悩みのタネ子さん

@ayajun

第1話 僕とタネ子さん

 僕の部屋の隣には、悩みのタネ子さんが住んでいる。


 会社員の人で、恐らく20代半ば。黒髪ロングでやせ形、色白。顔はまあまあの美人だと思う。学生が集うおんぼろアパートに不似合な、というのが、タネ子さんに出会った時の第一印象だった。


「初めまして。となりに越してきたアマガイと言います」

なるべく愛想よく、不快感を持たれないよう気を使ってのあいさつだった。

「初めまして、三波と言います。よろしくね」

彼女はそういうと、にこりと微笑んだ。鈴がなるような、という表現がぴったりと耳に心地いい声をしていた。ドアを閉めるときなんて、ふわりとなんだかわからないが良い香りが僕の鼻をくすぐっていった。


 そう。引っ越してきて初日、あいさつをしたときの印象はとても良かった。

新しい大学生ライフ。アパートのお隣は素敵なお姉さん。こりゃもうなんだかわくわくな毎日が始まるゾ、なんて、思っちゃうじゃないですか。


 ところがどっこい、思いがけず彼女はいろいろと厄介な人物だということが分かって、僕は現実とはこうもしょっぱく塩辛いものだということを身にしみて感じる日々を送ることになったのでした。



「メガネくんメガネくん。お酒、お酒をください」

 夜8時。この時間になると三波花帆さんこと悩みのタネ子さんは僕の部屋へやってくる。もちろん事前のお知らせはない。

「タネ子さん、付き合ってもいない男の部屋にこう毎日来るのはいかがなものかと思いますよ」

 扉を開けると、にっこりほほ笑んだタネ子さんがいた。

「一人より二人が楽しいじゃない。今日はホラ、シュークリームもあるんだよん」

 仕事帰りに買ったというシュークリームの箱をほこらしげに掲げる。

 僕は甘いものが好きなので、この不定期な差し入れにやられてしまう。

「飲まなきゃやってらんないよって、社会人ってなぁてぇへんなのよう」

 つっかけてきたサンダルを僕の玄関に蹴散らすと、ドタドタと慣れた足取りで奥へと向かっていった。

 きれいなおとなりさんがやってきて、一緒にお酒を呑む。こんなシチュエーションは、大学生男子ならもうなんといってもウェルカム!な状態だろうが、僕は深いため息しかでてこなかった。

 なぜなら、花帆さんは根っからのネガティブで、ここから延々悩み相談に見せかけた愚痴と答えのない話が明け方まで続くからだ。それが彼女ががっかり美人で、僕に”悩みのタネ子”というあだ名までつけられてしまった所以だ。


「タネ子さん。もう11時ですよ」

 シャワーをあびて、リビングに戻ると、タネ子さんが化粧も落とさずに寝ていた。シュークリームは食べかけで、いつの間にか僕の本棚から持ち出した漫画が数冊読み散らかしてあった。

なぜかつまみのさきイカが床に散乱している。


 実家にはタネ子さんと歳の変わらない姉がいる。だから女の人のこういうところがあることは知っている。だけど、このありさまを他の人の前でも見せているとしたら、彼女の嫁入りはなかなか難しいことだろう。

「それでいて、お酒が抜けたら落ち込むんだから」

 よっこらせと彼女をテーブルの下から抜き出すと、ぽーんとベッドに放りなげた。

僕は、きれいな人にどきどきしたりはするけれど、正直この年になっても、好きとか付き合うとかが良く変わらない。

だから、今の今まで女性経験はないし、今のところそういった衝動もおこらない。

いいなと思う子とは、男女共に友達になって一緒に遊ぶ。

だけどそれ止まりで、そんな関係に満足もしていた。


 以前タネ子さんがおいて行った拭くだけタイプの化粧落としをとってくると、そっとタネ子さんの顔を撫でた。すやすや眠る姿はなんだか癒されるものがあって、恋とはこういうものなのかなんて感じたりしたけれど、みるみるなくなる眉毛に笑いが止まらなくなって、目覚めたタネ子さんに半殺しにされた。



 そんな日常が、今の僕とタネ子さんの関係だったりする。

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