4-”僕”はやっぱり”僕”だった


ちょうどその頃、僕に激震がはしる出来事があった。

某テレビドラマで女子中学生が「僕は男です」と言っていたのだ。

このドラマはその女子中学生が自らの性に悩み向き合っていき、また、周囲もそれを理解していくというものだった。それを見て僕はまさにこの人と同じだと確信したのだ。そのドラマの中で、その彼女について授業をやっていて、

「体は女性だけど心は男性。みんなと少し違うけど、おかしいことじゃないの。誰のせいでもないよ。これは“性同一性障害”といいます。」

そのとき初めて僕の中で可能性が生まれた。

もしかしたら僕自身「性同一性障害」じゃないかということ。

ドラマでは治療できるものだと言っていたので、まだテレビを見ただけでは断定はできないけど、望みができて、それからは家族にばれないように時間があればインターネットや図書館で性同一性障害について調べていた。そして、自分一人で病院に行けるようになったら、必ず診察を受けにいくと決めた。このとき、家族に相談はしなかった。もちろん友達にも言わなかった。友達には言わなかったじゃなくて、言えなかった。当時は性同一性障害の認知度は低くて、少しだけ世間に認知されていたくらいだから、これを話したらどうなるんだろうと怖かったんだと思う。そして、家族に言えなかったのは、まだ確証を得たわけじゃないから、不確かなことをいって心配をかけたくなかった。ただ、ここから僕の向かう方向性がみえてきた。


それまでしてきた、女子になるための努力をやめた。ただ、もとに戻っただけかもしれないけど、僕には大きな変化だし、大きな一歩だった。でも、周りにばれるのも嫌だったので、それを隠すために少しだけ、女子らしくした。浮かないように。なじむように。


そんな時、僕に思ってもない話が舞い込む。沖縄に行ったことを夏休みの宿題の意見文として提出したところ、「選ばれたので意見文発表会にでませんか?」というものだった。それがどんなものなのか僕には全く見当がつかなかったけど、みんながやっていないことをやったり、目立ちたがりの僕は「やります」と返事。でも、僕が思っている以上に過酷なものだった。何回書き直したかわからないくらい原稿をかいて、そのために何冊も本を読んで、資料をあさった。

それができたら次は読む練習。

ものすごく遅くまで残って練習したし、週末も学校にいって練習したのを覚えている。まるで部活だなと思いながら、やり始めたことを投げ出すわけにもいかず、必死だった。


そして、本番当日。

僕は物凄く緊張していたが、なんとかやり遂げ、なかなか褒めてくれなかった先生が嬉しそうに褒めてくれた。その顔を見たとき僕はなんだか嬉しかった。努力のかいあってか、僕は最優秀賞をとることができた。それを目指していたわけじゃなかったけど、もちろん受賞すればそりゃ嬉しい。僕もきつかったけど、指導してくれた先生も大変だったはずだ。だから、一番の恩返しになったんじゃないかとそのとき思った。先生もその場で大喜びだった。

学校に戻ってから、僕のことを一番応援してくれていた先生に、真っ先に報告した。一瞬信じられないような顔をして、「おめでとう!」と抱きしめてくれて、一緒に喜んでくれたのを今でも忘れない。


僕はこのとき多くの心の葛藤があったけど、こんなに僕のことを思ってくれている先生がいると思ったら、なんだか少しだけ心が軽くなった。

ちなみに、僕がこの意見文に書いた内容というのは、沖縄に行き戦争と向きあって、この歴史があるなかで、なぜ戦争をするのか大人に問いかけたいというものだ。これを書いて、何回も読んでいくうちに、僕の悩みはちっぽけなものかもしれないと感じた。中学生の僕にとっては大きなことだけど、もっと外に目をむけたら、僕の悩みは大したことないなと前向きになれた。だから、僕はこの挑戦を応援してくれた先生たちに今でも感謝している。

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