二、硝子玉、翡翠色
立っているのは森のようだった。
彼女の夢はいつも森で始まった。
リュリが自身のいる位置を確認しようと周りを見回すと、自分の手の届く辺りまでしかはっきりと見えず、それより向こうは霧がかかったかのように、ぼんやりとした色が配置されているだけだった。
心なしか、自身の腕は細くて短くて、木々や草花の背丈はいつもより高い気がして、それらすべてがリュリの心を不安にさせた。
不安になった瞬間、見ている景色の位置が少し高くなり、景色が上下しながら横に動いていく場面に変わった。誰かに抱きかかえられて、運ばれているらしかった。夢の中のリュリは自身を運ぶ人物にしっかとしがみ付いていた。
それが最後の温もりであるかというような、そんな必死さがあると、リュリは感じた。自分自身のことだったが。
「必ず、迎えに行くから……」
黒い髪の少年は木陰にリュリを下ろすと、翠色の瞳から一つだけ涙をこぼした。
滴は、目元のほくろの横を落ちていった。
「ん……」
何の場面なのか全く掴めないまま、リュリは夢から現実へと戻ってきた。
目覚めたのはボーマン邸の柔らかな寝台を思い出させるさまな天蓋の着いた寝台の上だった。
身につけているのもいつもの服ではなくて、何やら薄い素材でできたワンピースのようだ。
リュリは一瞬、ここがボーマン邸なのかと勘違いをしそうになったが、その体を起して部屋を見回し、そうではないことを悟った。
そして、眠ってしまう前の記憶がすっかり抜け落ちてしまっていることに気付き、重たい頭で何とか思い出そうとした。
「お兄さん――ルロイくんと、カラスさんとお家について、それから……」
ルロイを大樹の麓に待たせたのは、彼の妹弟たちに乾燥したばかりのハーブティーを持たせるつもりだったからだ。
そう、彼に待っていてもらうよう声をかけて、リュリは梯子を登り自宅へと向かった。
白カラスは自宅までともにやってきた。
彼は苛立っていて、リュリが自宅に入るとずっとしゃべっていた。
「この一週間、人間のところに居たのじゃろう、なぜそんなことをした?」
「わたしの勝手だもん」
「勝手にすることは許されんぞ。お前の敵に見つかったりしたら困るんじゃ!」
「困る、困るって、わたしは困らないもん」
「わしはな、お前を心配して――」
しつこく問い詰めてきたり怒ったり、そうだとおもうと心配していると繰り返す白カラスに、さすがのリュリもいらいらしてしまった。
リュリは限界が来るまで自身の中に不満をため込むタイプだった。
そのことについて彼女は知らなかったのだが、たった今、その限界が訪れたのだった。
「わたしだって、普通の女の子だよ! 妖精みたいに、隠れて住むのにも飽きちゃったの!」
「お前は狙われているんじゃ! なぜ、もっと自覚せん?」
「そんなこと言われたって、自覚も実感も何もないよ! カラスさんはそう言うけど、一体、誰が私を狙ってるの? わからないもん!」
それは、白カラスとリュリの初めての喧嘩だった。
〈孤児院事件〉からの五年間、リュリは自身の生活に対し助言をくれ、話し相手にもなってくれる彼に大層感謝をしていた。しかし、年を重ねるごとに、白カラスの言うことばかりを聞いているだけの生活に疑問を感じるのも確かだった。
そんな矢先にアルフレッドと出会ったのだ。
狩人の申し出は、リュリにとって救いの手そのものだった。
「じゃあ、僕と一緒に行こう。そんな老いぼれなんか放っておいて」
リュリと白カラスの言葉の応酬に、割り込んできたテノールがあった。
一人と一羽が首を回してその声がどこからやってきたのか探すと、窓辺に黒いカラスがとまり、一つ首をかしげた。
すると、黒いカラスはその存在を膨らませて、仮面をつけた人間の男性の姿に変わった。
その様子をみて、白カラスが声を荒げた。その声はリュリの聞いたことのないような低く、響きのある声だった。
「貴様か! リュリを狙っていたのは!」
「狙うなんて、とんでもない。僕は家族を取り戻しに来ただけですよ。先生こそ、死に損ないにして、その姿ですか。今の僕には歯が立たないんじゃないんですか?」
仮面の男は、羽毛を逆立たせて怒りにうち震える白いカラスをその指一つですっかり動けなくしてしまうと、左腕を大きく使って窓から白カラスを投げ捨ててしまった。
リュリはあまりの出来事に、どうすればいいかの判断がすっかりつかなくなって硬直していることしかできなかった。
仮面の男が、マントをふわりと翻してリュリに近づいてきても、後退りすらできなかった。
目の前で何が起こっているのか、整理している矢先だったから。
彼は音もなくリュリの目前にやってくると、手袋を脱ぎすて、その両手でリュリの顔を愛おしそうに包み込んだ。
「リュリ、僕と行こう。幸せになろう」
彼はそう言うと、リュリの額にひとつくちづけた。
すると、リュリの意識はだんだんとぼやけてきて、彼女は眠りに落ちるような感覚で意識を手放した。
そのたゆたう不確かな意識の中でリュリは仮面の男の悲しそうな翠色の瞳が気になっていた。
「カラスさん……おっこちちゃった……。大丈夫かな」
「おはよう、リュリ。一緒に朝食でもどうかな?」
「ひゃっ!」
リュリがぼんやりと記憶を辿って事の顛末を思い出せたとき、すぐ耳元で軽やかなテノールが囁くのが聞こえた。彼女は体をびくつかせて驚いた。
声のする方を見ると、すぐ目の前に翠の瞳を煌めかせた端正な男性の顔があって、リュリは余計に驚き、ベッドの上で飛び退いてしまった。
リュリの小動物のようなちょこまかとした動きを見て、男はふんわりとした黒髪と肩を揺らして笑った。
「その声……しゃこうかいに居た人……?」
リュリは、また夢を見ているかと思った。
彼女を苛み続けてきた悪夢の主が目の前で寝転んでいる。
けれども、あの舞踏会の日に感じた恐ろしさは一片も感じられなかった。
首をかしげるリュリの前で、彼は嬉しそうに前髪をかきあげた。
「覚えていてくれたんだ! 髪の色は元に戻したんだけどな」
そして、リュリの座っているベッドに自身も膝をつけると、その顔をリュリに近付け、その表情をねぶるように見やった。
「あのときは怖がらせちゃってごめんよ……」
「う、うん……」
リュリは、吐息のぶつかる距離にある男の顔を気にしないように努めながら、リネンを握りしめていた。不思議と彼の瞳から目を離すことが出来ない。
瞬きをすることしかできないリュリの肩を、男は軽く押した。
急なことだったので、リュリはされるがまま、組み敷かれる形になってしまった。
「君と一緒の朝なんて夢みたいだ、リュリ……」
覆い被さった男は恍惚としていた。
瞳を伏せた彼の、形のよいくちびるがリュリのそれに触れる前に、少女は小声で彼に尋ねた。
「あの、あなたは、誰?」
男の動きが止まる。
リュリは、リネンを握る手に汗を滲ませながら更に問うた。
窓の空いた部屋に、場違いなほど呑気な鳥たちの囀る声が聞こえる。
「ここはどこなの? カラスさんは……? カラスさんはどうなったの?」
「……そうだったね。君はまず、真実を知るべきだった……」
男が近付けていた顔を少し離すと、リュリはほっと溜息をついた。
しかし、押し倒されているという状況は依然として変わらない。
男はそのままの姿勢で、リュリに語りだした。彼の翠の瞳が翳って、嵐のときの森に似ているとリュリは思った。その瞳の下に、なきぼくろが一つあった。左側だ。
「君は、自分の名前がわかるかい?」
「それくらいわかるよ。私の名前はリュリ」
リュリがはっきりと答えると、男は力なく首を振った。
「それは愛称だね。じゃあ、本当の名前を知っているかい?」
「本当の……名前?」
リュリが瞬きをしながら問うと、彼は誇らしげに答えた。
「そうだよ。知らないだろう? でも僕は知っている。君は、アラムとファイナの子、叙事詩の名を持つ、リューリカだ。そして僕は……」
彼は、いまにも泣き出しそうな顔を無理矢理に笑顔にして、彼女に告げた。
リュリは、その表情に見覚えがある気がした。
「僕はシュウ、君の兄、シュウだよ」
「おにい、ちゃん……?」
シュウの涙がとうとう翠の瞳から溢れ出て、その一滴がリュリの頬に落ちたとき、彼女は過去の一つを思い出した。
森の中で、抱きしめてくれた黒髪の少年の相貌と、男のそれとが重なる。
それは今朝がた見たばかりの夢そのものだった。
わたしを助けてくれた人。
「うそ、わたし、おにいちゃんのこと、どうして忘れてたんだろ……?」
「僕が魔法をかけてしまったんだと思う。ごめんよ。あのとき、君はとても怖い思いをしていたから。君がすべてを忘れるよう、強く願ってしまった」
リュリが戸惑っているのを見て、シュウは居てもたってもいられず、覆いかぶさったまま、彼女を抱きしめた。
青年の少し骨ばった頬と、リュリの柔らかなそれとが優しく触れ合う。
「リュリ、僕のこと、思い出してくれた?」
「……うん、たぶん」
「怖い思い出は?」
「んー……。あんまり」
「アラムとファイナのことは?」
「……ぜんぜん」
「……しかたないか。ゆっくり思い出そうね。……それにしても、よかった!」
歓喜の声を上げてきつく抱きしめてくるシュウに、リュリはおずおずと腕を回す。
彼女の記憶の中のシュウは、背丈はあったものの、女性のような顔立ちをしたひょろっととした少年で、目の前の男性とは差異が大きく、彼女の戸惑いも大きかった。
「本当にお兄ちゃんなの? わたしの知ってるお兄ちゃんはもっと声が高かったよ……?」
「そうか、リュリは男を知らないんだね? 男は大人になる過程で体だけでなくその声帯も伸びるんだよ。要は声が低くなるんだ」
シュウは少女から離れると、ほら、と彼の喉元を見せた。そして左手でリュリの右手をとって触れさせる。
妹は細い喉元から飛び出た突起を撫で、次に自身の喉元を左手で触れて比べてみた。目を細める兄の言うとおりだと、その違いに納得した。
「へえ、だからアルくんも声低いんだ」
「……それは誰?」
兄はリュリの呟きに尋常では無い速さで反応した。
「アルくんは、ボーマンっていうところに住んでる狩人さんだよ」
「……ふうん。リュリはそこに居たんだっけ?」
「うん」
「……」
途端に不機嫌な様子になったシュウに少し違和感を覚えたが、リュリは頷いた。
シュウの翠の瞳が冷たく光った。
彼は突然、左腕だけで彼とリュリの間にあるリネンを勢いよく取り去ってしまうと、身にしている異国風の衣装の首元を緩めた。青年の、筋張った首筋と鎖骨、そしてうっすらと筋肉に覆われた胸板が露わになる。そして左腕をおもむろに下の方に持ってゆくと、リュリの生足にそっと触れた。
「ひゃっ」
リュリが体を跳ねさせたのを見て、シュウは満足そうに口元を上げた。その手は止まらない。
彼の左手は、まるで羽根で触れるかのように、彼女の右足の脹脛を愛撫しながら、その位置を上方へと移動させてきた。
彼の長い指がリュリの柔らかな太ももを強弱をつけながら揉みしだいてゆく。
触れられた先から熱を帯びてゆくような感覚が芽生えてきて、リュリは戸惑った。
「な、なに……?」
くすぐったくて身を捩ってしまうものの、そのざわめきが無くなってしまうのが惜しいような、未知の感覚だった。リュリが戸惑い、顔を赤く染めながら少し抵抗するのを、シュウが覗き込む。
「ボーマンに、こういうこと、されたりしなかった?」
「へ? ……される、って、何を?」
「こういうことだよ……」
そうリュリが言うやいなや、彼はその高い鼻を少女の首筋に沿わせ、その香りを堪能した。
寝起きのほんのりと湿気を帯びた肌に、彼の形の良いくちびるが触れる。ほんの少しの塩辛さに、彼女を食べているような錯覚さえ起こす。呼吸をするたびに、少女の甘い匂いが鼻から脳へ満ち満ちる。うっとりとした気分に、吐息が熱くなる。
シュウの心臓は今や、歓喜のリズムを打っていた。
「ひゃっ……!」
リュリが奇声をあげてしまうのも無理はなかった。
シュウはわざと湿った音を立てながら、真っ白な首元をくちびるでなぞった。耳の裏から首筋を伝って、きめ細やかな肌を味わう。本当はむしゃぶりつきたいところだったが、己と彼女をじらすように、じっくりと舌をうごめかせた。白銀の髪がまとわりつくのを鼻でよけながら。
彼はそのままリュリの隣に寝転び、彼女と足を絡ませた。左手は、彼女の弾けそうにやわらかな臀部に指を沈みこませて、そのハリと弾力を楽しんでいる。
「あ……、やぁ……!」
リュリは、自身の首筋を這うシュウの舌遣いに翻弄されていた。
くすぐったさはやがて、体の芯で小さな種火となって、彼女の心をじんわりと蕩かせてくる。
シュウの指先と舌先が動くたび、四肢がびくびくと己の意思に反して痙攣したようになる。
頭も、熱に浮かされたようにぼうっとしてきた。
「ううっ……。やぁ……。やめ、てよう……」
「ん……。かわいい……」
はあはあと、荒れた息に胸を弾ませての拒否は、逆効果だと彼女は知らなかった。
かえってシュウの加虐心に火をつける結果を招いてしまった。
彼はときめきにまかせて、妹のやわらかなふくらみに手を添えた。繊細な手のひらが、まあるくなぞるように、または包み込むようにして、やわやわとうごめく。
「ひゃんっ……」
リュリは、自身が下着を着けていない事実にこのとき気付いたが、時すでに遅し。
少女は自身が成長した証たる豊かな双丘から、兄の手を引き剥がそうともがいた。
けれども、シュウが絶え間なく与えてくる刺激に耐えることしかできず、抗議なんてとても難しかった。しかし、彼女の体が本人の意に反して、悦び始めているのも確かだった。続けられる愛撫とくすぐったさに、ただ声だけが漏れる。
「んぅ……。くす、ぐった……ぁ」
初々しく恥ずかしげに、途切れ途切れに奏でられる乙女の声は、男の耳を心地よく刺激した。
感じ始めている証拠だ。何も知らない、処女なのに。
そう思うと、シュウは熱く昂った。痛みさえ感じる。
リュリの嬌声が艶めくほどに、興奮がぞわぞわと彼の背筋を駆けのぼる。
それは、残っている理性を犯そうとする勢いがあった。
「ね、ね、やめ、やめ……て……。おにい、ちゃ……」
リュリは耳までも赤く染めて、翠の瞳を潤ませながら上目遣いをしてきた。
息も絶え絶えなその様子に、シュウは自身の理性の糸が完全に切れてしまうのがわかった。
「リュリ……はじめては……僕としよう……」
「はじ、めて……?」
「そうだよ……。僕に任せて……」
彼は熱っぽく言うと、リュリをきつく抱きしめて、そのくちびるを味わうために再び顔を寄せた。再会した時と同様に、鼻と鼻とを絡ませる。
これは儀式だ。あるいは、記念だ。
桜色のくちびる。
まだ、誰のものでもない、魅惑の果実。
それを摘むのは僕だ。
しかし、シュウの喜びは訪れなかった。
雪崩のような足音と共に、部屋に何者かが入ってきたのだ。その男は扉を乱暴に開け放つと、野獣のように叫んだ。
「魔術師! リュリちゃんをはな……。んな、何してやがる!」
その声の主はルロイだった。
魔術師と呼ばれたシュウは、お互いに足を絡ませた状態だったリュリを解放するとベッドから起き上がった。そして、指を鳴らすと、どこからともなく現れたリネンをリュリにふんわりと纏わせた。
「あ、あう……?」
リュリはシュウによる愛撫で頭が痺れていて何が起きているのかはっきりとわからなかった。
シュウは、自身の乱れた服装を直しながら言った。その敵意に満ちた鋭い視線はルロイから離れることは無い。
「僕の時間を、よくも邪魔してくれましたね、トマジ君。どうやって来たかも聞きたくない。君にはお灸をすえる必要があるみたいだね……!」
「わ、悪いコトしてたのはそっちだろ! 変態っ!」
「ふうん。そうか、君もリュリを……」
黒い髪を逆立てたシュウの翠の瞳の奥に、火花が弾ける。
それを見たルロイは、彼と対峙しながら丸い室内をにじり歩いた。
シュウの方も相手との距離感を測っているようだった。
そうしてお互いの距離を保っていると、運良くルロイはリュリのいるベッドの方に近付けた。
リュリはようやく頭にかかっていた靄が取り払われて跳び起きた。
そしてやっと、兄に何をされていたかに気付いて、真っ赤になった。
「ルロイくん……? は、はわ、わたし……!」
「リュリちゃん、逃げるぞ! 若君も待ってる! オレが絶対、コイツから守ってやる!」
ルロイが背中越しにリュリに叫ぶと、目前の人物を認識することが出来た。
対峙する二人が一触即発の状況にあることもわかった。
ルロイに対するシュウの明らかな殺意を感じとれたリュリは、リネンに包まったまま首を回してどこか逃げ道になりそうなところは無いかと探した。
ルロイが今し方入ってきた入口にはシュウが立ちふさがっていて正面突破は難しそうだった。
「窓とかないかな。……あった!」
リュリは自身の座っていたベッドの右側に、たなびくカーテンを見つけた。
「こっちから出られそう!」
「わかった、飛び降りるぞ!」
リュリがルロイに声をかけると、ルロイはそのまま窓の方へ駆け寄った。
「ふふふ……無駄ですよ、トマジ君。だってそっちは……」
「うわわわ! リュリちゃん、危ない!」
「あえ? ――ひゃ、ひゃあっ!」
リュリとルロイが窓から飛び降りようと身を乗り出すと、その窓の下には石造りの城が、そして城下町エルンテが広がっていた。
ここは、ブリューテブルク城の誇る双子の塔、その天辺に位置する部屋だったのだ。
眼下に並ぶのは、エルンテを包む城壁の中に、所狭しと詰め込まれた小さな家々だった。
しかし、ルロイは知っていた。その家の一つ一つが五階建てのアパルトマンだということを。
しかもエルンテは丘を覆うようにして作られた城塞都市だったから、ブリューテブルクの頂上から見下ろされればどんな教会堂でも小さく見えるものだった。
高所に肝を冷やした二人は寸でのところで引き下がり、シュウと向き合う形になった。
「無駄だって、言っただろう? さ、リュリ、僕のところにおいで」
彼は顔面に笑みを湛え、その両腕を広げて言った。
リュリは、兵士を庇うようにルロイとシュウの間に立った。先程シュウが味わおうとしたくちびるが、ぶすっと突き出されている。
「嫌。さっきみたいな、変なことするお兄ちゃんなんて、お兄ちゃんじゃないもん。それに、ルロイくんにも何かしようとしてたでしょ」
リュリが自身の痴態を恥じ、頬を真っ赤にしながら頬を膨らませて抗議すると、シュウはわがままを言う子供を諭す親のように、猫なで声を出した。
「リュリ。お兄ちゃんは僕で間違いないよ。リュリがこっちに来たら、彼には大人しく帰ってもらうだけだから、心配はいらないよ。ほら、窓辺は冷えるから、こっちにおいで」
「嘘、言ってない?」
「ああ」
不信感いっぱいのリュリの問いに、シュウは笑顔で頷いた。
「……来てくれて、ありがとう。帰りは気をつけてね……」
「ちょっと、リュリちゃん!」
リュリは、ルロイの耳元に囁くとシュウの元へと用心しながら歩き出した。
そして、シュウはその左腕でリュリを抱くと、水平に広げていた右腕を真っ直ぐルロイに向けて、その人差指で彼を弾いた。
すると、ルロイに触れていなかったのにも拘らず、彼の額が何かによって弾かれ、彼はそのまま体勢を崩し、窓の向こうへと落ちて行ってしまった。
彼は突然の衝撃に声を上げながら落下するしかなかった。
「うわああああ!」
「ルロイくんっ!」
リュリがすぐさま窓に駆け寄ると、既に彼の姿は木々に隠れて見えなくなってしまっていた。
振り向き、涙をためた翠の瞳で睨みつけながら兄に抗議した。
いつもの穏やかなリュリから想像もつかないような、怒りの形相だった。
「嘘つき! あなたは最低の嘘つきだわ! お兄ちゃんっていうのも、嘘でしょう! カラスさんもおんなじ風に、ぽいってしたのね!」
シュウはリュリにすかさず体を寄せて、激高する彼女を、砂糖でいっぱいのコーヒーのように甘い声でなだめすかした。
「僕は嘘なんかついてないよ、リュリ。彼には、無駄な抵抗もさせず、大人しく帰ってもらったじゃないか。命の保証はないけどね……。それにあの白いカラス。あいつは敵だよ。僕たち家族を引き離した張本人だ。けれども、もういい。僕たちは前を向いて歩こう。だから……」
リュリはシュウが顔を寄せてくるのを、首を反対に向けることで精いっぱいに抵抗して見せた。彼は一つため息をついたが、すぐにまたその両腕をリュリに回し、長い指を彼女の体の曲線に沿わせた。
リュリは、それにもう嫌悪感しか抱かなかった。
「さ、続きをしよう……」
「やっ」
「つれないな……。そこもかわらなくて、かわいい」
「きらいっ」
「もう……」
シュウが囁いた瞬間、二人の耳に鳥の鳴き声とも違う高い音が聞こえた。
流れるような連綿としたシュウの動きが突如として止まった。
その一瞬の隙に、リュリは両腕に力を込め、彼を突き放した。
そして、ルロイが昇ってきた方の入口へと大股に歩き出す。
だがすぐにシュウが立ちはだかった。
リュリは刺々しく言い放つ。
「お兄ちゃん、なんだか知らない人みたい。会えて嬉しかったけど、わたし、帰るね」
「そうはいかないな。ようやく捕まえられたんだ、逃がさないよ。僕の妖精」
シュウは悪戯っぽく笑うと、リュリの目前から後方の入口に軽く跳び、その扉を閉めた。
リュリが閉められた扉を開けようと叩いたりノブを上下に回すも、扉は固く閉ざされていた。
閉ざされた向こう側で、シュウがくすくすと笑う声が聞こえる。
「残念。僕しか開けられないようにしたんだ。寂しいだろうけど、少しの間、我慢してくれるね? 食事もお茶も、もちろん夜もね。今日からずっと一緒だよ、リュリ」
シュウはそう言い残すと、立ち去ってしまったようだった。
一人きりになってしまうと、リュリは自身を助け出しに来たルロイの身を案じ、自身の無力さを呪ってベッドの上で大声をあげて泣いた。
高い塔の上から落ちたのだから、大怪我では済まないだろうと思われた。
リュリは泣きながら、五年前に見た炎に包まれる孤児院を思い出した。
あの日、リュリと関わってきた全員がそこで死亡した。
ルロイも彼女と関わったことで同様に不幸になったのだと、関わるべきではなかったと彼女は深く後悔した。
「わたし……一体どうしたらいいの……」
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