〔スターエンジェル〕 砂の魔王

山本弘

第1話

 民間スぺース・サービス・チーム〈スターエンジェルズ〉の今回の仕事は、砂漠の惑星のモグラ退治だった



 二〇〇トン以上ある大型サンド・クローラーだ。それが大きく横に傾き、砂の海に沈もうとしている。片側の二列二八個のバルーンタイヤが、空しく砂を舞い上げる。すでに傾斜は三〇度を越えており、甲板デッキ上の小型ヘリ・ローダーがずるずると滑ってゆくのが哀れだ。荷役用クレーンのブームが、自らの重量に耐えかねてぐるりと半回転する。地上一五メートルのブリッジの窓の中では、人影が右往左往しているのが見える。撮影者もひどく動揺しているらしく、画面は時おり激しくぶれた。

 画面は別の角度からのズームに切り替わった。鋼鉄の巨体の横腹の小さなドアが開き、一人の男がラダーを降りてくる。最下段でしばらくためらっていたようだが、思いきって二メートルほど下の地面に飛び下りた。

 男の体は腰まで砂にめりこんだ。必死に脱出しようとするのだが、もがけばもがくほど深みに引きずりこまれていくようだ。悲痛な表情で何か喚いているが、聞こえない。

『この男は救助されました。幸い、このケースでは死傷者は一人も出ませんでした』

 動画は唐突に終わり、スクリーンには青い作業服姿の体格のいい男が現われた。グリマルディ建設のベルシャザール開発計画主任、ハーシー・コリンだ。

『この四週間に、同様の事件はすでに八件も起きており、直接の物的損害は九〇〇万スターラー以上、死者は七名にのぼっています』

 彼の説明に合わせて、スクリーンの右下隅に、無残な事故現場の写真が次々にカットインする。砂に埋もれたバギー。傾いたガントリー。崩れ落ちたプラットホーム。砂の中から突き出た人間の手……。

『最初のうち、地質学的現象ではないかと考えました。砂の層の下に未知の地下水脈があって、それが生きもののように動き回るために、流砂現象クイックサンドが発生するのではないかと。しかし、いくら音波やペネトロスキャナーで探査しても、そのような水脈は見つかりませんし、シミユレーションの結果も否定的です。何十メートルもの厚さの砂が、急に抵抗を失って水のようにさらさらになるなど、どう考えても起こり得ない現象です──自然界では』

「つまり人為的な妨害だと?」

 船長キャプテン用のスペシャルGシートにゆったりと収まったマザー・リズベスは、いつもと変わらぬ無感動な口調で言った。外見は三〇歳ぐらい。気味悪いほど長いプラチナブロンドの髪や、花嫁衣裳のような純白のドレスの端に、青白いホログラム・ハロが鬼火のように燃えている。

『不審な超低周波が検知されていますが、それ以外に確かな証拠があるわけではありません。すでに工期は遅れに遅れています。あと二度か三度、同じような事故が起これば、契約の履行は不可能になり、我が社は莫大な利益と社会的信用を失うことになるでしょう。インスペクター(星間特殊犯罪条約機構)が重い腰を上げるのを待っているわけにはいかんのです』

「おおよその事情は分かりました。一五分ほどお待ち下さい。引き受けるかどうか協議しますので」

『頼みます』

 コリンの顔が消え、スクリーンは空白になった。

「さて」リズベスはブリッジを見渡した。「何か意見は?」

〈スターエンジェルズ〉の母船、二〇万トン級の老朽貨物船〈アラニアーニーⅡ〉のブリッジは、小さな劇場ほどの広さがある。ブリッジというイメージからかけ離れた倉庫のような空間で、床や壁面は旧式のメーター類や警告灯、寿命の切れかけたモニター等でごたごたと埋められ、その合間を縫って、むき出しの換気ダクトや配線管コンジットが這い回っている。モニターのいくつかは、前方一〇キロの軌道上に浮かぶグリマルディ建設の仮設ステーンョン〈オービッツシャク5〉の、途方もなく巨大な節足動物を思わせる異形を映し出していた。

 ブリッジの奥の壁からは、五本の水圧アームが突き出ており、そのうち一本にはリズベス専用のホロ・プロジェクターが、他の四本の先端には本物のGシートがぶら下がっていて、クルーたちは思い思いの姿勢で寛いでいた。

「いい仕事じゃない?」

 レバーやスティックが入り組んだパイロット用Gシートの上に漂いながら、アルビレオ・シェドはさっきからスラックスの裾に忍ばせた愛用の振動ナイフの位置を、あれこれいじっていた。ボーイッシュな髪形の、中近東系の娘である。

「先方はだいぶ焦ってるみたいだし、少しばかりギャラふっかけたって、文句は言わないと思うよ。この星系には、この手の仕事のキャリアがあるサービスは、他にいないんでしょ?」

「そうね。シービィは?」

 リズベスは頭上をゆっくりと移動してゆくアームに声をかけた。メンテナンスマンのシービイ(形式番号CB110N7)は、環境系のモニターのチェックに余念がない。彼女の席はGシートとは名ばかりの、スクーターのような代物で、加速時には生身の人間は五分と座っていられないだろう。すらりとした長身にぴったり合った、白いプラスチックのオーバーオールに、サンバイザーからはみ出たライトグリーンの髪が映えている。

「二五万、プラス必要経費というのが、妥当な線じゃないでしょうか。もちろん、経費はちょっぴり水増しして。うまくいったら、念願の五番エンジンのオーバーホールができます」

「エンジンも大事だろうけど、バスルームのボイラー、早く直してよね」

 オペレーター席のユッカ・クオンジが愚痴った。彼女はこうしたミーティングの時、いつも熱心にメモを取っている。一日も早く一人前のスペースマンになるためよ、と本人は言うが、役に立ったためしはない。

 マンガのプリントが入ったロンパースに、係留フック付きのゼロGサンダル。リボンで束ねたチョコレート色の髪。まだ子供じみた体形。ユッカは十六歳である。

「ここんとこ毎日、水風呂だもん。おかげで風邪ぎみ」

「お湯が要るなら、加速が終わってすぐに、エンジンブロックの循環ポンプ室にいらっしゃい。沸騰寸前の冷却水が何万リッターも余ってるから」

「うぐぐ……何というデリカシーの無さ!」

「誰にデリカシーを期待してるの?」

「シービイ、ボイラーの修理を優先なさい」リズベスが優しく割って入った。「クルーの生活環境の整備もメンテナンスマンの役目でしょ? それに、今は仕事の話」

「はい」

「でもさあ、敵の正体も分からないのに、どうやってやっつけるの?」

 それまでエメラルド色の大蛇の姿でナビゲーター席にからみついていたミユが、ふいっと金髪の少女の姿に戻った。けだるそうな物腰で背もたれにしなだれかかる。天使のあどけなさと悪魔の冷酷さの奇妙な調和だ。

「敵の正体は見当がついています」リズベスが言った。「潜砂艇サブデザートを使っているのでしょう」

「潜砂艇? 砂みたいな抵抗の大きいものの中で動けるの?」

「三〇年前にワディ・ハルファの純血戦争で使われた兵器よ」シービイは船のライブラリーとリンクし、関連情報を素早く検索して、概念図を正面スクリーンに投影した。「船体そのものが大きな共鳴管になっていて、強力な超低周波振動を発振する。ぎっしりと詰まった砂が振動しようとすると、砂粒どうしの間隔がわずかに広がって、摩擦が極端に小さくなるって原理。まあ珍兵器の部類でしょうね。実際、行動範囲が限られてるんで、たいして役には立たなかったらしい」

「なるほどね。つじつまは合うな」

「だけど、準備期間がないんでしょ?」とユッカ。「手持ちの道具でやれる当てあるの?」

 アルビレオはふっと顔を上げ、にんまりと笑った。「当てがなかったら、引き受けたりしないよね?」

 リズベスも微笑んだ。「そういうことね」


 惑星ベルジャザール。辺境の星。かつてはここにも豊かな自然が栄えていた。野獣の咆哮や鳥の羽音、草のささやきが満ちていた。五億年も前の話だ。

 FO型の母恒星ナボニドスが主系列を離れ、ヘルツシュプリング=ラッセル図の上を漂い出すにつれて、気候は苛酷なものになっていった。海は高濃度の塩とナトロンのスープと化し、砂は容赦なく草原や森を浸蝕した。生態系は破綻し、栄華を極めていた多種多様な動植物は、微生物とみすぼらしい地衣類を残して絶滅してしまった。

 だが、彼らは後世に貴重な遺産を遺した。石油である。燃料として使われることがなくなって四世紀以上経つが、今でも各種の化学物質の原料として大きな価値があるのだ。他の鉱物資源と違い、どこの惑星でも産出するというものではない。

 現在建設中の石油採掘プラントは、ほんの足がかりにすぎない。第二期、第三期の建設計画はさらに大規模なものになる予定だし、いずれは石油化学基地も造られるだろう。そこに働く人々のための町も、並行して拡大・充実してゆくはずだ。当然、そうした裏では莫大な金が動く。グリマルディの足許をすくおうと企む連中が、どんな汚い手を使ってきたとしても、不思議はない。

『ねえー、まだ報告ないのー?』

 ユッカがしつこく訊ねてきた。

「ないわよ」シービイはそっけなく答える。「いい加減になさい。必要もないのに無線は使っちゃだめって言ったでしょ? いくら周波数変調器スクランブラーかけてるからって、傍受されたらどうするの?」

『ほんとに敵さん、今日中に現われるんでしょうね?』

「これまでの攻撃パターンを1/f関数に当てはめると、一〇時間以内に次の攻撃がある確率は、八〇パーセント強よ」

『一〇時間! うヘェー、こんな狭いコクピットにあと一〇時間も……』

飛行前点検プリフライト・チェックは済ませた?」

『二回もやった』

「トイレは?」

『さっき行った』

「じゃ、お勉強でもしてなさい。宙理学のカリキュラムが残ってたでしょ」

 シービイは一方的に通信を切った。

「ほんとにあの二人だけで大丈夫?」

 航法コンソールの上にだらしなく足を投げ出して、アルビレオは言った。

「マザーが経験を積むいい機会だって」

〈リプリー〉のパイロット席に座り、シービィは自分の腹を開いて小型タービンを取り出し、羽根ブレードをこまめに掃除していた。発電機が停止している間、電源は手近のパネルから借りている。

「ユッカは〈ブリュンヒルデ〉の扱いには慣れてる。それに、いざとなったら私たちがサポートすればいいんだし──ちょいと、それやめてよ」

「何?」

「足よ、足」

「ああ」アルビレオはのんびりした動作で、足をコンソールから下ろした。「悪かった」にやにや笑って、「やっぱり同族が踏みつけにされてると気になるわけ?」

 シービィは肩をすくめた。「パネルが壊れでもしたら、修理するのはどうせ私だもの」

 アルビレオはこみ上げてくる笑いを押し殺した。「あんたって、ほんと……面白いわ。人間的で」

「それ、皮肉と解釈していいの?」

「どうかなぁ。最近、あんたのこと、好きになってきたみたい」

「迷惑よ」

 くつくつと笑いながら、アルビレオは窓の外の風景に目を移した。

 恒星ナボニドスは西の空に大きく傾いていた。自転速度の極端に遅いこの惑星の、長い一日が終わろうとしている。地平線の彼方まで広がる壮大な砂の海は、まばゆい白から穏やかなベージュ色、さらに燃えるようなオレンジイエローヘと、ひそやかに装いを変えつつある。何億年もの間、観る者とてなく繰り返されてきた大自然のショーだ。

 新しい詩の構想が浮かびかけた。だがシービイの手前、メモ帳を尻ポケットから取り出すわけにはいかない。詩なんて書いていることを知られて以来、シービイには頻繁にからかわれている。

 つかのまの静かで退屈な時間、アルビレオは温かいセラミックガラスに額を当て、がらくたじみた単語を頭の中で転がしていた。

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