ロメオ⑩

 ディエゴの働きで俺たちの仕事はますます増えて、チームの人間も増えた。けれど、チームの仕事場が増えて人が増えるほど、俺たちにはすき間が広がっていくようだった。

 ランセルに新しくかまえた・・・・事務所に入ると、ディエゴが険しい顔で書類の山を見ていた。

「……ディエゴ」

 ディエゴは俺を見ると、またすぐに書類に目を落とした。「……ノックくらいしろよ」

「人間みたいな物言いするじゃないか」

「俺らだって、奴らのマナーを覚える必要がある。俺らだけ求めるってぇわけにもいかねぇだろ」

「そうかい」どうやらディエゴが本気で言っているらしかったので、俺は鼻で笑うのをやめた。「……で、今日は何の用なんだ?」

「仕事の話に決まってんだろ」ディエゴは書類から目を上げようともしない。

「そりゃそうだが……。」

「実はな……」

 ディエゴが話してると部屋の扉が開いた。入ってきたのはドミノの店のアイーシャだった。

「クライスラーさんっ」アイーシャは満面の笑みを浮かべていた。

「ノックしろよ」

 ディエゴに睨まれると、アイーシャは申し訳なさそうな顔をして部屋を出た。そしてノックしてから再び入ってくる。

「……クライスラーさん」今度は大人しい顔をしていた。いくらノックをしなかったといっても、きつすぎやしないだろうか。

「なんだ?」

「例の組合の会長との約束、取り付けました」

「おお、そうか……」それを聞くとディエゴは上機嫌な様子で立ち上がったが、俺は戸惑いを隠せなかった。組合の会長? いったい何の話をしているんだ?

 ディエゴはアイーシャの前に立つと、彼女の髪をなで、そして顎をつまんだ。サリーンに見られたらとんでもないことになりそうな光景だった。

「……服を脱げ」

 突然ディエゴが言うもんだから、俺とアイーシャは思わず顔を見合わせた。

「……こ、ここで?」アイーシャが言う。

「ああ、そうだ」

「だって……」

 アイーシャは俺を見た。俺はディエゴを見る。

「いまさらうぶ・・生娘きむすめ気取りか?」

 ディエゴに睨まれて、アイーシャは覚悟を決めたように目をつぶると上着を脱ぎ始めた。しかし上着を脱ぎ終わったところでアイーシャは目を開けて仰天していた。ディエゴが毛皮のコートをアイーシャにかけていたのだ。

「じゃあ次は社交界デビューだ、しっかりやってきな」

 アイーシャは目を丸くしてうなずくと、意気揚々と部屋を出ていった。

「……仕事ってのはこれのことか?」

「ああ」ディエゴは椅子に座りなおしていった。「女たちの噂や占い師のタレコミじゃあ限度があるからな。を使って、コネクションや情報網をつかむのさ」

 幼なじみだが、ディエゴのこういうところはやはり分からない。女を敬ってると思いきや、骨の髄まで利用しようとするのだから。

「俺はあまり感心しないかな」なので、俺は率直に言った。

「……ほぅ」

「お前のやってることは、売春のあっせんじゃないか」

「体を売らせてるわけじゃあねぇよ。男どもの隣で、機嫌を上げるためにあれやこれや機転を利かせるんだ。微笑み一つ工夫してな。言ってみりゃあ体以上のものを男から奪うのさ。娼婦ってのは人聞きが悪いから、新しい名前も考えないとな」

「……いざとなればもあるだろう?」

「……悪いかい?」

「何事にも、節度ってもんがある」

「……使えるもんは血の一滴だって惜しみなく使う。そうすりゃ欲しいものを手に入れられて、利益だって生むってぇことが分かってんなら、迷わずやるべきじゃあねぇか。俺は無理強いはしてないんだぜ。それで節度だの世間体だの、あまつさえ綺麗だ汚いだなんて言い出す奴は、俺に言わせれば情熱がねぇよ。この世界を生き抜いてやろうってぇな。信念も執念も欠けてる。だけだ。だらしねぇ生き方だよ」

 メルセデスにも同じように弁明ができるか? とは言えなかった。それを言ってしまったら、俺であっても殺されかねない。

「オメェの言うように、物の見方によっては売春だろうな。だが、それはあくまで物の見方だ。置き場所が違うだけで違うものになる」ディエゴは部屋の隅に飾ってある壺を見る。「あれの価値なんか分りゃしねぇ。だが、ここに飾ってあれば美術品で、便所にあればタンツボだ」ディエゴは自嘲的な笑いを受かべる。「……よぉロメオ、俺たちのやってきたのは何だ? 盗みに恐喝に騙しだ。誰かから奪う事しかやってねぇ。だがな、上品な服着て言葉を操って奪うのと、拳をちらつかせて奪うのに違いがあるのか? 今さら言わせねぇでくれ」

「……はめぐりめぐって自分のところへ戻ってくるもんだぜ」

「おふくろみてぇな物言いはやめてくれよ」ディエゴはハエを追っ払うみたいに手を払った。「それならそれで、俺がそいつを引きうけてやるよ。めぐりめぐって俺んところに来ても、跳ねのけられるくらいの力を手にしてな。ケツは俺が持つ、オメェらは自分たちが登っていく光景だけを見てりゃいいのさ」

「……アイーシャも登っていくのか?」

「言ったろ、置き場所の違いだって。貧乏な女が仕方なくやる仕事じゃなく、優れた女しか手が出せない仕事ってぇことになれば、奴らが女たちを見る目も変わる。……フェルプール俺たちを見る目もな」ディエゴは俺の服装を見ると、オメェもちったぁ着飾れよと鼻で笑った。これでもけっこう値が張る服を着ているはずなんだけれど。

 俺が自分の服の確認をしていると、部屋の扉を誰かがノックした。アイーシャが戻ってきたのかと思ったが、入ってきたのは人間の男だった。ブロンドの巻き毛に面長の顔で、全体的に瓜みたいな顔をしている。髭を完全にそっているせいか、どこかガキくさい感じがした。母親の手料理しか食べたことのなさそうな男だ。男はのっぺりとした表情で、簡単に俺に会釈をしてディエゴの方に歩いて行った。もう俺はこいつを嫌いになりつつあった。

「おまたせして申し訳ありません、クライスラーさん」男は言った。声もガキくさい。ミルクでうるおったような声をしてる。

「おお、オメェがドミノの紹介で来たってぇ奴か」

 男が右手を差し出すと、ディエゴは左手をポケットに突っ込んだままそれに応じた。

「お世話になります」

 ディエゴは俺を男の背中越しに見る。「紹介するぜ、これから俺の秘書として働いてもらうマッケインだ」

「……秘書?」

「ああ」ディエゴは机の上を顎でしゃくった。「あの書類の山を見てみろよ。俺一人じゃあ無理だ」

「そりゃあ、そうだが……。」

「紹介が遅れたな、マッケイン。俺の部下のロメオだ」

 俺は衝撃を隠せなかった。今まで、ディエゴは誰にも俺のことを“部下”だなんて紹介したことはなかった。

「……よろしくな」

 俺が近づいても、マッケインは握手のための手を出す様子はなかった。

「……今日は、俺とマッケインを引き合わせるために呼んだのか?」

「ああ、そうだ」

「……そうか、じゃあ、それだけなら俺は帰るぜ」

「ああ」

 俺は部屋を出ると、扉の方をふり返った。何も聞こえてこなかった。

 事務所を出ようとするところで、事務所に入ろうとしていたワーゲンたちにはちあった・・・・・。ワーゲンからは少し酒の臭いがした。

「おお、ロメオ。どうした、いじめっ子にパンツ脱がされたみてぇな顔して?」

「なんだと」

「おいおい、冗談じゃねぇか、本気にするなよ」

「別に、本気になんかしてねぇよ……。」

「へぇ、ところで中にディエゴの奴はいるか?」

「何か用か?」

「いやぁ」ワーゲンは頭を照れくさそうに頭をかいた。「ちょいと飲み屋のつけ・・が溜まっちまってよぉ」

「お前……」

 どうしよもない奴だ。いくらシマの飲み屋だからって、ただ酒をやるわけにはいかないってのに。

「こいつらにも、ちょいと一杯おごってやりてぇしな」ワーゲンは後ろにいた舎弟の三人を親指で差した。ワーゲン好みの、ガタイばかりが大きい若いチンピラだ。ディエゴに小遣いまでねだるつもりらしい。

「……今はやめといた方が良いかもな」俺は事務所をふり返った。

「何でだよ?」

「……お前、ディエゴが人間の秘書を雇ったの聞いたか?」

 ワーゲンが顔をしかめる。「……ああ、まぁな」

「その秘書が今日から仕事始めだ。昼間っから酒の臭いぷんぷんさせて、金をせびりにその秘書の所に行ってみろ、“これだからフェルプールは”って思われるだろうよ」

「それが何だってぇんだ?」ワーゲンは俺にすごんだ。「それがだろうが。なにも間違っちゃいねぇさ。お前こそ、人間に良く思われたいってか?」ワーゲンは俺の胸元を指先でつついた。「上品なお召し物あつらえりゃ奴らに近づけると? 俺にいわせりゃそっちの方が惨めだぜ。猫耳つけて犬に成り下がるなんざよぉ」

「いまの台詞、ディエゴにそのまま聞かせてやれ」俺は軽くお辞儀をして、料理をそうするようにワーゲンの言葉を事務所の方へ運ぶジェスチャーをした。

「……むぅく」ワーゲンは口ごもった。

「……ワーゲン、金なら俺がちったぁ持ってる。今回は貸しってことにしとくから、酒場にいこうぜ」

 俺は事務所と反対方向を向かせるように、ワーゲンの背中を叩いた。とにかく俺は今のワーゲンをディエゴに合わせたくなかった。良いことになんか絶対にならないのだから。

 まだ明るいのに、俺たちは酒場のドアを叩いて無理やり店主に店を開けさせ、酒盛りを始めた。ワーゲンときたら、俺の貸しだって言ってるのに、舎弟に「遠慮すんなっ」とか言いやがった。

 酒盛が始まったばかりの頃は俺たちも上機嫌だったものの、話は次第にディエゴのことになり、内容の雲行きは怪しくなりつつあった。原因はもちろんワーゲンだ。舎弟に示しがつかないので、話題を変えたりなだめたりしようとしたが、そうすればするほど、ワーゲンの話には熱がこもっていく。

「もともと俺らは金貸しだぜ? 貸して利子付けて回収するんだ。それだけでおまんまは喰ってけたんだよ。それをなぁ、なんであんなに金稼ぎに必死になるかね? 人間の真似事までしてよぉ」

「そういうなよワーゲン、そのディエゴのおかげで、俺らはそこいらのフェルプールじゃあ味わえないくらいの贅沢をさせてもらってんだぜ? お前だってエルフの女を抱いたろ? 世界に何人いるんだよ、エルフとやったフェルプールなんて?」

 舎弟たちが「すげぇ」と目を輝かした。

「けっ、あんなもん、服をひんいちまえば、そこいらの女と変りゃしねぇよ」ワーゲンはソファにふんぞり返って酒を飲む。まんざらでもなさそうだった。「……おいロメオ、お前はどっち派なんだ?」

って、なんだよ?」

「あいつと俺たち、どっち側だって聞いてんだよ?」

「おいおい」俺は呆れて首をふる。「飲み過ぎだぞ、何言ってんだ?」

「俺がこれくらいで曖昧あいまいになるかよ。なぁ、正直に言えよ」

「どっち側なんてねぇよ、みんな仲間内だよ」

「まぁ、お前はあいつの幼なじみだからな、どう思ってるか予想がつくがな」

「ワーゲン」

「前から言ってることだがな、俺はあいつの下についた覚えはないからな」

「知ってるよ、お前もあいつも対等だ。それは変わらないさ」

「じゃあなんで、奴は自分の事を“社長”と名乗る? 俺らには何の相談もなくだぞ?」

「そ、それは……」俺は言葉につまった。

「俺たちは対等じゃないのか……?」ワーゲンはまっすぐな瞳で俺を見ていた。思った以上にこいつが本気だったことに俺は戸惑う。

「その……形式的なもんだろう? そうした方が、商談もやり易いだろうから。俺だってよ……人間やエルフの商人とか貴族相手に“社長です”なんて名乗りたくないしな……。」

「……奴がそう言ったか?」

 俺は思わずワーゲンから目を背ける。「長いつき合いだからな、それくらいは……。」

 ワーゲンは「ふん」と鼻で笑うと、煙草に火をつけた。舎弟がワーゲンの空になった杯に気を利かせて酒を注ぐ。ワーゲンはなみなみと注がれた酒を零しながら口に持っていくと、一息でそれを飲み干した。

「……しょんべん行ってくる」ワーゲンは立ち上がった。

「言わなくてもいいだろ……。」

 ワーゲンがトイレに行ったのを確認すると、白黒のツートンカラーの髪色の舎弟が申し訳なさそうに言った。「ワーゲンさん、最近荒れてんすよ」

「見りゃわかる」

「ぶっちゃけ、ワーゲンさんの言いたいことも分かるところがあるんすよね」と、別の舎弟が言う。

「……どういう意味だ?」

「……なんつぅか、肩で風切って歩きたかったからこの世界に入ったのに、最近のボスといると肩身が狭いっつぅか、俺らの存在が足引っ張ってるんじゃないかって思うことがあって……ロメオさんが言ったように、良いこともいっぱいあるけど、気苦労も増えたっていうか……。」

「ワーゲンさんもピリピリし始めちゃうし、俺ら気ぃ休まる所がないですよ。あんな感じでお前たちはどっち側だなんて訊きはじめるから、俺らも言葉に困っちゃって……。」

 そんなに困るならワーゲンとつるまなければ良いものなのだが、ワーゲンはワーゲンで人望がある。舎弟に威張るのは迷惑だが、その分面倒見も良く、実家が困ってる奴には自分の財布から金を出して援助をしてやることもあるくらいで、あげく素寒貧すかんぴんになってしまうのもご愛嬌だった。それが強面のあいつが愛される理由でもある。

 それに何より、ワーゲンのおかげで俺たちはここまでこれた一面もあった。俺たちのひとつ前の世代にアルベルトというやくざがいた。そいつはディエゴ並みに金稼ぎが上手く、かつ強引な手腕で、みるみる四老頭をしのぐほどの勢力を作りつつあったが、ひとつだけ問題があった。それは、そいつがディエゴと同じくらいに喧嘩がからっきしだったということだ。古株のファミリーから聞いた話だと、枯れ木みたいなだらしのない体をした中年のおっさんだったという。そんなアルベルトは四老頭の不興を買って、若手の部下にタイマンを申し込まれてボコボコにされ、再起不能になって表舞台から消えたのだという。アルベルトの問題、それはただ弱っちいということだった。それ以来、俺らの世界では頭を使うしか脳がない奴は“アルベルト”と呼び、由来の知らない若い奴でも蔑むようになっていた。ディエゴも陰で「アルベルトの再来」と言われていたが、それを表立って言わせなかったのがワーゲンの存在だ。うちのチームは頭でっかちじゃない、武闘派もいる、そう周囲に叩き込んでいたのが、他でもないワーゲンだったのだ。

「一番、安心できるのはロメオさんといる時くらいっすね」ツートンカラーの舎弟が俺に酌をしながら言う。

「……俺が二人に比べてなめられてるようにも聞こえるな」俺はその舎弟を軽く睨む。

「そんなことないっすよっ。一番信頼感があるってことですよっ」

「そうっすよ、うちのチームはロメオさんでもってるところもあるんですから」

「それはおおげさだろ」

「いやいや、あのふたりの間に立つのは他の奴じゃ出来ねぇですって」

「……別に、それが仕事じゃあないんだがな」俺はため息交じりに言った。

「あ……すんません……。」

 俺は「気にするな」と手をふって酒を飲む。

 昼間、ディエゴは登り続ける光景だけを見ていればいいと言った。けれど本当に登りつめた時、そこで俺たちは何を見るんだろうか。その光景とやらは、俺たちが望むものなのか。そのことはディエゴだって分かってないんじゃないだろうか。

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