青江白井黒田が一堂に会したらとか、毎日漫画を買う男がいて寝る前に町内の掲示板に一番笑った漫画の一ページを貼り付けてからじゃないと眠れない奇癖とか、頭がすかすかな話を二時間した。話し疲れて眠った。


 働いていた時には基本的に物事がうまくいかなかった。

 重々しい手紙が届いた。生き別れの姉と会おうとしても、姉の夫が妨害し、いつまで経っても会えないという内容で、たぶん僕が住む前にいた父母に宛てたものなんだろうけど、どこに持っていっていいのかわからなかったから区役所に置いてきた。なんとかバレないように。

 忙しい通販のバイトから帰り、二千円くらいする昏倒コンポートを期待しながら食べようとしていたら。

 チーンチーン。玄関の方でトライアングルを誰かが鳴らし、僕の名字を連呼していて、うざったいので早く対応し追い払おうと考えながら、扉を開けると二人の老女。宗教の勧誘で今メンバーになるとジェリービーンズをつけるという。老女の口から意外にハイカラな単語が出てきて、思わず吹き出しそうになったが、僕は「これからおいしさのあまり、昏倒しますので、失神パラライズなんで」って言うと、相手は僕を妙な事を口走る人だと判断したのか、大人しく勧誘を諦め、トライアングルを口にくわえて去った。

 絶えずこういったトラブルに巻き込まれた結果、玄関からの来客には反応しなくなっていたのだが、しきみが庭から来てくれたのはありがたいことだ。

 怠け出した途端に自分の運が上向きに、ハッピーな展開に進む予感がしてならない。ぐうたらに生き続けることで、思いがけない幸運が舞い込む体質なのかもしれない。

 夕方に一人の男が来た。肩にギター用のストラップをぶらさげている点以外はまともだった。男が渡した名刺を見ると、生駒出版とあり、出版社の人間であった。しかし、名字を読もうとして、なんだか物凄く難解な漢字で「失礼ながらどう読むのですか?」と聞くと、男は「うんとねぇ、読みづらいし、モズ尾って呼んでよ」とくだけた口調。しきみを呼んで欲しいと言うので、ファッションモデルかなんかの話か? と思いつつ、連れて来た。

 この前のエビ行列は、どうやらモズ尾が仕掛けたようだった。街を歩いていたしきみにモズ尾が「雑誌で変わった写真を載せるコーナーでエビの部屋を作らせてくれる人を探している」と声をかけたのだが、エビの部屋という部分に反応して、狂人かと怪しんだが、名刺をもらいあっさり信用。卑又が漫画を描く刺激になるし、金もゲットできて一石二鳥。でも、反対されるのは嫌だから睡眠薬ね、いよーし、ってしきみは僕に睡眠薬を盛り、グースカ眠らせ、モズ尾は何も知らずにエビをスタンバイした。

 そして今日、謝礼・ギャラを払い、エビ人形を回収しに来たって訳ね。モズ尾は茶封筒を当事者であるしきみではなく、なぜか僕に渡し、うまい儲け話を耳打ちした。

 なんでも、流行りの風景写真があり、個人や企業にとにかくガンガン売れるらしい。

 鯔に泡立て器を刺し、それをタワシの上に乗せて、チェック柄のテーブルクロスを敷いたテーブルに置く。タワシ周辺にはひょっとこやおかめのフィギュアを置く。これらを厳守しないと商品にならない。ばんばん儲けたいよね、君。

 もちろん僕はイエスと答えた。働かないで楽に稼ぐ方法があったとは。モズ尾の儲け話の対象が写真というのも、堅実で無難な感じがして、気楽に取り組みやすかった。なんて言ったら本職の人にボコ殴りにされるが、土地ころがしや株に比べれば、ローリスクなのが良いよね。

 富をもたらす客人が帰ったところで、しきみに儲け話のことを話すと、「本当かどうか知らないけどいいんじゃない、漫画のネタになるし」って漫画ごり押しでどうしても僕に漫画を描かせたいようだが、「うん、いいね。僕は鯔と、それとひょっとことかおかめを買ってくるから君も他の買っといて」と話をはぐらかして、自分の要求だけ訴えた。

 いちいち必要な物をメモに書くのが面倒くさく、引き受けたのは自分ということもあって、彼女にお使いをさせるのはアレだね。自分勝手だねと思い、「僕が帰るまでにぶったまげた部屋にしておいて。お使い行かずに」と言って、手を振り、彼女はひじをくの字に曲げ、ぶんぶん振って応えた。

 真っ暗な部屋の中、スズメやウサギの鳴き声が聞こえ、しきみが静かに忍び寄ってきて、ベタベタした何かを僕の顔中になすりつけてくる。うぴょぴょ、なんてね、まぬけな声を出しつつ、明かりを点ける。しきみじゃなくて、謎のおばはんがおはぎを持って立ってる。誰、どなた、何者と問いかける前におばはんは甘ったれた声で「シャンソン聞いてー、あなたマンション住まいじゃないのね、うふっ。あたしペンション行きたいわ」と言って、ぶわっと腕を広げながら、アカペラで歌い、時折シャボン玉を吹く。

 みたいな仕掛けをしきみが作っているかと思いきや、なーんもなかった。たわいもなかった。たらいもなかった。

 ほわほわな彼女はふすまに凭れて、ぐだぐだな雰囲気を醸していた。僕は黙々と鯔に泡立て器を突き立てたもの、ボラッソを作り、タワシの袋を開けてっと。ひょっとこやおかめは置いてなかったから、こけしで代用した。まあ、自分なりのアレンジを加えてもなんとかなるだろう。努力が肝心。チェック柄のテーブルクロスも敷いてっと。さっきから、てっとてっと言っちゃうな、てへっ。彼女は無感動な目で、無表情に、テーブル中央のボラッソを見つめている。僕は興ざめして、殺風景な部屋で誰かが砕いて飛び散った軽石を拾い集めて修復させられているような気分になりながらも、デジカメを取り出し、ボラッソを撮った。二十四枚撮った。

 モズ尾に電話をし、さっそく撮ったんすけど、と伝えると来月の十四日に振り込むという。一件につき、十万円を払うという。

 そういえば、エビ行列の謝礼を確認したら、五万円が入っていたなあ。二人して、昏倒コンポートを十個、僕は六個で彼女は四個食べて、食べている途中で気が遠くなって床に何度も頭を打ち付けてしまい、本当メチャクチャだった。


 木とか山とか、獣たちも僕らを祝福している。

 どこまでも幸運がはみ出してくるマシュマロ。

 このマシュマロを溶かさないように、生きていこう。

 僕の前を歩くしきみのお尻のラインが丸みのあるカーブになっていて、その美しい尻の形はまるで上弦と下弦の月が合わさったようだ。

 ずっと眺めていたい。撫でさすりたい。などといつも以上に浮かれてハイになり、ばかな感じに、頭がおかしくなってるのはなぜだろう。

 山道をウォーキングしている。僕は家でゴロゴロしていたかったのだけど、しきみが山に行き、虫を捕らえ、虫かごに入れて封じ込めた上でありったけの花を虫の眼前に置いたら、さぞ悲しく悔しいに違いないと言うのである。その際、さざえの貝殻に花を詰めていき、「ひゃっはー! 花が俺の中で甘えてるぜ。愉快だぜ。てめえたちの薄い羽はコンドーム並に薄くて、何の役にも立たない。分厚い殻ならだいだい守れてしまうんだぜ」と僕が憎憎しい悪役を演じると虫たちは怒りのダンスを踊るだろうなんてしきみは言う。もう、踊る訳あらへんがな。メルヘンと現実の区別がついてないんかい?

 山の中腹辺り。でも、中腹かどうかなんて、めったに山に登らない僕にはわからないのさ。イエイ。それっぽい石碑があるから、たぶん、そう。

 五分ほど立っていたけど、しんどくなってきた僕らは砂利にしゃがみこんだ。不法投棄されたソファーでもあれば、楽に休めていいかもしんないと思ったと同時に、左手の急坂からタンバリンを持った九人のピエロが現れた。しかし妙なのが顔はピエロのメイクなんだけれど、彼らの着ている服はナース服やレースクイーン、バスガイドで金色の派手な色調に統一されていて、おや、この人たちは異世界の住人なのかなと思ってしまった。

 金ピカの女装をしたピエロの男達はタンバリンを地面に置くと、土下座するように頭をタンバリンへ降ろし、叩き始めた。ピエロたちはタンタン、とタンバリンの音を口で唱えて再現して、滑稽だった。しきみがバスガイドの帽子を取ったのだが、ノーリアクション。そして彼らはするする下っていった。奴らの通り過ぎた後に柑橘系の爽やかな香りがした。そのギャップがおかしかった。しきみは帽子をかぶってうさん臭く笑う。

 斜面に黄色い花が咲いていた。ぽつんと咲いている。木陰からイノシシが出し抜けに出てきたと思ったら、花にかじりつき、辺りに撒き散らして、どこかへ走り去っていった。

 ぶらぶら歩いてる。彼女の裸をイメージするけど、なぜか毎回カスタードやりチョコレート、生クリームなどで彼女の全身が覆われているんだな。へそ辺りに白黒の碁石が一個ずつデコレーション感覚で乗っているんだな。しきみは「ドライ、ツヴァイ、アインス」といきなりドイツ語でカウントするから、何だい? 不思議なゲルマン魂だね、と心の中でツッコんでいたら、彼女が僕に話しかけてきた。

「海と山と空中と地底の四種類しかないよね」

「どういう話だい?」

「人間が行けるところじゃ。もっと色々な、変わった世界に行けたらいいのに。地面が果物の皮でできてて、皮をめくると紫の果肉がパッションみたいな」

「どこまで行っても普通な世界ばかりだよね」

「そうぽる。さらさらしすぎなの、なんか」

「いっそ意味もなく、橋をかけまくってそこらじゅうを橋だらけにするとか、同じ物を極端にドバッと増やしてみると面白いかもな」

「なるべく意味がないものがいいよね。毒にも薬にもならないような。でも本当はブラックな雰囲気好きかな」

「もしかしたら、もう意味のないものだらけかもしんねえ」

「なんで?」

「動物から見たら、たいていの物はどうしていいか、使い方とか捨て方とかわからないよね」

「一日ごとに、今日はエゾシカの気分で、誕生日は馬の気分で、なんて風にやったらどうらろ?」

「生まれた日だから馬ってか、はは、寒い」

「なんで? なんでひどいよねー、ひどいぽるよー」

「まるで? 海鳥で産み鳥みたいなシャレは利かないかい?」

「海の家なのに、海にテーブル打ち付けたりしてないっていうか、それ自体は砂浜か路上かなんかにあるの、なんで?」

「あっ、栗とウニがっ」

「何も無いじゃない。あなた下山してスーパーまで行って栗とウニ買ってきてここに仕掛けて、山に来る人驚かせなさいよ」

「嫌だよ。しんどいよ。もし手握る時僕が左手に栗、右手にウニを握ってたら、どっちを握る?」

「両腕をつかんで、あなたの顔に押し付けてあげるにゅ」

「痛えな、そりゃ」

 のんびりと、のんきに喋りながら歩いた。和三盆という言葉が浮かび、しかし和三盆が何だったか思い出せなくて、もやもやした。


 最初のボラッソの売り上げは十一万百五円だった。おお、快調。おお、配当金。恵みの雨。今は小雨程度。

 うん、金の雨をやっぱり得たいじゃない? 集中豪雨ぐらいに金が降ったら、誰しも嬉しすぎて発狂するでしょう。

 人間ヨクブカなのとヨクアサ、二タイプあったとしようか。自分は、僕よく朝に起きちゃってさ、なんて堅実には成りきれない。やはり、欲でブカブカになってるのかな。僕の中にある金の雨を本降りにさせるべく、モズ尾に電話をかけた。

「おかげさまで少し懐がぬくくなりましたねぇ。でもねぇ、ほくほくにしちゃいたいんですよ。どうすればいいっすか、師匠」

「はは、酔っ払ってるのか? 君は。流行は似たり寄ったりだから、今撮ってる写真の構図をちょっと変えてみるだけでいいんだよ。A社はそのままでいいけど、B社とC社が新しいの求めてるんだけど、なんか送ってみてよ、弾むから」

「おひょっ、送ります送ります。よろしくです」

 がぜん、やる気を出した。

 ホームセンターやデパート、ディスカウントストアに向かって、風景写真用のオブジェになりそうな道具を買ってきた。

 液体窒素で豆腐をカチコチに凍らせ、それをパッションフルーツに刺し、半分にカットしたスイカの上に乗せた。真夜中まで本を読んでいたのか、今むくむく起きて居間に来たしきみは摩訶不思議な風景にビックリしている。豆腐でグサグサパーティーで一攫千金だよ。ふははは。

 しらすを接着剤で固め、中央に穴を開け、そこにガチガチに接着した納豆がはまっている。納豆棒がしらすブロックを貫く。無敵の納豆棒。

 バラバラに散らばってるものがびっしり集まって一固まりになってるミラクル。

 二種類作り上げて、パシャパシャ撮って、モズ尾に送った。一度撮ってしまえば、とっておく必要はないし、捨ててしまうか。

 うーん、楽しみだなあ。有頂天の僕はマシンガントークで、どこか気だるいのか、テンションが低めの彼女にうざがられる。

 そそくさと朝飯を食べると、しきみは書斎に行ってしまった。暇になった僕は納豆棒を振り回して、ふざけている。手がねとねとする。


 一ヶ月待っても、二ヶ月待っても、預金残高が変わらないんだよなあ。じわじわ減る一方なんだよな。なあ、しきみって言えないのは猿轡をかまされているから。誰に? しきみにだよ。ぎちぎちに縛られている手足。ワオ! 漫画の執筆をせず、だらだら渋り続け、ぎらぎらする彼女をはぐらし続けていたら、プッツンさせちゃったよ。

 前日にはしきみに「ご馳走作っちゃうから十時間くらい外に行っててくれない?」って言われて帰ってきたらねこまんまだった。猫でも飼ったのかな、それとも僕が今日から猫なのかな。でも、爪とぎとかしないし、マタタビとかも反応できないっすよ。

 そして居間にあった家具は庭に置かれていて、彼女の持ち物で独占されている。「どうしたの、ご馳走は?」と聞くと、彼女はぷんぷん怒りながら「もう、アレやらないなら私、部屋一つずつ乗っ取っていくから」と言う。極端に強引で不条理なことをやらかす彼女に、一瞬怒りが込み上げたが、こんな変な女でもいないよりはマシだろう、マシかな? って弱気になりつつ、冗談で聞いてみた。

「君は僕にどんな名前をつける」

 二十秒ほど沈黙が流れ、そのままさらっと聞き流すかと思ったら、「暴虐パンスト」

 と一言そう言った。今後、僕は暴虐パンストだ。

 それで今日は起きたときから腕グルグルだった。縄かひもで縛られてるのかな。もしかしたらパンストなのかな。

 しきみはゆらゆら左右に揺れながら、「さっさっさっ、さくさくざくろの芯。皮をあなたにあげる。実は子供とか貧者とかにね」と歌い、手に持った赤い粉を撒く。粉が僕の目に。ぐはああ。ひりひりの目でじりじり追い詰められている僕。真面目に働かなかったがために。風変わりすぎて、誰も買わない果物みたいな女を招き入れたが故に。涙がこぼれる。目のふちがじんじんする。

 彼女は「お雉のぶしゅかん」とうきうきしたメロディで口ずさみながら、僕の服を脱がした。彼女が僕の肌の上を静かに撫でるから、じらす感じが余計に興奮させるのよ。

 しかし、甘かった。しきみは指で円を描き始め、ぴたっと止め、何度もつねるではないか。「山猫匂おう、栄誉予告」と意味不明なことを言って、爪を立てたかと思うと、高笑いをしながら僕の体を一気に引っ掻き出したからもうヤバイ。痛い。

 だんだん体勢を変え、左手で脇腹を掻き、右手で僕の顔をぺちぺち叩き始めた。されるがままになっている。抵抗しようと思えば、簡単にできるが、こういうのも意外と嫌じゃない。もっとやってくれないか。目の痛みが止んで、体中が痺れてる? ビリビリしている元フリーター。もんのすごーい、圧倒的なスピードで時が進み、紫のオオカミと桃色の虎がしきみの声を発しながら暴れてる。ぐんぐん僕の中の時間が加速していく。あーん、加速。


 あらえっさっさのリズムでしきみは離れていった。

 彼女の残したオレンジと桃色の花が描かれたベッドに横たわりながら考える。甘い匂いはしなかった。doki dokiする。漫画の催促はしても、僕の趣味や思い出話を聞こうとはしなかった。あと、過去のことを思い出してくよくよする時にかるたを作るという奇癖も知らなかっただろう。かるたの歌にざくろやぶしゅかんや山猫なんて書いてないし。ああ、一緒にかるた作りっこしたかったな。げへへ、チンドン屋ごっこもしたかったな。

 一人でいるとくだらないことばかり浮かぶ。八百屋の男と魚屋の熟女が年の差を気にせずくっついて、八百屋兼魚屋になる。二人の間に息子が生まれ、大層なわんぱくボーイ。わんぱくボーイはおしゃべりな肉屋の女と入籍。八百屋と魚屋と肉屋になる。子供はなぜか大人しい少女に育ち、薬屋のおじさんと結婚。そこからだんだん奇妙な品揃えになって、薬屋の後には酒屋、金物屋、風呂屋、餅屋がごちゃ混ぜに展開されていく。こうなるともはや呼び名が見つからない。ひとっ風呂浴びられるよろず屋というのも長すぎる。

 もし、僕が漫画を描いたら彼女どうしてくれたん? 下心はないわけではなかった。もう、バリバリあった。でも、全てを悟りきった僧みたいな顔して、グッと堪えた。むから始まるかるたは当然ムラムラだった。やはり、普通の女性のように「キャー、うれしー。絶対見るしー。印税はどのくらい入るの?」「えへへ、打ち切りにだけは気をつけてね」なんて言いながら、大人のいたわりをしてくれるのだろうか。しかし、しきみはそんなビタースウィートな女じゃない。味噌を練りこんだチョコ並に変り種だ。人が名乗ろうとするのを阻み、僕をペンネームである卑又とずっと呼び続け、最初から書く気はないのに、執筆させようと色々やるじゃなーい?

 ベッドから這い出て、手鏡やずぐりゴマという青森のコマを引き寄せ、うわんうわん、泣いた。

 泣き疲れて、というほど涙も出ず、ボーッとして。冷蔵庫から麦茶出して。飲んで。それからまた横になって、あっさり眠った。起きたら、ヘーイおてもやんとふざける余裕ができてた。

 しきみは何屋だったんだろうと思いながら家を出た。

 どうかな? どうだ? どうやろ? どうかしら? 気後れする余り、四通りの口調でぼやきながら、かつての店に来ていた。

 もちろん、抹本さんに会うためである。

 かれこれ、二、三ヶ月忘れていたくせに都合の良いヤローっす。

 幸いモツ山は現れず、抹本さんが帰ろうとしているところに鉢合わせしたようだ。マジ僥倖っす。

 ちょうど前を向いた抹本さんに「久しぶりです。退院嬉しいっす。あ、あっ、あああっ、あのこれから帰られるのですか?」と話しかける。「おおっ、糖ちゃーん久しぶり。妹の踊子と坊っちゃんの跳太郎」

 傍らに抹本さんより年上に見える大人びた女の子が長い髪を垂らしていた。街灯に照らされていたけど、澄んだ水色と紫の光が合うと思う。高校生くらいに見える跳太郎は踊子ちゃんの横に立っている。

 抹本さんがふわふわなら、踊子ちゃんはくらくらで、跳太郎はしとしとだった。僕はぐらぐらだな。

 踊子ちゃんと跳太郎に挨拶しながら、そう思うた。

 抹本さんたちが最近よく行っている店に行くことになった。駅前のくすんだビルの奥にある、店名はぬる子。ううむ、おちゃらけた店よのう。ふすまにそのままドアノブをつけたようなドアに面食らいつつも、サクッと開け、白と赤のタイルの床を進んでいくと、ショートケーキの、イチゴの部分が背もたれになっている椅子が十席置いてあって、僕ら以外に客はいなかった。店員もいなかった。すいませんと声をかけ、まばたきを五回ほどした頃、白と赤の水玉模様の全身タイツを着た女性の店員が現れやがった。

 抹本さんは休日には新宿や恵比寿辺りに行き、うどん屋とかではなく、イタ飯とか隠れ家カフェとかでゆっくりくつろいでるイメージがあったのだけど、どうしちゃったのだろう? 椅子に腰かけ、店員に渡された黄土色の団子を食べながら考える。あっ、ああ! なるほど。しきみが店に来て、抹本さんと知り合い、美術館に猫を解き放つ、モツ山に色々な薬を飲ませて遊ぶなどするしきみを見ているうちに、抹本さんまでもがエキセントリックな行動をすることに目覚めてしまったのかもしれない。

 あるいは、ここはもしかしたらしきみの親族が経営する店? なのかもしれない。

 団子の味は塩辛く、魚臭かった。これをデザートと言えばパティシエが激怒して、ビリヤードの玉を生クリームで包んだものを投げるだろう。二口ほど噛んで、とても食べられねぇな、こりゃ、と匙を投げた僕は残した。左隣の抹本さんに聞くと、「二口も食べたんだー。私は一口しか無理」ってとろんとした目で言った。あひゃああと奇声が聞こえ、声がした右隣を見ると踊子ちゃんが頭をぐるんぐるんさせていた。無邪気に笑っていた。さっきから体の奥から陽気なエネルギーが湧いてくるのは何、これ? 頭がぼわんとしてきたし。踊子ちゃんの隣にいる跳太郎は立ち上がったり座ったりを繰り返していた。隅に座って僕らの様子を見ていた紅白タイツはついたての向こう側に消えると、すぐに出てきてちくわを二十本渡した。配る本数がまちまちで、五本だったり三本だったり一本だけだったりとメチャクチャだった。知力とチクワを投げ捨て、僕は呻いた。抹本さんは五本のチクワをねじ切って扇状になるように持って、チクワ扇子を振りかざしていた。踊子ちゃんは転がっていた。まっさらな器を見て、いかんと思った。踊子ちゃんは団子を食べ切ってしまったようだが、あの団子を食べるとアホになるっぽい。そんな作用がするっぽいよん?

 紅白タイツは床についた取っ手をひねり、ああら、不思議。パカッとふたが開いて、紅白タイツはそこから油と味噌と黒いビンを取り出した。そして紅白タイツは左手にあるドアに向かっていき、扉を開け、入っていった。料理でも作る気なんだろうか? 味噌を使った揚げ菓子? ドーナツかチュロスかなんか?

 どこからか音楽が流れ出し、三味線とどこかの民族楽器の音に男の呻くようなコーラスが乗って、時折コーラスが不協和音になったり、「ええんや、どこまでも浮き上がる宇宙であえて俺だけは沈み込む。忌日の誕生日に線香の代わりにバースデーケーキ用のろうそくを点せ」などといった、真逆の言葉を並べた朗読が語られたりした。十分くらい曲が流れ、ちくわを投げろと男が叫ぶ声、ぐわんとエコーして、紅白タイツがドアから首をにゅっと出して、苦悶の表情をした。

 何事かと思って、僕はみんなを呼び寄せ、くねくね歩いて別の部屋に入った。白いシートがまんなかに敷かれていて、紅白タイツが「ビザーレ」と巻き舌っぽく言って、どろどろに汚れたシャツを投げた。全体が茶色になっているのは味噌で、べちゃべちゃに押しつぶされた佃煮が模様を作っていた。踊子ちゃんが「どこで着替えるんですか」と紅白タイツに聞く。確かにここで着替えるわけにはいかないよねぇ、僕的にはブラジャーが見れるのなら、タールを浴びたって良いのだけど、怒りを買って、つぶれた佃煮みたいになりたくないからやめておこう。っていうか、右隅に更衣室があるようだし、みんな先に向かってて、抹本さんに「もう早くしないとそのシャツにべとべとつけるよー?」とからかわれちゃったし、行かなくちゃね。ミディアムテンポのスキップをしながら、更衣室まで進み、着替えを済ませた。味噌臭く、ねちゃねちゃした着心地が実に不快だったけれど、もはや吹っ切れてたよ。

 さーて、白いシートは油でぬるぬるで、僕らは滑った。踊子ちゃんが覆いかぶさるように僕の背中に倒れてきたのだけど、正直むくむくした。あかん、エキサイトしてる。あかん、抹本さんに怪しまれないようにふしだらな顔になるのを防がなければ、あかん。スケベ心って魔法の口紅、口紅ってスケベ心の魔法。なんてバカなこと考えてるうちに、自然に顔がたるみゆるみ、鼻の下を伸ばせるだけ伸ばした。抹本さんの目がひんやりしていた。

 踊子ちゃんが立ち上がって、甘い重みがなくなりふっと軽くなり、僕も立ち上がって一緒にポルカを踊った。そんで、シャワーを浴び、気分爽快になって帰った。

 これからは抹本さんを手本にして生きていこうと決めた。


 美容院のくるんとした髪の女性店員に写真を見せながら、抹本さんと同じ髪型にしてもらう。

 デパートでマロン色のヒール履いて、「口紅サーフ。ルージュまがい、ビビッドっぽいけどパステルの海」って抹本さんが何気なく口ずさんでいた歌を真似するの。

 アーモンドの花の切り枝を飾って、キャンドルを点し、薄明かりの中できれいねと言ってみたりした。

 あれ? アイツ、男じゃね? なのに、何で女装してんだろ、キモっと後ろ指を指されても、りぴりぴせずに、りぷっど女性を楽しむ。退屈をりさばりさば切っていきたい。

 相変わらず、りらくりらの暮らしている。りたっぴの今。

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サブカル雑貨屋、街で浮く みんなもともと生死 @minamialpen360

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