第45話

「サイ!」

「……ヨウ」

 ヨウの名を呟き、サイは俯いた。エレベーターは音もなく一階へ向けて降りていく。サイは一言も話さなかった。ヨウも掛ける言葉を探していたが、今のサイに掛ける言葉を見つけられなかった。

 エレベーターから降りたサイは、ブラックウッド・ロッジの寮を出て街を歩き出した。街は賑わっており、至る所で光輪祭の優勝寮を決める賭けが行われていた。オッズを見ると、下馬評通りブルーレイク・ロッジがトップで、ブラックウッド・ロッジは最下位だった。ここ数年、トップを独走していたブルーレイク・ロッジ、昨日の感じでは、今年もダントツで強い。

 ヨウはオッズを見て短く息を吐き出した。もし、アリティアが出場していれば、少しはこのオッズも変わっていたはずだ。彼女は、それだけの力と影響力を持っている。だからこそ、彼女の残酷な言葉は、サイにとってかなりショックだったはずだ。

俯いたサイは、フラフラと力なく歩くと、ブルーレイク・ロッジの前まで来た。

 ブラックウッド・ロッジとほぼ同じ作りだが、ブラックウッド・ロッジは光さえ飲み込む黒い外壁に対し、こちらは澄み渡る空のように美しいガラス張りの外壁となっている。そろそろ太陽も沈み初め、光線に色がつき始めている。ヨウは琥珀色に輝き始めたブルーレイク・ロッジを見上げ、目を細めた。

「ヨウ……」

 消え入りそうな声でサイは呟いた。ヨウと同じくブルーレイク・ロッジを見上げるサイの瞳には、深い悲しみと後悔の念が宿っていた。

「僕は、本当はブルーレイク・ロッジに入寮したかったんだ……」

 サイは光り輝くブルーレイク・ロッジから目を背けた。つま先を見つめ、胸の奥に残る諦めを吐露するように、語り出した。

「昔はどうか分からないけど、ここ数年は、ずっとブルーレイク・ロッジが勝っているって知ってるよね?」

「年に四回あるお祭りのことか? それって、そんなに大事なのか? 確かに、年間トップを取れば、食事が一週間タダになるってのは魅力だけどな」

「そうじゃないよ、ヨウ。問題はそこじゃないんだ。僕にとってはね、その中身なんだよ。ブルーレイク・ロッジの生徒は、本当にみんな優秀なんだ。勤勉で頭が良くて、強くて」

「それほど差があるのか? どの寮も似たり寄ったりだと思うけどな」

 率直な意見だ。各寮の特色はあるにせよ、成績などに大きな差は無いように思える。ただ、意図的か恣意的か分からないが、生徒の性格は寮によって偏りがあるようにも思える。

「確かに、平均的に見るとね。だけど、成績上位にいるのはブルーレイク・ロッジの生徒が沢山いるんだよ。僕は、実技はダメだけど、せめて学力だけでもトップになりたかったんだ。青い制服を着てね」

「黒の方が格好良いじゃないか」

「ヨウは黒が似合うかも知れないけど、僕に黒に合うと思う?」

「ん~……」

 一歩引いたヨウは、サイの全身をマジマジと見つめる。育ちの良さがにじみ出る優しい面立ち、吹けば飛んでしまいそうな線の細い体。確かに、黒い制服はお世辞にも似合うとは言えない。

「……確かに、サイには黒よりも青か白い制服が似合うかもな」

「だよね」

 溜息をついたサイは、トボトボと歩き出した。一歩遅れ、ヨウもサイの後を追う。彼はブルーレイク・ロッジの寮をぐるりと回ると、反対側に出た。ブルーレイク・ロッジの裏側には森があり、その奧には寮名にもなっているブルーレイクが広がる。ヨウが初めてローゼンティーナに訪れたとき、野宿したのもブルーレイクの湖岸だった。

 サイは肩を落としながら森の中へと入っていく。ヨウも、その後に続く。

「ヨウ、アリティア先輩の言ったことは、本当だよね。僕は、ただヨウの横にいたから、偶々誘われただけなんだよね」

「そうはいってたけど、それが先輩の本心とは分からないだろう?」

「…………本心だよね、あれは。アリティア先輩に何か考えが合ったとも思えない」

 サイの言葉にヨウは反論できない。アリティアにとって、サイはどうでも良い存在。いてもいなくてもいい存在。ヨウの隣にいただけで、光輪祭の数合わせにされた存在。

「僕は知っていたんだ。ヨウみたいにはなれないって。誰かに必要とされる人間にはなれないって」

「でも、サイだって、国じゃエリートだったんだろう? だから、国の代表として、ローゼンティーナに来たんだろう?」

「此処に集まるのは、みんなエリートなんだ。国じゃ神童や天才と呼ばれた人たちばかりなんだ。みんなの中じゃ、僕はタダの凡人なんだ。実技はからきしダメだし、座学は得意だけど、だからって、人より抜きに出てるわけじゃない」

 「ヨウ、君とは違うんだ」と、サイは小さく呟く。

 ヨウは今日一番大きな溜息をつき、サイの横に並ぶ。眼前に、ブルーレイクが見えてきた。夕日を反射して輝く湖面は、ハチミツのようだった。

「俺だってサイと同じだよ」

「え?」

 今度は、ヨウがサイを伴って歩く。

「サイはどう思っているか知らないけど、俺だって才能がある方じゃないよ」

 湖畔に立ったヨウは大きく伸びをして、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。脱力したヨウは、目を丸くしているサイを見て笑った。

「ウソだって顔してるけど、本当なんだよ」

「だって、ヨウはソフィアを持っていなくても、あれほど強いじゃないか。魔法だって使えるし」

「それはそうだよ。俺は小さい頃から、ジンオウに鍛えられてきた。それも、四六時中。正直、人間としてどうかとは思うけど、ジンオウの教え方は上手だったよ。俺が他の生徒よりも格闘術や魔法ですぐれているのは、誰よりも前から学んでいたからなんだよ」

 正直な気持ちだった。魔法では由羽に勝てず、剣技ではレアルにも負ける。ジンオウからは、才能が無いと毎日のように溜息交じりに言われた物だ。

「ヨウは努力の人だったんだ」

「そんな風に見えない?」

「なんだか、全部のことを飄々とやるようで、みんな天才だと思っているよ」

「それは、意外な評価だよ」

 正直嬉しかった。今まで、ヨウはジンオウの評価しか受けてこなかった。他の者の評価を受けたことがなかったヨウにとって、サイの賛辞は初めてと言って良かった。アリエールも、シノも、ヨウを心配するばかりで評価は二の次三の次だからだ。

「俺からすれば、サイはまだまだ伸びしろがあると思う。まあ、戦闘のほうはダメだとしても、座学はかなりの物を持っていると思う。実際、俺はいつもサイに助けられているし」

「誰でもできる範囲だよ」

「そうか? 好き嫌い無く、いつもフラットな意見を出せるサイは凄いと思うよ」

「フラット?」

 不思議そうに小首を傾げるサイ。その様子を見ると、まるで少女のようだ。闘争心のない表情は、それだけでこのローゼンティーナには相応しくないように思える。

「ローゼンティーナは、寮同士の絆が強いし、仲間意識が良い方向にも悪い方向にも作用する。人によっては、人間ではなく寮が違うってだけで毛嫌いする人がいる」

「…………まあね。入学初日に、ヨウに絡んだゼノンは、その典型だしね」

「でもさ、サイはそんなことしないだろう? 俺にとっては、偏見のないサイの意見や話が、とても助かるんだよ」

「アリティア先輩も、僕と同じかもだけどね」

「あの人は、自分にしか興味が無いだけだよ。俺のことだって、ただの暇つぶし程度にしか思っていないよ」

 ヨウの言葉に、サイは笑った。

「だからさ、アリティア先輩の言葉は気にしない方が良い。あの人は、さっき言ったことも、明日には忘れてるような人だろうからさ」

 「気にするだけ馬鹿を見る」ヨウは諭すように言った。サイは一文字に結んだ口の端を僅かに上げ、小さく頷いた。

「ごめん、ヨウ。僕は、足を引っ張るかも知れないけどさ、できるだけ頑張るよ。考えてみたら、こんな経験なんて、ローゼンティーナに在籍していたって経験できる生徒はほんの一握りなんだからさ」

「謝る必要なんて無いよ。あの中にいたら、俺だってその他大勢の一人なんだし。生身の体で、出来る事をやるだけさ」

 ヨウはサイに向き直って、サイに左手を差し出した。サイは屈託のない笑顔を浮かべ、ヨウの手を握り返した。


 ヨウ!


 その時、不意に声が掛けられた。声の方を見ると、そこにはメルメルが驚いた表情で立っていた。

「メルメル……」

 夕日を背に立つメルメルを見て、ヨウは目を細めた。

「その様子じゃ手は、順調そうね」

 心配そうに両手を胸に当てたメルメルはヨウの右手を見て、安堵の溜息を漏らした。

「すぐに動かせるようになる。二週間後の光輪祭には、バッチリ出場できるって」

「そう、良かったわ。私にも、ほんの少しだけど、骨折の責任があるわけだし」

「メルメルは関係ないよ。それは、みんな分かっていることだから」

「だと良いんだけど……」

 昨日のことを思い出しているのだろう。メルメルの表情にサッと影が陰る。

「あの……」

 サイは困惑したように、ヨウとメルメルを交互に見つめていた。

「ああ、こっちはメルメルだ」

 ヨウはメルメルを指して紹介をする。メルメルは「初めまして」と頭を下げると、サイを見て目を細めた。

「えっと、君は……、確か、サイクロフォン君よね?」

「はい! メルシェルさんは、僕のことご存じなんですか?」

 嬉しそうにサイは顔をほころばせる。メルメルは「もちろん」と言うと、ニコリと優しく微笑んだ。

「君、ヨウと同じグループでしょう? 光輪祭に出る生徒は、皆優秀だから、私もチェックしているのよ。昨日の光輪祭も見たけど、頑張ってたわよね。座学は余り関係が無かったから、結果は残念だったけど」

「はい! 次も頑張ります!」

「表だって応援は出来ないけど、影ながら応援しているわ」

 メルメルは拳を握った。

「頑張ろうね! ヨウ!」

「ん? ああ。サイは、メルメルの事を知っているのか?」

 ヨウの何気ない質問に、サイはカッと目を見開いた。

「当然だよ! メルシェルさんは、若干一九歳で、ローゼンティーナ在学中であるにも関わらず、研究員として働いているんだよ!」

 言われてみればそうだ。昨日は、学生が出入りして良い時間ではないのに、メルメルは研究棟にいた。

「働いているって言っても、見習い。アルバイトみたいなものだけどね」

 メルメルはヨウを見て肩をすくめた。

「それで、メルシェルさんは、ヨウの骨折の理由を知っているみたいだけど」

 言われ、メルメルは凍り付いたように表情を強ばらせた。それは、ヨウモ同じだった。呼吸を止め、メルメルを見つめる。

「その手の理由、ヨウからは何も聞いていないの?」

 眼鏡の奥の瞳が不安定に揺れる。こちらに注がれる視線は、明らかに助けを求めていた。

「ヨウは何も教えてくれないんだよ。アリティア先輩は何か知っているみたいだったけど、答えてくれないし」

「ああ~……、えっと……、それは……、やっぱり私の口からは言い難いことだから、ヨウから聞いて!」

 メルメルとしても、自分の口からは言えないだろう。それは、ヨウも同じだった。アリティアは事情を知っているが、関わりたくないらしく、骨折した右手を一瞥しただけで、理由を聞くことはしなかった。

「昨日の夜、街の方でちょっとトラブルがあってさ。みんなには、心配掛けたくないから言わなかったんだよ。そこで、メルメルトは知り合ったんだ」

 本当は、入学前日にこの湖で会っているが、アレはお互いにとって忘れたい出来事だった。

「トラブルって、もしかして、他の寮と?」

「大丈夫。アリエールもシノも知っているから。何も問題は無いよ」

 寮から見れば、研究棟は街の中心部で何も間違ってはいない。それに、そう言っておけば、想像できるのは他寮とのトラブルだろう。小さないざこざがあって、ヨウが骨折をした。その場にメルメルが居合わせた。そう思うのが、普通の感覚だ。

「ええ、ちょっと私達トラブルに巻き込まれちゃって……。大丈夫よ、学園長も副学園長も知っているから。ヨウも私も、多分お咎めなしだし……」

「だから、誰にも罰則はないよ。メルメルは被害者なんだしね」

 まだ心配しているメルメルを、ヨウは元気づけるように言った。

「で、どうして此処に?」

 ヨウは話を変えた。サイの話通りなら、メルメルは此処にいるほど暇人ではないはずだ。

「私ね、入学したときからここの景色が好きなの。だから、何かあると、気分転換にはここに来て、ぼんやりと時間を潰すの。夕焼けの湖がとても綺麗なのよ」

 メルメルは眼鏡を取ると、裸眼で湖を見つめた。眼鏡を外して穏やかな表情を浮かべるメルメルは、年齢以上に幼く見えた。ヨウはメルメルの顔から、湖の方へ視線を移したが、サイはぼんやりとメルメルを見つめている。彼の顔が赤いのは、夕日のせいだけではないだろう。

「さて、休憩終わり。私はまた研究棟に戻るわ。二人はどうするの? まだ、ここで湖を見ているの?」

 メルメルは空を見上げた。夕日は落ちかけており、ブルーレイクも徐々に闇色に染まり始めていた。

「いや、僕たちも帰るよ、ね?」

 サイの言葉に、ヨウは頷いた。

「寮に戻るよ。俺も、こうして居るほど暇じゃないからな」

「暇じゃないって、まさか、変な事を考えてないわよね?」

 眼鏡をかけ直したメルメルは、探るような眼差しをヨウに注ぐ。ヨウは鼻で笑うと、その視線を躱した。

「光輪祭の準備だよ。右手がダメでも、できる練習はあるから」

「そう、ならいいけど。サイ、お願いだからヨウを見ていてね。この子、危なっかしいから」

「は、ハイ!」

 驚くほど大きな声で答えたサイは、ニコニコ笑うと先頭に立って歩き出した。ヨウは元気になったサイにホッと胸を撫で下ろしながらも、光輪祭の事を考えていた。実際、魔神機の事はヨウがこれ以上考えても仕方のない事だ。今のヨウに出来る事は、学生生活を満喫すること。つまり、光輪祭でいかにして勝つかだ。御剱もない、ソフィアもない、生身のヨウが出来ることは限られているが、それでも、勝機は必ずあるはずだ。



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