第5話 赤潮対策

 と言うわけで、ローゼの魔法で一時間ほど海の上を飛んで見て回った後、俺の部屋に戻りパソコンを開けると、——すぐにググる俺であった。

 赤潮——富栄養化した都市近郊の海や湖なんかでプランクトンが異常発生して水が真っ赤に染まる現象。過剰に増えたプランクトンにより、海に溶けてる酸素が少なくなったり、毒素が排出されたりで漁業なんかに多大な影響が出ると言う現象。

 その発生原因は、昔は人間のし尿なんかが海にたれ流されて起きた——日本ではすでに平安時代に赤潮の発生の記録があるとのことだったが——近年は工場排水や生活排水に含まれるリンや養殖で過密に生育させている魚なんかの死骸や排泄物なんかの影響が大きいとされている。

 まあ、今回の原因は言わずもがなだな。あの悪鬼たちの死体がプランクトンに過剰な栄養を供給して大発生したということなのだろう。ただ、これが本当にプランクトンなのか? と俺の世界の常識から見れば疑問を思わないでもない。

 異世界のプランクトンは俺の世界のものに比べれば随分ワイルドに見える。——赤い帯のようなそのプランクトンの群が触れた死体はみるみるうちに食い尽くされていくし、それはもう、パニック映画でアメーバ状の怪物とかいってでてきてもおかしく無いくらいの様子だった。

 しかし、どっちにしても、俺にはこれは赤潮に見えるし、それ以外の可能性は思いつかないのだから、今はそのまま赤潮だと思って対処をするしかないのだった。

 まあ調べ(ググっ)たら、俺の世界にもフィエステリアとか言う魚を直接捕食したり、人間を殺せるくらいの毒を吐くプランクトンもいるみたいだから、こんな魔法の横行する世界ならあんなもんだろう、——と俺は思うことにしたのだった。

 これは赤潮として対策を打とう。

 俺ははそう考えたのだった。

 今、俺が思いつける、

 ——できることをするしかない!

 ……と。

 で、俺は、検索を続けるのだが……

 残念なことに、問題は、その赤潮の対策なんてものは俺の世界でも確立されていないことであった。

 赤潮を人為的に解消する手段は、いくら検索してもでてこない。防ぐには下水道整備だとか予防が必要という、そう言った話ばかりであって、今の俺の役に立つ話が全然とひっかかってこないのだった。

「使い魔殿? まだですか? そろそろ私も飽きてきたんですけど? ダメならダメってスパって言ってくださいね。そしたら(首を)スパっていきますから」

 俺がいつまでもパソコンの前に向かって難しい顔をしていれば、いつの間にかまた鎌を研ぎ出しているサクアであった。もし、このまま俺が解決策を出せなけれ、どうやら俺はこの世界で生き残ることができなさそうだった。

 俺は、何度も何度も「赤潮」、「赤潮」と検索を続けても、同じような結果しかでないのに焦って、額に少し冷や汗をかきながら——まあ少し落ち着こうと、

「いや——もちょっとで分かるから。すぐだから。その前に休憩するだけだから……」

 冷蔵庫を開けて俺の鎮静剤ルートビアを取り出す。

 コップに氷を入れて、缶のプルトップを開けて、注ぎ——飲む。

「ふぁああああ。うまい」

 炭酸と刺激的なフレイバーに俺は一瞬頭がすっきりとして、なんか良い考えが浮かびそうな気がしてくるのだが、

「なんですかそれ?」

「んっ?」

 そんなすっきりした俺の顔を見て、ルートビアに興味を示すサクアであった。

「これは……」

 俺は少し言いよどむ。明らかにこれを飲みたそうな様子のサクアへ、どう言ったものかと考えたら、思わず言葉を飲み込んでしまったのだった。

 ——俺は心配してしまったのだった。

 この美味をこの連中に知られてしまったら? 

 もしこのまま、この異世界に俺がいなければならないとしたら二度と手に入らないかもしれない神の飲み物ネクトール

 その味をこいつらに教えてしまったら?

 実は押し入れにまだスットックは隠しているものの、あっという間に全部飲み尽くされてしまうかもしれない。

 だから、これはこの世界の人間には毒だとか、適当なことを言ってごまかそうとしたのだったが……

 しかし、今、命の危険にさらされている俺である。その生殺与奪権を持つサクアの機嫌をとるのに、これが使えないだろうか?

 そう思って、

「ルートビアという私の世界で最高の飲み物なんですが……サクア様——飲みますか?」

 俺は、クソメイドに思いっきり媚びながら、もう一個コップを出してルートビアを注ぐのであった。

 そして、

「我も所望」

 と言うチンチクリンローゼの分も、はい、すぐ注ぐ俺であった。

 すると、


「なんと——使い魔殿の世界で一番美味しいとはそれは楽し……」


 ………………


 「——ぶふぁあああああああああああああああああああ!」


 飲みかけたルートビアを盛大に吐き出すサクアだった。

「なんですかこれ? なんですかこれ? サロン○スですか? サロン○スですか?

 なんですか? 湿布飲ませる気ですか? 飲ませる気ですか?」

 ルートビアが口に合わなかったのか、なんだか随分な剣幕のサクアであった。 

「なんだと? こんな美味しい飲み物をなんで吐き出すんだよ。もったいないじゃないか! だいたいサロン○スだなんて——この異世界にもサロン○スあるんだな! 絶対あるんだな!」

 俺も、自分の好みを否定されて、まるで自分が否定されたような気分になり、ついつい大人気なく怒鳴ってしまうのであった。いや、ほんと、異世界にサロン○スあるのか? 俺は実はそれが一番気になりながら、声を荒げるが、

「なんですかこれ? 嫌がらせですが? 臭気を消す方法分からなくて、私に嫌がらせですか! 良いでしょ。喧嘩なら買ってあげましょう。鎌なら研いであげましょう!」

 おっと、まずい。俺はまた鎌を一心不乱に研ぎ出したサクアを見て、

「まあ、待って! 待って! 悪いついカッとなってしまったが——悪気はなかったんだ」

 一気に正気に戻るのであった。

 でも、

「良いですよ! ああ、わかりましたよ! 使い魔殿の悪意は耐え忍んで見せましょう。私は出来たメイドですからね。主人ローゼ様の大志のためならばひどい屈辱も看過しましょう。でもそれは——使い魔殿がを持っていればこそです。もしこのまま何もできないのなら……ローゼ様が召還に失敗したなどという汚点が残りそうになるのなら……闇から闇……」

 鎌を持ちニヤリと笑いながら言うサクアであった。

「いや……待て。大丈夫。大丈夫だ。分かった。俺は知っている。策はある。策はあって……ええと……」

 俺は頭をフル回転させて、何か——何が策が無いかを考え続ける。

 しかし、俺が落ち着いて考えようとしても、

「ほう。策があるですか? 何でしょうね? あるのならすぐに言えるでしょ。言えないのなら……」

 鎌を俺の首に当てて感情の無い声で言うサクアが言う。その、少しでも身動きしたら鎌が首筋の血管を切り裂いてしまいそうな状態に、俺は緊張で頭が真っ白になる。

 異世界に来て早々、赤潮のせいで殺されると言うどうにもパッとしない理由で俺は殺されなければならないのか? おいおい、さすがにそれは間抜けだろ? いや今間抜けなの心配してる場合じゃなくて、何か良い案を考えないと俺は死んじゃうんだけど……

 と、俺は。恐怖と恥ずかしさが混濁したような意味不明な感情にぐるぐると頭の中を揺すられて、——様々な言葉が頭の中をくるくると、スロットマシーンの目のように現れては消える。そんな無我夢中、茫然自失の一歩手前の状態で、俺の口から、殆ど無意識に出て来たのは……

「貝……」

 と言う言葉なのであった。

「貝? 何ですかそれ?」

 俺の唐突な言葉にサクアは首筋から鎌を外すとキョトンとした表情で俺を見つめる。

 しかし、俺は小躍りするように

「貝! それが答えだ。俺たちは貝を使わなけれなばならない!」

 ああ、そうそれだ。検索で見つけた赤潮の対策。

 俺は検索で出た赤潮対策の一つを口にするのだった。

「貝にプランクトンを食べさせるんだ。そして海を浄化する!」

「はあ……?」

 俺は、苦し紛れに口に出したアイディアでそのままなんとか言い逃れをしようとする。

「もちろん俺が貝を用意するとかはできないが——そちらのチンチ……いやローゼ様ならできるのではないか?』

「……?」

「美味……」

 俺らの会話など無視をして、気付くと勝手にコップにルートビア継ぎ足して飲んでいるローゼを見ながら、

「貝で自然派ビオエコ浄化! 地球に優しいローゼのレスポンシビリティ!」

 俺はなんともインチキくさい標語を唱えると、

「オーケー、それ、私としてはアグリーです!」

 と答えるサクア。

 なるほど、意外にもクソメイドは意識高い系なのだった。


   *


 そして、また海へ行き、臭気から結界で守られながら、砂浜から岩場まで歩く俺たちであった。

 周りは相変わらずというか、さらにひどい状況であった。

 この世界のプランクトンは俺の世界のに比べ随分仕事が早く、悪鬼たちの死体はあもはやほとんど残っていないくらいに食い尽くされていたが——なにしろ空も海も埋め尽くされるほどの軍団の襲撃だったのだ。それが皆殺しされたのだからまだまだ海の中にはどろどろした養分がいっぱいに漂っているのだろう。

 サクアに聞くと、この状態は短くてもあと10日くらいは続くそうだった。逆に、長い時は1ヶ月くらい続くようで、悪鬼たちの来襲は下手したら海がこの赤潮発生状態のうちに来ることもあるので、——悪鬼の来襲が始まった二年くらい前から、一年の半分近くがこのどろどろの海の状態になってしまっているのだそうだ。

 すると、その間、街は臭気に悩まされ——それがローゼへの不満へと転化する。そして、それはもはや爆発寸前。そんな時に、この状態を打破できる使い魔として俺はこの世界に呼ばれたのだった。

 もっとも、元の世界でも知力体力とも平々凡々で、異世界に来てもチートも得られなかった俺にできることなんて——なぜか元の世界のインターネットとつながったままの俺の部屋のノートパソコンで検索することくらいなもの。今回の(たぶん)赤潮の問題についても、専門的見地から何か言えるわけでもなく、ネットに転がっている文章を読んでなんとか事態を理解しようとしている、その程度のことしかできないのであった。

 それでも、

「なんかうまくいくんじゃ無いかこれ?」

 俺は岩場の前の砂浜から続く浅瀬を見ながら言う。

 そこは周りの海とは明らかに違う透き通った海水が波打ち、清涼な空気が漂っているのだった。

 言ったのは苦し紛れだった。貝と言うのはネットで調べた赤潮「予防」の干潟の保全や造成の中で出てきた単語だった。干潟に住む貝がプランクトンを食べてくれるので赤潮の対策に効果があると言うことであった。

 でも、それは、は赤潮の発生を抑えるための対策であって、発生してしまった赤潮を解決できるほどのものではないらしい。貝のほか、プランクトンを食べる甲殻類や軟体動物なんかが集う自然の浄化槽とでも言うべき干潟。その人工的な保全。それは、あくまで予防策なのであった。貝などの小生物の良く住む干潟は、基本的には岸近くにしか存在しないので、沖まで広がった赤潮を浄化することはできないのだった。

 でも——俺は思ったのだった——この干潟の浄化力を沖に無理やり広げることができたなら? 貝を沖にまで大量に投入することができたなら? 

 俺が苦し紛れでつぶやいた貝——干潟でプランクトンを食べる代表的生物であるらしい——それを沖にまで大量に投入できたなら、発生した赤潮でも積極的に排除することができるのでは? そんな風に俺は思ったのだった。

 そして、実際、こんなチンチクリンな見た目だが、まごうかたなき大魔術師であるローゼならば、そんなことは朝飯前であったのであった。


「ぬ!(降ってこい)」


 ローゼの杖の一閃で、空に突然現れた数え切れないほどの貝が降って干潟に落ちる。一体どこからこんな貝を集めているのか? それとも無から創造しているのか? 相変わらず言葉少なく何も語らないローゼの魔法の秘密はわからないままであるが、干潟に次々に大量に投入される貝は、着々と海の浄化を始めているようだった。

 それは、まさしく、みるみるうちにと言った様子であった。この魔法世界のプランクトンも随分ワイルドだなと思ったが、貝類はさらにワイルドな性質のようで、中には海面から飛び上がって赤潮の濃い部分移動して捕食したりするのもいる。

 大量の貝が押し合いへし合いプランクトンを食べるので、殻と殻をぶつかり合っているカチカチ言う音とか、ゴボゴボという海水と一緒にプランクトンを吸い込む音が海岸からでも聞こえたりもする。なんというかとても貝の出す音と思えない、雄叫びのような音とか、なんか水中で雷光みたいなのがキラめいたり——正直、ちょっとビビらないでも無い凄まじい様子であったが、

「まあ、上手くいってるようだし……」

 俺はどんどんとその広がる清涼な海水の領域を眺めながら、これで俺は生き残れるのかなと少しホッとするのであった。

 自然のままのこの海岸は、随分と沖まで遠浅の続くようで、その遠浅いっぱいに貝を投入したので、数キロくらいの広さの、随分と大きな浄化領域ができたようだ。でも、そのさらに沖にはまだまだ赤潮もあり、それがこの岸辺に流れ込んでくるだろうが……

 この干潟の貝たちが次々にそれを食べれば、少なくとも岸辺、そして内陸の町ならば尚更に、あの臭気がやってくることは無いだろう——ローゼの名誉も回復できそうなのだった。


 これならば……!

「なんだか上手くいきそうだからこれで少し様子みるとして、一度戻って休まないか?」

 思いつきの対策が上手くいくかわからずに、ずっと緊張していた俺は、それ解けたことの虚脱感に少し落ち着いて、——休みたい、それも安心できる自分の部屋に。そう提案してみたのであった。俺は、一刻もはやく、横になりたい。そんな気分だった。

 だから、

「良いですよ。使い魔殿の策で海がこんな綺麗になってます。さすがローゼ様がわざわざ異界から召喚したお方です。上手くいくかもしれません。とは違って……」

 サクアが言った最後の気になる言葉もそのまま、まあ良いかと、無視をしてしまったのだった。

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