白夜特急

江草 乗(えくさ じょう)

第1話 (旅立ちの理由)







「はじめての海外旅行」と言えばハワイとかグアムとか香港とかにパックツアーで行くのが基本だ。 日本人ばかりのグループで、日本語だけを使って、日常を引きずった旅をしてしまう。それが日本 人だ。そして、ぼったくりの店で買い物をしていかにも「非日常体験」をした気分になるお目出たい 連中がほとんどだ。「人と同じである」ことを嫌う私は、そうした旅をするのは絶対にいやだった。



 しかし、27歳の夏まで、私は飛行機というものに乗ったことがなかった。そんな私が1カ月をこえ る東欧・北欧への旅をふと思い立ったのは今から考えても、自分でもわからない部分が多い。「素敵な夢」を見つけたいというと聞こえはいいが、実態は海外ナンパ旅行だったという説もある。確か に異国の地(ヘルシンキ)で知り合った女性と帰国してから再会してデートしたことは事実だからだ。 その話はいずれ書くとして、今回は旅に至るまでの経緯を書こうと思う。



・・・高校時代の後輩で、東北大学理学部に進んだ女性が、ポーランドやチェコを一人旅した。彼女 から聞かされた東欧の雰囲気はたまらなく面白そうだった。



・・・大学時代の親しい友人の一人が、ヨーロッパを3カ月放浪して帰国した。彼の下宿で多くの写 真を見せてもらった。



・・・沢木耕太郎氏の、「深夜特急」(1・2部)を読んだ。


 実は沢木耕太郎氏には大学の4回生の時に直接対面している。氏は京都大学の学園祭で講演されたのだ。土木総合館というところでその講演会は開催されたのだが、聴衆は少なく、たまたま自分と、同志社大学のSくんという友人が沢木氏の著書を読んでいた関係で聴きに行ったのである。そして当然のことだが、学園祭で講演を聴いたその1982年には、まだ「深夜特急」は出ていなかった。講演の中味が旅の話だったことはよく覚えている。まさかそれが本になって世に出るとは・・・って作家なら当然のことなんだが。



・・・4年間片想いした相手への気持ちを断ち切りたかった。



 この4つの中のどれが最も大きな要素であったのか、私には判然としない。ただ、その年の4月頃 から私は必死でNHKのラジオやTVで英語を聴き通勤時のクルマでそのテープを何度も聴き、車内 で大声で発音練習しヒマがあれば英語の勉強ばかりしていた。その春に担任していた生徒を卒業さ せ、久々にのんびりできそうな夏休みが手に入ることを確信した私にとって、20代最後のチャンス かも知れなかった。



 マップインターナショナルという業者から、大阪←→フランクフルトの格安航空券を買った。SQ(シ ンガポール航空)の南回り便だった。当時の価格で23万くらいだった。今はもっと安いだろう。大韓 航空で19万、パキスタン航空で13万、アエロフロートで17万というのが当時の相場で、SQという 選択はリッチな方だった。



 次に1カ月以上の旅行に必要な外貨を大量に手に入れないといけなかった。そのころは確か1ド ル=140円くらいのレートだったと思う。当時なぜか急に円安が進んでて、住友などの銀行窓口で 両替希望者に対してドルのCASHではなくてCHECKを勧めていたことを思い出す。住友VISAの CHECKだ。そんなマイナ-なものは辺境では通用しない。きっと自分とこのCHECKを売って利益を 出したかったのだろう。あるいはドル高傾向だから、ドルを流出させたくなかったのかな? なんて せこい銀行なんだと私は梅田近くの住友銀行の支店で思った。「外貨両替」という看板を掲げなが ら「ドルがない」だと?舐めとんか、コラ! 住友のアホ。



 結局、淀屋橋の「BANK OF AMERICA」でドルのCASH(小額紙幣)をたくさん手に入れた。これが東欧でい ちばんモノを言うことを知っていたからだ。あとの金は、AMEXのCHECKで持っていった。CHECKは ドルとマルクを用意した。東京銀行のCHECKは、再発行の手続きが面倒くさく、「帰国してから再発行する」などと言われるなどと書いてるのをガイドブックで読んだから考えもしなかった。(もしも現在はサ-ビスが改善されているのなら東京銀行さんごめんなさい。)日本円のCASHもそのまま持っていった。外国でも簡単に両替できると知っていたからだ。(レートは若干不利になるが……)



 旅行の時に一番役立った本は何か……と言われるとこれしかない。ト-マスクックの欧州鉄道時 刻表の最新版である。これは昔鉄道マニアだった自分にとって、徹夜で読んでしまうほど面白いも のだった。ヨ-ロッパにはどんな国際列車が走っているのか、距離と所要時間はどうなっているの か、旅立つ前にほとんど頭に入ってしまった。もう1冊、準備のために「地球の歩き方」というガイド ブックを手に入れた。その中の数少ない情報とガセネタ(笑)に後で悩まされることになるのだが。 少なくとも旅から帰った時は、ぜったいにこれ以上のガイドブックが自分で書けるぜと本気で思った くらいである。「地球の歩き方・完全訂正版」というパロディ本を出せば面白かったかもね。



 とりあえず、ポ-ランドに行くことをメインに据えた。査証の取得は代行業者に依頼した。8000円 ほどかかった。その査証には、ワルシャワでの滞在先のホテルとしてなぜかインタ-コンチネンタ ルと記されていた。ははははははははは。いくら物価が安くてもそんなRICHなところに泊まるわけ がないじゃね-か。そういうふうに申請しないと査証が発行されないということなのだろうか? よくわからないが、まあ、これで手続き上では入国できることになった。あとはどういう具体的方法で入 国するかだ。今思うと、FINAIR(フィンランド航空)とかで、ヘルシンキ経由でワルシャワ入りすれば よかったと思う。



しかし、無謀にも私は、フランクフルトから安売りチケットを探して飛行機でワルシャワ入りすればい いと思っていた。このためフランクフルトで一日ムダにしてしまうのだが……。



 リムジンバスで空港入りし、大阪(伊丹)から成田経由でシンガポ-ル航空機はヨ-ロッパとは逆 方向の南へ向かって飛び立った。機内食はなかなかおいしく、ビ-ルやワインなども飲み放題であ った。ただただ喰いまくる私はいつしかブロイラ-状態になっていた。



機内では「インディ・ジョ-ンズ」が上映されていた。「傘で追われた鳥がいっせいに飛び立って、そ の鳥を巻き込んで飛行機が落ちる」そのシ-ンは鮮明に覚えている。しかし、フランクフルトまでの 30時間をひとことで表現するなら「魔の退屈」だった。だって、隣の席は男だったんだぞ。(笑)

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