第2話

「あーっもう、出るんなら早く出りゃいいのにいっ!」

 多用途攻撃機〈ブリュンヒルデ〉の窮屈なコクピットの中で、ユッカは大きく伸びをした。指がキャノピーの断熱内装材に突き当たる。

「そんなにイライラしてたら、いざという時しくじるよ」

 後ろのナビゲーター席で、潜砂艇に関するデータを収めた記憶ボルトを走査していたミユが、愛想のない口調で言った。

「だってねえ、初めて任された大仕事なのよ。早いとこ片づけて、マザーにいいとこ見せたい」

「だからって、そんなに気を張ることないよ。気楽に行きましょ。お遊びよ、お遊び」

「お遊びって……」ユッカは憮然となった。

「ほら、この資料によれば、潜砂艇ってのはみんな無人メカだそうよ。超低周波振動に生身の人間は耐えられないんだって」

「つまり?」

「あなたの嫌いな人殺しをしないで済むってことよ、今回は」

「ふーん? そういうあんたは、血が見られないんで残念なんでしょ?」

「まあねー」

「あーやだやだ。そんなに血が好き?」

「おいしいものが嫌いな人がいる?」

「うー、そう言えばお腹すいたな。腹ごしらえでもするか」

 ユッカは座席の下にあったサバイバル・キットから、非常用レーションを取り出した。アンチョビピラフ(と称するもの)のパックに蒸溜水を注ぎ、熱解除コードを引き抜く。アルカリ金属の化学反応で温まるのを待つ間、秒速冷却チューブに入ったキウィ味コーヒーフロート(と称するもの)をすする。

「あら? ごめん、ミユ。あなたの分、入れ忘れてるわ」

 ミユ専用の非常食である粉末血漿が、キットの中に入っていない。この前のフライトの時に使ってしまったのだろう。

「お腹すいたなあ」ミユがぽつりと呟いた。

「はは、冗談よしてよ、ミユ」

「冗談じゃない。ほんとにお腹すいてきた」

 ユッカの笑頻がひきつった。「あ……あの、そんなにひどくはすいてないんでしょ? まだ二時間やそこらは、我慢できるよ……ね?」

 ミユは首をいたずらっぽく傾げ、曖昧に微笑んだ。「アミティア族には“我慢”なんて言葉はないの、知ってるくせに」

 ミユの下半身が変形しはじめた。ミミズを思わせる十数本の長い触手になり、ものうげにのたくりながら、パイロット席のユッカにまとわりついてゆく。

「タイム! タイム! 待って、ミユ!」

「待ったなし!」

「ひゃははは! ちょ、ちょっとくすぐったい! やめて!」

 その時、通信機のブザーが短く鳴り、左サイドのモニターにシービイの顔が映った。周波数変調器が完全にシンクロしていないため、ノイズが入っている。

『地質学探査班から知らせがあったわ。西南西の方向に低周波振動をキャッチ。距離は約八キロ』

「待ってましたーっ!」

 安堵のあまり、ユッカは大声を張り上げた。解放されたはつらつとした動作で、核動力エンジンを始動する。回転数が上がるまでのわずかな間に、温まりかけたピラフのパックを右側パネルのキャビネットに放りこみ、ヘルメットを被り、通信線を接続し、ハーネスを締める。タコメーターの針はぐんぐん回り、力強い唸りがコクピットを満たす。

「八〇〇〇、九〇〇〇、一万一〇〇〇……BIT異状なし。CC、タカン、レーダー、VSD、すべて正常。進路クリヤー……夕食はおあずけよ、ミユ――GO!」

 リフトエンジンのスロットルを乱暴に押し出すと、〈ブリュンヒルデ〉はびっくりしたように飛び上がった。プラットホームの上に薄く積もった砂塵が、ぱっと舞い上がる。

 メインエンジンがひときわ高く咆哮した。空中に架かった見えない軌道の上を走るように、〈ブリュンヒルデ〉は滑り出す。翼のないシャーブなくさび形のメタリックブルーの機体は、大気圏外での活動を主として設計されたものだが、大気中でも充分な性能を発揮できる。今回は機体側面に多連装ロケット・ランチャーを装備していた。

 不毛の大地にいじましくしがみつく地衣類を思わせる、建設途中の石油採掘プラントの上を飛び越え、〈ブリュンヒルデ〉は夕陽の方向に向かった。


 目標地点の手前で、ユッカたちは建設チームの探査ヘリと合流した。数日前から、三機のヘリが交代で建設現場の周囲をパトロールしているのだ。

『コリンさんから協力しろと言われました』ヘルメット内蔵スピーカーから実直そうな若い男の声が飛びこんできた。『何したらいいでしょう?』

 ユッカは心の中で舌打ちした。(ありがた迷惑なのよねー)

「そちらに“クレア”いますか?」

『は?』

透視能力者クレアボイアントです」

『えーと、地質学班に強いのが一人いますが、この前の事故で脚を折って寝ています。呼びましょうか?』

 自分の身の危険も予知できないようでは、たいしたエスパーではない。

「いえ、かまいません。こちらにもいますから」

 地表すれすれを、派手な砂煙を舞い上げながら、〈ブリュンヒルデ〉は探査ヘリを追い抜いていった。

「このあたりの筈よ。ミユ、センサー準備して」

「OK。いつでもどうぞ」

「ようし、一番投下用意……はいっ!」

 大きく弧を描きながら、〈ブリュンヒルデ〉は三基の低周波センサーを次々に投下した。昨夜のうちにシービイがジャンク・パーツを寄せ集め、でっち上げたに物だ。

「二番、反応ない。故障みたい」

「他の二つは?」

「一番が強く反応してる──すごく強い」

「わかった。スキャナーに注意してて」

 ユッカは機をターンさせ、一番のセンサーを落としたあたりに引き返した。ミユは物質透過ペネトロスキャナーの青白い輝きに油断なく目を配っている。地層の密度不連続面を強調したブラシのような粗っぽい波形は、砂丘をひとつ飛び越すごとに、大きくゆらめいた。

 ユッカはセンサーの周囲を何度も旋回した。

「見えないなぁ」とミユ。「まだセンサーには捉えてるけど」

「このあたりの筈よ。首筋にむずむず来るもの」とユッカ。「少していねいに調べてみましょ」

 ユッカは見当をつけたあたりに〈ブリュンヒルデ〉をホバリングさせ、前後左右に振り子のように大きく揺らしはじめた。直径二〇〇メートルほどの範囲を、リフトエンジンの噴射で掃き清めてゆく。すさまじい砂塵だ。

 探査ヘリが追いついてきた。『何か手伝うことは──』

「下がっててくださーい」ユッカは投げやりな口調で言った。「精神集中の邪魔になりますので」

 探査ヘリは何かぶつぶつ言いながら後退した。

「いた!」

 ミユが叫んだ。スキャナーの波形が鋭く跳ね上がったのだ。ミューオン・インパルスが高密度の物体に突き当たったのである。

「うん、あたしも感じた。肉眼で何か見えない?」

「ちょっと待って。地上には何もそれらしいものは──あ、見える見える。ほら、二時の方向の小さな砂丘」

 ユッカは操縦桿を引き戻しながら、機外カメラのモニターに目をやった。もうもうと湧きかえる砂塵の向こうに、丘とすら呼べないような、小さな砂の盛り上がりが見える。それがゆっくりと崩れてゆくのだ。いや、“溶け去る”という表現のほうが適切か。見る見る傾斜がゆるやかになってゆき、ついには平らになってしまった。断じて〈ブリュンヒルデ〉の噴射で吹き消されたのではない。

「なるほどねー。注意してないと見過ごしてたな」

「移動してるようよ。どうする?」

「もち、攻撃」

 ユッカは〈ブリュンヒルデ〉を敵の前方に回りこませた。潜砂艇の移動速度は人間の駆け足ぐらいらしい。ミユはロケット弾のセーフティを解除し、ディスプレイを照準モードに切り換えた。画面中央に白いリファレンス・サークルが現われる。

「敵の少し前を狙うのよ」

「分かってる。もう少し後退して──もう少し──はい、お世話さま」

 ミユはトリガーを引いた。機体左右から、続けざまに四発のロケットが打ち上がる。誘導装置もシーカーも何もない、ただ放物線描いて飛ぶだけの代物だ。固体燃料を減らして、射程を短くしてある。

 おもちゃっぽい白煙を曳いて、ロケット弾は次々と砂に突き刺さった。瞬発信管ではないので、即座には爆発しない。

「少しそれたかな?」とミユ。

「いえ、あんなものよ──ほら、右端のやつが沈んだ」

 砂の表面に杭のように突き立っていたロケットのひとつが、すっと姿を消した。続いて、その隣りのも。

「うまくいったぞ」

 ユッカはしたり顔で〈ブリュンヒルデ〉を後退させた。

 ロケット弾が消えたあたりで、地面がドーム状に跳ね上がった。まるで誰かが地面の裏からハンマーで叩いたようだ。一瞬遅れて、くぐもった雷鳴が轟き、砂塵が噴水のように噴き上がる。磁気信管が反応したのだ。

「やったーっ! 見たか、実力!」

「いえ、死んでないわ。まだセンサーが反応してる」

「ええ!? やだなあ、一発で決めたかったのに──ようし、とどめだ」

〈ブリュンヒルデ〉は再度、敵に接近した。スキャナーと砂の表面の動きで敵の位置を確認し、その行く手を塞ぐように、数発のロケット弾を射ちこむ。そのうちの一本が砂に飲みこまれたのを見計って、再び後退──またも爆発。

「まだ生きてる」

「くーっ、しぶとい!」

 ユッカは攻撃を繰り返した。超低周波振動によって流体化した砂は、貪欲な生きもののように、ばらまかれたロケット弾を次々に飲みこんでゆく。そのうちの何本かは、確実に潜砂艇に反応して爆発する。安物とは言え、小型戦車の装甲をぶち抜くぐらいの威力はあるはずなのだが。

 潜砂艇が反撃を開始した。砂の表面にブイのようなものが浮かび上がって来たかと思うと、先端部から三本の寸詰まりのミサイルが分離し、三方に飛び出した。ネズミ花火のように、でたらめな弧を描いて飛び回り、次々に爆発する。

「わーお! やるじゃないの!」ミユがはしゃぐ。

「何の! 当たるもんですか」

 ユッカは確信をこめて言った。潜砂艇もペネトロスキャナーを備えているだろうが、地中から空中を飛び回る物体を捕捉するのは、まず不可能に近い筈だ。ミサイルのシーカーに期待した確率攻撃だろう。〈ブリュンヒルデ〉の旋回性能に加え、ユッカの予知能力があるから、まず命中する心配はない。

 それからの数分間、ミサイルとロケットの応酬がひとしきり続いた。絡み合う白い航跡か、空中にあえかな花模様を織りなし、間を置いて繰り返す爆発音が、夕暮れの澄んだ大気を震わせる。陽光にきらめくメタリックブルーの機体。舞い上がる砂塵──それは奇妙に緊迫感に欠ける戦闘だった。

 不意に、潜砂艇からの攻撃が止んだ。さらさらと流れていた砂も、ぴたりと静止する。ロケット弾も沈まなくなった。

「低周波が消えた」とミユ。

「やっつけたかな?」

「さあ……やられたふりして、やり過ごすつもりかもよ」

「参ったなぁ。確かめる方法がないか……」

 ユッカは唇を噛んだ。その場でゆっくりと機を旋回させる。敵が低周波を停めている限り、向こうも動けないが、こちらからも手出しできない。ペネトロスキャナーでは解像度が低く、敵の損傷の程度までは判読できない。

「ようし、降りてみよ」

「どうするの?」

「確かめんのよ。放っとくわけにいかないでしょ?」

 ユッカはゆっくりとスロットルを絞り、潜砂艇の沈んでいる位置から少し離れた場所に、〈ブリュンヒルデ〉をそっと着地させた。

 トリムを〈離陸リフトオフ〉の位置に戻し、スロットルを閉じる。砂漠につかのまの静寂が戻った。

「ふう」ユッカはヘルメットを脱ぎ、乱れた髪を整えた。「ミユ、そこの工具箱の中に、針金とビニールパイプが入ってるでしょ。取って」

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