683文字の世界「夏目と月」
「月が綺麗ですね」
唐突の言葉に思わず立ち止まる。
よもや飲み会の帰り道、ムードもへったくれもない繁華街のど真ん中で言われるとは思わなかった。
その上相手は端正な顔立ちの色白美人。私が密かに思いを寄せるその人でもあった。
「嬉しい」
そう返すのがやっとだった。
これからなんて言ったらいいんだろうか。すぐそこの角を曲がればホテル街に通じているのですけれど? いやいやさすがにそんなこと言えないし何考えてんだ私ってば、きゃあどうしよう顔赤いってほんとどうし「加藤さん、なにをにやにやしてるの?」
私ははっとして、すぐに顔を引き締めた。
「なんでもありません」
「そう? ならいいけど」
「夏目さんこそ、顔真っ赤ですよ。大丈夫ですか?」
「へいきー」
「……酔ってますね」
「んふふ」
夏目さんは酔いの回った目でふわりと笑った。
こっそりとため息を吐く。
どうせさっきの台詞も、本当に月を賞賛する意味で言ったのだろう。
名前は夏目のくせに、罪作りな人だ。
勘違いした私も私だ。酔っぱらいの頭の中はお花畑が過ぎて困る。
「そんなんじゃタクシーに乗せてもらえませんよ。この近くにホテルがありますから、少し休憩しましょう」
夏目さんの大きな目がぱっちりと開かれる。
私は誤解を与える言い方をしたことにようやく気が付いた。
「いやあの、すみません、いくら酔っぱらいの女同士だからってさすがに嫌ですよね、ごめんなさい」
その手のホテルに入ろうとしたことへの訂正が追いつかないあたり、私も酔いが回っている。
「嫌じゃないよ」
「え?」
汗ばむほどに熱くなっていた私の手を、夏目さんが握った。
「月が、綺麗ですね」
それはとても、熱い手だった。
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