鬼隠し

前田薫八

第1話

「鬼隠しの噂って、知ってる?」



 元気を象徴するかのように髪の毛の先が跳ねた女の子が言葉を発する。聞いているのは猛禽類を連想させるほど鋭い眼つきの男の子だ。胸のプレートには『時安嘉隆(ときやす よしたか)』と刻まれていた。嘉隆の側にはメタルフレームのメガネをかけた男子生徒が席に座っている。机の上には進路希望用紙が置かれており、その氏名欄には『稲松淳二(いなまつ じゅんじ)』と書かれていた。第一志望は地元の医学部である。


 教室の喧噪から今が休み時間だとわかる。



「どうした、真夕(まゆ)。また怪しい噂をどこか変なところから拾ってきたのか?」



 嘉隆は明らかに真夕を馬鹿にした顔つきだった。しかし、真夕はその嘉隆の侮蔑の表情を意にも介していない。



「ふふん。いつもは嘉隆と淳二に馬鹿にされてるけど、今度の噂は本物だよ。なんたって、ここ赤井戸村の噂話なんだからね」



 真夕がふんぞり返って胸をそらす。相当に自信のある噂話のようだ。


 嘉隆と淳二が顔を見合わせる。どちらも苦笑いと言っていいだろう。どうせいつもの根も葉もない噂話。そんな心情が二人の顔に表れていた。



「それで、今度はどんな法螺話なんだ?」


「嘉隆、そんなにはっきり言ったら可哀そうだよ」


「むぅ、二人とも私のこと信じてないな」



 真夕が頬を膨らませて抗議する。淳二は次の授業――物理の準備をしながら話を聞いていた。



「鬼隠しってのはね、人が消えるんだよ」


「真夕、それは鬼隠しじゃなくて神隠しって言うんだよ」



 嘉隆は真夕を馬鹿にしたように鼻で笑う。


 神隠しというのは突如として人の存在が消えてしまうことで有名だ。嘉隆が真夕の言葉を聞いてそう思うのも仕方がない。しかし、真夕が言っているのは『神』ではなく『鬼』だ。鬼が隠すものとはいったい何なのか。



「わかってないな、嘉隆は。消えるのはね、生きた人じゃないんだよ」


「……死んだ人、死体ってことか?」


「なるほど、生きた人が消えるなら『神隠し』ですが、死んだ人が消える場合は『鬼隠し』ですか。鬼は死者を導くとも言いますし、言いえて妙でしょう」



 淳二はよほど今の考えに納得したのか、しきりに頷いていた。



「そういうこと。その鬼隠しが起こる場所ってのがね、赤井戸神社の裏にある井戸なんだって」


「赤井戸神社っていったら淳二の家のすぐ近くじゃないか」



 淳二はあからさまに顔をしかめた。誰だって自分の家の近くで怪奇現象が起きているとしたら嫌なものだ。しかもそれが死体が消えるという気味の悪いものならなおさらである。



「それでね、その井戸に死体を入れると――次の日にはその死体が煙のように消えてなくなってるだって! ね、不思議でしょう?」


「……」「……」



 嘉隆は馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。鬼隠しの噂を端から信じていないようだ。それに対して淳二は苦り切った顔のままである。自分の家の近くでそんな噂が流れていることを快く思っていないのだろう。



「何よ、二人とも反応が鈍いわね」


「当り前だろう? そんな噂話、誰が信じるんだよ。誰か試したやつがいるのか?」


「いるんじゃない? だから噂が流れたわけだし」


「確かめてないんだろう? だったら嘘だ、嘘。そんな噂は無視するに限る」



 真夕は嘉隆を睨みつけた。ここまで鬼隠しの噂を否定されては真夕としてもムキにならざるを得ないだろう。



「そんなに言うなら確かめてみようよ。今日の放課後、二人は暇よね」


「はぁ!? いや、確かに特にやることはないが……」


「ボクも予定はありませんが……」



 真夕は嘉隆と淳二が困惑しているのを見ても自分の考えを変えようとはしなかった。やりたいからやる。それが真夕という女の子の行動原理だった。



「だがな、真夕。確かめるっていってもどうやって確かめるんだよ。まさか、本当に人を殺して井戸に投げ込むわけじゃないだろう?」


「それもいいわね。もちろん、殺される役は嘉隆よね」


「冗談じゃない」


「それじゃあ、淳二?」


「ボクも遠慮しておきます」



 しかめっ面で断った嘉隆に対して、淳二は冷静に断った。こういう冗談は好きでないのだろう。人を助けるために医学部を目指すようなやつなので当然と言えば当然だった。



「仕方ないわね、猫の死体でも投げ入れてみましょうか」



 真夕は二人に非難の目を向けられてもやめようとしない。特に淳二の嫌悪感はあからさまだった。いくら人間ではないといっても動物の死体をぞんざいに扱うというのは生命を冒涜する行為である。



「やめましょう。猫が可愛そうです。第一、人が消えるから『鬼隠し』なんですよね? 動物の死体が消えたところで噂の証明にはなりませんよ」



 いつもはおとなしい淳二が反発した。嘉隆からしたら意外なことである。だが、彼も淳二の意見には賛成だ。



「う~ん、しょうがないなぁ。それならせめて井戸を見るくらいはいいでしょう?」


「まぁ……」


「それくらいでしたら……」



 このあたりで妥協をしておかなければ真夕がどんな行動を起こすかわかったものではない。


 こうして、嘉隆たち三人は放課後に赤井戸神社の裏にある井戸を見に行くことになったのだった。




 真夕が上機嫌に自分の席に戻ろうとした途中、すぐそばから媚びたような女生徒の声が聞こえた。真夕はその声が自分に向けられたものかと思ったが、それはすぐに違うとわかった。



「ねえ、百合(ゆり)さん。体育祭では私と一緒に二人三脚に出ませんか? 私たちが肌と肌をくっつけ合って走れば、きっとみんなの注目を浴びますよ」



 百合は困ったような顔つきで「はい」とも「いいえ」とも言わない。その表情で察してほしいということだろうか。


 百合に言い寄ってきている人物は真夕たちと同じクラスの瑠奈(るな)という女生徒だった。瑠奈にはちょっとした噂がある。それは女でありながら女の子が好きだという噂だった。実際に真夕の目から見ても美人である百合に毎日のようにべったりとくっついている。今も二人っきりになれるチャンスを狙ってか、体育祭の二人三脚に誘っているのだ。百合からしたらたまったものではないだろう。


「瑠奈さん、ごめんなさい。私、お手洗いに行きたくなってしまいましたわ」


「それなら私もご一緒します!」



 百合はできれば一人で行きたかったであろう。先ほどの発言は明らかに瑠奈から逃げるための方便だった。しかし肝心の瑠奈が百合についてきてしまっては意味がない。


 しかし百合は心根がいい人なのか、ため息一つつかずに瑠奈と一緒に女子トイレへと向かった。



(最近はああいうのも世間に認められるようになってきたのかな。でもまあ、私には関係ないことよね)



 真夕の頭の中はすでに放課後の鬼隠しへと向かっていた。今目の前で起こった百合と瑠奈のことなど、頭の片隅にすら残っていない。




 その日のホームルームでは体育祭の出場種目が決められた。すべての種目が立候補と推薦で決められる。候補者の多い種目はくじ引きだ。


 二人三脚は百合が推薦されたところから立候補者が急激に増えた。瑠奈以外にも百合を狙っている生徒は多いのだ。それが男女を問わないところが百合のすごいところである。


 くじ引きの結果、百合の相手は瑠奈となった。瑠奈は壇上から笑顔で百合を見つめている。体育係である瑠奈が作ったくじ引きである。誰の目にも不正が疑われた。しかし、それを口にする人はいない。それほど瑠奈はこのクラスで権力を握っていた。


 嘉隆は綱引き。淳二はリレー。真夕は五十メートル走に参加することになったが、そのことに興味を持つ人はほとんどいなかった。みんなの興味はすでに百合と瑠奈の二人三脚に移っていたのである。


 ホームルームは終わり、真夕は嘉隆と淳二を連れて教室をあとにした。真夕にとっては女同士の色恋沙汰よりも鬼隠しの噂のほうが重要だった。




 嘉隆は不満だった。真夕のことは大切な友人だと思っている。しかし、たまに根も葉もない噂話に飛びついては嘉隆たちを振り回すのは勘弁してほしいものである。



(これさえなければ面白くていいやつなんだがな)



 嘉隆にはそんな不満を表情に出さないだけの分別はあった。淳二も口には出さないが、同じような気持ちはあるだろう。



「ここよ、ここ。ここが鬼隠しの起きるっていう噂の井戸ね」



 嘉隆が考え事をしていると、いつの間には鬼隠しの井戸に到着していた。井戸は石造りで木製の蓋がかぶせられている。



「随分と古そうな井戸だな」



 嘉隆が井戸の周りを調べてみる。湿気がないところから中はすでに枯れている可能性が高かった。



「これが井戸だけど、真夕はこれで満足した?」



 淳二が不安そうに尋ねる。その様子から淳二は鬼隠しの噂を拒絶しているようだった。



「う~ん、中も見てみたいかな」


「やめろ。落ちたら危ない」



 嘉隆は井戸に近づこうとした真夕を手で制した。真夕は不満そうだったが、嘉隆の真剣な表情を見て渋々引き下がる。



「鬼隠しの噂はこれで満足するんだな。君子危うきに近寄らずだ」


「はいはい、相変わらず嘉隆は心配性ね」



 真夕が引き下がり、淳二の顔に安堵の色が浮かび上がる。淳二も真夕のことを心配していたのだろう。


 嘉隆と真夕はそのまま淳二の家で遊ぶことになった。淳二の部屋の窓からは赤井戸神社がよく見える。確かにこんな近くに死体が消える井戸なんてものがあれば気味が悪い。嘉隆は淳二に同情しながらそんなことを思ったのだった。

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